彩ステーション 子供食堂

柴崎の彩ステーションでは、子ども食堂もやっています。

子ども食堂新聞が発刊されている

毎月第二水曜日に始めて2年になりました。
主催は上野原小学校のPTA会長だった40代の人。
賛同は彼の仲間を中心に、PTAの現役・OGのママさんたち。
毎月のメニューを決め、材料を調達するのも楽しみのようです。
開催後の反省会(飲み会)も。

山小舎おばさんの彩ステーションのかかわりは、場所提供や素材の入手、調理援助、おかしの提供などです。

この日の彩ステーション

この日のメニューはから揚げ丼。
20キロの鶏モモ肉を下味付けて揚げます。
タレに通してご飯の上へ。
ご飯にはでんぶや錦糸卵がかかっています。

当日昼頃にお邪魔すると、調理担当のママさんや彩サポーターが3名、下味をつけた鶏肉に粉をまぶし、また一升炊きの電気釜にお米をセットしたりしていました。

午前中から準備が始まる
午前中のキッチンでは3人のスタッフが大わらわ
午後、スタッフもそろいからあげ丼の仕上げ

毎回100~120食を用意。
子供100円、大人300円で販売し、毎回完売です。
5時から販売開始。
この日は既に販売開始を待つママさんがいました。

お弁当のほかに、お菓子などが付くのがお楽しみ。
この日はビニール袋に詰めあわされたお菓子のほか、市内の豆腐屋さんから差し入れられたおからのパック、ドーナツ屋さんから無償提供のドーナツなども配られました。

5時の開店を待つママさん
出来上がったからあげ丼が並ぶ
おまけのおからパックとおかゆパウチ

30代、40代のパパ、ママ世代のエネルギーと、それを目指して集まる同世代のママさんと子供たち。
いつもの数十倍の生命力があふれる彩ステーションでした。

お弁当を受け取るママさん、外に並ぶママさん
配るスタッフ
この日の彩ステーションのロビーには力強い絵がかかっていた

近所の桜散歩

4月初旬は真冬のような寒さでした。
待望の晴れ間となった日に近所を回って満開に近い桜を見てきました。

まずは自宅の裏手の通称・国有地へ。
出かけるときに通る場所でもあります。
ここでは毎年見事な桜が咲きます。
グランドからは蓮休みの子供たちの声が聞こえます。

「国有地」脇の桜
右手のグラウンドからは子供たちの歓声が聞こえる

続いて神代中学校の脇を通ってみます。
うちの子供たち三人が通った中学です。
最近は温暖化なのか、入学式の時期には散っていることが多かった桜ですが、今年は間に合いそうです。

神代中学構内のボタン桜
校庭脇の桜並木

国分寺崖線の坂を下ると野川周辺です。
野川沿いには桜が植えられており、毎年の花見ポイントになります。

野川の遊歩道を歩く人。菜の花が咲いている

この日は久しぶりの晴天で、散歩の人も多く見られました。

河川敷で遊ぶ姿は野川らしい

バーベキューなどの人出で埋まる、武蔵野市場近くの河川敷へ行ってみました。
平日のせいか、バーベキューをするグループは一組ほど。
ファミリーやママ友グループが三々五々シートを広げていました。

武蔵野市場付近の河川敷で花見をする人たち。雪柳も満開

今年も無事に花見の季節を迎えられました。

彩ステーションでグァテマラコーヒー

冬のような花冷えのある日、出勤中の山小舎おばさんから電話で彩ステーションに呼び出されました。

ステーションのサポーターの一人である、グアテマラ出身のマリアさんが、自国のコーヒーを点ててくれるというのです。

凍える中、雨でぬれながら自転車で着いたステーションでは、いつもの明るいマリアさんが持参のコーヒーセットでグアテマラコーヒーを淹れ、午前中からのお年寄りにふるまっていたところでした。

コーヒーを淹れるマリアさん

集まりにはナショナルカラーの赤の民族衣装で張り切るマリアさんですが、寒いこの日は原色の緑の割烹着姿。
パラグアイ出身のナンシーさん手製のケーキとのセットでもてなしてくれました。

