三多摩の「闇」を行くVOL.2 競馬場、競艇場のある町

我が町調布が属する三多摩地域。
三多摩とは、旧武蔵国多摩郡のうち、南多摩、西多摩、北多摩の三郡のことをいいます。
調布や府中は旧北多摩郡に所属します。

おじさんが調布に住んで30年以上。
いろいろと地元の歴史に接してきました。
今回は地域の歴史の中でおじさんが興味を惹かれる「闇」の部分を歩いてみました。

府中競馬場とその周辺

調布の隣町・府中には競馬場があります。
地元では府中競馬場で通っていますが、正式には東京競馬場といいます。

全国に10か所ある中央競馬場のトップに位置する競馬場です。
目黒にあった東京競馬場を、戦前に府中が誘致して立地したとのことです。

賭博が現在は法律で禁止されている日本で、例外的な法律に基づき行われている公営ギャンブルの代表格が競馬です。
法律的には競馬は「公営ギャンブル」とはいわず「公営競技」と呼ばれます。
つまり競馬は賭博ではなく競技だとの位置づけです。

元はと言えば幕末に居留外国人が始めた競馬を黙認したのが日本における競馬の始まりとされています。

府中競馬場を見に行きます。
あたりを睥睨する周囲の壁と巨大な陣容。


東門です。

京王線府中競馬場駅より空中回廊が正門につながっています。

正門はまるでどこかの迎賓館の門のようです。

正門わきにある古くからの飲み屋街です。
競馬の開催日ではないとはいえ、飲み屋街というには陣容的に寂れすぎていると思います。
テキ屋の流れを汲む人たちの屋台から派生した店舗なのでしょうか。

現代のギャンブラーたちはこんなところではずれ馬券の憂さは晴らさないのでしょうか?
それともはずれギャンブラーの憂さ晴らしの場所は、浅草や錦糸町の場外馬券売り場近くの飲み屋街になっているのでしょうか。

府中競馬場の立地は、武蔵国一といわれる大國魂神社の裏手で、付近には卸売市場やビール工場などがあります。
付近では、京王線の本線・支線のほか、JR南武線、武蔵野線などが交差します。

聖賤入り交じり、人間社会の必要悪が密集した場所です。
そのようなもともと人間臭い場所に、「クリーンさ」を強調するようにそびえる競馬場の姿は、周辺から浮きまくる巨大な宗教施設のように見えるのはおじさんだけでしょうか。

多摩川競艇場とその周辺

府中競馬場から自転車だと10分ほども走ると多摩川競艇場があります。

元は砂利採取場だった場所だそうです。

競艇も法律で「公営競技」とされる公認ギャンブルのうちの一つです。

A級戦犯でありながら裁判なしで無罪放免された笹川良一が主宰した船舶振興会(現日本財団)が胴元を務めるギャンブルの会場の一つです。

競艇はほかの「公営競技」(競輪、競馬、オートレース)が競技としての歴史を戦前から持っているのに対し、唯一戦後になってギャンブルが公認された競技だそうです。

競艇はほかのギャンブルに比して射幸心をあおる度合いが高く、依存すると悲惨な結果になることで批判されていました。

公営ギャンブルの売り上げが全盛期に比して凋落傾向なのですが、競馬同様にテレビコマーシャルでイメージ回復に努めているようです。

多摩川競艇場へのルートは、西部多摩川線のほか京王線などから無料バスが運行されています。
かつては西部多摩川線が接続するJR武蔵境駅などに一目でそれとわかるギャンブラーのおじさん方がいましたっけ。

この日は競艇が開催されていましたが正門前は盛り上がっているようには見えませんでした。

正門前には2軒ほど飲み屋が営業していました。
屋台ではなく食堂と言っていい店でした。

正門から少し離れた西武多摩川競艇場駅付近にも飲み屋がありました。
入口には「会員制」との札が貼ってありました。

寂れた飲み屋の姿は、公営ギャンブルのひとつの終焉を物語るのか?それとも場外売り場、ネット参加など多様化するギャンブルの姿を反映するものなのでしょうか?

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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