地元パワースポット探訪記VOL.11 国宝松本城

松本へ行ってきた。
シーズン中の松本は国内外の観光客で身動きが取れないこともあるが、晩秋の時期、松本は落ち着いた町に戻っていた。

奥座敷・浅間温泉街に浸る

美しが原高原から松本平に下りたあたり、松本の奥座敷・浅間温泉街がある。
日本書紀の時代から歴史に表れていた古い温泉。
現在でも都市周辺の温泉地として保養客を集めるとともに、随所にレトロな雰囲気を漂わせる。

外湯・仙気の湯。
12:30に訪れたが、昼休み中。
11:30から15:00までは昼休みとのこと。
地元御用達の外湯とはいえ、この「融通のなさ」に、県民性を感じてしまうのは山小屋おじさんだけだろうか?

温泉街の飲泉所。
暖かい温泉水を汲んできました。
細かな注意書きが貼ってありました。

浅間温泉の開湯といわれる琵琶の湯。
奥まったアプローチとただならぬたたずまい。
立寄り湯専門の施設だそうです。

廃業した木造3階建ての建物。
ただの廃屋ではない存在感です。

注目はモミジではなく煉瓦の塀。
旅館の外塀ですが醸し出す存在感にパチリ。
重みがありハイカラです。

温泉街の歴史とともに歩んだ商店がありました。

松本城の今日のたたずまい

松本のシンボルにして世界的知名度を誇る歴史的遺産・松本城。
天守閣はオリジナルなものが現存しています。

シーズン中は内外の観光客でお堀端はにぎやかですが11月中旬の今日は寂しいくらいの人出です。

いつ見ても本物の迫力に圧倒されます。
冬期間の雪を頂く北アルプスを背景にした天守閣もいいですが、紅葉に彩られた人出の少ないお城もいいものです。

お城を出ていつものコース。
四柱神社、縄手通り、中町通り、パルコのある中心街、駅前までを一巡しました。

シーズン中はにぎわっている観光客の姿がほとんどありません。
その分街の浮ついたにぎやかさがなくなっています。
これが松本の本来の姿なのかもしれません。

松本の、都会的で浮ついた明るさにひかれていた山小屋おじさんもしょせん「観光客」の一人だったのでしょう。
でも何度か来るうちに表面的な観光コース上の街の様子は見飽きました。

松本城へ至る観光客用のよそ行きコースには、地元の人はいないのかもしれません。
そういえば、上田や長野にある風情ある飲み屋街をこの町で見たことがありません。

今後は少しずつディープな松本の姿に触れるべく意識して訪問の機械を作ってゆこうと思います。
待ってろよ松本!

おじさんの松本土産

地元の和菓子屋・開運堂のどら焼き

駅ビルの書店の山と渓谷社コーナーで発見した「定本・黒部の山賊」という文庫本。
松本は上高地の玄関口としても有名だ。
書店の店員さんに「松本のタウン誌はないか?」と聞いたら「かつてはあったが今はない」とのこと。残念。

JA松本の直売所で入手した米麹。
今年は味噌を仕込みます。

同じく直売所でシナノスイートをゲット。
規格外とはいえ8個入りで324円!

写真を撮る前に食べてしまったが、駅前の藤屋という和菓子屋の団子。
ゴマと草団子つぶあん。
今までに食べた団子の中でも最も食べ応えのあるものだった!

 

中山道望月宿を行く

山小屋おじさんの住む長和町を東西に貫く中山道。
江戸五街道の歴史を刻み、現在は関東圏と中部・北陸を結ぶ物流の動脈として命脈を保っている。

長和町には、中山道の宿場として和田宿と長久保宿がある。長久保宿から江戸方面に笠取峠を越えると、芦田宿があり、もう一つ江戸方面に行くと望月宿がある。

佐久方面へ向かった山小屋おじさんは望月宿を訪ねてみた。

望月歴史民俗資料館へ

トラックが行きかう国道142号線(現中山道)。
笠取峠を越えて、左に折れ、望月宿に入ってゆく。

とたんに表通りの「雑踏」から裏通りの「日常」に戻ったような静寂(沈滞?)の雰囲気に包まれる。
角に中山道の道しるべ。
旧街道を歩くウオーカー用だろうか。
望月宿へのイントロダクションとしてふさわしい風景だ。

