DVD名画劇場 ジーン・セバーグの「悲しみよこんにちは」

ジーン・アーサーに続いてはジーン・セバーグが登場するDVD名画劇場。
セバーグの映画デビュー第2作目の「悲しみよこんにちは」です。

「悲しみよこんにちは」1957年 コロンビア オットー・プレミンジャー監督

同作DVDパッケージの表紙

原作は18歳でこの小説を発表したフランソワーズ・サガン。

南仏リビエラでの父と娘と愛人の楽しい日々。
そこにかつて父と縁があったデザイナーが現れ、父と婚約。
とたんに娘にとって婚約者は、父を奪った異性でかつ、口やかましい新しい母的存在となる。
婚約者に反抗し、父の浮気の現場を見せつけるなどして婚約者を追い出す娘・・・。

DVDパッケージ裏面

原作者の分身ともいえる娘に当時19歳のジーン・セバーグ。
事業があたりブルジョワ暮らしをしながら、いつまでも若い女を渡り歩く父にデビッド・ニブン。
婚約者にデボラ・カー。
娘とも仲の良い父の若い愛人にミレーヌ・ドモンジョ。

リビエラの別荘地での過去の楽しい日々。
カラーで描かれ、セバーグは最初は赤、次に青、最後は黄色の水着で現れる。

水着でないときには活動的なショートパンツ姿。
ベリーショートカットに細身のシルエット。
父とキスし、動き回り、海に飛び込み、ボーイフレンドと戯れる。
若さとエネルギーが発散する。

オフショット。赤い水着姿ということは前半部分の撮影時のものか

劇中、19歳のセバーグが、主人公の若い衝動、婚約者への反発心、日常の倦怠、父へのアンビバレントな感情、などを一生懸命表現しようとする。
時に輝きを伴い、時に達者な演技力で、また時に痛々しくも。

デビッド・ニブンは適役過ぎて、製作者サイドはこの父親というキャラクターを軽視し(戯画化し)ているんじゃないか、と思うほど。
デボラ・カーもしかり。
わざわざ名のある彼らを持ってこなくとも、あるいは無名の実力は俳優を持ってくれば、戯画化を避けてよりシリアスなものになっていたのに、と思いもするが、監督のプレミンジャーには商業的な意図もあったのだろう。
というかそれが第一なのだろう。

父(デビッド・ニブン)とはとても仲良しだが・・・

19歳のセバーグは商業目的のこの作品で唯一、与えられたキャラクターの自分なりの表現に取り組み、作り物ではない存在感を得た。

映画の冒頭と最後に描かれる、父と娘の現在のシーン。
モノクロで描かれるそこには、倦怠にまみれ、底知れぬ絶望感にさいなまれる〈その後〉の主人公の姿が描かれる。

カラーで描かれたリビエラでのはつらつとした水着姿のセバーグと同一人物か?と思わせる黒のドレス姿。
これを演じ分けたセバーグを称賛したい。

この作品により、「カイエ・デュ・シネマ」誌の表紙を飾ったセバーグはフランソワ・トリュフォーにこう評された。
「ジーンがスクリーンに映っているときはいつでもスクリーンから目を離すことはできない。彼女の動きすべてが優雅で、まなざしは的確。頭の形、シルエット、歩く姿、すべてが完璧だ。スクリーンでこのような魅せ方をする女優ははじめてである。」(ギャリ・マッギー著、石崎一樹訳「ジーン・セバーグ」83P)と。

ジャン=リュック・ゴダールは長編第一作の「勝手にしやがれ」を作るにあたり、主人公のパトリシアを「悲しみよこんにちは」の主人公セシルの3年後の姿と想定して形作った。
パトリシア役には、「悲しみよこんにちは」でセシルを演じたジーン・セバーグをキャステイングした。

番外) 「大空港」 1970年 ジョージ・シートン監督 ユニバーサル

70年代らしいミニスカートの制服姿で、当時30代に入ったばかりのジーン・セバーグが登場する。

ベストセラーの原作をバート・ランカスター、デイーン・マーチンらのオールスターで映画化した大作。
ジーン・セバーグは三番目にクレジットされ、ギャラは15万ドルだったという。

