千鳥ヶ淵の葉桜

ソメイヨシノが満開となった数日後、千鳥ヶ淵に行ってみました。

九段坂下から靖国通りを上り、武道館のある北の丸公園を左手に見て進みます。
夏には蓮の葉で水面が隠されるお濠を桜越しに眺めます。

靖国通り沿いの昭和館から見た皇居のお濠
北の丸公園方面の人々

人波が多くなってきましたが想像以上ではありません。
自分のペースで歩けます。

千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵に浮かぶボート
千鳥ヶ淵の対岸の桜

千鳥ヶ淵に着くと桜並木に沿ってお祭りの時のように見物人の列が続いています。

近くで見るとソメイヨシノは葉が出ており、花はかなり散ってしまっています。

桜はかなり散っていた

外国人が多数います。
中国、韓国のほかラテン系、南アジア系と思しきグループの姿が目につきます。
白人は大体カップルで歩いています。

目の前に裸足で槍を持ち、民族衣装を着たカップルが歩いています。
付いて行ってみると、同じく民族衣装を着た女性の一群に合流していました。
この一団はリーダーと思しき男性が率いており、アマチュアが自然発生的に集まったものではないようでした。

目の前を歩く民族衣装のカップル。男性は裸足
集まった民族衣装の一団

歩いているうちに戦没者墓苑の入り口に着きました。
Uターンして靖国通りに戻り、市谷駅まで歩いて帰りました。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑は等しく戦没者が祀れた国立霊園
靖国神社の大鳥居が覗く

府中競馬場、競馬博物館

自転車での散歩の途中、府中競馬場(正式には東京競馬場)の前を通りました。
周辺には制服を着た交通整理のおじさんたちが多数出動しており、競馬場で何か開催されているようでした。

府中競馬場東門

東門の前を通ると、人々が三々五々門から入場してゆくのが見えました。
駐輪場に立っている係員さんに聞くと「今日は場外馬券売り場が営業しており無料で入場できる」とのこと。
開催日には200円で入場できるとのことでした。
時間があったので入ってみました。

広い広い競馬場に初めて入りました。
学生時代、札幌の競馬場の関係者駐車場でバイトしたことがありました。
制服、ヘルメットを着用し駐車場内を巡回するだけのバイトでした。
入ってくる車のほとんどが黒塗りのベンツだったような記憶があります。
サングラスをかけた人が運転しているような印象がありました。

この日の府中競馬場には幼い子供連れのファミリーがたくさんいました。
子供らは、簡単な遊具が設置してある公園で元気に走り回っています。
芝生にシートを広げるグループもいます。
ベンチで一人黙する男性は馬券を買いに来た人でしょうか。

この日は無料の入場ゲートをくぐる
城内の案内

中世より武蔵野の中心であった府中は現代にあっても三多摩地区の中心です。
刑務所、税務署、法務局、ハローワークなどの行政施設が置かれています。

ギャンブル施設においても、競馬場のほかなぜか競艇場まであるのは戦後政策のせいでしょうか。
ちなみに競輪場は戦前に京王線終点の遊興施設として作られ、戦後には米軍のダンスホールに接収された歴史を持つ京王閣がその会場となっています。
京王閣は府中の隣、調布市にあります。

府中競馬場の話に戻ります。
小高い丘に登ると馬場が遥かに見渡せます。
馬場は、芝生と土の二つのタイプがあります。
馬場が取り囲むフィールドも見渡せないほど広いのですが、開催日にはここに移動販売車などが集まるとのことです。

全部は探訪できないのでせめて競馬博物館に入ってみることにしました。
デパートのエレベーターガールのような制服姿のお姉さんが一方ならぬ丁寧さで迎えてくれます。
ここも金をかけた施設であることがわかります。

城内の競馬博物館入り口

場内は全国の公立博物館のような手狭さ、そっけなさとは対照的です。
吹き抜けの階上階へは広々としたエスカレーターが常時動いています。
白塗りの壁は明るく広がる空間を演出しています。
学芸的な香りの施設というよりは、場にそぐわない百科事典を陳列した金満経営者の社長室のような居心地の悪さも若干漂っています。

