DVD名画劇場 D・W・グリフィスのハリウッドバビロン

無声映画時代に歴史に残る大作映画を作り、併せてクロースアップやカットバックなどの映画技法を編み出したアメリカ人映画監督がD・W・グリフィス。

ダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリン、メリー・ピックフォードと4人でユナイテッド・アーチスツという映画会社を立ち上げた。
ユナイト映画は今に続いている。

今回は、グリフィスの代表作2本を見た。

グリフィスの撮影風景

「国民の創生」 1915年  D・W・グリフィス監督  ユナイト

BGMもないサイレント映画。
3時間をどう過ごそうかと心配。
しかも字幕が文学的というか、セリフを表すのではなく、シークエンス全体の説明というかテーマを表す字幕となっており、最初は何が書いてあるのかわかりづらい。

それでも歴史的名作。
シッカリ映画的興味と興奮は味わうことができた。

まず、ヒロイン、リリアン・ギッシュの美しさ。
ついでアメリカの裏の歴史ともいうべき黒人解放の過程の裏面史が描かれていること。
KKK団と自由黒人急進派の激突のスリルとスピード感。
「国民の創生」は重層的に楽しめる映画だった。

リリアン・ギッシュ

映画は、南北戦争を挟んで、南部の家庭と北部の家庭の交流と運命に翻弄される姿を立軸に、黒人奴隷解放の流れと相克を横軸、にして進む。

南部の白人家庭に生まれた娘を演じるリリアン・ギッシュは、交流ある北部の青年に思いを寄せられ、戦争に翻弄された挙句結ばれる。
ギッシュは南軍の従軍看護婦になるなど波乱の歴史に気丈に立ち向かう娘を演じる。

戦争は北軍が勝ち、今に至るアメリカ権力と価値観の流れが形作られる。
黒人に対する処遇もこの時に形作られる。

奴隷として白人に従属するのが南部の黒人で、黒人自身もそれを望んでいた。
北部では黒人を開放し、程度の差はあっても白人と平等に扱うという方針。
南北戦争の結果、解放された黒人は「自由黒人」と呼ばれ、一部は急進化した。
南部支配のために北部権力者のコマとして南部に送り込まれた黒人もいた。

映画では、黒人解放に関するエピソードがつづられる。

白人の犯罪者を隊長とする北軍黒人部隊の、南部人に対する乱暴狼藉。
負けた南軍に対する融和政策を掲げるリンカーン大統領の北部急進派による暗殺。
白人との混血黒人を南部に送り込み、不正選挙で州副知事に祭り上げる北部急進派。
不正選挙の結果、州議会議員数は黒人議員101人、白人議員23人となり、逆差別が横行する。
北部出身の黒人たちによる南部の黒人へのリンチなどの乱暴狼藉、南部の白人への迫害。

南部白人家庭に押し掛ける自由黒人たち、娘らは地下に身を隠す。
うっかり一人で水を汲みに出た娘が、横恋慕する黒人に追いつめられた挙句、崖から身を投げる。

やむなく南部の白人たちが、白装束に身を固めて反撃に出る。
南部の女性たちが秘密裏に白装束を縫う。
KKK団の始まりだった。

南部出身のグリフィスは、自由黒人急進派の乱暴狼藉ぶりを執拗に描き、南部白人の反撃をヒロイックに描く。
現代の価値観では(特に映画などマスコミ及び表現手段では)「結果としての黒人差別は100%悪く」、また「KKK団は100%悪い」ことになっているので、この映画は、現在ではとんでもない独断と偏見に満ちた作品という評価だ。

とはいえ、アメリカ映画最大のヒット作の一つである「風と共に去りぬ」は、注意深く直截的な表現描写は避けているが、南部出身の原作者マーガレット・ミッチェルの価値観に沿った内容となっており、その精神は「国民の創生」とベクトルが同じである。

出演者ではリリアン・ギッシュのほかに、その妹役の少女の演技が印象的。
幼いころの突拍子もないふるまい、娘盛りになってからのコケテイッシュな振る舞いがいい。
グリフィスはスタジオで自分の周りに可憐な乙女たちを集めるのに熱心だったという。
その象徴がメリー・ピックフォードであり、リリアン・ギッシュだった。

主要黒人配役を、黒塗りの白人俳優が演じるなど、ムリヤリの演出が時代を感じさせるものの、この作品はグリフィス版「風と共に去りぬ」ともいうべき大河ドラマでもあった。

「イントレランス」 1916年 D・W・グリフィス監督  トライアングルフイルム

ハリウッド史上最大の作品なのではないか。

1話1作品は優に作れるスケールで、4話同時進行の1作品とした。
どの挿話もスケールがただものではない。
大セット、大エキストラは今後とも再現不可能な規模だ。

テーマは「不寛容」。
人間社会のおける不寛容な現実とその彼岸における幸福を追求している。

サイレント映画だが内容に沿ったBGMが流れる。
字幕のムズカシサは「国民の創生」同様。
これはグリフィス作品の特性か。

第1話は現代のブルジョワと労働者の話。
工場経営者の気まぐれで解雇になった労働者親子。
かわいらしく、無邪気な父思いの娘。
都会へ出て、父を失い、青年と知り合い、悪に染まった青年を改心させ結婚。
ところが青年が悪時代の流れで冤罪となり・・・。
無産階級の立場から現代社会の無慈悲を描くグリフィス。
その冷酷な現実描写が印象的。

第2は古代エルサレム。
イエスの誕生。
パリサイ人の宗教的不寛容。

第3話は16世紀パリ。
カトリーヌ・ド・メデイチの権力的野心と、それに振り回される王様たち。
結果のバルテルミー大虐殺。

そしてこの映画のハイライトたる、伝説の大セットと大エキストラによる第4話はバビロンとペルシャの戦い。

両側に像の彫刻を並べた祭壇に数十人の侍女が並んでダンスをするハリウッド史上最大の仕掛けによるバビロンの祝宴のシーン。
巨大な城門が開いて、馬が引く戦車が出入りする。
ペルシャ軍は巨大な投石器を運び、さらに馬の革で作った巨大な塔を運んできてバビロンの城壁を攻略せんとする。
この悪夢のような戦闘シーンの幻は、原寸大のセットを使った実写によって再現されている。
今後とも再現不可能な撮影。
これこそが「ハリウッドバビロン」の世界である。

伝説のバビロン実物大セット

バビロン挿話のヒロインは元気いっぱいの男勝りの娘。
美人だが自ら鎧をまとい、戦車を操り、弓を弾く。
まるでアニメの戦闘少女のようなキャラクターもグリフィスの作によるもの。
「国民の創生」同様、少女たちが魅力的な映画でもある。

ラストに向け、各挿話の山場シーンがカットバックされ大団円になだれ込んでゆく。
かくて16世紀のフランスでは大虐殺に至り、紀元前のエルサレムではイエスが処刑され、バビロンはペルシャに滅ぼされる。

唯一、現代では、冤罪の青年の罪は晴れ、処刑台からすんでのところで救い出される。
不寛容渦巻く人間社会ではあるが、希望は失うまいとのことであろうか。

DVD名画劇場 グラマー女優一代!ジェーン・ラッセル

ジェーン・ラッセル。
大富豪ハワード・ヒューズが自ら監督した唯一の映画「ならず者」でデヴュー。
その煽情的?な宣材写真が検閲に触れ公開が遅れた、という伝説を持つグラマー女優。
その代表作3本を見る機会があった。

ジェーン・ラッセル

「ならず者」 1946年 ハワード・ヒューズ監督 RKO

ジェーン・ラッセルのデヴュー作。
どんなにセンセーショナルな内容か?と思いきや、何ともとぼけた西部のヒーロー達が男の三角関係?を繰り広げる物語だった。

曲者すぎる出演者たちと若きジェーン・ラッセル

ウオルター・ヒューストン演ずるドク・ホリデイ。
トーマス・ミッチェル扮するパット・ギャレット。
新人ジャック・ビューテルのビリー・ザ・キッド。

男同士でのかみ合わないセリフ、繰り返される意味のない動作。
赤毛の馬にこだわり、たばこを取り合う。
彼ら3人の醸し出す、緩いというか、間延びしたというか、何ともいえない世界。

すっとぼけたウオルター・ヒューストンのキャラと、芸達者なトーマス・ミッチェル、素人っぽいジャック・ビューテル。
この3人に絡む男勝りの野生の女がジェーン・ラッセル。
最高に魅力的な女性なのだが、男たちはこのいい女をあっさり譲り合う、という不思議な展開。

これが「ならず者」の宣材写真だ!

ハワード・ホークスの監督で撮影が始まったこの映画。
当時、ジェーン・ラッセルに夢中だったスポンサーのハワード・ヒューズが、ホークスを更迭して自ら演出した。
監督が素人のヒューズだからなのか、ヒューストンの個性を出しすぎた?独特の演技が(監督を無視して?)冴えわたる。
一方で、監督の「ひいき」にもかかわらず、己の存在感を失わないジェーン・ラッセルがただものではない。

ジェーン・ラッセルの印象の強烈さはヒューズ監督にとってもこれが本望か。
記念すべきはジェーン・ラッセルの伝説が、この映画でスタートしたこと。

「腰抜け二挺拳銃」 1948年  ノーマン・Z・マクロード監督    パラマウント

ジェーン・ラッセルのネット上のフィルモグラフィによると、彼女の第2作目。
ご存じ、ボブ・ホープの腰抜けシリーズのゲストヒロインとして登場。
有名なこの映画主題歌「ボタンとリボン」は劇中ホープの弾き語りで歌われる。

テクニカラーの画面に当時25,6歳のジェーン・ラッセルのドレス姿が映える。
女ガンマンスタイル(カラミテイジェーン役)で、時にはガンアクションを披露。
時にはカラフルなドレス姿でホープとのラブシーンもどき、と活躍するラッセル。

映画は西部を流れるインチキ歯医者に扮するホープが、インデイアンにダイナマイトを横流ししようとする悪漢たちと、それを取り締まろうとする州政府の攻防に巻き込まれ、たわいないギャグとトークで場をつないでゆく、というギャグアクション。

調子がいいだけのインチキ弱虫のお馴染みのキャラを全盛期?のホープが演じる。
まだ若い動きの良さと、毒の薄いギャグのマシンガントークが切れ味いい。

主題歌ボタンとリボンのオリジナルレコードジャケット

ラッセルは、男にこびず自力で世を渡ってゆくカラミテイ・ジェーンのキャラクターが似合う。
「ならず者」でのキャラクターの延長線上の役柄。
ホープのギャグ映画でのびのびとヒロインを演じている。
全編が大掛かりなコントのようなこの作品で、唯一見ごたえを感ずることができる存在感を示した。

