大根干し

大根をたくあん用に干しました。
正確には、干し大根を買ってきて「追い干し」しました。

たくあん漬けは山小舎で過去2度ほどトライして失敗したことがあります。
この時は、生の大根から干しましたが、乾燥が甘かったのか、あるいは漬けたときの重しが足りなかったのか。
水が上がってこず、たくあんになりませんでした。

再びたくあんにトライしてみようと思った今年、時期になると売り出される干した大根を使おうと思いました。

11月下旬頃から干し大根を探し始めましたが、一時よく見かけていた干し大根は、すでにスーパーや直売所から姿を消していました。

上田の市場の場外にある、やおふくという八百屋へ行って見たところ5本800円ほどで干し大根が売っていました。
干しが甘いのと、泥付きのまま干されているのが気になりましたが、10本購入しました。

上田の市場場外にあるやおふく

山小舎仕舞の時までに漬け込みますから、「追い干し」の時間は2週間もありません。
買って帰ったその日のうちに準備します。

まずは洗って泥を落とします。

干し大根を10本購入

次いで5本ずつひもで結びます。

洗ってひもで結ぶ

翌日、軒下につるしました。

軒下に吊り下げる

半乾燥状態とはいえ、大根5本の重さはそこそこあります。
吊り下げるまでが大変でした。

零下に届かんばかりの気温の中では、短時間とはいえ、戸外での作業は手先のみならず、足先までが冷たくなります。
吊り下げる際に、重さをかけずに結ぶ方法を事前に調べておくべきでした。

トウモロコシに代わって大根が吊り下げられた山小舎のベランダ

まずは来年以降の課題として、大根の結び方と、スムースな吊り下げ方を考えたいと思いました。

薪台と薪仕事

今年の薪仕事はほぼ終わりました。

今年割った薪の乾燥台です。
斜面に数基の乾燥台があります。
カラマツとミズナラを分けて積みました。
カラマツはこのまま露天で干し、ミズナラは後でシートをかぶせようと思います。
カラマツは来年から燃料にできます。

今年割ったミズナラの乾燥台(左)
斜面にはカラマツの乾燥台

枝は別に積んであります。
伐採したような場合は枝も大量に出るのです。

去年の乾燥した枝は軒下に移しました。

枝は別にして乾燥
軒下には去年の枝などが

玄関横にも積んであります。

春先には温室として、夏には農業用具の置き場として使っているビニールで囲ったスペースにも積み込みました。どちらも短いサイズの薪を選んでおいています。

玄関横の短めの薪
ビニール囲いも利用

台所下の薪台は日当たりがよくて乾いています。
そろそろ利用可能です。

台所下は日当たりがいい

台所側のお隣さんとの境界に近い場所には、ミズナラ、シラカバを思いっきり積みました。
ミズナラは乾燥が遅いので、再来年の燃料用にできればいいです。

台所側、お隣さんとの境目にも

軽トラの置き場で、薪割りなどの作業スペースの周りにもびっしり積んであります。
乾いたものは今冬から利用可能です。
ここは主にミズナラとシラカバの置き場にします。

駐車スペース脇

今年の薪仕事が終わりました。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 アフリカンアドベンチャーの世界

MGMの得意ジャンルの一つにアフリカを舞台にした冒険活劇がある。
伝奇な舞台設定と、猛獣や原住民のエキゾチシズムを前面に出した物語で、多くは原作ものの映画化であった。

今回は記念すべきターザンものの第一作と、現代でも続編が作られ続けているキングソロモンもののMGM第一作を見ることができた。

「類猿人ターザン」 1932年 W・J・ヴァンダイク監督 MGM

この作品からターザンの物語が始まった。
MGMでの初代ターザン役はジョニー・ワイズミュラー。

アフリカにいる父を訪ねて娘のジェーンがやってくる。
活発で冒険好きのジェーンは、止めるのも聞かず、父らと一緒に象牙を求めてアフリカ内部へ旅立つ。

ワイズミュラーとのコンビでターザンものの人気を不動のものにしたジェーン役のモーリン・オサリバンが、現代娘を元気に演じる。
冒険活劇には少々無鉄砲で破天荒な若い娘が似合う。
モーリン・オサリバンは冒険アドベンチャーのヒロイン役の原点として申し分ない。

