1週間ぶりの畑と夏野菜たち

1週間ほど自宅に帰ってました。
家族の誕生会、米寿祝に、20年来恒例の町内会のバーベキュー大会までありました。
山小屋へ戻り、畑を見たのは1週間ぶりでした。

雨で湿った土。雑草は旺盛

畑はたっぷり水を含んでいました。
梅雨前線による長雨のせいでしょう。

びっくりしたのは雑草の生育ぶり。
畑を離れるにあたり、けっこう雑草を抜いたり、刈ったりしたつもりでしたが。
土の中の種が一斉に発芽したごとく、雑草が畝を畝間を新たに覆っていました。

それでもレタスや長ネギは収穫間近の成長ぶりでした。

いんげんが花を咲かせていました。

トマトは1株から2本3本と茎を出していました。
ズッキーニは実がなり始め、取り遅れた実が肥大していました。

キューリの剪定をする

キューリの剪定をしました。
根から5節までは葉も花も取ります。
6節以上は、実を1本残してその先のツルをカットします。

要するに1本立てで育てるのがキューリです。
1節で1本の収穫ですから収量も限られます。

ほおっておいて限りなく結実しそうな勢いのゴーヤなどとは違い、箱入り娘の感じがします。
ナスと同様にキューリは長い間改良が重ねられ、人工的要素が濃い野菜なのかもしれません。

おじさんは去年からトマトの1株3本立て栽培に挑戦中。

いずれはキューリについても、おきて破りの放任栽培に挑戦したいもの。
来年はキューリも接ぎ木の苗にしようかしらん。

収穫は長ネギ、レタス、ズッキーニ

長ネギを1本抜いてみました。
太さは十分ですが、白身の部分が短かった。
土寄せして白身を増やすことにします。

レタスを1個収穫してみました。
ふんわりと巻いていました。
思えばよくここまで育ちました。
雨が多いと腐り、日照りが続くと溶けるのがレタスです。
レタスの収穫にはおじさん感激です。

ズッキーニが3本採れました。
おじさんの畑とズッキーニは相性がいいようです。

ジャガイモの勢いは止まっていません。
デストロイヤー種の花が咲き誇っています。
男爵の花はいつの間にか終了しています(あるいは咲かなかった?)。
7月には収穫できそうです。

1か月ぶりの畑。
夏野菜たちはそれぞれたくましく生きていました。
雑草も。

収穫した玉ねぎを軒先に吊るしました

今年の初収穫。
玉ねぎを収穫して1週間たちました。

収穫後は乾燥させるのが玉ねぎを長持ちさせるコツ。
とりあえず、2階のベランダに球が重ならないようにケースに並べておきました。

数個ずつ束ねて軒下に吊るしてみた

農家の物置の軒下に、玉ねぎやニンニクが吊るされているのを見ることがあります。
昔ながらの保存方法です。
おじさんも真似してみました。

吊るす場所は2階のベランダにします。
竿と紐を用意します。
竿をセッテイングする場所を決め、くぎを打ちます。

竿をセッテイングしたら、玉ねぎを束ねてゆきます。
数個ずつ束ね、ひもで結わえます。
ゆわえたひもの反対側は竿に通すためのわっかを作ります。

出来上がった組を竿にかけてゆきます。

おじさんの山小屋の2階のベランダ。
布団を干したり、煙突掃除の際など以外には、物置としてしかほとんど利用していません。

1階のベランダと階段でつながっていて、本来は使い勝手がいいはずなのですが、1階のベランダ奥に古い機織り機がブルーシートにくるまっておかれているので行き来がで着ないのです。

