小さすぎる旅 西武多摩川線

調布の自宅からゆく「小さすぎる旅」の第一回です。
西武多摩川線に乗って沿線を見てみようと思います。

ママチャリ迷走記で訪れた、新小金井西口商店街のある新小金井駅は西武多摩川線の駅です。
始発のJR中央線武蔵境から終点の是政まで8キロの路線です。
他の西武線につながってはいません。
大正時代に多摩川の砂利を運ぶために作られた線路が前身とのことです。
今は、府中市是政にある競艇場へ客を運ぶための路線でもあります。

多摩川の砂利採取は昭和の時代に禁止されました。
往時を誇った砂利業者も、知っている限りでは調布の鶴川街道わきに工場が1つ残るのみ。
そこも仕入れ先は北朝鮮だと聞いたことがあります。

かつては川魚業、渡し船、観光などで栄えた清流多摩川。
そこでの砂利採取は、映画「あにいもうと」(1953年 成瀬巳喜男監督 大映)に描かれていました。
「あに」役の森雅之が気性の荒い昔気質の砂利人夫を演じていて、撮影当時の多摩川周辺の風景が見られました。
川の土手沿いにラムネや氷などを売るよしず張りの茶店が建っていて、気の荒い川筋衆の縄張りが息づいている風景が画面から窺えました。

いまの多摩川は、清流とアユ料理に遊ぶ人を運んだ京王閣は、占領軍のダンスホールを経て競輪場となり、砂利を運んだ西武多摩川線は競艇場へ人を運ぶ路線となって生きながらえています。

山小舎おじさんの40年ほど前の実体験でも、当時の踏切を残していた中央線武蔵境駅には、ジャンバー姿の一見してわかるギャンブル客が、多摩川線に乗り換えるためにたむろしているような雰囲気がありました。

今の武蔵境駅は駅前にイトーヨーカドーと高層マンションが屹立し、立体交差となった駅ビルにはこぎれいな飲食店が並ぶ駅です。
西武多摩川線への乗り換え通路を見ても、ジャンパー姿のギャンブラーは見当たりません。

武蔵堺駅南口の風景
駅構内
西部多摩川線への案内

是政行きへの電車に乗ります。

西武多摩川線の車両

武蔵境駅出発後、しばし中央本線と並行して走った多摩川線は、左へカーブを切ります。
やがて国分寺崖線を断ち切って下り、多摩川の河岸段丘を何段か下ってゆきます。
沿線の風景は、住宅地から、旧陸軍調布飛行場であった現関東村、陸軍施設から米軍のゴルフ場に接収された歴史を持つ現野川公園、そして国道20号線、中央自動車道へと過ぎてゆきます。

8キロの旅程を終え、終点の是政に着きました。
下車して周辺を散策。
往時の砂利採取現場の名残を漁ってみます。
是政橋が対岸の稲城市とを結ぶ多摩川の土手にも上がってみましたが、当然ながら砂利採取の名残はありません。
ついでに渡し船も、遊覧ボートも、茶店も何もありません、当然ですが。

是政駅ホーム
是政駅付近の風景
多摩川にかかる是政橋の袂にて
是政駅終点の風景

殺伐というか、無聊というか、寂寥というか。
かつて栄えた産業がすっぽりと抜け去った後の廃墟感が漂う空間に、新しいマンションが場違いな雰囲気に包まれつつも建ち並んでいます。

競馬場前駅へ歩く。物流会社の背後に高層住宅

もう一つの多摩川線のハイライト、競艇場へは一駅歩いて向かうことにします。

レースを開催していない競艇場では場外舟券売り場として開場しており、無料で入場できました。
レース開催時の入場料は100円とのことです。

競艇場の入り口

競艇場が見渡せる2階席はサンルームのような温かさ。
そこそこの入場者がいます。
居心地がいいので小一時間過ごしました。

2階の観覧席
観覧席には三々五々の人出が

当たればデカいが、なかなか当たらない。
ついついはまり込んで身上崩してしまうといわれる競艇。
もともと伝統あるスポーツでも何でもない競艇を公営ギャンブルとして、元A級戦犯の笹川良一に胴元を独占させた経緯や如何。
何十年か前にテレビで盛んに流された「戸締り用心火の用心。お父さんお母さんを大切にしよう」のCMには船舶協会会長の笹川が自ら出演していたっけ。