象牙を求めての冒険旅行の過程で、猛獣が現れ人間と戦う。
今は動物保護の観点からできないのだろうが、昔は人間と動物が取っ組み合って戦うシーンはアフリカものの映画によくあった。

原住民の猟奇的(よく言えば民俗学的)な描写にも驚かされる。

終盤に大人数のピグミー族が出てきて主人公らと争うシーンがあってびっくりする。
あんなにたくさんのピグミーをどうやって集めたのか、現地ロケなのか。
それとも、白人の小人を黒く塗ったり、または子供を使ったのか?

MGMは、「オズの魔法使い」でも多数の小人俳優(子供も混じっていたが)を使っていたし、なにより「フリークス」(1932年 トッド・ブラウニング監督)で奇形者を多数使った「実績」がある映画会社だから。

MGM映画「オズの魔法使い」。小人の国のシーン

何より一番センセーショナルで伝奇的なのはターザンの存在そのもの。
その登場シーンは,モンスター映画で怪物がチラリとでてくるシーンのドキドキ感もあるし、ジェーンとの邂逅から打ち解けるまでは、キングコングと美女のそれと同様に、異人種間交流のタブー感に満ち満ちていた。

「類猿人ターザン」より。ターザンとジェーン

ジェーンがターザンとジャングルに残ることを宣言して第一作は終わる。
ジェーンがターザンの妻として、お馴染みのコスチュームで登場するのは第二作「ターザンの猛襲」から。
第二作目も見たくなる出来の第一作だった。

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「キングソロモン」 1950年 コンプトン・ベネット、アンドリュー・マートン監督 MGM

ハリウッドの一ジャンルとなった秘宝アドベンチャーものの源流となった作品。
大掛かりなアフリカロケが行われ、映画の巻頭にMGMからウガンダ、ケニヤ、タンザニアなどの政府に対する賛辞がクレジットされる。

テクニカラーで撮影されたアフリカの風景、猛獣、原住民の生態が当時の観客にはセンセーショナルだったのだろう。
アカデミー撮影賞を受賞している。

行方不明になった夫を探しにイギリスからやってきた富豪の夫人(デボラ・カー)が現地のスペシャリスト(スチュアート・グレンジャー)の案内で未知の領域へ探検旅行を行うという物語。

夫人の夫はソロモン王の秘宝が眠る魔の山に消え、夫人ら一行は魔の山にたどりつき、秘宝を目にするのだが、本作はそういった伝奇的な要素よりも、道中の動物たちの描写に重きを置いている。
当時はたくさんいたサイやカバなどの生態、山火事に驚いて暴走するシマウマの群れなどは現在では貴重な映像だ。

「レイダース」や「ロマンシングストーン」のように、転がってくる岩から逃げたり、崩れ落ちる崖を走るようなハラハラシーンの連続を期待すると、これは違う。
ヒロインは落ち着いたイギリス夫人であり、無鉄砲な娘の冒険旅行ではない点も他作と異なる。
お約束通り、主人公二人は最後に結ばれはするが。

共同監督のアンドリュー・マートンはアクション・アドベンチャー場面を担当。
おそらくロケ担当かと思われる。
「ベンハー」「史上最大の作戦」の第二班監督を務めたというマートン家督は現場で頼りになる人なのかと思う。

(追加)「キングソロモン」 1937年 ロバート・スティーブンソン監督 イギリス

「キングソロモン」の初映画化は、1937年にイギリスによって行われていた。

1937年版のこの映画は、行方不明の父親を捜しにアフリカに娘がやってくることから始まる。

キャラバンを組み、砂漠を越えて、ソロモン王の秘宝が眠る魔の山のふもとの村にたどりつく。
途中からキャラバンに合流した不思議な黒人がこの村の王子だとわかり、王位をめぐる争いに巻き込まれる。
歌を歌いながらキャラバンを先導するこの黒人のキャラが奇妙である。