ということで、ベランダとしては若干風通しがよくないのですが、高原の夏の乾燥に期待して、2階のベランダに吊るすことにします。


大玉と中球を全部吊り下げることができました。
小玉は引き続きケースで保存することにします。

1階のベランダにも一部吊り下げてみました。
秋になると干し柿を吊るす場所です。

玉ねぎには秋までは持ってほしいと思っています。

半年間のお待たせ!玉ねぎを収穫しました

玉ねぎを収穫しました。

去年11月に苗を定植し、半年。
積雪の年を苗で越え、春を迎え、成長の時期を過ごし、予定通り6月中旬に収穫に至りました。

おじさんが山小屋に不在の、12月から3月までの間は全くのほったらかしでした。
苗の根元に燻炭ともみ殻を厚めに敷いておいただけです。
元肥もなしでした。

4月に苗が生きているのを確認。
追肥を施し、ひたすら成長を待ちました。

隣近所の畑からは生育がかなり遅れましたが、最近になって葉が急激に成長。
長ネギのような太い葉が立ったかと思うと、球が大きくなり、あっという間に葉が倒れました。
葉の倒れた時が収穫時期です。

待望の収穫時期が到来

収穫当日の玉ねぎ畑の様子です。
玉が地表に露出していますが根は張っています。

葉を握ってちょいと引っ張って根を引き抜きます。
そのまま畑に転がしておきます。

次の作業は根切りです。
玉ねぎが少しでも余分な水分などを吸収しないようにするためです。

次に葉を長さ15センチほどにカットします。

葉を全部カットすると、球から新しい芽が出ようとするのでそれを止めるためです。また、葉を全部残すと葉に養分が行ってしまうようで、長さ15センチくらいにカットするのがいいようです。

葉をカットしたら畑に転がして乾かします。
おじさんの畑にはスギナが出現し、あさつゆにきらきら輝いていました。
そこで、玉ねぎがあさつゆを吸収するのを防ぐため、スギナから離れた乾いた畝間に玉ねぎを並べました。

玉ねぎの収穫は畑が乾いたときに行うのが鉄則です。

計140個ほど収穫しました

数えると合計140個ほどの収穫でした。
万歳です。

昨年はピンポン玉ほどのものが数十個の収穫でした。
定植直後の雨で苗が一度流されたことと、冬期間日陰になりがちな場所に作付けしたことが原因でした。

今年は大玉、中玉が計80個、小玉以下が60個の収穫でした。

大家さんに大玉5個を持ってゆきました。
初物は届けることにしています。

畑に2,3日置いて乾かすのが本来ですが、天気予報が午後から雨のため、そのままコンテ内に収容。

山小屋に持って帰って、重ならないように苗箱に広げて軒下に収容しました。

しばらくしたら、ネットに入れるか、葉を縛るかして軒下に吊るして保存しようと思います。
保存期間は夏までが目標です。

やはり作物というものは無事できてなんぼです。
収穫してこその野菜作りです。
育ってくれた作物に感謝!です。

信州ソウルフード放浪記VOL.6 上田やまざきやのおやき!

信州名物の一つがおやきである。
米が取れなかった信州で主食の代わりとなったのが、ソバ、麦などを原料とする粉食。
信州そばが有名で、ブランドとして全国化しているが、地元で今も愛されるのがおやき。
野沢菜漬などの具材を甘辛く味付けし、皮で包んで焼いたもの。
本来は囲炉裏などの灰で焼いたものだった。

信州名物数々あれど・・・

おじさんのような山小屋一人暮らしの人間にご当地の名物は案外縁が遠い。
信州名物といえば、ソバ、おやきのほかに、馬肉、イナゴ、蜂の子、鯉、ザザムシなど数々あるが、おじさんはほとんど食べたことがない。

買ったことならある。
直売所の地元産コーナーで、鯉の甘露煮のパックを買った。だけど食べてはいない。
一人で食べる発想が出てこない。

これが、地元の家に招かれたとしたら喜んで食べるだろう。むしろ地元の名物を所望するくらいだろう。
なぜならその「場」がこれ以上ない「地元」のシチュエーションだから。

あるいは都会から家族、知人らが来たとして、「ノリ」でなら食べることがあるだろう。
さらに地元の居酒屋で飲むとしたら蜂の子か、ザザムシかをつまんでいたかもしれない。
事実10年近く前の会社出張時に長野駅前の居酒屋で肴としたのは馬刺しだった。うまかった。

でも一人の山小屋では、地元の名物とはいえ、食べつけないものを献立にする発想が出てこないのだ。
山小屋で一人晩酌をしながら、鯉の甘露煮やイナゴの佃煮をつまむことが今でも想像できない。

