おじさんの自転車散歩VOL.3 武蔵溝ノ口で大山街道の歴史を学ぶ

おじさんの東京近郊自転車散歩シリーズです。
今日は、東京都と神奈川県の間を流れる多摩川の神奈川県側の土手を自転車で散歩しました。

狛江より多摩川を渡って川崎市多摩区へ

おじさんは自宅から自転車で多摩川を渡りました。
多摩水道橋という橋です。
世田谷通りを三軒茶屋方面から下り、狛江市に入って、多摩川を渡る橋です。

橋の上から見る風景。
渡し船の名残や観光ボートなどが見えます。
背後に見える鉄橋は小田急線の鉄橋です。
河原と渡し船と私鉄の鉄橋。東京らしい風景です。

川の真ん中は、東京から神奈川県の県境です。

冬なので晴れた日には富士山も見えます。

川崎側の土手をゆきます。

土曜日なので三々五々、ジョギングする人と行き交います。

河原では少年野球の練習をやっています。

河口まで20キロとの表示がありました。

溝ノ口に到着。大山街道資料館で歴史を学ぶ

二子橋に到着しました。
神奈川側の武蔵溝ノ口と、東京川の二子玉川を結ぶ幹線道路にかかる橋です。

この道はかつて大山街道と呼ばれました。
大山街道は、江戸城と箱根を結ぶ街道で、江戸時代に現在の東海道が整備される以前には、江戸と関西方面を結ぶ幹線道路だったとのことです。
江戸時代以降も、丹沢山系の大山へ詣でる人々の参拝の道として栄えた吉。
現在の二子橋から溝口の間は、街道沿いの宿場だったそうです。

道沿いにある大山街道ふるさと館で歴史を学びます。

ちなみにこの町で生まれた有名人には、岡本太郎の実母で小説家の岡本かの子がいるとのことです。

館内においてある地元の情報誌「溝の口ウオーカー」も渋かったです。
表紙はOL時代に地元溝口で働いていたという、女芸人の大久保佳代子さん。

ディープな溝ノ口界隈をゆく

溝ノ口は今では人気のスポットです。
都心への距離が近く、タワーマンションが立ち並ぶ新興住宅地になっています。
一昔前は、東京のどん詰まり、二子玉川を渡った先にある川崎のディープなエリアでした。

今でも往時を偲ばせる一角が、JR南武線の線路わきに残っています。この一角の古本屋も、団子屋も、八百屋も、飲み屋も、おじさんが知っている20年前から残っているのがすごいと思います。昼食はその一角にある食堂で食べました。
ランチタイムのかつ丼450円。客層はビールと一緒に食事するおやじたちが中心でした。

帰りは、二子橋を渡ったルートで帰りました。

おじさんの自転車散歩VOL.2 大映、日活、東宝撮影所へ

おじさんの自宅から自転車での行動範囲内に、映画撮影所が3か所あります。
一般人は内には入れませんが、入り口だけでも見学に回ってみました。

大映撮影所の守衛さんは話し好きでした

調布市多摩川にある大映撮影所。
現在の名称は角川大映スタジオといいます。かつての大映株式会社は破産手続きにより法的に整理され、スタジオ、映画フィルムなどの資産は、徳間書店に譲渡されたのち、角川書店に譲渡されて現在に至っています。

貸しスタジオ状態となって久しい現在の撮影所の存在は、地元住民にとっても「都立調布南高校の隣の場所」くらいの認識なのかもしれません。

守衛さんがいたので声をかけてみました。外注の警備員ではなくて、スタジオの関係者のようです。

おじさん「もう、映画は撮ってませんか?」
守衛「いやいや。大映の作品は少ないですが、製作委員会方式でいろんな作品を撮ってますよ。」
おじさん「大映株式会社はもうなくなったんですか?」
守衛「もうありません。徳間時代を経て今は角川大映となりました。1800本の作品も含めて角川に譲渡されました。大映作品の上映は新宿の角川シネマなどで定期的にやってます。」
おじさん「フィルムはここで保管している?ネガは?」
守衛「昔は門脇にフィルム保管倉庫があって、定期的にフィルムのクリーニングもやりましたが、いまではフィルムセンターの相模原倉庫に預けているはずです。ネガはどうなんでしょうねえ?現像はいろんな会社に頼んでましたが」とのこと。

