DVD名画劇場 オードリー・ヘプバーン ハリウッドに降臨!

アメリカ映画協会が1999年に、映画スターベスト100を選定。
女優部門で歴代第3位に選出されたのがオードリー・ヘプバーンだった。

初期のオードリーといえばこの作品。「ローマの休日」の一場面

「妖精」と呼ばれ、日本では現在でも特別な人気を誇るオードリーは、映画の本場アメリカでも評価が高いことがわかる。
今回はオードリーの出演作から、イギリス時代の1本、ハリウッドデビュー第1作と第2作を見ました。

「若妻物語」 1951年 ヘンリー・カス監督  イギリス

若き日のオードリーはバレエを習い、舞台に立つなど、のちのスター女優への経歴を歩んでいた。
イギリス時代には映画に数本出ている。

「若妻物語」はその中の1本で、オードリーはわき役のエキセントリックな娘を演じている。
170センチの背丈と、スマートというよりやせぎすの体躯と、オーバーアクションともいえる表情、演技が印象的な21歳のオードリーが見られる。

1950年代は、イギリス、フランス、イタリア、そして日本などでも映画製作が盛んだった。
イギリスではアレクサンダー・コルダなど有名制作者や、怪奇映画のハマープロなどが海外にも通用するメジャー作品を製作。
また、ブリテイッシュ・ノワールなどと後で呼ばれる、犯罪映画の作品群も作られていた。

「若妻物語」を見ると、当時イギリスでは、コメデイ風のホームドラマも作られていたことがわかる。
また、この作品でのユーモアのセンスもハリウッド映画のそれとよく似ており、俳優が大人びて地味な点、ギャグが常識的な点をのぞけば、アメリカ製のテレビドラマといわれてもわからないくらいの類似性を感じる。
英語圏の白人の文化の共通性なのだろうか。

この作品の舞台はロンドンの住宅地。
戦後数年は経過しているが庶民の生活は苦しい。
子供が生まれたばかりの主人公夫婦は知人の家に間借りしている。

間借りといっても当時の日本とは違い、腐っても大英帝国。
広い部屋が数間あり、互いのプライバシーは厳に守られている。
さらに大家はベビーシッターを雇っている。
イギリスのベビーシッターは料理、洗濯もするようで、夫人たちは家事、育児のアウトソーシングは当然だと思っている。

間借りしている若夫婦と、大家の友人夫婦、それにベビーシッターの老婦人らを交えた家庭の事情、まだ若い男女のこころとからだの問題、をコメディータッチで描いており、テンポもよくまた出演者も達者である。

オードリーは、戦争のどさくさで家と家族をなくしたのかどうか、若夫婦と一緒に居候している娘という役回り。
時々現れては周りをかき回す。
重要な役ではないものの、男嫌いでエキセントリックな若い娘像を精一杯演じるその姿に、女優への意欲を感じさせる。

「ローマの休日」 1953年  ウイリアム・ワイラー監督 パラマウント

製作兼監督のワイラーの強い意向により長期イタリアロケを敢行。
パラマウントとしてもイタリアで稼いだ映画収益を当時はドルとして還元できない事情から、現地での製作費に使うことは渡りに船だった。
ワイラーは、カラーで撮りたかったようだが、フィルムの輸送問題から断念したという。

主演の王女役に無名のオードリーを抜擢。
テストフィルムでの演技外の自然な笑顔が決め手となったという。

イタリアロケとオードリーの抜擢がこの作品を映画史上永遠のアイコンとした。

イタリアロケでの一場面。グレゴリー・ペックと

現実離れした逆シンデレラストーリーの原案はダルトン・トランボ。
赤狩りでハリウッドを追われた一人が作った夢の様な物語。

イタリアロケの空気感、新人オードリーの素を生かしたのは、監督ワイラーの功績。
名匠ながらも己のカラーに固執せず、万人向けの作品に仕上げたのは、ワイラーの性格の良さがなせる業か。

日本公開時のポスター

王女のふるまい、英語の発音ではロイヤルな演技をするオードリーだが、グレゴリー・ペックらとローマの街をデートするときの彼女は、素の若い女性。
表情豊かでうれしそうで、元気いっぱい。

王女らしさに拘る演出ならばカットされたであろう演技も敢えて通し、オードリーの初々しい魅力追及を主眼としたワイラーの慧眼。

名跡「真実の口」の場面では、手首がなくなったとだますペックに驚くオードリーの自然なリアクションが見られる。
このシーン、監督とペックが示し合わせてオードリーをだまして撮った一発OKのカットとのこと。
オードリーの大騒ぎして相手の胸を叩くリアクションは、王女のそれではなくて彼女の素である。

オードリーのハリウッド版シンデレラストーリーとして割り切った作品なので、怠けものの特派員(ペック)をいじめる編集長にも毒がなく、周りの登場人物は「すべて善意の人々」といった趣である。
それでいい。

初々しく、見ているこちらもうれしくなるようなオードリーの幸福期の作品。
初々しくも、今はやりの言葉で言えば「あざと可愛い」のだが、それでいい。

イギリス時代の映画を見ればわかるようにオードリーはすでに演技派である。
ハリウッド映画に出られてうれしいのは本心としても、逆シンデレラの王女役を張り切って演じるのは女優としての魂である。
女優という業の深い運命に選ばれ、そのために努力を惜しまず、また野心に溢れた若い外国人女性である。
まったくの素人ならばその後のハリウッドでの活躍もなかった。

監督ウイリアム・ワイラーの演出を受けるオードリー

制作者、監督のワイラー、相手役のペックともども「悪意」なくイギリスの新人女優を迎い入れており、まさに奇蹟的なオードリーのハリウッド第一作であった。

「麗しのサブリナ」 1954年  ビリー・ワイルダー監督  パラマウント

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロだったビリー・ワイルダーは、初期にコンビを組んでいた脚本家のチャールズ・ブランケットからこう評されていた。
『人間嫌い、死を連想させる不気味な感覚、冷酷さ、根っからの粗暴さ。』(オットー・フレードリック著、文芸春秋社刊「ハリウッド帝国の興亡」P567より)。

「深夜の告白」ではパラマウントの看板女優(バーバラ・スタヌイック)に金髪のカツラを被せ、バスタオル1枚で埃臭い屋敷に登場させ、「サンセット大通り」では往年の大女優グロリア・スワンソンを妄執の老女優とし、零落したバスター・キートンなどを実名で使い倒したワイルダーが、果たして「ローマの休日」でデビューした非アメリカ人のオードリーをどう扱うのか?

ワイルダーには「異国の出来事」で30年代のアメリカ映画の女神たるジーン・アーサーをベルリンの廃墟の中のバーで天井からぶら下げた前科もある。

運転手の娘サブリナ

「ローマの休日」に引き続きモノクロ作品。
ハンフリー・ボガートにウイリアム・ホールデンまで出ているこの作品がモノクロ。
何を企んでいる?ワイルダー。

財閥のお屋敷のお抱え運転手の娘が、財閥の御曹司である屋敷の息子と結ばれるというシンデレラストーリー。
ただし、ワイラーの「ローマの休日」と違って、シンデレラストーリーにも、新人女優の売り出しにも関心がないのがワイルダーの本音。
ワイルダーの「悪意」がいつ発揮されるのか?と、ヒヤヒヤしながら見ざるを得ない、オードリーのハリウッド第二作。

お屋敷には二人の御曹司がおり、運転手の娘のサブリナ(オードリー)は弟の方(ホールデン)に惹かれている。
三回離婚したチャラチャラした遊び人を演じるホールデンは「サンセット大通り」「第十七捕虜収容所」に次いでのワイルダー作品。
アメリカ財閥の御曹司のカリカチュアを楽しそうに演じている。

一方、兄は独身で財閥のCEOである真面目一方のビジネスマン。
演じるのはボギー。
真面目一方ながら、どこかズレたワイルダー流解釈によるアメリカのビジネスマンを演じる。

ボギーは、開発したプラスチック製のテーブルに乗っかってユラユラしたりもする。
ワイルダーとしてはズレたビジネスマンを演じさせたかったのだろうが、撮影中ボギーとの仲は悪く、それはボギーの死の間際まで続いたという。
ワイルダー流演出はどの俳優にも通じたわけではなかったようだ。

想像するにヒリヒリとした、悪い意味での緊張感に満ちたこの作品の撮影現場で、我らがオードリーの心境たるやいかばかりだったか。

不器用なボギーの愛を受け入れるサブリナ

運転手の娘として木陰からお屋敷のダンスパーテイをのぞいた娘時代。
パリの料理学校から帰って見違えるファッションに身を包み財閥の弟の車をUターンさせたドレススタイル。
、ダンスに誘われた時のドレススタイル。
実直な兄に心惹かれ、兄の会社で料理を作ろうとするときのパンツスタイル。
のちにサブリナファッションと呼ばれるオードリーのファッションが見られる。

ハリウッド流メイクによっても個性の消しようがないオードリーのオードリーらしさは、ワイルダーの毒によっても消されることなく、むしろその毒に拮抗して見せた。

エデイット・ピアフの「バラ色の人生」を原語で口ずさむオードリー。
そこにはハリウッドデビューしたばかりの初々しさを卒業し、次の段階へ挑むオードリーの意欲と逞しさがある。
ヒリヒリと悪い意味での緊張感に満ちた?撮影現場も案外オードリーには響かず、むしろ女優としての野心がすべてに勝っていたのかもしれない。

撮影期間中、ウイリアム・ホールデンとのロマンスのうわさもあったオードリー。
ハリウッドの女優として、なんと逞しいことか。

サブリナパンツに身を包んだオードリー

ワイルダー流のギャグは随所に見られ、「カサブランカ」のセリフをおちょくったり。
ただしもう一つボギーがノッていないのがこの映画の玉に瑕。

それにしても、ワイルダーのモノクロ作品は設定がコメデイだろうがロマンスだろうが、禍々しいスリラーの雰囲気を漂わせているのはどうしてなのだろう?