「紳士は金髪がお好き」 1953年 ハワード・ホークス監督  20世紀FOX

ラッセルのデヴューから7年目の作品。
現在ではむしろマリリン・モンローの主演作として認知されているこの作品だが、クレジットの順番はラッセルがトップ。
その存在感はいや増していた。

マリリン・モンローとのそろい踏み。左は「紳士」たち

テクニカラーによる原色の背景と衣装。
のっけからラッセルとモンローのご機嫌なダンスから映画は始まる。

ラッセルとモンロー扮する踊り子二人が船に乗り込み、金持ちの紳士たちを篭絡せんとするストーリー。
乗り込んだ船で同乗のオリンピック選手団とラッセルが意気投合し、歌い踊るミュージカルシーンが楽しい。

スタイル抜群

ラッセル扮する姉御は余裕たっぷり。
発達の良い脚線美も豪快だが、踊りもゴージャス。
若いモンローの踊りやふるまいに、かわいらしさと繊細さを感じさせるのとは対照的。
どちらもいい。
ホークスのはっきりとした演出はラッセルのキャラにあっている。

DVDのカバーはモンローをフィーチャー

この3作品を見ると、ジェーン・ラッセルはアメリカ女性らしく堂々たる体躯を誇った典型的なグラマーではあるが、スキャンダルの間を泳ぐような煽情的なハリウッド女優ではなく、むしろさっぱりとした開放的な性格の女優であると思わせる。

デヴュー作でスカウトされた富豪ハワード・ヒューズにもなびかなかったというし、スキャンダル史上にその名もない。
むしろ「紳士は金髪がお好き」撮影中に、繊細なモンローの代わりにマスコミの矢面に立つという「男らしさ」を示したというエピソードが物語る、開放的で姉御肌に富んだ女優だったようだ。

だからこそそのさっぱりした性格が、ラッセルをしてハリウッドのセックスシンボルとなしえなかった。
各年代のセックスシンボルと呼ばれた、クララ・ボウ、ジーン・ハーロー、マリリン・モンローが持つ、幼児性、神秘性、背徳性、煽情性に寄らず、常識的で大人の女性だったのだろう。

DVD名画劇場 ユニバーサル・ホラー3連発!

今回は1930年代に映画会社ユニバーサルが製作したホラー映画3作。

この時代、ユニバーサルは、吸血鬼ドラキュラ、フランケンシュタインの怪物、ミイラ男、狼男などを題材にホラー映画を連発し、ヒットさせた。

吸血鬼や狼男は古くからの伝説が題材。
フランケンシュタインは原作ものだった。
それらをハリウッド式に(再)映画化したのがユニバーサルで、ドラキュラを演じたベラ・ルゴシ、フランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフは、永遠のハリウッド・アイコンとなった。

「魔人ドラキュラ」 1931年  トッド・ブラウニング監督  ユニバーサル

吸血鬼伝説はヨーロッパに古くから伝わり、またドイツで「ノスフェラトウ」、デンマークで「吸血鬼」の、古典ホラーの名作となる映画化がされていた。

ハリウッドでの最初の(おそらく)吸血鬼ものの映画化。
主演のベラ・ルゴシは舞台で吸血鬼を演じてヒットさせていたという。
この映画のヒットで、ドラキュラのスタイルを確立させた。
死んで棺桶に入った時のベラ・ルゴシの服装もドラキュラスタイルだったとのこと。

ストーリーは中欧トランシルバニアのドラキュラ城に、不動産賃貸借の契約にやってきた若者が、ドラキュラに襲われて子分となる。
子分はドラキュラとは異なり、人間の血は欲せずクモやネズミの血を欲し、また日の光にも耐えられる。
この子分の助けで、トランシルバニアの土を入れた棺桶ごと、船でロンドンへ渡る。
精神病院へ収容された子分を夜な夜な呼び出し手助けさせ、ドラキュラはロンドンの上流階級に食い込む。
狙いは上流階級の令嬢。
眼力でを虜にし、毒牙にかける。
そこに立ちはだかる超常現象専門の博士(巻き舌が激しいドイツ訛り)。
その対決の結末やいかに!

ベラ・ルゴシのドラキュラ

ベラ・ルゴシの眼力。
スポットライトを目に当ててのクロースアップ。
狂気すれすれの表情。

蝙蝠に身をやつし、どこへでも侵入する。
人の常識や好意につけ込み躊躇なく悪を行使する。

古くは疫病、現在のコロナ禍にも例えられるであろうその災禍。
人間が抵抗できないさまは、宇宙人の侵略にも例えられようか。
現代に在っては、無意識に人々を洗脳する悪意の情報操作にも通じる。

意のままに操られる子分。
苦もなく陥落する美人令嬢。
常識に縛られ、右往左往するだけの婚約者青年。

ドラキュラに敢然と立ち向かうのが超常現象専門のヘンデキング博士。
ドラキュラが鏡に映らなかったり、トリカブトに弱かったり、十字架に致命的だったりを次々と暴き、令嬢を守らんと、ドイツ訛りで訥々と周りを説得する。

「吸血鬼の強みは、自らの存在が迷信だとおもわれていること。」だと喝破し、科学文明に支配された現代の隙間で悪を行使せんとする勢力を見抜き、けん制し、征伐する博士が頼もしい。

ヨーロッパ文明の深いところに由来する伝説のせいか、ハリウッド製吸血鬼映画は、けれん味に徹した切れ味に乏しく、ヨーロッパの歴史に遠慮した風が見られる。

「フリークス」で歴史に残るカルトムービーの原祖となったトッド・ブラウニング監督の手腕は、ドラキュラ城の埃っぽさや、吸血鬼を迷信と信じながら惑わされる現代人の不安、などの演出に非凡さを発揮はしたが。

吸血鬼伝説と現代の相克については、先の映画化「ノスフェラトウ」「吸血鬼」はもちろん、のちのイギリスハマープロによる映画化「吸血鬼ドラキュラ」や、ポーランドからの亡命者ロマン・ポランスキーによる「吸血鬼」、さらにはアンデイ・ウオーホル「処女の生血」など、面々と製作され続けた歴史上の吸血鬼映画全体の検証を待たなければならないのかもしれない。

「フランケンシュタイン」 1931年  ジェームス・ホエール監督  ユニバーサル

ベラ・ルゴシがドラキュラのイコンであったとしたら、ボリス・カーロフはフランケンシュタインの怪物の元祖となった、そのメークによって。

カーロフはこの作品にクレジットされていない。
モンスター役の俳優名は「?」となっている。
冒頭、ユニバーサル映画のタイクーン、カール・レムリからのメッセージが映される「耐えられない人がいましたら、今のうちにご退場ください」と。

おどろおどろしい古い風車を改造した研究室。
嵐の夜、雷が鳴り響く。

ここら辺の演出は、その後のフランケンシュタインものや「バックトウザフーチャー」に至るまでのハリウッド式「研究室」のお約束、となった。

背むしの助手は死刑囚だった人間で名前はフリッツ。

墓場から死体を盗み、大学から脳を盗み出すのはフリッツの仕事。
監獄に戻すぞ、と脅かされながら仕事をするが、盗む予定の善人の脳を取り落とし、あわてて犯罪者の脳を持って帰るなど仕事ぶりはいい加減だ。

フランケンシュタイン博士は決してマッドサイエンテイストというわけではないが、裕福な家庭と美人の婚約者を今は顧みず、異端で先進的過ぎる自分の研究結果を最優先することに取りつかれている。

怪物が生まれ、脱走してからが映画の本題。
犯罪者の脳を持つ怪物だが、人間の心を併せ持つ。
村人に徹底的に排除され、攻撃される怪物だが、邪気のない心を持った幼女とは一瞬の交流を持つ。

一方、改心したフランケンシュタイン博士は婚約者と結婚を決意。
結婚式当日、着飾った花嫁に迫る怪物。
村では怪物に湖に投げ込まれ、水死した娘を抱いて復讐を誓う村人が群れ始める。

映画はマッドサイエンスの悲劇を怪物自らの悲劇を通して描いている。
無自覚な群集心理の恐怖とマッドサイエンテイストへのしっぺ返しもしっかりと。
吸血鬼もののように歴史と伝統の世界ではなく、現代科学と群集心理、人間の感情の世界なので、ハリウッド映画は存分にその力を発揮している。

カーロフはそのメイク姿で怪物の歩き方、動き方をよく表現している。

フランク・キャプラの「毒薬と老嬢」では、そっくりな怪物とドイツ訛りの博士(ピーター・ローレ)を登場させ、作中の相手人物に「ボリス・カーロフ?」と何度も言わせていた。
「ヤングフランケンシュタイン」などでも再映画化されている。

「フランケンシュタインの花嫁」 1935年  ジェームス・ホエール監督  ユニバーサル

前作では「?」だったボリス・カーロフがトップにクレジットされている。
いかに人気が出ていたかがわかる。

前作で村人の襲撃により水車とともに燃えつきた、はずの怪物が生き残っていた。
かたやマッドサイエンスから足を洗って村の有力者として暮らしていたフランケンシュタイン博士のもとに、本物のマッドサイエンテイストが近寄る。

このマッド博士は、なんと瓶の中に人間を発生させている。
この描写がすごい、撮影技法もだが、コンセプトが完全に科学を逸脱して、伝奇の世界に行ってしまっている。
悪夢のようなシーンだ。

マッド博士に半ば脅迫されてフランケンシュタイン博士は再び人造人間をつくる。
今度は若い女性の死体で。
この人造人間、「メトロポリス」のマリアのようにも見える。
ぶっ飛んだキャラクターで、伝奇性は瓶の中の小人とどっこいどっこい。
その後の映画で再登場はしていないのはなぜか。

「花嫁」と怪物

一方、カーロフ扮する怪物の方は、村人に追われ、捕まったりしながら小屋に逃げ込む。
そこには盲目の世捨て人のような老人が住んでおり、怪物の人間性と感応して穏やかな一瞬を過ごす。

女版人造人間はまマッド博士が怪物のパートナーとして作ったが、二人は結ばれることはなかった。

カーロフのフランケンシュタインの怪物役は1939年の「フランケンシュタインの復活」をもって終了。
この3作をもってカーロフの怪物役は永遠のハリウッド・アイコンとなった。

DVD名画劇場 若き日のアヌーク・エーメ

アヌーク・エーメはフランスの女優。
1932年パリに生まれる。
両親はユダヤ系の舞台俳優だった。

戦時中はユダヤ人迫害から逃れるため地方に疎開したり、ドイツ占領中は黄色の星を胸につけるのを避けるため、母親の姓を名乗ったりした。

1947年、パリでスカウトされ映画デビュー。
イギリスにわたり演劇学校に通った。
この度見ることができた「火の接吻」は出演3作目に、「黄金の竜」は4作目に当たる。