宿場の街並みは日曜日なのに人影もなくたたずんでいる。
ひと先ず、民俗資料館へ。
地域の情報を系統的に把握するには資料館に飛び込むのが一番だ。
入場料310円。

先史時代の土器類から、宿場時代の絵図類、戦後の生活道具類までをコンパクトに展示しており郷土への誇りと愛着が感じられる資料館。
中でも、鎌倉時代からこのあたりで馬を飼い慣らす「牧」があったこと、終戦直前にこの地に陸軍士官学校が神奈川県から移転してきたことが目を引いた。
中世から戦中にかけてこの辺りはある意味で「選ばれた場所」だったのだ。

本陣は現在医院になっています。

重要文化財の建物です。

「犬神家の一族」ロケ地

1976年の「犬神家の一族」は角川書店の大々的宣伝の先駆けという意味でも画期的な映画だった。
作品自体も市川崑監督の個性と、当時のスタッフ、俳優の力量がマッチした満足できるものとして記憶に残った。

この映画で冒頭、金田一耕助がクライアントに招かれ、投宿する「那須ホテル」のロケ地が望月宿である。
ロケ地は出野屋旅館といい、現在も営業している。

旅館の様子は「日本ボロ宿紀行2」に載っている。
同書によると戦前は芸者の置屋として繁盛し、戦後は下宿屋に転業した歴史を持つ、凝った造りの宿屋だそう。
食事には佐久名物の鯉料理もつくそう。

予備知識がなければ営業しているのかどうかもわからないほどの人気のなさが気になりますが。

バスターミナル周辺に昭和の繁栄の名残

望月宿の街並みは数百メートルの長さだが、街並みの一番佐久寄りにバスターミナルがあって、現在の宿場の中心地がターミナル周辺であることがうかがえる。

バスターミナルは不釣り合いなほど広い敷地で、かつては乗客でにぎわっていたことが想像される。

正面の書店は閉まって久しい感じだが、比較的大きなつくりの書店からも、ターミナル利用客や宿場自体の人口が多かったことがうかがえる。

諸行無常。

地元パワースポット訪問記VOL.10 ぴんころ地蔵

長野県の東信エリアに佐久市があります。
東に群馬県下仁田町と接する長野県の東端です。

北陸新幹線駅ができてから(佐久平駅)急速に発展しています。
東京への新幹線通勤エリアとのことです。

佐久平の駅前にはスーパーをはじめ、郊外レストランのチェーン店が一通りそろい、首都圏郊外のニュータウン駅前のような様相を呈しています。

県内随一の「ファスト化」した風景でしょうか。
あっ話がそれました。

佐久にある、ぴんころ地蔵に行ってきたのでした。

ぴんころ地蔵とは?

お察しの通り「ぴんぴんころり」から名前をいただいています。
佐久市の野沢地区ある、成田山薬師寺の参道に2003年に建立されたお地蔵さんです。
ぴんぴんころりを願う参拝者の名所になっているそうです。

佐久へ行ったついでに寄ってみました。
いや、ついでではなくて、佐久訪問の主目的でした。
かみさんからも「行って来たら?」と言われていましたので。
それほど県内では有名で、またおじさんの年齢の世代にはヒットするスポットなのです。

ぴんころ地蔵のある佐久市。
面積は広く、西は山小屋おじさんの住む長和町と接し、北は小諸、東は群馬県と接している。
南北に千曲川が貫流し、またJR小海線が走っている。

現在の中心部は新幹線の佐久平駅を中心にしたエリアだが、ほかにも旧中山道の宿場町の岩村田地区、ぴんころ地蔵のある野沢地区、日本に二つしかない五稜郭城のある臼田地区など、それぞれ歴史のある町が点在している。
特産品は米を中心とする農産品のほか、鯉料理が有名。

ぴんころ地蔵がある町

国道254号線から成田山薬師寺への曲がり角。
左ぴんころ地蔵の看板のわきにケヤキの巨木が生えていました。

ケヤキを左折すると地元の商店街。
一見統制がとれて元気そうな商店街ですが、日曜日でも8割がたシャッターが閉まっていました。
地方では例外なく見られる風景です。

参道入り口わきの食堂。
看板に鯉料理とあるのがいいですね!