「投票所」ってなんなんだ

テレビに映る笹川の悪党面がすべてを物語るような競艇というギャンブル。
笹川の顔を見てしまった世代には一生の間忘れられない負のイメージをもたらしてくれた、笹川と彼が胴元を務める競艇。

そして彼の「犠牲者」たるギャンブラーたち。
しかし、この日競艇場の2階に鎮座ましますギャンブラーたちは案外堂々としています。
金銭的見返りが極小なので、そこに経済的に満ち足りた奢りと余裕はみじんもありませんが、だれが何を言おうと俺は自分の好きなことをやっている、という自負がその存在からにじみ出ています。
暗く寒い競艇場も片隅に立つ警備員の、誰かの助けを待っているかのようなおどおどした表情はありません。

ギャンブル依存は金銭的リターンを求めてのことではない、という話を聞いたことがあります。
競艇場に集まる方々は別の意味での生きがいを味わいにここに集まっているのでしょうか。
そうだとしたらこの時代、やりたいことを見つけた方々はそれでいいんじゃないでしょうか。
人生の勝ち組として。

笹川良一には全くその気はなかったでしょうが、ある種の方々に生きがいを場を提供できたのであれば、案外その生涯の悪行の何億分の一かは帳消しにできて死んでいったのかもしれません。

競艇場前駅のプラットホームにて

うすら寒い武蔵境に着いて多摩川線の小さすぎる旅を終えました。

ママチャリ迷走記2025 新小金井西口商店街

年末年始のあわただしさが過ぎた1月中旬、調布の自宅で過ごす山小舎おじさんは、ママチャリに乗るのが日課です。
好きなコースは、国分寺から小平を通って武蔵境へ戻るルート。
その途中で新小金井を通ることがあります。

スバルとICUがある一帯へ出ます。
ICU(国際キリスト教大学)はコロナ前はよく構内を通りました。
今は通りずらい雰囲気です。

通称・緑のトンネルを抜けて
中島飛行機の流れをくむスバル
ICU正門

ルーテル学院の前を通ります。
近い将来、社会福祉学部の学生募集を停止するそうです。
牧師さん養成の学科は残るとのこと。

ルーテル大学生門

中近東文化センターという建物があります。
ネーミングに興味を惹かれるのですが入ったことはありません。
この日は開館だというので見学しました。

昭和天皇の弟である三笠宮が、戦後中近東の研究をしていたとのことで、その収集品や、中近東における日本の調査隊の報告、収集品などを展示する博物館です。

中近東文化センターは開館していた

生前の三笠宮のインタヴュー映像が放映されており、西洋文化への関心が旧約聖書を原語で読むことへつながり、旧約聖書のエピソードの原典が中近東にあることを知った、とのこと。

幕末から現在にかけて、中近東との交流、シリア、トルコなどでの発掘調査などでの日本と現地の交流が続いていることを知りました。

文化センターを出てママチャリで北上。
やがて連雀通りという、三鷹から小金井にいたる東西の主要道路を越えると西武多摩川線の新小金井駅周辺です。

連雀通り

小金井市には、JR武蔵小金井、JR東小金井、西武多摩川線新小金井の3駅があります。
一番ローカルで、忘れられたような駅が新小金井です。
駅横の童話チックな踏切を渡ると新小金井ワールドです。

思わずわたりたくなる、新小金井駅脇の踏切

ますます童話チックな駅舎の前には西口商店街が広がっています。

かわいらしい駅舎
西口商店街のアーチ。時計の針は止まったまま

ママチャリで懐かしくも、さびれて人懐っこい商店街を流します。
チェーン店も大型店舗もない、オール個人経営の商店街には、団子屋、魚屋、肉屋、パン屋、電気屋、中華屋、古本屋などが揃っています。
すべて路面店で対面販売の安心のラインナップです。

