有馬稲子
ここに女優・有馬稲子の2冊の自叙伝がある。
「バラと痛恨の日々 有馬稲子自伝」(1995年 中央公論社刊)と、「のど元過ぎれば 有馬稲子」(2012年 日本経済新聞社刊)である。
前者は本人の書き下ろし、後者は日本経済新聞の有名人コラム「私の履歴書・有馬稲子」をもとにしたものである。


有馬稲子は1932年大坂生まれ。
戦前の朝鮮釜山で叔父夫婦と暮らし、戦後、密航船で引揚げ、実父の元で暮らす。
女学校を経て宝塚入団、娘役で活躍。
54年宝塚を退団して東宝と専属契約を結び映画女優として歩み始める。
自伝には宝塚入団まで、戦前戦後の混乱した生活の様子がうかがえる。
叔父夫婦に預けられての外地生活からの決死の引揚。
実父からのいじめともいえる境遇と、もと宝塚ガールの実母との暮らし。
『将来へのどんな夢も抱かずにいた。』(バラと痛恨の日々」P24)女学校卒業時点の心境だったが、導かれるように自らも宝塚へ進むことになる。
自伝には、少女漫画もハダシで逃げ出すような筋書きがドラマチックに綴られる。
自らを演じることが女優としての性だといわんばかりの筆致であり、まさにこれが有馬稲子の真骨頂である。
逆境を受け入れつつ果敢に立ち向かい、太陽のような輝きを振りまきながらスターの道を歩む。
周りの人に何と思われようと、選ばれた人間だけが進むことを許される道が彼女の人生だ。

自伝に登場する人物は、映画女優時代に『にんじんくらぶ』という俳優プロダクションを組んだ岸恵子だったり、川端康成、大江健三郎などの有名人ばかり。
最初の結婚相手は国民的人気を誇った中村錦之助で、彼女の上昇志向、一流好みが鮮烈だ。
痛恨の出来事として、妻子ある映画監督との不倫と堕胎に触れているが、ここまでの自虐的暴露は女性有名人の自伝には珍しい。
あざとさと上昇志向ばかりではない、彼女の男性っぽい生きざまがうかがえる。(この映画監督は市川崑)。
宝塚の1期先輩で、その後も馴染みがあった高千穂ひづるの自伝(「胡蝶奮戦」)には有馬稲子が何度も登場するのに対し、有馬稲子の自伝に高千穂の名前は一度も出てこない。
自分の上昇志向にマッチしない人物は、自伝に登場する価値なし!というところも彼女らしい。

番匠義彰監督の「抱かれた花嫁」(57年) 、「空駆ける花嫁」(59年)を見ると、輝くばかりに美しく、はつらつとして、周りのだれにも明るく世話を焼く、下町のしっかり娘を演じる有馬稲子を見ることができる。
「白い魔魚」(56年 中村登監督)では、女子大生がピンチの家業の経営を救う、という『社会化』した彼女の姿を見ることができる。
「東京暮色」(57年 小津安二郎監督)では暗くすねた演技も見られ、「彼岸花」(58年 小津安二郎監督)ではオールスター女優出演の中で、美しさでは決して引けを取らぬ、結婚間近の娘の姿を見せる。
映画ファンにとって有馬稲子の姿をスクリーンで見られるそのことは、これ以上ない幸福な瞬間の一つでもあるのだ。

「女のあしあと」 1956年 渋谷実監督 松竹大船 ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ(国立アーカイブ所蔵作品)
国立アーカイブ所蔵プリントでの上映。
ということは、貸出用のプリントが松竹にはないということだ、巨匠といわれる渋谷実の作品なのに。
ともかく上映が始まる。
暗い画面が続く。
明るさは窓やカーテンを通して縞状に登場人物にかかる。
まるでスリラーかフィルムノワールのような画調。
おまけに主人公の有馬稲子はほとんどのセリフをつぶやくようにしゃべり、彼女の看板シリーズ「抱かれた花嫁」(57年 番匠義彰監督)などでの明るく朗々たる声量が封印されている。
といってもこの作品は、スリラーではない。
市井の庶民たちの個人的な感情を描くホームドラマである。
ブラックユーモアと辛辣な客観的視点を加味した・・・。

住宅地に住む家族(佐田啓二、杉村春子、石浜朗)のもとに信州から見知らぬ娘(有馬稲子)が訪ねてくる。
佐田の転勤案内はがきの切れ端をもって。
さあ、憤った戦後派サラリーマンの佐田は自分を騙り、田舎娘をだました犯人を探し始める。
弟の石浜は娘が不憫で家に連れてくる、母親の杉村は迎え入れる。
佐田は嫌がる。
娘には信州時代の幼馴染(淡路恵子)がいて、デザイナーを目指すと上京したが、勤め先の王子のおもちゃ工場を脱走して、三国人の妾(2号ではなく3号)をしており、屈託なく娘に会い、相談に乗る(3号生活を勧める)。
娘は佐田の一家に感謝しつつも、自分の心情を明かそうとはしない。
彼女は信州で、佐田を騙り、自分をだまして捨てた男が忘れられないのだった。

捨てた男は佐田の友人の大木実。時代の被害者でもある大木はしっかり者の姉と二人暮らし。
姉の前では甘えるだけの大木だが、夜の酒場には情婦(小林トシ子)がいるし、出張先の信州で無垢な娘を犯すなどやることはやっている。
過保護な姉と甘える弟。
いい大人の二人の関係がキモチワルイ。
半面、常識的な小市民たる佐田一家の人物描写のワンパターンぶりも徹底している。
佐田と石浜はもともとワンパターン演技だからいいとして、杉村春子にまで余計な個性や達者ぶりを出すことを許さず、学芸会的な演技をさせる澁谷監督とはいったい?そしてその狙いは?
有馬は思い続けた大木とも再会し、この間好意を寄せることになった佐田のことは一顧だにしない。
が、ラストで交通事故に遭い、泣き言を言いつつ、謝って死んでいった大木に対し、一挙に醒める。
女は自分をだました男は許すが、自分に泣きついた男は決して許さないのだ。
かつて自分の体と心を奪い去った男に醒め、親切に言い寄る男には一瞥もくれず、背を向けて都会の寒風に中を去ってゆく信州出身の田舎娘。
彼女の近い将来が決して一般常識的価値観に則ったものにはならないだろうことは容易に想像がつく。
以上の通り、小娘の心をかすめもしなかった都会の常識的な小市民一家との物語がブラックにクールに語られるのであった。
一方で、現実の世界を割り切って泳ぐ若い女たち(淡路恵子、小林トシ子)が生き生きと描写されている。
彼女らはワンパターンな演技も強制されず、ボソボソとしゃべることもなく、ハキハキ堂々としていて好ましい。

澁谷監督のイジワル風な演出には惑わされるが、信州の山の旅館のエピソードの時に、旅館内を表現するのに必ず、昔風の木の浴槽に溢れる効きそうな温泉を手前に配しているのが可笑しかった。
そうしないと『信州の山奥の温泉旅館』という『記号』が表現できなかったんだろうが、ストーリーや人物描写のほかに画面の構図にあってもワンパターンが好きな監督なのだろうなあと思ったものでした。
有馬稲子については、「東京暮色」とともに抑えた演技で暗い女性を演じた作品。
その明るい個性をあえて発揮しない貴重な作品といえるのでは。
彼女らしさを楽しむのなら「花嫁シリーズ」や「白い魔魚」がいいと思いますが。