封切り当時の劇場プログラム表紙

DVD名画劇場 モダン!山中貞雄

山中貞雄という映画監督が戦前にいました。
脚本家を経て監督となり、20代のうちに26本の時代劇を監督。
28歳で出征先の中国で戦病死しました。

山中監督の作品2本を見る機会がありました。

「丹下左膳餘話 百萬両の壺」 1935年  山中貞雄監督  日活

片目片腕のニヒルな剣客・丹下左膳が用心棒兼ヒモとして、寄宿している射的屋の女将とともに、貰い子を巡って右往左往する作品。
もともとは異形の怪人として、数々の作品にフィーチャーされてきた丹下左膳に思いきった解釈を加えた山中監督の快作。

屈折した性格で、剣を抜けば神がかり、の怪奇派である左膳が、女将の尻に敷かれ、射的屋の座敷に寝そべっている。
女将(有名な芸者の新橋喜代三が演じて存在感十分)が得意の三味線で歌いだすとそそくさと逃げ出すといダメ亭主ぶり。
後の活躍の伏線とするために、ショバ荒らしのやくざを追っ払う時の颯爽とした動きの描写も忘れないが。

女将は「子供なんて嫌いなんだよ」といいながら次のカットで子供に飯を食わせている。
「竹馬なんていけません」と説教した次のカットで、嬉しそうに子供と竹馬で遊んでいる。
道場に通わせようとする左膳と、寺子屋だという女将が夫婦喧嘩。
次のカットで寺子屋へ通う子供。
脚本は十分に練られている。

人斬りのシーンの素早い凄惨さ、道場破りのシーンでのとびかかるような腰が入ってバネの効いた動き、は大河内傅次郎自身が持つ、目を見張るような凄さ。
これを最後まで封じて、子煩悩なヒモを演じさせる山中演出の新しさ。

タッチは乾いていないが日本流のソフィステイケーテッドコメデイのようだ。

大河内演じる左膳のコメデイアンぶりもいいが、女将さんを演じる新橋喜代三の貫禄、色気も存在感十分。
いいキャステイングだった。

「人情紙風船」 1939年  山中貞雄監督.  PCL

山中監督出征前の作品。
「あれが遺作では寂しい」と本人が出征中に述懐したという。

作品を貫く庶民目線(反権力)の精神を、細かいところまで練られた脚本で見せる。

長屋に住む落ちぶれた武士が、地位のあった父のツテを頼って権勢をふるう御家人に取り入ろうとするが相手にされない。
一方長屋の住人達には、目が見えるとしか思えない按摩がいたり、やくざのショバで賭博をしては逃げ回る職人崩れがいたり。

長屋の住人の描写がユーモラスでブラックで面白い。
落ちぶれた武士をあしらい続け、出入りのやくざを使ってまで排除する御家人と豪商の描写もシニックでリアリステックだ。

職人崩れが、豪商の放蕩娘を誘拐して、彼らの鼻をあかしたりもする。
が、庶民側の抵抗もここまで。
職人崩れはやくざの親分と果し合い、落ちぶれた武士は万策尽きて長屋で妻と心中する。

庶民目線の精神は、時代の暗黒を前にペシミステックな結末となる。
山中監督の「この作品が遺作では・・・」という述懐は、戦争に向かう時代の暗黒を色濃く反映した作品を遺作にはしたくなかったということなのだろう。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル② ジュデイ・ガーランドの時代

MGMアメリカ映画黄金時代シリーズです。
今回はMGMミュージカルのスター、ジュデイ・ガーランドの作品を選んでみました。

1939年に「オズの魔法使い」で17歳のジュデイがスターになってから、1950年にMGMとの契約を解除されるまで。
ジュデイ20歳代の作品群です。

「若草のころ」 1944年 ヴィンセント・ミネリ監督  MGM

時まさに第二次世界大戦真っ盛り。
ヨーロッパ、太平洋共に戦線をアメリカ軍が仕切り、枢軸国を追いつめんとしている時期。
アメリカ軍の攻勢がはっきりしていた時期とはいえ、戦時体制は軍事最優先。
一般国民はもちろんハリウッドも慰問や戦時国債のキャンペーンなどで撮影所を挙げて協力していた時代。

その時代に作られた「若草の頃」は、戦争に協力せざるを得ない国民感情を刺激しないような作風。
地道で伝統的な古き良きアメリカを静かに賛美した保守的な作品でした。

1903年の春から冬へのセントルイスの一家庭を舞台に、弁護士の父、しっかりした母(メリー・アスター)、長兄、四姉妹(次女がジュデイ・ガーランド、四女にマーガレット・オブライエン)の暮らしを追うホームドラマ。

製作はアーサー・フリード。
当時のMGMプロデューサーのトップで、ミュージカルの制作に腕を振るった。
別の顔ではセクハラとロリコンで有名なユダヤ人。

監督はのちにジュデイ・ガーランドと結婚し、ライザ・ミネリの父親となるヴィンセント・ミネリ。

マーガレット・オブライエン(左)とジュデイ・ガーランド

女系家族の中で浮いている父親。
メイドとの連携よろしく、美しく料理の得意な母親。
ボーイフレンドの気を引くことに夢中な長女と次女。
家族のマスコットとして可愛がられる三女と四女。

メリー・アスター(左)、ルシル・ブレマー(中)と

古き良き、おてんばのお嬢さんキャラを演じるジュデイ。
少しやせて娘らしさはあるが、本来の元気さ、パンチが出ていない。
戦時中の保守的ドラマにあっては、ジュデイ本来の破天荒な動きと、パンチの効いた歌声は時期尚早だったのか。

なお、三女、四女を巡る描写に、アーサー・フリードのロリコン趣味が濃厚に現れており、戦時中に製作された保守的なホームドラマにあっても製作者の公私混同は貫かれていたようだった。

「雲流るるままに」 1946年 リチャード・ウオーフ監督  MGM

さあ、戦争は終わった。
アメリカは戦勝国だ。

とはいえ戦後直後の1946年。
MGMが選んだ題材は、アメリカ人音楽家の第一人者、ジェローム・カーンの自伝だった。

保守的で堅実な題材である。
製作はアーサー・フリード。

作曲家カーンはそれまでイギリス人作曲家が幅を利かせていた舞台音楽の世界で、アメリカ人として初めて第一線で活躍した人。
ロバート・ウオーカーが演じる。

主人公の生涯の恩人に、作曲家のヴァン・ヘフリンとその幼い娘。
「シェーン」につながるヘフリンの頼りがいのあるざっくばらんな善人キャラがいい。
主人公と仲良くなるおしゃまな幼女の執拗な描写に制作者フリードの好みが反映している。

主人公らの活躍と変遷のドラマに舞台のシーンが挟まる。
舞台のシーンに、ジューン・アリスン、ジュデイ・ガーランド、アンジェラ・ランズベリー、フランク・シナトラのミュージカルスターが登場する。

ジュデイの登場シーンはヴィンセント・ミネリが演出したらしい。
皿洗いのバイトをしながらスターを目指す娘、というバックステージものを演じるジュデイは溌溂としている。
楽屋で出番を待つときの緊張ぶりを演じてもいたが、ジュデイの繊細な実像とオーバーラップするようで印象的だった。

「雲流るままに」のジュデイ

1927年、舞台「ショウボート」の大成功で主人公は大作曲家となり、ハリウッドにも招かれる。
一方成長したヴァン・ヘフリンの娘(ルシル・プレマー)は舞台女優を目指して家出をし、主人公らを心配させる。

成功した人物の苦労譚はハリウッドの得意な素材。
今回も無難にまとめている。

テレビのなかった当時、作曲家にとっても舞台で評価されることが、キャリアの出発点だったことがわかる。
舞台製作者の権限、ブロードウエイで売れたときの栄光、別枠として出てきた映画という存在。
1920年代のアメリカのショウビジネス界を背景に、作曲家カーンの半生を描いた作品だった。

「ハーヴェイ・ガールズ」 1946年 ジョージ・シドニー監督 MGM

サンタフェ鉄道が走るニューメキシコ。
西部の町にレストランを開こうと、ウエイトレスの一団(ハーヴェイガールズ)とともにやってきた経営者ハーヴェイ。
偶然同じ列車に乗り合わせたのは、新聞広告の花嫁募集に応じてやってきたジュデイ・ガーランド。