愛想のいい守衛さんで話題も豊富そうですが、来訪者が多いのでゆっくり話すわけにもいきませんでした。
フィルムが国立のフィルムセンターに保管されている?というのは初耳でした。

注)大映作品のプリントの貸し出し元がフィルムセンターというのは守衛さんの勘違い。
2004年から2008年にかけて、角川文化振興財団が、1600本の大映作品のプリントをクリーニングし、フィルムセンターに寄贈したことを言ったものと思われる。フィルムセンターが商業映画館にプリントを貸し出すことはあるが、通常の場合、上映用プリントの貸出元は、映画会社各社がプリントの保管、貸出業務を委託した倉庫運営会社であることが多い。例えばおじさんが都内の映画館に送られてきたプリントの入っているバックに貼ってある、宅配伝票を実見したところ、大映作品は江戸川区内の住所の倉庫より送られてきていた。

門脇のショップを見学しました。
ガメラと大魔神が会社の遺産としてフィーチャーされていました。

昭和30年代に建てられたというステージ2棟です。隣の高校のグランド越しに撮影。

日活撮影所では敷地内侵入で追い返される

続いて日活撮影所に向かいます。
大映から自転車で10分もかかりません。
多摩川沿いの道に沿った場所にあります。門構えは大映より大きく、構内も広そうです。
門のあたりを撮影して、守衛のいる受付に歩いてゆきました。外注の制服姿の守衛さんが顔を出し「どちらへ行かれます?」とのこと。
おじさんが「一般です。もう帰ります。写真撮ったらだめですか?」と答えると。
「敷地内です」との返事。

一般人は勝手に敷地に入ってはダメとのことなので踵を返しました。
大映と違い、撮影所人の雰囲気さえ感じられない、日活撮影所の入り口でした。かつての日活の映像遺産に対するフィーチャーは外部には全くありませんでした。
内部の食堂にはかつてのスターなどの手形が飾られているようですが。

狛江市役所で昼食のかつライス

ついでに東宝撮影所に行きました。
日活から自転車では30分ほどでしょうか。

昼時なので経路の途中にある、狛江市の市役所で昼食をとることにしました。
直営方式の社員食堂ではなくて、完全外注スタイルの食堂でした。
一般客が半分以上でしょうか。
650円のかつ定食にしました。
プラス100円でドリンクバー付きです。満腹。

ゴジラと七人の侍がお出迎え!東宝撮影所

狛江市から世田谷区に入り、東宝撮影所を目指します。世田谷区成城。世田谷通りから少し上ったところに東宝撮影所があります。
ゴジラと七人の侍がフィーチャーされています。
交通整理の警備員が常駐し、受付には女性職員の姿も見えます。
大映、日活に比して一番大規模で金もかかっています。仙川という川を挟んで建つステージ群も大規模です。
ここで、ゴジラも黒沢作品も若大将シリーズも作られたのです。
敷地の一部にホームセンターが建っているのが今は昔の風情です。

映画産業自体が60年ほど前に最盛期を過ぎました。
撮影所が残っているのは、設備と技能が代替の利かぬ専門的なものだったからと、残された幾多の作品の文化的にも大きい資産価値の故でしょう。

終戦直後の組合運動全盛期、ストを行った東宝撮影所労働組合に対し、当時のGHQが戦車まで繰り出してスト破りを行ったという伝説の東宝撮影所です。
70年を経て設備は近代化しましたが、映画をほとんど自社制作することもなく、技術職社員を抱えることも少なく、映画製作は今の時代は、斜陽産業を経て、無形文化財のレベルに後退しています。
撮影所も映画産業も、権力に弾圧されるほどの興隆を迎えることは二度とないでしょう。

よそよそしいまでの近代的な東宝撮影所のゲートを後に家路につきました。

このほかの都内の映画撮影所には、東映大泉撮影所があります。
無理すれば自転車でも行ける距離なので今度、行こうと思っています。

 

 

 

東京ローカル路線バスの旅 調布から新宿を目指す

おじさん新春路線バスの旅です。
今回はおじさんの住む調布から新宿を目指します。
急に思い立っての旅なので、自宅最寄りの京王線つつじヶ丘駅を出発点としたのが11時でした。
果たして東京で、目的地までバス路線はつながっているのでしょうか?

