節分の日の田無神社

令和5年節分の日は日曜日でした。
たまたま自転車散歩で立寄った田無神社では、節分の例大祭が行われていました。

新青梅街道を新宿から武蔵野市を越え、西東京市に入り、所沢街道への追分の手前に鎮座する田無神社。
鎌倉時代の創建と伝えられ、青梅街道旧田無宿の付近に位置する。
現在でも地域住民の参拝で賑わう。

通りかかると外からでもうかがえるほどの賑やかさに思わず自転車を止める。
鳥居をくぐると、移動カフェや屋台も出店し、家族連れが三々五々集まっている。
賑わいに誘われるように境内へ進む。

神楽殿も開かれ、獅子舞も出ている。
本殿には参拝を待つ人の列。

開かれた神楽殿
獅子舞と一緒に記念撮影をする親子

ひっそりとした神社仏閣の風情もいいが、縁日で賑わう境内はさらにいい。

本殿に並ぶ参拝客
本殿

都心の神社のメジャー感や、にぎやかさはないが、地域独特のまったり感がいい。

女性宮司が本殿で神事を行っていた
鯛がここの名物なのか

ここまで自転車に乗ってきて、立春を迎える喜びを味わわせてもらった思いで、田無神社を後にしました。

新春の神田明神

令和5年の1月下旬。
神保町からお茶の水へと歩いたついでに神田明神に参拝しました。

神田明神は江戸総鎮守の神社で、江戸城の鬼門に位置します。
主宰神の一人が平将門で、その時代に関東で反朝廷の武力蜂起を起こした人です。

将門は捕らえられて処刑されましたが、この場所に神と祀って、その祟りを抑えるとともに、江戸の鬼門を封じたのです。

久しぶりに訪れた神田明神。
都心の由緒ある神社としての格調、品格があります。
主宰神の荒々しい主張は極々薄められ、代わりに長い間庶民が集い祈った場所の、穏やかさ、賑わいを感じます。

正月ではないので、お参りに並ぶ人の数もわずか。
おみくじが結ばれた木が、真っ白に待っているのが目を引きます。

都内のみならず、全国から人が集まっているようです。
山小舎おばさんの仕事の繁盛を祈願して、お札をもらって帰りました。

浅草寺と浅草界隈

令和5年1月。
遅い初詣を兼ねて浅草へ行ってきました。

平日の金曜日ながら、都営浅草線のホームにはアジア系の観光客の姿が見られ、気分はコロナ前に戻った浅草界隈です。

浅草へ行くのなら、と家族からリクエストのあったどら焼きの亀十。
店へはいってゆくと「並んでください」とのこと。
外へ出てみると中国人らしき観光客などが三々五々並んでいる。
どこが最後尾かと聞けば、次のブロックあたりだという。
どれくらい並ぶ?といえば4、50分との返答。
速攻で並ぶのをやめる。

