長野相生座で小津4K「晩春」を観る

今年も残り少ない山小屋暮らし。
この季節は畑も薪割もほぼ終わり、1年で一番自由な時間に恵まれます。

山小屋から2時間かけて長野相生座へ

映画が好きなおじさんは、県内の上映状況も常にチェック。
今回は、長野相生座の「小津4K」という特集上映に行きました。
小津安二郎の代表作品をデジタル4K素材で上映するものです。

当時の作品は35ミリフィルムで撮影され、ネガで編集され、プリントされたフィルムで上映されました。
セリフ、音楽はフィルムに光学変換で焼きつけられました。
その素材をデジタル化しての上映会です。小津作品に限らず、黒沢作品など、内外の名作はすでにかなりデジタル化されています。

フィルムであれば、1作品で7,8巻、何十キロもの重さになり、上映の際には専用の映写機に掛けなければなりません。
しかも、上映回数が増えたり、年月が経過すると、フィルムが傷ついたり切れたり、カラーが色褪せたりして劣化します。
更に映画フィルムを保管したり、映画館に配給する際の費用がかさみます。
デジタル化するとそれらの欠点が解消されます。
何より映像の経年劣化が防げるというのが最大のメリットでしょう。
なにせ、太平洋戦争時に万が一の戦火を懸念して、「風と共に去りぬ」のネガフィルムが太平洋岸のハリウッドから米国東部に避難したというくらい、映画作品は財産であり、文化なのです。

というわけで小津4K。おじさんが駆け付けた日は「晩春」の上映。1949年松竹作品。
小津監督と主演の原節子の最初の出会い。
この後、「麦秋」(51年)「東京物語」(53年)と二人のコンビが続き、原節子の役名がいずれも紀子ということから紀子三部作と呼ばれています。

朝10:50からの上映。
日曜日ということもあり、集客は15人ほど。
思ったより良い集客。
年配の夫婦も来ていた。

映画ファンは往々にして自分の世界に閉じこもりがちで、例えば話しかけずらい印象がある。
そんなところに、小津の上映会に駆け付ける年配夫婦。ごく普通の夫婦の感じ。
ほっとするような風景だった。

さて、「晩春」。
おじさんは確か3度目。
最初に見たのは学生時代の16ミリ上映会。
原節子の花嫁姿が印象に残った。
独特の緊張感がある画面も。

10年以上ぶりに再見すると予想以上に特異な作品だった。
父親と暮らす婚期を逃しかけた娘が嫁に行くまでの話。予定調和的に言えば、父を思う娘の心情の健気さがテーマ?
ところがこの作品は一筋縄では行かなかった。

小津はいわばホームドラマばかりをつくったが、「麦秋」の主題は家族の崩壊、老人の死の予感だった。
「東京物語」はそもそも家族というものに対する幻想がテーマだった。

予定調和の世界を逸脱はしないながらも、暗く、深刻な実相をうかがわせるのが、小津作品の「特異さ」。
その緊張感が常に画面にある。

「晩春」では、主人公の原節子が、縁談を断ったり受け入れたり揺れ動く。
彼女は、都度都度はっきりとした理由は言わない。
がセリフ以外の表情やしぐさに心情が現れ、観客はハラハラしながら見守る。
果たして彼女が劇中で本心をぶちまけたとして、これ以上の緊張感を感じるだろうか?

さて原節子演ずる紀子は、三部作最終作の「東京物語」で戦争未亡人を演じた。
そのラスト近く、亡き夫の尾道の実家で笠智衆演ずる義父に対し「私ずるいんです。ずるい女なんです」と、女としての本音に近いセリフを吐く。

それに相応するセリフとしては、「晩春」の場合、笠智衆演ずる実父への「私このままがいいの。お父さんと一緒がいいの」であろうか。

「麦秋」では、杉村春子演ずる隣のおばさんへ「おばさん私みたいな行きおくれでもいい?」と言っていた。
駅でよく一緒になる近所の独身男が秋田に転勤することになり、男の母親である杉村が思わず、「紀ちゃんのような人がお嫁に来てくれたらねえ」とつぶやいたあとのセリフだった。

いずれも生身の女の生々しさだけでなく、人生への諦観というか大きな流れに逆らわない人間のすがすがしさが、相反するようだが、ある。
大きくは人間への肯定的な視線の中、意地悪で茶目っ気でかつ醒めた小津の視線がそこにある。

デジタル上映は、音も聞きやすく、画面の劣化からは解放されている。
ただ、昔の写真を復元したような、照りが気になった。昔の映画はハードそのものも古いまま見るのがいいのかもしれない。
デジタルで撮影された作品が、デジタル上映を予定されて作られているように。

権堂商店街にびっくり!

