DVD名画劇場 溝口健二と田中絹代「西鶴一代女」

映画の教科書のような作品だった。
1950年代の映画撮影所の力量を思い知らされた。

監督の溝口健二は戦前のサイレント時代からのベテラン。
同棲中の女性に剃刀で背中を切られるなどの修羅場を体験し、女を描かせれば当代随一といわれた。
それも、玄人の女性だったり、運命に翻弄される逆境の女性を好んで描いた。

新東宝で撮影した「西鶴一代女」(1952年)は、ベネチア映画祭に出品され国際賞を受賞した。
溝口はその後、「雨月物語」(1953年)、「山椒大夫」(1954年)で、連続して同映画祭の銀獅子賞を受賞する。

国際的にも評価を受けた溝口健二は、ヌーベルバーグの若手監督らからも崇拝され、ジャン=リュック・ゴダールは来日時に、たっての希望で溝口の墓にお参りした。

主演の田中絹代はこの作品の撮影年に43歳となるベテラン女優で、松竹の大幹部女優として戦前から活躍していた。戦後の1949年に親善大使として渡米したが、約3か月の滞在後の帰国時に、投げキッスやアメリカナイズされた服装がバッシングを受けた。

スランプに陥った田中は、溝口から「西鶴一代女」の主人公お春役のオファーを受けた。
御所勤めの身分から、夜鷹、乞食にまで落ちぶれるが、気高さを失わない女性の一生を、鬼気迫る演技で応え、スランプを脱した。

その後も、わきに回りながらも映画、テレビで活躍した。
1974年「サンダカン八番娼館・望郷」で年老いた元からゆきさんを演じた田中に、ベルリン映画祭は最優秀女優賞をもってたたえた。

「西鶴一代女」  1952年  溝口健二監督  新東宝

御所のお女中?として権勢を誇っていた10代のお春。
欲張りなだけで、意気地なしの父親(菅井一郎)の自慢の種だった。

お春にほれ込んだ若侍(三船敏郎)の一途な愛に応えたのがお春の転落の始まり。
不義密通の罪に問われ、洛外追放。
若侍は死罪となり、三船は開始早々いなくなる。

御所からの見舞金を当てにして散財していた父親に泣きつかれて、島原に売られ太夫として売れっ子になるお春。
廓ではあさましく金に右顧左眄する主に嫌われて里へ帰る。

商家へ奉公するが、島原にいたことがわかると態度を変える主(進藤栄太郎)や、玄人女性に嫉妬する奥方(沢村貞子)に翻弄され、いられなくなる。
店では手代(大泉晃)に惚れこまれ、のちに商家をクビになった手代に言い寄られることになる。

腕のいい扇職人(宇野重吉)に是非にと乞われて嫁に入って幸せになるのもつかの間、夫が辻斬りに合って死体で帰ってくる。

出家しようと尼寺に身を寄せるが、言い寄られた男との現場を見られ、庵主から追放される。

お春は、どんな状況にあっても己に正直に、孤高の姿勢を崩さない。
ただ黙っているだけでなく自分の気持ちを主張し、権力に反発する。
そのために零落していっても、慌てず、嘆かず、人のせいにせずにその状況(というか己の運命)を受け入れる。

溝口とのコンビの脚本家・依田義賢は、お春のキャラを1本芯の通ったわかりやすいものとした。
お春を巡る人々のキャラも、一途な者、まじめな者、ずるいもの、小心者、などと分かりやすく色分けされている。結果、作品は外国人にわかりやすいものとなっている。

お春を巡る男性陣の描き方にも溝口らしさが出ている。
金に右顧左眄する島原の廓の主人や、お春が島原出だとわかった瞬間、これからはただでできるわいとスケベな顔になる商家の主。
小心で、娘の金ばかりあてにする実父の描き方も徹底している。
男の卑近さの強調は、ほかの溝口作品、「雨月物語」、「祇園囃子」(1953年)、「赤線地帯」(1955年)などとも共通している。

一方、誠実で男らしい男は登場後すぐに死んでゆく。

このブラックジョークのような状況を敢然と受け入れてゆくお春を演じる田中絹代がすごい。
夜鷹になったお春が、羅漢の顔に三船扮する若侍の顔をオーバーラップさせるときのすごみのある表情。
夜鷹の客に、化け猫とからかわれ、取って返して啖呵を切る時の鋭い体の動きにみなぎる怒りの表現。
ラストシーン、乞食となって巡礼するお春の笠の下の表情は、諦観した聖女のようだった。

撮影は平野好美。
新東宝のスタッフなのか、溝口とは名コンビの大映の宮川一夫カメラマンではない、が、溝口の手法は変らない。

奥に細長い商家のシーンでは縦の構図を生かして撮影。
深度の深いフォーカスで手前にも奥にもピントを合わせた撮影で、ワンカットワンシーン演出に応える。

お春の運命が転換(ほとんどの場合は暗転)する場面では、走るお春を俯瞰で追いかけるクレーン撮影で、状況の変化をカットを切らないで表現する。

多くのショットは、フルサイズ以上で突き放すように登場人物たちを捉える。

家屋のセットでの人物の動きを、横の動きは障子越しにワンショットの移動撮影でとらえ、また2階から1階へ駆け降りる縦の動きでは、セットの壁越しにクレーンを使ったワンショットでとらえる。
緊張感の持続と、状況の説明に的確な撮影である。

1950年代の日本の映画撮影所の技術の高さ、俳優の演技のうまさ、入魂ぶりがさりげなくかつ十分に確認できる作品である。

DVD名画劇場 グレタ・ガルボ伝説 「グランドホテル」「椿姫」

手元に「銀幕のいけにえたち・ハリウッド不滅のボディ&ソウル」という古本がある。
アレクサンダー・ウオーカーというアイルランド生まれの映画評論家が1966年に発表したものが原著。
10人の不滅のハリウッドスターのスクリーン上の、また彼女ら自身を通して女性のセクシュアリテイの本質を極めること、がテーマの一つだとある。

グレタ・ガルボについての1章があるので、引用、要約してみる。

ガルボは1905年スエーデンに生まれた。
労働者階級の家庭に育ち、学校に行ったのは13歳まで。
引っ込み思案で、人前できちんと話すこともできない性格だったという。

14歳で父親を亡くし、15歳の時には裏通りの散髪屋で石鹸娘として働いた。
のちにデパートで販売員として働いていた時、宣伝用の短編映画に出演、これを契機に王立劇場付属の俳優学校に通い始める。

俳優学校長の推薦で、当時スエーデン映画界で第一人者の一人だったモーリッツ・スティルレル監督の新作の主演女優に抜擢された。
特に美人でも才能があるわけでもないガルボをスティルレル監督は熱弁をふるって擁護したという。

この点では、同僚たちの反対を押し切ってマレーネ・デートリッヒを「嘆きの天使」に抜擢した、スタンバーグ監督のケースも同様だった。
ステルレルはグレタ・ガルボ(本名グレタ・グスタフソン)の名付け親でもあった。

1925年にMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーがスティルレルともどもガルボをハリウッドに呼び寄せる。
まもなくスティルレルは独裁的な態度がスタジオの総反発を食らいMGMを解雇され、ガルボだけが残る。

当時のハリウッド映画(の女性性)は、フラッパーたちの”フリーラブ”哲学”か、もしくはリリアン・ギッシュに代表される清純に二分され、ガルボが象徴する、性的なものと精神性の組み合わせをうかがわせるキャラクターは希少価値があり、斬新な存在だった。

同時に「彼女は台本やシュチュエーションをたちどころに理解してしまうんだ。ほとんどリハーサルの必要がない。(中略)自分の才能と実力でもってドラマを膨らますことができる」とスタッフが述べるくらいの完璧な仕事ぶりだった。

スエーデン時代のガルボ

ジョージ・キューカー、エドモンド・グールデイング、クラレンス・ブラウンといった”専属”監督と、何よりカメラマン、ウイリアム・ダニエルズらスタッフの貢献もあり、ガルボは銀幕の大スター、生ける神話となった。

ファンが自分と同一化するのをかたくなに拒み、記者会見やインタビューに応じず、パーテイーに出ず、最後は全盛期の36歳で引退して、ガルボは永久に神話の中に閉じこもった。

「グランドホテル」 1932年 エドモンド・グールデイング監督 MGM

ベルリンの豪華ホテルを舞台に繰り広げられる人間模様。

登場するのは舞台にナーバスのなっているロシア人バレリーナ(ガルボ)、紳士を装った泥棒(ジョン・バリモア)、工場の経理係を休職し全財産をもって滞在中の初老の男(ライオネル・。バリモア)、企業買収を策動中の経営者と雇われタイプライター(ジョーン・クロフォード)。

各キャラの描写と演技が的確で味わいがあり、自然とドラマに見入ってしまう作品。

「我が家の楽園」とも共通する、ライオネル・バリモアの名演技も見られる。
声だけでこの人(ライオネル・バリモア)と分かるようになった山小舎おじさんは彼のファンになった!

