今シーズン一番の冷え込み

今朝は寒かった。
布団の中にいても、寒気が掛け布団を越えてしみ込んできた感じがした。

起きて早速ストーブを焚きつけます。
ストーブの周りに何となく昨夜の暖気が残っているのはさすが、鋳物のストーブです。

薪を取りにデッキへ出ると、わが愛車の軽トラのフロントガラスが見えました。
銀色に輝いています。

東京では真冬でもまず見られない光景。
故郷の北海道に帰っって来たのか?スキー場にいるのか?と一瞬の錯覚。

こういった季節。山小屋では、いくら暖房しても床近くの温度はなかなか上がらない。
半分丈のズボン下の隙間から寒気がしみいる。

座敷の寒さも半端ない。
畳の上で、スリッパなしで、パソコンを叩いていると、足の裏が冷たくて我慢できないほどだ。

故郷の北海道の真冬は更に厳しい。
親が入院していた時のこと。
見舞いに帰り、冬の札幌の実家に泊まった。
実家の暖房は、ボイラーを焚き、床に温水パイプを通し、各部屋には温風の送風機を置いていた。
無人になった家ははボイラーが止まっていた。

見舞いに帰ったおじさんたちは、夜、実家に到着した。冷え切ったというか、冷凍庫状態の家の中。
ボイラーを点火させたが、させたが、室内が温まるまでの間、おじさんたちはカーペットの上でで文字通り足を踏み鳴らして寒さに耐えたものだった。
その時の床の冷たさが忘れられない。

山小屋の外へ出る。
地表の水分も輝いている。
霜になる寸前だ。
気温は0度近かっただろう。
干している大根や柿は頑張っている。
大根の表面は一部透明になりかかっているが。

今年も冬がやってくる。
おじさんは今月で引き揚げるが。

道の駅あおきへ行きました

山小屋は東京でいえば真冬の寒さ。
干した大根も凍りそうです。
明日は年に一度の健康診断に東京へ一時帰宅します。
今日は気晴らしに遠出をしました。

青木村というところがあります。
上田から西に向かった山懐。
古の東山道に面する村です。

江戸時代の五街道が整備される前の時代の主要街道である東山道。
信濃に入ってからは、今の松本から、難所の保福寺峠を越えて、青木村へ下り、上田盆地に至っていました。
青木村には、山小屋からは1時間弱でつきます。

松本と青木村の間の保福寺峠には、日本アルプスを世界に紹介した、宣教師ウエストンの碑が建つといいます。
ウエストンは1888年から13年間日本に滞在し、布教の傍ら日本各地の山を歩いたひとです。
上高地を有名にし、日本アルプスの名付け親です。

その青木村、東山道沿道にある所以からか、国宝大宝寺三重塔など文化遺産も抱えています。
1333年に建立の三重塔です。
都から宮大工を招いて建てられ、洗練された中央の気風を持ち、別名みかえりの塔と呼ばれています。

青木村に道の駅があります。

直売所と食堂が主な施設です。

直売所では季節になると山菜やキノコがたくさん出ます。
今日は、リンゴ、柿を中心に、キノコ、野沢菜などが売られていました。

食堂ではタチアカネという種類の蕎麦が食べられます。花がピンク色に咲く蕎麦です。

結構人気の道の駅で、松茸の時期などは込み合います。
上田方面からの行き止まり、というわけではなく、松本方面から峠を越えてこられる立地のせいもあります。

おじさん、今日の昼食は、直売所で売っている弁当にしました。

海苔巻きと稲荷のセット。350円です。
手作り感一杯でうまかった。
こういった直売所の弁当はコスパ感十分です。
欲を言えば、海苔巻きのキューリを粕漬にしてほしかったけど(個人的な郷愁です)。

青木村には温泉もあります。
そのうちのひとつ、沓掛温泉の共同湯です。

長野は山国でいたるところに温泉があります。
沓掛温泉は、温泉宿が1軒、共同湯が1軒の鄙びたたたずまいです。

山小屋に鹿が来ました

11月です。
山小屋は寒さが本格化します。
朝夕はもちろん、日中も暖房が必要です。
薪ストーブは焚きっぱなしです。
特に朝夕はガンガン焚きます。
薪がそれなりに必要になります。

今朝、薪をとろうとデッキに出たところ、鹿が見えました。
メスと子供の2頭連れ、奥にもう1頭います。
おじさんが捨てた大根葉の山を平らげていたところです。

別荘地は鹿の縄張りですので、住民にとって、放し飼いのペットみたいになっています。
夕方の鹿の鳴き声は風物詩です。
野生の甲高い声が響きます。孤高の声です。

夜の運転は、路上を横断する鹿とぶつからない様にしなければなりません。
時々は、立派な角の雄の姿を見ることもあります。
雄の角を見ると、一層野生の気高さに気押されます。