ジーンの役柄は空港に駐在する航空会社の現場責任者。
空港長のランカスターと歩調を合わせ、日常的に起こる様々な出来事に対応してゆく。

ハリウッドが斜陽を迎えてからしばらくたち、過去のタイクーンたちはとっくに去り、映画はオフハリウッドや低予算の独立プロ作品などに多様化していた時代。
70ミリ、トッドAO方式、2時間尺の「大空港」はハリウッドが事態の打開を模索していた中での(おそらくもっともイージーな)トライアルの一つだったと思われる。

多様な登場人物を手際よく、テンポよく描く。
古い技法である画面のワイプも、スピード感に寄与している。
ヘレン・ヘイズのキセルばあさんや、モーリン・ステープルトンの爆弾犯の妻など、わき役も芸達者。
ここら辺にハリウッドメジャーの職人芸が受け継がれている。

ストーリーの味付けには70年代らしく、夫婦間の問題だったり、空港の騒音問題に対する市民運動だったりも加味されているが、全編を通して描かれるのは、仕事に取り組む人々の姿。
社会への疑問や、心理的不安などなく、目の前の障害に取り組み、解決してゆく職業人の姿に、まだまだ社会が健全だった(健全であろうとした?)時代性を感じることができる。

もっとも、オールスターといいながら、ランカスター、マーチンの主演は、微妙に弱くもあり、とっくに全盛期を過ぎたハリウッドの衰退感も漂う。
二人ともさすがの演技ではあったが。

キャストで勢いを感じたのは、マーチンに不倫相手のCAを演じたジャクリーン・ビセットで、ミニ丈の制服姿が似合っていた。
彼女はこの作品の後、キャリアを積み重ねてゆく。

キャビンアテンダント役のジャクリーン・ビセット。この作品で一番旬の配役だった

ジーン・セバーグは当時フランスに住んでおり、夫のロマン・ギャリーとの問題、ブラックパンサーの支援者としてFBIにマークされていたことからのストレスに苦しんでいたころ。
「大空港」の役は、彼女じゃなくてもいい役柄にも思えたし、劇中、彼女らしい繊細でかつ豊かな感情表現を要する場面もなかったが、演技者としての確かな成長ぶりがみられる。
彼女が出演した70年代の数少ないメジャー作品としても貴重だった。

DVDパッケージ裏面

初出荷

畑から、調布柴崎の彩ステーションに初の出荷をしました。

出荷内容は、玉ねぎ、キューリ、キヌサヤ(グリンピース)、ミント、コリアンダーです。

この日のキューリの収穫は10本

6月下旬の猛暑で夏野菜の成長が始まりました。
1か月以上、ほとんど成長しなかったナスが新し葉を出し始め、キューリのツルが勢いを増し、これまでは実をつけても途中で黄色く枯れてしまっていたズッキーニが青々した実をつけ始めました。

成長を再開したナスたち
キューリは着果の真っ盛り
ズッキーニ

コリアンダー(パクチー)はこぼれ種から発芽し、早や花を咲かせています。
同じく自然発芽したミントは逞しくその香りを漂わせています。

コリアンダー(パクチー)は花盛り
自然発芽したペパーミント

この時期、ズッキーニとキューリ、インゲンなどを中心に、春植えのキャベツやらが出荷の中心で、品不足を新玉ねぎが埋める・・・のが理想でした。

今年は、低温から一転の高温、乾燥でインゲンの丈が伸びません。
キャベツはやっと玉を巻き始めましたが、硬くないか、食味はどうか心配です。

キューリが元気なので、ズッキーニと合わせて出荷の中心としつつ、ジャガイモの収穫を経て、ナス、トマトを待つ・・・というのが今年の見通しです。

トウモロコシも楽しみです。

トマトの着果も始まりました
トウモロコシが順調です

DVD名画劇場 30年代アメリカ映画の女神、ジーン・アーサー

山小舎暮らしで映画に飢えている昨今。
古本屋で見かけた100円のDVD。
こんなに安く映画が見られるんだと思った。

ブックオフに行って見るとDVDのコーナーがある。
よく見ると500円以下の廉価コーナーもあり、古の名作が安く販売されている。
山小舎でも映画が見られると気が付き、廉価版を中心に集めてみた。
山小舎版名画劇場という塩梅だ。

ジーン・アーサーは1930年代に活躍したアメリカ女優。
セシル・B・デミルやフランク・キャプラといった巨匠作品で、ゲーリー・クーパーやジェームス・スチュアートらと共演した。
彼女の30年代の出演作4本プラスアルファを続けて見た。