1階に展示されている馬の種類の模型
新人騎手紹介。女性騎手もいた

肝心の展示内容ですが、歴代の名馬や名騎手のモニュメントばかりではなく、競馬の歴史も丁寧にされていました。

競馬の歴史コーナー。競馬の始まりは戦車競走

馬を使った競争は紀元前の戦車競走から始まり、特にヨーロッパで発達したこと。
日本では中世に始まったことがわかります。
中世の日本では武者を乗せた馬の競争があったようです。
流鏑馬や野馬追のような文化遺産が現代でも残っており、馬を使った多分に儀式的、お祭り的な行事が競馬だったのでしょう。

19世紀のイギリスの競馬場のジオラマ模型

西洋式競馬の始まりは幕末の外国人居留地がその始まり。
日本でも賭け事としての競馬がたちまち広がったとあります。
戦前の日本では優秀な軍馬の生産が競馬の興隆の目的の一つだったともあります。

明治時代の日本の競馬馬券。この時代、既に不正はあったとのこと
全国各地に点在する競馬場

外国では、競馬のほかにドッグレース、闘牛などが発達し、日本では競輪、競艇がなぜか公営ギャンブルとなって今日にいたっています。
日本における公営ギャンブルの発生と内実は不透明そのものですが、国公認の各胴元には莫大な金員が集まることだけは確かです。
その周辺にはなけなしの金をはたいて賭けにいそしむ、よれよれのジャンパーを着た多数の浮かない顔の人々が群れていることも。

場外に立ち飲み屋が残っている。この日は4軒が営業していた

「国有地」の桜満開

自宅の近くに通称「国有地う」と呼ばれる場所があります。

自宅裏の遊歩道から望む「国有地」

調布市の柴崎地区。
農業用水路が使われなくなり蓋をして遊歩道となっている突き当たり。
市が管理しているグラウンドがあります。
その周りに幾本かのソメイヨシノがあります。

グラウンドわきの桜が満開

今年も満開になりました。

枝ぶりもよく、桜の下では毎年近所の野球チームや家族連れなどが花見をします。

グラウンドでは野球する人の姿が

子供の声が絶えないグラウンドは、今年も本格的な春となりました。

神代植物公園周辺の桜

ソメイヨシノが満開です。
神代植物公園の周りを歩いてみました。

自宅から植物公園方面へ向かい、都立農業高校の実習農園の脇を抜けると青渭神社にぶつかります。
さっそく満開の桜が目に入りました。

青渭神社付近のソメイヨシノ

青渭神社の前のバス通りを北上しつつ、植物公園方面を見ると桜が咲いています。
ここら辺は人出も少なく花見をするには穴場です。

植物公園の方に向かう道路にも桜が

バス通りを北上して西原五差路という交差点に着きました。
整備された緑地が広がっています。
ここは花見のポイントになっていました。
人出が多く、シートを広げている家族連れもいます。

西原五差路近辺はいつも間にか花見の場所になっていた

西原五差路を西に折れ、植物公園の北端に接するバス通りを行きます。
この通りの桜並木は数年前までは枝ぶりがよく、バスの背中や側面に触れんばかりに枝が伸びていました。
桜の季節は花のトンネルになっていましたが、今ではすっかり枝が剪定され、昔の面影はありません。

植物公園北端のバス通り沿いの桜。剪定された姿

桜並木が尽きるところから植物公園の駐車場になっており、車が続々やってきていました。
植物公園入口付近には桜がありません。
入口はやってくる入場者で賑わっていました。

植物公園へ向かう人々

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 村山新治監督と「夜の青春」シリーズ

ラピュタ阿佐ヶ谷の「OIZUMI東映現代劇の潮流」特集も佳境に入ってきた。
いよいよ梅宮辰夫の「夜の青春シリーズ」の登場だ。

それもシリーズ初期の名匠関川英夫監督による「ひも」「ダニ」「かも」などの有名作品ではなく、シリーズ第6作の「夜の牝犬」、第7作「赤い夜光虫」、第8作(最終作)「夜の手配師」が上映された。
監督は村山新治である。

村山新治は前回紹介したように記録映画出身で、戦前の大泉映画に入社したのち、東映大泉で監督昇進し「警視庁物語」シリーズ(1957年~)で名を上げた監督。
60年代に入ってからは、ギャングもの、文芸もののほか、夜の青春シリーズなども手掛けた。

村山新治監督が所属する東映大泉撮影所では1960年代に入り、梅宮辰夫や緑魔子などを主演にした風俗映画路線にかじを切り、「二匹の牝犬」(1963年 渡辺祐介監督)や「ひも」(1965年 関川英雄監督)などの作品が生まれヒットした。