長野市内に権堂通りという商店街がある。
善光寺参りの後の精進落としの場所として栄え、花街があった場所という。
アーケード街が形成されているが、現在の長野市の中心部は駅前に移っており、アーケード街の人通りは少ない。

アーケードを抜けて長野電鉄の権堂駅を過ぎて進むと、一転、飲み屋街となる。
焼き鳥屋に交じって韓国居酒屋、エスニック料理屋と一気に場末感が増す。
BS放送のTBSで人気の「居酒屋放浪記」ロケ場所との店がある。
このご時世、飲み放題メニューのサービスぶりが激しい。
アーケード街にも奥に引っ込んだ気になる店もある。

長野の中心街は駅前

今の中心部はJR長野駅前。
東急デパートがあって、デパ地下は人でにぎわう。

長野は馬肉の本場。飲食店は馬の一頭買いをアピールしているのもうれしい。

今度は長野で飲んでみたい。

今日の昼食はいつものいむらや。
定番の焼きそばではなく、あんかけ中華を食べました。うまかったです。

 

長野市でルイス・ブニュエル特集を観る

ルイス・ブニュエルというスペインの映画監督がいた。もう死んだ。

サルバトール・ダリなどと「アンダルシアの犬」という短編映画をフランコ政権下で撮り、当時の右翼にスクリーンにペンキを投げられる。
その後の「黄金時代」ではカトリックをコケにし、スペインにいられなくなる。
1950年代をメキシコで映画を撮って過ごす。

祖国スペインで再び映画を撮るのは1961年になってから。
その作品「ビリディアナ」はカンヌでパルムドールを受賞するも、スペイン、イタリアでは上映禁止とされる。晩年は「昼顔」「哀しみのトリスターナ」などを発表し、ヨーロッパの女優たちはこぞってブニュエルの作品に出演したがった。

今回、そのブニュエル作品から5作品を特集上映したのが、長野市の長野相生座・ロキシー。
長野市の権堂商店街に位置する老舗の映画館だ。

おじさんははるばる2時間かけて長野市へ。
相生座は3スクリーンを擁する今時のシネコン風だが、外観といい、上映作品といい、生き残っている名画座そのものだ。

感じのいい女性二人が迎えてくれる。暖かいほうじ茶を出してくれるのに驚く。
聞くと、デジタル中心の上映だが、映写機もあるとのこと。また、今時のフィルム上映は映写技師不要で、オートマチックにできるとのこと。
今回のブニュエル特集は、配給会社が新たに買い付けたもので、デジタル上映とのこと。集客はよいとのこと。

ロビーには、上映作品の手作りPOPなどが飾られており、女性の運営らしく賑やか。
映画青年チックなこだわりというより、今の映画の流れに前向きに乗っている感じがする。
話している間にも、高齢者のカップルなどが、別のスクリーンの上映作品に入場してゆく。

さて、今日のブニュエル特集は「ビリディアナ」。
聖女のような尼僧が、おじさんの別荘に投宿してから巻き込まれる不条理に近い世界の物語。
ブニュエル永遠の個人的こだわりである、女性の足、靴などへのフェティシズムを惜しげもなく再現。
リンゴの剥いた皮、乞食、不具者(今回は女性の小人)、そして聖女の如きヒロインは、ブニュエル世界でよく見る景色。
それらを惜しみなく再陳列し、後半でしつこいくらいに権威を愚弄しまくった作品。
愚弄された権威は、キリスト教。
ラスト、髪を下ろして、新しい男主人の部屋を訪ねたビリディアナの姿は、聖女から女に堕ちた、というかブニュエル的には昇華した姿なのか。

メキシコ時代に営々と築いてきた、ブニュエル独特な人間味のある描写の集大成でもあり、後年の破綻的な反権威描写の気配も感じさせる作品。

ブニュエルはこののち「昼顔」「哀しみのトリスターナ」で、堕ちた(昇華した)聖女の姿を描き、最後のまとまった作品とし、そのあとは「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」「自由の幻想」とひたすら不条理で反権威のエピソードを並べた破綻を超えた境地へと到達したのだった。

台風一過 上田映劇へ行ってきた

台風24号が通過していった。
昨夜から一晩中、雨と風が山小屋を襲っていた。
一応、雨戸を閉めて寝た。
今朝、家の周りはほとんど被害がなかった。
台風一過の晴天。気温も高く、夏を思い出す陽気となった。