若き日のアヌーク・エーメ

代表作は「モンパルナスの灯」(1958年)、「甘い生活」(1960年)、「ローラ」(1961年)「8 1/2」(1963年)。
そして「男と女」(1966年 クロード・ルルーシュ監督)。

この「男と女」の美貌の未亡人役で強烈な印象を残す。
山小舎おじさんなどはリバイバルで見て、その音楽と映像、そしてアヌーク・エーメに魅せられ、陶酔し、上映していた映画館の風景ともども夢に出てきたほどだった。

もっと若い日のアヌーク・エーメ

「火の接吻」 1949年 アンドレ・カイヤット監督 フランス

アヌーク16歳の作品。
当時新鋭のアンドレ・カイヤット監督。
共演にセルジュ・レジアニ、ピエール・ブラッスール、マルチーヌ・キャロルと一線級のスタッフ、配役による大作である。

映画セットでの主人公二人

舞台は戦後のベニス。
子供や少女が街角で物売りをし、アヌークが当家の娘を演じる貴族?の家系のお屋敷は没落していかがわしいブローカーまがいの男(ブラッスール)に牛耳られている。

ベニスの映画スタジオでは「ロミオとジュリエット」が撮影されようとしており、プロデユーサーが主演女優(キャロル)を連れて小道具の骨董品を探しに、アヌークの屋敷へやってくる。

ベネチアガラスの職人アンジェロ(レジアニ)とアヌークがスタジオに潜り込み、ロミオとジュリエットの代役に採用される。
二人は一目で恋に落ち、物語の舞台・ベローナでのロケを通して親密になる。

一方で、アヌークとの結婚を条件に没落屋敷に出資していたブローカー、彼の支援に頼るアヌークの両親、屋敷のメイドらが入り乱れ、絡む。
ロミオとジュリエットよろしく若い二人が悲劇的な結末を迎える。

「火の接吻」所蔵のDVDセット。中央がアヌーク・エーメ

映画では芸達者たちがさまざまなエピソードを披露している。
悪徳ブローカー役のブラッスールは悪ふざけ寸前の精力的な動きでわかりやすく卑小な悪人を演じる。
最後にアンジェロの代わりに撃たれて死ぬ場面では、見ているこちらも溜飲が下がり思わず笑ってしまう程の怪演。

屋敷のメイドとして20年仕えているレテイシアという老女もぶっ飛んでいる。
元判事の気弱な主人の隠れた愛人兼慰め役として屋敷に君臨しており、戦争で気がおかしくなった下男で判事の従弟を手なずけてもいる。
アヌークのベローナロケにはメイドとしてついてゆくが、道中のバスから出演者らと仲良くなり、アヌークなど放っておいて勝手に盛り上がる。
演じるはマリアンヌ・オズワルドという女優。
これも怪演中の怪演。

上流階級の内幕をブラック風に描くところはルイス・ブニュエルの映画のようであり、ブラックをギャグ寸前にまで徹底した演出。

劇中でまともでさわやかなのはアヌークとレジアニ扮する若きカップルだけである。
二人はベローナのロミオたちの墓守(訪れるファンのレターを毎日燃やすのが日課)に祝福され、ジュリエット役のマルチーヌ・キャロルにその恋を応援される。

DVDセットの解説欄より

ロケの合間に川で泳ぐ二人。
スカートをまくって川に足を漬けるアヌーク。
レジアニが誘うと、後ろを見ていてと言って服を脱ぐ。
偶然通りかかった墓守が驚く。
服で体を隠し、墓守が去った後、裸で川に飛び込む。

当時のハリウッド映画では不可能なシーン。
新人のアヌークだったからできたシーンだろうし、映画の本気度とそれにこたえる10代のアヌークの意欲を感じる。

「火の接吻」よりアヌーク・エーメ

アヌークはまた、ジュリエットの衣装から透ける足、ネグリジェから透ける胸、悪徳ブローカーに襲われて服が破れる場面など、容赦ないカイヤット監督の演出に体を張って応えている。
女優として生きる覚悟が感じられる。
フランス映画の写実的というか、芸術至上的な傾向も。

相手役のセルジュ・レジアニは、のちの「肉体の冠」(1952年)などが印象的な若き演技派。
当時27歳。

なんといってもアヌーク・エーメの若さ、美しさはセンセーションであったろう。
その彼女のキャリアの出発点となった作品であった。

「火の接吻」のアヌーク

(おまけ)

監督のアンドレ・カイヤットは弁護士から映画監督に転身した変わり種。
代表作は「裁きは終りぬ」(1950年)、「洪水の前」(1954年)、「眼には眼を」(1957年)、「ラインの仮橋」(1960年)。
ヴェネツイア映画祭で2度のグランプリを受賞するなど国際的な評価が高い。

ところが最近名前を聞かなくなった。
2003年刊の集英社新書「フランス映画史の誘惑」にもその名前が掲載されていない。
「フランス映画の歴史と全体像を簡潔に読みやすく紹介すること」(同書P14)を目的とした同書に於いてさえ。1964年刊の岡田真吉著「フランス映画のあゆみ」には当然ながらその名が掲載されているが。

2003年刊「フランス映画史の誘惑」にカイヤットの名はない

特にフランス映画史については、いわゆる「カイエ・デユ・シネマ」派の論評が現在の主流というか、流行であり、彼らの好みが日本の研究者・評論家たちにも大いに影響している現状がある。

カイエ派がカイヤットの存在あるいは作風を嫌ったのかどうか。
俳優の演技力に立脚し、脚本の構成力ありきのカイヤット作品は確かにカイエ派の好みではないのだが、映画史から抹殺するにはもったいない力量を持っていることは確かなのではないか。

1964年刊の「フランス映画のあゆみ」にはカイヤットの名がある

「黄金の竜」 1949年 ロナルド・ニーム監督 イギリス

製作は「第三の男」のアレクサンダー・コルダ。
監督はのちにハリウッドで「ポセイドンアドベンチャー」を撮ったロナルド・ニーム。
ブリテッシュノワールと呼ばれる戦後のイギリス製犯罪映画の1作。

トレバー・ハワード扮する英国のエージェントが北アフリカのチェニジアで、発掘された遺跡をイギリスへ運ぶために現地へ向かう。

イギリスのエージェントという物々しさ、植民地?の遺跡を勝手に運び去るという帝国主義的ふるまい、にイギリスらしさが覗く。
チェニジアってフランスの植民地ではなかったか。

チェニジアでロケをしたという作品。
現地の市場の風景などには歴史的映像価値がある。

エージェントがたどり着く辺境のバー兼宿屋の若き女主人がアヌーク・エーメ、当時17歳。
初々しいが謎めいていて大人の落ち着きもある。
トレバー・ハワードは中年丸出しで、アヌークの相手役にはふさわしくないし、アクションシーンも似合わない。

プログラムピクチャーのパターンを踏襲。
訳の分からぬ現地人、堕落して悪に染まった白人に正義の主人公が立ち向かう。

アヌークの役は、心ならずも戦乱の本国(フランス)を離れた傷心のヒロインとして、のちの映画で言えば007のボンドガールのイメージか。
なるほど、若々しいセパレートの水着姿も見せる。
謎めいた雰囲気も消え、海で遊び、ヨットに乗って、エージェントにすっかりなつく若い女の子の姿。。
そんなアヌークもまたいいけど。

ブリテッシュノワールと呼ばれるジャンルが映画史上にあることを知りました。
のちのスパイもの、007とはどうつながっているのかな。

DVD名画劇場 黒澤明初期作

黒澤明の「酔いどれ天使」と「野良犬」を見た。
黒澤は戦時中の1943年に「姿三四郎」で監督デビュー。

「酔いどれ天使」と「野良犬」は1948年から1949年にかけて発表した作品で、それぞれ、黒澤監督の初期の代表作であるとともに、盟友三船敏郎と組んでの一作目と三作目でもあった。

「酔いどれ天使」 1948年 黒澤明監督  東宝

記念すべき黒澤×三船のコンビ第一作。
同じく主演には黒澤組の番頭格・志村喬。
脇で山本礼三郎、千石規子、木暮実千代などが強烈で達者な演技を示す。

戦後直後の闇市。
どぶのような沼のほとりに闇市と、キャバレーと診療所が集まっている。

診療所の飲んだくれだが一本気の医師(志村)と、闇市を取り仕切るやくざ(三船)。
やくざの情婦(木暮)。
闇市の飲み屋の妻(千石)。
そこへ刑務所を出たやくざの親分(山本)が現れる。

三船演じる若いヤクザ。
戦争に生き残ったが、身寄りは空襲で全滅、家もなく、もとより子どものころから軍国主義教育で育ち、戦後の価値観にもなじめず、自暴自棄で闇市に生きる場所を求める・・・というこれまでの半生が透けて見える。

威勢よく肩で風を切ってはいるが、実はヤクザになり切れぬ人間性と不器用さが内在している。
そのことは劇中で千石扮する飲み屋のおかみに見抜かれる。

時代背景としての闇市、やくざ、キャバ嬢などがやるせない虚無感をもって描かれる。
戦中を過ごした黒澤の心情がそこに現れる。
個人の思いなどではどうしょうもなかった戦中戦後の混乱と価値観の転換に対する諦観なのか。

新人だった三船の存在は光っている。
自らも航空隊の生き残りとして外地で戦った経験を持つ三船のほほのこけた顔つき、ギラギラしたまなざしが、闇市のセット等よりもよほど戦後のイラつきを的確に表している。

どぎついメイクも映える木暮実千代(左)。センスのデザインも黒澤らしい

木暮の情婦ぶりもいい。
若い木暮実千代がどぎついメークと安っぽいドレスに身を包み、場末のキャバレー嬢を演じる。
まるで清純派のアイドルが無理やり安っぽく派手なメークをしたようなアンバランスな魅力にどっきりする。

三船の情婦だった木暮が親分の情婦に乗り換え、弱った三船を見捨てる。
同じくイノセントな戦争の犠牲者同志の裏切り合いという絶望的な状況を三船とともに演じる。
木暮実千代の若さと美貌が哀しく戦後時代の側面を表す。

志村の酔いどれ医者のキャラクターは定型的であり、「正義、正論」を好む黒澤らしい。
志村のもとに通い、肺病から回復する女学生(初々しい久我美子)とともに黒澤が信ずる正義・正論の象徴として描かれる。

ラストの三船と山本のやくざ同士の殺し合い。
ペンキにまみれ、もがくような争い。
やくざと暴力を決して肯定はしない黒澤の意志が徹底している。
東映やくざ映画のように暴力による解決をカタルシスとして描くようなことはしない。

沼のほとりで夜ごと奏でるギター。
やくざの親分が弾くギター。
キャバレーのシーンでは黒澤監督が作詞したオリジナル曲がブギの女王・笠置シズ子によって歌われる。
音楽に親和性の持つ黒澤監督の本領が随所に発揮される。