西口商店街入り口。車止めの向こうに個性的な電気店

この日はまず古本屋の店先を物色。
1枚300円のDVDボックスから2枚をゲット。
高千穂ひづるの凛々しい女剣士姿が見られる「新諸国物語・笛吹童子/紅孔雀」です。
最近経営者が変わり、品ぞろえと店の雰囲気がよくなった期待の古書店です。

古書店尾花屋
店頭にはDVDボックスが。思わずチェックしたくなります
この日のお買い上げ、計600円

昼食は隣の中華食堂へ。
手書きメニューに惹かれて、タンメンと肉まんを注文。
味は日本人の作った中華っぽいもので期待とは違いましたが、居心地の良い店でした。

古書店隣の中華屋へ
野菜たっぷりタンメンと
天然酵母で作った肉まんを注文。写真撮影了解済み

角の団子屋で、看板娘?のおばあさんから、今川焼を買い食いしようと思っていましたが、満腹なので取りやめ。
次回また。

ここも商店街名物の団子屋
奥には看板娘?が控える
こういった店も

最近開発ラッシュで、チェーン店やファストフード店で賑やかなJR東小金井駅前を通って帰路に着きました。
これからも立寄りたい新小金井西口商店街でした。

孫たちと登る1月の高尾山

1月のある休日、孫一家の誘いで高尾山に行ってきました。

孫一家は初めての山歩き。
孫の母親である娘は幼少時に山小舎おじさんや弟らと高尾山や小仏城山、陣馬山などに行ってます。

風は冷たいものの良く晴れた日。
京王線高尾山口駅に集合。
電車が着くたびにどっとハイカーが吐き出される改札口です。

この日の高尾山口駅

上の孫はともかく、小学1年生の孫は果たして山歩きに耐えられるのか。
心配をよそに登る気満々の様子で登場です。

到着した孫がダッシュ!

高尾山の登山ルートは、ケーブルカーやリフトのほかに、全面舗装のメインルートを多くの人が使いますが、ほぼ天然の登山道が2本ほど伸びています。
それらはケーブルカーの山頂駅や、その上の薬王院などで合流、分散しており様々なルートで山頂を目指すことができます。

6号路という天然ルートで、ケーブルカー駅を目指すことにします。
植林とはいえ、さっそく山のフレッシュな冷気に触れた一行は早くも生き生きと嬉しそうです。

6号路で山頂を目指す
琵琶滝で御参り

ひと汗かいてケーブルカー駅周辺の賑やかな場所に着きました。
ハイカーの数が断然増えます。
茶店や土産物屋が顔を見せ、サル園などもある場所です。

一休みした後は薬王院を目指します。
天狗を祀る高尾山の信仰の場所は、観光スポットでもあります。
線香の煙もうもうとする本堂前は薬王院の名物です。

薬師堂の参道を行く
薬師堂本堂へお参り

さあ、山頂はもうすぐです。

水洗トイレが無料で使える高尾山の山頂。
行楽客で座る場所を探すのも大変です。
ペット連れ、外国人の姿も多く見かけます。
混んでいる割にギスギスしていないのは、環境がいいせいでしょうか。
富士山の姿がよく見えます。

山頂に到着
おにぎりとカップラーメンの昼食
冬の富士山の姿にパワーをもらう

帰りは4号路という天然の道をとおり、リフトを使って下りました。
リフレッシュできた1日でした。
孫たちも山歩きを好きになってくれそうです。

帰りはリフトで

あけましておめでとうございます。

2025年あけましておめでとうございます。

12月中旬に山小屋仕舞いをし、春までの冬ごもりに東京の自宅に戻っています。

家族らとのクリスマス会、年越しをバタバタと過ごしました。

2025年1月の山小舎の夜明け

年々、季節感が薄らぐ日本の年の瀬、正月を感じています。
正月などの年中行事に限らず、クリスマスなどの外来行事(商業的行事)でも、季節感というか高揚感が薄れたように感じられます。

これも社会の経済的盛り上がりの喪失の結果なのでしょうか?
それとも社会の成熟のなせる業なのでしょうか?
それとも当方の感性の減退のせいなのでしょうか?

