嵯峨三智子
1935年、女優山田五十鈴の一人娘として誕生。
山田の離婚後、父親に引き取られるが死別し、父方の祖父母に育てられる。
52年、東映に入社し時代劇のお姫様役として売り出す。
56年、松竹移籍、妖艶な色気と演技力で本領を発揮し人気を得た。

私生活では岡田真澄との婚約と婚約破棄、金銭トラブルや薬物中毒、芸能界復帰と失踪などを何度も繰り返した。
ガス自殺した松竹時代劇のホープ・森美樹との実らぬロマンスなどもあった。
92年、滞在先のバンコクでクモ膜下出血のため死亡、57歳だった。

代表作は「こつまなんきん」のほか、「裸体」(62年 成沢昌成監督)、「恋や恋なすな恋」(62年 内田吐夢監督)。
松竹移籍後の主演諸作のほか、大映の名物シリーズ「悪名」、「眠狂四郎」、「若親分」、「兵隊やくざ」などにもゲスト出演している。

「こつまなんきん」 1962年 酒井辰雄監督 松竹京都 ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ(国立映画アーカイブ所蔵作品)
嵯峨三智子が時代劇のお姫様役から脱皮し、「裸体」で生々しい汚れ役に挑んだ時期(製作年度は「こつまなんきん」が先)の作品。
若さに加え、持って生まれたと美貌と色気が画面から横溢している。
同時期には、内田吐夢監督が歌舞伎とアニメを劇中に取り入れた意欲作「恋や恋なすな恋」でもキツネの化身の姫を演じ、ただならぬ妖艶さで、作品の伝奇性に貢献していたことが思い出される。

本作は今東光原作の『河内もの』の映画化。
大映の「悪名」シリーズや日活の「河内ぞろ・どけち虫」(64年 舛田利雄監督)、「河内カルメン」(66年 鈴木清順監督)などの系列に属する。
大坂南部の河内に生まれた名もない娘が器量だけを武器に、男社会を生き抜こうとするが、所詮は無学の女。
最後は男に利用され、捨てられる。
が、この主人公の凄いところは、『失敗したかて、うちはこれで生きるしかおまへんのや』と、己の器量でのみ勝負し続けてゆくところ。
例えそれがインチキ教祖を演じたり、街角の易者に身をやつしたり、場末の演芸場で漫才をやることであっても。
前記の「裸体」の主人公が、千葉の漁村を舞台に周辺の男を渡り歩いて世の中に伍してゆく雑草のような女だったとしたら、本作の主人公は、より『社会的』であり、頭と芸を使って社会と伍してゆこうとするより高度な存在である。
その分「裸体」でのなまなましい生命力の表現は見られないが。
本作でのインチキ教祖に扮した際のすさまじいまでの、妖艶、凄絶は、嵯峨三智子の美の頂点として邦画史上に刻印された。
安井昌司ならずとも、薄物一枚で滝行する嵯峨にふるいつきたくもなろうものだ。
教祖時代のシークエンスの酒井監督のおどろおどろしい演出も浮世離れしていていい。
ただしこの作品、絡む男が、株屋(曽我廼家明蝶:好演)、実業家(河津清三郎)と、後になるにつれて、卑近な現実めいた展開となり、嵯峨の魅力表現も薄まってくるのが残念。
スケベジジイたちと嵯峨の俗っぽさの限りを尽くした絡みには何とも味があるのだが、この作品では教祖姿の嵯峨がよすぎてほかのエピソードがかすむ。
結局、俗っぽい強欲ジジイたちは嵯峨の毒気に当てられて自滅してゆき、かつて嵯峨をもてあそんだアチャコと寛美のほのぼの親子は改心して辛うじて命をつないだり、つつましい幸せを手に入れる。
嵯峨はひたすら己の修羅の道を行く。
あとにジジイたちの死骸を累々と残しながら。

東映時代劇のお姫様女優から脱皮し、松竹で現代劇と出会った60年代前半の嵯峨の稀有な存在感を堪能できる作品。大女優山田五十鈴の一人娘ながら母親とは別の人生を歩むという数奇さと、天性の美貌と妖艶さが醸し出す破滅的な美がシンクロして日本映画史上、おそらく唯一無二の妖しさを漂わせた嵯峨三智子の全盛期がカラー画面一杯に繰り広げられることの眼福。
66年の日活「新遊侠伝」(斎藤武市監督)では、小林旭と高橋英樹を子分に従えた姐さんを貫禄たっぷりに演じて居たが、整形のし過ぎからか、唇が腫れてしまってかつての整った美しさが失われていた。