「酔いどれ天使」とは、一見志村医師のことかと思いきや、三船のことだった。
いやどちらも天使なのだろう。

「野良犬」 1949年 黒澤明監督  新東宝

さあ黒澤明初期の傑作「野良犬」だ。

当時、黒澤が本拠としていた東宝撮影所では争議が行われており、最終的には組合側が撮影所を占拠。
撮影できる状況ではなく、組合員のスタッフ、俳優は劇団を組んで巡業し闘争費用を賄ったという。
組合シンパの黒澤も応援演説や、劇団巡業に参加したとのこと。

争議はGHQの介入により組合側の敗退で終結し、のちに会社側による大規模な人員整理を伴った。
東宝撮影所は機能不全となり、組合脱退者で作られた新東宝のスタジオなどで細々と撮影が行われた。
この時期、黒澤明は新東宝で「野良犬」を、大映で「羅生門」を撮影している。

「野良犬」が傑作なのは、まず作品に一本の芯が通っていること。
拳銃をスられた刑事が失くした拳銃を追うのが主軸となって映画が進み、そのスリルが観客を引っ張ってゆく。
様々な挿話、描写、キャラクターが登場するがすべて主軸のストーリーに収れんしてゆく。

また、冒頭にナレーションによって事の起こりが説明される。
これは観客を主軸のストーリーに集中させる無駄のない手法である。
断定的なナレーションによる導入はこの作品を無駄のないストーリーテリングとした。

三船は「酔いどれ天使」の時より落ち着き、俳優らしい表情を見せる。
デビュー作「銀嶺の果て」(1947年 谷口千吉監督)の得体のしれない凶暴なだけの存在からは俳優としてかなり成長している。
野性味は並行して減少したが。

共演の志村喬。
ベテラン刑事役でくだけた演技も見せる。

注目の千石規子は拳銃密売グループの女役。
警察の取調室では安っぽいワンピースの胸元を広げ、足を投げ出して不貞腐れた女を好演。

ほかにも、岸輝子、河村惣吉、伊藤雄之助、高堂國典、東野英次郎、菅井一郎、千秋実、飯田蝶子らが集結し、重要なわき役からちょい役までを務める。
この贅沢な配役は東宝争議で作品数が減少し、俳優陣の出番の少なくなった時期だったからか?

俳優陣は若く、やせている。
三船と犯人役の木村功は必死に走り回り、「三等重役」の河村惣吉はスリ課のベテラン刑事を存在感たっぷりに、岸輝子はまさかの女スリ役を嫌みたっぷりに、菅井一郎はスケベな安ホテル支配人を軽薄に演じる。
それぞれが全盛期?の達者な演技。
これが見られるだけでもぜいたくで貴重な時間である。

大人っぽいメイクの淡路恵子(右)

そして犯人につながる重要な踊り子の役に当時16歳の淡路恵子。
かなりのセリフと演技をこなし、大物感を漂わせる。
彼女も木村同様戦争の犠牲者であり、若い淡路恵子はその哀しさも表現している。

淡路をスカウトした黒澤明の慧眼。
黒澤明はやはり映画の神様に愛された映画人だった。

戦争の混乱と、人生を翻弄された人々。
復員の途中で荷物をスられた二人(三船と木村)が片や刑事に、片や犯罪者に、と道が分かれる。
三船の逆境に負けない正義感が作品の主軸を貫くのだが、一方で木村に代表される若き犠牲者たちへの視線も忘れないのは、戦争の時代を潜り抜けてきた黒澤のヒューマニズムか。

物語の構成、スピード感、俳優の精一杯の演技、時代背景。
どれをとって第一級の出来でしかもわかりやすい。
全世界に通用する作品。

(おまけ)

1981年から2年にかけて4か月ほどパリに滞在した山小舎おじさん。
アルバイトが休みの日は「パリスコープ」という情報誌を片手に映画を見て歩いた。
パリでは古今東西の映画が町中の映画館などで上映されており、映画ファンにとっては夢のような場所だった。

「パリスコープ」の映画紹介欄は、映画の題名を原語表記もしてあった。
「野良犬」ならばフランス語の題名に並んで「NORAINU」の表記があった。

また、「パリスコープ」を毎週見ているとの、同じ作品が途切れずに毎週上映されているのに気が付いた。
覚えているのは「道」、「炎のランナー」、「注目すべき人々との出会い」など。
それらが当時パリで常に観客を集めている映画なのだった。

その中で「野良犬」もよく見る題名だった。
やはり世界で通用するエンタテイメントだと思った。

DVD名画劇場 オーソン・ウエルズと仲間たち

ハリウッドの「最高傑作」をひとつだけ選ぶということが可能なら、「市民ケーン」を選ぶのが順当なのではあるまいか。(1986年オットー・フリードリック著「ハリウッド帝国の興亡」訳書P133)。
と評される「市民ケーン」。

若き日のオーソン・ウエルズがRKOスタジオと契約して発表した当時(1941年)の問題作である。
この作品では、ウエルズが主催していたマーキュリー劇団の盟友ジョセフ・コットンが共演している。

若き日のオーソン・ウエルズ

また、48年には英米合作で「第三の男」が発表されており、再びオーソン・ウエルズとジョセフ・コットンの共演が実現している。

「市民ケーン」 1941年 オーソン・ウエルズ監督 RKO

親元を離れ育ち、大人になってから莫大な遺産を相続したケーン(オーソン・ウエルズ)が主人公。
先ず新聞社を買収してマスコミ業に乗り出す。
独自の(偏った)論陣を張り自己を主張。
財力に物を言わせて片っ端から新聞社、ラジオ放送局を買収してゆく。

経営者となってからは、労働者側からはファシストと呼ばれ、資本側からはコミュニストとそしられる。
自らの新聞を使って世論をもてあそび、追従者を翻弄、恫喝して陰湿な権力をもてあそぶ。
州知事選挙にも出馬するが、ここでは政治の世界の悪辣さにガツンとやられたりもする。

州知事選出馬のシーン.

孤独なケーンは女性関係も危うく、良家の子女との最初の結婚は全くうまくゆかない。
つぎに下積みのオペラ歌手を見染めて結婚。
才能のない妻を自ら建てた劇場で主演させ、自らの新聞で絶賛する。
大学時代からの友人で、最初の新聞社買収の時にスカウトしたリーランド(ジョセフ・コットン)は、ケーンの妻の絶賛記事を書かずにケーンからクビになる。
自分のためには長年の盟友もあっさり切るケーン。

ロサンゼルス郊外にザナドウと呼ばれる御殿を作る。
その中には御殿のほかに動物園まであった。
晩年のケーンはザナドウに閉じこもり、妻はパズルに明け暮れ時間を潰した。
やがて妻は出てゆき、ケーンは「ローズバット」という言葉を残して死ぬ。

係る新聞王の一生をドキュメンタリーにまとめようとした映画班が、ケーンの最後の言葉「ローズバット」にこの人物の謎を解くカギがある?として、ケーンの生前の関係者に当たってゆく、というのがこの映画の基本設定。
そこに過去の回想シーンが挟まってゆく構成で映画が進む。

新聞王と呼ばれ、映画女優マリオン・デイビスを愛人にしたウイリアム・ハーストをモデルにしている。

ウエルズとコットンを除き、スター性はないが確かな演技力を示す出演者(ほとんどがラストで映画初出演とクレジットされている)をカメラは長回しでとらえる。
同時に3人以上が動きながら芝居する場面を、クレーンカメラで移動撮影する。
入念なリハーサルと老練なカメラワーク(セットの造りと俳優の演技力も)が必要な撮影方法で、うまくはまると流れるような時間的、空間的な効果を生む。
意欲的な撮影者グレッグ・トーランドは見事にこなし、ウエルズの演出意図に応える。

トーランドはまた、パンフォーカス撮影を多用する。
子供時代、ケーンが後見人に連れられて親元を離れるときの場面。
雪遊びしているケーンが家へと近づく、それを室内から窓越しにとらえる。
室外の子役と室内の大人にそれぞれしっかりとピントが合い、ワンショットでとらえる。
一つの場面の緊張感が持続し、観客に場面の重要性を強調せしめる。

ハーストの実際とは細部では異なる(映画では妻が出て行ったが、実際は愛人であるマリオン・デイビスはハーストの死後も裏切ることはなかったなど)。
また、実際のハーストがケーンのように骨董品の収集に狂奔するような幼児性のある人物だったのか、あるいは若き日に友人とともに買収先の新聞社に颯爽と乗り込み、記事を書き始めるような才気ばしった人物だったのか、はわからない。

ハーストそのものなどより、自分たちの才能の方にウエルズたちの興味はあったようだ。
「市民ケーン」に集結したウエルズ、コットンらは、若く、才気走った自分たちを、自らに酔うがごとく誇示している、と言ったら言い過ぎか。
ハーストのカリスマ性、権力欲がウエルズの個性と重なる、というのはこの作品についてよく言われるところ。

当時23歳のウエルズにハリウッドの映画会社RKOの社長ジョージ・シェイファーが、10万ドルで年1本、みずから製作、監督、脚本、主演でオファーして実現した作品。
権力者ハーストをモデルにしたこの作品は、内容についてRKOの正式な承認を得る前にテストと称して撮影されたという(「ハリウッド帝国の興亡」P137)。

試写が行われるとハースト及びそのお抱え評論家が動き出し、最終的にハーストの「友人」であるMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーが「市民ケーンの」ネガと全プリントの廃棄を条件に842,000ドル支払う、という提案を行ったが、RKOのシェイファーは拒否した(「ハリウッド帝国の興亡」P139)という。

果たして「ローズバット」の意味や如何ということだが、映画では子供のころ雪遊びをしたそりの名前だった、との結論であった。
異論は多々あるようだが。

オーソン・ウエルズがRKOで自らの采配により映画を製作したのは、次作「偉大なアンバーソン家の人々」が最後となった。

「第三の男」 1948年 キャロル・リード監督 英米合作(ユナイト配給)

「市民ケーン」で共演したマーキュリー劇団の両雄が再び共演。

舞台は終戦後、敗戦国オーストリアの首都として連合国四か国管理下のウイーン。
瓦礫の街、闇経済に頼らなければ生きてゆけない人々。
戦後なお新たな悪の支配におびえている。
飛び交うドイツ語。

親友ハリー・ライムを訪ねてきた通俗作家ホリー(ジョセフ・コットン)の目を通して描かれるウイーンの光と影。

ハリウッド映画と違い、イギリス人監督のキャロル・リードは住民にドイツ語をガンガンしゃべらせ、理解できない不安な心理をホリーと観客に共有させる。
影を強調した夜のシーンの撮影も得体のしれぬ終戦後の闇と不安を強調。

