師走の一日、調布駅前で遊んだ。
調布に住んで30年以上たつ。
現在、駅前の再開発が進んでいる。
半分、山小屋の住民となったおじさん、変貌著しい調布駅前をさまよってみた。
調布の歴史、ざっと
調布の名の由来は、律令時代からとのこと。
当時の税金は、租・庸・調で納められていた。
租は米、庸は兵役や雑役、調は特産品のこと。
調布の地名は、税金を当時の特産品である布で納めた場所だからといわれる。
布を織ることのできたのは当時の渡来人だったとも。
市内の古刹・深大寺が西暦600年代にはあったとのことで、古い土地柄ではある。
江戸時代には当時の五街道のひとつ、甲州街道の宿場町でもあった。
新宿の次が高井戸宿。その次が布田宿(現調布駅前付近)だった。
宿場の名残であろう、赤線が昭和30年初頭まで、仲町という場所にあった。
昭和に入って、陸軍調布飛行場が作られ、帝都防衛の要衝となり、軍都と呼ばれた。
戦後、飛行場は米軍に接収され、調布基地、関東村などと呼ばれ、民間飛行場、サッカースタジアム、外語大学などの敷地になっている。
サッカースタジアムの前には、東京オリンピックのマラソン折り返し地点の標識がある。
アベベが先頭で折り返し、円谷が二番目でターンした場所だ。
都内との連絡は、甲州街道こと国道20号線のほか、私鉄の京王電車によって結ばれている。
電車が引かれた当時は、多摩川の清流べりの京王閣が東京市民の行楽場所で、水泳、アユ釣りなどで遊んだ由。
今、京王閣は競輪場にその名を留める。
市内には、日活と大映の撮影所が今でもある。
撮影所設立時は日本を代表する産業であった映画会社。今ではそれぞれの会社が法的倒産を経て、主にテレビ、CMの貸しスタジオとしての使命に生きている。
駅前の風景、ガラリ
おじさんが調布に住み始めた30年以上前の調布駅は、地上にあり、線路は踏切だった。
駅舎はこじんまりしていた。
今はやりの商業施設を内蔵する駅ビルなどではなかった。
そのうちに駅前にパルコができた。
京王線の支線の相模原線が調布で本線に合流することから、集客を当て込んでのことと思われた。
最近、調布駅が地下に潜った。
踏切がなくなった。駅舎もなくなった。
商業ビルが3本できた。
パルコの中に1館だけあったミニシアターはすでに閉館していたが、新しいビルにシネコンができた。
映画の町復活という触れ込みだが、新作以外の上映はないのが残念。
駅舎の消えた地上を人が覆った。
こんなに調布に買い物客がいたのかと思うほどの人出だ。
大口納税法人がアフラックくらいしかなかった調布もこれで潤うことになるのか?
この先を見守りたい。
既におじさんの手の届かないところに行ってしまっているが。
駅前百景、今昔
駅近辺の飲み屋街、調布百店。渋谷の百軒店にちなんだ命名だろうか。案外さびれていない。甲州街道布田宿以来の赤線街、仲町の現状。
道路拡張され、物理的にも往時の面影は払底された。
といってもおじさんが知っている30年前には、すでにそれらしい建物はほとんどなかったけど。
布田天神の参道、天神商店街。
名誉市民だった水木しげるさんのご縁により、鬼太郎のオブジェが建つ。かつては楽器屋、ペットショップなどが並ぶ「地元の商店街」だった。
今では食べ物屋が目立つ観光商店街に変貌。
古いおもちゃ屋は30年前から変わらない。
布田天神。式内神社。1500年代にこの地へ移転したとのこと。
地元民はここへお宮参りする。
隣のお寺の墓地へ向かう道。
ゲゲゲの鬼太郎の出生地はこの奥にある墓地とのこと。