新年の山小舎

正月3日からは、孫一家と雪遊びのため山小舎で2泊します。
寒そうです。

調布上ノ原小学校夏祭り

令和6年7月13日と14日、東京の自宅近所の上ノ原小学校で夏祭りがありました。

上ノ原小学校夏祭り本部席

例年6月中頃を過ぎると、体育館で練習する太鼓の音が聞こえてきます。
夏まつりに盆踊りの櫓の上で叩く太鼓の練習が小学校の体育館で行われるのです。

毎年7月の中旬、夏祭りは行われます。
山小舎おじさんも、子供が小さかった頃は屋台の手伝いをしたことがありました。
当時の屋台は、地区の青少年対策委員会や、地区のおじさんソフトボールチームなどが思い思いに出店して、焼きそば、トウモロコシ、ビールなどを売っていました。

近隣の柏野地区の夏祭りが、地域の婦人会や青年会の助力を得た地域色の残ったものだとしたら、上ノ原地区のそれは当時から、地主や自治会、婦人会などの参加がなく(それらの地域組織はすでに無力化していた)、PTAなど小学生の親たちが中心になって行われていました。

開始を待つ夏祭り屋台

それからかれこれ20年以上たちました。
孫たちがお祭りを見たいと調布までやって来るというので、久しぶりに夏祭りの下見に出かけました。

焼きそばの屋台ではすでに出来上がったおじさんがいた

午後4時過ぎの小学校グラウンドは、焼きそばの準備をしたり、櫓に太鼓を運び込んだりと大わらわでした。
既にビールで出来上がっている出店者などもいました。
20年前より規模が大きくなり、またカオス化している印象です。
また出店者たちは若返っているというか、小学生の親世代が中心メンバーであることがうかがえ、祭りの世代交代が進んできたことがうかがえました。

盆踊りの櫓

小学校周辺は浴衣姿で友達と待ち合わせる小中学生や、会場へ向かう家族連れなどが続々と集まっています。

孫たちは7時過ぎにやってきました。
会場では、主な食べ物は売切れており、かろうじてお好み焼きを食べられたとのことでした。
会場に流れる音響は20年前の「東京音頭」「炭坑節」ではなく、流行りの現代音楽だったとのことです。

浴衣姿で参加する子も

23区内ではこのようなお祭りがすでに行われていないことが多く、お祭りや盆踊りを知らない小学生がいるとのこと。
賑やかに行われている調布上野原地区の夏祭りは貴重なのかもしれません。

また、時代は変われどお祭りに象徴される、参加型レジャー、発散の場、人間同士の接触の場、といったお祭りの持つ機能がまだまだ現代人に渇望されているのだとも思いました。

東京都知事選挙

小池都知事の任期満了に伴う都知事選挙がスタートしています。

6月下旬に山小屋へやってきた家族とともに一時帰宅した山小屋おじさんは、東京でたくさんの都知事選ポスター掲示板を見ました。

史上最大の50人を超える候補者が乱立したという令和6年の都知事選。
投票日は7月7日です。

マスコミでは現職の小池百合子のほか、対立候補の蓮舫などを盛んに取り上げています。
また、ポスター掲示板が、無秩序に混とんとしていることもニュースネタになっていました。

ほとんどが正規に使用されていたポスター掲示板

都内、といっても調布の自宅から自転車で行ける範囲ですが、の掲示板を覗いてみました。
ほとんどが正しく、候補者のポスターを貼っていました。

2件ほど「これかあ」と思える掲示板がありました。
一つは同じ候補者、というか政党党首、のポスターが何枚も貼られているもの、もう一つは正規の候補者ポスターの下、掲示板の枠外、に何者かのポスターがぶら下がっているもの。

