今年の桜

令和2年の桜の季節が終わろうとしています。
コロナ騒ぎがご時世の世の中。
桜は例年通りに咲きました。
途中、季節外れの雪が積もったりして。
そして今は桜吹雪となっています。

3月下旬の調布市柴崎。
通称「国有地」脇の桜です。

4月初旬の国際基督教大学正門通り沿いの桜です。
葉桜になっています。
一般人入構お断りの張り紙が正門に貼ってありました。
貼り紙のせいか、コロナのせいか、構内に一般人と思しき人影はありませんでした。

神代中学グラウンド沿いの桜です。
桜吹雪となって散り始めています。
温暖化のせいか、近年は入学式までは花が持たなくなっています。

野川沿いの桜です。
調布の桜の名所の一つとなっています。
野川は国分寺崖線に沿って流れ、世田谷区で多摩川に合流する街の川です。
沿岸の市民の散歩コースとなっています。

今年もよい年でありますように、と願いたいところです・・・。

調布柴崎の彩ステーションと休校中の子供たち その2

家内がやっている地元の彩ステーションの続報です。

その後も彩ステーションは、休校中の子供たちの受け入れ場所として機能しています。
また、普段なら、ワークショップや勉強会などの催し物が行われるホールでは、市内の若いお母さんたちの「手作り市」の場所となっています。

「手作り市」は、小学生向けの防災頭巾、上履き入れ、お道具入れ、マスク、ランチョンマットなどを手作りし、販売しているグループです。
大規模な展示即売会が会場の都合で中止となったため、彩ステーションに場所提供の依頼があったものです。

ご時世柄、マスクがよく売れています。
大人用は毎日完売でした。
入口の「マスクあります」の張り紙を見て飛び込みのお客さんや、口コミでやってくるお客さんも多数あります。

また、新1年生を持つ親御さんなどに、防災頭巾などが喜ばれているようです。

マスクを作る時間は、大人用で1時間に3枚がせいぜいだそうです。
1枚400円として、材料費を考えると決して割のいい仕事ではありませんが、「手作り市」の若いお母さんたちは前向きに頑張っています。

一方、休校中の子供たちも、三々五々集まってきます。

この日は昼食にカレーを自分たちで作って食べていました。子供が好きで、子供扱いの上手なお兄さんが来てくれたり、ベテランの塾の先生が来てくれたりと、子供の面倒を見るボランテイアも集まってきました。

長期戦の様相を呈してきた、コロナ時世。
地域の力で立ち向かってゆきたいものです。

春の小金井、国分寺を歩く

春本番と思しき最高気温19度の1日、小金井と国分寺を歩きました。

自転車で調布の自宅をスタート。
東八道路の野崎八幡交差点に出ます。

東八道路の歩道には自転車走行スペースがあります。

早々に武蔵境方面へ折れ、さらに左折して国際基督教大学方面へ向かいます。

校庭の真ん中に桜の巨木がそびえる三鷹第二小学校も休校中です。

野菜の無人スタンドです。
三鷹は一般野菜のほかキウイなどが名産です。

畑の中をショートカットで抜ける道があります。
おじさんは「緑のトンネル」と呼んでいます。

緑のトンネルを抜けると、国際基督教大学の正門です。
正門内の桜並木は開花準備中でしょうか。

大学構内を斜めに抜け、裏門から構外へ出ます。

西武多摩川線の踏切を渡ります。
菜の花が満開でした。

このあたり、西武多摩川線の新小金井駅周辺になります。
渋い商店街があります。
駅前でロケをやっていました。

さらに西進。
JR東小金井駅周辺を通過します。

JR武蔵小金井駅を目指します。
高架下には、学生用の下宿が建っていました。

武蔵小金井駅方面へと続く、農工大通り沿いに、花に囲まれた神社があります。
八重垣稲荷神社です。

鳥居の近くにある寒緋桜が満開を過ぎています。
鳥居をくぐってお参りします。
狐のボードが道案内してくれる境内は植物に囲まれた異空間です。
まだ春先なので花々が最盛期ではありませんが、桜が満開の時期のにぎやかさが想像できる境内です。
頻繁に表れる案内板(自筆)に神主さんの人柄が現れています。
素通りできない神社です。