別荘地で見ることのできる動物は、タヌキ、キツネ、ウサギ、リスなどがいます。
カモシカを見たという人もいます。
庭の植物は鹿の食害に遭います。

熊については、別荘地から500メートルほど下った大門川の川沿いでの目撃情報が毎年あります。
キノコ採りの地域住民が見かけるようです。
熊は水を飲みに来るだけのようで、被害は今のところ聞きません。

ジビエで活用されてもいる鹿ですが、山小屋のリフォームを頼んだ大工さんが連れてきた職人が、鉄砲を撃つ人でした。
その人によると、鹿もたくさん撃ったが、撃った後の処理が大変なので、今は撃った鹿をそのまま捨てているとのこと。
鹿肉をたくさん食べたことがある大工さんも、筋が多いし食べ飽きたのでもういらないとのこと。

ジビエ生産の最前線の実態のようです。

今年の塩漬けは大失敗!

夏の間に、ナスとキューリを塩漬けにしておきました。おじさんの畑の収穫分では賄いきれないので、直売所でそれぞれを2,3袋買いました。1,2キロでしょうか。

キューリは畑で採れたものも使いました。
採り遅れて大きくなったものでした。

塩漬けしておき、寒くなったら、粕や、味噌、辛子などで本漬けする予定でした。

昨日、樽を開けると、一面にカビが浮いていました。
想定の範囲内でしたので、カビを捨て塩抜きのために。実を水に放ちました。
するとキューリの全部とナスのほとんどが実が崩れたり、皮が破れたりしました。

(去年の塩漬け)

どうしてなんだ?
これでは本漬けできません。
泣く泣く廃棄です。
かろうじて残ったナスは辛子漬けにしました。

去年は、キューリもナスもうまく漬かりました。
キューリは粕と味噌に漬けました。
ナスは味噌と辛子に漬けました。

(去年の味噌漬け)

辛子漬けはおいしくできすぐ食べてしまいました。
粕漬けは今、箸休めに重宝しています。
味噌漬けは辛すぎてあまり食べていません。
でも、去年はとにかくうまく漬かったのです。

(去年の辛子漬け)

長野では漬物シーズンになると、スーパーの店頭に漬物材料が並びます。
酒粕や漬物用の味噌、たまり醤油などが、大々的に売られています。

さてどうして今年はうまくいかなかったのか?
まず考えられるのが、素材です。
キューリをはじめ、完熟過ぎたきらいがあります。
実が柔らかすぎ、水分がいつまでも残っていました。

なぜ実に水分が残りすぎたのか?
塩分濃度が上がらないまま放っておいたからでしょう。
今年のように気温が高いときには、早めにきっちり実を漬け込まなければならないところでした。
具体的には、漬けて最初に水が上がってからも、早々に重しを減らさず、実を締めておき、また二度漬けをして、実の塩分濃度を上げておくべきでした。
実の硬化を懸念しすぎて、早々に重しを軽くし、二度漬けもしませんでした。
腐敗せず実の保存はできましたが、実の果肉部分がぐじゅぐじゅで、かつ皮が破れる状態では漬物と言えないのでした。

漬物は、単なる塩蔵の保存食品ではなく、最終的な味付け後の歯ごたえ、食味を想定して導き出さなければならない、発酵食品の結晶とも言えます。
奥が深そうです。

余談ですが、上田の地酒・亀齢の酒蔵、岡崎酒造で酒粕を買ったとき、「何に使う?」と店のおかみさんに尋ねられたことがあります。
「粕漬用」と答えると、「もったいない」、と言われました。

冷蔵して売っているような搾りたての酒粕は、かす汁や甘酒など、直接粕を楽しむように利用すべきなのでした。

粕や麹は飲む点滴と言われ、最近ひそかなブームです。
おじさんは、山小屋では、和風洋風を問わず、煮物、煮込みのベースに亀齢の酒粕を使っています。
コクが出ます。

今年の使い納め チェーンソー

山小屋暮らしに欠かせない道具にチェーンソーがある。山小屋には先代の「仙人さん」が配備してくれていた。
キョーリツというメーカーのもの。

チェーンソーは、農機具販売店やホームセンターに売っている。
いいものは、7,8万円以上するようだ。
刈払機と同じで、安いものがホームセンターで手に入る。

耕運機は中古は買うもんじゃない、と地元の人は言う。
チェーンソーや刈払機もあまり安いものは買わない方がいいのかもしれない。

おじさんは去年生まれて初めて手にして、使った。チェーンソーは、エンジンで刃のついたチェーンをぶん回す原始的な設計。
刃が摩擦で傷まないよう、オイルを刃に垂らしながらぶん回す。

