調布飛行場掩体壕

3月下旬、ママチャリで自宅付近をぶらつきました。

東八道路の野川公園付近からの帰路、いつもと違うコースを選択。
アメリカンスクールの脇を通り、近藤勇の生誕地の横を抜け、調布飛行場へ向かう道に出ました。

飛行場を遠望

散り始めた桜並木が続く道。
右に飛行場が見え始めたところに掩体壕がありました。

保存されている掩体壕

陸軍調布飛行場は太平洋戦争を前にして旧調布町の広大な農地、住宅を収用して作られた基地です。
2本の滑走をを持ち、海軍の木更津航空隊とともに、帝都防衛の要の基地として運用されました。
展開した陸軍航空隊の主な機材は飛燕。
ドイツの戦闘機の設計図を援用した液冷エンジンを持ち、戦争末期の陸軍の主力戦闘機でした。

掩体壕前の案内板

飛燕はおもにB29の東京空襲に対する迎撃に出動しました。
B29は下町に対する夜間の無差別爆撃のほかに、東京西部の中島飛行機工場などの軍需工場に対する昼間の高高度爆撃も繰り返しており、それに対する迎撃を、調布飛行場から出撃する飛燕が行っていたのです。

掩体壕は当時の爆撃から戦闘機を守るために作られたコンクリート製の防空壕で、現在でも調布飛行場付近に2基残っています。
今見ると雑な作りの手狭なもので、やっと1機の戦闘機が収納できたかな、というものです。
戦争末期の資材不足になかで急場の手作り感がうかがえます。

掩体壕前の案内板

飛行場へと続く桜並木の入り口付近には、陸軍時代の門扉が残されています。
かつて、軍都とも呼ばれた調布の姿がここに残っています。

入口の残る門扉

現在の調布飛行場は、陸軍時代の何分の一かのスペースに滑走をを残し、伊豆七島への小型機の就航のほか、民間のパイロットの飛行基地ともなっています。
ほかのスペースには、老人施設、サッカースタジアム、子供用野球コート・サッカー場コート、東京外語大学キャンバスなどが建ち並んでいます。

現在の飛行場ターミナル
島嶼部へ向かう小型飛行機が待機する
出発ロビー

自宅から自転車で来れる場所に飛行場があり、伊豆七島まで行けるのですから夢は旅路を駆け巡ります。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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