死んだと聞かされたハリー。
ふに落ちないホリーは独自に調べ始める。

アメリカ人の無自覚で不作法な楽天性にいら立つ現地イギリス軍の少佐にトレバー・ハワード。
この作品がメジャー仕様なのはハワードの引き締まった表情を見てもわかる。
(同年に作られた純イギリス映画「黄金の竜」でのトレバー・ハワードは、同じようにイギリスのエージェント役だったが、北アフリカロケを謳歌し、新人の17歳アヌーク・エーメとのキスシーンにうつつを抜かしたのか、年相応のたるんだ顔つきだったが。)

チェコの偽造パスポートを持ち、混乱のウイーンで舞台女優を務める謎の女マリアにアリダ・ヴァリ。
イタリア人女優で、この絶妙なキャステイングに応える演技と存在感を示す。
アメリカ人女優ではとても出せなかったであろう、敗戦に混乱する根無し草の虚無感と強さを表現する。

この映画のハイライトは何といっても、コットンとウエルズの再会シーン。
ピーカンの空の元、待ち合わせの観覧車に向かうコットンをあおりでとらえるカメラ。
マントが翻り、それまでの無知な通俗作家の面影はすでにない。

向こうからやってくるウエルズ。
細身で足早、若い。

これまで画面の通底を支えるように低く響いていたテーマ曲が高らかに鳴り響く。
若き名優二人の颯爽としたふるまい。
格好いい。
それまでの暗く、絶望的だった映画の展開が一挙に晴れ渡ったような瞬間だった。

ハリー(ウエルズ)とホリー(コットン)の邂逅と対決

「市民ケーン」のウエルズは自己顕示欲が強く、クセと嫌みがあったが、リード監督の演出の元のウエルズはすっきりとしてその演技力がストレートに伝わってくる。

イギリスのアレクサンダー・コルダとキャロル・リード、ハリウッドのデヴィッド・O・セルズニックの3人による共同製作。
ウエルズのキャステイングに難色を示したセルズニックに対し、監督で製作者のリードが起用を強く主張したとのこと。
この作品の成功はオーソン・ウエルズの起用に多く起因している。

そういえば、生きているハリーが一瞬ホリーの前に現れるカット。
ライトに照らし出されるオーソン・ウエルズの顔つきと顔の角度は、「市民ケーン」での州知事選挙看板のウエルズのカットと同じ顔つきと角度だった。

製作陣がウエルズと「市民ケーン」に興味と関心を持っていることが隠しようもなく現れている。
また、それをユーモアというかウイットというか、イギリス人らしく余裕をもって表現したリード監督の才気を感じる。

ラストシーン、ハリーの埋葬を終え、ホリーが並木道でマリアを待つ。
一瞥もくれずに通りすぎるマリアをワンカットでとらえる。

ハリウッド映画ではありえないラスト。
原作は二人で腕を組んで去ってゆく、だったという。

この辛口のラストシーンにもリード、コルダのイギリス側の製作意図を感じるのは山小舎おじさんだけか。

「セルズニックの映画」にならずに、敗戦国のシビアさが背景にしっかり描けたこと、ハリー・ライムがアプレな悪人ながら魅力的に描けたこと、などはキャロル・リードとアレクサンダー・コルダの業績なのではなかったか。

ラストシーン。待ち受けるジョセフ・コットン、来たり去るアリダ・ヴァリ

DVD名画劇場 アフリカの女王とキャサリン・ヘプバーン

「アフリカの女王」という作品が好きだ。
中学生の時にだったかテレビの名画劇場で見て、20代になって映画館で再見した。
何ともいえぬ力の抜け具合。
まるで仏教説話のような映画だと思った。

「アフリカの女王と私」というキャサリン・ヘプバーンの著作がある。
彼女(「ケイティ」とヘプバーンが自称している)らしく、口語体で思ったことをのびのびと書いた本で、読みだしたらやめられない。
彼女の自伝「Me」を思い出す。

まずはこのメイキング本を読んだ。
そのあとに映画を見た。

「アフリカの女王と私」 キャサリン・ヘプバーン著 1990年 文芸春秋社刊

「お金のためだけに(映画の)仕事をしたことは一度もない。」(同著P141)とケイティは言う。
「仕事をするときは、その映画の発想なりキャラクターなりに愛情を覚えるからだ。」(同)とも。

「事実や映像やなまなましい感覚が、ひとつながりの記憶となってこちらへ押し寄せてくる。私の場合「アフリカの女王」がそうだった。」(同P10)。
ケイティは撮影後三十数年をして、この本を執筆する。

「アフリカの女王と私」表紙

電話が鳴る。
映画プロデューサーのサム・スピーゲルからだ。
面識はない。
「アフリカの女王」という原作ものの映画化の話。

監督のジョン・ヒューストン。
面識はない。
主演予定はハンフリー・ボガート。
会ったことはない。

でもケイティはスピーゲルに会ったときには出演を決めている。
あまつさえ、アフリカロケを提案する。
逡巡するスピーゲルに追い打ちをかける、「忘れないでくださいね、きっとアフリカですから」(同P15)と。

ケイテイことキャサリン・ヘプバーン。「アフリカの女王」撮影時41歳

脚本が届く。
ケイティに言わせればピンとこない。
ジョン・ヒューストンはなかなか姿を現さない。
会ってもとらえどころがなくケイテイをイライラさせる。
「一つだけ答えてほしい。ヒューストンはなぜ約束の時間を守れないのか。私は彼よりも百万倍も忙しい。」(同P17)のにと。

アフリカに着く。
コンゴのレオポルドヴィル。
次に飛行機でスタンリーヴィル。
撮影用キャンプの村までは、汽車で8時間、さらに車で40マイル。
ボギーはローレン・バコールとともに夫婦でロケに参加。

ロケ地でのボギー夫妻。ローレン・バコールが若い

キャンプでは、ボギー夫妻ともども個室のキャビンを与えられ、専属のボーイが付く。
部屋を花で飾り、シャワーやトイレの不自由に耐える(トイレはおまるで行い、シャワーの際に廃棄する)。
アフリカ暮らしはまんざらでもないらしい。

キャンプの「自室」でくつろぐケイテイ

「ここの水は、そう、まるではちみつだ。泥から蒸発してきたはちみつ」。(P35)と現地の軟水に感激するケイテイ。
軟水だと肌や髪が滑らかに保てるらしい。
アフリカ滞在を楽しんでいる。
否、文化生活とは対極にある生活から学び、よいところを見つけ出している。
さすが、ハリウッドではパーテイには参加しない主義、というケイテイ!

お気に入りの専属ボーイのアシストで髪を洗うケイテイ

ボギーとヒューストンへの評価は厳しい。
「私はこのアフリカでボギーとヒューストンという『男性意識過剰の』二人の男に挟まれている。」(同P65)と。ボギーの飲酒、ヒューストンの狩り(ちょっとでも暇ができると狩りに行きたがる)についても忌憚ない意見を述べることを躊躇しない。
自立した女性・ケイティ。

監督のジョン・ヒューストンは当初、ケイテイをあきれさせた

兄とともにアフリカに宣教に来て10年。
第一次大戦がはじまり、兄は死ぬ。
兄を間接的に殺したドイツ軍の戦艦をやっつけに、滝や葦原を物ともせず、ポンポン船アフリカの女王号で、船長のチャーリー(ボギー)とともに突き進むオールドミスのロージー(ケイテイ)が映画の主人公。

水に入る部分以外のほとんどのシーンをアフリカロケで撮影した1950当時では前代未聞の映画。
その空前節後のメイキングが「アフリカの女王と私」。

信心深く、不器量なオールドミスのロージー。
そのキャラクターにユーモアの色を付けたヒューストン。
深刻な場面で「スマイル」を指示されたケイテイ。

「こんなにすごい演出の仕方は初めてだった。」「ヒューストンは常識がなく、無責任で、乱暴だ。しかし彼には本当に才能がある」(同P96)と絶賛。
評価を180度転換する。

批判しつつもヒューストンの狩りに同行したケイテイ!

前後するがボギーについての評価も。

ロケの合間に川向の漁村見物に出かけようと、ボギー夫妻ともどもモーターボートをチャーターしたが、エンジン始動と同時に爆発が起きた。
ボギーは川に飛び込んで水をかけ、隣のボートの消化器と毛布で火を消し止めた。

「ボギーはトラブルに出くわしても、それをちゃんと処理できる人なのだ。」(同P42)とその真価を評価している。

ボギーは「トラブルを処理できる男」だった

「アフリカの最後の数日(中略)私はこの土地の美しさと力強さに心を動かされていた。とにかくけた外れの体験だった。(中略)もう一度ここへ戻ってこれるだろうか。戻りたい、本当に戻りたい。」(同P133)。

ヒューストンに出会い、ボギーに出会い、得難い体験の数々を残し、ケイテイはアフリカロケを終えた。

撮影風景。50年当時の大掛かりな撮影クルーの様子がうかがえる

「アフリカの女王」 1951年 ジョン・ヒューストン監督 ユナイト

1914年の独領東アフリカ。
イギリスから派遣されて10年の宣教師兄弟が教会に讃美歌が流れる。
オルガンを弾いて声高らかなやせぎすの中年女性(キャサリン・ヘプバーン)。
黒人のリズムと全く調和が取れていない。

一方、ボイラーを真ん中に積んだだけでキャビンもないポンポン船で川を行き来し、郵便や物資を運ぶカナダ人のチャーリー(ハンフリー・ボガート)。
すっかりアフリカずれした様子は、貧乏旅行者が気に入ったアジア・アフリカの安宿で「沈没」した様さえ思わせる。

さすが、ケイテイとボギーの両スター。
つかみはOKだ。

画面から醸し出される茫洋とした、雄大な、神の支配するかのような明るさとゆったり感。
これはジョン・ヒューストン監督のなせる業か?
いや、暇さえあれば狩りにうつつを抜かしていたというヒューストンの功績について結論付けるのはまだ早かろう。

アフリカの女王号の二人を狙うテクニカラー仕様のカメラ

それにしてもキャサリン・ヘプバーン扮するロージーの何とチャーミングなことか。
宣教師の兄に同行してアフリカで10年。
こちこちのクリスチャンでやせぎすのオールドミス。
ユーモアのかけらもないキャラクター。

兄が死に、様子を見に訪れたチャーリーとともに野辺の送りを済ませると、ドイツ軍の来襲から逃れるため(と、内心ではドイツ軍に復讐するため)、アフリカの女王号で出発する。

メイキング本の裏表紙より、アフリカの女王号に乗り込むシーンのケイテイ

せちがらさと世俗からはかけ離れ、頑固一徹、宗教者として誇り高く自律的なロージー。
擦れておらず、一本ずれた天然なところがかわいらしい。
突拍子もない発想は一見非常識だが、チャーリーの協力よろしく、窮地に陥ったアフリカの女王号を何度も救う。