中にはこういった掲示板も。数多く顔出しした方が勝ちということか
「小林弘」には笑った。なんでもありか

かつては選挙というもの、国民の権利にして義務のような位置づけで、犯しがたい権威に満ちたものだと思っておりましたが、いよいよ令和ともなった日本国の首都では、ポスター掲示板の無秩序に象徴されるごとく、かつての常識の遥か斜め上を行く事態に見舞われているようでした。

この破廉恥さが、既成の権力構造だったり、欺瞞に満ちた利権構造へのアンチテーゼから発せられたものであったら、方法的には疑問があるものの一定の意味があるのでしょう。

また、今の若者が普通に選挙制度に無関心であることと、今回の掲示板の現象が、選挙制度の欺瞞を隠し切れなくなったという意味で共通しているとしたら、問題をはらんでいるのはアンチテーゼをする側ではなく、体制側(および体制に追従することによって利益にあずかっている側)にあるのかもしれません。

いろんな意味で転換期にあるのでしょう、社会が。

調布市役所で期日前投票を行って東京を後にした山小舎おじさんでした。

掲示板の裏側

狭山境緑道全線走破

2月27日付の本ブログで狭山境緑道のことを書きました。

狭山境緑道は武蔵野市関町から東大和市の多摩湖まで、全長10.5キロメートルの緑道です。
大正時代に東京への上水道供給事業として掘削開始され、多摩川を水源とする人造湖の多摩湖(下村山貯水池)から、武蔵野市の境浄水場までをほぼ直線で結んだ取水路が完成しました。
取水路はのちに取水管が地下に埋められ、その上が遊歩道として開放され、現在に至っています。

春真っ盛りとなったこの日、武蔵野市関町から東大和市多摩湖までの緑道全行程を自転車で往復してきました。

自宅から関町5丁目の緑道出発点に向かいます。
途中、緑道が多摩湖の水を届けている境浄水場の脇を通ります。
境浄水場は井之頭通りに沿って広がる広大な施設です。

武蔵野市の境浄水場を井之頭通りから見る

浄水場が途切れてから少々ゆくと、井之頭通りが五日市街道に合流する関町5丁目交差点に着きます。
ここから狭山境緑道が出発します。

関町5丁目交差点。緑道の出発点

関町から花小金井まで

桜が散った4月中旬の緑道は、つつじ、ヤマブキ、ハナミズキなどの天国です。
ウオーキングの人々が、花々に囲まれながら気持ちよさそうに歩いています。

つつじ
ハナミズキ

関町から花小金井駅のあたりまでは、人通りも多く桜並木が整備された道です。
沿道の民家は、緑道に沿って花を植えたり、庭木を手入れするなどして緑道の維持管理に協力しています。
サイクリングロードのようにスポーツ自転車が高速で突っ走るようなシーンも少なく、とにかくのんびり散歩する人、駅などへの生活道路として使用する人の姿が見られます。

沿線の農家のプレゼンテーション
沿道には桜の巨木が残る
桜並木が続く花小金井近く

春を迎えた農地が耕されています。
都市農業がまだまだ元気です。

花小金井から小平まで

花小金井駅周辺を過ぎると緑道の人出が収まってきます。

沿線には、民家に交じって広々とした公園が多くみられるようになってきます。

桜吹雪の名残

小平の古民家などを集めたふるさと村という施設があります。
この日は休館日でしたが、空いている日は古民家の庭先で羽根つきなどで遊ぶファミリーの姿などが見られます。

小平ふるさと村は本日休館

西武新宿線の小平駅はこのあたりの中心の駅で南口にはロータリーが広がり、商店が集まっています。

小平から多摩湖まで

小金井市、小平市と通過してきた緑道が、東村山市、東大和市へと向かいます。

東村甘市内の緑緑道
八重桜

人通りはますます少なくなってきます。
西武線の踏切を渡ったり、線路と並んで進みます。

八坂という駅を過ぎてからは、西武多摩湖線と並行して進みます。

東村山市内の西武線踏切
八坂駅

線路の向こうに広々とした東村山中央公園の景色が広がります。

東村山中央公園方面を遠望

まもなく緑道の終点、東大和市の武蔵大和交差点です。
この先は丘陵となっており、多摩湖を抱える公園が広がっています。

多摩湖は大正時代に作られた人造湖で、下村山貯水池というのが正式名称のようです。
公園に入ってゆくと、広い湖面に建つ取水塔が見えます。
湖の反対側は埼玉県所沢市で、西武ドームの銀屋根が遠望されます。