紳士を装ったホテル専門の泥棒ながら、最後は本物の紳士として死んでゆく、ジョン・バリモアもいい。

ガルボに言い寄るジョン・バリモア

若き日のジョーン・クロフォード。
当時も今もいる、軽薄で金次第で世の中を渡ろうとしている、即物的な若い女性を軽やかに演じて、魅力的。
最後は人間の尊厳の何たるか、に目覚めて観客を安心させるのもいい!

そして、ガルボ。
これが、決して飾り物ではない存在感を見せる。

バレリーナに見えるかどうかは置いておいて、自らの繊細さに苦しむ芸術家が、時にはしゃぎ、時に鬱々とする姿をまるでガルボ自身のことのように演じていて、うまさを感じさせる。

「グランドホテル」のグレタ・ガルボ

寝巻の下にホットパンツをのぞかせて色気を振りまき、ラブシーンも欠かさないが、それがいちいち魅力的だ。

この時代にしては肌を見せることもいとわない?ガルボ…

ラストの大団円に向けて、各キャラが、まるで豪華ホテルがシェアハウスか何かのように自由に各部屋を行き来するのがおかしく、またいいなと思う。

30年代のアメリカ映画。
フランク・キャプラの「我が家の楽園」「スミス都へ行く」に見るような正義感、人間性を詠うことに躊躇がなかった時代。
観客もそれを受け入れていた時代。
現実はともかく映画の中くらい正義が通用してもいいんじゃないか、と思った。

「椿姫」 1937年 ジョージ・キューカー監督 MGM

「グランドホテル」と異なり、ガルボが完全な主役で壮大なその独演、相手役との駆け引き、を楽しめる。

ガルボとロバート・テーラー

19世紀中盤のパリの社交界。
素性の知れぬ男女が虚々実々の駆け引きを繰り広げる濁った世界。

ガルボ扮する椿姫も極貧から身を起こし、金持ちの男を渡り歩いてきた身の上。
人間関係は気の向くまま、流されるまま、そこに信頼も尊厳もない、というキャラ。

椿姫に夢中になる青年に若き日のロバート・テーラー。
「哀愁」以降の中年になったテーラーしか知らなかったが、若いころはハンサムなうえに初々しく誠実な見かけで、スケベ一辺倒のゲーリー・クーパーより好印象。

実年齢32歳になるガルボは、画面を通しても年相応の貫禄はごまかせなく、(声も1932年の「グランドホテル」当時よりは低くなっている印象)また、口をつく「ハハッ」という相手を小ばかにしたような笑いも年齢を感じさせるのが実情。
しかしながら、だからこそ、若い燕の言い寄りをいなす演技は絶妙。

青年との真実の愛に目覚めたときの演技よりも、社交界を浮遊しながら、あることないこと思いつくままに口をつく”余裕”の演技が印象に残る。

青年の父として、椿姫に身を引くことをお願いする役をライオネル・バリモアが演じ、通り一遍の敵役に収まらぬ余韻を残す。
さすがだ!

瀕死のガルボがテーラーを迎えて真情を披露し、ある意味、幸福のもとに死んでゆくラストシーンでは、思わず眼がしらが熱くなる山小舎おじさん。
おじさんもすでにガルボ伝説に囚われた身となったのか?それとも単純なヤツだけということか?

ガルボの豪華な衣装も楽しめる作品。

(余談)

スエーデン出身の女優というと、イングリット・バーグマンはじめ、アニタ・エクバーグなど、大女のイメージがある。
我がガルボは身長が169センチというから、大女とはいいがたい。
体の厚みもなく、ただし肩幅は広くがっしりした印象でそこにスエーデンの血は生きている。

「ニノチカ」(1939年エルンスト・ルビッチ監督)に見る、ロシアの”人民服”姿と男っぽいふるまいも、そのがっしりとした体つきには似合うというものである。

ちなみにスエーデン系のアメリカ人女優にはグロリア・スワンソン、ジーン・セバーグらがいる。
スワンソンは背は低いが肩幅広くがっしり型。
セバーグは背は低く肩幅も広くない。

スエーデン系にも色々いるという次第である。

DVD名画劇場 デートリッヒ×スタンバーグ「嘆きの天使」「モロッコ」「上海特急」

今回はマレーネ・デートリッヒの初期の3作品を見た。
女優デートリッヒを世界的に有名にした作品群で、監督はいずれの作品もジョセフ・フォン・スタンバーグ。
この時期、デートリッヒの個人史も激動していた。

まずはスタンバーグ監督の紹介。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、両親とともに渡米後、さまざまな職を経たのち、1本の自主映画を製作。
その後、米映画最初のギャング物といわれる「暗黒街」(1927年)がヒットし、一躍スター監督となった。
ドイツで製作された「嘆きの天使」(1930年)の監督として招かれ、主役にデートリッヒを発掘。
パラマウントに招かれデートリッヒとともに渡米。
以降1935年までデートリッヒとのコンビで映画史に残る作品群を発表した。

全盛期のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督

「嘆きの天使」制作時、デートリッヒはすでに20代後半。
キャバレー歌手などを経て、舞台を中心に活動し、映画にも数本出ていた。
映画出演を機に監督助手と結婚し、一女の母親でもあった。

若きマレーネ・デートリッヒ

「嘆きの天使」 1930年  ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督  ドイツ

主人公の堅物教師がキャバレーの歌姫に魅入られて結婚。
ドサ周りの挙句落ちぶれて死ぬまでの物語。

歌姫役がなかなか決まらなかった。

スタンバーグはたまたまベルリンの舞台でデートリッヒを見て、歌姫ローラローラの配役を決めたという。
役を持ち掛けたスタンバーグに対するデートリッヒの反応は、私は写真写りがよくないんですよ、という冷ややかなものだったという。

ウーファ撮影所の当時最先端の技術を誇るスタッフ、ドイツ一の演技力を誇るエミール・ヤニングス(主人公の堅物教師役)、新進気鋭のスタンバーグ監督がそろったなかの最後のピース、退廃の歌姫・ローラローラの配役、が埋まった。

撮影が始まると、デートリッヒは妻、母として家事、育児をこなしながら撮影所に通った。

作品中、主人公の堅物教師と結婚して数年後、ドサ周り中のローラローラが普段着姿で家事をする場面がある。
普段着姿のがっしりした体形のデートリッヒはまさに堅実なドイツの主婦以外の何物でもなく見えた。

ただ、ひとたびローラローラの衣装に身を包んだデートリッヒは、煽情的なポーズをいとわず、退廃的な歌詞を、まだ若く高い声に乗せて歌った。
それは舞台を眺める堅物教師や、ギムナジウムの悪ガキどもに限らず、スクリーンの前の全世界の観客の目をくぎ付けにした。
今に至る伝説の女優マレーネ・デートリッヒ誕生の瞬間だった。

それにしても、場末の町の片隅の安キャバレーの舞台づくりよ!
当時のドイツ片田舎の場末の匂いと喧騒と退廃が今によみがえるよう。

その舞台では歌うローラローラの周りを女が取り囲み、客の指名を待つかのように、ビールを回し飲みしている。
当時のドイツの庶民の享楽を十分に想像させる舞台設定だ。

ローラローラはストッキングとガーターもあらわに椅子にそっくり返り、あるいはホットパンツのような格好で歩き回って客を煽情する。

堅物教師がいなくなった後の舞台シーンでは、椅子の背もたれをまたぐように足を開いて歌う。
このポーズは「キャバレー」(1972年)のライザ・ミネリにまで引き継がれている、場末の歌姫の〈決め〉のポーズでもある。

決して確信的な悪女ではなく、堅気の人間とは生まれた世界が異なり、金しか信じられるものがない芸人をデートリッヒは演じ切る。

ローラ・ローラの背後に女が並ぶキャバレーの舞台場面
DVDパッケージ裏面

安キャバレーの舞台、楽屋のセットは猥雑さにあふれ、そこに至る夜の下町のセットは、表現主義時代からのドイツ映画の伝統にを感じさせるように重厚で、陰影に満ちている。
これが戦前のウーファ撮影所のスタッフの技量であろうか。

「嘆きの天使」が後世に残したものはデートリッヒの誕生のほかに、ドイツの映画製作所の水準の高さがあった。

「モロッコ」 1930年  ジョセフ・フォン・スタンバーク監督  パラマウント

パラマウントは、「嘆きの天使」のアメリカ公開を1931年1月まで延期させ、その間にデートリッヒ、スタンバークによるハリウッド第一作「モロッコ」を撮影し、公開させた。
「嘆きの天使」の悪女ぶりを、「モロッコ」により弱めさせ、デートリッヒのイメージをアメリカ中産階級向けにアレンジするためという。

デートリッヒ個人は、夫と娘を残しての渡米を悩むが、むしろ夫が渡米を進めての決断だったという。

デートリッヒはスクリーン上のイメージと異なり、渡米後もたびたびベルリンへ帰ったりまた帰ろうとした。
娘をアメリカに連れて一緒に暮らし、夫や実母、実姉をアメリカに連れてゆこうとした。

「モロッコ」はパラマウントが、MGMのグレタ・ガルボに対抗してデートリッヒを売り出そうとしての第一作。
相手役に当代一の色男、ゲーリー・クーパーを持ってきたわけでもある。