「二匹の牝犬」は新東宝出身の渡辺監督が持ち前の斬新な感覚で都会の底辺に生きる若い姉妹を描いた力作で、演技力のある小川真由美と新人緑魔子の共演もあり注目された。

「ひも」は青春スター候補だった梅宮辰夫を本来のスケコマシキャラに目覚めさせ、のちの「夜の歌謡シリーズ」、「不良番長シリーズ」、「帝王シリーズ」へのきっかけとなる記念すべき第一作だった。
「ひも」のほか「ダニ」(1965年)、「かも」(1965年)を撮った関川英雄は、戦前にPCLに黒澤明と同期入社の人で、東宝争議の後レッド・パージで退社するが、独立プロで「きけわだつみの声」(1950年)、「ひろしま」(1953年)などを製作し気を吐いた筋金入りの名匠だった。

渡辺祐介や関川英雄といった気鋭の監督や名匠が手掛け、内容の良さからヒットしたシリーズものを、そのあとで引き受けたのが村山新治監督だった。

1978年戦後日本映画研究会刊「日本映画戦後黄金時代8東映の監督」より村山新治の紹介ページ
同上

「夜の牝犬」  1966年  村山新治監督  東映

タイトルバックは上野駅の実写風景。
線路が駅構内で行き止まりになっている、いわゆるターミナル型の上野駅と、行きかう人々の混雑ぶりが時代を感じさせる。

ラピュタのロビーに掲示されていたオリジナルポスター

界隈のゲイバーの売れっ子・シゲル(梅宮辰夫)。
シゲルはビジネスおかまで、料亭の女将(角梨枝子)の若いツバメだ。
かつて上野でコマして夜の世界に引きずり込み、今は別のバーのマダムになっている(緑魔子)とは、体だけの腐れ縁が継続中。

ある日上野駅で女衒のばあさん(浦辺粂子)に騙されそうになっていた青森出身の少女(大原麗子)を横取りしたシゲルは、少女があまりの天然ぶりで買い手がつかないためやむなく部屋に住まわせる。

プレスシートの解説文

この作品の本当の主役こそが田舎少女を演じる大原麗子。
ノーメイク(のようなメイク)で青森弁をしゃべる「不思議少女」。

肝心な時には放心したような表情で自分の世界に閉じこもり、何を考えているのかわからない。
金のみに生きる夜の住人の世界に紛れ込んだアンチテーゼにして、彼らが失った真心や清純さの象徴でもある「不思議ちゃん」だ。

「不思議ちゃん」大原は梅宮にコマされた後も彼の身の回りの世話に明け暮れる。
そして娘心のひたむきさなどには一切関心のない梅宮が、最後に「真心」を裏切った報いを受けることになる。

ジャズ界の雄といわれた山羊正生作曲のバロック風の旋律が、「不思議ちゃん」の無心な動きを純化するように流れる。

「飢餓海峡」(1964年 内田吐夢監督)のカメラマン仲沢半次郎の撮影は、街頭ロケを多用し、都会の雑踏を泳ぐようにさ迷う若い出演者たちを捉える。

「赤線地帯」(1958年 溝口健二監督)のシナリオライター成沢昌成の脚本は、モノローグを多用して、ビジネストークとは真反対な夜の住人の本音をあぶりだす。

ラピュタの特集パンフより。おかまメイクの梅宮と料亭女将役の角梨枝子。

梅宮がツバメとなり、養子に潜り込もうと狙いを定めた料亭女将役の熟女美人が目を引いた。
誰かと思って調べたら松竹出身の角梨枝子という女優さん。
文芸春秋刊の「キネマの美女」にでも紹介されていた正統派美人女優でした。

ほかにも浦辺粂子、沢村貞子、北条きく子など、個性派、実力派がわき役に揃うこの作品。
1960年代の邦画の配役は、すでに5社協定など有名無実、フリーとなった俳優・女優も多く、多彩な芸達者たちの元気な姿が見られる。
東映に定着していた緑魔子は、表の主役梅宮辰夫とともに多彩なゲストスターを迎え撃つ、いわば「夜の青春シリーズのホステス役」に落ち着いていた。