早くも試練!つつじヶ丘から東進のバス便なし!

つつじヶ丘駅前に来たおじさん。バス路線を調べます。予備知識も、ネット調査もしないのがルールです。
つつじヶ丘駅北口からは、新宿方向にまっすぐ東進する、千歳烏山行きのバスがありますが、朝に3便あるだけでした。慌てて南口へ。最も東へ進む路線は成城学園行きです。
小田急バスに乗車します。11時52分です。
成城学園は新宿方面から見て、90度とは言いませんが、45度はたっぷりずれた方角ですが、やむをえません。
成城学園についたらその先を探すことにします。

成城学園駅前はバスの一大ターミナルでした!

成城学園駅に到着です。
小田急線の主要駅です。
一般的に私鉄各線は、駅前にバスターミナルやロータリーなどの敷地を有しているとは限りません。
23区内の都心に近い駅ほどそうなります。
その点、大なロータリーを有する成城学園駅前は例外的な駅です。千歳船橋方面、二子玉川方面などへのバスの一大ターミナルとなっていました。ここから千歳烏山を目指すことにします。
12時32分発の便まで10分弱あります。
小田急線駅を中心に展開する箱根そばで昼食です。5分で食べました。

千歳烏山で痛恨の乗車ミス!国道を歩いて挽回!

千歳烏山に向かいます。
千歳烏山は、つつじヶ丘からまっすぐくれば、電車で2駅。5分ほどで着く距離です。
路線バスでは乗り換えて1時間弱かかりました。

途中、祖師谷公園を通ります。
遠くに見えるブルーシートは世田谷一家事件の現場です。
現場の家そのものは保存されていますが、周りの住宅は公園拡張によりなくなっています。

着いた千歳烏山駅にはロータリーがありません。
旧甲州街道沿いの北口のターミナルは、バス2台分のスペースを警備員2人で切り回しています。
運行しているのは関東バスです。
吉祥寺行きと、荻窪行きの2系統がありました。
どちらも北上するルートで、ほとんど新宿方面へ東進しません。

考慮の結果、京王線の2駅ほど東進したところの、環状八号線まで出る荻窪行きのバスに乗り、途中下車することにします。
13時20分発です。
来たバスに乗って発車後気が付きました。
間違って吉祥寺行きに乗ってしまいました。
すぐおりて、国道20号線に出て歩くことにしました。
20号線沿いにバス停はありませんでした。

杉並区を走るコミュニテイバスで下高井戸へ

寒風吹きすさぶ20号線沿いを歩きました。

環状八号線との交差点です。
ここを超えると桜上水駅までのバスがあるはずでした。現在では路線バスが撤退し、すぎ丸というコミュニテイバスが運行していました。
井の頭線と京王線をつなぐ巡回路線ですが、1時間に2本の運行で待っているわけにはいきません。

まだ新宿までは8キロあります。
疲れてきましたがもう少し頑張ってみます。

途中、八幡山という駅に寄ってみました。
小田急線の経堂駅行きの便がありました。
新宿方面に向かっては、激しく寄り道する路線なので利用できません。

再び20号線に戻り、桜上水駅まで歩いて駅員さんにバスを尋ねました。
桜上水駅から20号線に出ると、新宿方面に巡回バスのすぎ丸が出ているとのことです。

とりあえずバス停まで行きました。
寒いし、くたくたでしたが時間を見ると14時47分発があります。もうすぐです。待つことにしました。

行き先は下高井戸駅入り口でした。乗りました。

すぎ丸の路線の最東端、下高井戸駅入り口につきました。今日はここでギブアップ。
東京の路線バスは平日昼間も、高齢主婦層や老人で、座席はほぼ満員の乗車状況でした。
都内のバス路線は鉄道に沿ったコースは少なく、鉄道路線を結ぶルートが多かったのは想像通りでした。