蓼科高原映画祭を見てから、映画好きの血が騒いでいる。
茅野に新星劇場という古くからの映画館があるが、上田にも上田映劇という、古さなら負けない映画館がある。

なんと戦前からの演劇小屋が始まりで、その後映画専門官になったものの、一時閉館になり、最近復活したというもの。
正面の風景に見る、浅草雷門というレイアウトが強烈。

思い立って訪れた。
初めての入場。シルバー料金1100円。
もぎりには支配人なのか、青年が一人。
ロビーの写真撮影の許可を得て、ロビーを一巡り。

「けんかえれじい」という昔の名作のコピーが壁に貼られている。
由来を尋ねると、上田ロケ作品とのこと。
そういえば現在まで、上田をロケ地とする映画は多いようだ。「犬神家の一族」もそうだった。
町全体を覆う、ノスタルジックな雰囲気がロケを呼ぶのだろうか。

さて、上田映劇。1日4作品程度を入れ替えで上映しているようで、洋画のアートシアター系新作が多い印象。
本日は、13:35分からの回の「若い女」という作品を見る。
2017年のフランス映画で、カンヌ映画祭でカメラドール賞受賞作。新人監督賞の意味らしい。
内容は気軽な感じで、今時の若い(31歳とい設定だから若くもないか)フランス女性の現実を描いている。
身もふたもないエピソードが続くが、どこかユーモラスな感じは、現代の日本の若者の現実にも通じて親近感を覚えた。
観客は全部で4人ほど。

支配人の話によると、映画館の設備的には、デジタル素材のほか、35ミリフィルムの上映も可能とのこと。
昔ながらの天井の高い造り、大きなスクリーンの映画館だった。
ロビーは、旧作ポスターの展示や、映画関係本、リクエスト用紙などが置かれていた。
望みうるならば、もう少しマニアックなポスターの展示や、地元ロケ風景の写真展示など、とことん個人趣味に走ってほしかった。
映画ファンにとって、映画館のロビーで待つ時間ほどわくわくするものはないからだ。

蓼科高原映画祭に行きました

毎年9月に茅野で開催される、蓼科高原映画祭。
小津安二郎記念と銘打ち、今年で21回目。立派に続いている。

なぜ、小津安二郎記念の映画祭が茅野で開かれるか。
蓼科の別荘で、かの巨匠が毎年のように脚本を練ったという経緯があるから。
別荘は共同脚本家の野田高梧の持ち物だった。
小津は別荘の縁側に、お気に入りの茅野の地酒・ダイヤ菊の空瓶をずらりと並べるほど時間をかけて構想を練ったという。

巨匠と呼ばれ、東宝という別会社の看板女優である原節子と初めて組んだ、昭和24年の「晩春」以降の作品が、野田との共同脚本となる。
それら、小津後期の代表作群は、発表当時、松竹ヌーベルバーグと呼ばれた社内の若手監督(吉田喜重ら)に旧態依然と批判された。
現在では、海外の映画雑誌が歴代の映画ベストテンを選出する際に、小津の代表作「東京物語」が上位で選出されるほどに評価が定まっている。

さて、今年の蓼科映画祭。上映される小津作品は、無声映画の「学生ロマンス若き日」と「東京物語」の2本。ゲストに香川京子が招かれている。
去年は、「小早川家の秋」の上映後に司葉子がゲストトークし、プライベートで仲の良かった原節子の思い出話を披露していた。
毎年、綺羅星のごとき往年のスターがゲストで参加するのも、小津安二郎の名声に負うところが大であろう。

映画祭の会場となるのは、駅前の茅野市民館と、市内唯一の映画館である新星劇場の2か所。
この新星劇場、現在では常打ち館ではないのだが、35ミリ映写機とデジタル映写機を併せ持ち、天井が高く、スクリーンが大きい、昔ながらの映画館なのである。
座席に座ると、東銀座にあった、銀座シネパトスという映画館を思い出す。隣を走る中央本線の列車の音がかすかに聞こえるのも、昔の映画館ぽくて良い。

映画祭の運営は、そろいのTシャツを着たボランテイアスタッフによって行われる。
会場前には無料のコーヒーとポップコーン、そしてダイヤ菊の樽酒が置かれ、スタッフによってふるまわれる。来年も映画祭に行くのが楽しみだ。

茅野駅前の商業ビルの2階には、常設の小津を紹介するコーナーがある。