このクーパー、田舎の消防団一の男前、といった感じで、ヨーロッパの歴史を背負うデートリッヒには文化的に対抗のしようもないが、これがアメリカ映画、文句を言ってもしょうがない。

スタンバーグのタッチなのか脚本のせいなのか、エキゾチックな舞台設定を生かし切ることなく、現地の欧米人たちの恋愛関係のドロドロにのみを粘っこく描いて映画が進む。

そういった中で、流れ者の歌姫、デートリッヒのステージシーンは一服の清涼。
この作品ではタキシードの男装姿を披露。
歌姫が男装で歌う、という、ひとつの〈定番〉の先鞭をつける。

男装のデートリッヒ
クーパーとデートリッヒ

ラストでハイヒールを脱いだデートリッヒが、クーパーらの外人部隊の後を追うが、フランスではこのシーンに失笑が起こったという。
熱い砂漠をはだしで歩けるか!ということだろうが、デートリッヒは単独ではなく、部隊について歩く女たち、いわゆる後衛部隊に合流していき、女たちが連れている山羊の手綱を持って歩き始めたのだった。

この後衛部隊、軍隊にはつきもので、日本軍にも民間の業者が女とともに同行し、駐屯地で慰安所などを開業した。
軍隊は何といっても当該国随一の官僚組織であり企業なので予算は潤沢、倒産の心配もなく、確実な取引先だったのだから各業者がぶら下がり群がるのは当然だった。

この時代にもそういったものがあったということだろう。

ロバに荷を積み、山羊を引っ張りながらよたよたついてゆく女たちの姿が哀れだが、何とも言えぬリアルな異国情緒を誘う場面でもある。

伝説のラストシーン
DVDパッケージ裏面

「モロッコ」撮影後、デートリッヒは家族の待つベルリンへ帰宅。
娘を連れてハリウッドへ戻る。
夫はドイツに残った。

「上海特急」 1932年 ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督 パラマウント

ハリウッドで娘と暮らしながらデートリッヒが撮った作品。

ハリウッド第3作。
舞台を混乱の中国に移してのエキゾチック路線。
デートリッヒの役柄も植民地を流れる訳あり玄人女。
謎めいて冷ややかな外見だが、内心は愛する男に純情を貫く役柄。
今回はステージシーンはなし。

戦前の中国。
北京から上海への特急列車の一等室が舞台。
植民地に巣食う列強の出身者の乗客の中に、デートリッヒ扮する流れ者の白人女とさらに謎めいた中国女(アンナ・メイ・ウオン)が加わる。
彼らが革命軍が策動する中国内戦に巻き込まれ、デートリッヒはかつて愛した英国人医師と偶然再会し・・・。

ステージシーンがない分、贅を凝らしたファッションでスタンバーグはデートリッヒを映す。
巻頭のアイ・ヴェールをかけた艶姿。
恋人との再会ではその軍帽を取って斜めにかぶって見せる。

ファッションを見せるだけではなく、スリリングなシーンでは大股で歩き、愛人を助けようと行動する。
肩幅の広い姿で、大股に動く場面では、「嘆きの天使」での普段着で家事を行う場面同様、ドイツ女性としてのデートリッヒの素に近いものが見える?

この作品の後、デートリッヒは夫に手紙を書き、娘とともにベルリンに一時帰国する旨連絡する。
夫は帰国するのは危険だと返事する。

デートリッヒが、愛するドイツ、ベルリンへ帰ることができたのは(公には)1960年になってからだったという。

DVDパッケージ裏面

DVD名画劇場 エリッヒ・フォン・シュトロハイムとは何者?

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人、エリッヒ・フォン・シュトロハイムは渡米後、ハリウッドで5本のサイレント映画を監督した。

自称、貴族の出でオーストリアの士官学校出身。
実際の経歴は帽子職人の家に生まれ、商業学校卒業後に帽子職人となり、陸軍入隊後除隊し渡米というもの。

渡米後はハリウッドで端役、監督助手などを経て、ユニバーサルのタイクーン、カール・レムルに自ら売り込み、「アルプス颪」(1919年)で監督デビューした。

以降4本の作品を監督するが、予算と時間を超過することが当たり前で、完成作品は数時間の長尺となり、カットを要求する会社側といちいち衝突した。
それでも作品がヒットし、製作費を回収することができたので、1925年までは映画を監督することができた。

自作を演出するシュトロハイム

その後はハリウッドはおろか、シュトロハイムを監督で起用する場所は世界中になく、個性派俳優として活躍した。

「大いなる幻影」(1937年)で、シュトロハイムを俳優として起用したフランス映画の名匠ジャン・ルノアールは、シュトロハイムについて、「この巨人に対する私の傾倒ときたら絶対的なものだった」「私が映画をやるようになったのも、元はといえばシュトロハイムが”作家”として作った映画に夢中になったということがひとつあったほどなのだ」(「ジャン・ルノワール自伝」みすず書房P205)と述べ、シュトロハイムの監督としての作家性を評価している。

「愚なる妻」 1922年 エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督 ユニバーサル

DVD版では本編の前にシュトロハイムの撮影シーンと、豪華なモンテカルロのカジノの大セットが映しだされる。
ナレーションが被って、この作品がいかに豪華なセットを作り、ヨーロッパ製の車を輸入して使ったか、を観るものに伝える。
金のかかるシュトロハイム作品の逆手を取って、プロデユーサーがその贅沢な撮影ぶりを宣伝材料にしたということが今に伝わる。

本編が始まる。
数階建ての威容を誇るモンテカルロカジノの建物のセット。
騎馬兵の一団が駆け抜け、当時の高級車両が走り回る。
エキストラは数百人の規模であろう。

公使夫人に迫るシュトロハイム

主演はシュトロハイムその人。
白を基調にしたヨーロッパ高級将校の軍服に身を固め、軍帽を斜めにかぶって、片眼鏡をはめた姿が決まる。

インチキ、偽善、詐欺師、好色、吝嗇、クズ、人でなし、小人物・・・。
これら全部に最大級の形容詞を被せたような人物をシュトロハイムが演じる。

シュトロハイムはこの主人公を気持ちよさそうに演じており、自己陶酔をさえ感じさせる。
登場人物と実物のキャラが被っているようにさえ見える。

高級将校の衣装姿のシュトロハイム。絶好調だ!

主人公は、偽札を作らせて暮らしを立てている素性卑しい偽高級将校。
女とみれば卑しい笑いを浮かべて近づく。

12歳から20年仕えているメイドにも手を付けており、「いつ結婚してくださるの?」と迫られるたびに作り笑いでごまかしている。

モナコ大公に信任状を持ってきたアメリカ公使夫人に目をつけ、だまして金を引こうと近づき、手練手管を弄する。夫人は軍服姿も決まっている主人公にメロメロとなる。

主人公は夫人にカジノで大勝ちさせ、だまして金を引く。

並行して、だまし続けているメイドからは、20年間でためた2000フランをだまし取る。

すべてがばれて夜逃げの際に、偽札職人の娘を思い出し、寝室に忍び込んで親父に殺される。
マンホールに捨てられる際のシュトロハイムの死に顔には卑しい笑顔が浮かんだままだった。

DVDパッケージ裏面。卑しい笑顔でメイドをだますシュトロハイム。メイド役の女優は「グリード」にも出演

圧倒的にシュトロハイムの演技に目がいく。
ナルシステイックな軍服姿と大見えを切った表情が目を引くが、よく見ると小柄で、歩く後ろ姿に品がない。

それは卑しいキャラを意識した演技なのか、それとも地が出たものなのか。
このあたりの浅薄さ、作り物めいたところが、後年のシュトロハイム演じる様々な、インチキめいた怪しいキャラクターの源流となっているのだろう。

シュトロハイムはこの作品で、インチキ将校にコロリと騙されれる公使夫人やメイドの姿を通して、悪意に対する善意の弱さ、愚かさを描いたのかもしれない。
悪意の象徴としてのインチキ将校の、滑稽さ、弱さ、愚かさ、もまた、監督シュトロハイム自身により、徹底して表現されていたが。

「グリード」 1924年 エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督 MGM

ユニバーサルを放逐され、(物好きな)MGMに拾われたシュトロハイムのハリウッド4作目の作品。

シュトロハイムは出ていない。
それゆえだろうか、「愚なる妻」に漂うブラックユーモア感はなく、ひたすら冷酷で突き放したトーンの作品となっている。

幸福な新婚時代の主人公と妻

少々要領は悪いがおおらかで性格の良い主人公。
金鉱堀の仕事から、母の元を離れてモグリの歯医者の弟子となる。
のちにサンフランシスコで開業していた時に運命の女と出会う。
友人の女だったがひとめぼれ、友人から彼女を譲ってもらい婚約する。

結婚式を行うが、窓の外を葬列が通る。
強烈にブラックな伏線となる。
こういった笑えないブラックユーモアはシュトロハイム作品に時折みられる。

結婚の前後に女が宝くじに当たる。
5000ドル。

女は結婚を境にゴールドに魅せられ、夫を支配する恐妻となる。
最初はおおらかだった主人公も、次第に我慢できなくなる。
折から歯医者の無免許が当局にばれて廃業となり、経済的にどん底に落ちる。
女を譲ってくれた親友も急に性格が悪くなり、サンフランシスコから姿を消す。