用意したのは自慢のグアテマラ産コーヒー

20年ほど日本人の旦那さんの実家で義両親と暮らし、看取った話。
週3回、早朝の電車で横浜へ向かい、客船などで訪れるお客さんにスペイン語で対応する仕事をしていること。
自分からバリバリ、日本語で話すのが彼女らしさ。
話の勢い、内容の面白さに、聞いているお年寄りたちは大喝采です。

お客さんは近所の常連さん

この日は急に『来たい』とマリアさんが山小舎おばさんに伝えてきたというグアテマラコーヒー大会。
いろんな才能、人材が集まり、喜んでくれる人がいる場所らしい催しでした。

彩ステーションで「春の落語会」

三寒四温の間を縫って、みんなの居場所・調布柴崎の彩ステーションで落語会が開かれました。
POCO&POCOの会の後藤さんが主宰して、山小舎おばさんの彩ステーションが協賛する催しです

落語会の案内ポスター

出演は金原亭小馬生というプロの落語家、入門25年目という真打です。
彩ステーションの関係者のつながりで出演いただき始めて5回目。
1席10万円の芸人が、満席30人ほどの民家に「投げ銭」方式でやってきてくれます。

孫たちも聞きに来るというので、山小舎おじさんも出かけてみました。
開始前、彩ステーションのたたきに並べられた椅子は満席です。
いつものレギュラー陣に加えて新しい顔も見えます。

開始を待って集まる人々

即席の高座に小馬生師匠が上がって落語が始まりました。
このような席でも本式の着物に着替えて、直前には食事をしないように調整して上がってくれます。

まずは古典落語の「泥棒と妾の騙し合い」の話を演じてくれました。
話の終盤、孫の小学校一年生が退屈そうにしたのを見て、高座から『つまらない?』と聞く場面も。
いつもは休憩なしで次の話へ行くところを休憩をはさむこととなりました。

休憩中は孫たちは畳の上で遊んだりして気分転換。
高座も子供向けに、タヌキの声色や食べ物、飲み物の演技を取り入れたわかりやすいものになりました。
4年生の孫は集中して聞いていました。

小馬生師匠が高座に上がる

終演後、師匠を囲んでサポーターたちと懇談。
私服に着替えるとやはりプロの落語家、素人離れした雰囲気となります。
修業時代のことなどをうかがいました。『楽屋ではえらい順番に座る位置が変わる。』『師匠によってお茶の好みが違うので弟子はそれに合わせて淹れる。』『弟子時代は自由な時間や使えるお金はほとんどなかった』などを話してくれました。
まんべんなく周りに気を使い、相手にいやな気を全く感じさせないところにもプロを感じます。

近所の方が、よかったらと女ものの着物を3着ほど持ってきていました。
師匠はそれらを広げて試着しつつ『黄八丈だな』とか言ってました。
いいものをくれたようですが、それがわかる師匠もプロです。
喜んでもらってゆきました。

色紙を書いてくれた

『次回はどうしましょうか。夏に浴衣でやりましょうか?』と言いながら次の場所へ向かってゆきました。
彩での高座もやる気満々のようでした。

ちなみに本日の投げ銭は4万円。
大人は一人1000円、子供500円が標準ですが、「投げ銭」なので基本的には観客各々の「お気持ち」が集まった結果です。

彩ステーション「談論風発の会」

山小舎おばさんが主催している彩ステーションは、調布市柴崎にある「みんなの居場所」。
一軒家を借りて平日オープンし、歌の会、麻雀、体操、ランチの会などを、近所の主にシニアたちを集めて開催したり、時々はプロの音楽家や芸人が投げ銭方式で芸を披露したりもする場所です。
ほかに月一回の子ども食堂を開催(これは地元の小学校のPTAが主催し、彩ステーションは場所提供)したり、バザーを行ったり、関係者の誕生会を開いたりしています。