JR武蔵小金井駅方面へ農工大商店街を通ります。

蛇の目通り商店街という極渋の商店街がありました。
スナック、居酒屋が残る、裏通りの雰囲気たっぷりの商店街でした。

JR武蔵小金井駅前です。
右手に、かつては開かずの踏切をまたいでいた小金井街道が走っています。

駅前は何本かのタワーマンションに囲まれたショッピングモールや音楽ホールが集まっています。
今風のタウンが形作られています。

中央線に沿って国分寺を目指します。

JR国分寺北口の商店街に、七七舎という古本屋があります。
かつては高齢の女性が経営してましたが、若いカップルに店主が代わりました。
隣の団子屋を買い取って店を増築。
品ぞろえが格段に良くなりました。
店頭の100円コーナーにも掘り出し物があります。

今回は、テキヤ行商人の聞き書きと、岩波写真文庫を何冊か買いました。

昼食は同じく北口にある定食屋でニラレバ定食です。
だるまや食堂。
量が多くがっつり食べられます。
スタッフはオール日本人で、ホールには時々高校生ほどの女の子が出ています。昭和か?ここは!
まだまだ繁盛しているのでしばらくは生き残ってくれることでしょう。

同じく北口にある、だんごの輪島でデザート用の団子を買います。
ボクシングの輪島功一が始めた団子屋として地元で有名です。

喫茶田園。
90歳くらいのママさんがやっています。
4,5年前は良く寄りました。
ママさん元気だろうか?

国分寺駅北口は現在も区画整理中です。

駅正面はどんどん変わってゆきますが、だるまや食堂や、喫茶田園、だんごの輪島は残ってほしいです。

早春の自転車散歩でした。

三多摩の「闇」を行くVOL.4 京王閣競輪場へ行ってみた

行ってみたら、新型コロナウイルスの影響で、競輪は無観客興行にて行われていた!

競輪場の正面ゲート。
三々五々お客さんがやってくるが、張り紙を見て帰ってゆく。

山小屋おじさんは、正門前の警備員に聞いてみた。
入場料は?ときくと、50円とのこと。
京王閣の中に資料館はないのか?との問いには「競輪資料館があったがすでに閉館している」とのことだった。

多摩川の清流に遊び、鮎を愛でた行楽地・京王閣の歴史は、競輪場となった現在地には残っていないようだった。

川崎側から多摩川越しに京王閣を見る。

正門のすぐ隣にはお城のような質屋が建っていた。

京王閣入場をあきらめ、付近の商店街へ。

飲み屋は軒並み閉まっている。

店店の間にいわくありげな路地が残っていた。

焼鳥屋の店先には大きなアカミミガメが二匹飼われていた。ペットが育ったものか、多摩川に捨てられたペットが強大化したものか?

たい焼きやで一匹買い食い。
150円。
愛想のいいおばあさんが対応してくれた。
年代のものたい焼き器を撮らせてくれた。

肉屋でメンチカツを家族の夕食用に購入。
ショーウインドウを撮らせてくれた。

競輪開催日にはゲートが閉じられるという遊歩道。
用水路のふたを閉じたものであろう。

残り時間は多摩川付近の住民の生活の跡を巡ってみる。

現多摩川原橋から京王相模原線鉄橋の付近にあった渡しの跡。
菅の渡しなどと呼ばれ、渡し船がの運行が、昭和48年まで残っていたそう。
南武線の稲田堤駅から京王閣競輪場へのショートカットとして利用されていたとのこと。

これは矢野口側の渡し口付近に建つ観音像。

大映撮影所の北隣。
ハケを一段上がったところに大映村と呼ばれる一角があったそう。
撮影所のスタッフの家族寮、独身寮などが団地のように集まっていたとのこと。
今は鉄筋アパートが建っていて、入居者はいるようだが人気がない一角になっている。かつての花形産業、映画の栄枯盛衰を物語る。

駆け足で巡る三多摩の先人の暮らし。
今回は「闇」というより「幻」だったでしょうか。

ちくま新書「愛と憎しみの新宿・半径一キロの日本近代史」を読んで

表題の本をブックオフの100円コーナーで買いました。
正確には110円でした。

タイトルを見て面白そうだと思い、目次を眺め、本文をめくってみて相性が合うと思った本を買っています。
最近は寄る年波か、字が細かくびっしり印刷されている本は体が拒否します。
一方、相性が合いそうな本に対するカンは歳とともに冴えてきているような・・・。

1952年、新宿ド真ん中の洗濯屋に生まれ、青年期まで家業を手伝っていた著者による1960年から70年代の昭和史です。

全共闘運動に参加し、当時の最先端カルチャーの、ジャズ喫茶や、紀伊国屋書店、アートシアター、ゴールデン街などに接してきた著者の人生前史でもあります。

1656年、北海道生まれの山小屋おじさんにとって、全共闘終焉である安田講堂落城の光景をテレビニュースで見たのは小学生の時でしたから、4歳上の著者がせいぜい高校1年生くらいの時です。
その著者がなぜ全共闘運動か?
理由は新宿高校時代に活動していたからだそうです。