多摩湖に建つ取水塔
湖面の向こう側は埼玉県

帰りに緑道わきのうどん屋へ寄ってみました。
元気のいいおばちゃんが仕切る繁盛店でした。
手打ちのゴツイうどんを汁につけてすする食べ方は、武蔵野地方から埼玉にかけての伝統的食文化です。
東村山のきくやといううどん屋はまた来たくなるうまさでした。

東村山のうどん店・きくや
3Lうどん、肉汁てんぷら付き

春の花々に囲まれ、湖の絶景に接し、思わぬ地元の美味に舌鼓。
感激の狭山境緑道の輪行でした。

東村山の小学校にて

玉川上水緑道の散りゆく桜

桜が散り始めました。
玉川上水沿いの緑道に、散りゆく桜を眺めてきました。

杉並区内の玉川上水緑道

玉川上水は江戸時代に開かれた上水道で、多摩川の羽村から四谷までの43キロほどを流れています。

現在でも都内を流れる川(水路?掘割?)として管理保存されており、上水道に沿って遊歩道が整備されています。また、小金井市内では沿道の桜並木が花見の名所となっています。
三鷹市内で太宰治が愛人と入水自殺をしたのも玉川上水です。

上水の流れは今も

玉川上水が三鷹市内で人見街道と交差し、東八道路に沿って流れるあたりに桜の並木があります。

桜吹雪も終わった沿道の桜

この日、すでに桜吹雪も終わりかけたころ、自転車で見に行ってきました。

桜の巨木が上水道の歴史を物語っています。
既に季節は桜からヤマブキなどに移っています。

桜の巨木が残る
ヤマブキが満開

三鷹から杉並区に入るこのあたり、平日は人通りも少なくのんびりしています。
来年は満開の時期に来ようと思った多摩川上水の桜でした。

緑道には桜吹雪の名残が

千鳥ヶ淵の葉桜

ソメイヨシノが満開となった数日後、千鳥ヶ淵に行ってみました。

九段坂下から靖国通りを上り、武道館のある北の丸公園を左手に見て進みます。
夏には蓮の葉で水面が隠されるお濠を桜越しに眺めます。

靖国通り沿いの昭和館から見た皇居のお濠
北の丸公園方面の人々

人波が多くなってきましたが想像以上ではありません。
自分のペースで歩けます。

千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵に浮かぶボート
千鳥ヶ淵の対岸の桜

千鳥ヶ淵に着くと桜並木に沿ってお祭りの時のように見物人の列が続いています。

近くで見るとソメイヨシノは葉が出ており、花はかなり散ってしまっています。

桜はかなり散っていた

外国人が多数います。
中国、韓国のほかラテン系、南アジア系と思しきグループの姿が目につきます。
白人は大体カップルで歩いています。

目の前に裸足で槍を持ち、民族衣装を着たカップルが歩いています。
付いて行ってみると、同じく民族衣装を着た女性の一群に合流していました。
この一団はリーダーと思しき男性が率いており、アマチュアが自然発生的に集まったものではないようでした。

目の前を歩く民族衣装のカップル。男性は裸足
集まった民族衣装の一団

歩いているうちに戦没者墓苑の入り口に着きました。
Uターンして靖国通りに戻り、市谷駅まで歩いて帰りました。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑は等しく戦没者が祀れた国立霊園
靖国神社の大鳥居が覗く

府中競馬場、競馬博物館

自転車での散歩の途中、府中競馬場(正式には東京競馬場)の前を通りました。
周辺には制服を着た交通整理のおじさんたちが多数出動しており、競馬場で何か開催されているようでした。