見れば隣にも和菓子屋があり、店内には全く客がいない。
値段も亀十が350円とすれば、どら焼き1個が240円と適正価格。
こちらの店でお土産のどら焼き購入とする。

亀十前に並ぶ人の列

雷門の前へ。
内外の観光客であふれている。

ここから浅草寺への参道沿いの仲見世は浅草随一の人出が集まる。
折角なので浅草寺へお参りする。

仲見世を行く人出を見ると、中国人やらスペイン語?をしゃべる外国人やらに交じって、修学旅行?の中学生グループの姿が目立つ。

浅草寺仲見世

浅草寺の山門をくぐり、煙を浴びて本堂で御参り。
振り返ってみる五重塔と山門の姿がいい景色だった。

諏訪大社本宮にあった神宮寺の五重塔も現存していれば国宝級、という話を思い出した。

浅草寺の山門
本堂から山門方面を見下ろす

浅草寺の後は、法善寺通りを通り、ホッピー横丁から、六区興行街へ。

和装で人力車の乗る内外の観光客やら、目指す店に並ぶ人の姿が目に付く。

人力車で浅草を回る観光客
天丼の大黒屋にも人が並ぶ

六区興行街のはずれにあった浅草名画座やピンク劇場の跡地にはホテルが建っていた。
向かいの場外馬券売り場は今日は休業日だ。

六区の浅草名画座跡地に建つホテル。突き当りは関東大震災で倒れた「十二階」が建っていた場所になる

ひさご通り入り口にある、350円のラーメンで昼食。

千束通りへ抜け、土手から旧あしたのジョー商店街、山谷、泪橋から三ノ輪へ行ってこの日の行程を終えました。

教のランチは350円ラーメン。東京風のあっさり味
ひさご通りから望むスカイツリー
土手の伊勢屋(天丼)も営業中だった
アーケードを取っ払い、ドヤ街とは訣別した?旧あしたのジョー商店街
山谷の労働者福祉会館。稼働しているのだろうか?
泪橋交差点にあるその名も泪橋ホールという映画喫茶。次回訪問してみたい

令和5年初詣 その2

田端神社

新年早々自転車でほっつき歩いていると、杉並区に気になる神社がありました。
荻窪のはずれにある神社で、表道路から参道が長く続いており、その奥を覗いてみたくなります。

田端神社といい、昔この地区にあった村の田んぼのはずれに立っていた氏神様のようです。
1月早々ですが、境内に梅が咲いておりました。

本殿わきには梅が咲いていた

住宅街に取り囲まれた小さな敷地の神社ですが、よく手入れされたこぎれいな場所でした。

神明宮

阿佐ヶ谷にある神社です。
古くから有名で、ヤマトタケルが東征の帰途に休憩したとか、近世では甲州街道の旅人が内藤新宿から寄り道して参拝したという記録もあるそうです。

去年、山小舎おじさんが立寄った際には、神楽殿で晴れ着姿の娘さんたちによるかるた大会が開かれており、大変華やかでした。
また、その時に初もうで客がずらりと並んでおり、参拝をあきらめたことでした。

神楽殿はこの日は閉鎖

この日はほどほどの人出。
ゆっくり参拝することができました。

拝殿の奥の本殿の造りと配置を見ると、伊勢神宮を連想しました。
伊勢系、天孫系の神社なのでしょう。

東京の神社らしく、敷地も広く、きれいに整備され、華やかな雰囲気が漂う神社です。

拝殿にて参拝
拝殿の奥に鎮座する本殿

布田天神

調布住民はこの神社への挨拶は欠かせません。
古くから調布地区の氏神様です。

布田天神境内に作られた鬼太郎のサンドアート

3が日もとうに過ぎているので参拝客はまばら。
サクサクとお参りを済ませます。
調布地区の守り神なので、家族の安泰と併せ、調布地区の安寧もお祈りします。

本殿

参拝を終わって境内を見渡すと、神楽殿、社務所の造りや配置が堂々としており、都下の氏神とはいえやはり首都東京の神社の堂々たる様を感じます。

社務所の立派な造りに改めて気が付く

令和5年初詣 その1

令和も5年となりました。
新年を東京の自宅で迎えた山小舎おじさん。

自宅の切り盛りは、今やすっかり現役で働く山小舎おばさんこと、奥さんの主導のもととなっております。
一方、自宅ではお邪魔むしとなりかかっている山小舎おじさん、今年も自の行動で自らの生活を切り開かんと気分一新、頑張っています。

年末年始のかなりの期間、風邪で調子の出なかったおじさんですが、体調の合間を見ては初詣に出かけました。

小金井 金蔵院

小金井には自転車でよくゆきます。
野川が形作る国分寺崖線の上段と下段に広がっている小金井市。
崖下の道に沿って走ると、突き当たりに金蔵院というこぎれいなお寺があります。