同時にアートシアターでATGやゴダールを見、ジャズ喫茶で山下洋輔、ゴールデン街をのぞき見、とは都会の高校生はずいぶんませていたのだと羨ましく、またこそばゆく思いました。

この本で語られる著者の高校時代は、政治活動と自宅の洗濯屋の手伝いの合間に、新宿の路地の汚い中華屋でうまい麺を食べ、山谷の争議団に顔を出し、若松孝二のATG映画に同世代の心境を実感する日々です。

今どき、全共闘、アートシアター、ジャズ喫茶などといっても、若い人にはまるでアピールしません。
そんなことは著者も百も承知でしょう。

山小屋おじさんとて、4歳年上の都会育ちの著者の心情風景がぴったりくるわけではありません。
おおむね同世代とはいえ、都心育ちの著者と田舎育ちのおじさんでは、当時も今もその違いは決定的なのはしょうがありません。
著者の語る、都会育ちの高校生の「最先端」の心情風景は、おじさんにとっては今でも現実感のない、くすぐったく、ふわふわしたものでしかありません。

それでも語らずにはおれない熱さが文中からほとばしっているのがこの本です。
書きたい題材を書きたいように書いた時の臨場感ともいうべきものをこの本から感じるのは、年代が近いおじさんだからなのでしょうか。

おじさんはこの本を読んで、登場する70年代の名所を巡ってブログにしようと思っていました。
この度のコロナ騒ぎで、新宿の奥深くに分け入る時期でもないと思い、本の紹介だけにしました。

興味ある方は読んでみてください。

調布柴崎の彩ステーションと休校中の子供たち

調布の柴崎駅近くに深大寺商店街(通称:柴崎商店街)という通りがあります。

京王線の柴崎駅から北へ向かい、甲州街道を渡った通りです。

ひところは蕎麦屋、とんかつ屋、酒屋、和菓子屋、文房具屋、すし屋、八百屋、コンビニ、パーマ屋、医院、スナックと一通りそろった商店街でした。
今では和菓子屋、文房具屋、コンビニがなくなりその代わりに今はやりのバル風な飲み屋ができていたりします。

この商店街の中ほど、西田医院という内科医院の隣に、彩ステーションがあります。
西田医院の先生がオーナーで、空き家だった自宅兼工務店事務所を買い取り、地域の交流の場所兼居場所と去年からオープンしています。

この施設の管理責任者は、ケアマネージャーと看護師の資格を持っており、グループホーム施設長や社会福祉協議会、地域包括支援センターでの勤務経験があります。
いきおい、彩ステーションも普段は地域のお年寄りの居場所となっていることが多いのですが、その日の催し物によっては若いお母さんなどが集まることもあります。
これまで、ヨガ、アロマセラピー、和食、健康マージャン、ピアノ演奏、歌声喫茶などの催しが行われてきました。

12月からは毎月1度、バル彩と銘打って、飲み物持ち寄りの夜の部も開催され、老若男女が集まり盛り上がりました。山小屋おじさんも2度ほど参加しました。

3月にはカフェスペースには年代物のひな人形が飾られていました。
五人囃子から下は空襲で水浸しになって失われたそうで、三人官女から上が残っています。

実はこの彩ステーションの管理責任者が、山小屋おじさんの奥さんです。
今日は荷物を届けるのを手伝ったついでに、玄関先を掃除してきました。

新型コロナ肺炎の流行で、彩ステーションでの催しは一時ストップしていますが、一方、学校の休校による子供たちの受け入れ場所として先週末から開放しています。

この日は小学生と中学生合わせて4人が半日、彩ステーションの座敷で過ごしていました。
午前中は宿題。
昼食のお好み焼きを手伝って作り、午後は人形で遊んでいました。

調布では、休校中で行き場のない子供たちのために、学校の教室を開放しようという動きがあるそうです。
ますます何のための休校かわからなくなっています。

早く、世の中が正常に戻り、彩ステーションも本来の活動ができるようになることを祈ってます。

全国一斉休校から1週間 調布上ノ原の風景

新型コロナウイルスの影響で、先週金曜日に全国の小中高校の休校が要請されて1週間たちました。

山小屋おじさんの自宅付近には、調布市立の神代中学と上ノ原小学校があります。
おじさんの子供3人が通った学校です。

このあたり、住所的には調布市柴崎で、通称上ノ原地区と呼ばれています。
三鷹市と境を接し、調布で最も高台にある地区で、戦時中は陸軍の通信施設があったところです。
戦後、その跡地が神代中学、上ノ原小学校、都営団地になりました。
合併して調布市になる前は神代村だったところです。