商店街を外れたところにあるたい焼き屋さんで購入。
たい焼き160円、ドーナツ100円です。
たい焼きはあんこの味つけと皮の厚みがおじさん好みでした。

ぴんころ地蔵へお参り

成田山への参道入り口です。

参道の両側には出店がびっしり!ですが、手相見のおじさん以外、1軒も営業していませんでした!
年末年始と縁日の時以外は店を出していないのかもしれませんが、寂しさを通り越して異様な風景にも見えます。

まず母体の成田山薬師寺へお参り。
地方によくある歴史を感じる立派なお寺です。

ぴんころ地蔵です。
新しいお地蔵さんです。
佐久地方はもともと住民の健康寿命がいこともあり、それにあやかろうと建立されたようです。

ぴんぴんころりと逝けますようにと作法にのっとり頭をなでさせてもらいました。

日曜の午後2時過ぎ。
そろそろ肌寒くなってくる時刻とはいえ、ほかに参拝客は、2,3組。

わびしさが極まる?と思うところが参道あたりには温かさ、明るさが満ちていました。
お寺とお地蔵さんのおかげなのか?
にぎわった歴史が醸し出す場の記憶の重みなのだろうか?

たい焼きをほおばりながら帰途に就きました。
ぴんぴんころりと逝けますように。

台風一過 杖突峠を越えて伊那へ

台風から2週間後のある日。
その日も雨でした。
山小屋おじさんは軽トラで伊那へ向かいました。

杖突峠は通行止め解除

いったん茅野へ降りて、杖突峠を越えて高遠経由で伊那へ向かいます。

なぜ伊那へ?なぜ今?

その答えの前に、杖突峠の現状です。
峠に至る坂道は通行に問題ありません。
峠の茶屋も営業していました。

峠からの展望(信州三景とうたわれているらしい)は折からの雨で霧にけぶっていましたが・・・。
峠の通行止めの原因は倒木とのこと。
それで復旧が早いわけだ。

杖突街道。直売所日和

峠を降りると杖突街道沿いに集落が点在します。
昔の信州はこうだったろうな、と思わせる古い民家と畑の風景です。
ここの景色と空気は大好きです。

街道沿いに直売所があります。
おばさんが一人店番しています。
寄ってみると店頭にはシナノスイートの袋と自ごぼう(キノコ)のパックが今日のメインにフィーチャーされていました。
「渋柿ある?」「ない!」。
おばさんとの会話は当意即妙、一転曇りもありません。
シナノスイートはおばさんが趣味で作っているリンゴ。
6個入って300円。
買わない理由がありません。
渋柿はこれからとのこと。
ここら辺、台風19号の被害はなし。
ハザードマップでは真っ赤な地域なんだけどね、とおばさん。
会話は弾みましたが肌寒いので早々にお暇。
おばさんは分厚いチョッキで防寒していましたっけ。

高遠でまったりパート1。信州ソウルフード・ローメンにトライ

杖突街道を折れ、権兵衛街道と呼ばれる国道361号線へ入るところが城下町・高遠です。
城址公園で開かれる高遠桜祭りで有名です。
今は伊那市と合併しています。

街の中心部、権瓶街道沿いの2,300メートルは城下町の町屋風に景観が維持されていてちょっと降りて歩いてみたくなります。

おじさんはここで車を止め(商店街の客用に無料の駐車場がある)、まずは昼食です。

一度は行ったことがある食堂・みすゞ。
今回は伊那が発祥のソウルフード、ローメンを試してみました。
ソース味のようでいて、にんにくを利かせた味噌味の汁に漬かった独特の麺を食べるローメン。
汁あり焼きそばといえばばわかりやすいか。
ホールのおばちゃんがきびきびと気持ちの良いみすゞ食堂。あと、田舎の食堂のいいところは、味噌汁がうまいのと、漬物が自家製だったりするところなんだよね。
ここがそうだからというわけではないけれど・・・。