滝を下る、魚雷?をつくる、折れたスクリューをジャングルで炭をおこし冶金で修理する。
チャーリーにとっては常識外の発想。
あっけにとられながらも持ち前の生活力で、ロージーの「発想」を「形」にするチャーリー。

二人に襲い掛かる困難の数々

兄の死と教会からの離脱という絶望的な状況に毅然とした姿勢を崩さず、助けてくれるチャーリーの飲んだくれに対してはジンの瓶全部を川に投棄し、酔ったついでの「やせぎすのオールドミス」というチャーリーの暴言には、翌日チャーリーが全面的に謝るまで無言を通す。
こういった融通の利かない女性像の演技はヘプバーンの独壇場。
頬のこけ尖っているが上品な顔つきが冴えに冴える。

共同作業の中、二人が意気投合する。
堅物オールドミスと沈没組中年外人のカップリング。
もちろんロージーにとっては初めてのパートナー。
これぞベストカップル!
奥さんのロージーが溌溂としていてリーダーシップをとり、旦那のチャーリーがしっかりとフォローできるのが好ましい。

困難を一つひとつ解決してゆく二人

ヘプバーン(ケイティ)のメイキング本では「大騒ぎ」の内幕だった。
大作映画としてスマートに編集された完成映画を見ると「混乱」の跡形もない。

アフリカロケが醸し出す泰然としたムード。
ヘプバーンの「絶望感の中にスマイルを通す」演技はヒューストン演出のナイスプレー。
キーマンであるロージーのキャラ付けが映画に果てしない広がりと深みを生んだ。
汚れ役で、頼りがいのあるボギーの演技もよかった。

なお、ケイテイのメイキング本には一言もなかったがこの映画、製作のスピーゲル(クレジットでは変名のサム・イーグルとなっている)、監督のヒューストン、主演のボギーに同行のベテイ(ローレン・バコール)、そしてケイテイと、全員が40年代末期のハリウッド赤狩りの間接的な犠牲者であり、少なくとも苦い思いをしたという意味で共通点を持つ「仲間」ではないか。

製作者;サム・スピーゲル(右)。左は撮影監督のジャック・カーデイフ

彼らのいわば「同志愛」が、困難な製作をやり通し、人類愛に満ちたともいえるこの作品を誕生せしめたのかもしれない。

おまけ 「旅情」 1955年 デヴィッド・リーン監督  イギリス

ヘプバーンのオールドミスキャラつながりで「旅情」を見た。

今回のケイテイの役柄は、アフリカの宣教師というぶっ飛んだものから、大幅に一般化し、アメリカ地方都市の秘書の役。
38歳の独身、仕事は有能だが男の影無し。
長期休暇を取っての欧州でのバカンス。
最後にベニスにやってきた女性一人旅という設定。.

女性の一人旅。
普通は男(特にイタリア男!)がほおっておかない。
ゆく先々でアヴァンチュールを繰り返し・・・というところ。
だが我がケイテイにはまったく男っ気なし。

ベニスのペンションでも食事の誘うのはもっぱらケイテイの方から、しかもデートに忙しい同宿者はケイテイの誘いを断ってばかり。
イタリアは、ベニスは恋の街なのだといわんばかりに。

ペンションの女主人がイザ・ミランダ。
イタリア生まれのフランス女優で「輪舞」(1950年 マックス・オフュールス監督)で貫禄たっぷりな美貌を見せてくれた。

女主人はケイテイとさっそく意気投合するが彼女も恋の女。
「積極的に行かなきゃ」などと、会った早々のケイテイにアドバイス。
「イタリア男は面白いわよ」とも。

そこへ現れたイタリア男。
てかてか、ぎらぎらのロッサノ・ブラッツイ。
ベニスへの列車でケイテイと同じコンパートメントだったのがなれそめ。
サンマルコ広場のカフェで再会するが、防御の硬いケイテイは見て見ぬふり。
ベネチアガラスを飾る骨董屋で再再会。

ケイテイ対ロッサノ・ブラツイ

自立しテキパキしている職業婦人のケイテイは、ムービーカメラを片手に一人でどこでも出かける。
裸足の浮浪児マルコが案内役だ。

ピュ-リタリニズムというのかアメリカの田舎の価値観なのか、男に対してはとにかく硬いケイテイ。
折に触れ口説くブロッツイ。
既婚者で成人しそうな息子がいるのがばれて、せっかく近づくことのできたケイテイの怒りを買ってもあきらめないで言い訳にこれ務める。

本当は寂しがり屋、旅先で若い男に言い寄られるのが夢だがこれが現実、と核心を追いて口説きまくるイタリア中年男に、さすがのケイテイもギブアップ。
夢のようなベニスの夜。
オーケストラが奏で、空には花火が轟いておりました。

イギリス人監督のデヴィッド・リーンは撮影時40代中盤のヘプバーンの、首のしわとそばかすを隠すことを第一に考えたらしい。
なるほどハイネックの衣装と濃い目のメイク。
テクニカラーに映える衣装。

ただし隠し切れないのがキャサリン・ヘプバーンの役者としての実力、そして貫禄。
毅然とした姿勢を崩さず、自立し、一人で行動する役を敢然とこなす。

運河に落ちるシーンもスタンドなし。
「アフリカの女王」に次いでの水ずくしだ(ちなみに「アフリカの女王」でボギーとケイテイが水に漬かるシーンはすべてロンドンのスタジオ撮影とのこと)。

若いころの「赤ちゃん教育」でも「フィラデルフィア物語」でも、水に浸かったりプールに飛び込むシーンはお手の物だったのがケイテイ。
さすがの女優魂である。
この作品でもケイテイことヘプバーン一人の場面の芸達者ぶりをたっぷり楽しむことができる。

イタリア男の手を借りて、旅の情けを知ったケイテイ。
理想ではないものの、自分相応の夢を見ることができた。
現実とは交わらないものの、確かな夢の名残を残してベニスからアメリカのホームへ帰ってゆくのだった。

ヘプバーンは中年になっても、若いころ(「勝利の朝」「赤ちゃん教育」「フィラデルフィア物語」のころ)同様に冒険が似合っていた!

列車でベニスを去る時のケイテイ

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル!①勃興期

アメリカ映画黄金時代のラインアップに欠かせないのがミュージカル映画。

「ミュージカル映画こそは、我々大衆が常に求めている真の芸術形態であると筆者は確信する。」とは、柳生すみまろ著「ミュージカル映画」(1975年 芳賀書店刊) P158よりの引用。

今回は1940年代に全盛期を迎えたMGM社のミュージカル映画から、その勃興期に当たる1920年代から30年代にかけての2作品を見た。

「ミュージカル映画」表紙
同、奥付き

「ブロードウエイ・メロデイ」 1929年 ハリー・ボーモント監督 MGM

世界初のトーキー映画が1927年の「ジャズシンガー」。
初のミュージカル映画ともいわれる「ジャズシンガー」から、各社は玉石混交のミュージカル作品を制作した。

「ブロードウエイメロデイー」は、音楽部員として、のちにMGMはミュージカルを支えることになるアーサー・フリードが参加し作詞を担当。
また、劇中の全曲がオリジナルスコアという力の入った1作だった。

出演は、ブロードウエイのスターを目指す姉妹役に、ベッシー・ラヴ(姉)とアニタ・ペイジ(妹)。
姉の恋人で、ブロードウエイで作曲家兼役者をしている役にチャールズ・キング。

アーサー・フリードを除き、監督のボーモントともども、現在では忘れられたスタッフ、キャストだが、姉役のベッシー・ラヴは子役から無声映画で活躍した人気者だったとのこと。

また、映画は我々が想像するような、セリフを歌で表現したり、レヴューシーンと劇シーンが混然一体となったミュージカルではなく、歌と踊りが行われるのは舞台上とけいこの時だけで、あとは一般の劇映画のように進んでゆくスタイル。

「ブロードウエイメロデイー」の一場面

田舎からニューヨークに上京し、舞台のスターを目指す姉妹が主人公。
お互いへの思いやり、チャールズ・キング扮する姉の恋人を巡る三角関係、バックステージの混乱、リハーサル前の緊張、妹の抜擢、妹に近づく都会の遊び人・・・などが要素となって話が進む。

前述のように、レビューシーンは舞台を平板的に撮影するという方法で表現され、のちのMGMミュージカルに見られるような、大セットと大人数のダンサーによる目くるめく舞台を立体的に撮影する、というスペクタクル性は見られ無い。
ダンサーたちの踊りも、整合性がなく緩い感じなところに完成度の低さがうかがえる。
その分、ベッシー・ラヴの達者な個人芸が見られるのは、アナクロな意味で拾い物だが。

中央アニタ・ペイジ。右ベッシー・ラヴ

先の「ミュージカル映画」によると、ミュージカル映画には2種類あり、一つはいわゆる楽屋話を描くバックステージものや伝記もので、もう一つは40年代のMGMミュージカルに代表されるオリジナル歌曲で構成される豪華絢爛なものだという。(同著P150)

この定義で行くと「ブロードウエイメロデイー」は、初のオリジナルスコアによる作品でありながら、多分にバックステージものの要素を持っており、分類は難しいが、レヴューシーンの表現が成熟していない点やドラマ部分の重要度合いを見ると、一つ目のいわゆる「楽屋話」に分類されるのだろう。

妹を思って、遊び人から妹を守ろうとしたり、三角関係から身を引く姉(ベッシー・ラヴ)の演技がよかったし、妹役アニタ・ペイジのフレッシュな美しさは見ごたえがあった。
本作は大ヒットし、MGMがミュージカルに傾注するきっかけになったという。

「巨星ジーグフェルド」 1936年 ロバート・Z・レナード監督 MGM

上映時間(DVD)178分。
MGMのトップスターの配役。
豪華絢爛なレビューシーン。

どれをとっても第一級作品仕様で、40年代に全盛を迎えるMGMミュージカルの直接の契機となった作品。
第9回アカデミー賞の作品賞と主演女優賞(ルイーゼ・ライナー)を受賞。

このそうそうたる作品が1936年に生まれている。
テーマとなったジーグフェルドとは何か?
この作品撮影の数年前に死亡したブロードウエイのレビュープロデユーサーである。
名前の通りドイツ系移民の子孫で、父親は音楽学校の経営者。
比較的裕福な出だった。

1893年シカゴ万博の会場からドラマは始まる。
筋肉自慢の怪力ショーをプロモートするジーグフェルド(ウイリアム・パウエル)。
向かいの小屋ではエジプト娘のベリーダンスを出し物に、終生のライバルとなる興行師が呼び込みしている。
当時の万国博覧会は異国趣味や怪物志向の見世物小屋が今でいうところのパビリオンだったのだ!