やまざきやのおやきと団子

上田に地元の客が通う和菓子屋がある。
やまざきやという。

団子、もち、どら焼き、かきもちに洋風のレーズンサンドまである。

ここの一押しがおやきだ。
地元の人が買ってゆくのを見ると、おやきを10個近くも買ってゆく。
もう一か所、地元御用達の今川焼屋である富士アイスにおける地元客の買い方も似ている。
そこでは今川焼を箱単位で買ってゆくのだ。

今回おじさんがやまざき屋やで買ったのは、クルミ、ゴマ、みたらしの団子各1個と、野沢菜、切り干しのおやき各1個、そしてどら焼き2個だった。

おやきはここ、やまざきやで食べて初めてうまいと思った。それまで、直売所や土産コーナーで、冷凍のおやきなどを見かけることがあり、名物としてのプッシュ感を感じることっはあっても買って食べようとは思わなかった。

おやきは具もさることながら手作り感満載の皮がうまい。
団子はクルミなどのタレがうまい。
わざわざ作る以上は興味とやる気を持って作っているのがわかる味がする。

地元の人が通う店に間違いはない。

昭和の初夏の食卓! わらびを採りました

山小屋も梅雨入りです。
といっても3日も続かないのが梅雨空です。
今日は午前中は肌寒い雨降りでしたが、午後からは太陽が出ました。
おじさんは、別荘地のスキー場跡地に行き、わらびを採取してみました。

さて、わらびとは?

おじさんの親世代までは、家庭で季節の山菜を食べるのが普通でした。
春のふき、うど、わらびから、秋のキノコなど。
専門的な山菜や野草などは当時でもなかなか食べませんでしたが、ふき、わらびなど有名どころは季節に必ず食卓に並んだものでした。

現在でも山菜の人気は高く、別荘地住民のみならず、近隣の住民が山菜を採りに道端に車を止めている風景をよく見ます。

わらびはシダ科の植物です。
シダ科の植物を食べるのは日本人だけ?ということですが、朝鮮料理の材料でもありますね。
日本人の影響で、野菜の少ないシベリアのロシア人が食べているという話もあります。

年寄りが好きそうな鄙びた味がします。
おじさんなども小さいころから食べていたせいか、味には慣れ親しんでいます。
たまーには酒のつまみに煮びたしでも食べたくなります。

初めてわらびを採ってみる

山小屋近くのスキー場跡地がわらびがよく採れる場所だということを聞きました。

簡単な見分け方と、採り方を教わりました。
大きくなると枝分かれしますが、手で折れる部分までは食べられるそうです。

ビニール袋を持って現場へ行きます。
スキー場跡地の斜面に立つと青空と遥か山並みが見えます。足元には斜面が広がります。

歩いてゆくと山ウドがありました。

ふきもところどころにあります。
つつじも咲いています。

ふもとの畑などは雑草が生い茂っていますが、標高1500メートル近くの別荘地では野草の育ち具合もまだかわいいものです。

わらびです。
わらびとは群生して生えているのか?となんとなく思っていましたが、実際はポツンと生えており、見つけるのが簡単ではありませんでした。
もちろん先客も何度か採取に入っている場所でもあります。

売っているような、わらびらしいわらびは一握りも採れたでしょうか。
あとは枝分かれした柔らかいものを合わせて両手いっぱいくらい採れました。

帰ってあく抜きします。

信州ソウルフード放浪記VOL.5 とんかつは信州の名物だ(上田寺下・味楽亭)

信州は肉がおいしい。
同年代の長野出身者にそう言ったら「そんなことはない!」と断言されたが、実際にそうなのだからしょうがない。

アルプス牛に信州豚、信州鶏がある。
いずれもうまい。
地元で買うと新鮮なのもいい。

おじさんの連れ合いなど、レバーは決して食べない人だったが、信州鶏のレバーだけは食べる。
おいしいのだそうだ。

今日はとんかつを食べるぞ

上田電鉄という私鉄が上田から別所温泉までつながっている。
途中の駅に寺下というところがある。
住宅地というより田んぼの中の駅である。

ほど近く、とんかつで地元に人気の味楽亭がある。
日頃、豆腐だ、大根だ、キャベツだ、お惣菜のコロッケだ、と粗食のおじさん。
オフの一日にとんかつを食べにゆっことにした。