最後は灼熱の死の谷に逃げ込んだ主人公。
妻とは離婚し、また自ら決着をつけている。
主人公を追うかつての親友・・・。

ゴールド、宝くじといったわかりやすい富の象徴は「愚なる妻」の偽札、カジノ同様、シュトロハイムの執着する小道具だ。
その小道具に操られて簡単にキャラクターが変わる妻や友人はシュトロハイムが冷徹、皮肉に見つめる人間像か。
してみると最後までおっとりした、善意のキャラクターを通した主人公は、善意や人知の象徴なのか。
最後は死の谷で、死んだ友人と手錠でつながれ死を待つ身となった主人公。
善意や人知は欲望の道連れとなって滅びる運命だということか。

妖精のようだった女が、ゴールドに狂い、口をゆがめる光景と、おおらかな主人公が打ちのめされてゆく光景。
悪い意味で忘れられない映画である。

ジャン・ルノアールは自伝に曰く。
「「グリード」こそは、まさにわが映画作家としての活動を導いてくれる旗印とも思っていたくらいだ。ところが我が偶像は現実に自分の目の前にいた。それも自分の映画(「大いなる幻影」)を演じる俳優として。だが、いかなる真実に満ちた信託を下してもらえるかと期待に胸を膨らませしていた私が見出したのは、なんと子供だましの常とう手段にどっぷり漬かった人物だったのだ。もちろん私にも、こうした陳腐な行き方も、シュトロハイムの手にかかると、まさに天才のひらめきを放つ効果を上げることはよく心得ていた。」(自伝 P205,206)

シュトロハイムの詐欺師性とインチキさと、だからこそそれらが効果的に発揮された時の天才ぶりを表した、ルノアールによる至言だと思う。

キャメラを前にポーズをとるシュトロハイム
フィルムを抱えるシュトロハイム

DVD名画劇場 郵便配達は3度!ベルを鳴らす

ジェームス・ケイン原作の犯罪小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は4回映画化されている。
このうちDVDで鑑賞可能な3作品を見比べてみた。

題して、郵便配達は3度ベルを鳴らす!

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 1942年 ルキノ・ヴィスコンテイ監督 イタリア

制作当時のイタリアを舞台に原作を大胆にアレンジしたヴィスコンテイのデビュー作。

主人公の流れ者が町の郊外のドライブインに流れ着く。
ドライブインのキッチンを覗くと、マスターの若い妻が調理台に足を開いて腰掛け、その足をばたばたさせている。

続いてヴィスコンテイは、画面半分に主人公の姿を映し、残り半分の画面で、調理台に座った若妻の足だけを捉える。
一瞬にして男女が惹かれ合うどうしょうもなさを、これ以上なく上手にワンカットで表したシーン。

主人公の二人

流れ者と若い妻は同じ〈人種〉。
片や、ずっと働き詰めで「まともな会話を人としたことがなかった」と流れ者が回想すれば、若い妻は「身寄りがなくて、いろんな人が通り過ぎて行った」。

若い妻は、年寄りの夫に拾われ、場末のドライブインで働く現在の境遇が、いわば〈最後にたどりついたまともな生活〉だとわかっている。

二人は簡単に結びつき、駆け落ちしかけるが、女は戻る。

男は再び一人で流れようとするが、一文無し。
汽車で無賃乗車が見つかった時に、一人の男が助けてくれる。

この男のエピソードは原作にはないものだろう。
大道香具師をしながら旅を続ける男。
吟遊詩人であり、フーテンであり、ヒッピーであるこの人物は、主人公の救いの神であり、内在する良心の化身でもあった。

二人はしばらく旅を続けるが、旅先でドライブイン夫妻と再会し、主人公は再び悪夢の世界へと舞い戻ってゆく。
悪夢に気が付いた主人公の懇願の声に決して振り向かず、救いの神は去ってゆく。

男女がドライブインの経営者である夫を交通事故を装って殺してからは、男が罪の意識におののくのに対し、女はひとたび舵を切った悪夢の世界に開き直るように迷いがなくなる。
悪夢の現実に開き直る女から逃げようとする男が町に出て若い女をひっかける。

ダンサーをしているというその女は、自室に男を連れ込むと迷うことなく服を脱ぎ始める。
貧しい普通の娘である。
イタリアのこの当時の世相の一つなのだろう。

社会の困窮を表した場面だが、ここも原作にはなく、イタリア版オリジナルのエピソードと思われ、ひたすら哀しい。

エプロンをかけ、安っぽいワンピースをひらひらさせるクララ・カラマーイが素晴らしい。
のちにベテラン俳優として活躍する、マッシモ・ジロッテイは、いつも汗じみたランニングシャツによれよれのズボン姿。
同類としてのみじめさと、当時のイタリア社会の庶民の貧しい暮らしが凝縮された、二人の衣装。

底辺の人間同士が犯罪を通してやっと確認できた自己のアイデンティティー。
時すでに遅く、吟遊詩人と、若いダンサーからの〈救い〉は主人公に届かなかった。

DVDパッケージ裏面

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」1946年 ティ・ガーネット監督

DVDでは見ていなく、何年か前に渋谷シネマヴェーラのフィルムノワール特集で観た。

ほぼ原作通りと思われる映画化で、男女の結びつきから発生する犯罪が露見するまでが描かれる。

この映画のイメージを端的に表すポスター

何といってもドライブインの若妻を演じるラナ・ターナーの存在感が圧倒的で、場末のドライブインのキッチンへ、パリっとした白いショートパンツ姿で登場するシーンが映画のハイライト。

〈白〉はファムファタルとしてのラナ・ターナーの象徴となり、のちに「白いドレスの女」でキャスリーン・ターナーに引き継がれた。
この映画でラナ・ターナーは生活感がなく、いつも仕立ての良い衣装に身を包む。

白はラナ・ターナーの色(登場シーンより)

作品は、当時ハリウッドで流行っていた、犯罪映画(運命の女=ファムファタルが男を破滅させるもの)の一環として作成され、のちにフィルムノワールと呼ばれるジャンルを踏襲した作品に仕上がっている。

流れ者役のジョン・ガーフィールドは舞台出身のユダヤ人俳優で、のちに赤狩りの犠牲者となり心臓発作で死んだ。
その先入観があるせいか、彼が演じた流れ者には、単なる粗暴な流れ者としてばかりではなく、社会の犠牲者としての痛々しさを感じた。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」1981年 ボブ・ラフェルソン監督 パラマウント

真新しく、生活感のない上着に身を包んだジャック・ニコルソンが場末のドライブインで、魅力的な若妻ジェシカ・ラングに迫る。
若妻は正体不明の流れ者を最初は激しく拒絶する。
ラナ・ターナーに敬意を表してか白を基調とした新品の衣装に身を包むジェシカ・ラング。

全編にわたり好演を見せるジェシカ・ラングだが、彼女の正体というか背景が描かれないのが物足りなかった。
ニコルソンも常にこぎれいな衣装に身を包み、社会の底辺を歩いてきたという設定ながら、金持ちの親元から家出してさ迷っている〈遅れてきた反抗中年〉のように見えてしょうがない。

主人公二人の背景描写に代わって、この作品が注力するのはドライブインの親父の出自。
ギリシャ移民の親父はギリシャ語を妻に教えようとし、移民仲間をパーテイーに呼ぶ。

ギリシャ移民がアメリカ社会の底辺である、という意味なのか?
それとも、この時代には必須となっていたマイノリテイーに対する過剰な配慮の結果なのか?
それとも、マイノリテイーの味方であることに自己満足したい作り手の〈意識の高さ〉のなせる業か?