彩ステーションには、常時参加するシニアたちが20人ほどもいるので、例えばランチの会の炊事だけでも結構な手間が必要です。
そのための献立、調理、後片付けを行うボランテイアのスタッフ(サポーターと呼ぶ)が数人いて、毎週ランチの会を開催してくれたりします。
また、自分の特技を講習会のネタにして主催してくれる人がいたり、地域に在留の外国人が故国の料理の会を開いたりして、多彩なプログラムが提供されます。

そのプログラムの一つに「談論風発の会」というのがあります。
興味があったので参加してみました。
この日は3月11日。
最近は忘れがちだが、東日本大震災の日でした。

彩ステーションのホールで準備する参加者たち

主宰者は80代に近い女性。
彩ステーションのサポーターの一人として数年参加している人。
この人の司会で会が始まった。
参加は近所のシニアたち。
元気な人もいれば、ほとんど目の見えない人、認知症で会話が頓珍漢な人もいる。
お馴染みのメンバーばかりなので場の雰囲気はこなれている。

ホールの片隅にはまだひな人形の姿が

まずは14年前の震災当日、どこにいてどんな体験をしたのか?というテーマが司会者から提示されました。
皆さんとっくに退職していた時代だったようで、自宅付近の様子だったり、現地の知り合いが災難に遭った話が多かった。
自分の番が来たので、会社員時代に当日を迎え徒歩で会社から5時間かけて自宅に帰った話をした。
当時の都内の緊迫した雰囲気、閉鎖された駅舎の周りで列を作る人、渋滞で全く動かない都心部の車道、歩道を埋めて黙々と歩く人々など、忘れようにも忘れられない記憶を話した。
「そういえばこの話を誰かにしておきたかったんだ」と思いながら。
3月11日の「談論風発の会」にタイムリーな話題を振っていただいた司会者に感謝です。

会の後半は合唱だった。
彩ステーションには20部の手づくり歌集が配られた。
「ギターで歌おう会」というのを主宰している人が自力で作ったものとのことで、立派な作りに驚いた。

スタッフが自作された歌集の表紙

歌集で歌を選びながら10曲ほど。
テーブルの真ん中にデジタル式のスピーカーを置き、司会者の助手のような人がスマホから選曲して飛ばしたものが流れ、皆はそれに従って歌うのだが、隣の高齢者が本式の発声で歌っているので驚いた。
その方はかつて地域の公民館で合唱の会を主宰していたとのことだった。

歌集の目次
この日の選曲はザ・ピーナツの「恋のバカンス」から

1時間以上が過ぎ、用意された桜餅を食べて会が終了した。
会費は300円(通常は100円だが、この日は桜餅付きとのことで実費分増額)だった。

久しぶりに歌を歌えて気分転換になり、また忘れかけていた震災時の記憶を言葉に出せた貴重な機会でした。
彩ステーションに集う高齢だが貴重な人材にも感心しました。

桜餅がおやつ

たづくりでCINE WORKS展、新東宝・近代映画協会展を見る

2026年の調布シネマフェステイバルの開催に合わせて、市民会館たづくりで「CINE WORKS展」が開催されています。
前日投稿した「出張!映画資料室 日活撮影所70周年」と同時期での開催となり、山小舎おじさんは二つの会場をハシゴしてきました。

CINE WORKS展ポスター

会場に入って驚かされるのが怪獣が街のミニチュアを壊して暴れ回る様子のセットです。映画撮影所自体は閑散としていても、こういった特殊技術的というかニッチなマニアックさというか、は発展しているのですね。

「ゴジラ」第一作についての展示
平成ガメラシリーズについて
怪獣のセット
怪獣のセットを別方向から

CINE WORKS展の方は撮影自由なのですが、隣の部屋の近代映画協会と新東宝の歴史資料展の方は撮影禁止でした。

新藤兼人が吉村公三郎らと興した近代映画協会は長く続いた独立プロです。
初期の代表作「原爆の子」や乙羽信子が主演した一連の作品で有名です。
代表作の脚本や、モスクワ映画祭で賞を取り世界に売れた「裸の島」のポーランドでのポスターなどが展示されていました。