金蔵院正面

通りかかると初詣の参拝客がチラホラ見えたので寄ってみました。

山門から本堂を望む

きれいに整備されたお寺で、初もうで参拝客を迎える準備も整っていました。

金蔵院本堂

青謂神社

深大寺に隣接するようにこの神社があります。
お寺と神社が等分されたように隣接しているのはたまに見ますが、お寺の深大寺が栄え、神社が付属するように残るというのは珍しいのかもしれません。

鳥居をくぐる

無人のおみくじ売り場でおみくじを引きました。
上がり目が残る中吉でした。
この後は深大寺へ向かいました。

本殿にお参り

深大寺

この地域の古の中心部だったのでしょうか。
神代城なる幻のお城もあったという場所で今も栄えるのが深大寺です。

門前の団子屋に並ぶ参拝客

三多摩地域の観光地として定着した深大寺。
初詣の地として、大みそかから三が日は参拝客で長蛇の列。
調布をはじめ地域の住民は大体ここに初詣します。

山門を上がる人々

この日もほどほどの参拝客でにぎわっていました。

本堂で初もうで

お寺としての深大寺は、大規模なものであることがわかります。
住民として1年の家族の健勝を祈願しました。

立派な常香炉もある
回向柱、なのでしょうか
お札お守りに交じって土鈴が売られているのも深大寺らしい
山門から門前市を眺めます

水木しげるが見た光景

調布の文化会館たづくりで、水木しげるの展覧会があったので見てきました。
生誕100周年を記念しての展覧会です。

水木しげるさんは生前、調布市名誉市民でした。
現在でも市内に水木プロダクションが現存し、出版物などの管理を行っています。

ゲゲゲの鬼太郎ほかのキャラクターが有名ですが、出征したニューギニアでの体験を描いた戦記物が忘れられません。

今回の展示内容は、地元調布を描いた絵、鬼太郎や悪魔くんなどのキャラを描いた絵、戦記物の絵、などを中心にレイアウトされていました。

作者が描いた、戦時中ニューギニアでの戦時体験には何度見ても粛然とさせられます。
ビンタに始まり、命令絶対の非人間的な軍隊。
自らの左手を失った戦傷体験。
現住民との交流経験、などは作者ならではの貴重なものです。

これらの作品は、生き残って帰国した作者に死んだ戦友たちが描かせたものでしょう。
作品には作者ならではのユーモア、人間性も感じさせます。

作者が描いたアマビエの大きな絵が展示されていました。
水木さんにより描かれたアマビエならたいがいの災いは撃退されるような気がしました。

彩ステーションで eスポーツ大会

3月中旬に調布の彩ステーションを会場にある催し物が行われました。

eスポーツ大会です。

主宰は調布市とNTT。
市役所から場所提供と動員の依頼があり、彩ステーションで行われることのなったもの。

NTTによる通信環境の設定準備を経て開催。
市役所の担当係長が仕切り、プロの司会者を起用して行われました。

種目は太鼓たたき。ゲームセンターなどでよくやっているアレです。

動員された年配者の皆さん

出場者は彩ステーションに出入りしている年配者や子供たち。
さあ、開催時刻です。

ところが、当日になって同時開催場所の調布市文化会館「たづくり」との通信がつながらなかったりして、スタート時刻がのびのびに。
その間、市役所の係長さんのお話が続き、座っている年配者や子供たちが疲れてきて・・・。

司会者(左)と市役所係長(中)

色々なことがありましたが、大会は遅れて無事スタート。
いざゲーム開始となると、子供たちはさすがの対応力を発揮して活躍していました。

大会スタートし活躍する子供たち

彩ステーションとしては従来の活動内容との乖離がありましたが、守備範囲を広げ、多彩な人事交流という面ではいい経験だったのではないでしょうか。
何より、市役所から依頼があったというのがすごいと思いました。

見守る関係者たち

彩ステーションの子ども食堂

近所の「彩ステーション」で子ども食堂をやるというので見てきました。

彩ステーション外観。戸を引いてホールに入る

彩ステーションは、本ブログでも何度か紹介している、調布市柴崎にある〈地域の居場所〉です。
ある医院に場所の提供を受けて、看護師とケアマネージャーの資格を持つ山小舎おじさんの奥さんが運営しています。