主人公の女についてはその背景の描きが不足していたこと、男については配役そのものが(ニコルソンに〈色〉が付きすぎていたことも含め)不満の映画だった。
ジェシカ・ラングはおそらくキャリア中出色の演技だったと思う。

まとめ

主演女優については、総合第一位がクララ・カラマーイ。敢闘賞がジェシカ・ラング。別格で存在そのものがファムファタルで賞がラナ・ターナー。

主演男優は、マッシモ・ジロッテイとジョー・ガーフィールドがそれぞれ敢闘賞。ジャック・ニコルソンは選外。

作品そのものについては、ヴィスコンテイ版、ガーネット版、ラフェルソン版の順番、でしょうか。

DVD名画劇場 ビリー・ワイルダーの闇 「深夜の告白」「第十七捕虜収容所」「情婦」

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーは、戦前にアメリカに亡命し、ハリウッドに潜り込んでシナリオライターから身を起こした。
今回は初期の作品に特徴的なワイルダーの暗黒な作風を追ってみた。

「深夜の告白」 1944年 

ワイルダーの監督第一作。
破滅する主人公にフレッド・マクマレー。
破滅を誘うファムファタルにバーバラ・スタンウイック。

瀕死のマクマレーが己の罪を独白するシーンから始まるのは「サンセット大通り」が、警察の死体置き場に置かれた死体となった主人公の回想シーンから始まるのと同じ趣向。

この作品からファムファタルがしばらく当たり役となったバーバラ・スタンウイは、埃とたばこのにおいがこもる部屋にバスタオル姿で登場し、アンクレット(娼婦が足首につける装飾品)を巻いた足首を組んでマクマレーを挑発。

金髪(のカツラ)、スリット入りのスカート、サングラス、など様々な意匠を凝らし、ファムファタルの役柄に応えようとするスタンウイックだが、あくまで芸として役柄に徹しており、存在が悪女そのものであるラナ・ターナーのように根っからの悪女に見えないのが、この救いのない作品の数少ない救いでもある。

かび臭い部屋での両者の邂逅。女は足首にアンクレットをつけて足を組みなおす

スケベでいい加減な保険セールスマンのマクマレーは、何度か後戻りのチャンスがあったものの、スタンウイックと知り合った瞬間から、自ら破滅の道へと進んでゆく。
マクマレーは何度か戻ろうとしたが、スタンウイックと組んだ悪事から引き戻れなくなった時点から、映画そのものも主人公が見る悪夢となっていった。

保険会社調査員のE・G・ロビンソン以外のキャラは、全員がイカれており、悪意と欲望に満ちている。

マクマレーは死に臨んでから、スタンウイックはマクマレーに撃たれる前の告白(本心かどうかは疑問だが)で正気に戻るが時すでに遅し。

DVDパッケージ裏面

ワイルダーとしては「失われた週末」の前に作ったサスペンスで、亡命ユダヤ人である本人が戦中に感じたであろう不安、不条理を隠れたテーマにした作品。

調子よく生きてきた独身のフレッド・マクマレーが、自らはまっていったた白昼の悪夢を好演。
マクマレーを悪夢にはめたファムファタルを、あくまでも自己の女優のキャリアの一環として演じたバーバラ・スタンウイック。
ラスト以外徹頭徹尾、救いのないストーリーはワイルダーが見てきた己の前半生を反映したものなのだろう。

1950年ころRKOのスタジオで淀長さんと歓談。バーバラ・スタンウイックの気さくな性格がうかがえる

「第十七捕虜収容所」 1953年 パラマウント

第二次大戦中のドイツ軍捕虜収容所。
撃墜された米軍パイロットなど下士官クラスが収容される捕虜収容所の物語。

ドイツ軍に金品などの供与を行い、たばこ、ワインなどをため込み、望遠鏡を自作してロシア軍女捕虜ののぞき見させ捕虜仲間から金品を集めるイヤなヤツがウイリアム・ホールデン。
ホールデンとしては、「サンセット大通り」がヒットしたものの後年のようなヒーロー役一辺倒となる前の作品だ。

戦闘ノイローゼとなった米兵、配給のスープで靴下を洗う米兵、などの多彩で苦渋と諧謔に満ちたキャラクターの数々。
金髪のカツラで捕虜同士ダンスをし相手がその気になるとカツラを脱ぎ捨てる(「お熱いのがお好き」のラストに自ら援用)シーンもある。
辛辣だったり、微苦笑を誘うワイルダーらしいエピソードが繰り返される。

収容所長を演じるのが映画監督のオットー・プレミンジャー。
ドイツ人っぽい風貌だがユダヤ人のこの人。
ぬかるんだ泥道にいちいち板を敷いて歩いたり、宿舎の中で軍靴を脱ぎ、まるで日本人親父のステテコ姿のような格好で部下に命令したり、と、ドイツの軍人を盛んに揶揄した演技を繰り広げる。

収容所内のスパイとして、ホールデンが疑われ、リンチにも遭うが、実はアメリカ育ちのドイツ人が捕虜に扮して紛れ込んでいた。

そのスパイを炙りだし、ホールデンらが脱走に成功する。
暗闇の中、スパイは自軍(ドイツ側)の銃弾に倒れる。
爽快感ゼロの結末は、のちの収容所脱走ものの映画とは大きく異なる。

DVDパッケージ裏面

主人公のホールデンも収容所内のイヤなヤツ。
イカれた捕虜と、いけ好かないドイツ軍。
コメディーでもなくシリアスでもなく、後味に苦渋の残るワイルダー印の捕虜収容所物語。

「情婦」 1957年 ユナイト

裕福な未亡人が殺される。
当時のボーイフレンド(タイロン・パワー)が逮捕される。
仕事にドクターストップがかかっている弁護士(チャールズ・ロートン)に弁護の依頼が来る。
アガサ・クリステイーの原作。

MGMはDVDの版権を持っているだけ。映画オリジナルの製作はパラマウント

前半はロートンと看護婦のやり取り、未亡人殺し容疑のパワーの弁護シーンが続く。
ロートンの演技はいつもながらうまいが、ワイルダーらしい苦さ、暗さ、皮肉はまだ画面に出てこない。

パワーが米兵としてハンブルグに駐留時代に結婚したドイツ女性役の、マレーネ・デートリッヒが登場してから映画は動き、ワイルダーらしさが出てくる。

占領下のハンブルグのバー。
男装したデートリッヒがアコーディオンを弾きながら歌う。
脚を見せろ、とヤジが飛びズボンを片足引き裂かれる。
そのまま酒場は大乱闘。
デートリッヒの楽屋で、パワーはコーヒーひと缶でデートリッヒのこころに付け入る。

回想シーン。終戦直後のハンブルグのバーで歌う、男装のデートリッヒ

ワイルダー作品中では「異国の出来事」(1946年)でもデートリッヒが戦後の瓦解したベルリンのバーの歌姫として登場し、また米軍士官をパトロンとして廃墟のビルの自室に迎え入れていた。

「異国の出来事」。デートリッヒとジーン・アーサー

ワイルダーとデートリッヒ。
片やユダヤ人系映画人として戦前のベルリンでジゴロなどしながらナチスにおびえ、片やウーファのスター女優として嘱望されながらナチスを嫌ってアメリカへ亡命、戦中は危険を冒して連合軍兵士を前線に慰問した。

デートリッヒを起用した2作品では、ワイルダーとしては珍しく出演者に対するリスペクトをデートリッヒに捧げている。
さすがのワイルダーも、戦争当時、亡命ユダヤ人組織に財政支援をしたという、デートリッヒへの恩は忘れない、ということか。

DVDパッケージ裏面

「情婦」はメインテーマとしては対独戦争は描かれていないものの、ワイルダーの関心の的だったであろう、戦後のドイツ人の苦しさ、と反面の矜持みたいなものはデートリッヒのキャステイングによって暗喩されていた。

「情婦」での男装のデートリッヒと、「異国の出来事」でのドレスアップしたデートリッヒの酒場のステージは、いささか映画の主題とは異なるかもしれないが、両作品中の白眉だった。

不安な時代、世相への強烈な恐れ、おののき。
滑稽な行動をとりながらも暗い絶望感に打ちひしがれる登場人物たち。
ドイツとドイツ人に対する他人事ならぬ関心。

これらはワイルダーの初期作品に共通してはいないだろうか。

50年代に入り、オードリー・ヘップバーンなどをキャステイングしての「麗しのサブリナ」「昼下りの情事」などではワイルダーのこういった闇の部分はどう描かれているのだろう?

DVD名画劇場 ハリウッドの異邦人 ルネ・クレールとマックス・オフュルス

今回はルネ・クレールの「奥様は魔女」とマックス・オフュルスの「忘れじの面影」。
第二次大戦時にドイツ、フランスからアメリカに渡った両監督がハリウッドで作った名作です。

「奥様は魔女」 1942年 ルネ・クレール監督 ユナイト

クレジットにはルネ・クレールプロダクション製作、とある。
さすがは戦前のフランス映画界において、ジャック・フェデー、ジャン・ルノアールと並んで三巨匠と呼ばれた名監督だけある。
ドイツから逃れてきたユダヤ人監督たち(フリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、マックス・オフュルスら)とは待遇が違ったようだ。

クレールがハリウッドで選んだ題材は「奥様は魔女」。

山小舎おじさんの世代だと、「旦那様の名前はダーリン、奥様の名前はサマンサ。二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をし・・・ただ一つ違うのは、奥様は魔女だったのです」のナレーションで始まるアメリカ製テレビドラマの「奥様は魔女」の方が馴染みがあるが、ルネ・クレールの本作がオリジナルである。

とにかく魔女役のヴェロニカ・レイクが可愛い。
40年代が全盛のハリウッド女優で、アラン・ラッドとの共演でフィルムノワールっぽい犯罪映画に出ていた。

現代のおとぎ話である本作では、浮世離れした魔女のキャラクターにぴたりとあてはまり、天然にコケテッシュな振る舞いと豊かな金髪で、現世の人々をきりきり舞いさせる。

きりきり舞いさせられる、現代の人々にフレデリック・マーチとスーザン・ヘイワード。

特にヘイワードはマーチと結婚寸前の花嫁(田舎議員であるマーチの後援者の有力新聞社社長の娘。ワガママで鼻持ちならず、婚約者のマーチをバカにしている)役で、結婚式の段取りの悪さにかんしゃくを起こしたり、観客の前でだけ無理な笑顔を作る演技がケッサク。

