行ってみたら、新型コロナウイルスの影響で、競輪は無観客興行にて行われていた!
競輪場の正面ゲート。
三々五々お客さんがやってくるが、張り紙を見て帰ってゆく。
山小屋おじさんは、正門前の警備員に聞いてみた。
入場料は?ときくと、50円とのこと。
京王閣の中に資料館はないのか?との問いには「競輪資料館があったがすでに閉館している」とのことだった。
多摩川の清流に遊び、鮎を愛でた行楽地・京王閣の歴史は、競輪場となった現在地には残っていないようだった。
川崎側から多摩川越しに京王閣を見る。
正門のすぐ隣にはお城のような質屋が建っていた。
京王閣入場をあきらめ、付近の商店街へ。
飲み屋は軒並み閉まっている。
店店の間にいわくありげな路地が残っていた。
焼鳥屋の店先には大きなアカミミガメが二匹飼われていた。ペットが育ったものか、多摩川に捨てられたペットが強大化したものか?
たい焼きやで一匹買い食い。
150円。
愛想のいいおばあさんが対応してくれた。
年代のものたい焼き器を撮らせてくれた。
肉屋でメンチカツを家族の夕食用に購入。
ショーウインドウを撮らせてくれた。
競輪開催日にはゲートが閉じられるという遊歩道。
用水路のふたを閉じたものであろう。
残り時間は多摩川付近の住民の生活の跡を巡ってみる。
現多摩川原橋から京王相模原線鉄橋の付近にあった渡しの跡。
菅の渡しなどと呼ばれ、渡し船がの運行が、昭和48年まで残っていたそう。
南武線の稲田堤駅から京王閣競輪場へのショートカットとして利用されていたとのこと。
これは矢野口側の渡し口付近に建つ観音像。
大映撮影所の北隣。
ハケを一段上がったところに大映村と呼ばれる一角があったそう。
撮影所のスタッフの家族寮、独身寮などが団地のように集まっていたとのこと。
今は鉄筋アパートが建っていて、入居者はいるようだが人気がない一角になっている。かつての花形産業、映画の栄枯盛衰を物語る。
駆け足で巡る三多摩の先人の暮らし。
今回は「闇」というより「幻」だったでしょうか。