日頃は、地域の年寄りを集めての、ランチだったり、麻雀だったり、体操だったり、スマホ教室だったりを開催しています。
コロナ前には、映画の日や、夕方からアルコール持ち寄りの〈バル〉を開いたりもしていました。

この日は〈子ども食堂〉が行われました。
台所で朝からご飯を炊いて仕込み、今日のメニューのちらし寿司を手作りします。

この企画の運営は、近くの小学校のPTAに参加している父母たちのグループ。
彩ステーションは場所の提供と、側面協力を行っています。

昨年7月から、毎月実施して今月で9回目とのことです。
これまでのメニューはカレーや唐揚げなど。
毎回100食前後を作り、今回は110食ほどの予約があったそうです。

この日山小屋おじさんが、彩ステーションに顔を出してみると、奥さんこと〈山小舎おばさん〉が出迎えてくれました。
〈土間〉と呼ばれる、彩ステーションのホールには、パックされたちらし寿司が並び、子ども食堂企画の代表者が、予約客を待っています。
彼は本日、有休をとって運営参加したとのことです。

ホールには予約客用のちらし寿司が用意されていた

居間に上がると、3人ほどのお母さんたちがちらし寿司づくりの真っ最中でした。
ずらりと並んだ酢飯に錦糸卵やでんぶを乗せてゆきます。
皆さん、子ども食堂開催の日は、仕事を終え次第駆け付けて、参加するとのことです。

台所では続々とちらし寿司のパッキング中

ホールには、予約した親子がちらし寿司の受け取りにやってきました。
来場した子供のお母さんは、主催者とは地域同士の知り合いらしく、話が弾んでいます。

予約したちらし寿司を受け取りに来た子供たちに応対する子ども食堂代表

食費は子供100円、大人300円とのこと。
子供にはお菓子のパックとドーナツが1つずつ付きます。
ドーナツは市内のパン屋さんからの差仕入れ、お菓子は予算から購入し、山小舎おばさんが袋詰めしているとのことでした。

子どもの客に渡されるドーナツと菓子パック

子ども食堂のメンバーのおかげで、彩ステーションの風景が普段より2世代ほど若返っていることに気づき嬉しくなった山小舎おじさんでした。
近々、テイクアウトだけでなく、会食可能な子ども食堂の開催を祈って。.

映画のまち調布 シネマフェステイバル2022

筆者の地元調布は「映画のまち」を売出文句の一つとしている。

市内に映画撮影所が、日活と角川大映の2か所のこり、東映ラボラトリーなどのフィルム現像所があり、映画小道具の会社などもある。
石原プロもあった。

日活は会社更生法により、大映は破産法により法的に清算(倒産)した後の姿であり、東映ラボラトリーは主業務がフィルム現像からデジタル関係の処理へと変わり、石原プロは解散して軍団恒例の年末餅つき風景も見られなくなっている。

かような状況ではあるが、それでも市内に映画撮影所が2か所あるというのは、京都と並ぶ「映画のまち」の証左となろう。
また、撮影所との関係で、市内でロケが行われることも多く、その意味でも「映画のまち」ではあるかもしれない。

毎年、調布で映画祭的なことが行われているのは知っていたが、筆者が見に行ったのは今回が初めて。

パンフレット表紙

今年の映画祭の内容は、「映画の調布賞」の表彰と受賞作品の上映、「日本映画人気投票」選出作品の上映、をメインに、調布出身のイラストレーター宮崎裕治の作品展示、「調布地区にて発見された映画資料」展、「出張映画資料室」展、など。