まもなく口八丁手八丁のジーグフェルドルドは、ライバル興行師を付け回し、ロンドンでフランス人歌姫アンナ(ルイーゼ・ライナー)を横取り契約して大当たりを取り、彼女と結婚(実話では事実婚)したりで、ブロードウエイでのし上がってゆく。
舞台については装置から衣装まで細かく口を出す。
そのことごとくがヒットにつながる。

右からウイリアム・パウエル、ルイーゼ・ライナー、ヴァージニア・ブルース

アンナを主役から降ろし、バックダンサーのオードリー(ヴァージニア・ブルース)をレビューの主役に抜擢。
大人数のダンサーを使い、大掛かりな舞台装置、豪華な衣装のレビューを演出するのがジーグフェルドのスタイル。

映画で再現されるそれは、まさにMGMミュージカルの豪華さをこれでもかと見せつけるよう。
デコレーションケーキのような形の巨大な装置を舞台上にあつらえ、それが回転するにつれ、東洋調、イタリア調と異国情緒あふれる場面が過ぎてゆく。
様々な音楽を豪華衣装のダンサーたちが奏で、回転を終えたデコレーションのてっぺんでは、オードリーがにっこり微笑む。

レビューの場面

衣装は宝塚もびっくりのキンキラキンだし、ダンサーは大勢で皆美人、踊りも「ブロードウエイメロデイー」に比べて格段に揃っており、キレもある。
観客から見えやすいように、ダンサーたちが配置される階段は高く、急に、というのもジーグフェルドの演出。

一方でスターの座を奪われたアンナは夫のもとを去る。
のちにジーグフェルドの再婚を新聞で知り、お祝いの電話をかける。
この時のルイーゼ・ライナーの演技がよい。
ドイツに生まれたユダヤ人としてハリウッドで異色の経歴を生きた女優であるルイーゼの悲哀が感じられるかのような演技だった。

ルイーゼ・ライナー

開巻2時間を優に過ぎてから、マーナ・ロイが二度目の妻役として登場。
最後までジーグフェルドを励まし、株の暴落で破産してからは自ら舞台に復帰し夫を支えた妻を演じている。
パウエルとマーナはすでにMGMの黄金コンビとして「影なき男」シリーズで夫婦探偵を演じており、息の合ったパートナーぶりが見られる。

マーナ・ロイ

ジーグフェルドの自伝映画としてほぼ実話に基づいた作品のようで、生前ジーグフェルドに関係のあった俳優(ウイル・ロジャースなど)が実名で出ている。
ここら辺はバックステージものそのものである。
一方で、豪華絢爛ぶりもいよいよ盛んになった作品でもあり、見物としては舞台の豪華ぶりが一番の見どころではあった。
1936年作品にしてこの盛り上がりぶり。
MGMミュージカルよ恐るべし。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ターザンとジェーンのエデンの園

ターザン映画は1918年にアメリカで映画化(大正8年「ターザン」の題名で日本公開)されたのが最初だという。
MGMによる、ジョニー・ワイズミュラー主演での映画化(1932年「類猿人ターザン」)は、作品の数では9作品目の映画化になる。
ワイズミュラーは6代目のターザン役者とのこと。

先に「類猿人ターザン」を見てその面白さに驚いた山小舎おじさん。

ワイズミュラー主演のターザン10作品が入ったDVDボックスがあったので買ってみた。
ワイズミュラーとモーリン・オサリバンのコンビによるターザン物を見てますますターザンものが面白くなった。

「類人猿ターザンの復讐」(原題:ターザン アンド ヒズ メイト) 1934年 セドリック・ギボンズ監督 MGM

MGMターザンシリーズの第2作。
前作で行方不明の父を追ってイギリスからアフリカへやってきたジェーン(モーリン・オサリバン)は、自然児ターザンの出現に恐れおののいたものの、その魅力に心動かされる。
父の死を確認したこともあり、ジェーンはターザンとともにアフリカに残る道を選ぶ。

ワイズミュラーとオサリバンのコンビ2作目の「ターザンの復讐」ではアフリカでターザンと暮らすジェーンの、ジャングルへの適応ぶりとターザンへの愛情が描かれる。

日本公開当時の「類猿人ターザンの復讐」広告

この作品でのジェーンの格好は、セパレーツの上下で、下半身は紐で前後とつなげているだけ。
ターザンのスタイルとの共通性があり、ジャングル生活に適応したジェーンの姿を現す。
だが当時の社会情勢や映画の自主規制状況を考えると、これはかなり思い切ったスタイル。

「ターザンの猛襲」プレスシートより

ジェーンは、前作で彼女に思いを残しながらイギリスに帰っていたハリーと、その友人で象牙で一攫千金を狙う山師のような男のキャラバンを迎え、再会を喜ぶ。
キャラバンにはハリーが用意したドレスや化粧品があり、ジェーンはドレス姿を披露。
ドレスや化粧はジェーンの若い女ごころをくすぐりはするが、ターザンとの絆を切るまでには至らない。

ジェーンが「エデンの園」と呼ぶ河畔。
朝のターザンとの水泳シーンでは、ジェーンが着ていたドレスが木に引っかかり、裸のまま水中を泳ぎ回る。
水中シーンはシリーズで毎回出てくるが、この作品の場面が一番長く、美しい。
ジャングルに適応し、ターザンと暮らす喜びがあふれる。
当時の映画では思い切った表現。

「ターザンの復讐」よりターザンとジェーン

ジェーンを演じるイギリス人女優、モーリン・オサリバンは1911年生まれ。
本作品撮影時は22、3歳でまさに若さがキラキラしている頃。
前作でのおてんば娘ぶりから、愛する人と暮らす若い娘への変貌を溌溂と演じている。

DVDボックスより

山師の策略で、ターザンが死んだと思ったジェーンは一度はイギリスへの帰還を覚悟するが、こういったジェーンと文明社会との切っても切れない関係性はシリーズ中で繰り返されることになる。

シリーズ中最長と思われる上映時間104分は、大半がジェーンの魅力に捧げられたものだった。

「ターザンの逆襲」(原題:ターザン エスケイプス) 1936年 リチャード・ソープ監督 MGM 

本作から監督は娯楽映画の職人として長く活躍したリチャード・ソープに交代。
さあ、ターザンは何から逃げるのか?

「ターザンの逆襲」より

イントロはいつものようにアフリカの奥地へ着いた蒸気船から降り立つ白人一行のシーン。
やってきたのはジェーンの従姉姉弟。
おじが残した遺産を餌にイギリスへジェーンを連れ帰そうとする。

一方、ジャングルでの新婚生活も板についてきたジェーンは、偶然チンパンジーのチータが持ち帰った女性の下着を見てターザンの浮気?を疑ったりの若妻ぶりを発揮。

二人の新居は、ハンドメイドではあるものの、像の力で昇降するエレベーターがあり、チータがハンドルを回す扇風機が備わっている立派なツリーハウス。
ターザンが作ったらしい。
食事はテーブルで摂り、ターザンがサーブする。

これら、文明生活をコピーした新居を、ユーモアととるべきか、ジェーンと文明生活のつながりの強さとみるべきか、当時のアメリカ映画の価値観の発露とみるべきか。

イギリスにいったん帰ることを決めたジェーンにすねるターザン。
説得し励ますジェーン。
ジャングルの王者ではあるが、文明社会との接触場面では、直情径行の「問題児」ぶりを隠さないターザンと、文明的でしっかり者のジェーンという、カップルの色がこの作品あたりから確立する。

一度は、いとこ一行と同行してターザンのもとを去るジェーン。
荒れるターザン。
ターザンものらしくない心理劇的展開が重たく、そぐわない。

すべての問題が解決し、ジェーンはイギリスに帰らなくてもよくなる。

従姉は「あなたは(素晴らしい男性と、理想的な環境という2つを得て)すべての女性がかなえられるわけではないポジションにいるのだ」とジェーンに言うラストシーン。
ジャングルに残るジェーンに対する最大級の賛辞でドラマが終結する。

ジェーンのコスチュームは、この作品以降、ショートパンツの上におとなしいワンピースを着たスタイルに変更。
ジェーンが自然の中で肌を露出して色気や美しさを発揮するシーンはなくなる。

「ターザンの猛襲」(原題: ターザン ファインズ ア サン)  1939年 リチャード・ソープ監督  MGM

MGMターザンシリーズ第1作から7年。

おてんば娘だったジェーンも落ち着いた若妻に。
そして本作で母親となる。

「ターザンの猛襲」本国宣伝

南アフリカへ鉱山経営に向かう飛行機が、ターザンが住む絶壁に衝突して不時着。
富豪夫婦は死に、赤ん坊が残される。
チータが飛行機から赤ん坊を回収し、ターザンに渡す。
この作品あたりからチータの活躍が目立ち、チータ単独の場面も増えてくる。

ボーイと名付けられすくすく育った赤ん坊。
ターザンとジェーンはボーイの親を自任。
ボーイの遊び相手はチータと仔象。

また、ターザンはほぼ英語を解している。
発する言葉は、相変わらず単語をつなげたものだが。

「ターザンの猛襲」ボーイとターザン

遭難した夫婦の死亡を確認するためのキャラバンがやってくる。
莫大な遺産が絡む。
遺産の独り占めを狙ってキャラバンの中の悪人が策動。
直感で悪人を見破るターザン。

ジェーンは、文明人の余韻を残すため、悪人の言葉に騙される。
というか、文明人のジェーンは直観ではなく、相手の発する言葉の論理性如何で物事を判断するため、結果的にターザンの行いに抵抗し、悪人を助けることにもなってしまう。
ただし、結末はターザンの活躍により悪人が滅び、ジェーンはターザンに謝り、二人の仲は一層深まるのだが。

DVDパッケージより

この作品から、キャラバンの一員として、おどけ者ながら直観的にターザンを理解し、最後に悪人に対抗(しようと)する芸達者なキャラが加わる。

「ターザンの黄金」(原題:ターザンズ シークレット トレジャー) 1941年  リチャード・ソープ監督 MGM

ターザンシリーズの主題は、素朴な自然主義。
ターザンに象徴される、平和を愛し、自活能力に優れ、自然を愛する直観力、を賛美している。
もっとも、ジェーンに象徴される常識的な文明性へのリスペクトも忘れてはいない。

本作ではその主題にもう一歩深く踏み込む。

「ターザンの黄金」本国宣伝

ボーイが家族で泳ぐ川の底で金の塊を見つける。
ターザンは黄金には興味がないが、山にも同じものがあるという。
ジェーンはボーイに文明社会での金の価値を教える。

部族の調査にやってきた学術調査のキャラバンがターザンのもとへやってくる。
歓待するジェーン。
新居には吹き出す温泉で蒸し焼きや茹で料理ができるグリルや、湧水を引いてかける冷蔵庫まで新設されている。.