味楽亭は今日も満員だった

地元客でいつも満員の味楽亭。
土曜日のこともあって訪れた13時半ころにもまだ入場待ちの人らがいた。

おじさんも記名して待つ。
待つのが嫌なら時間をずらして、と思っても信州の食堂は14時になれば昼休みなのが鉄則。
味楽亭も14時30分までが昼営業の時間だ。
自分の都合でいつ行っても店が開いているわけではないのだ。

やがて名前を呼ばれて大テーブルの相席へ案内される。
外で待っていても、店員がドアを開けて名前を呼んでくれるから安心だ。

ロースかつ定食をオーダー。
キャベツの盛がいい。
ごはんのお替りが自由だ。
肉の脂身が邪魔しない(脂の味がいい)ので最後までおいしく頂ける。

地元のファミリーの御用達なのもうなずける。
上田にはここのほかにも、力亭、仔豚屋などの有名店がありそれぞれにおいしい。
素材をケチらず、盛りのいい、地方の良さが満喫できる。

信州こそとんかつの、そして肉の名産地である。

またも新潮新書「日本農業への正しい絶望法」を読む

ブックオフで買ってあった本。
雨で山小屋に閉じこもっているときに読んだ。
テレビかスマホ、パソコンを見る機会が多い昨今、紙の文字は新鮮だった。
読書の輝きの再発見!

今どきの農業ブームへのアンチテーゼ

著者は1962年生まれの農学博士。
本の帯には「有機栽培だからおいしい」「農業は成長産業だ」「日本人の舌は厳しい」全部ウソです。の刺激的なキャッチコピーが並ぶ。
はて、最近流行の「日本スゴイ・農業版」のウソを暴く本か?
それも現代風なジャーナリステイックな文体で?

実は、正統派農業関係者である著者が、日本農業衰退を現場の豊富な実例によって分析した本だった。

著者の強みは、農業行政はもちろん、現場の農家と接点を持ち、また最近流行の有機農業、自然農業、「外向き発信型農業」などにも詳しいことだ。

*「外向き発信型農業」とは生産物そのものより消費者などへの発信を重視する農業スタイルのこと。

著者が薦める「技能集約型農業」

著者が日本農業の本当の特徴にして生き残る道として示すのが、技能集約型農業という概念だ。

篤農家、名人として営々と日本の畑に受け継がれてきた農業技能。
有機農業、無農薬などと標榜するわけではないが、本当の意味で品質のいい作物を作る人。

例えばほかに人が作った稲の葉っぱを見て触って、その田んぼの状況、農家の対応を言い当てることができる名人のことと、そういった人が作る作物のおいしさ。

これは、日本の農村が営々と築いてきた集落の秩序があってのことだと著者は分析する。
技能集約型農業により、環境や健康が保たれ、農村に雇用を生むと説く。

著者が憂う、農業をめぐる現状

現在は、集落の秩序そのものが衰退し、有意の農家が技能集約型農業を目指そうとも、周りの農家と行政、JAが目先の利益に走るため困難とのこと。

いまの流行は、有機農業、自然農業といったキャッチフレーズのみの「外向き農業」か、手順を単純化した「マニュアル農業」であり、農業者として最重要な生産物の品質向上より、マスコミ受け消費者受けが最優先のものになっていると著者は分析する。

また、農家も農地転用による目先の利益を優先し、意欲のある新規参入者に休耕地を貸すより、いつでも農地転用、売却のことを考えているのが現状と分析。
「農家は被害者でいい人」の常識を打破する。

また無秩序な農地転用などを抑制してきたJAが弱体化によりその機能を果たせなくなっていることを指摘。

消費者もマスコミ情報をうのみにし、自らの舌で農産物を選別していないこと、また舌そのものが退化し、作物を選別できない、とする。

おじさんが本書を読んで考えること

おじさんが20代のころ、短期だが農家に住み込んで働いたことがあった。
千葉の専業農家で3町歩の畑を持ち、スイカを主力作物としていた。
農薬を使わない農家で、有機農産物の産直グループに卸していたが、作業は20代のおじさんにもきつかった。