「映画のまち調布賞」というのは、技術スタッフに贈られる賞で、撮影、照明、録音などの部門ごとに、選ばれたスタッフを表彰し、併せて作品を上映。

「日本映画人気投票」は2021年2月~9月の間に実施した人気投票の上位に選出された「花束みたいな恋をした」などを上映。

ほかにも、「フィルム名画上映」として「男たちの大和/YAMATO」(2005年)を上映。

会場は、映画上映は「調布市文化会館たづくり」とイオンシネマ調布の2か所。
展示企画は「たづくり」内のギャラリーにて行われた。

調布市文化会館たづくり 1階ホールはフェステイバル仕様のレイアウト

筆者が「たづくり」に行ったのはフェステイバル最終日で、映画上映はほぼ終了。
やむなく、ホールやエントランス、企画室で行われている、展示企画を見て歩いた。

宮崎裕治のイラスト展は、「キネマ旬報」などの連載でおなじみのイラストを原画で見られる貴重なもの。
展示数も多く、会場は作者の映画愛にあふれ、訪れるものの気持ちを暖かくするようだった。
また地元調布に関連するイラストが多く展示され、興味をそそった。

調布駅付近を題材にしたイラスト
調布の市営住宅に住んでいた鈴木清順監督のイラストも
映画愛にあふれる、カラフルなイラスト群が楽しい

「調布地区にて発見された映画資料」展、「出張映画資料室」展も見た。
この二つ、〈映画資料の保存、展示〉という趣旨で被っている催しだったが、展示内容はそれぞれ貴重なものばかりだった。
編集や、美術、助監督などのスタッフが、脚本のほかに使っていた記録、メモなどの展示物は初めて見ることができ、映画が各部門の専門的なスタッフによる〈総合芸術〉であることが実感できた。
その、正確、詳細な記録を見るにつけ、映画は〈総合事業〉といった方がいいのかもしれない、と思った。

企画展の入り口。中は撮影禁止
「調布地区にて発見された映画資料」展に詰めかける人

また、調布市内に2か所、映画館があった時代の記録が珍しかった。
筆者など知らない時代に、駅前の商店街の一角に映画館があった時代が記録に残されていた。

都合により参加できなかった企画に「トークイベント映画人が語る旧日活・大映村の日々」があった。
現角川大映撮影所の北隣に、大映村と称される社員の寮群があったこと。
それを記録した書籍が発刊されていることは知っていたので、関係者のトークをぜひ聞いてみたかった。

今は撮影所自体の敷地が半減し、映画撮影の本数も激減し、大映村の敷地はとっくに売却されて別のアパートが建っている。
トークでは撮影所が賑やかだった時代の話が聞けただろう。
旧住民による「旧日活・大映村の会」があるようなので、またの機会を待ちたい。

「調布銀映」があった場所

余談

映画祭といえば、筆者は映画祭開催中の西ベルリンにいたことがある。
1983年の2月くらいのことで、当時の封切り作品としては「ガンジー」が大いにフィーチャーされていた頃だった。

アジアからの放浪の末、パリで年を越した26歳の筆者がたどり着いた西ベルリンには、町中に映画祭のポスターが貼られていた。
市内の主な映画館では、映画祭出品作を上映していた。
日本からの「野獣刑事」(1982年 工藤栄一監督)を大劇場で見た。
観客の反応から、受賞はないなと思った。

当時の西ベルリンは、ツオー(ZOO)駅を中心にした、寂しげな街で、駅近くの動物園で、パンダを見た。
動物園には、誰もパンダを見る客はいなかった。

ツオー駅では、パリやワルシャワまでの切符も買えた。

寒々しいベルリンを早々に出て、ポーランドのポズナニまでの切符を買い、夜行列車に乗って、1週間ほどのポーランドの旅に出た。
カトビツェ、クラコフ、ワルシャワ、グダニスクと回ったが、ポーランドは西ベルリンより一層寒々しかった。