というわけで、今日のおすすめ、ローメン定食。
900円でした。

高遠でまったりパート2。饅頭屋、不動産屋で油売る

食後は景観保存が見事な商店街を流してみます。

まずはお土産でも、と饅頭屋へ高遠饅頭をフィーチャーした饅頭屋さんへ。
ショーウインドウには高遠饅頭のほか、クルミ柚餅子などが並んでいます。
ここの若女将というか、お姐さんはとんでもなくおしゃべり好きでした。
いや、最初に声をかけた山小屋おじさんがおしゃべり開始の原因だったのですが・・・。
台風19号の被害状況(高遠はほぼ被害なし)から、景観維持には補助金が出ていること、町のお偉方の閉鎖性、高遠の町おこしが不発なことまで、お姐さんの話が止まることはありません。
Uターン組のこのお姐さん、地元高遠への思いはやまないも、若い日に広げた視野の広さからか、通りがかりの人を見かけると話が止まらない、ようだ。
その気持ちよくわかる。

次いで饅頭屋の向かいの不動産屋に邪魔してみる。
この不動産屋、「田舎暮らし希望者へ古民家紹介します」の張り紙がおじさんの目にジャストミートした。
饅頭屋の姐さんに聞けば「面白い主人がいる、寄っていけば?」とのことで迷惑を顧みずいい年して用もないのに寄ってみたのだ。

飛び込んだおじさんを歓迎し、お茶まで出してくれたこの不動産屋夫婦。
地元出身で開業40年。
移住者に地元の物件を紹介してきたとのこと。

今は、都会の相続人にとって、田舎の不動産は完全に負の遺産で、家屋敷、土地はもちろん、畑、山林付きでただでもいいから売りたい人が多いとのこと。

田舎暮らしを希望する人は、東京で情報を見るより現地の不動産屋へ飛び込んでみたほうがいかもしれない。

このご夫婦は移住者のその後の相談にも乗っている、というか乗らざるを得ないとのこと。
移住という事業が、移住する側にとってもされる側にとっても一大事ということがわかる。
頼りになるご夫婦だと思った。

ということで、伊那へ下り、せっかく伊那にに来たのだからと、天竜川の濁流と、日中友好をアピールした中華屋の看板と、を見てから・・。

帰途、南箕輪村の直売所で、紅玉(ジャム、チャツネ用)と大豆(味噌用)を買い、降る雨の中帰りました。

で、なぜ伊那へ行ったか?
特に理由はありません雨だと山小屋に引っ込まざるを得ず、うっとうしかったからかな?

 

 

 

諏訪湖新作花火大会

諏訪湖新作花火大会を見てきた。

諏訪湖の花火大会は8月に終わったものと思っていた。
ある日、下諏訪町の立寄り湯に行ったとき、温泉の管理人のおばさんと世間話するうちに、「今度の土曜日(9月7日)に新作花火大会がありますよ」との情報を得た。

調べれば、37回目を数える大会で、8月の湖上花火大会と並ぶ諏訪湖2大花火大会とのこと。

山小屋おじさんは子供の頃、旭川の石狩川河畔の花火大会を毎年見ていた。
自宅の2階がベストポジションだった。
大玉がさく裂すると家全体が揺れるほどの距離だった。
花火は一生分見たと思っていた。

渋滞を避け岡谷方面へのルートで諏訪湖へ向かう

当日軽トラで諏訪湖へ向かった山小屋おじさん。
諏訪湖へ向かうメインルートの国道20号線を酒、諏訪湖の「反対側」を岡谷に抜けるルートを走りました。
おじさん久しぶりの花火大会です。