ジーン・アーサー

1,「平原児」1936年 パラマウント映画 セシル・B・デミル監督

パラマウント映画のタイクーン、アドルフ・ズーカーを先頭に、製作、監督、出演者名が画面下から上に、斜め後方に流れてゆくクレジットタイトルで始まるこの映画。
このタイトル方法は「スターウオーズ」がのちにマネをした。

西部の大立者、ワイルド・ビル・ヒコックとバッファロー・ビルの友情に、カラミテイ・ジェーンが絡むという、日本でいえば、〈ご存じ次郎長三国志〉のような物語。

大向う受けを狙ってハリウッドのタイクーンが企画し、国民的巨匠のデミルがタイクーンの意を受けて現場を仕切って作り上げた作品であり、また、正攻法で作られた大作の楽しさに満ち満ちた作品である。

ジーン・アーサー扮するカラミテイ・ジェーンは男勝りの西部の女。
ゲーリー・クーパー扮するワールド・ビル・ヒコックを見かけるなり、抱きついていきなりキスする登場シーン。

男勝りながら純情なカラミテイは、ビル・ヒコックへの追慕を隠さない。
健気でガラッパチながらも、かわいらしいカラミテイのキャラクターは、ジーン・アーサーのイメージに重なっており、愛らしい。

「平原児」のジーン・アーサー

南北戦争が終わり、ガンマンだのバッファロー狩りだのの時代は終わりつつあり、インデアンとの戦いにも先が見えてきている。
遅れてきたガンマン二人のストイックな時代遅れの友情と、彼らを追慕する独立心にあふれてはいるが純情な女性像。
古き良きアメリカへの賛歌であり挽歌でもある。

ロケの群衆シーン、騎兵隊とインデアンの戦闘シーン、その全部がエキストラを使って再現されている。
今の時代では不可能なぜいたくさであった。

DVDパッケージ裏面

2,「オペラハット」1936年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督

西部の男勝りから一転して、ニューヨークのマスコミのキャリアウーマンを演じるのがこの作品のジーンさん。
都会的でスレていて、てきぱきと事を進める役もジーン・アーサーには似合っている。

新聞社の上司役の男優とジーン・アーサー

相手役は、まだ若さが残り、イノセントな田舎者の役が似合っていた頃のゲーリー・クーパー。
イノセントな田舎者のクーパーが、遺産相続で都会に出てきて、狡猾な都会人に騙されようとするが、クーパーは信念の人でもあり、自らの人間性を頼りに、悪漢たちを退け、女性の愛も獲得する、という物語。

田舎で、〈妖精つき〉ともいわれた純朴、マイペースの変人ぶりをクーパーが好演。
すれっからしのジーン・アーサーが、この田舎者をネタにマスコミではやし立てるが次第にクーパーの本質に惹かれるというシンデレラストーリー。
クーパーの田舎では全員が〈妖精つき〉だというオチもつく。
ジーン・アーサー全盛期の美貌を堪能できる。

DVDパッケージ裏面

3,「我が家の楽園」1938年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督

続いてもキャプラ監督作品で、ジーンさんの相手役は若々しいジェームス・スチュアート。

「我が家の楽園」。ジェームス・スチュアートとジーン・アーサー

スチュアートは大企業の御曹司で副社長だが、買収を繰り返す企業戦士の親父社長とは正反対の性格。
都会に生まれた〈妖精つき〉。
ジーン・アーサーは副社長の秘書で仕事はできるがスレてはいないキャラクター。

DVDパッケージ

この二人が惹かれ合って、ジーンさんの実家へ挨拶することとなった。
ところがこの実家、企業戦士を退職してから自分に正直に生きている祖父を中心に、自分に正直すぎる人々が集まっているシェアハウスのような場所。
スチュアート自身は、通じるものを感じるが、ゴリゴリの現役企業家である父親を連れての再訪では、お約束通りの大混乱と相成る。

DVDパッケージ裏面より

この作品でのジーンさんは、都会人ながら純情一方のキャラで、だからこそ役柄に屈折がなく、印象が薄いものの、〈妖精つき〉の相手役に惹かれる役柄という点では、ほかのキャプラ作品同様であり、彼女一流のイメージに合っている。