そしてなんといっても目を引いたのが新東宝の歴史に関する展示の数々です。
東宝争議から新東宝の発足、初期の他社巨匠による「おかあさん」「西鶴一代女」などの名作群、女流監督としてデヴューした田中絹代の「恋文」、活弁士として財を成した大蔵貢の社長就任と低予算エログロ路路線のいわゆる「新東宝カラー」の徹底、会社倒産と国際放映への引継ぎまでが、パネルに手際よくまとめられています。

間を飾るのは、今なお煽情的でキッチュな毒を放射する「新東宝カラー」あふれる作品群のポスター。
中川信夫、石井輝男ら新東宝で光り輝いた監督群についてや、宇津井健、前田通子、久保菜穂子ら新東宝でデヴューしその個性を後日まで発揮し続けたスター達についてのパネルもあります。

単に制作者、監督、スターらの経歴をパネルにまとめて、その間にオリジナルポスターを並べるだけではなく、新東宝史の要諦をつかんでいるかのような解説が目を引きました。
曰く「製作費が通常1500万のところ、新東宝では1000万円だった。そのため外部から巨匠やスターを呼ぶことはできず、自前の新人監督と新人俳優を養成し、使わざるを得なかった。」
「初期に外部招聘された、伊藤大輔、清水宏、渡辺邦夫、斎藤寅次郎、マキノ雅弘、並木鏡太郎、中川信夫ら巨匠や職人派に付いた新東宝採用の助監督の、井上梅次、渡辺祐介、土居通芳、小森白、三輪彰、山際永三らは、のちに社内や他社で監督昇進しそれぞれの個性を発揮した。」
「新東宝スターレットなどとして採用した俳優たちは、宇津井、久保、前田のほかも菅原文太、天地茂、高島忠夫、左幸子、三ツ矢歌子、池内淳子、三原葉子、原知佐子らがおり、会社倒産後も他社で活躍するなどした。」などなど。

掲示されているポスターのチョイスも抜群で、新東宝作品史においては欠かせない「明治天皇と日露大戦争」「東海道四谷怪談」のほかにも、「女競輪王」「地獄」「スーパージャイアンツ」「戦場のなでしこ」「大虐殺」「黒線地帯」「女王蜂もの」「地平線がぎらぎらっ」など、ニッチな作品のものが保存状態もよく掲示され、興味を引いていました。

新東宝の歴史と日本映画史におけるその役割を簡潔にまとめた展示内容に、改めて目を見開かされる思いでした。
かつて場末の映画館に潜り込み、色っぽい映画でもこっそり見るような、刺激的でワクワクする映画体験を思い出すような場でもありました。

出張!映画資料室「日活撮影所70周年」

調布市文化会館たづくりのホールで、「日活調布撮影所70周年&VFXの作品たち」という展示会がありました。
場所はたづくりの2階にあるギャラリーです。
入場無料でした。

展示会ポスター

映画撮影所を市内に2か所持つ調布市が、年に一度の調布シネマフェステイバルの開催に合わせて、日ごろ収集している映画資料を展示公開するという催しで、「出張!映画資料室」と銘打つものです。

ギャラリー入口

今年のテーマは、日活撮影所が70周年を迎えたこ(正式名称が日活調布撮影所に変更されている)、また市内にあるスタジオがVFVを手掛けた「ゴジラ-1.0」が米国アカデミー視覚効果賞を受賞したこと、の2点を記念しての関連資料の展示となりました。

まず、日活撮影所に関する展示。
ほとんどが撮影不可の資料ですが、撮影所の年譜をはじめ、第一回作品「國定忠治」のスチル写真、川島雄三監督作品「あした来る人」の脚本、「大巨獣ガッパ」のポスターなどが展示されています。

全盛時の撮影所全景(展示会で撮影が許された唯一の資料)