京王線沿線ルートでは新宿を目指すのは想像以上に困難でした。
再度別ルートで挑戦します。

おじさんの自転車散歩VOL.1 下高井戸までたい焼きを買いに行く

東京は最高気温が10度以下の日が続きます。
東京では冬本番の気温ですが、北国の人には申し訳ないくらいの温かさです。
雪も降りません。
弊害があるとすれば乾燥と空っ風で風邪がはやるくらいでしょうか。
というわけで、おじさん、本日は自転車で甲州街道沿いに下高井戸まで行ってきました。

千歳烏山を超え旧甲州街道をゆく

おじさんの自宅から、国道20号線(甲州街道)に出ます。
住宅地を抜け、京王線の仙川という駅のエリアで20号線に出ます。
かつては、榮太郎飴の工場がありましたが今はマンションが建っています。向かいにはかつてキューピーの工場があり、調布市内の小学生は見学に行って、マスコットサイズのマヨネーズをもらって帰ってきていました。今は、キューピーのPR施設になっています。

分岐点で、20号線の旧道に入ってゆきます。

千歳烏山は、京王線の新宿、調布間では有数の駅で、準特急も止まります。
駅周辺の商店街はにぎやかです。
小売りの路面店がひしめき合っています。

烏山区民センターにはオウム反対ののぼりが今でもはためいています。

オウムが衆議院選に立候補した時、彼らが歌った「(麻原)ショウコウマーチ」を当時の小学生たちが得意そうに歌っていたのを、忘れていたのに、思い出してしまいます。事件の傷の大きさがうかがえます。

千歳烏山の隣の芦花公園駅前の商店街です。ここは前からこんなさびれた感じです。

アメリカ人が経営するアイバンラーメンという店があったところ。
3年前に撤退して、別の店が入っていました。アーケード街はほぼシャッター街となっています。

20号線旧道の沿道にはこういった古い建物が残っています。

環状八号線を超え、下高井戸へ

旧道が新道に合流し、20号線が1本となったあたりにで、環状八号線とクロスします。
東京を環状に走る道路の一番端っこが環状八号線で、東京の大動脈の一つです。いつも車両で混んでいます。
20号線との交差点では、陸橋となっています。

下高井戸駅です。
路面電車の東急世田谷線が連絡しています。
世田谷線は、20年前は木製の床でできた電車が残っていましたが、今ではすっかり新しい車両に変わりました。

駅前の市場です。
おそらく闇市の流れを汲むマーケットなのでしょう。
今でも魚屋、八百屋、豆腐屋、肉屋などが現役で商売しています。
都内に闇市の名残の場所はありますが、店子はカフェなどに代替わりしていることが多く、今でも魚屋、八百屋がメインの場所は貴重です。

にぎやかな商店街は、千歳烏山と同様に、路面店ばかりです。
狭いエリアでショッピングモールなど進出のしようがない事情ではありますが、昔ながらの商店街はいいものです。

下高井戸には映画館もあります。
おじさんの子供が小さなときは、ここにドラえもんやセーラームーンを見に来ました。
今日は1000円均一デーとのことで、三々五々客が集まっていました。

