おじさんの東京徒歩散歩VOL.3 秋葉原から上野を歩いてみる

春めいてきた東京。
梅も散って、桜の開花待ちのころとなっています。
三寒四温の季節。
初夏のような陽気もあれば、冬のような冷たい雨が降る日もあります。
ということで、おじさんは東京らしい場所、秋葉原から上野へ出かけてきました。

出発はお茶の水。お濠と鉄橋の風景

秋葉原近くの万世橋から見たお濠の風景。
鉄橋をJR総武線が渡り、水面をモーターボートが走っています。
こういった水と鉄道の風景は、水利に恵まれ、鉄道網が発達した、東京らしい景色だと思うのです。

肉の万世の本店?というか発祥の地です。

お宅の街秋葉原にはアンテナショップが集う

土曜日の秋葉原です。
外国人も多くにぎわっています。
メイド喫茶の呼び込みが女性客と話しています。
AKB劇場。

高架線下には全国の名物を集めた物産館があります。
おじさんは石川県の特産の「いしり」(イワシなどの魚醤。汁物の味付け、和食の隠し味に絶品の効果!)と北海道産の富良野JA中濃ソースを買いました。

また、同じく高架下には、職人のショップが並んでいます。皮製品、帆布、木製品などのショップです。
今どき珍しいちゃぶ台が売ってました。

東上野のコリアンタウン(別名キムチ横丁)

秋葉原から昭和通りを東にわたり、台東区に入ります。
台東区内を北上して上野方面へ向かいます。

たい焼き屋さんによってお土産用に4匹買います。
ひとつづつ手焼きするたい焼きで、話好きなお兄さんが焼いています。
小ぶりなタイプですがあんこがうまい。一匹110円です。

東上野に残るコリアンタウンと呼ばれる場所です。
通称キムチ横丁です。
コリアンタウンと呼ばれる場所は、川崎の産業道路沿いにもあります。
今もっとも有名なコリアンタウンは大久保界隈です。

川崎は新装開店の焼き肉屋街、といった風情で、大久保はご存知韓流にはまった日本女性の御用達、といった感じですが、ここ上野のコリアンタウン、通称キムチ横丁は、戦後に「三国人」といわれた旧朝鮮人たちが作った闇市の名残をとどめているようにも見えます。

2,3区画にわたってキムチ屋、肉屋、焼き肉屋などが店を構えています。
そのうちの一角には飲み屋の路地があります。
同じく闇市由来の場所とはいえ、おしゃれに再開発されてゆく吉祥寺のハモニカ横丁などとは違い、廃れ、さびれた匂いがします。

これが旧朝鮮人街の性、業というものなのか、それとも単に時代に取り残されているだけなのか。
いずれは再開発され、周りの同化してゆく運命なのでしょうか?

上野アメ横は国際的にお祭り騒ぎ

闇市といえば上野です。
上野駅から御徒町駅の間に広がるアメ横と呼ばれる地域は、新橋や新宿、渋谷と並ぶ巨大闇市でした。

渋谷、新宿は再開発が進み、闇市の名残は一部の飲み屋横丁を除きなくなりました。
新橋は闇市がそっくりそのまま駅前のビルに収容されました。
上野は闇市由来の路面店が残ったまま今に至っています。

周辺部の商店街以外で対面販売オンリーのアナログな景色が広がる稀有な場所です。
それは、東京における東日本からの玄関口、上野の特殊性によるものなのか、それとも背後に構える浅草を中心とした下町の情念のなせる業なのでしょうか。

楽市楽座から始まったであろう、日本の小売商売の原風景のように広がるアメ横。
おじさんが歩いた日、歩く人は中国人、韓国人が3割、その他外国人が1割ほどのイメージ。
現在のアメ横は極めて観光地化されています。
中国人向けに鯉などを売っている魚屋、朝鮮語で客引きをする店員なども見られます。

国際化もインバウンドもいいのですが、日本がこれからどうなってゆくのか、近未来を予感させるような風景ではあります。
移民政策も始まります。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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