スタッフの手になるセットの設計図や、実際に使用された脚本、公開当時のポスターなど、当時の空気を今に伝える貴重な資料には、歴史を感じさせる「重み」があります。
また、さりげなくつづられた日活撮影所の年譜の中に、「配給事業からの撤退」「日活芸術学院の閉校」などの記述を見ると、国内映画産業の果てしない衰退(なのか分業化なのかはわかりませんが)を感じてしまいます。
現在、開所当時からは何分の一の広さになった、日活撮影所は自社制作もなく、貸しスタジオとして機能しているようです。

ギャラリーの片隅で誰が見るでもなく、当時の映画館で上映された「日活ニュース」の映像がエンドレスで流れていました。
日活撮影所建設が始まる様子と製作開始5周年パーテイーの様子です。

調布市布田の多摩川近くの広々とした田圃の真ん中に、撮影所が建設開始される地鎮祭の様子が映し出されています。
さらに貴重なのが5周年記念パーテイー。
田んぼの中をバスを連ねて招待客が続々と撮影所に入ってくる様子。
紅白幕を張った演壇で当時の堀久作社長が挨拶し、全国各地の映画館主代表の挨拶が続く様子。
若々しい小林旭と石原裕次郎が余興で歌う様子(旭の高い声。裕次郎は悪びれもせずカンペを見ながら)。
筑波久子が艶然と現れたり、北原三枝が寿司をほおばっていたり、芦川よしみはさすがにそつなく招待客と歓談していたり。
所内に溢れる人の波、何人もの寿司職人が屋台でひっきりなしに握る様子。
当時の映画撮影所の、もしかしたら日本全体の活気が映像からほとばしり出ていました。

プログラム表紙
プログラム内容(一部)

続きのギャラリーはVFXコーナーということで、「2001年宇宙の旅」から「ゴジラ-1.0」までのポスターが展示されていました。

なお、ギャラリー内には「持ち帰り自由」とのチラシやパンフレットが置かれていました。
みてみると70年代から80年代の珍しい作品のものが多数あり、見境もなく10冊以上のパンフレットをもらってきました。
重かったです。

無料でもらえた映画パンフ(その一部)

彩ステーションのサポーター誕生会

山小舎おばさん主宰の、(調布)柴崎彩ステーションは、みんなの居場所と銘打つだけあって国籍も含め多彩な人が関わっています。
毎週のランチの日に10人以上の昼ご飯を作る人や、体操教室の先生、自慢のギターでリードしてくれる歌おう会の主宰者、世界を舞台に曲芸で渡ってきたご夫婦の投げ銭発表会、子ども食堂を彩ステーションを舞台に毎月行うグループなどなど・・・。
プロによる投げ銭方式の催し以外はボランテイアによるサポートです。

ステーションに関わる人々の中には、外国からやってきた方々もいます。
イラン人で日本人の夫と暮らす女性、パラグアイから来て喫茶店などに手製のケーキを卸している女性、今年72歳になるスリランカ人の男性、決して日本語を話そうとしないジャマイカ人夫婦・・・。
その中の一人がグアテマラから来日して20年弱、日本人の夫の間に今年大学入学を控える一人娘がいるマリアさんという女性です。

マリアさんは、彩で開かれるバザーにグアテマラ料理を提供したり、娘さんともども気が向いた時に行事を手伝ってくれるサポーターでもあります。
ある日、マリアさんが自分の誕生会を彩で開くというので参加してきました。

出席したのは、マリアさんの家族、友人の日本人らのほかに、日本在住のグアテマラ出身者が2名、パラグアイやメキシコの出身者、スリランカのおじさんもいました。
うれしそうなテンションのマリアさんが自ら会を廻し始めます。
何せ明るいメンタルのマリアさん「センセイ、センセイ」と山小舎おばさん、おじさんのことを呼びます。
若干おちょくられている感もあるのですが、彼女が日本で身に着けた処世術の一環でもあるのでしょう。
時間や約束にルーズな面はありますが、本人がそれを気にしないのがグアテマラ流のようです。