やがて魔の山山中の洞くつで行方不明の父親と再会し、秘宝を残しつつ崩れ落ちる洞くつから命からがら脱出し・・。

おそらくハリウッド版より原作に忠実なのではないか?
キャラバン途中の苦難、特に砂漠での乾きなどがより深刻に描写されている。

現住民の描き方なども、ロケによる当時の原住民の様子なども交えて、より興味深い。
ハリウッド版の原住民は、顔の描き方などもハリウッド流であり、アバンギャルドなその顔をアップで強調する撮り方だったが。

秘宝発見後の洞くつ脱出場面はハリウッド版よりスリリングに描かれていた。
伝奇的なおドロドロしさもあり、アクション的にもサービス満点な作品だった。

信州ソウルフード放浪記VOL,24 あさつゆ・くるみ亭の手打ちうどん

上田市丸子地区に直売所あさつゆがあります。
地域の野菜や加工品が手ごろな価格で集まる直売所です。

山小舎おじさんは、近くのスーパーマーケット・ツルヤで食材を買うついでなどによく寄ります。
野菜や卵のほか、季節の果物などを、時には箱買いし、ジャムやコンポートなどに加工するのが楽しみです。

あさつゆの駐車場に立つ看板。背後に初冬の浅間連峰が見える

丸子地区は、わが長和町に接しており、かつては小県郡に属する丸子町でした。
戦前は製糸業で栄え、現在は別所線だけが残る上田電鉄の支線が町まちと上田をつなげていました。

シナノ絹糸という繊維製造会社が今でも残っています。
また、山小舎おじさんが小学生くらいの時に、県立丸子実業高校(現丸子修学館高校)が夏の甲子園に出場したことがあります。

この丸子地区にある直売所あさつゆには食堂くるみ亭が併設されています。
この日、昼食をくるみ亭で摂ることに決め、あさつゆを訪れました。

あさつゆの入り口

手打ちうどんと書かれた暖簾がかかり、土日の昼間は地元の客で満員になり、うどんが売り切れることもしばしばのくるみ亭。
山小舎おじさんは何度かここで肉うどんを食べたことがあります。
手打ち独特の透明感と弾力を持ったうどんでした。

町の食堂で食べる醍醐味は、手作りの味を味わうことにあると思います。
だんだんとそういった食堂が少なくなっているような気もします。
その点、くるみ亭は手作り感満点の地元のお母さんたちによる食堂です。

入って右手に食堂くるみ亭の暖簾がかかる

この日も肉うどんをチョイス。
たまには別のメニューをとも思いましたが、あの味をもう一度という気持ちが勝りました。

寒い平日ということもあったのか、店内はほどほどの入り。
混雑を気にせず食べられます。

券売機などはなく、カウンター越しにお母さんに口頭で注文し、その場で支払って、紙のチケットを受け取ります。「○○番の肉うどん」と呼ばれるのを待って受け取りに行きます。

この手作り感、アナログ感が安心を誘います。
手打ちうどんを食べる前段としてこれ以上ない、レトロでコミュニケーション感にあふれた舞台設定です。

肉うどんはいつもと変わらない味でした。
値段も量も味も依然と全く変わりません。
長野県民の県民性(頑固さ、頑迷さ、まじめさ)がいい意味で発揮されています。

肉うどん。500円。イチオシのメニュー

食後に直売所で買い物。
切り干し用の大根、干芋用のサツマイモ、地元のごぼう、自分で食べるリンゴなど。
いつもながらの満足するラインナップがそろいました。

この日のお買い物。買いごたえ感タップリ

12月の畑作業

令和4年も12月になりました。
今年の山小舎は12月中旬まで「開業」します。
16日に家族が来て一緒に自宅に帰ります。
冬期間も毎月1回程度は様子を見に来る予定です。