1999年文芸春秋社刊「キネマの美女」より。料亭女将役:角梨枝子の若き姿

「赤い夜光虫」  1966年  村山新治監督  東映

大坂の盛り場を歩く梅宮辰夫を追うカメラがとあるバーへ入ってゆく。
レズビアンバーのけだるい雰囲気の中をさ迷い舐めるタイトルバック。
夜の青春シリーズ第7作「赤い夜光虫」のしゃれた導入場面だ。

オリジナルポスター

脚本:成沢昌成、撮影:仲沢半次郎、音楽:八木正生は前作同様のスタッフ。
低予算の添え物作品ながら腕利きのメンバーがそろった。
脚本の成沢は溝口健二に弟子入りし、女の世界をみっちり仕込まれ、関西にも詳しい。
撮影の仲沢は「警視庁物語シリーズ」で村山新治監督と組んでいたベテラン。

配役は梅宮辰夫と緑魔子のホストコンビを狂言回しに、前作「夜の牝犬」で印象的だった大原麗子を起用。
新人大谷隼人、クレジットに(東宝)と書かれた田崎潤の名もある。
そして本作に宝塚風にして成沢脚本味の「花」を添えるのは、東映ニューフェイス上がりの北原しげみと新井茂子。

プレスシート
プレスシートの解説文

今回の舞台は大阪のレズバー。
梅宮も緑魔子も関西弁のセリフ回しという新趣向。

ホステス役の北原しげみと新井茂子は短髪、男装の宝塚ルックで登場。
シャツの下にはさらしを撒いて胸を押さえている。

二人ともビジネスレズの設定で、それぞれパパ活(相手は田崎潤)したり、ヒモ(新人大谷隼人)がいたりするのは、人物描写の裏と表を押さえた成沢脚本の定石。

パパ活の現場の旅館で浴衣姿となり、しっぽり、さっぱりとした大人の女性の魅力をみせる北原しげみ。
場末の職人の住居の2階にヒモと間借りし、普段はヒモと怠惰に同衾する新井茂子の、下町娘のような庶民的で肉感的なふるまいも成沢脚本の味か。

虚と実、嘘とまことが入り混じった夜の世界で、真正レズとして「裏表がない」役柄を演じるのは、かつて父親から犯され男性を拒否するバーのママの緑魔子。

屋敷に住まい、忌まわしい過去に心を閉ざす役だが、病的な心理の演技は緑魔子には似合わない。
屋敷のアトリエでルパシカを着て絵筆を握る場面があったが、緑魔子では緊迫感がない。
人情ではなく、異常な精神状態を描くのは成沢脚本は向いていないのだろう、作品の本筋ではないし。
緑魔子としても夜の青春シリーズの卒業の頃なのかもしれない。

前作で思いのほか印象的だった大原麗子が引き続き抜擢され、地に近い金持ちのドラ娘を演じている。
明るく物おじしないで、レズバーに出没し、男を漁る。
その正体は田崎潤から放任されたドラ娘だが、本心は親から親身に構ってほしい娘ごころの持ち主というもの。

大原の若さ、明るさ、奔放さ、下品さ、不良性感度は東映によく似合う。
彼女の登場は東映のヌーベルバーグだったのかもしれない、と一瞬だが感じさせた

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

梅宮と緑魔子がすっかりシリーズのホストと化し、梅宮に至ってはコメデイアンめいてきており、シリーズの終焉間近を感じさせる。
大原麗子や谷隼人の重用は、来るべき「不老番長シリーズ」の到来を予告しているかのようだ。
夜の青春シリーズは次回作を最終作とする。

なお、ラピュタ阿佐ヶ谷で本作上映時に私的に伊藤俊也監督が来館しており、終映後5分ほど挨拶を行った。

・本特集36本中、9本ほど伊藤氏が助監督(「懲役十八年仮出獄」1967年降旗康男監督にみファースト助監督)でつ  いたこと。
・本作(「赤い夜光虫」)ではセカンド助監であったこと。
・「荒野の渡世人」(1968年 佐藤純也監督)では予告編を撮ったこと。
・当時の東映大泉撮影所は低予算作品が多かったが、伊藤氏にとっての青春時代だったことなどを話していた。

1937年生まれの伊藤監督は、茅野市の蓼科高原映画祭で審査委員長を務めるなど旺盛な活動意欲を示す。
階段の上り下りなど若干不自由そうだが杖を使わず、またラピュタのスタッフにも愛されているようだった。