まさに現代のおとぎ話。
これがキャプラタッチというものなのだろうか?
ジーン・アーサーのおとぎ話のヒロインぶりも一興。

4,「スミス都へ行く」1939年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督

キャプラ作品が続きます。

ジーン・アーサーが出演したキャプラ監督の上記3作品。
コンセプトは共通していて、〈妖精付き〉のヒーローを、実は純真な心を持つヒロインが支える、という設定です。

封切り当時のプレスシート

この作品は、まだおどおどした演技が似つかわしかった頃のジェームス・スチュアートが田舎から補選の上院議員としてワシントンに上京し、政治の現実に夢破れるものの、最後に上院で自らの思いのたけを延々とぶちまけて信念を通すというお話です。

ジーン・アーサーは上院議員秘書を演じて、当初は田舎者のスチュアートに失望するものの、その信念を通す姿に味方となって助けます。
政治の世界の裏も表も知って、仕事はできるが疲れも出始めている、議員秘書の感じをよく演じています。

DVDパッケージ

〈妖精つき〉で最後は己の信念を貫き通す主人公と、彼を陥れようとする〈私利私欲の〉勢力の対決、という構図は「オペラハット」と同じですが、この作品の方が、〈私利私欲の〉勢力の描き方がより強烈でリアルになっています。
したがって、陥れられる〈妖精つき〉主人公の追いつめられ方もより深刻で、切羽詰まっています。

とはいえ、ベースにはユーモアがあり、例えば上院議長役のハリー・ケリーの、世の中の正義もインチキもわかっているかのような議事進行ぶりと、馬鹿正直な主人公に一服の清涼剤をもたらすかのような仕草など、観客にとってもユーモラスな息抜きとなる演出です。

また、「我が家の楽園」ではジーンさんとスチュアートのデートシーンに流しの子供楽隊が急に現れ、見るものを驚かせ、喜ばせますが、本作では本格的な子供のマーチングバンドが要所で登場し、大々的に主人公たちを〈応援〉し、またまた見るものを驚かせます。
キャプラ監督一流のユーモアに満ちた前向きな場面転換のテクニックの炸裂です。

ジーン・アーサーは「オペラハット」同様、ラストの議会(この作品では法廷)での主人公の懸命な自己発露を女神のように見守り、励まします。

パッケージ裏面

番外、「シェーン」1953年 パラマウント映画 ジョージ・ステイーブンス監督

ジーン・アーサーの存在感については、全盛期の30年代の上記作品より、この作品において一番重く感じるのは邪道だろうか。
最後の映画出演、彼女50歳前後の作品である。

この作品のジーンさんは、表立って主張しない。

30年代の懐かしい彼女の横顔。
微笑んで、目をキラキラさせる。
がみられるのは、独立記念日のお祭りに切るドレスを選んで、長持ちの底からウエデイングドレスを見つけるときのシーンくらい。

後は、ひたすら自分の夫と、息子と、特にシェーンを見守り、料理し、喧嘩の手当てをし、ひそかに思いを寄せる。

自分の意志を表示したのは、息子に「シェーンを好きになったらだめよ。いつかいなくなるのだから」といったときと、最後に夫がガンをもって対立する悪徳牧場主に殴り込みに行こうとするときに「私のために行かないで」という時くらい。

シェーンとの別れの場面でも、「もう会えないのね」「死なないで」と言って万感の握手をするだけだった。

パッケージ裏面。ウエデイングドレス姿でシェーンと踊るジーン・アーサーの姿も

ガンマンがもう流行らなくなり、そのことを自分が一番理解しているシェーンもまた、ひたすら堅気(開拓民)の一宿一飯の恩義に感謝しつつ、自分を殺している。
感情を発露したのは、悪漢の牧場主に「(開拓民の家で働く目的は)女房か?」とある意味図星の指摘を受けたときに「黙れおいぼれ」と悪態をついた時だけ。

男として、時代遅れのガンマンとしての矜持を貫いたのは、前半で悪徳牧場主一味に挑発され、一度は引き下がったものの、再び酒場でまみえたときにウイスキーを浴びせ返して殴り合いになった時と、最後に殴り込みに行こうとするヴァン・ヘフリン(ジーン・アーサーの夫)を力づくでひきとめたとき。