朝6時起床。
顔を洗って地下足袋をはいてから、作業終了後の日没まで地下足袋は履きっぱなし。
昼食1時間、夏には納屋で昼寝ができたが、午前と午後のお茶の時間以外はひたすら野良で作業が続いた。

スイカだけで1町歩ほども作っていたから、初夏には天気のいい朝に、スイカの苗を覆うトンネルのすそを引き上げ、夕方に戻す作業を中腰で行うだけで腰が曲がるほどだった。

本書で「最近の日本人に農作業を行う体力はない」と論じていたが、この作業を今の若い人はなかなかやらないだろう。

おじさんらの世代は「農家は大変だ。自分は農家はできない」と漠然と思っていたものだが、偽らざる実感だ。

日々の農作業に耐える体力、集落の縛りと秩序の中での生活はサラリーマン家庭で育ったものが馴染むものではない。
農家の生れついたものか、選ばれた人間がよくするものだ。

かつてはそれが一般常識だったように思う。

いまの農業ブームは、本来の技能(と体力)集約型農業が衰退する隙間に咲いた仇花で、マニュアル農業を前提としマスコミが持ち上げ、消費者が勘違いして持ち上げているものなのかもしれない。

 

地元パワースポット訪問記VOL.8 日本三辻・大門稲荷神社

おじさんの山小屋から畑へ通う道が、国道152号線、通称大門街道。
上田から丸子を越え、大門峠を越えて茅野へ降りる道。
その道沿い、大門集落の入口(大門峠側からみて)に、一目見ると忘れられない神社がある。

1700年ごろ建てられた古社

その神社は、大門稲荷神社という。
昼なお薄暗い場所にたたずみ、背後に巨岩をいただき、うっそうとした巨木に囲まれている。

大門街道に面して鳥居が建てられ、よく見ると境内には小山がある。
円錐形の小山は土俵である。

この土俵、すでに現役の土俵ではなく、その昔にも本当に使われたかどうかの確証はない。
言い伝えによると、この神社、江戸時代の相撲部屋・浦風部屋の隠し稽古場があったとのこと。

転がり落ちたら怪我しそうな土俵は、力士の稽古仕上げと真剣勝負の場として使われたとか。
上田地方の郷土力士で伝説の、雷伝為衛門もこの土俵に上がったらしい。

日本三辻、付近には熊も出る

この神社、日本三辻の一つに数えられているとのこと。
辻とは街角、通り、道端のことを言うが、この神社が日本三辻と呼ばれる経緯は不明だ。

神社としてパワーを持つ地相に建つことは自明として、街道沿いの立地や、相撲部屋との関係など、人の往来が、当時としては賑やかな場所だったのかもしれない。

夕方になると境内の街灯に明かりがともり、さらに神秘性を増す神社である。
気軽に立ち寄りたくも、良い鵜に近づけない孤高の気高さを感じさせる。

巨岩に食い込むように社屋が建てられている。巨岩信仰との関連がうかがえる。

社屋の背後の岩場には仏像が立っている。
信仰と修業の場でもあったか?

大門街道を渡ると、渓流釣りで知られる大門川流域。
毎年秋には熊の目撃ポイントとして地元ニュースをにぎわす場所です。

畑の追肥に良し!ボカシ肥を仕込む

畑づくりに悪戦苦闘する素人「百姓」の山小屋おじさんです。
一応、今年の春の作付けはほぼ終わりました。
ジャガイモなどは順調に育っています。
しかし、自根苗のナス、ピーマンや、直播のトウモロコシ、落花生、枝豆などは生育がいまいちです。
根が定着して生育中のキャベツなども生育のスピードがゆっくりしています。

ゆっくり生育し、栄養と食味をため込んでゆくのもいいのですが、旬の時期に収穫時期を迎えたいというのが、「百姓」の偽らざる気持ちです。

追肥について考える

生育をコントロールする方法の一つとして追肥を施すということがあります。
ほとんど肥料のいらない、サツマイモや枝豆などはいいのですが、肥料食いといわれるナス、トウモロコシ、ゴーヤなどは元肥のほかに、適切な追肥が収量と収穫時期に直結するといわれています。