西部の町にはカジノと売春宿とキャバレーを兼ねた酒場がすでにあり、ボスと情婦(アンジェラ・ランズベリー)が支配している。
かたや堅気のハーヴェイレストラン。

「ハーヴェイガールズ」主題歌のオリジナルレコードジャケット

ボス一派からの嫌がらせにおびえるハーヴェイガールズ。
単身酒場の乗り込み、ボスに啖呵を切るのは、結婚相手に夢破れたその足で、ハーヴェイガールズに応募したジュデイ・ガーランド。
若く、生き生きとした動きを見せるジュデイだが、不自然に痩せた姿を見せるのはちょっと不本意。

劇中の仲良し3人組。右はシド・チャリシー

ガールズの面々(その一人にシド・チャリシー)は、飛び切りの美人ぞろい。
スターを目指しハリウッドにやってきた娘たちから、プロデューサー(この作品もアーサー・フリード)が腕によりをかけてセレクトした風がうかがえる。

「ガス燈」の不貞腐れメイド役でデヴューし、「緑園の天使」ではエリザベス・テーラーの姉を演じた、アンジェラ・ランズベリーは酒場の歌姫役。
可愛げのない貫禄たっぷりの押し出しも、このとき弱冠21歳。
酒場の舞台では下着のようなドレスで歌い踊る。
主人公、ジュデイ・ガーランドと向き合えば、身長、体の厚みともに圧倒的な体格の差を見せる。
この存在感が息の長い女優生活を生み、「ジェシカおばさんの事件簿」につながったのか。

貫禄のアンジェラ・ランズベリー(中央)

サンタフェ鉄道のSLを走らせる大オープンセットはさすが世界一の映画会社MGMの仕事。

町のボス相手に拳銃片手に単身乗り込み、乱闘シーンもこなす若き日のジュデイ・ガーランドも、そのコミカルな演技は愛嬌があるのだが、体の線の細さが弱弱しさを感じさせる。
どうしたジュデイ!本領発揮はまだか。

「サマーストック」 1950年 チャールズ・ウオルター監督  MGM

ジュデイ・ガーランド最後のMGM出演作。
舞台裏では何があったのか知らないが、結婚し、子供を産み、体つきもしっかりしたジュデイが溌溂と歌い踊る。
待ち望んでいたジュデイらしさが存分に楽しめる。

3代続いた農場の跡取り娘がジュデイ。
経営不振で農夫は出てゆき、演劇狂いの妹も出て行ったきり、メイドと二人健気に農場を守る。
そこへ妹が売れない劇団(主宰者ジーン・ケリー)を連れてくる。
納屋でミュージカルの稽古をし、興行を打つという。

農場を守りたいジュデイ、保守的な町の人々、浮世離れした劇団。
三者が入り乱れ、決して交わらないままドタバタが続く。

町のダンス大会は伝統的なフォークダンス。
見守りながらも決して交わろうとしない劇団員たち。
決して劇団員をダンスの輪に呼び込もうとはしない町の人たち。
日本でも田舎の閉鎖性云々が話題になるが、それどころではないアメリカの、西洋の地域間、階層間の断絶もさりげなく描かれる。

ジーン・ケリーとの一場面

やむに已まれぬ事情から劇団の面倒を見るジュデイだが、ひょんなことから自分のダンサーとしての才能に気づき、ジーン・ケリーとも打ち解けはじめ・・・。

興行直前にニューヨークへ出奔した妹の代わりに主役で舞台に立つことになるジュデイ。
圧倒的な歌と踊りがこれでもかと炸裂する。

ジュデイ、MGM時代最後の雄姿

MGM最後の出演作でジュデイの才能を存分に味わえたことを良しとするべきか。
もったいないと思うべきか。

小型ながらタンクのような体でファイトむき出し、演技がうまく愛嬌もある。
何よりパワフル。

この先、肝っ玉母さんのようなキャラもできたろうし、可愛い奥さん役も似合ったろう。
売れない芸人の奥さんとして苦労する役も案外にあったかもしれない。

この後、ワーナーで名作「スタア誕生」を残しジュデイ・ガーランドは永遠にスクリーンから姿を消した。

ジュデイの原点。グラムシスターズ時代(左)

DVD名画劇場 大都映画とハヤブサヒデト

大都映画という映画製作会社が戦前にあった。

集英社選書に「幻のB級!大都映画が行く」があって一読。
そこには、戦時体制で映画会社が3社に統合されるまで、松竹、東宝、日活、新興キネマと並んで邦画メジャー5社の一つに数えられた大都映画の発祥と解散までの貴重な経緯がつづられていた。

集英社選書 本庄慧一郎著 「幻のB級! 大都映画が行く」

作家、脚本家の著者はテレビ、広告業界でCM製作を手掛ける傍ら、「大都映画撮影所物語」という劇を執筆、好評を得た。
戦前のメジャー映画会社でありながら、現在では知られることの少ない大都映画に、親族が勤めていた縁を持つ著者が、その歴史を掘り起こし新書にまとめたのが本著である。

建築業界の風雲児としてのちに大都映画を創業した河合徳三郎の生涯から、大都映画のカラーである徹底した大衆路線と、戦前の企業統制により大都映画が解散するまで、仰天エピソードの数々がつづられる。

一代で名を成し、全身に入れ墨があり、関係者に慕われたという河合徳三郎。
映画会社の経営者としては、やくざ上がりの大映・永田雅一社長や、女優を妾にしたと公言して憚らなかった新東宝・大蔵貢社長、さらには京都に発祥し、やくざと切っても切れなかったマキノ映画から東映京都へとつながる人脈、に近いものがあろう。
東大新卒の城戸四郎を社長に据えた松竹や、実業家にして文化人の小林一三を元祖とする東宝とは毛色が異なる。

大都映画のモットーが「楽しく、安く、速く」であり、徹底した娯楽路線の作品を、粗製乱造と揶揄されるスピードで量産し、低価格で公開したのも、この「毛色」と深く関係していよう。

また、大都映画の本拠である巣鴨撮影所は、低賃金、過酷な労働環境ながら家族的雰囲気で、河合社長のもと一団結していたという。

大山デブ子、杉狂児、山本礼三郎、伴淳三郎、水島道太郎などのスターを生み、千葉泰樹、佐伯幸三などの監督を生んだ。

戦時統制により映画会社が統合された際、東宝、松竹と並ぶ第三社となるべく、大都は日活、新興キネマと合併し、大映映画が誕生した。
大映誕生の裏には永田雅一の「寝技」があったといわれるが、いずれにせよこの時点で大都映画は消滅した。

通算で1200本以上を製作した大都映画だが、現存するのはごくわずか。
ほとんどが戦災でネガごと灰塵に帰しているのは残念なことである。

最も、戦前の作品が現存しないのは大都に限ったことではない。
背景には、映画プリントを消耗品と考え、興行上映でボロボロになるまで使い切った後は、プリントを簡単に廃棄し、またネガを大切に管理していたとはいえない当時の日本映画界の慣習がある。
戦前の作品が海外(アメリカの日系映画館や、欧州のフィルム博物館など)で発見されることが多いのは、ことためもある。

大都映画のスター、ハヤブサヒデト

「怪傑ハヤブサ」  1948年  ハヤブサ・ヒデト監督

最初に断っておかなければならないのは、この作品が大都映画ではないことだ。
大都映画は戦前に消滅したのだから、1948年のこの作品が大都ではないことは自明だ。
ではなぜこの作品を見たのか。大都のスターだったハヤブサヒデトが出ているからだ。

1948年版「怪傑ハヤブサ」。中央の女優がヒロイン長谷川ひとみ

オートバイが疾走する。
燃える納屋に突っ込み、囚われのヒロインを曳きずり出す。
オートバイとその疾走は「月光仮面」に援用されているといわれる。
「少年ジェット」という番組もあり、オートバイで疾走する主人公の脇には並走するシェパード犬がいた。

ハヤブサというネーミング。
戦時中はビルマに展開した中島飛行機製の名機隼を擁した加藤隼戦闘隊があった。
山小舎おじさん幼いころのテレビ番組には「海底人8823(はやぶさ)」というのがあった。
最近では日本中が応援した気象探査衛星が愛称はやぶさだった。

オートバイとはやぶさ。
この二つのアイコンに彩られた主人公がハヤブサヒデトである。

ハヤブサの全盛期は大都時代の1930年代といわれる。
「怪傑ハヤブサ」は、戦後に、自らの演出で再現されたハヤブサアクションである。

そのアクションは、サーカスで鍛えた空中綱渡り・滑走と、オートバイ、格闘である。
モーターボートで疾走し、海に飛び込んでもいる。

実写で行われるそれらアクションは、どちらかというとジャン=ポール・ベルモンドの体を張った動きを連想させる。
アナログだからこそハラハラするアクションである。

ヒロインは長谷川ひとみという女優で美しい。
派手なパーマはともかく、当時の若い日本女性ならではのふるまいが好ましい。

DVD版は上映時間49分。
オリジナルは89分だそうで、約40分分がブツブツに切れておりストーリーがよくわからなくなっている。

が、いずれにせよ伝説のハヤブサヒデトを見られる貴重な記録である。

DVD名画劇場 D・W・グリフィスのハリウッドバビロン

無声映画時代に歴史に残る大作映画を作り、併せてクロースアップやカットバックなどの映画技法を編み出したアメリカ人映画監督がD・W・グリフィス。

ダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリン、メリー・ピックフォードと4人でユナイテッド・アーチスツという映画会社を立ち上げた。
ユナイト映画は今に続いている。