諏訪湖に達すると、湖畔の「正面側」へ向かうルートへの右折が禁止となっていました。
やはり発射台がある湖畔道路の正面側は混雑しているのでしょう。

直進して諏訪湖の「反対側」を走ります。
渋滞はないのですが、コンビニの駐車場などは満車に近く、店内も混みあっています。

そのまま天竜川が諏訪湖から流れ出る地点の「水門」まで行き、橋を渡って湖畔ルートをたどってみますが駐車場はどこも満車状態。
やっと見つけた空車スペースに軽トラを止めました。

湖上越しに新作花火を眺める

運動公園から続く湖畔に観客が三々五々集まっていました。芝生と砂しかない場所です。
発射台のあるメイン会場からは諏訪湖を挟んで反対側になります。
湖上越しに花火が見えるポジションです。

思い思いにシートや折り畳み椅子を広げた景色には首都圏の花火大会のような殺気立った雰囲気はありません。
出店もなく、運動公園に常備された以上の灯もありません。地元(岡谷地区)の家族連れやカップルが集まり、のんびりと花火を待つ風情です。

手をつないでいないと幼子が迷子になってしまうような夜の帳の中花火が打ち上げられました。


大玉を含めて連発される花火に時には歓声が上がりました。

メイン会場の雰囲気は味わえなかったものの、諏訪湖畔の晩夏の情緒を味わうことができました。

帰りの渋滞を避け早々に駐車所を出たおじさんでしたが、来た時にはなかった路駐車両の群れに驚きました。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.5 下諏訪温泉郷・旦過の湯

下諏訪温泉郷というところがある。

もともと諏訪湖周辺は温泉が湧くので有名だった。
山小屋のリフォームに来てくれる大工さんは、昔諏訪で仕事があったときは温泉で手を洗って帰ってきたといっていた。手洗いの蛇口からも温泉が出ていたらしい。

その下諏訪温泉郷には銭湯方式の立寄り湯だけでも7軒ある。

立寄り湯・旦過の湯へ

立寄り湯としては新しい建物の旦過の湯。

諏訪大社秋宮から春宮方面へ少し行ったところ。
旧中山道に並行した坂道に面して建っている。

下諏訪財産区の管理運営というから、諏訪では昔からある温泉は、町の共有財産ということだ。

源泉の温度は56度とのこと。
冷泉もわいているのでブレンドして適温にしているらしい。

熱つーい!
そのわきにはさらに熱い浴槽があったりする。
卵もゆだる?ほどの温度!
さすがに誰も入っていなかった。

街の銭湯のようにタイルの壁画がかかっているのが目につく。
立寄り湯としては最高グレードの設備か?
財産区が管理するプライドがうかがえる。
入浴料230円。

なお、脱衣場のロッカーは100円が戻らないので、下足場のロッカーを使用するのがよさそう。
そちらは100円が戻ってくる。

菅野温泉も渋い

下諏訪温泉郷で、山小屋おじさんが他に入ったことがあるのは菅野温泉。
下諏訪町の中心部により近い立地なのだが案内図などはなく、たどり着くのが一苦労。

たどり着けばそこには50年前の街の銭湯もかくや!のレトロなスパ空間が展開されている。
玄関へのアプローチからして目くるめくような場所だ。
入浴料230円。

写真がなくてごめんなさい。

下諏訪温泉郷は諏訪大社下社に近く、参拝の前後に良し。
また国道20号線沿線に展開しているので、松本方面からの帰りにひと汗流すのに良し。
魅力的な温泉場があなたを待っている。

地元パワースポット訪問記VOL.9 諏訪大社下社春宮と万治の石仏

諏訪という地方があります。
おじさんの山小屋からは峠を終えて1時間ほどの距離。
ご存知、諏訪湖を抱える盆地で、かつては甲州街道と中山道が合流する宿場として栄えたところです。
信濃国一之宮である諏訪大社を擁する歴史の里でもあります。