ママチャリ徘徊記 溝の口、新城、小杉

東京の自宅にいる冬の間は、ママチャリでほっつき歩くのが趣味です。

溝の口

この日は、狛江のあたりで多摩川を渡り、川崎側の土手を走って溝の口を目指しました。

気温10度を超える昨今は戸外活動日和です。
平日は土手を歩く人の姿もまばらですが、河原で日向ぼっこをしたり、グラウンドで野球の練習をする学生たちの姿がありました。

多摩川の左岸に二子多摩川の高層ビル群が見えてから、土手を下り、旧大山街道と呼ばれる道を走り、溝ノ口を目指します。

武蔵溝ノ口駅はJR南武線と東急田園都市線が交差する駅です。
南部線沿線の一角に、昔ながらの商店街が残っています。
溝の口駅西口商店街です。

10軒に満たない数の商店が軒を連ねています。
今はほとんどが飲み屋などの飲食店になっています。
八百屋が1軒だけ残っています。
かつては団子屋や、古本屋もありましたが、飲食店に代わっていました。

昨今は自粛中なのか、明かりが消えた商店街。右手に古本屋があった
16時になると焼鳥屋が営業開始です

この商店街から外れたところの「餃子の店 南甫園」が山小舎おじさんの行きつけです。
この日はランチのカツ丼を食べました、500円。
期待通りの町の食堂の味です。

昨今は昼のみ営業の南甫園

武蔵新城

溝の口から南武線に沿って川崎方面へママチャリを走らせます。

次の駅は武蔵新城です。
駅前にアーケード商店街があったので寄ってみました。
「あいもーるアルコ」という名前の商店街です。

昭和の時代も遠く過ぎ去り、かつては流行の最先端であったであろう、アーケード付きの商店街もその〈時〉が過ぎ、買い物客はロードサイドのスーパーマーケットやショッピングモールに移っています。

「あいもーるアルコ」は、そこそこの歩行者数はありましたが、単なる通行客や暇つぶしの老人客が多いようにも感じます。

駐輪の多さも昔ながらの風情

地方都市などに取り残されたように残っているアーケード街の、〈寂寥感〉というか〈虚脱感〉のようなものをここでも感じました。

地元の金融機関といえば川崎信用金庫

自転車が普通に通行しているので、今時珍しいな、と思っていたら、やはり「自転車は押して通行しましょう」の看板がありました。
ほとんどの人が、看板を守らないで通行しているところが〈ユル〉くていいな、と思いました。

標語の看板の脇を颯爽と自転車が通る

武蔵小杉

ここまで来たら、もう少し足を延ばして小杉まで行ってみましょう。

20年ほど前、仕事で川崎、横浜一帯を回っていた時、府中街道の小杉駅付近はよく通りました。
駅を過ぎたあたりのガード下にバラックのスラム街のような一帯が残っており、嫌でも目につきました。
闇市崩れの一杯飲み屋群だったのか、それは取り残された〈戦後の風景〉のようでした。

果たしてあの風景が残っているのか?

昔の記憶を頼りに府中街道を進み、南武線のガード下を見ると、かつてのバラック群はありませんでした。

府中街道のガード下。右手奥にバラック街があった

駐輪場や道路拡張用の更地に変わっています。
バラックではないものの、当時の風情を残す建物が1棟残ってはいましたが。

バラック街のあったあたり。駐車場になっていた
バラック街に唯一残る建物。撤去間近か

バラック群は、背後に墓地がある土地柄でした。
周辺はもともとの飲み屋街だったことがわかります。

バラックが撤去された当たり、左手に墓地が見える
周辺には小杉らしい、昭和の飲み屋が残っていた

戦後の生き証人?のような風景がまた一つ永遠に姿を消しました。
あのスラム街は〈なかったこと〉にされるのでしょうか?

片側1車線の府中街道を南武線の高架がまたぐ小杉駅周辺

府中街道沿いにごちゃごちゃと商店が軒を連ね、低めのガードがその上を走る、という昔ながらの武蔵小杉の風景の骨格は変わっていませんでした。

別の飲み屋街から高層マンションを望む