山小舎おじさんとして特にうれしかったのは、グアテマラ出身で日本人と結婚し二人の子供もいる40代の男性から、南米の歴史などについて詳しい話が聞けたこと。
日本語でそういった話ができる外国人は貴重ですし、何より世間話以上の会話が久々にできたことが、大げさに言えば久々に「社会参加」できたような充実感をもたらせてくれました。

「スペインに南米がやすやすと侵略されたのは、マヤ文明時代とアステカ文明時代の境目で、南米自体が混乱していたせいもあった。」との見解には眼が開かれる思いでした。
南米本来のマヤ文化と歴史・文化に詳しい彼の話からは、自国と中南米についてのプライドの深さを感じることができました。
「南米の人は陽気だが、中米はそうでもない。マリアさんが特別陽気」とのこと。
彩でのパーテイでは、パラグアイ出身のナンシーさんなどは興が乗ってくると立って踊り出すのですが、そういえばマリアさんが踊るのは見ないような気がします。

パラグアイのナンシーさんお手製のバースデイケーキが切り分けられる

スリランカ人のおじさんも含めまだまだ話し合ってみたいと思った、誕生会でした。

集合写真なども撮ったのですが、顔モザイクの入れ方がわからず今回は掲載を断念しました。

国分寺だるまや食堂が閉店!

国分寺駅の北口にあった、だるまや食堂がこの1月31日で閉店していました。

山小舎おじさんのママチャリ散歩コースの一つの国分寺。
野川公園を横切り、小金井でパンを買い、たどり着いた国分寺の古本屋で本を漁り、昼飯はだるまやというのがお約束のルートでした。

だるまや食堂は、学生やサラリーマンでにぎわい、土日には家族連れも訪れる店で、ホールは日本人の学生バイトが切り回していました。
ときどき小柄でがっしりした大将がキッチンから出てきて、子供の客にヤクルトをふるまう姿がありました。

昼間から定食のおかずをつまみにビールを飲むおっさんたちの姿もありましたが、彼等が店のムードを占有するかのようなことはなく、昼間は混んでいなければだれでも入りやすい店でした。

カツカレーやカツ丼をはじめ、定食の盛りがよく、がっつり系にはたまらない店で、女性客の姿もありました。
最近の山小舎おじさんは、大盛の揚げ物系をやっつける気力と体力が薄れ、もっぱらカレーライスかチャーハン、たまにニラレバ定食でお茶を濁していました。
皿からあふれんばかりに、ご飯の上にかけられた、シーフードも入った固形ルー味たっぷりのカレーは満足感十分でした。

コロナ騒ぎで休みがちとなり、また店長の体調が悪くしばらく休業していました。
最近、営業を再開し11時から15時までの時短ながら、おばさんたちがキッチンで忙しそうに立ち回っていましたが、そこに大将の姿はありませんでした。

国分寺に行く楽しみの一つがなくなりました。

小さすぎる旅 小田急線で江の島詣で

「みんなの居場所」彩ステーションを、地元調布柴崎で主宰する山小舎おばさんから、小田急線の株主優待券をもらいました。
山小舎おばさんは、彩ステーションの利用者からもらったとのこと。
小田急線全線有効(下車した時点で無効)の切符が2枚です。
今回は狛江駅から片瀬江ノ島まで使い、江ノ島観光をすることにします。

株主優待券を手にいざ出発

朝9時に自宅を出発。
狛江駅を目指して自転車で走ります。
いつものルートを端折っていったところ、着いたのは一つ新宿寄りの喜多見駅。
初めての駅でした。

朝9時、小田急線喜多見駅に着く

このまま喜多見から、本厚木行きの普通列車に乗車します。
小田急線の駅は京王線と違い、駅舎も大きく、ホームも広い印象です。
踏切はほとんどなく線路は高架上を走り、またホームにはたいがい乗車扉が設置されています。

本厚木行き各駅電車に乗車

喜多見から狛江。
多摩川を渡って登戸、向ヶ丘遊園。
このあたりは駅前が再開発されており、周辺には高層マンションが建っています。
かつての街はずれの風情はありません。
向ヶ丘遊園というと、20年前はロケット型の回転遊具があたりを睥睨して吊り下がっているのが付近の道路から見えましたが、今ではその片鱗もありません。