諏訪大社下社秋宮へ

ご存知の通り諏訪大社には4つのお宮があります。
より東京に近い諏訪市にあるのが、前宮と本宮。
東京から遠い、下諏訪町に位置する下社には春宮と秋宮。

このうち観光客でにぎわっているのが本宮と下社秋宮。
規模も大きい立派な神社です。

ひっそりして落ち着いているのが前宮と下社春宮。
特に前宮は、まったく観光名所化されておらず、原初の信仰の様子さえ感じられるような場所です。

ここ下社春宮は、秋宮と同じ造りに見えますが人出も少なくゆっくりできます。
立派な造りの神楽殿があります。
その奥に拝殿があります。
ここは本殿ではないそうです。

春宮を抜け歩いてゆくと万治の石仏があります

橋を渡ってゆきます。
春宮にお参りしたらここにもよらなければなりません。

万治の石仏は岡本太郎が絶賛してから有名になったとのこと。
造形と言い顔の表情と言い独特のものがあります。

長野県内の田舎にある、「巨石の上の小さな石」と造形が同じです。


信州地方の民間信仰上のコンセプトが共通しているのでしょうか?

おんばしら館よいさへ寄ってみる

石仏を見終わって川に沿って歩を進めます。
地元の健児たちはこんな急流で泳ぐのでしょうか?

近くにある、「おんばしら館よいさ」という資料館によりました。

地元のご高齢の方が案内してくれました。
立て板に水の案内コメントの端端からこぼれる、深く静かでありながら強烈な地元愛。

御柱が運ばれるルートから、平地に降りてからの地元住民のお祭り、当時の諏訪藩・高島城主がお祭りの道具を提供したエピソードまで、山小屋おじさんの頭から零れ落ちるほどの情報を連打してくれました。

御柱祭について聞き書き

諏訪大社4宮に7年に一度、新しい御柱をしつらえる行事が御柱祭。

標高1500メートルの霧ケ峰高原の国有林からもみの木を伐りだし、途中の木落坂ではニュース画面で有名な、御柱に人がまたがって35度の急坂を落とす場面を展開。
沿道の里の人に接待を受けながら数百人の地元の若者が綱を引き、諏訪大社4宮に御柱を引き立てるまで祭りは続くのだそうです。

戦前は、女性が御柱にはもちろん、引き縄などにも一切触れられなかったといいます。
おとなしいイメージの長野県民ですが、諏訪っ子はこの御柱祭に燃えに燃えるとのこと。

下諏訪町の下社春宮と秋宮の間は、旧甲州街道と中山道の合流地点があります。

山間部の宿場と違い、温泉が湧く平地の宿場が持つ艶っぽさが残っているような気がします。
興味の尽きないエリアです。

 

ご近所立寄り湯めぐりVOL.4 「三途の川」の彼岸の極楽、霊泉寺温泉

山小屋おじさん久しぶりの温泉です。
今回は、鹿教湯温泉へ行く途中にある霊泉寺温泉にゆきました。
最寄りの町・丸子から車で30分。
旅館4軒が営業中で、大人200円の共同浴場もあります。

国道を曲がって三途の川?を越えると別世界

丸子と松本を結ぶ国道を標識に沿って曲がると橋が架かっています。


雰囲気が変わります。
まるで「三途の川」にかかる橋のようです。

「三途の川」のほとりには遊具のある公園が。
公園のわきにはなぜかひまわり畑が。

道しるべに導かれ霊泉寺へ

温泉までは1本道ですが、道々に「道しるべ」の標識が立っています。


彼岸を行く我々を救ってくれるようにお地蔵さまが見守ってくれています。

やがて温泉名の由来でもある霊泉寺が現れます。
山裾の寒村にふさわしくない堂々たる寺院。
広大な本堂などもさることながら歴史を感じさせる一角です。

極楽・霊泉寺温泉共同浴場

人気のない温泉街です。
旅館は4軒が営業中とのことですが、ほかにみやげ物屋も万屋もありません。
廃業した旅館が寂寥感を誘います。

共同浴場は200円。
入浴料は自主的に料金箱に入れます。
一応管理人はいます。

無色透明な湯で、温まります。
近場で天然温泉に入れるので平日ながら高齢の客が数名訪れていました。
山小屋から1時間県内でこういった温泉に入れる幸せを実感しました。