しっかり者のジェーンを先頭にターザン一家

ジェーンはしっかり者のママとしてボーイを教育。
キャラバンが持っている望遠鏡や映写機に積極的にボーイを触れさせる。

ボーイが金塊を見せたことで学術キャラバンは内部分裂。
悪人派が良識派を駆逐し、ターザンを銃で排除して、ジェーンとボーイを人質に金塊奪取へ向かう。
前回から登場の、おどけキャラ(バリー・フィッツジェラルド)がここで活躍し、ターザンの逆転劇をアシストする。

すっかり落ち付いたヤングママぶりを発揮するジェーン役のマーガレット・オブライエンは20代最後の出演。
ポーレット・ゴダードとジェーン・フォンダを合わせたような美人女優に成長している。
ターザンとの会話は、出会った頃の思い出話をするまでに言語が進化。
一方、いったんは悪人の「言葉」に騙され、結果としてターザンを窮地に陥らせるパターンを本作でも踏襲している。

DVDパッケージより

ラストシーン。
「君達のような人が増えれば世界は平和になる」と、ターザンを助けた、おどけ者(バリー・フィッツジェラルド)に言わせて、ターザンの文明に毒されない素朴な生き方が賛美される。
金第一主義の弊害を明確に否定して、映画はその主題を深化させる。

では、そのあとはどうなのか。
去ってゆく白人を見送る「理想的」なターザン一家が、まるで〈絶滅を待つ、エデンの園の希少生物〉のように、はかなく寂しげに映ったのは気のせいか。

そう見えたのは、〈素朴な自然性〉以上の価値観を、この映画も当時の社会も持ち得ず、そういった中で〈金第一主義〉だけを否定する状況にいわば〈放置〉されたターザン一家が不安定に見えたからではなかったか。

「ターザン紐育へ行く」(原題:ターザンズ ニューヨーク アドベンチャー)1942年 リチャード・ソープ監督 MGM

ワイズミュラーとオサリバンのコンビの最終作。
ターザンは少々おっさん臭くなり、30歳を迎えたジェーンは堂々たる中堅美人女優。
オサリバンは、映画監督のジョン・ファローと結婚し、1945年には、のちにミア・ファローとなる娘を出産することになる。

DVDパッケージより

エデンの園で泳ぐターザン一家の姿がトップシーン。
新居にはチータがハンドルを回す「食器洗い機」が新設されている。
ジェーンは幸せそうだ。

やがてライオンの捕獲を目的とした一行が双発機で不時着する。
ボーイが現場に向かう。
白人3人のうち一人を操縦士と見破るボーイ。
自然児としての直観力がボーイにも備わっており、ターザン二世として成長していることがわかる。
一方、一行のうちの悪人はボーイが仔象を手なずける様子を見て、サーカスで大儲けできると悪だくみを考える。

凶暴なジャコニ族の来襲と救援に駆け付けるターザンとジェーン。
ツタがジャコニ族によって切られて落下する二人。
さらに火をかけられる。
チャンスとばかりにボーイを連れて離陸する白人たち。

チータに助けられたターザンたちは、ボーイを追って海岸の街へとたどり着く。
ジャングルでの格好のまま裸足で港町の往来を歩く二人は好奇の的。
白人の高官に掛け合って、黄金と交換にニューヨークまでの航空券を入手。
中国人のテーラーでそれぞれの洋服をあつらえる。

ニューヨークの空港、タクシー、ホテルでの騒動の描写は、大人し目。
ドタバタは主にチータが引き受け、よく訓練されたチンパンジー芸をたっぷり披露。
ターザンも服の上からシャワーを浴びて叫ぶなどするが、ギャグっぽい描写はされていない。

「ターザン紐育へ行く」より

洋装もよく似合うジェーンは、当初は法律に従うようにターザンを説得し、ボーイを戻すために裁判にまで訴える。
が、実の親ではないことが判明し、ボーイの親権を証明できない。
その瞬間、裁判所でターザンの怒りが爆発。
拘束された部屋の窓を破って脱出。
警官とビルの屋上から、吊り橋の上まで大捕物を展開。
サーカステントでは悪人を相手に空中ブランコで立ち回る。

この展開、反権力・アナーキーなものではなく、無声映画の喜劇で警官をからかう喜劇役者のふるまいに近い。
むろん喜劇風演出はされておらず、ターザンの直情径行を強調し、ターザンだから許される、という風で観客も全面的にターザンを応援したくなる。
公務執行妨害と裁判所侮辱罪については、情状酌量され執行猶予となる結末が用意され、文明との妥協の場面も用意されている。

ジェーンは法律に頼り、ターザンを自重させたことを反省。
「これからもついてゆく」とターザンに謝罪。
一家はアフリカに戻り、エデンの園で泳ぐ一家の姿がラストシーン。

母親役で、ますます落ち着きの出ているジェーン。
自らの色気発揮は少ないが、だからこそコスチュームから覗く形の良い足が、大人の色気に変わっていて貴重だったことを申し添えたい。

まとめ

・原作のターザンは類猿人と呼ばれ、いわば人外魔境に暮らすジャングルの王だったの(だろう)が、そういった伝奇性、猟奇性は第2作目までで、それ以降は、ジェーンの存在感が増し、ターザンは家庭人、常識人としての一面が強調されている。

・映画のベースには素朴な自然賛歌があり、平和を乱す拝金主義、武器などの文明はターザンによって否定、排除される。
ジェーンは文明人として一義的にはそれらを排除しないが、最終的にはターザンの価値観に従う。

・このシリーズは女優モーリン・オサリバンの成長物語でもある。
イギリスからハリウッドに渡り、シリーズ第1作から体当たりでターザンのヒロインを熱演。
ジャングルに定着した当初を描く第2作では思い切ったコスチュームを披露、はつらつとした魅力を全開にする。
シリーズ後半では母親としての落ち着きも見せ、洋装でのニューヨークのシーンなどでも芸達者ぶりを見せた。

・アフリカロケの部族や動物の珍しいシーン。
スタジオでの動物を使ったシーン(特に多数の像を使ったアクションシーン、猛獣とと格闘シーンンなど)。
大勢の黒人を使っての部族の襲撃シーン、キャラバン隊の再現シーン。
などに工夫が見られ、アフリカもの猛獣物の原典となった。
人が川でおぼれた瞬間にワニが出動してゆくカットなどはこの後の映画で繰り返されることになるお馴染みのものだ。

モーリン・オサリバン

シネマヴェーラでサッシャ・ギトリ特集

シネマヴェーラ3月の特集はサッシャ・ギトリ。
生涯30本ほどの映画を監督するが、リアルタイムでの日本輸入は2本ほどしかなかった。
ただ輸入されたうちの1本である「とらんぷ譚」(1936年)は30年代のフランス映画を語る際によく登場する作品であった。
今回はギトリの特集から2本を見た。

シネマヴェーラのパンフより

「あなたの目になりたい」 1943年  サッシャ・ギトリ監督主演  フランス

ギトリ映画初体験。

若々しいファッションに身をつつんだマドモアゼル2人が展覧会の会場へ入ってゆく。

ぴちぴちして魅力的なマドモアゼル(ジュヌビエーブ・ギトリ)。
そこに出てくるのが初老で恰幅のいい彫刻家(ギトリ)。
その姿、若い娘には釣り合わない。

初老のエロ爺の若い女への執着?
もしくは若い娘によるパトロン狙いのパパ活?

恋の都フランスだからその主題もありなのだが、当時60歳に近いギトリが主人公を演じる姿に驚く。

監督で演技者としても定評のあるギトリゆえに許されるのか。
同じく監督主演を務め、気に入った(多くは愛人の)女優を相手役に抜擢した、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、チャーリー・チャップリン、そしてウッデイ・アレンの〈マイナス面〉を思い出す。

シュトロハイムには徹底した己を含めた現実への視線があった。
チャップリンには体を使った常人ならぬ表現があった。
それらは、仮に己の映画を公私混同の場としていたとしても一見の価値のあるものだった。
が、果たしてギトリ映画にそれはあるのか。

セリフ回しは滑らかだが、動かなくなった太めの体躯と隠せない年齢はすでに主演者のそれではなかった。

シネマヴェーラ特集パンフより

それでも映画の前半。
恋に落ちた娘を邪険にする彫刻家の姿に、人間の情の不可思議さ、深さを表現していいるのか?さすがフランス映画!と感心させる。

それが早とちりだったと判明するのが、彫刻家が失明を予期し、娘に結婚をあきらめさせる親心だとわかって迎えるハッピーエンド。
これではハリウッドメロドラマと同じではないか。

「とらんぷ譚」 1936年  サッシャ・ギトリ監督主演  フランス

1936年の作品。
主演は同じくギトリ本人だが、まだ50代前半で、また全編にわたっての出演ではなく、少年時代や青年時代の主人公をそれぞれ子役や若い役者が演じるので無理なく見られる。

特集パンフより

主人公のナレーションによる回想シーンがほとんどを占める。
この回想シーンの処理がテンポがあっていい。
短くカットがつながれ、演技もパントマイム的で無駄がない。
さりげないギャグにはペーソスや人生の苦さが加えられ、ギトリのセンスの良さを感じる。

当時の結婚相手ジャクリーヌ・ドゥリュバックが魅力的に撮られており、とっかえひっかえのファッションやコケテイッシュな笑い顔に「あなたの目になりたい」のジュヌビエーブ・ギトリを思わせる。
ギトリの好みはいくつになっても、こういった若い魅力的な女性なのだろう。
チャップリンも10代の少女が好きだったように。

右:サッシャ・ギトリー、左:伯爵夫人役の老女優

快調な作品なのだが、回想シーンでモナコ時代の話の時の主人公のナレーションで「ここにはあらゆる人種が集まる(中略)雰囲気がいいのは日本人がいないせいだろう」みたいなセリフがあった。
背景が白くてスーパーの日本語が判然とはしなかったものの。

1936年当時は戦前で、枢軸国は悪の対象。
ドイツには面と向かって言えないので、影響の少ない日本を悪者にしたのか?
あるいは人種差別か?

戦後にはすぐ壊れるおもちゃを裏返すとMADE IN  JAPANの文字が現れ、それをラストシーンとしたイギリス映画(「落ちた偶像」1948年)などもあり、直接的間接的に日本(日本人)を揶揄した外国映画が各時代に見られた。

自分の作品のギャグのために外国(人)を茶化すようなことは好きではないのでここで一気に醒めてしまった。

コメデイアンがその毒として事象を茶化すことはあるが、その選択には本人の立ち位置が表れる。
ロシア生まれで、フランスでは己の才能1本で演劇映画でのし上がってきたギトリの〈毒〉のこれは一つなのであろう、時代背景もあったろう、がしかし・・・。

そういうわけで、この日以降ほかのギトリ作品を見る気力をなくした山小舎おじさんでした。

ウッデイ・アレン作品のように、自虐ネタやオチョクリをしゃべりまくる主人公が、若く魅力的な女優を横に、苦いギャグを連発する映画が好きな人はどうぞ。