木というものは相当硬いし、重い。
鉄製の刃付きチェーンといえども、オイルがないと全く切れないし、刃が痛む。
オイルが切れると、丸太の断面から煙が出、刃は摩耗する。てきめんに切れなくなる。

また、刃は定期的に研がないとすぐ切味が悪くなる。
丸太のいわゆる玉切では、重心の加減によって、刃が挟まって取れなくなることも悩ましい。
それくらい生木は取り扱いが厄介だ。
重い硬い生木にはエネルギーがぎっしり詰まっている。のちに、そのエネルギーを開放して燃料として役に立ってくれるのだ。

チェーンソーの燃料は仕様書通りにガソリンに2サイクリエンジンオイル一定の比率で混ぜて作る。
おじさんの機械は25:1の比率だ。
シーズン中は専用の容器で、常時2リットルほど作っておく。

ガソリンは専用のタンクで買ってくる。
ガソリンは消防法で、専用タンクでしか買えないし、給油はスタンドの従業員が行わなければならない。
おじさんは知らなかったが、田舎では常識だ。

手元のガソリンが、長期保管で古くなると、軽トラの燃料として使う。
古くなったガソリンは車に使ってもチェーンソーには使うな、と言われているからだ。

チェーンソウを使うときは、潤滑剤としてのオイルを、燃料とは別のタンクに入れる。
燃料とともに満タンにして、20分ほどもつ。

おじさんは、2年間の使用で2回、チェーンを交換した。
立ち木を切っていて、チェーンが絡まって動かなくなった時と、やすりで研ぎすぎて刃が擦り切れてしまった時だ。
ほかに、潤滑オイルの出が悪くなって部品交換をした。JAの農機具センターでやってくれる。

チェーンの張り具合も調整しておく。
チェーンのテンションが悪いと、立ち木伐採など、刃を横にして使うときに絡まったりする。
合わせて、棒やすりで刃を研ぐ。
仕様書通りの、角度で、また指定された直径のやすりで研がなければならない。

よく調整されたチェーンソウを使うと、丸太は気持ちよく切れてゆく。ノコくずも大きいのが出る。
エンジンの調子が悪かったり、刃が摩耗していたり、オイルの出が悪かったりすると全然仕事が進まない。
デリケートな機械である。

ということで、今年のチェーンソウの使い収め。
近くの別荘のリフォームでもらってきた廃材の柱や、節が絡み合った丸太などをカットした。

燃料を残さないようにエンジンが止まるまで待つ。
来年までお休み、ご苦労様。来年も頼みます。

畑の大根を抜いて干した

おじさんの畑は、今、大根と人参が収穫期です。
少しずつ収穫して、近所に配ったり、自分で食べたりしています。

山小屋では、大根を、輪切りにしてストーブに掛け、下茹でしておきます。
下茹で後に、出汁しょうゆをベースに少しの砂糖、みりんなどでゆっくり炊くと、大根の煮物ができます。
酒のあて、おかずになります。
特にアツアツに辛子を漬けてフーフー言って食べるのは季節感十分です。

今年もタクアンを漬けようと思います。
去年は大根20本を買って漬けました。
去年も畑で大根を蒔いたのですが、うまく育ちませんでした。実が曲がったり、長く育ってくれませんでした。土が固かったかな?と思うのですが、地元の人に聞くと、大根は下に伸びるのではなく、上に伸びるのだ、とのこと。
今年もめげずに大根を撒きました。

今年は、おじさんにしてはうまく大根ができました。
特に土を深く耕したわけではないのですが、太く長くできた実もあります。
畑の大家さんや、ご近所に配ってます。
自前の大根でタクアンが漬けられそうです。

収穫しに畑に行きました。
太いものから抜いてゆきます。
たくあん用の20本を目安にプラスアルファ分を抜きます。

おすそ分けできるようなA品が数本、たくあん用には十分なB品が20本近く、折れたり短かったりするC品も出ました。

人参も収穫しました。
夏の種まきの時期に、発芽で苦労した人参です。
まいた種の上に新聞紙を敷き、その上からジョーロで水を撒いて発芽させました。
まずまずの収穫です。