今回は、グリフィスの代表作2本を見た。

グリフィスの撮影風景

「国民の創生」 1915年  D・W・グリフィス監督  ユナイト

BGMもないサイレント映画。
3時間をどう過ごそうかと心配。
しかも字幕が文学的というか、セリフを表すのではなく、シークエンス全体の説明というかテーマを表す字幕となっており、最初は何が書いてあるのかわかりづらい。

それでも歴史的名作。
シッカリ映画的興味と興奮は味わうことができた。

まず、ヒロイン、リリアン・ギッシュの美しさ。
ついでアメリカの裏の歴史ともいうべき黒人解放の過程の裏面史が描かれていること。
KKK団と自由黒人急進派の激突のスリルとスピード感。
「国民の創生」は重層的に楽しめる映画だった。

リリアン・ギッシュ

映画は、南北戦争を挟んで、南部の家庭と北部の家庭の交流と運命に翻弄される姿を立軸に、黒人奴隷解放の流れと相克を横軸、にして進む。

南部の白人家庭に生まれた娘を演じるリリアン・ギッシュは、交流ある北部の青年に思いを寄せられ、戦争に翻弄された挙句結ばれる。
ギッシュは南軍の従軍看護婦になるなど波乱の歴史に気丈に立ち向かう娘を演じる。

戦争は北軍が勝ち、今に至るアメリカ権力と価値観の流れが形作られる。
黒人に対する処遇もこの時に形作られる。

奴隷として白人に従属するのが南部の黒人で、黒人自身もそれを望んでいた。
北部では黒人を開放し、程度の差はあっても白人と平等に扱うという方針。
南北戦争の結果、解放された黒人は「自由黒人」と呼ばれ、一部は急進化した。
南部支配のために北部権力者のコマとして南部に送り込まれた黒人もいた。

映画では、黒人解放に関するエピソードがつづられる。

白人の犯罪者を隊長とする北軍黒人部隊の、南部人に対する乱暴狼藉。
負けた南軍に対する融和政策を掲げるリンカーン大統領の北部急進派による暗殺。
白人との混血黒人を南部に送り込み、不正選挙で州副知事に祭り上げる北部急進派。
不正選挙の結果、州議会議員数は黒人議員101人、白人議員23人となり、逆差別が横行する。
北部出身の黒人たちによる南部の黒人へのリンチなどの乱暴狼藉、南部の白人への迫害。

南部白人家庭に押し掛ける自由黒人たち、娘らは地下に身を隠す。
うっかり一人で水を汲みに出た娘が、横恋慕する黒人に追いつめられた挙句、崖から身を投げる。

やむなく南部の白人たちが、白装束に身を固めて反撃に出る。
南部の女性たちが秘密裏に白装束を縫う。
KKK団の始まりだった。

南部出身のグリフィスは、自由黒人急進派の乱暴狼藉ぶりを執拗に描き、南部白人の反撃をヒロイックに描く。
現代の価値観では(特に映画などマスコミ及び表現手段では)「結果としての黒人差別は100%悪く」、また「KKK団は100%悪い」ことになっているので、この映画は、現在ではとんでもない独断と偏見に満ちた作品という評価だ。

とはいえ、アメリカ映画最大のヒット作の一つである「風と共に去りぬ」は、注意深く直截的な表現描写は避けているが、南部出身の原作者マーガレット・ミッチェルの価値観に沿った内容となっており、その精神は「国民の創生」とベクトルが同じである。

出演者ではリリアン・ギッシュのほかに、その妹役の少女の演技が印象的。
幼いころの突拍子もないふるまい、娘盛りになってからのコケテイッシュな振る舞いがいい。
グリフィスはスタジオで自分の周りに可憐な乙女たちを集めるのに熱心だったという。
その象徴がメリー・ピックフォードであり、リリアン・ギッシュだった。

主要黒人配役を、黒塗りの白人俳優が演じるなど、ムリヤリの演出が時代を感じさせるものの、この作品はグリフィス版「風と共に去りぬ」ともいうべき大河ドラマでもあった。

「イントレランス」 1916年 D・W・グリフィス監督  トライアングルフイルム

ハリウッド史上最大の作品なのではないか。

1話1作品は優に作れるスケールで、4話同時進行の1作品とした。
どの挿話もスケールがただものではない。
大セット、大エキストラは今後とも再現不可能な規模だ。

テーマは「不寛容」。
人間社会のおける不寛容な現実とその彼岸における幸福を追求している。

サイレント映画だが内容に沿ったBGMが流れる。
字幕のムズカシサは「国民の創生」同様。
これはグリフィス作品の特性か。

第1話は現代のブルジョワと労働者の話。
工場経営者の気まぐれで解雇になった労働者親子。
かわいらしく、無邪気な父思いの娘。
都会へ出て、父を失い、青年と知り合い、悪に染まった青年を改心させ結婚。
ところが青年が悪時代の流れで冤罪となり・・・。
無産階級の立場から現代社会の無慈悲を描くグリフィス。
その冷酷な現実描写が印象的。

第2は古代エルサレム。
イエスの誕生。
パリサイ人の宗教的不寛容。

第3話は16世紀パリ。
カトリーヌ・ド・メデイチの権力的野心と、それに振り回される王様たち。
結果のバルテルミー大虐殺。

そしてこの映画のハイライトたる、伝説の大セットと大エキストラによる第4話はバビロンとペルシャの戦い。

両側に像の彫刻を並べた祭壇に数十人の侍女が並んでダンスをするハリウッド史上最大の仕掛けによるバビロンの祝宴のシーン。
巨大な城門が開いて、馬が引く戦車が出入りする。
ペルシャ軍は巨大な投石器を運び、さらに馬の革で作った巨大な塔を運んできてバビロンの城壁を攻略せんとする。
この悪夢のような戦闘シーンの幻は、原寸大のセットを使った実写によって再現されている。
今後とも再現不可能な撮影。
これこそが「ハリウッドバビロン」の世界である。

伝説のバビロン実物大セット

バビロン挿話のヒロインは元気いっぱいの男勝りの娘。
美人だが自ら鎧をまとい、戦車を操り、弓を弾く。
まるでアニメの戦闘少女のようなキャラクターもグリフィスの作によるもの。
「国民の創生」同様、少女たちが魅力的な映画でもある。

ラストに向け、各挿話の山場シーンがカットバックされ大団円になだれ込んでゆく。
かくて16世紀のフランスでは大虐殺に至り、紀元前のエルサレムではイエスが処刑され、バビロンはペルシャに滅ぼされる。

唯一、現代では、冤罪の青年の罪は晴れ、処刑台からすんでのところで救い出される。
不寛容渦巻く人間社会ではあるが、希望は失うまいとのことであろうか。

DVD名画劇場 グラマー女優一代!ジェーン・ラッセル

ジェーン・ラッセル。
大富豪ハワード・ヒューズが自ら監督した唯一の映画「ならず者」でデヴュー。
その煽情的?な宣材写真が検閲に触れ公開が遅れた、という伝説を持つグラマー女優。
その代表作3本を見る機会があった。

ジェーン・ラッセル

「ならず者」 1946年 ハワード・ヒューズ監督 RKO

ジェーン・ラッセルのデヴュー作。
どんなにセンセーショナルな内容か?と思いきや、何ともとぼけた西部のヒーロー達が男の三角関係?を繰り広げる物語だった。

曲者すぎる出演者たちと若きジェーン・ラッセル

ウオルター・ヒューストン演ずるドク・ホリデイ。
トーマス・ミッチェル扮するパット・ギャレット。
新人ジャック・ビューテルのビリー・ザ・キッド。

男同士でのかみ合わないセリフ、繰り返される意味のない動作。
赤毛の馬にこだわり、たばこを取り合う。
彼ら3人の醸し出す、緩いというか、間延びしたというか、何ともいえない世界。

すっとぼけたウオルター・ヒューストンのキャラと、芸達者なトーマス・ミッチェル、素人っぽいジャック・ビューテル。
この3人に絡む男勝りの野生の女がジェーン・ラッセル。
最高に魅力的な女性なのだが、男たちはこのいい女をあっさり譲り合う、という不思議な展開。

これが「ならず者」の宣材写真だ!