現在、おじさんは自分の農業技能のなさをカバーするために、えひめAIを施す、微生物農法を標榜していますが、かといっていわゆる自然農法や不起耕栽培を目指しているのかというと、そういうわけではありません。

農薬、除草剤は使いませんが、必要に応じて化学肥料も使用し、作物の収量と食味と収穫時期の最適化を目指しているつもりなのです。

かといって年齢的に、また条件的に、畑にそそぐエネルギーには限度があります。

世にいう篤農家や畑の名人とは別世界に居つつ、畑を理解し、作物に愛される素人百姓を目標に頑張ってます。

ということで、作物の種類が多くなった今年、必要な追肥としてボカシ肥を導入することを考えました。

ボカシ肥を仕込む

ボカシ肥は売っています。
たいがいは小袋で売っているイメージです。
材料をあつらえ、調合して発酵させて作るから大量には作れないのでしょう。

発酵済みの肥料故、作物がすぐ吸収できる状態になっています。
その点では、化学肥料と同じ働きをします。
追肥としては持ってこいの肥料です。
素材は、ぬか、油粕、骨粉、草木灰など様々です。

今回はおじさんが日ごろ使っている、えひめAIの力を借りたボカシ肥を作ることにしました。
教科書は、雑誌「やさい畑」2019年春号の付録「手づくり肥料ハンドブック」です。

篤農家、名人は畑の作業にいちいちマニュアルなどは参照しませんが、素人「百姓」を目指すおじさんに、資料は必須です。
自分に合った資料に巡り合うのも、素人「百姓」の醍醐味?です。

えひめAIボカシは、ぬか、もみ殻、燻炭で作ります。
どれもおじさんの山小屋にあります。
製作費はタダです。

まず、材料を混ぜる箱を用意します。

ぬか、もみ殻、燻炭を分量用意します。

えひめAIと、その発酵を助ける砂糖を混ぜます。

ぬるま湯を注ぎます。

握って固まる程度に水分を加えたら、米袋に入れます。

水分保持のためビニール袋に入れて保存します。
灯油を買ったときにスタンドがサービスにくれたビニール袋を使いました。
早速ビニール袋の内側が湿気ってきました。

発酵後は、主に夏野菜の追肥に使い、収穫増量を目指したいと思います。

梅雨寒の畑 野菜は育つ

6月10日になりました。
山小屋周辺は雨。
関東は梅雨入りしましたが、信州も梅雨空です。
肌寒いのでストーブをガンガン焚いています。

ほぼ1週間ぶりに畑へ行きました。
雨でしたが土が固まらない程度に畔を回り、作物の様子を見ました。

夏野菜は、植付時期の暑さの影響か、ナスの調子がいまいち。
乾燥と暑さが大好きなトマトは好調でした。

苗たちは定着していますが、育ちの点でいうと、自根の苗はやはり育ちが遅いようです。
地中で自分の根を育てている最中なのでしょう。
えひめAI液を散布して応援しようと思います。

遅れ気味だった玉ねぎ。
6月を迎えて急激に球が大きくなりました。
収穫間近です。

4月頭に定植したレタスも無事育っています。
太陽に熱されたマルチに触れたりすると溶けるくらいデリケートな作物です。
今回はマルチなしで栽培。
暑さにめげず頑張りました。

長ネギもここへきて伸びはじめました。
元肥はなく、えひめAI液と化学肥料の追肥で育っています。土寄せ2回。

ジャガイモの花が咲き始めました。
紫色の花は、デストロイヤーという品種です。

ヤーコン、サツマイモも根付きました。
キャベツは少々虫に食われながらもこれから玉が大きくなる季節です。

寒い4月。
ときどき急に暑くなった5月。
長雨が心配な6月。
畑の作物は気候の変動にもめげず頑張っています。

作物というものは待っていれば育つものなんですね。
季節というものは時期が来れば温かくなるものなんですね。

案ずるより産むがやすし。
というか、完全に環境任せなおじさんの畑でした。