大根は持ちかえって、葉をとります。

おじさんが小さかったころ、実家ではたくあんを漬けてました。
大根を洗って干す時期は、実家のあった当時の北海道旭川では初雪さえ降ってきそうな寒々しいころでした。

大根を洗うのを手伝いました。大きな木製の漬物樽を使って洗っていました。
覚えているのは、小学校を風邪で休んだ日に、大根洗いを手伝っていると、近所の同級の女の子が学校のプリントを持って来てくれて、極まりが悪い思いをしたことです。
水が相当冷たくなっている季節のことでした。

山小屋での大根干し。
葉をとった大根を洗います。

葉も数本分、干します。
太めのひもで結びます。採れたばかりの大根は重いので5本で1セットにしました。

まずは物干し台に掛けて日に当てます。

実家では、荒縄で結んで、二階からつるしていましたっけ。

最終的には風通しの良いのきさきに掛けます。
2,3週間干して、大根がしわしわになって、尻尾と頭が丸くくっつくくらいになると漬けます。
ザラメと塩とヌカで漬けます。

実は去年のタクアン。重しが重すぎて、水気が飛び、繊維だけが残った硬いのが出来上がってしまいました。
味も塩気が強く、2本くらいしか食べていません。

今年は、水が上がった後の重しに気を付けて食べやすいタクアンを作ろうと思います。

東京でも2回程漬けたことがあります。1度はうまくできましたが、水が上がらずかびてしまった時もありました。

中山道 長久保宿

おじさんの山小屋から大門街道を下ってゆくと、最初の信号がある交差点で、中山道に合流する。

中山道は江戸時代に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ。67宿(69次)、530キロの道のりである。
江戸の起点は日本橋だが、実質の出発点は板橋宿。
今の埼玉、群馬を抜けて軽井沢、諏訪を経て木曽へ向かう。
信州に入ると、峠を越え、つかの間の盆地を抜けると、次の峠が現れる山道である。

東海道に比して、大井川などの大河の渡りもなく、取り締まりもゆるく、宿場の宿代も安かったので、それなりに往来が盛んだったらしい。
京都の宮中から江戸幕府に嫁ぐ際に使う街道で、皇女和宮が通った道でもあった。

現在では、長野県の松本から、埼玉、東京方面へ抜ける物流ルートとしてトラックが引きも切らない。

おじさんの畑は、中山道27番宿の、長久保にある。

佐久方面から笠取峠を越えての宿場。
最盛期には旅籠の数が50軒を超えたという。

次の宿場である和田宿から、難所の和田峠を越えて諏訪に至る。
諏訪でで甲州街道に接する。

畑の大家さんの家も長久保宿にある。
今時の町おこしとて、家々は宿場の景観保存を行っている。
屋号を表した看板を掲げた家も多い。

本陣にはかつてのお札が掲げられている。

今でも近辺の集落の中心地で、JRバスのターミナルがある。
上田方面からの路線バスと、和田方面、姫木平方面へのバスの中継地点となる。
便数はごく少ない。「ローカル路線バスの旅」の舞台にはならないだろう。

雑貨屋、食堂などはすでに閉まっており、居酒屋1軒と床屋、酒屋などが細々と続いている。
立派なJAの支店がある。

この街道を歩く中高年のハイカーも散見される。
長久保には1軒宿屋が残る。

次の和田宿には今は宿がないので、諏訪に抜ける和田峠越えのコースをとるとすると、長久保を出発点に一気に諏訪まで行くしかない。

長久保宿から諏訪までの間は、かなり長距離の難コースである。
和田峠の旧歩道は、人気もなく険しい。
旧道の麓にあったドライブインもとうに閉鎖されている。
冬は車でも十分な装備が必要な位雪に閉ざされる。
また、旧道を歩く分にはいいが、新道を歩かざるを得ないときには、脇をビュンビュン通る大型車両の通行に気を付けなければならない。

今も昔も道中に困難はつきものである。

 

晩秋の白樺湖

高原は晩秋です。
紅葉真っ盛り。落葉も真っ盛りです。

おじさんの山小屋から、大門峠を越えたところにある白樺湖。

流れをせき止めて作った人造湖です。
農業用のため池だったそうです。
かつてはふもとに住む人たちが、炭を焼くのに登ってきた場所だったそうです。

今は湖畔にリゾートホテルや遊園地があります。
リゾートブームが一段落した今、閉店した施設も目立ちます。

すそ野が古くからの別荘地で有名な蓼科山のふもとです。
蓼科山は八ヶ岳連峰の最北端の峰です。
山梨から見た八ヶ岳連峰の一番奥側のエリアになります。

極私的信州上田巡りVOL.4 最新街中点描

上田巡りの続きです。
とんかつを食べ、駅をふらふらした後、おじさんは街中へ出ました。
この日は秋晴れの土曜日。寒くもなく、暑くもなく。
観光客の姿も、駅周辺や古い町並みが見られる柳町界隈にちらほら。
おそらく上田城もたくさんの人出でにぎわっていることでしょう。