ハワード・ホークスの監督で撮影が始まったこの映画。
当時、ジェーン・ラッセルに夢中だったスポンサーのハワード・ヒューズが、ホークスを更迭して自ら演出した。
監督が素人のヒューズだからなのか、ヒューストンの個性を出しすぎた?独特の演技が(監督を無視して?)冴えわたる。
一方で、監督の「ひいき」にもかかわらず、己の存在感を失わないジェーン・ラッセルがただものではない。

ジェーン・ラッセルの印象の強烈さはヒューズ監督にとってもこれが本望か。
記念すべきはジェーン・ラッセルの伝説が、この映画でスタートしたこと。

「腰抜け二挺拳銃」 1948年  ノーマン・Z・マクロード監督    パラマウント

ジェーン・ラッセルのネット上のフィルモグラフィによると、彼女の第2作目。
ご存じ、ボブ・ホープの腰抜けシリーズのゲストヒロインとして登場。
有名なこの映画主題歌「ボタンとリボン」は劇中ホープの弾き語りで歌われる。

テクニカラーの画面に当時25,6歳のジェーン・ラッセルのドレス姿が映える。
女ガンマンスタイル(カラミテイジェーン役)で、時にはガンアクションを披露。
時にはカラフルなドレス姿でホープとのラブシーンもどき、と活躍するラッセル。

映画は西部を流れるインチキ歯医者に扮するホープが、インデイアンにダイナマイトを横流ししようとする悪漢たちと、それを取り締まろうとする州政府の攻防に巻き込まれ、たわいないギャグとトークで場をつないでゆく、というギャグアクション。

調子がいいだけのインチキ弱虫のお馴染みのキャラを全盛期?のホープが演じる。
まだ若い動きの良さと、毒の薄いギャグのマシンガントークが切れ味いい。

主題歌ボタンとリボンのオリジナルレコードジャケット

ラッセルは、男にこびず自力で世を渡ってゆくカラミテイ・ジェーンのキャラクターが似合う。
「ならず者」でのキャラクターの延長線上の役柄。
ホープのギャグ映画でのびのびとヒロインを演じている。
全編が大掛かりなコントのようなこの作品で、唯一見ごたえを感ずることができる存在感を示した。

「紳士は金髪がお好き」 1953年 ハワード・ホークス監督  20世紀FOX

ラッセルのデヴューから7年目の作品。
現在ではむしろマリリン・モンローの主演作として認知されているこの作品だが、クレジットの順番はラッセルがトップ。
その存在感はいや増していた。

マリリン・モンローとのそろい踏み。左は「紳士」たち

テクニカラーによる原色の背景と衣装。
のっけからラッセルとモンローのご機嫌なダンスから映画は始まる。

ラッセルとモンロー扮する踊り子二人が船に乗り込み、金持ちの紳士たちを篭絡せんとするストーリー。
乗り込んだ船で同乗のオリンピック選手団とラッセルが意気投合し、歌い踊るミュージカルシーンが楽しい。

スタイル抜群

ラッセル扮する姉御は余裕たっぷり。
発達の良い脚線美も豪快だが、踊りもゴージャス。
若いモンローの踊りやふるまいに、かわいらしさと繊細さを感じさせるのとは対照的。
どちらもいい。
ホークスのはっきりとした演出はラッセルのキャラにあっている。

DVDのカバーはモンローをフィーチャー

この3作品を見ると、ジェーン・ラッセルはアメリカ女性らしく堂々たる体躯を誇った典型的なグラマーではあるが、スキャンダルの間を泳ぐような煽情的なハリウッド女優ではなく、むしろさっぱりとした開放的な性格の女優であると思わせる。

デヴュー作でスカウトされた富豪ハワード・ヒューズにもなびかなかったというし、スキャンダル史上にその名もない。
むしろ「紳士は金髪がお好き」撮影中に、繊細なモンローの代わりにマスコミの矢面に立つという「男らしさ」を示したというエピソードが物語る、開放的で姉御肌に富んだ女優だったようだ。

だからこそそのさっぱりした性格が、ラッセルをしてハリウッドのセックスシンボルとなしえなかった。
各年代のセックスシンボルと呼ばれた、クララ・ボウ、ジーン・ハーロー、マリリン・モンローが持つ、幼児性、神秘性、背徳性、煽情性に寄らず、常識的で大人の女性だったのだろう。

DVD名画劇場 ユニバーサル・ホラー3連発!

今回は1930年代に映画会社ユニバーサルが製作したホラー映画3作。

この時代、ユニバーサルは、吸血鬼ドラキュラ、フランケンシュタインの怪物、ミイラ男、狼男などを題材にホラー映画を連発し、ヒットさせた。

吸血鬼や狼男は古くからの伝説が題材。
フランケンシュタインは原作ものだった。
それらをハリウッド式に(再)映画化したのがユニバーサルで、ドラキュラを演じたベラ・ルゴシ、フランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフは、永遠のハリウッド・アイコンとなった。

「魔人ドラキュラ」 1931年  トッド・ブラウニング監督  ユニバーサル

吸血鬼伝説はヨーロッパに古くから伝わり、またドイツで「ノスフェラトウ」、デンマークで「吸血鬼」の、古典ホラーの名作となる映画化がされていた。

ハリウッドでの最初の(おそらく)吸血鬼ものの映画化。
主演のベラ・ルゴシは舞台で吸血鬼を演じてヒットさせていたという。
この映画のヒットで、ドラキュラのスタイルを確立させた。
死んで棺桶に入った時のベラ・ルゴシの服装もドラキュラスタイルだったとのこと。

ストーリーは中欧トランシルバニアのドラキュラ城に、不動産賃貸借の契約にやってきた若者が、ドラキュラに襲われて子分となる。
子分はドラキュラとは異なり、人間の血は欲せずクモやネズミの血を欲し、また日の光にも耐えられる。
この子分の助けで、トランシルバニアの土を入れた棺桶ごと、船でロンドンへ渡る。
精神病院へ収容された子分を夜な夜な呼び出し手助けさせ、ドラキュラはロンドンの上流階級に食い込む。
狙いは上流階級の令嬢。
眼力でを虜にし、毒牙にかける。
そこに立ちはだかる超常現象専門の博士(巻き舌が激しいドイツ訛り)。
その対決の結末やいかに!

ベラ・ルゴシのドラキュラ

ベラ・ルゴシの眼力。
スポットライトを目に当ててのクロースアップ。
狂気すれすれの表情。

蝙蝠に身をやつし、どこへでも侵入する。
人の常識や好意につけ込み躊躇なく悪を行使する。

古くは疫病、現在のコロナ禍にも例えられるであろうその災禍。
人間が抵抗できないさまは、宇宙人の侵略にも例えられようか。
現代に在っては、無意識に人々を洗脳する悪意の情報操作にも通じる。

意のままに操られる子分。
苦もなく陥落する美人令嬢。
常識に縛られ、右往左往するだけの婚約者青年。

ドラキュラに敢然と立ち向かうのが超常現象専門のヘンデキング博士。
ドラキュラが鏡に映らなかったり、トリカブトに弱かったり、十字架に致命的だったりを次々と暴き、令嬢を守らんと、ドイツ訛りで訥々と周りを説得する。

「吸血鬼の強みは、自らの存在が迷信だとおもわれていること。」だと喝破し、科学文明に支配された現代の隙間で悪を行使せんとする勢力を見抜き、けん制し、征伐する博士が頼もしい。

ヨーロッパ文明の深いところに由来する伝説のせいか、ハリウッド製吸血鬼映画は、けれん味に徹した切れ味に乏しく、ヨーロッパの歴史に遠慮した風が見られる。

「フリークス」で歴史に残るカルトムービーの原祖となったトッド・ブラウニング監督の手腕は、ドラキュラ城の埃っぽさや、吸血鬼を迷信と信じながら惑わされる現代人の不安、などの演出に非凡さを発揮はしたが。

吸血鬼伝説と現代の相克については、先の映画化「ノスフェラトウ」「吸血鬼」はもちろん、のちのイギリスハマープロによる映画化「吸血鬼ドラキュラ」や、ポーランドからの亡命者ロマン・ポランスキーによる「吸血鬼」、さらにはアンデイ・ウオーホル「処女の生血」など、面々と製作され続けた歴史上の吸血鬼映画全体の検証を待たなければならないのかもしれない。

「フランケンシュタイン」 1931年  ジェームス・ホエール監督  ユニバーサル

ベラ・ルゴシがドラキュラのイコンであったとしたら、ボリス・カーロフはフランケンシュタインの怪物の元祖となった、そのメークによって。

カーロフはこの作品にクレジットされていない。
モンスター役の俳優名は「?」となっている。
冒頭、ユニバーサル映画のタイクーン、カール・レムリからのメッセージが映される「耐えられない人がいましたら、今のうちにご退場ください」と。

おどろおどろしい古い風車を改造した研究室。
嵐の夜、雷が鳴り響く。

ここら辺の演出は、その後のフランケンシュタインものや「バックトウザフーチャー」に至るまでのハリウッド式「研究室」のお約束、となった。

背むしの助手は死刑囚だった人間で名前はフリッツ。

墓場から死体を盗み、大学から脳を盗み出すのはフリッツの仕事。
監獄に戻すぞ、と脅かされながら仕事をするが、盗む予定の善人の脳を取り落とし、あわてて犯罪者の脳を持って帰るなど仕事ぶりはいい加減だ。

フランケンシュタイン博士は決してマッドサイエンテイストというわけではないが、裕福な家庭と美人の婚約者を今は顧みず、異端で先進的過ぎる自分の研究結果を最優先することに取りつかれている。

怪物が生まれ、脱走してからが映画の本題。
犯罪者の脳を持つ怪物だが、人間の心を併せ持つ。
村人に徹底的に排除され、攻撃される怪物だが、邪気のない心を持った幼女とは一瞬の交流を持つ。

一方、改心したフランケンシュタイン博士は婚約者と結婚を決意。
結婚式当日、着飾った花嫁に迫る怪物。
村では怪物に湖に投げ込まれ、水死した娘を抱いて復讐を誓う村人が群れ始める。