肝心のたい焼き屋は閉まっていました。
10時開店のはずだったのに残念です。

昼食はここで食べました。
線路わきのラーメン屋です。
醤油味ベースの食べやすい味でした。

「夜の人々」とアメリカ映画史の断片

あけましておめでとうございます。
定年おじさんは冬の間の東京暮らしです。
ブログ更新の頻度が減って申し訳ありません。
さて、年末年始に映画を観に行きました。

渋谷シネマヴェーラの「蓮見重彦セレクション・ハリウッド映画史講座特集」へ

よくゆく名画座のシネマヴェーラで、上記の特集上映をやっていました。
蓮見重彦という人は東大総長も務めた仏文学者。
映画評論家としても有名です。

今回の特集はご本人の著作の「ハリウッド映画史講座」で取り上げた作品の中からセレクトしたものとのこと。主に1940年代のアメリカ映画から、左翼系の映画監督、脚本家によるもの、欧州を逃れて渡米した映画監督による作品が中心。
のちのリメーク作品のオリジナル作品である「キャットピープル」(42年)や「犯罪王ディリンジャー」(45年)などを含む27作品です。
全作品がデジタルで上映されました。

蓮見重彦のネームバリューからか、休日の初回など、開場前に20~30人が並ぶなどの人気でした。
なお、蓮見重彦に関しては、多数の信者的映画ファンのほかに、強烈なアンチがいることを付記しておきます。

「夜の人々」(48年)を観る

おじさんは今回の特集上映で、上記の作品を観に行きました。
戦後間もない1948年の制作で監督はニコラス・レイという人。
レイ監督はのちに、主題歌ジャニー・ギターがヒットする西部劇「大砂塵」(54年)や、ジェームス・ディーン初主演作「理由なき反抗」(55年)でヒットを飛ばすが、もともとは左派思想の持主のよう。
今回上映のレイ監督の処女作「夜の人々」は、監督の左派的資質が反映された作風となっています。

おじさんの独断ですが、映画における左派的資質とは、社会現実を反映し、弱者の味方であり、知性的というのがそのイメージであす。
「夜の人々」は1940年代のアメリカの田舎を舞台に、脱獄した若者と少女が自滅してゆくというストーリー。
映画のテーマは、社会の底辺に暮らす無学な若者が、社会には救われないという現実を描くことです。
アメリカ映画らしい、ハピーエンドも、派手なアクションも、虚構の繁栄も、この作品にいはありません。
ただ、無学な若者たちを見つめる目と、背景の現実社会の俗悪さを描く視点があります。

同様なストーリーの映画に後の「俺たちに明日はない」(67年)がありますが、同作の主演二人(ウォーレン・ビーティ、フェイ・ダナウェイ)に象徴されるあざとさが「夜の人々」にはありません。
主演のファーリー・グレンジャーとキャシー・オドンネルの素人臭さには好感しか感じません。

この作品は、B級ギャング映画仕立てということもあろうが、当時は日本に輸入されておらず、映画のデジタル化が進んだ最近になって日本でも見られるようになったとのことです。

アメリカ映画史の断片としての「夜の人々」

「夜の人々」のような、現実を弱者の立場から描くアメリカ映画といえば、おじさんは次のような作品を思い出します。
「怒りの葡萄」(40年)、「アスファルトジャングル」(50年)「ハスラー」(61年)。
いずれもアメリカ国内の恐慌時代や裏社会など厳しい現実を舞台にした弱者の物語であり、現実がそうであるようにハピーエンドとはなりません。

なぜそういった作品が生まれたかというと、ハリウッドには1930年代から、左派思想を持った有能な監督や、脚本家がいたからといいます。

彼らは当然、資本側である製作者と対立し、ブラックリストに載せられパージされていきました。

象徴的な出来事が1950年前後の東西冷戦時代に起こったいわゆる「ハリウッドの赤狩」りです。
「ハリウッドの赤狩り」は、議会での証言(自分がアメリカ共産党のメンバーだったか否か)を拒否した監督、脚本家ら10人が議会侮辱罪で投獄されたことでピークを迎えます。
その後、10人は偽名で仕事をしなくてはなりませんでした。
名誉回復は1970年代のなってからのことです。

「怒りの葡萄」(40年)、「アスファルトジャングル」(50年)「ハスラー」(61年)。

「怒りの葡萄」の監督ジョン・フォードを除き、「アスファルトジャングル」のジョン・ヒューストンや「ハスラー」のロバート・ロッセンは左翼かそのシンパです。「夜の人々」もそういった文脈の中でとらえるべき作品なのでしょう。