先週金曜日の夕方から、小学校、中学校の校庭から忽然と人気がなくなりました。

それから1週間たった上ノ原小学校の校庭の景色です。
いつもは、午前中の中休みの時間など、子供たちの歓声と生命力があふれんばかりに横溢している校庭の今の姿です。

代わりに子供たちは公園やグラウンドなどで集まって遊んでいます。
近くのグラウンドは日曜日のような賑わいです。


グラウンド脇のスペースもこの通りです。

地域のあちこちには小中学生の時間を持て余したかのような姿も目立ちます。

夏休みなど長期休校の雰囲気とは違います。
夏休みなどは小中学生たちは案外、やることが決まっており、外で時間を持て余してふらふらすることはありません。

コロナ騒ぎの突然の休校は、彼らにとって予定外の休暇で、どうしたらいいのかわからないのでしょう。

かといって図書館やプール、ジムなどは軒並み休業しており、とりあえず小学校低学年は学童保育に、小学校高学年から上は、グラウンドなど屋外に繰り出して時間をつぶすしかないのです。

地域全体がイレギュラーな雰囲気に満たされています。

神代中学の風景です。


いつもは放課後のクラブ活動が盛んな時間帯です。
こんなさみしい校庭風景は正月以来のことです。

以上、調布市上ノ原地区からのレポートでした。

ポスティングに挑む その2

シルバー人材センターからの仕事が来ました。
社会福祉協議会の公報「ふくしの窓」のポスティングです。

今回も約30003000部を預かりました。
配布地域は前回と同じです。

山小屋おじさんの、3月までの現金収入の手段は、障害者のガイドヘルパーとシルバー人材センターからだけです。
待ちに待った仕事です。

ポスティングも、大判サイズの冊子を3000部ともなると片手間ではできません。
配布機関が1週間あるとはいえ、前回の反省も踏まえ自分なりに工夫して臨みました。

工夫その1

自転車の荷台にかごを設置しました。
1〆500部に近い冊子を自転車に積む場合、重心の設定が大事です。

前回は前かごだけに積みましたが非常にバランスが悪く、運転しずらい上に自転車を止める場所に苦労しました。
普通に止めると前かごに重心が取られて、自転車が倒れたり動いたりするのです。

そこで今回はプラスチック製の買い物が語を荷台に取り付けました。
1回に500部を積むとして、主力は荷台のかごに積み、手元用の手提げには少数の部数だけ入れるようにしました。
自転車のバランスと、配る際の勝手が格段に向上しました。

工夫その2

ポステイングの天敵は雨と風です。
本降りの際は仕事自体ができませんが、小降りの時や、突然の降雨の際には冊子を雨から守るために大き目のビニール袋(ゴミ袋など)を用意しました。

工夫その3

また強風も大敵です。
何の備えもなく強風にあおられると冊子が簡単に捲れたり、飛ばされてしまいます。
荷台には重しを備えておいて、冊子の上から押さえておきます。

工夫その4

配る順番工夫しました。
前回はとりあえず自宅の近くから配り始めました。
そのあたりは一戸建ての多い地域で、効率が悪く、期間内に配り終えられるかと心配したものでした。

そこで今回は集合住宅を最初に配ることにしました。
国道20号線沿いやバス通り沿いには集合住宅が集まっています。
数十戸が入居しているマンションなどでのポステイングは非常に効率がいいのです。

最初の2日間、集合住宅優先で配布してみると、たちまち3分の2近くがはけました。
担当地区の3分の2近くが集合住宅に住んでいることになります。

2日間で集合住宅を配り終わりました。
効率の悪い一戸建てについては、後半でのんびりとやる予定です。

工夫その5

配る先には様々なポストがあります。
冊子を二つ折りにして幅広いサイズのほう(ヨコ)から入るもの、狭いほうのサイズ(タテ)からでないと入らないものなど。

一戸建てのポストでは、新築戸建てでは特にデザインの斬新なものが多く、一見どこから投入すればよいのか迷ったものでした。

今はだいたいのポストに関して最短時間での投入を工夫できるようになりました。
集合住宅のポストでは、2,30部の冊子を送り出しやすいようにずらして左手で持ち、右手で1部ずつ取ると同時に折りながら投函していくイメージです。