力ではもう、ヘフリンに敵わなくて、ガンで殴って気絶させ、彼の馬を追い放ち、拳銃をジーン・アーサーに隠すように託す。

40年代にスターとなり、素早い動きでギャング映画で一時代を築いたアラン・ラッドも俳優としては晩年。
低い身長を隠すこともなく、ラブシーンもなく、正体不明の中年ガンマンとして流れ着き、去っていく役を寡黙に演じきった。

時代遅れではあっても、己の信念と人間としての矜持を貫く役柄は、現実のラッドの俳優人生ともオーバーラップし、思い残すことはないだろう。

左からアラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリン

ジーン・アーサーも中年となり、母親役を演じた。
往年のこぼれ出るような色気は封印しても、控えめに大事な存在を見守り、平和を説き、バックアップする女性像を、彼女の女優人生の集大成として演じた。

映画人生最後の役柄は、心ひそかに愛するヒーローを見守る以上のことはせず、最後までキスもしないヒロイン役だった。
監督のジョージ・ステイーブンスは十分なリスペクトをもって彼女を演出した。

余談

ラストのジャック・パランスとの決闘シーン。
酒場のカウンターに寄りかかったシェーンとパランスは2,3のやり取りをする。
シェーンはパランスを挑発して応える。
「うそつきの卑怯者」と。
パランスは「抜け」と応じる。

この時のシェーンの言葉。
山小舎おじさんが中学生の時にリバイバルで観た版では「南部の豚野郎」だったと記憶している?!

今回見たDVDで原語を確かめると「なんとか・ヤンキー・ライヤー」と言ってる。

ライヤーはうそつき、最も相手を否定する言い方だ。
ヤンキーとは、アメリカで南部の住民が、北部の住民を軽蔑して呼んだ言葉だそう。

とすれば「北部の嘘つき野郎」が直訳である。
では山小舎おじさんの記憶にある「南部の豚野郎」とはいったい?

山小舎おじさん得意の記憶違い、なのか?
やっぱりそうなのか。

南部と北部の対立は歴史的にも根深い宿命的なものがありそうだ。
この作品の制作当時にあっては、南北戦争勝者の北部(北軍)に対する批判はタブーだったろう。
ということは、このシーン、ぎりぎりの北軍批判だったのか?

ちなみに、インデイアンなどに対する北軍のふるまいや、北軍そのものの程度の悪さなどは、のちの「ソルジャーブルー」(1970年 ラルフ・ネルソン監督)や「ダンスウイズウルブズ」(1990年 ケビン・コスナー監督)に描かれた通りなのだろう。

「シェーン」にとって南北対立はどのような意味を持つのか?

薪割り機導入!

山小舎周辺には昨年以来の玉が残されています。

玉とは丸太を、チェーンソーで40から50センチほどに輪切りしたものをいいます。
この玉を斧やくさびで割って薪にして積み上げ、乾かして燃料にするのです。

去年のうちに丸太を切って玉にしておいたのですが、直径の太い玉を薪割りするのは大変なため作業が進んでおらず、斜面に大口径の玉が転がるままの状態が続いていたのです。
このままでは新規の丸太を受け入れるスペースに事欠くこともあり、転がっている沢山の玉を早急に処理する必要に迫られました。

今まで通り、斧やくさびで割っていたらいつまたっても終わりそうにないので、薪割り機を、別荘管理事務所から借りることにしました。

エンジン式で斧の形をした刃が作動し、玉を割ってゆく機械です。
初めて使います。
簡単な作動方法を教わり、二人係りで軽トラに積込み、積み下ろしました。

エンジン式薪割り機

ある程度の直径の玉はこの薪割り機で割ることができます。
多少の節などもエンジンの力で突破してゆきます。
力が及ばないときはエンストしますので、そのようなときには刃の持ってゆく場所を変えるなどして少しづつ削ってゆくなどします。

玉をセッテイング
刃で玉を割る

今まで時間がかかり、また指から腕、肩、腰に衝撃がかかり、腱鞘炎を引き起こしていた薪割りそのものが劇的に機械化されました。

とはいえ、薪割りは薪割りです。
繊維と水気とカロリーの詰まった重量級のエネルギーの塊である木材を扱うことには変わりはありません。
重い玉を機械にセッテイングし、刃の位置を考え、割った後の薪を積み上げる場所を考え、乾燥場所まで運ぶ行為には変わりがありません。
割るという、薪割り全体の中の一つの作業だけが機械化されただけのことです。

