おじさんの食堂探訪VOL.7 国分寺駅北口風景の激変と変らぬ店たち

国分寺まで行きました。
おじさんの自転車散歩コースの一つです。
野川公園、武蔵野公園、府中運転試験場、小金井を抜けてゆきます。

野川公園から運転試験場までの道

国際基督教大学というところがあります。
中島飛行機製作所(現富士重工)の跡地に戦後作られた大学で、ゴルフ場まである広大な敷地を有していました。
そのゴルフ場が野川公園という公園になっています。

おじさんは公園の前を自転車で走ります。
西武線が高架で横切ると、公園は武蔵野公園と名を変えます。公園が途切れると府中運転試験場があります。
都内では鮫洲と並ぶ2大運転試験場として君臨しています。おじさんも免許更新のたびに通っています。
試験場の向かいには広大な多磨霊園が広がっています。
試験場の横には閉店した食堂が残っていたりします。

小金井市内を抜けます。
カンデルというパン屋へ寄ります。
自宅の庭先に小屋を建て店にしています。
フランスで修業したという女性の職人が焼いています。
月水金のみの営業ですが、バケットは本格的です。
外がカリッとして中がもっちりしており、香ばしいパンです。

国分寺駅北口の激変

国分寺駅の北口です。
駅ビルからタワーマンションが建ちあがっています。
写真に写っているもの以外にもう一棟あります。
遅れてきた「バブルの塔」のようです。
バブル時代は30年以上前なので少々遅れすぎですが、今やっと武蔵野は国分寺の地にバブルが到達した、ということなのでしょう。

駅ビル構内にはこれでもかというくらいに食品スーパーなどの商店が立ち並んでいます。
贅を凝らした店店の前を通らないと駅の改札口にたどり着けない構造になっています。

衣食住と通勤をセットにして提供された商品を見ているようです。
少しでも時間を無駄にせず、仕事と消費に励むよう巨大資本に強制されているがごときです。

駅前は商店街がすっかり撤去され再開発中です。少し前までは旅館、果物屋、パチンコ屋などが軒を連ねていました。
この通りの左側も商店街でした。

駅前に残る食堂で昼飯

北口商店街の一角に残る食堂だるまやです。今のところ再開発の波が及んでいません。
マンションビルの一階なのでしばらく残るでしょう。

かつては昼時は満員でしたが、今日の客はほかに3組ほどでした。おじさんかつてこの食堂でカツカレーを注文し、その量と、カツの硬さに往生したことがありました。
今日はアジフライにします。
アジは大振り、ご飯も大量でした。素材と調理は相変わらず粗いながらも腹いっぱい。690円でした。
なお、揚げ物は粗かったものの、みそ汁と漬物には年季を感じました。

キッチンは高齢のおじさん一人とおばさん二人。
ホールはバイト風のお兄ちゃん一人でした。

駅周辺の変らぬ店たち

北口商店街にある古本屋です。
先代の女主人の時から国分寺に行くと顔を出しています。
先代の時はホームレス風の人も雑誌を持ち込んでくるような店で、話し好きの主人の人柄が偲ばれました。
今は若めのこれまた女主人に代わっています。
隣の団子屋が高齢の高齢で閉店したので、店を拡張するようでした。

音楽喫茶の田園です。ここの女主人は本物の高齢者で90歳近いのではないでしょうか?伝説の店です。
今日はまだ準備中。

国分寺など三多摩地区はうどんが名物。
うどん好きには有名店です。

ボクサーの輪島功一がオーナーの団子屋です。
今日は草とゴマを買いました。巻物類もおいしそうです。

北口の外れに残る建物。ホテルと食堂を兼ねています。
味の名店街といっても現在は食堂は一軒だけのようです。
ザ・昭和です。

西武国分寺線の旧改札口から延びる道はかつての国分寺駅前の雰囲気を残しています。
通りにある純喫茶です。
ちなみに西武線の改札口は新しい駅ビルに組み込まれており、この道は西武バスのターミナルへと続く道となっています。

南口に行きました。
駅ビルが巨大にそびえています。
ロータリーと放射状に走る道は国立の駅前に似ています。

中央線カルチャーと全共闘世代の終着駅・ほんやら胴です。
伝説過ぎて恐れ多く、全共闘世代より5歳ほど若い山小舎おじさんは、この店に入ったことはありません。

ほんやら胴の近くに新しい古本屋がありました。

帰りに三億円事件の現場を見る

三億円事件の現金強奪現場です。
府中刑務所の壁沿いの道路。
当時からあった歩道橋付近が現場とのこと。

向かいが小学校のグラウンドです。
事件当時は雨でしたが、晴れなら校庭から事件を目撃する目の数が多いことが予想されます。
本通りの府中街道にもすぐの地点です。

正門です。

人目の多い場所で起こった、荒っぽい事件だったことがわかります。
迷宮入りしたのは、解明できない、解明してはいけない、何か理由でもあったのでしょうか?

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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