小田急線は、鶴川街道に沿って走り、新百合ヶ丘、町田、相模大野を過ぎます。
車窓には丘陵地に点在する住宅や高層マンション群、駅周辺の商業施設群が広がります。
相模大野で小田急江ノ島線に乗り換えます。

相模大野から藤沢まで、江ノ島線で海に向かって南下します。
大和を過ぎると沿線に工場や緑地が目立ってきます。
東京へのベッドタウンの景色から神奈川県ローカルの景色への様変わりです。

藤沢で列車の向きが変わります。
スイッチバックというか、電車が反対方向へ進むため乗り換えて片瀬江ノ島に向かいます。
海が近い雰囲気が漂います。
車中には急に中国系の観光客の姿が増えました。

片瀬江ノ島駅の竜宮城のような造りは昔のままでした。
20年以上前に家族と海水浴に来たことがありますが、江の島へ渡るのは初めてです。

片瀬江ノ島駅に着く

弁天橋という江の島と本土?を結ぶ橋を渡ります。
その昔、江ノ島へ渡るには干潮時には歩いて、満潮時には小舟か担がれて渡ったそうです。
現代の弁天橋を歩くのは半分以上が中国人です。

弁天橋から江の島を望む

島に渡り、最初の鳥居をくぐると仲見世が続いています。
サザエやハマグリの磯焼きの香りをイメージしていたのですが、今時の仲見世はソフトクリームや女性向けの小物など、様々な店が並んでいます。

仲見世への入り口に立つ鳥居

江の島はそれ自体が信仰の島であり、辺津宮、中津宮、奥津宮という三社にそれぞれ海の女神さまが祀れれており、島中を上ったり下りたりしながらお参りする場所です。
それぞれの参道には、団子屋、土産物屋、食堂などが点在しており、休憩や食事には困りません。
また、急な登りの場所ではエスカレーターが整備されて100円ほどで利用もできます。

まずは辺津宮へお参り
次いで中津宮へ
中津宮横の弁財天

お上りさんの山小舎おじさんは、1時間半の鈍行電車の旅と江の島での登りに疲れて、早めの昼食を摂ることに。
慌てて入った食堂のアジ・シラス丼は美味しかったです。

茶店でアジ・シラス定食

中津宮に参拝し、奥津宮へ向かうべく島の奥へ進みます。
石段の上り下りの両側に古い茶店が並び、相模湾が見え隠れします。
これが古い江の島の風情なのか、と思いながら奥津宮に参拝します。

奥津宮へ至る道中の景色
相模湾が見える参道に並ぶ茶店
奥津宮でも御参り

さらに下ると眼前に稚児浜という岩場が出現し、江ノ島神社の元となった洞窟へと続きます。

稚児の浜遠景

洞窟へ入場すると、背の低いトンネルの両サイドに、石仏が並び、最深部には修験者による信仰の跡が残っています。

岩屋の入り口
洞窟内の石仏
洞窟の最深部は江ノ島神社の発祥の地

帰りは島を周遊するルートで、辺津宮の鳥居までショートカット。仲見世を歩いて片瀬江ノ島駅まで帰りました。

時間があったので藤沢駅で途中下車(片瀬から藤沢まではスイカを利用)。
湘南の雰囲気を探しつつ、駅前を歩きました。

湘南の都・藤沢駅前の賑わい

駅正面の小田急デパートには「湘南GATE」の文字があり、江ノ電藤沢駅の改札口まで続いています。
デパート建物は江ノ電の所有のようです。
「江ノ電」の存在に湘南を感じることができました。

デパート内のカフェで地元のマダムたちに交じってしばしの休憩。
地下の食品売り場をのぞき、お土産の鳩サブレーを買って帰りました。
鳩サブレーも湘南そのものでした。

江ノ電が所有するビルには「湘南GATE」の表示
ご存じ湘南の銘菓・鳩サブレー