たちまち薪の山ができる

例年通り薪の有難さ、重さ、作業の大変さを改めて痛感しつつ、機械導入の薪割りをしています。

初収穫

6月下旬の畑です。

気候の不順から?夏野菜の苗の生長が遅く、定植後1ヶ月を過ぎても、ナス、ピーマンなどは丈が伸びていません。
丈が伸びないまま花をつけ始めています。
このままでは、ナス、ピーマンの収穫がおぼつきません。

一方、例年通りの成長ぶりを見せているのは、トウモロコシ、こぼれ種から発芽したハーブ類です。

一番元気なトウモロコシ
こぼれ種から発芽したパクチーは早、花が咲きました
こぼれ種のミントも元気です

そうこうしている間に、キヌサヤに実がついていました。
芽出し、定植後はゆっくり育っていたのですが、6月下旬に収穫期を迎えることができました。

収穫したのがやや遅れましたが、茹でで食べてみると甘くておいしかったです。
バイト仲間にもおすそ分けしました。

キヌサヤの初収穫
茹でて食べると甘かったがとても食べきれません

キヌサヤの隣の畝のインゲンは、丈が伸びずにいましたが実をつけ始めました。
とりあえず収穫。
苗の丈が伸びていないので、今後の収量が心配です。

インゲンの初収穫

去年11月に定植した玉ねぎの葉が倒れていました。
収穫期です。

引き抜いてマルチの上に並べます。
玉の大きさでは近年一番の出来です。

写真を送信するとさっそく家族から「ほしい」の反応がありました。
肥料は定植時の油粕だけで、追肥もなしのガッテン農法産です。

玉ねぎを収穫
大中小に選別し乾燥させます

この時期の畑の様子です。

キューリも初収穫、トマトも実が成ってきました。

全体に作物自体の丈が順調に伸びているのはトウモロコシくらいで、キューリ、トマトも一見順調ながら旺盛感が例年に比べてイマイチの感がします。

梅雨明けを迎え、猛暑の季節となりました。
今後の成長は気温頼みです。

キューリの着果です
トマトの着果が始まりました
ズッキーニ。いつもの勢いを感じません・・・..

梅雨前の畑仕事

イマイチ天候不順の令和4年の春。
初夏の日差しが照り付けるかと思えば、春先のような低温と篠突く雨。
日照りが続くと思えば、霧雨に覆われる。

それでも畑は夏を迎える準備。
雑草は例年通りの旺盛な生命力を発揮しています。

6月初旬になって今年初めての草刈りをしました。
刈払機を取り出し、試運転をして、刃を新しいものに取り換えるももどかしく、畑に持ち込みました。

畔に我が物顔に繁茂する、クローバーやタンポポ、イネ科・キク科の雑草、ギシギシなどを思う存分に刈り倒します。

雑草に刈払機の刃がうなる!

ネットで囲んだ圃場の外側を刈り周り、ついで、中に入って刈ってゆきます。

ネットに刃がかかるとこんがらがってしまい、エンジンを止めて絡まったものを刃から外さなければならなくなります。
刃をネットや紐、ビニールなどに近づけないように注意しながら刈ります。

段々畑の法面もテリトリーです。
法面に沿って刃を動かしながら刈ります。

畝間や畝の株間には、スギナが大繁殖しています。
こぼれ種から発芽したの赤しそやエゴマの株もありますが、これらは刈らないようにします。

一番草を梅雨前に刈り終えることができました。
次の草苅は夏前頃でしょうか。

草原が刈り倒されてゆく

トマトの苗の生育は、乾燥気味の天候に合うのか順調です。
大きくなる前に枝を支える支柱を組んでおきます。

トマトの畝に支柱を組む

一番最初に定植したキヌサヤの株に花が咲き始めました。
収穫間近でしょうか。

スギナだらけのキヌサヤ畑。花が咲き始めた

土台調整で DIY!