少し離れた民家の敷地内にかわいいスナックがありました。ここでは貸す少ない温泉街らしい景色です。

地元パワースポット訪問記VOL.8 日本三辻・大門稲荷神社

おじさんの山小屋から畑へ通う道が、国道152号線、通称大門街道。
上田から丸子を越え、大門峠を越えて茅野へ降りる道。
その道沿い、大門集落の入口(大門峠側からみて)に、一目見ると忘れられない神社がある。

1700年ごろ建てられた古社

その神社は、大門稲荷神社という。
昼なお薄暗い場所にたたずみ、背後に巨岩をいただき、うっそうとした巨木に囲まれている。

大門街道に面して鳥居が建てられ、よく見ると境内には小山がある。
円錐形の小山は土俵である。

この土俵、すでに現役の土俵ではなく、その昔にも本当に使われたかどうかの確証はない。
言い伝えによると、この神社、江戸時代の相撲部屋・浦風部屋の隠し稽古場があったとのこと。

転がり落ちたら怪我しそうな土俵は、力士の稽古仕上げと真剣勝負の場として使われたとか。
上田地方の郷土力士で伝説の、雷伝為衛門もこの土俵に上がったらしい。

日本三辻、付近には熊も出る

この神社、日本三辻の一つに数えられているとのこと。
辻とは街角、通り、道端のことを言うが、この神社が日本三辻と呼ばれる経緯は不明だ。

神社としてパワーを持つ地相に建つことは自明として、街道沿いの立地や、相撲部屋との関係など、人の往来が、当時としては賑やかな場所だったのかもしれない。

夕方になると境内の街灯に明かりがともり、さらに神秘性を増す神社である。
気軽に立ち寄りたくも、良い鵜に近づけない孤高の気高さを感じさせる。

巨岩に食い込むように社屋が建てられている。巨岩信仰との関連がうかがえる。

社屋の背後の岩場には仏像が立っている。
信仰と修業の場でもあったか?

大門街道を渡ると、渓流釣りで知られる大門川流域。
毎年秋には熊の目撃ポイントとして地元ニュースをにぎわす場所です。

地元パワースポット探訪記VOL.7 国宝大法寺三重塔で癒される

古代・東山道という街道があった。

「令和」の出典という万葉集に、「信濃路は今の墾り道刈株に足踏しむな履はけ我が夫」の歌がある。
律令時代の良民の義務として、防人になるべく九州へ向かう夫を、東山道で見送った妻が詠んだもの。

万葉集に詠われた東山道は、江戸時代に五街道が整備されるまでの間、畿内から東国へ向かう主要街道の一つだった。

東山道が信濃路に至り、現松本盆地から峠を越えて現上田盆地へ降りる道沿いに、現青木村がある。
青木村に、奈良時代に創立され、東山道の浦野駅(当時の宿場)にちなんだ大法寺があり、境内に三重塔がひっそりとたたずむ。
三重塔は国宝に指定されている。

三重塔の由来と癒し

西暦1300年ころの造営と伝えられる三重塔。
鎌倉時代から南北朝時代に移る時代である。

地方にありながら、くずれのない正規の手法で建てられた、と現代において評価される塔。
当時の中央の工匠によって造営された正統的な造りの塔とのこと。

「見返りの塔」の別名があらわす通りの完璧なフォルムと、周囲の風景との調和が見るものを圧倒する。

古より東山道を行き来する旅人を見送りまた迎えたのであろう、当時の一大スポットにして名勝地である。

大法寺の本堂もまた古く存在感がある。

境内にたたずむお地蔵さん。

三重塔への沿道には羅漢が立っている。

観音堂の建物もまた大掛かりだ。

境内の一番奥、山を背景に立つ三重塔。
今は訪れる人も少ないだけに一層の気高さを備える。

静かに訪れる人を癒すパワースポットである。