ヴェロニカ・レイクとフレデリック・マーチ

クレールの演出は、正攻法で奇をてらわず、しかもユーモアを欠かさない。
全編を覆う、いい意味での緊張感のなさは大監督の悠々迫らぬ余裕のなせる業か。

エピローグのシーン。
結婚したマーチとレイク。
子供が4人ほどいる。
女の子がホーキに乗って遊びたがるのをマーチ扮する父親が注意するが、レイク扮する母親は、さすが魔女の子孫と気にもしない。

この場面を見て、のちにテレビ版「奥様は魔女」が作られたわけがわかるような気がした。
典型的な中流階級の家庭に潜む秘密をベースにしたコメデイというコンセプトこそ、無限のエピソードの源泉だろうからだ。

「忘れじの面影」 1948年 マックス・オフュルス監督 ランバート・プロ

メロドラマかな?と思って見た。
その体裁を取ってはいるが、一人の女性の魂の遍歴を描いた、忘れられない場面の数々に彩られた映画だった。

主人公を、その少女時代からジョーン・フォンテイーンが演じる。
周りになびかず、自分の世界に閉じこもりがちな少女が、自分が住むアパートに越してきたハンサムな音楽家に惹かれる。
それが一生続く。

主人公にとって、音楽家との関係が唯一の〈現実〉だった。

母親が継父とともに引っ越す列車に同乗せず、音楽家の住むアパートへ戻る。

音楽家が住むウイーンで洋服店のモデルの仕事(お客に気に入られると指名同伴?するような仕事)をして一人の時間を過ごす。

雪の日の夜に偶然、音楽家に出会う。
かつての少女のことなど忘れている音楽家との再会。
主人公は音楽家と遊園地や、ダンスホールでデートする。

たった一度のデートで音楽家の子供を妊娠し一人で産む。

資産家に見染められ、連れ子ともども何不住なく暮らすが、オペラハウスで落ちぶれた音楽家の姿を見た瞬間、ぜいたくな暮らしと誠実な夫を捨てて音楽家のもとへ走る・・・。

主人公の世界は一貫して変わらず、行動も一貫している。
たとえ音楽家が己の存在を記憶していようがいまいが。

この主人公の心理は、彼女個人にのみ特有なものなのだろうか、それとも女性に、人間に、普遍的なものなのだろうか。

DVDパッケージ裏面

雪の日の街角での出会いの幻想的で映画的記憶に満ち満ちた場面。
世界旅行の書割をバックに尽きることない時間を過ごす遊園地のシーンの不思議な懐かしさ。

オーストリアからの亡命者でユダヤ人のオフュルス監督は、アパートの中庭や、お屋敷のセットには階段を用い、出演者に階段を上り下りさせて、立体的な画面作りを試みる。

移動、パン、クレーンを多用した流麗なカメラワークのは、夢の中を生き切った主人公の心理を表しているかのよう。

ジョーン・フォンテイーンは、持ち味の普通ッポさ、オドオドした感じを前面に出し、この特異で一途だが、普遍的でもあるキャラクターを好演。
忘れられないこの作品の象徴となった。

1943年「永遠の処女」のジョーン・フォンテイーン

番外) 「レベッカ」1940年 アルフレッド・ヒッチコック監督 セルズニックプロ

「忘れじの面影」を見て、ジョーン・フォンテイーンが気になり、彼女の出演作を探した。

ヒッチコックの渡米第二作の「レベッカ」は、フォンテイーンにとって、製作者セルズニックに見いだされてのメジャーデビュー作だった。

レベッカという名の前妻の影が色濃く残るお屋敷に後妻となって移り住んだ主人公のフォンテイーン。
彼女の持ち味の、普通さ、オドオドした自信なさげなキャラクターにより、まがまがしいレベッカの恐怖が強調されるミステリー。

途中までは、フォンテイーンを後妻にめとったローレンス・オリビエの正体が不明で、死んだレベッカにかしずく屋敷の女執事長の正体やいかに、というミステリーに満ち満ちていた。
が結末では合理的な説明がなされ、レベッカという稀代の魅力的な美女にして悪女に振り回されてのまがまがしさだったことがわかる。

DVDパッケージ裏面

ジョーン・フォンテイーンは確信的悪女そのものだったレベッカとは対極にある、平凡で常識的なキャラクターを好演し、変質者(女執事)や神経衰弱(ローレンス・オリビエ)が跋扈するこのミステリアスな物語の被害者を演じつつ、安心感に満ち満ちた結末をもたらすべく、夫を励ます健気な新妻を演じきった。

DVD名画劇場 1940年代最高の美人女優ジーン・ティアニー

ジーン・ティアニーという女優がいました。
1920年ニューヨーク生まれのアイルランド系。
旅行でハリウッドのスタジオを訪れたときにスカウトされ、1940年代に活躍した。

叩き上げ女優のような強烈な存在感に訴える女優ではなく、気品ある美しさが持ち味だった。

ジョン・フォードの「タバコロード」(1941年)やエルンスト・ルビッチの「天国は待ってくれる」(1943年)などに出演した。

映画評論家の山田宏一や蓮見重彦がジーン・ティアニーのファンで、彼らの著作や対談集には彼女に一章が割かれていることが多い。

今回はジーン・テイアニーの出演作から2作を選んで見てみた。

「砂丘の敵」 1941年 ヘンリー・ハサウエイ監督

ジーン・ティアニー21歳の時の作品。

製作はウオルター・ウエンジャー。
第一次大戦後のパリ講和会議で大統領補佐官の任についたという、数か国語を操る人物で、パラマウントに入社後、プロデユーサーとして独立し、数々の作品を制作した。

主に1930年代から40年代にかけて活躍し、ドイツからの亡命ユダヤ人監督フリッツ・ラングの「暗黒街の弾痕」(1937年)、「入り江の向こう側の家」(1940年)のほか、ジョン・フォードの「駅馬車」(1939年)やアルフレッド・ヒッチコックの「海外特派員」(1940年)をプロデユースしている。

本作「砂丘の敵」は英領東アフリカが舞台の冒険活劇。

世界大戦時の不安定な情勢下で、英国から派遣された軍人、鉱物学者らが、現地人に不正に武器を供与する勢力の暗躍に立ち向かうストーリーで、クレジットのトップを飾るジーン・テイアニーは現地で生まれ育ち、父が築き上げた現地の隊商による交易利権を継承しているという白人娘で登場する。

敵対勢力(ドイツを暗喩)に立ち向かう連合国白人チームの冒険活劇、という点ではのちの「インデイジョーンズ」をほうふつとさせる。

ユダヤ人でもある製作者のウエンジャーが、反ナチの意味を込めた本作の設定は、この後アメリカ映画のいわば定番の設定ともなり、ナチス勢力はわかりやすい悪役として登場し続けることとなる。
「砂丘の敵」はその原点の1本なのだろう。

DVDパッケージ裏面より

ジーン・テイアニーはスカーフを被り、おなかを出したハーレム風衣装で活躍する。
当時のオリエンタルな女性スタイル(とおもわれるもの)である。

当時のアメリカ映画「アラビアンナイト」(1942年 ジョン・ローリンズ監督)や「アリババと四十人の盗賊」(1944年 アーサー・ルービン監督)でも、シエラザードやお姫様を演じたドミニカ出身の美人女優マリア・モンテスも、スカーフとおなか出し、はお約束だった。

東アフリカと中東では、風景も人種も服装も異なるとは思うのだが、西欧(とアメリカ)にとっては、自分たちの世界以外は〈東〉としてひとくくりにしていた世界観(今も?)なのだろう。

「砂丘の敵」のジーン・テイアニー

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
現地人の隊商を統括するベールを被った美しき白人娘。
〈民主的〉にあーだこーだと、仲間内では揉めながらも、最終的にはテキパキと敵対勢力を打ち破る連合国チームのスリリングな活躍。

大戦下の不安に満ちた雰囲気漂う作品ながら、かつ、のちの冒険活劇の原点ともいえる要素に満ちた「砂丘の敵」でした。

文庫版「傷だらけの映画史」の表紙を飾るジーン・テイアニー

ここで余談

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
「アラビアンナイト」でもそうだったが、ラクダはともかく、中東やアフリカでこのようにたくさんの馬が運用できたのは史実なのだろうか?

スピード感があって映画的にはこれでいいとは思うのだが。

マリア・モンテスが出演するアラビアもの2作品

「風とライオン」(1975年 ジョン・ミリアス監督)でも、現地人首領に扮したショーン・コネリーは集団を馬で運用していた。
ショーン・コネリーが誘拐したアメリカ領事?夫人役のキャンディス・バーゲンを自らの乗馬に抱え上げて立ち去る場面は、映画のハイライトとしてヒロイックに演出されていたが、果たして。

「ローラ殺人事件」1944年 オットー・プレミンジャー監督 20世紀FOX

ジーン・テイアニーの代表作で、オットー・プレミンジャーの出世作。
美人で華やかな活躍をする主人公ローラを巡る男たちの悪夢の物語。

殺されたはずのローラが現れて、刑事や真犯人らが驚く。
ローラを巡る、パトロン、婚約者、刑事らの心理が謎めいて描かれる。

高慢で滑稽なくらい個性的なパトロン、女にだらしないクズっぽさ全開の婚約者。
一匹狼風の敏腕刑事にしても、一人で殺人現場のローラ宅に泊まり込む、という異様さ。

まともな人が出てこない。
刑事でさえも途中からローラの陰に取り込まれ、夢中になってしまう。
もともと彼らがまともではないのか?それともローラが彼らを虜にしているのか?