映画はマッドサイエンスの悲劇を怪物自らの悲劇を通して描いている。
無自覚な群集心理の恐怖とマッドサイエンテイストへのしっぺ返しもしっかりと。
吸血鬼もののように歴史と伝統の世界ではなく、現代科学と群集心理、人間の感情の世界なので、ハリウッド映画は存分にその力を発揮している。

カーロフはそのメイク姿で怪物の歩き方、動き方をよく表現している。

フランク・キャプラの「毒薬と老嬢」では、そっくりな怪物とドイツ訛りの博士(ピーター・ローレ)を登場させ、作中の相手人物に「ボリス・カーロフ?」と何度も言わせていた。
「ヤングフランケンシュタイン」などでも再映画化されている。

「フランケンシュタインの花嫁」 1935年  ジェームス・ホエール監督  ユニバーサル

前作では「?」だったボリス・カーロフがトップにクレジットされている。
いかに人気が出ていたかがわかる。

前作で村人の襲撃により水車とともに燃えつきた、はずの怪物が生き残っていた。
かたやマッドサイエンスから足を洗って村の有力者として暮らしていたフランケンシュタイン博士のもとに、本物のマッドサイエンテイストが近寄る。

このマッド博士は、なんと瓶の中に人間を発生させている。
この描写がすごい、撮影技法もだが、コンセプトが完全に科学を逸脱して、伝奇の世界に行ってしまっている。
悪夢のようなシーンだ。

マッド博士に半ば脅迫されてフランケンシュタイン博士は再び人造人間をつくる。
今度は若い女性の死体で。
この人造人間、「メトロポリス」のマリアのようにも見える。
ぶっ飛んだキャラクターで、伝奇性は瓶の中の小人とどっこいどっこい。
その後の映画で再登場はしていないのはなぜか。

「花嫁」と怪物

一方、カーロフ扮する怪物の方は、村人に追われ、捕まったりしながら小屋に逃げ込む。
そこには盲目の世捨て人のような老人が住んでおり、怪物の人間性と感応して穏やかな一瞬を過ごす。

女版人造人間はまマッド博士が怪物のパートナーとして作ったが、二人は結ばれることはなかった。

カーロフのフランケンシュタインの怪物役は1939年の「フランケンシュタインの復活」をもって終了。
この3作をもってカーロフの怪物役は永遠のハリウッド・アイコンとなった。

DVD名画劇場 若き日のアヌーク・エーメ

アヌーク・エーメはフランスの女優。
1932年パリに生まれる。
両親はユダヤ系の舞台俳優だった。

戦時中はユダヤ人迫害から逃れるため地方に疎開したり、ドイツ占領中は黄色の星を胸につけるのを避けるため、母親の姓を名乗ったりした。

1947年、パリでスカウトされ映画デビュー。
イギリスにわたり演劇学校に通った。
この度見ることができた「火の接吻」は出演3作目に、「黄金の竜」は4作目に当たる。

若き日のアヌーク・エーメ

代表作は「モンパルナスの灯」(1958年)、「甘い生活」(1960年)、「ローラ」(1961年)「8 1/2」(1963年)。
そして「男と女」(1966年 クロード・ルルーシュ監督)。

この「男と女」の美貌の未亡人役で強烈な印象を残す。
山小舎おじさんなどはリバイバルで見て、その音楽と映像、そしてアヌーク・エーメに魅せられ、陶酔し、上映していた映画館の風景ともども夢に出てきたほどだった。

もっと若い日のアヌーク・エーメ

「火の接吻」 1949年 アンドレ・カイヤット監督 フランス

アヌーク16歳の作品。
当時新鋭のアンドレ・カイヤット監督。
共演にセルジュ・レジアニ、ピエール・ブラッスール、マルチーヌ・キャロルと一線級のスタッフ、配役による大作である。

映画セットでの主人公二人

舞台は戦後のベニス。
子供や少女が街角で物売りをし、アヌークが当家の娘を演じる貴族?の家系のお屋敷は没落していかがわしいブローカーまがいの男(ブラッスール)に牛耳られている。

ベニスの映画スタジオでは「ロミオとジュリエット」が撮影されようとしており、プロデユーサーが主演女優(キャロル)を連れて小道具の骨董品を探しに、アヌークの屋敷へやってくる。

ベネチアガラスの職人アンジェロ(レジアニ)とアヌークがスタジオに潜り込み、ロミオとジュリエットの代役に採用される。
二人は一目で恋に落ち、物語の舞台・ベローナでのロケを通して親密になる。

一方で、アヌークとの結婚を条件に没落屋敷に出資していたブローカー、彼の支援に頼るアヌークの両親、屋敷のメイドらが入り乱れ、絡む。
ロミオとジュリエットよろしく若い二人が悲劇的な結末を迎える。

「火の接吻」所蔵のDVDセット。中央がアヌーク・エーメ

映画では芸達者たちがさまざまなエピソードを披露している。
悪徳ブローカー役のブラッスールは悪ふざけ寸前の精力的な動きでわかりやすく卑小な悪人を演じる。
最後にアンジェロの代わりに撃たれて死ぬ場面では、見ているこちらも溜飲が下がり思わず笑ってしまう程の怪演。

屋敷のメイドとして20年仕えているレテイシアという老女もぶっ飛んでいる。
元判事の気弱な主人の隠れた愛人兼慰め役として屋敷に君臨しており、戦争で気がおかしくなった下男で判事の従弟を手なずけてもいる。
アヌークのベローナロケにはメイドとしてついてゆくが、道中のバスから出演者らと仲良くなり、アヌークなど放っておいて勝手に盛り上がる。
演じるはマリアンヌ・オズワルドという女優。
これも怪演中の怪演。

上流階級の内幕をブラック風に描くところはルイス・ブニュエルの映画のようであり、ブラックをギャグ寸前にまで徹底した演出。

劇中でまともでさわやかなのはアヌークとレジアニ扮する若きカップルだけである。
二人はベローナのロミオたちの墓守(訪れるファンのレターを毎日燃やすのが日課)に祝福され、ジュリエット役のマルチーヌ・キャロルにその恋を応援される。

DVDセットの解説欄より

ロケの合間に川で泳ぐ二人。
スカートをまくって川に足を漬けるアヌーク。
レジアニが誘うと、後ろを見ていてと言って服を脱ぐ。
偶然通りかかった墓守が驚く。
服で体を隠し、墓守が去った後、裸で川に飛び込む。

当時のハリウッド映画では不可能なシーン。
新人のアヌークだったからできたシーンだろうし、映画の本気度とそれにこたえる10代のアヌークの意欲を感じる。

「火の接吻」よりアヌーク・エーメ

アヌークはまた、ジュリエットの衣装から透ける足、ネグリジェから透ける胸、悪徳ブローカーに襲われて服が破れる場面など、容赦ないカイヤット監督の演出に体を張って応えている。
女優として生きる覚悟が感じられる。
フランス映画の写実的というか、芸術至上的な傾向も。

相手役のセルジュ・レジアニは、のちの「肉体の冠」(1952年)などが印象的な若き演技派。
当時27歳。

なんといってもアヌーク・エーメの若さ、美しさはセンセーションであったろう。
その彼女のキャリアの出発点となった作品であった。

「火の接吻」のアヌーク

(おまけ)

監督のアンドレ・カイヤットは弁護士から映画監督に転身した変わり種。
代表作は「裁きは終りぬ」(1950年)、「洪水の前」(1954年)、「眼には眼を」(1957年)、「ラインの仮橋」(1960年)。
ヴェネツイア映画祭で2度のグランプリを受賞するなど国際的な評価が高い。

ところが最近名前を聞かなくなった。
2003年刊の集英社新書「フランス映画史の誘惑」にもその名前が掲載されていない。
「フランス映画の歴史と全体像を簡潔に読みやすく紹介すること」(同書P14)を目的とした同書に於いてさえ。1964年刊の岡田真吉著「フランス映画のあゆみ」には当然ながらその名が掲載されているが。

2003年刊「フランス映画史の誘惑」にカイヤットの名はない

特にフランス映画史については、いわゆる「カイエ・デユ・シネマ」派の論評が現在の主流というか、流行であり、彼らの好みが日本の研究者・評論家たちにも大いに影響している現状がある。

カイエ派がカイヤットの存在あるいは作風を嫌ったのかどうか。
俳優の演技力に立脚し、脚本の構成力ありきのカイヤット作品は確かにカイエ派の好みではないのだが、映画史から抹殺するにはもったいない力量を持っていることは確かなのではないか。

1964年刊の「フランス映画のあゆみ」にはカイヤットの名がある

「黄金の竜」 1949年 ロナルド・ニーム監督 イギリス

製作は「第三の男」のアレクサンダー・コルダ。
監督はのちにハリウッドで「ポセイドンアドベンチャー」を撮ったロナルド・ニーム。
ブリテッシュノワールと呼ばれる戦後のイギリス製犯罪映画の1作。

トレバー・ハワード扮する英国のエージェントが北アフリカのチェニジアで、発掘された遺跡をイギリスへ運ぶために現地へ向かう。

イギリスのエージェントという物々しさ、植民地?の遺跡を勝手に運び去るという帝国主義的ふるまい、にイギリスらしさが覗く。
チェニジアってフランスの植民地ではなかったか。