府中競馬場東門

東門の前を通ると、人々が三々五々門から入場してゆくのが見えました。
駐輪場に立っている係員さんに聞くと「今日は場外馬券売り場が営業しており無料で入場できる」とのこと。
開催日には200円で入場できるとのことでした。
時間があったので入ってみました。

広い広い競馬場に初めて入りました。
学生時代、札幌の競馬場の関係者駐車場でバイトしたことがありました。
制服、ヘルメットを着用し駐車場内を巡回するだけのバイトでした。
入ってくる車のほとんどが黒塗りのベンツだったような記憶があります。
サングラスをかけた人が運転しているような印象がありました。

この日の府中競馬場には幼い子供連れのファミリーがたくさんいました。
子供らは、簡単な遊具が設置してある公園で元気に走り回っています。
芝生にシートを広げるグループもいます。
ベンチで一人黙する男性は馬券を買いに来た人でしょうか。

この日は無料の入場ゲートをくぐる
城内の案内

中世より武蔵野の中心であった府中は現代にあっても三多摩地区の中心です。
刑務所、税務署、法務局、ハローワークなどの行政施設が置かれています。

ギャンブル施設においても、競馬場のほかなぜか競艇場まであるのは戦後政策のせいでしょうか。
ちなみに競輪場は戦前に京王線終点の遊興施設として作られ、戦後には米軍のダンスホールに接収された歴史を持つ京王閣がその会場となっています。
京王閣は府中の隣、調布市にあります。

府中競馬場の話に戻ります。
小高い丘に登ると馬場が遥かに見渡せます。
馬場は、芝生と土の二つのタイプがあります。
馬場が取り囲むフィールドも見渡せないほど広いのですが、開催日にはここに移動販売車などが集まるとのことです。

全部は探訪できないのでせめて競馬博物館に入ってみることにしました。
デパートのエレベーターガールのような制服姿のお姉さんが一方ならぬ丁寧さで迎えてくれます。
ここも金をかけた施設であることがわかります。

城内の競馬博物館入り口

場内は全国の公立博物館のような手狭さ、そっけなさとは対照的です。
吹き抜けの階上階へは広々としたエスカレーターが常時動いています。
白塗りの壁は明るく広がる空間を演出しています。
学芸的な香りの施設というよりは、場にそぐわない百科事典を陳列した金満経営者の社長室のような居心地の悪さも若干漂っています。

1階に展示されている馬の種類の模型
新人騎手紹介。女性騎手もいた

肝心の展示内容ですが、歴代の名馬や名騎手のモニュメントばかりではなく、競馬の歴史も丁寧にされていました。

競馬の歴史コーナー。競馬の始まりは戦車競走

馬を使った競争は紀元前の戦車競走から始まり、特にヨーロッパで発達したこと。
日本では中世に始まったことがわかります。
中世の日本では武者を乗せた馬の競争があったようです。
流鏑馬や野馬追のような文化遺産が現代でも残っており、馬を使った多分に儀式的、お祭り的な行事が競馬だったのでしょう。

19世紀のイギリスの競馬場のジオラマ模型

西洋式競馬の始まりは幕末の外国人居留地がその始まり。
日本でも賭け事としての競馬がたちまち広がったとあります。
戦前の日本では優秀な軍馬の生産が競馬の興隆の目的の一つだったともあります。

明治時代の日本の競馬馬券。この時代、既に不正はあったとのこと
全国各地に点在する競馬場

外国では、競馬のほかにドッグレース、闘牛などが発達し、日本では競輪、競艇がなぜか公営ギャンブルとなって今日にいたっています。
日本における公営ギャンブルの発生と内実は不透明そのものですが、国公認の各胴元には莫大な金員が集まることだけは確かです。
その周辺にはなけなしの金をはたいて賭けにいそしむ、よれよれのジャンパーを着た多数の浮かない顔の人々が群れていることも。

場外に立ち飲み屋が残っている。この日は4軒が営業していた