ジーン・テイアニーは本作当時24歳。
貫禄もつき、美しさに磨きがかかっている。
まさに適役。

様々な髪形、ファッション、帽子で登場し、いちいちキュートだ。

ラストで謎は解明され、真犯人が射殺され、ローラは刑事の胸に飛び込む。
それまでの間、何より観客はローラの魅力に惑わされ、迷宮のストーリーにさ迷う。
悪夢のようなその展開がこの作品の狙いだったのだろう。

DVD名画劇場 クララ・ボウとシルビア・シドニー

映画プロデユーサーの息子で、作家のバッド・シュルバーグの自伝的回顧録「ハリウッド・メモワール」には、1920年代から30年代のハリウッドが活写されており、様々な映画人が登場する。
この書で、子供時代の筆者の視点で印象的に描写されているのが、女優のクララ・ボウとシルビア・シドニーだった。

バッド・シュルバーグ著「ハリウッド・メモワール」。表紙はシルビア・シドニー

クララ・ボウは、バッド・シュルバーグの父のB・P・シュルバーグがスカウトしてきた新人女優だった。

子供だったバッドから見ても、〈クララは演技ができなかった。それに覚えがいい方ともいえなかった〉(「ハリウッドメモワール」P160)が、同時に〈彼女の全身から電流のような活発さ、うきうきする感じが発散していた〉(同161P)存在だった。

1920年代のセックスシンボルとしてクララ・ボウの評価は現在定まっている。

クララ・ボウ

シルビア・シドニーはニューヨークの芝居に出ていたところをB・Pにスカウトされた、東欧ロシア系のユダヤ人で、1933年に結成されたのちのHANL(ハリウッド反ナチ同盟)の創立メンバーの一人だった。

映画はトーキーとなり、セリフがちゃんと喋れるタイプの女優が重宝された。

まもなく彼女とB・Pは共に暮らすようになり、B・Pはバッドらが暮らす自宅には帰ってこなくなった。

〈私の目には、シルビア・シドニーが自分の女優としての立場を守るために父の血を吸うきれいな吸血鬼のうちの最新の女だと決めつけている考えを変えることはできないと思えた。〉(同書353P)

シルビア・シドニー
蜜月時代

今回は彼女らの代表作を見てみようと思った。

「つばさ」 1927年 ウイリアム・A・ウエルマン監督  クララ・ボウ主演 パラマウント

第一次大戦時の複葉機による空中戦を再現した戦争ドラマ。
クララは若き戦闘機乗りの恋人に思いを寄せ、従軍女性ドライバーとして戦地に赴き、また必要とあらばフラッパーな格好でパリのカフェに現れ恋人に迫る、健気で可愛げのあるアメリカンガールを演じる。

「つばさ」より

監督はこれが出世作となったウエルマン。
無名の存在だったが、空軍の従軍経験をアピールし、当時で製作費100万ドルを超える大作のメガホンをとることを必死に製作者のB・Pに売り込み。パラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーはB・Pの連帯責任を条件にOKした。

ウエルマン監督

とにかく空中戦のシーンが多い。
それもロングショットで撃墜シーンなどが繰り返される。

基本、実写だった時代の空中戦の撮影は、出演する方も演出の方も大変だったろうと想像がつく。
地上戦の再現シーンも大掛かりで、とにかく戦闘シーンの再現に力が入った作品。

戦闘場面

一方で、パリのカフェで酔っ払って正体不明の恋人に、フラッパーなクララが迫る場面では、シャンパングラスから泡が出てくる特撮を演出。
ロマンチックなムードを醸し出してもいた。

DVDパッケージ

サイレント時代の作品だが、実写の空戦シーンを中心に今でも目を見張るところのある作品だった。

「暗黒街の弾痕」 1937年 フリッツ・ラング監督 シルビア・シドニー主演

若い主人公たちが社会の無理解から追い込まれ、犯罪に手を染めた挙句に自滅してゆく姿を描く、いわゆる〈ボニーとクライド〉ものの原点といわれる作品。

シルビア・シドニーは主人公の弁護人事務所の秘書だったが、ヘンリー・フォンダ扮する主人公と恋に落ち、犯罪を犯して自滅するまでの行動を共にする。

「暗黒街の弾痕」の一場面

雨の中、バックミラーに映る目線だけで犯人側を表現した銀行強盗シーン。

人気のない操車場の貨車に隠れるシーン。

恋人が差し入れた拳銃でヘンリー・フォンダが死刑当日に脱獄する一連のシーン。

いずれも〈この世のものとも思えない〉緊張感に満ちた悪夢のような場面が続く。

DVDパッケージ

制作者:W・ウエンジャー、監督:F・ラング、主演:S・シドニーらメインスタッフ、キャストがユダヤ人である事が、開戦前夜の世相と相まっての不安感、悪夢感に満ちた画面を起因せしめているのだろうか?

ドイツからの亡命者、フリッツ・ラングのアメリカ映画の第2作目。

本作でのラングの視点は、登場人物を冷徹に見つめるもの。

本作は、〈ボニーとクライド〉ものの原点と呼ばれてはいるものの、のちの「ハイシエラ」(1941年 ラウール・ウオルシュ監督)でのハンフリー・ボガートとアイダ・ルピノ、「夜の人々」(1949年 ニコラス・レイ監督)のファーリー・グレンジャーと.キャシー・オドンネル、「拳銃魔」(1950年 ジョセフ・H・ルイス監督)のジョン・ドールとペギー・カミングス、「明日に処刑を」(1972年 マーチン・スコセッシ監督)のデビッド・キャラダインとバーバラ・ハーシーが演じた〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉作品で濃厚に漂う、若い犯罪者への同情というか共感の視点はほぼない。

ヘンリー・フォンダのキャラに同情の余地は少ないし、シルビア・シドニーがフォンダに惹かれる必然性の描写はない。
むしろ、二人の逢瀬の場面で池のガマガエルを執拗に映して、若き犯罪者を突き放すようなラングの視点がある。
もともとが真人間とは異なる世界の人間の物語だといわんばかりに。

DVDパッケージ裏面

冷徹で表現主義的なラングの描写は、銀行強盗のシーンがのちのギャング映画にそっくり使われたり、安モーテルで公証人?から結婚証明書をもらう場面が、のちの〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉映画の数々で繰り返されたり、貨車の場面が「明日の処刑を」に援用されたり、と、映画的記憶の原典の数々を生み出した。

「明日に処刑を」貨車のシーン

シルビア・シドニーの清純な演技も一見の価値がある。

DVD名画劇場 太平洋戦争の分岐点「ガダルカナルダイアリー」と「シン・レッド・ライン」

1942年のソロモン諸島をめぐる陸海空戦は、日米両軍の戦力が拮抗していた時期のことだった。

そもそも日本軍がなぜ、今にして思えば無謀な、かつ1943年の御前会議で決定された〈絶対防衛圏〉(千島、マリアナ諸島、ニューギニア西部を結ぶエリアを太平洋戦争における日本の最終防衛圏としたもの)においてすらその圏外とされたソロモン諸島に兵を進め、あまつさえ貴重な戦力を漸次低減消耗させていったのだろうか?

日米両軍が死闘を繰り広げたヘンダーソン飛行場の現在

その契機となったのが、飛行場建設のために、ソロモン諸島のガダルカナル島に上陸した日本軍守備隊と、その後ガダルカナル島に反抗上陸した米海兵隊との一連の戦いだった。

当時の写真。表情の必死さ

1942年7月の米軍反抗上陸から、1943年2月の日本軍撤収まで、ガダルカナル島内の陸戦のほか、幾多の海戦、空戦が行われ、日米両軍ともに相当数の軍艦、輸送船、航空機、兵員を周辺海域で失った。

米軍の目的は、西太平洋の日本軍に対する反抗の拠点としての飛行場占領確保で、日本軍の目的は米豪分断の拠点としての飛行場建設と確保だったが、日本軍の飛行場再占領の作戦はすべて失敗に終わり、ガダルカナル島に残された陸軍兵の兵站は分断され、駆逐艦、潜水艦による細々とした物資輸送を余儀なくされた。
飢餓とマラリアに苦しめられた日本軍は駆逐艦により残存兵を撤収し、ガダルカナルでの戦いは終わった。

映画の一場面ではない。実戦だ

「ガダルカナル・ダイアリー」1943年 ルイス・セイラー監督

同島米軍上陸の1年後に製作された劇映画。
従軍記者による原作の映画化。

太平洋戦争真っ盛りの時期の劇映画ながら、単純な戦意高揚映画ではなく、また一方的に米軍の活躍を賛美してもいない。
戦争を知る人々が作った冷静さ、シリアスさを感じられる作品。