「夜の手配師」  1968年  村山新治監督  東映

シリーズ前作から2年たっての第8弾。
夜の青春シリーズの最終作。

2年たったからなのか、梅宮辰夫とコンビを組んでいた緑魔子は去り、シリーズ第6作と7作で勢いを見せた大原麗子の姿もない。
脚本は下飯坂菊馬に代わり、撮影の仲沢半次郎、音楽の八木正生は変わらず。
助監督は山口和彦。

オリジナルポスター

いろんな意味でシリーズ最終作を予感させる作品。
まず、夜の住人梅宮のキャラに新味がなく、相変わらずの口八丁手八丁のいい加減なキャラ。

見た目は派手だが、貧乏暮らしも相変わらず。
愛人は生活感のにじみ出たホステス(白木マリ)で、彼女と組んで店で見せ金を切ってはほかのホステスを誘惑するという、見せ金詐欺の稼業。

梅宮の生きがいが貯金300万を目指して、柄にもなく純愛をささげる飲み屋の看板娘(城野ゆき)と結婚して店を持つこと。

その梅宮に銀座のマダム(稲垣美穂子)が絡む。
日活で数々出演し、当時30歳の稲垣美穂子の貫禄ある美貌が冴える。

マダムは昔の仕打ちが忘れられず、仕打ちを受けた白木マリを潰すためには手段を選ばない。
梅宮は金のためなら白木を裏切ろうとなにしようと、マダムのためにこそこそと動き回ってはホステスに声をかける。

梅宮に声をかけられるホステス達に真理明美と真理アンヌ。
二人とも演技が下手で魅力に乏しい。
真理アンヌが「殺しの烙印」に出演し強い印象を残したのが1967年、「夜の手配師」の前年のことだったが。

プレスシート

下飯坂の脚本は無理のないストーリーテリング。
伏線はきっちり回収され、意味不明のキャラクターも出てこない。

当時の全共闘のデモがテレビに出て来たり、デモ帰りの学生たちを居酒屋に出させるなど世相をとリ入れることも忘れない。
無学の梅宮が学生たちに反発するなど、当時の世相に梅宮のみじめさを逆照射させてもいる。
看板娘の彼女が無邪気に学生デモに憧れるなど、梅宮と彼女の行き違いの伏線を張ったりもしている。

何とか金を作り、店を手に入れた梅宮の前に、心変わりした彼女と新しい男(南原宏治)と現れる。
南原はかつての梅宮のアニキで、親分の女に手を出した梅宮をリンチし、追放した因縁の相手。
ルンペンのような姿で梅宮の前に現れ、彼女のいる飲み屋に居つくようになったダニのような男だった。

このダニに彼女と買ったばかりの店を奪われた梅宮。
梅宮は彼女にだけは手出しせず、柄にもなくお姫様を扱うように純愛をささげていたにもかかわらず。

銀座マダムにいい顔をし、パトロンの無理難題に右往左往してきたものすべて純愛をささげた彼女との夢をかなえるため。
自業自得とはいえ、身から出た錆にどんでん返しを食らう夜の手配師人生のおそまつな一幕。

プレスシート解説文

綱渡りのいい加減な夜の男を一生懸命演ずる梅宮がだんだんコミカルに見えてくる。
梅宮のダメ男加減が、まるで寅さんのような愛すべき男に見えてくるのであれば、夜の青春シリーズも終わりだ。

映画のエピローグ。
よりを戻した梅宮と白木がお馴染みの金見せ詐欺稼業に舞い戻る。
銀座ではなく、新宿の場末のキャバレーで御世辞にも美しくないホステスたちを前にして。

寅さんが新年の青空の元、地方の神社の境内でタンカ売をする「男はつらいよ」お馴染みのエピローグシーンを思い出させる。

寅さんがいくらだめな男でも、頭上にはおてんとうさまがいたのとは対照的に、夜のダメ男・梅宮には濁った空気の場末のホステスたちの下卑た嬌声が付きまとっているのが根本的に違うのだが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフレットより

調布市ミニバスに乗ってみた

桜の満開直前の花冷えの一日。
調布駅近辺に用事があったのですがあいにくの雨。
歩いてゆくことにしました。
家から国分寺崖線の坂を下り歩いてゆきました。
少々歩くと疲れたのでバスに乗ることにしました。

調布市ミニバスというコミュニテイバスが1時間に2本ほど運行しています。
上野原循環というルートで運航されているミニバスに乗ると、調布駅北口まで行くことができます。

