ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映 番外編 木下恵介の「永遠の人」



「永遠の人」  1961年  木下恵介監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

阿蘇の麓の農村を舞台に、日中戦争がはじまった昭和7年(1932年)から戦中、戦後、昭和35年(1960年)までを5つの章に分けて描いたドラマ。

登場人物は庄屋の跡取り・仲代達矢、庄屋の作男の娘・高峰秀子を中心に、高峰と相思相愛の小作人の息子・佐田啓二、その妻になる・乙羽信子、仲代に高峰が犯された時に身ごもった長男・田村正和らが、2世代3世代にわたってお互いの確執、愛情、憎悪、そして許しを描く人間大河ドラマ。
すべてを見守る阿蘇の雄大な自然が舞台設定。

オリジナルポスター

上海事変から足に戦傷を負って庄屋の息子・仲代が帰ってきた。
馬車で凱旋し、盛大な歓迎会が繰り広げられる。
そこで下働きをする小作人の娘・高峰を見染める仲代。
娘は出征中の佐田と恋仲だったことを知りつつ仲代は高峰を襲う。
ひねくれた性格の仲代には、少年時代から優秀だった佐田への嫉妬もあった。
犯された後、身投げしようとして佐田の兄に滝つぼから救出される高峰。

無事帰ってきた佐田が真っ先に高峰のもとに向かい、事情を知る。
内心軽蔑していた仲代に恋人が犯されたわけだが相手は庄屋の息子。
ならばと駆け落ちしようと高峰を誘うが、約束の場所に佐田は現れず、一人で出奔する。
高峰は乞われて庄屋に嫁ぎ仲代と夫婦となる。

夫婦には長男の田村正和のほかに弟と妹ができ、不自由なく生活している。
長男に何かと冷たく当たる高峰と、長男を可愛がる仲代といういびつな家族関係が家庭に影を落とす。
夫婦の不仲と長男の不遇を見て育つ弟と妹。
学校で問題行動を起こしてばかりの長男だったが、高校になり自分の出生の秘密を知る。
人生に絶望した長男は阿蘇の火口に身を投げる。

村に戻った佐田は妻・乙羽信子と暮らしてるが、佐田は妻に心を開こうとはしない。
庄屋に手伝いで通い始めた乙羽は、夫の心が高峰にあると嫉妬する。
高峰の心も佐田にあると思っている仲代は、突然、乙羽に迫るが高峰に気づかれ「けだもの」とののしられる。
乙羽は追い出される。

プレスシート

時がたち、高峰の娘が佐田の息子(石浜朗)と駆け落ちする。
駆け落ちを独断で黙認した高峰。
激怒する仲代。
既に次男は東京での学生運動で逮捕状が出ている。
唯一の希望であった娘の出奔で、仲代と高峰の仲は決定的な崩壊を迎えるが、高峰はこの期に及んでも仲代を決して許さず、仲代も自分を許さない妻へのゆがんだ征服欲を解こうとしない。
田圃の中に建つかやぶき屋根の大きな屋敷とそれを見守る阿蘇の自然が変わらないように。

追われる身となった次男が阿蘇にバスでやって来る。
逃亡資金を渡し乍ら高峰が会いにゆく。
次男は「昔、村に一揆があった時に、うちの先祖は一揆衆を裏切っり、虐殺された大勢の死体を埋めた場所に住んできた」と庄屋の一族の業を説く。
また「お母さんがお父さんを許さない限り、僕もお母さんを許しませんからね」と言って去る。

駆け落ちした娘らが赤ん坊を連れて、死の床に就いている佐田に会いに来た。
高峰も駆け付ける。
佐田が仲代に謝りたいというのを聞いて高峰は田んぼの中を仲代のもとに駆け付ける。
彼女は生まれて初めて仲代に謝り、佐田の元へ同行してほしいと頼むが、仲代はかたくなに心を開こうとはしない。
「もういい」と一人で飛び出す高峰に仲代の声がかかる、二人で田んぼの中を佐田の元へ急ぐ姿にエンドマークがかかる。

プレスシート

ラストこそハッピーエンドに近いが、それまでは人間同士の不寛容と憎悪に塗りこめられたような筋立て。
そこにフラメンコギターで熊本弁の歌詞をフィーチャーした木下忠司(恵介監督の甥)の音楽がかぶさる。
異化効果を狙ったのか、人間の心理をドキュメンタルに描くことだけを第一義としない木下映画のカラーなのか。

人間同士の不寛容と憎悪を、仲代と高峰の夫婦関係に限定せず、それこそ歴史上の業から、子供たちへの影響が輪廻となって一族に繰り返されるまで、時間軸、空間軸を広げて描く、木下脚本の筆力は本作でも本領を発揮。

高峰は単なる弱者、被害者ではなく、金持ちの庄屋の奥様として居座る姿にいびつな復讐心と功利的な心理が現れている。
映画の途中から、何十年も心を開こうとしない妻を持つ仲代が可哀そうに見えてくるほどだ。

かつて駆け落ちをしようとして土壇場で逃げる佐田についても単なる被害者ではない弱さが付加されている。
彼も満たされぬ自分の思いを妻の乙羽にぶつけ彼女を傷つける弱い男なのだ。
ただ佐田は死の床で、孫の訪問を受け入れ、高峰に感謝し、仲代にわびようとする。
主な登場人物で初めて自分から心を解放したのが死の床の佐田ではあった。

映画は全く幸せそうな若夫婦(石浜朗ら)を描写し、一族とその人間関係からの解放を謳っている。
後には、老境に差し掛かり、人生の残滓を迎えている戦前世代の直接融和と心の解放が課題として残されるが、それについてもハッピーエンドを示して終わる。

木下恵介としては畢竟の実験的大作「笛吹川」が期待ほどヒットせず、9か月のブランクを経て制作したのが本作。
本作は幸いヒットして面目を保ったようだ。
残酷なほどの冷徹で執拗な視点、実験的で斬新な手法(フラメンコの使用など)は木下映画そのものだった。

特集パンフの作品解説より

ラピュタ阿佐ヶ谷の「松竹女性映画珠玉編」の1本として上映された本作でした。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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