この戦争では、ジョン・フォード、フランク・キャプラ等そうそうたるハリウッド巨匠が招集され、戦争記録映画を撮っている。
本作は有名ではない監督と出演者によるものだが、その独立性がリアルな映画作りに貢献したのだろうか?
デビュー間もないアンソニー・クインが海兵隊役で出ている。

輸送船内での新兵の不安、上陸直前の恐怖感が描かれている。
一方で、日本軍の刀を土産に持って帰りたい、などと話す明るく陽気なアメリカ兵の姿は、のちのハリウッド映画のアメリカ兵の姿と同様だ。

上陸直後は戦闘機が7機しかなかった米軍。
おっかなびっくり上陸し、日本軍を追ってゆく。
ジャングルには入りたがらない様子なども描かれる。
指揮官は「日本軍を甘く見るな」を連発する。

DVDパッケージ裏面

ガダルカナルを巡る一連の戦闘の記録としても貴重な作品。
劇中のセリフに、〈サボ島沖海戦〉が出て来たり、日本海軍の戦艦、金剛と榛名によるガダルカナル島飛行場への夜間艦砲射撃の描写も出てくる。

飛行場を占領した米軍への反撃として、ガダルカナル島沖に日本海軍の高速戦艦が夜間出撃し、焼夷弾による艦砲射撃を行い、飛行場と周辺の物資を火の海としたもの。
防空壕で艦砲射撃におびえる海兵隊員の姿が描かれていた。

交代要員が到着し、ボロボロになった先任の海兵隊とすれ違う。
ピカピカで張り切っている交代要員と、黙々と行進する前任の海兵隊員との対比が描かれる。

そこには戦争の賛美も、米国の全能感もない。
主役の一人、アンソニー・クインも作品の途中、戦闘で狙撃されてあっけなく戦死する海兵隊員を演じている。

「シン・レッド・ライン」1998年 テレンス・マリック監督 20世紀フォックス

ガダルカナルのジャングルを進む米米兵

「ガダルカナル・ダイアリー」から55年後に描かれたガダルカナルの戦闘。

55年前の映画では上陸前の輸送船内の米兵は、ジャズで踊っていたが、本作では物悲しいバイオリンがむさ苦しい輸送船内の蚕だなベッドに流れる。

上陸後の戦闘では、日本軍の迫撃砲に負傷する米兵の叫び、苦痛の声がやまない。

突撃前に胃がつって動けなくなる米兵。
丈の高い草の中を恐る恐る前進する米兵。

ニック・ノルテイ扮する中佐は叩き上げの指揮官で、やたら部下を叱咤し、酷使して成果を焦る。
昔の劇映画なら、小心で狡猾な卑怯者の指揮官として描かれるだろうキャラクターも、この作品では組織としての軍隊で屈辱にまみれながら年下の上官に仕えてきた中間管理職の、無能ではあるが悪意のない姿として描かれる。

ショーン・ペン(右)

故郷に残してきた最愛の妻がいる米兵。
美しい妻との魅惑的な回想シーンがカットインされる。
最前線で妻からの待望の手紙を受け取った米兵が、その手紙で妻から離婚を懇願される絶望感。
妻は別の男に〈恋〉をしたという。

白兵戦で日本兵を蹂躙する。
降伏した日本兵を銃座で殴り蹴飛ばす。
死体から金歯を集める。
死臭を避けるために鼻の穴にたばこを詰める。

交代要員を迎えた米兵の姿は敗残兵のように疲れ切っている。

パッケージ裏面

主人公は脱走して原住民の村に入り浸っていたところを哨戒艇につかまってガダルカナル戦に連れていかれた。

水木しげるさんも兵隊時代にソロモン諸島での戦闘を経験。
脱走こそしなかったが、原住民の村に自由に出入りし、村長の娘と仲良かったと自伝の漫画にあった。

「シン・レッド・ライン」の天国のような原住民村と米兵の描写も嘘ではないのだろう。

一時的なパラダイスに憩う兵隊たち。現実か幻想か

戦闘シーンでは日本軍の激しい砲弾の中を米兵が進む。
当時、兵站は途切れ、ただでさえ弾薬が乏しかった日本軍が、平地を散開して進む米兵に対し、果たしてあんなに景気よく砲弾を消費したものだろうか?という疑問もわく。

ジョン・キューザック

ショーン・ペン、エイドリアン・ブロデイ、ジョージ・クルーニー、ジョン・トラボルタなどの新旧俳優が挙って出演を希望したという作品。
寡作のテレンス・マリックは本作品で第49回のベルリン映画祭金熊賞を受賞している。

(おまけ)「太平洋航空作戦」1951年 ニコラス・レイ監督 RKO

日米が雌雄を決したガダルカナル戦には米空軍も参加した。
この作品はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に展開した米空軍戦闘機隊の物語。

ロバート・ライアン大尉の元、腕利きの戦闘機隊に出動命令が下る。
指揮官はライアンが昇進して当たるのではなく、新任の少佐のジョン・ウエインが赴任してきた。
命令が絶対で、作戦のためには部下を容赦なく使い倒す少佐。
この少佐と大尉(および隊員)の間に軋轢が生まれる。

部下思いのヒューマニストがライアン、作戦遂行のためには統制第一のウエイン。
両者のキャラクターは、ただし画一的ではない。
ウエインが戦死した部下の両親に手紙を書いたり、家族の声をソノシートで聞いてしんみりしたり、と人間性も見せる。
ライアンは部下のためにはウエインと衝突もするが、それは指揮官を上司に持つ〈気楽な〉立場のなせる業でもあると最後に示唆される。

戦争当時の、グラマン、コルセアなどの実機が編隊で飛ぶ飛行シーン。
当時の機体がほとんど残っていない現在ではこんな画面は二度と撮ることができない。

負傷したパイロットが、プロペラを曲げながら何とか着陸するが機体は壊れるシーン、日本軍の空襲でグラマンが燃えるシーンなど、実機をバンバン壊したり燃やしたりして、ぜいたくな撮影を敢行。

空戦シーンは実写フィルムをモンタージュしており、主に日本機が撃墜される映像が続く。
金剛、榛名の艦砲射撃でヘンダーソン飛行場が炎上し、ウエインらが掩体壕に飛び込むシーンもあり、史実に忠実たらんとする姿勢は見える。

それでもあれっ?と思ったことがあった。

たとえばウエインが日本の輸送船談を空襲する際に、無線電話で列機に「トウキョウエキスプレスを攻撃する!」というシーンがあったが、東京エキスプレスとは、速度が遅い輸送船では兵站を維持できない日本軍が、やむなく駆逐艦や潜水艦を使って夜間細々とガダルカナルの残存兵に食料弾薬を運んでいたことを米軍が揶揄したコトバなはず。
日本の輸送船がガダルカナル近海でさんざん沈められたのは事実だが、輸送船団は〈エキスプレス〉ではない。

日本軍の呼称についてはこの映画、ニップスとジャップが使われていた。
「ガダルカナルダイアリー」や「シンレッドライン」ではジャップ一辺倒だったが、ここら辺何か意味があるのか?

また、一時本土に戻り帰宅するウエインの土産は日本刀。
それを幼い息子に与え、息子は重いはずの真剣を片手ですらッと抜刀する場面があった。
特に意味のないシーンではあろうが、日本人としては不自然極まりない思い。

更に言えば、ガダルカナル戦のはずが、いつの間にか時間経過し、機種がグラマンから戦争後期に使われたコルセアに代わり、日本のカミカゼ攻撃が現れたが、これは単なる尺のカットで、説明不足のなせる業か?

さはさりながら1951年のこの作品。
世の中は大戦の経験を鮮明に残した人々が現存し、また新たな朝鮮戦争が起こっている。
単純な米国賛美、軍隊賛美では嘘くささが喝破されかねない風潮でもあったろう。
スポーテイな戦争映画ではなく、銃後も含めて人間の痛みが伝わるような作りとなっている。

DVDパッケージ裏面

監督のニコラス・レイはRKOの「夜の人々」(1949年)でデヴュー。
社会に疎外された若い男女が、惹かれ合うも社会に受け入れられず、犯罪に手を染めて自滅してゆく、いわゆる〈ラヴ・アンド・ザ・ラン〉の佳作だった。
このデヴュー作は、のちに「カイエデュシネマ」の評論家に「B級映画だが精神においては上等」と評価された。

ニコラス・レイは、その後も「暗黒への転落」(1949年)や「危険な場所で」(1951年)などで、旧来の権威に対する疑問と弱い立場の者に対する同情的な視点を崩さなかった。
「太平洋航空作戦」はレイ初のカラー大作ではあるが、人間を見つめる視点は変わっていなかった。

ニコラス・レイの左翼的姿勢は、デヴュー当時にハリウッドを席巻していた〈赤狩り〉の犠牲になってもおかしくなかった。
本人が非ユダヤ人だからということもあるが、所属する映画会社のRKOのオーナー、ハワード・ヒューズの庇護により、非米活動委員会への召喚を免れたといわれる。