畑に行きました。
残務整理と畝の整備をしようとしました。

圃場の様子。旺盛だった夏草が嘘のようです

まずは11月に定植した玉ねぎの苗を見ます。
無事活着したようで一安心です。
このままいけば来年も収穫が期待できます。

玉ねぎの苗が活着しました
玉ねぎ200本はこれから冬を越します

畝の様子を見て回ります。
生やしっぱなしにしているハーブの畝で、パクチーのこぼれ種が発芽していました。
秋の日差しに反応したのでしょう。
この先の寒さで枯れるとは思いますが、その生命力に感心しました。

パクチーのこぼれ種が季節外れの発芽
この野菜は何でしょう?苗を刈って植えたのですが・・・

セロリを植えた場所からなんと新芽が出ていました。
収穫の際、根っこを残したようです。
この場所には来年もセロリを植えましょう。
毎年、カチカチの硬いセロリが育つ山小舎農園。
来年は定植後初期の水やりを行い、柔らかなセロリの育成を試みようと思います。

残ったセロリの根から芽が・・・

5年ほど、アスパラを育てていた畝を掘ってガッテン仕様の畝にしようと思います。
思うように採れなかったアスパラでした。
畝を掘ってみるとすぐ大きな石が埋まっていたりして、耕盤層まで掘り進めずらい場所でした。
長さが6、7メートルもある畝が立てられる場所なので、来シーズンは収穫が期待できる作付けをしようと思います。
ズッキーニがいいかな?

アスパラの畝をガッテン堀に・・・

畝から剥がしたビニールマルチを回収しました。
ゴミ袋に入れて出します。
ついでに、畝から剥がし残したり、ちぎれたマルチの破片をなるべく拾い上げます。

マイクロプラスチックの害がいわれています。
マルチは便利で必要な資材なので、注意深く使用することを心がけようと思います。

使い終わったマルチを回収

12月中にガッテン彫りの畝立てを終え(別の圃場にも2本ほど掘る予定)、枯れ草などを野焼きする予定です。
この先、雪が積もったりしないことを祈ります。

望月の弁天窟

佐久市望月地区は中山道望月宿があったところ。
現在でも、地区の旧中山道沿いには宿場の名残の古民家などが残る。

映画「犬神家の一族」に登場する那須ホテルのロケが行われた旅館はここ望月にある。
中世より馬の産地として、牧が置かれ、御牧の地名も残る。
大戦末期にはなんと陸軍士官学校がこの地に移転したこともあった。

望月の街を望む

その望月の中心部を離れた川沿いに弁天窟がある。
11月のある晴れた日、車を止めて付近を歩いてみた。

弁財窟

川に突き出した岩壁に掘られた岩窟。
説明書きによると、室町時代に琵琶湖の竹生島の弁財天を勧進したものという。
中世の信州のこの地に、近畿地方の弁財天を勧進せしめる何があったのか。

まだ中山道が整備されるはるか前。
東山道という当時の東国街道の流通によるものか、あるいは馬の生育により中央に貢献したことに由来するものなのか。

残念ながら弁財窟には通路が閉鎖されたどり着けなかった。
山を回って反対側に下りればたどりつけるのかもしれなかったが。

弁財窟の上方には山道が続いており、たどってゆくと豊川稲荷と書かれた鳥居が現れた。
奥には立派な神楽殿もある。
この山一帯が地域の神域なのだろう。

岩窟情報にある稲荷神社
鳥居の奥の神楽殿

足元を見ると丸々としたどんぐりの実がたくさん落ちていた。
孫がどんぐりの実を欲しがっていたが、山小舎周辺では、鹿などに食べられたのか、はやどんぐりの実は姿を消していたのだった。

軽トラに取って返し、ビニール袋を持ってきてどんぐり拾いをした。
珍しい岩窟が見られ、どんぐり拾いまでできてうれしい秋の日だった。

山には紅葉が広がっていた