今日のおじさんの楽しみは、まず、昼食のとんかつ。
それから街中の菓子屋で団子とおやきを買って食べること。
どこかでコーヒーを飲んで休み、上田映劇で、映画を1本見ること。

演劇小屋から出発した、歴史的な映画館・上田映劇が上田の町に残っています。
ミニシアター的な映画作品上映と、貸しホール収入で運営してます。

この日は寺山修司特集。
遺作の「さらば箱舟」を上映しています。
今時貴重な35ミリフィルムでの上映とのことでした。
集客は10人。

寺山修司の映画作品といえば「書を捨てよ街へ出よう」「田園に死す」の自伝的な、実験劇場的な作りがイメージされます。
のちに東映で、菅原文太と清水健太郎の出演で「ボクサー」といういわゆる一般映画も撮っています。

今回見た「さらば箱舟」は、寺山の個人的趣味はわきに置いた、出演者・山崎努と小川真由美の映画になってました。
撮影の鈴木達夫の凝った映像もあり、ますます寺山らしさが、良くも悪くもなくなってました。

ちなみに、フィルム状態ですが、古いプリントに見られる、いわゆる雨降りやコマ切れはなかったのですが、発色が青みが買っていたのが気になりました。
セリフも聞き取りずらかったのはおじさんの老人性難聴のせいばかりではないでしょう。
上映プリントが青みに強いフジカラーだからでしょうか?
音の再生も併せて、デジタルに慣れてきた観客にとって、フィルムでの上映は懐かしくもあり、物足りなくもあるようです。

(街角点描)

かつての盛況の名残か。古い蔵があちこちにみられる。

上田で2軒あった老舗の古本屋のうち1軒が閉店に。

駅前通りの1本裏の銭湯。いい感じです。

手裏剣の選手権まで行われる。

団子とおやきを買いました。

上田名物のうまタレ焼き鳥の店。

極私的上田巡りVOL.3 駅周辺をさまよう

上田巡りの続きです。
生島足島神社にお参りした後は、上田駅を目指しました。
軽トラを駐車場に止め、まず昼食です。
地元で有名なとんかつ屋、力亭へ行きました。
駅前の飲食店街にあります。

鰻で有名な若菜館や馬肉うどんの田中屋の近くです。

ロースかつ定食を食べました。
肉厚なのに柔らかい。
みそ汁、漬物がうまいのも地方の名店らしい。
キャベツがなくなると追加してくれる。
満足感がありました。

上田のとんかつ屋はこれまで、仔豚屋、六文銭、実楽亭へ行きました。
おもてなしするなら、力亭か六文銭。
がっつり食べたいときは仔豚屋。
一人でもう一度行くなら実楽亭です。

力亭を出て、上田駅へ向かいます。

駅ビルにある、上田から揚げセンター。
際物っぽい感じですが、どっこい。地元客が押し寄せるだけあります。

から揚げ定食の満足度は、全国チェーンのバーミアンの比ではありません。
夕方から居酒屋となり、1時間飲み放題で960円とのこと。いつか行かずにはおれません。待っててください。

上田駅舎へ入ります。
JR新幹線としなの鉄道と上田電鉄が乗り入れる駅です。JRが運航するのは東京と金沢を結ぶ北陸新幹線だけです。

群馬県の高崎から、スイッチバックで碓氷峠を越えてきた旧JR信越本線は、軽井沢、篠ノ井間が第三セクターのしなの鉄道に移管されました。

上田電鉄は、もともとローカル私鉄で、上田を中心に今は別所温泉までの一路線を運行しています。

改札近くに立ち飲み屋が出店しています。

今時の地方都市は、街の中心部の商店街には人がいません。
ひとが集まるのは、郊外のショッピングセンターです。でも駅だけは、人がいるのです。

その町の人が集まり、雰囲気を味わえる数少ない場所、それが駅なのです。
駅側もそれなりに集客に努力しています。
大都市の駅ビルほどではないにせよ、商業ビルを隣接させたり、飲食店を誘致したりしています。

地元の人が休み、時間をつぶせる数少ない場所が駅なのかもしれません。おじさんが知らない町で行ったときには、商店街や市場へ行きます。それらがなかったり、著しくさびれている場合は、駅へ行きます。デパートがあればデパ地下へ行きます。どこかに、その町らしさがあるものです。