調布市ミニバスの雄姿

柏野小学校前という停留所から乗車しました。
運賃は230円。
つつじヶ丘駅と深大寺を結ぶ路線バスや、三鷹駅行きの路線バスが210円ですからなぜか割高です。

柏野小学校停留所でミニバスを待つ
柏野小学校近辺は国分寺崖線に向けて谷戸の地形を形成し、農地が広がっている
地元の少年野球チームの募集の垂れ幕

雨の平日、午前11時ころの車内は、座席がほぼ埋まっていました。
11席ほどのバスで、ほとんどの席が優先席となっている席構成。
客層は高年齢のご婦人が多いものの、若めの人も混じっています。

コミュニテイバスは、既存の路線バスの減少化に対処するため、自治体がバス会社と提携して運行しているのでしょうが、今では地方ばかりではなく都市部でも普通になっています。

各自治体ではコミュニテイバスに愛称をつけています。
知っているだけでも、杉並区の「すぎ丸」、府中市の「Cyuバス」、小平市の「Cocoバス」、国分寺市の「Bunバス」などがあります。

調布市の場合は愛称をもうけず、割と直球の名称となっています。
理由はわかりません。

調布駅北口に着いたミニバス

調布のシンボルの鬼太郎のラッピングに彩られた調布市ミニバス。
快適な運行を楽しみつつ、雨の調布駅前まで運んでくれました。

仙川駅前の桜咲く

京王線仙川駅前の広場に桜の木が数本あります。
4月初旬に通りかかったら7分咲でした。

仙川駅前の桜が7部咲き

仙川は調布市の一部ですがなぜか市外局番が03。
世田谷区に接しているからでしょうか、調布っぽくなく世田谷のはずれとでもいった雰囲気があります。
個人商店が並ぶ商店街も残っています。

仙川駅から南に延びる商店街

付近の国道20号線沿いにはキューピーマヨネーズの研究所があります。
かつてはキュピーの工場だった場所で、調布市内の小学生は社会科見学に訪れ、お土産にマヨネーズのミニボトルをもらって帰ってきていました。
また20号線の反対側には栄太郎飴の工場もありました。

音楽教育で有名な桐朋学園の小学校から大学までのキャンパスが、商店街を抜けた先にあります。
20号線の反対側には白百合女子大学が建っています。
白百合の学生バイトを当て込んでいたのかどうかはわかりませんが、ウエイトレスのユニフォームが印象的だったアンナミラーズという喫茶チェーン店が20号線沿いのビル2階にありましたっけ。

駅前の八百屋の奥の扉を開くとなぜかキャバクラがあったのも仙川でした。
キャバクラも八百屋も今はありませんが。

昔から商店街の賑わいが印象的だった仙川。

桜の満開時期にイベントでも開くのでしょうか、桜の木の下にテントが準備されていました。

駅前広場で桜の根元のベンチに憩う人たち
イベントの木材が桜の根元に準備されていた

満開を待つだけの仙川駅前です。

野川のソメイヨシノ開花

国分寺に端を発し、世田谷で多摩川に合流する一級河川の野川。
国分寺崖線と呼ばれる、ハケの地形に沿って国分寺、小金井、三鷹、調布の町を流れています。
川に沿って遊歩道が整備されており、遊歩道に沿って桜などの桜などの樹木が植えられています。

調布市内の野川

3月の最終日曜日、調布市内の野川沿いのソメイヨシノが開花しました。

開花したソメイヨシノ

気温が20度を大きく超えたこの日。
遊歩道や河川敷には、多くの散歩の人の姿があります。

河川敷には菜の花が満開です。
遊歩道に沿って上流に向かうことにします。

調布市内の武蔵野市場と呼ばれる一帯まで来ました。
市場の一角には直売所もあります。

付近の河川敷は昔から市内の花見の場所として人気です、すでにシートがびっしり並んでいました。

武蔵野市場内の地元野菜直売所
河川敷は花見客で一杯

家族連れなどは河川敷にシートを敷いたり、テントを張ったりしています。
川遊びをする小学生の姿もあります。

テントで屋根を張ってのの一団
川に入って遊ぶ子供たち

三鷹に入ると遊歩道を歩く人の姿が少なくなります。
水車を廻し、古民家を保存する場所もあります。

三鷹市大沢地区の水車
シラサギが餌を捕っていた

今年も桜の季節が到来しました。
今週中にも満開になることでしょう。