チェニジアでロケをしたという作品。
現地の市場の風景などには歴史的映像価値がある。

エージェントがたどり着く辺境のバー兼宿屋の若き女主人がアヌーク・エーメ、当時17歳。
初々しいが謎めいていて大人の落ち着きもある。
トレバー・ハワードは中年丸出しで、アヌークの相手役にはふさわしくないし、アクションシーンも似合わない。

プログラムピクチャーのパターンを踏襲。
訳の分からぬ現地人、堕落して悪に染まった白人に正義の主人公が立ち向かう。

アヌークの役は、心ならずも戦乱の本国(フランス)を離れた傷心のヒロインとして、のちの映画で言えば007のボンドガールのイメージか。
なるほど、若々しいセパレートの水着姿も見せる。
謎めいた雰囲気も消え、海で遊び、ヨットに乗って、エージェントにすっかりなつく若い女の子の姿。。
そんなアヌークもまたいいけど。

ブリテッシュノワールと呼ばれるジャンルが映画史上にあることを知りました。
のちのスパイもの、007とはどうつながっているのかな。

DVD名画劇場 黒澤明初期作

黒澤明の「酔いどれ天使」と「野良犬」を見た。
黒澤は戦時中の1943年に「姿三四郎」で監督デビュー。

「酔いどれ天使」と「野良犬」は1948年から1949年にかけて発表した作品で、それぞれ、黒澤監督の初期の代表作であるとともに、盟友三船敏郎と組んでの一作目と三作目でもあった。

「酔いどれ天使」 1948年 黒澤明監督  東宝

記念すべき黒澤×三船のコンビ第一作。
同じく主演には黒澤組の番頭格・志村喬。
脇で山本礼三郎、千石規子、木暮実千代などが強烈で達者な演技を示す。

戦後直後の闇市。
どぶのような沼のほとりに闇市と、キャバレーと診療所が集まっている。

診療所の飲んだくれだが一本気の医師(志村)と、闇市を取り仕切るやくざ(三船)。
やくざの情婦(木暮)。
闇市の飲み屋の妻(千石)。
そこへ刑務所を出たやくざの親分(山本)が現れる。

三船演じる若いヤクザ。
戦争に生き残ったが、身寄りは空襲で全滅、家もなく、もとより子どものころから軍国主義教育で育ち、戦後の価値観にもなじめず、自暴自棄で闇市に生きる場所を求める・・・というこれまでの半生が透けて見える。

威勢よく肩で風を切ってはいるが、実はヤクザになり切れぬ人間性と不器用さが内在している。
そのことは劇中で千石扮する飲み屋のおかみに見抜かれる。

時代背景としての闇市、やくざ、キャバ嬢などがやるせない虚無感をもって描かれる。
戦中を過ごした黒澤の心情がそこに現れる。
個人の思いなどではどうしょうもなかった戦中戦後の混乱と価値観の転換に対する諦観なのか。

新人だった三船の存在は光っている。
自らも航空隊の生き残りとして外地で戦った経験を持つ三船のほほのこけた顔つき、ギラギラしたまなざしが、闇市のセット等よりもよほど戦後のイラつきを的確に表している。

どぎついメイクも映える木暮実千代(左)。センスのデザインも黒澤らしい

木暮の情婦ぶりもいい。
若い木暮実千代がどぎついメークと安っぽいドレスに身を包み、場末のキャバレー嬢を演じる。
まるで清純派のアイドルが無理やり安っぽく派手なメークをしたようなアンバランスな魅力にどっきりする。

三船の情婦だった木暮が親分の情婦に乗り換え、弱った三船を見捨てる。
同じくイノセントな戦争の犠牲者同志の裏切り合いという絶望的な状況を三船とともに演じる。
木暮実千代の若さと美貌が哀しく戦後時代の側面を表す。

志村の酔いどれ医者のキャラクターは定型的であり、「正義、正論」を好む黒澤らしい。
志村のもとに通い、肺病から回復する女学生(初々しい久我美子)とともに黒澤が信ずる正義・正論の象徴として描かれる。

ラストの三船と山本のやくざ同士の殺し合い。
ペンキにまみれ、もがくような争い。
やくざと暴力を決して肯定はしない黒澤の意志が徹底している。
東映やくざ映画のように暴力による解決をカタルシスとして描くようなことはしない。

沼のほとりで夜ごと奏でるギター。
やくざの親分が弾くギター。
キャバレーのシーンでは黒澤監督が作詞したオリジナル曲がブギの女王・笠置シズ子によって歌われる。
音楽に親和性の持つ黒澤監督の本領が随所に発揮される。

「酔いどれ天使」とは、一見志村医師のことかと思いきや、三船のことだった。
いやどちらも天使なのだろう。

「野良犬」 1949年 黒澤明監督  新東宝

さあ黒澤明初期の傑作「野良犬」だ。

当時、黒澤が本拠としていた東宝撮影所では争議が行われており、最終的には組合側が撮影所を占拠。
撮影できる状況ではなく、組合員のスタッフ、俳優は劇団を組んで巡業し闘争費用を賄ったという。
組合シンパの黒澤も応援演説や、劇団巡業に参加したとのこと。

争議はGHQの介入により組合側の敗退で終結し、のちに会社側による大規模な人員整理を伴った。
東宝撮影所は機能不全となり、組合脱退者で作られた新東宝のスタジオなどで細々と撮影が行われた。
この時期、黒澤明は新東宝で「野良犬」を、大映で「羅生門」を撮影している。

「野良犬」が傑作なのは、まず作品に一本の芯が通っていること。
拳銃をスられた刑事が失くした拳銃を追うのが主軸となって映画が進み、そのスリルが観客を引っ張ってゆく。
様々な挿話、描写、キャラクターが登場するがすべて主軸のストーリーに収れんしてゆく。

また、冒頭にナレーションによって事の起こりが説明される。
これは観客を主軸のストーリーに集中させる無駄のない手法である。
断定的なナレーションによる導入はこの作品を無駄のないストーリーテリングとした。

三船は「酔いどれ天使」の時より落ち着き、俳優らしい表情を見せる。
デビュー作「銀嶺の果て」(1947年 谷口千吉監督)の得体のしれない凶暴なだけの存在からは俳優としてかなり成長している。
野性味は並行して減少したが。

共演の志村喬。
ベテラン刑事役でくだけた演技も見せる。

注目の千石規子は拳銃密売グループの女役。
警察の取調室では安っぽいワンピースの胸元を広げ、足を投げ出して不貞腐れた女を好演。

ほかにも、岸輝子、河村惣吉、伊藤雄之助、高堂國典、東野英次郎、菅井一郎、千秋実、飯田蝶子らが集結し、重要なわき役からちょい役までを務める。
この贅沢な配役は東宝争議で作品数が減少し、俳優陣の出番の少なくなった時期だったからか?

俳優陣は若く、やせている。
三船と犯人役の木村功は必死に走り回り、「三等重役」の河村惣吉はスリ課のベテラン刑事を存在感たっぷりに、岸輝子はまさかの女スリ役を嫌みたっぷりに、菅井一郎はスケベな安ホテル支配人を軽薄に演じる。
それぞれが全盛期?の達者な演技。
これが見られるだけでもぜいたくで貴重な時間である。

大人っぽいメイクの淡路恵子(右)

そして犯人につながる重要な踊り子の役に当時16歳の淡路恵子。
かなりのセリフと演技をこなし、大物感を漂わせる。
彼女も木村同様戦争の犠牲者であり、若い淡路恵子はその哀しさも表現している。

淡路をスカウトした黒澤明の慧眼。
黒澤明はやはり映画の神様に愛された映画人だった。

戦争の混乱と、人生を翻弄された人々。
復員の途中で荷物をスられた二人(三船と木村)が片や刑事に、片や犯罪者に、と道が分かれる。
三船の逆境に負けない正義感が作品の主軸を貫くのだが、一方で木村に代表される若き犠牲者たちへの視線も忘れないのは、戦争の時代を潜り抜けてきた黒澤のヒューマニズムか。

物語の構成、スピード感、俳優の精一杯の演技、時代背景。
どれをとって第一級の出来でしかもわかりやすい。
全世界に通用する作品。

(おまけ)

1981年から2年にかけて4か月ほどパリに滞在した山小舎おじさん。
アルバイトが休みの日は「パリスコープ」という情報誌を片手に映画を見て歩いた。
パリでは古今東西の映画が町中の映画館などで上映されており、映画ファンにとっては夢のような場所だった。

「パリスコープ」の映画紹介欄は、映画の題名を原語表記もしてあった。
「野良犬」ならばフランス語の題名に並んで「NORAINU」の表記があった。

また、「パリスコープ」を毎週見ているとの、同じ作品が途切れずに毎週上映されているのに気が付いた。
覚えているのは「道」、「炎のランナー」、「注目すべき人々との出会い」など。
それらが当時パリで常に観客を集めている映画なのだった。

その中で「野良犬」もよく見る題名だった。
やはり世界で通用するエンタテイメントだと思った。

DVD名画劇場 オーソン・ウエルズと仲間たち

ハリウッドの「最高傑作」をひとつだけ選ぶということが可能なら、「市民ケーン」を選ぶのが順当なのではあるまいか。(1986年オットー・フリードリック著「ハリウッド帝国の興亡」訳書P133)。
と評される「市民ケーン」。

若き日のオーソン・ウエルズがRKOスタジオと契約して発表した当時(1941年)の問題作である。
この作品では、ウエルズが主催していたマーキュリー劇団の盟友ジョセフ・コットンが共演している。

若き日のオーソン・ウエルズ

また、48年には英米合作で「第三の男」が発表されており、再びオーソン・ウエルズとジョセフ・コットンの共演が実現している。

「市民ケーン」 1941年 オーソン・ウエルズ監督 RKO

親元を離れ育ち、大人になってから莫大な遺産を相続したケーン(オーソン・ウエルズ)が主人公。
先ず新聞社を買収してマスコミ業に乗り出す。
独自の(偏った)論陣を張り自己を主張。
財力に物を言わせて片っ端から新聞社、ラジオ放送局を買収してゆく。

経営者となってからは、労働者側からはファシストと呼ばれ、資本側からはコミュニストとそしられる。
自らの新聞を使って世論をもてあそび、追従者を翻弄、恫喝して陰湿な権力をもてあそぶ。
州知事選挙にも出馬するが、ここでは政治の世界の悪辣さにガツンとやられたりもする。

州知事選出馬のシーン.