一連の動作で投入できれば上出来ですが、ポストのふたのバネが固くて左手でフォローしなければならない時もあります。

集合住宅では、配布物で満タンになったようなポストも散見されます。
その場合は無理には投入しません。

また、不要配布物を捨てるごみ箱が設置されたポストも多くなりました。
市報なども捨てられていました。

ふくしの窓第261号の表紙

メイン特集は手話講習会へのお誘いです

社会福祉協議会関係のイベントカレンダーが見開きページに

ボランテイア募集の伝言板も

皆さん、税金で賄われている市報などの行政サービスにはぜひ目を通してみましょう。

ポステイングの合間に見た近くの畑では春が訪れていました。

深大寺だるま市

三多摩の春の風物詩の一つ、深大寺だるま市が今年も3月3日、4日に催されました。

1500年以上の歴史を三多摩に刻む深大寺。
例年3月3日、4日に、「厄除元三大師大祭」という深大寺最大の年中行事が行われ、それに伴い境内に全国のだるま屋が集まって市をなしたのが、だるま市の始まりだそうです。
今では全国三大だるま市の一つに数えられるそうです。

今年は新型肺炎の影響で、大祭の出し物の一つの「お練り行列」が中止とのアナウンスが境内に流れる中、だるま市に行ってきました。

このだるま市、地元の小中学生には重要な年中行事で、うちの子供たちもその当時には学校が終わってから友達と待ち合わせて行ってました。
おじさんは実はちゃんと行くのが、今回が初めてです。

ということで、参道入り口の風景。新型肺炎のブームと、冬寒い小雨の影響か、閑散とした雰囲気が早くも漂っています。

参道には屋台が並んでいます。
それこそ全国からテキ屋が集まってきたかのような勢いです。
テキ屋にとっても最重要スケジュールの一つなのでしょう、このだるま市は。

しかしながら歩く人が少ない!

山門をくぐった境内にも屋台が密集しています。
というか、本格的なだるま屋の屋台は境内でこそ開かれているようです。
お寺とだるま市の共存共栄の関係の歴史がうかがえます。

境内にはさすがに人出もまあまああります。

古いだるまの納め場所もあります。

だるまの目入れ、にはマスク姿のお坊さんが並んでいます。

おじさんはそれこそ何年か、何十年か前に買っただるまを収め、新たに小型のだるまを買いました。

高崎から来たという夫婦がやっている屋台で買いました。
だるま屋の大将は「こんなご時世だから、人出は例年の3分の1」と言ってました。
まあ、こんな年もあるということでしょう。

帰ってから筆ペンで片眼を入れました。
1年間、仏壇の前で一家の幸運を祈ってもらうことにします。

小金井のパン屋・カンデル

武蔵小金井駅からほど近く、住宅地の一角にカンデルというパン屋がある。

個人住宅の敷地に小屋を建てて店舗としているパン屋だ。
釜とキッチンは小屋の裏手にあるらしい。

フランスのアルザス地方でパン職人の修業をしたという女性が焼いている。
月、水、金のみの営業。
昼休みも1時間取っている。
2012年に開業してから生き残っており、地域に根付いた店となっている。

ここのフランスパンは、今まで日本で食べたフランスパンの中では一番おいしいと、山小屋おじさんは思っている。

本場のフランスパン-バケットは、外側が香ばしく、中がモチッとして、小麦の香りがする。
ほかに飲み物があればと昼食の一食分になるようなパンだった。

フランス人がバケットを抱えて歩いている?のは伊達ではなく、十分「実用」に耐えうる食品なのだ、と思った。
その代わり1日たつとカチンカチンになった。
山小屋おじさん40年近く前の、パリ滞在時の思い出だ。

原料が違うのか、焼き方が違うのか、消費者の好みの問題か、日本で売っているバケットは、外側も含めてふにゃふにゃのものが多かった。
固めに焼かれたものでも、中のモッチリ感や香ばしさが足りなかった。

カンデルのバケットはフランスのバケットそのままではないが、かなり特徴を残している。
何よりその香ばしさがよい。

バケットだけではなく、菓子パンのカンデルちゃんをはじめとする代わり種もいくつかそろえている。
クリスマスシーズンにはシュトーレンなども店頭に並ぶ。

開店当初の何年間かは、店の売り子さんがアルザス地方の民族衣装をユニフォームにしていたことも思い出される。

これからも小金井を訪れた際には寄ってみたいパン屋さんである。