孤独なケーンは女性関係も危うく、良家の子女との最初の結婚は全くうまくゆかない。
つぎに下積みのオペラ歌手を見染めて結婚。
才能のない妻を自ら建てた劇場で主演させ、自らの新聞で絶賛する。
大学時代からの友人で、最初の新聞社買収の時にスカウトしたリーランド(ジョセフ・コットン)は、ケーンの妻の絶賛記事を書かずにケーンからクビになる。
自分のためには長年の盟友もあっさり切るケーン。

ロサンゼルス郊外にザナドウと呼ばれる御殿を作る。
その中には御殿のほかに動物園まであった。
晩年のケーンはザナドウに閉じこもり、妻はパズルに明け暮れ時間を潰した。
やがて妻は出てゆき、ケーンは「ローズバット」という言葉を残して死ぬ。

係る新聞王の一生をドキュメンタリーにまとめようとした映画班が、ケーンの最後の言葉「ローズバット」にこの人物の謎を解くカギがある?として、ケーンの生前の関係者に当たってゆく、というのがこの映画の基本設定。
そこに過去の回想シーンが挟まってゆく構成で映画が進む。

新聞王と呼ばれ、映画女優マリオン・デイビスを愛人にしたウイリアム・ハーストをモデルにしている。

ウエルズとコットンを除き、スター性はないが確かな演技力を示す出演者(ほとんどがラストで映画初出演とクレジットされている)をカメラは長回しでとらえる。
同時に3人以上が動きながら芝居する場面を、クレーンカメラで移動撮影する。
入念なリハーサルと老練なカメラワーク(セットの造りと俳優の演技力も)が必要な撮影方法で、うまくはまると流れるような時間的、空間的な効果を生む。
意欲的な撮影者グレッグ・トーランドは見事にこなし、ウエルズの演出意図に応える。

トーランドはまた、パンフォーカス撮影を多用する。
子供時代、ケーンが後見人に連れられて親元を離れるときの場面。
雪遊びしているケーンが家へと近づく、それを室内から窓越しにとらえる。
室外の子役と室内の大人にそれぞれしっかりとピントが合い、ワンショットでとらえる。
一つの場面の緊張感が持続し、観客に場面の重要性を強調せしめる。

ハーストの実際とは細部では異なる(映画では妻が出て行ったが、実際は愛人であるマリオン・デイビスはハーストの死後も裏切ることはなかったなど)。
また、実際のハーストがケーンのように骨董品の収集に狂奔するような幼児性のある人物だったのか、あるいは若き日に友人とともに買収先の新聞社に颯爽と乗り込み、記事を書き始めるような才気ばしった人物だったのか、はわからない。

ハーストそのものなどより、自分たちの才能の方にウエルズたちの興味はあったようだ。
「市民ケーン」に集結したウエルズ、コットンらは、若く、才気走った自分たちを、自らに酔うがごとく誇示している、と言ったら言い過ぎか。
ハーストのカリスマ性、権力欲がウエルズの個性と重なる、というのはこの作品についてよく言われるところ。

当時23歳のウエルズにハリウッドの映画会社RKOの社長ジョージ・シェイファーが、10万ドルで年1本、みずから製作、監督、脚本、主演でオファーして実現した作品。
権力者ハーストをモデルにしたこの作品は、内容についてRKOの正式な承認を得る前にテストと称して撮影されたという(「ハリウッド帝国の興亡」P137)。

試写が行われるとハースト及びそのお抱え評論家が動き出し、最終的にハーストの「友人」であるMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーが「市民ケーンの」ネガと全プリントの廃棄を条件に842,000ドル支払う、という提案を行ったが、RKOのシェイファーは拒否した(「ハリウッド帝国の興亡」P139)という。

果たして「ローズバット」の意味や如何ということだが、映画では子供のころ雪遊びをしたそりの名前だった、との結論であった。
異論は多々あるようだが。

オーソン・ウエルズがRKOで自らの采配により映画を製作したのは、次作「偉大なアンバーソン家の人々」が最後となった。

「第三の男」 1948年 キャロル・リード監督 英米合作(ユナイト配給)

「市民ケーン」で共演したマーキュリー劇団の両雄が再び共演。

舞台は終戦後、敗戦国オーストリアの首都として連合国四か国管理下のウイーン。
瓦礫の街、闇経済に頼らなければ生きてゆけない人々。
戦後なお新たな悪の支配におびえている。
飛び交うドイツ語。

親友ハリー・ライムを訪ねてきた通俗作家ホリー(ジョセフ・コットン)の目を通して描かれるウイーンの光と影。

ハリウッド映画と違い、イギリス人監督のキャロル・リードは住民にドイツ語をガンガンしゃべらせ、理解できない不安な心理をホリーと観客に共有させる。
影を強調した夜のシーンの撮影も得体のしれぬ終戦後の闇と不安を強調。

死んだと聞かされたハリー。
ふに落ちないホリーは独自に調べ始める。

アメリカ人の無自覚で不作法な楽天性にいら立つ現地イギリス軍の少佐にトレバー・ハワード。
この作品がメジャー仕様なのはハワードの引き締まった表情を見てもわかる。
(同年に作られた純イギリス映画「黄金の竜」でのトレバー・ハワードは、同じようにイギリスのエージェント役だったが、北アフリカロケを謳歌し、新人の17歳アヌーク・エーメとのキスシーンにうつつを抜かしたのか、年相応のたるんだ顔つきだったが。)

チェコの偽造パスポートを持ち、混乱のウイーンで舞台女優を務める謎の女マリアにアリダ・ヴァリ。
イタリア人女優で、この絶妙なキャステイングに応える演技と存在感を示す。
アメリカ人女優ではとても出せなかったであろう、敗戦に混乱する根無し草の虚無感と強さを表現する。

この映画のハイライトは何といっても、コットンとウエルズの再会シーン。
ピーカンの空の元、待ち合わせの観覧車に向かうコットンをあおりでとらえるカメラ。
マントが翻り、それまでの無知な通俗作家の面影はすでにない。

向こうからやってくるウエルズ。
細身で足早、若い。

これまで画面の通底を支えるように低く響いていたテーマ曲が高らかに鳴り響く。
若き名優二人の颯爽としたふるまい。
格好いい。
それまでの暗く、絶望的だった映画の展開が一挙に晴れ渡ったような瞬間だった。

ハリー(ウエルズ)とホリー(コットン)の邂逅と対決

「市民ケーン」のウエルズは自己顕示欲が強く、クセと嫌みがあったが、リード監督の演出の元のウエルズはすっきりとしてその演技力がストレートに伝わってくる。

イギリスのアレクサンダー・コルダとキャロル・リード、ハリウッドのデヴィッド・O・セルズニックの3人による共同製作。
ウエルズのキャステイングに難色を示したセルズニックに対し、監督で製作者のリードが起用を強く主張したとのこと。
この作品の成功はオーソン・ウエルズの起用に多く起因している。

そういえば、生きているハリーが一瞬ホリーの前に現れるカット。
ライトに照らし出されるオーソン・ウエルズの顔つきと顔の角度は、「市民ケーン」での州知事選挙看板のウエルズのカットと同じ顔つきと角度だった。

製作陣がウエルズと「市民ケーン」に興味と関心を持っていることが隠しようもなく現れている。
また、それをユーモアというかウイットというか、イギリス人らしく余裕をもって表現したリード監督の才気を感じる。

ラストシーン、ハリーの埋葬を終え、ホリーが並木道でマリアを待つ。
一瞥もくれずに通りすぎるマリアをワンカットでとらえる。

ハリウッド映画ではありえないラスト。
原作は二人で腕を組んで去ってゆく、だったという。

この辛口のラストシーンにもリード、コルダのイギリス側の製作意図を感じるのは山小舎おじさんだけか。

「セルズニックの映画」にならずに、敗戦国のシビアさが背景にしっかり描けたこと、ハリー・ライムがアプレな悪人ながら魅力的に描けたこと、などはキャロル・リードとアレクサンダー・コルダの業績なのではなかったか。

ラストシーン。待ち受けるジョセフ・コットン、来たり去るアリダ・ヴァリ