山小舎には母屋に増設された出部屋があります。
古民家の柱と梁で組み立てられた母屋は、しっかりした土台の上に立っています。
一方、出部屋と玄関、外物置、ベランダは母屋の土台の外に増設されています。
出部屋と玄関の土台はホームセンターで売っているような簡易な土台の上に立っています。

ベランダは風雨にさらされている柱を防水防腐処理をするとともに、必要に応じて補強しています。
玄関と出部屋では、リフォーム時に密閉性の強いサッシを入れたのですが、土台の地盤沈下が起こりました。
心配していた通りでした。

玄関のサッシが閉まりづらくなった時には、木製の角材を多数使ってサッシを支え直すようにしました。
この度、出部屋のサッシも閉まりづらくなったので、既存の土台の高さの調整を行おうと思いました。

最近では、出部屋のサッシはぴったりと閉まらず、鍵がかかりづらくなっていました。
サッシの重みで土台が下がり、閉めてもサッシの下側に隙間ができる状態になっていたのです。

出部屋とサッシ

バイト仲間にDIY上等の先輩がいるので、その先輩の山小舎来訪の折に相談してみました。
出部屋の土台(サッシの合わせ目を支える場所)に板を挟んで、土台の高さを上げてみようということになりました。

ジャッキがあったので、当該する土台の近くに設置します。
ジャッキを回す棒がないので軽トラの備品から調達します。

山小舎おじさんは自分の軽トラにジャッキと棒が設置されていることも、取り出し方も知りませんでした。
先輩は軽トラのシートを開けて、ジャッキと棒を取り出しました。

ジャッキを軒下に備え付けてアップしてみます。
サッシを閉めてみて、ちょうど良い高さになるように板を差し込みます。

隙間に差し込む板の厚さは、6ミリとか7ミリ。
それらの厚さの板とノギスを、自分の別荘に取りに帰ってくれた先輩でした。

とりあえずジャッキ1基を使って土台を上げてみる

結局、先輩におんぶに抱っこ。
ジャッキを2台使い、厚さ7ミリの板を差し込んで土台の調整を終えました。

おかげさまで、地盤沈下は改善され、サッシの戸締りについては問題ないくらいにはなりましたが、それでもサッシの下の方が開き気味なのは変わりませんでした。
出部屋の土台そのものの弱さに起因しているとしか思えません。

土台調整にはジャッキの力とミリ単位の隙間調整が必要

後日、自分でもう1基土台を作ってサッシを支える高さを再調整してみることにしました。
1基の土台で不十分なら、2基で支えてみようというものです。

先輩からは、プラスチック製で高さが調整できる簡易土台がホームセンターに売っているという情報を後日いただきました。
何から何までお世話になり感謝しております。

善光寺御開帳

7年に一度の善行寺御開帳に行ってきました。

軽トラで山小舎を出発。
上田市真田地区経由、地蔵坂峠を越え、長野市松代地区を抜けて長野市街地へ入りました。

権堂商店街にほど近い駐車場に軽トラを止め、まずは昼飯。
権堂商店街のミニシアター相生座の入り口に近い、蕎麦処とがくしに行きました。

相生座に行くたびに、なんで入り口に蕎麦屋があるのだろう?映画館付属の立食い蕎麦なのだろうか?などと思っていました。
ローカルテレビで紹介されたところによると、界隈で有名な女主が経営する、蕎麦にこだわった店とのことでした。

相生座入り口にあるそば処とがくし

カウンターのみの店内には主の知人らしき年配の女性客が一人いました。

ざるそば大盛を注文しました。
手際よく出てきたのがこの1枚。

大盛にしては少なめ?に見えた分量ですが、食べ応えがありました。
そばといいツユといい洗練された味です。
県内随一の都会、その中心部で歴史を刻んだ店の味です。

食べ終えるころ、観光客らしき中年男女の4人連れが入店しました。
主は知人らしき先客に暖簾の片付けを頼んでいました。

ひとまず腹を満たした山小舎おじさんは、店を出て善光寺へ向かうことにしました。

ざるそば大盛

権堂通り商店街のアーケードは善行寺参道と直交しています。
表参道へ出ると善行寺御開帳を参拝する観光客の姿が目立ちます。

長野市内には御開帳のポスターが

7年に一度行われる善光寺御開帳は、普段は秘仏の本尊を公開し、その手を回向柱とひもでつなげています。
参拝客が回向柱に触れると、本尊のご利益を頂けるというありがたいもの。
全国から参拝客が詰め掛けます。

この日、すでに参拝客の姿は、善行寺から歩いて10分ほどの権堂通あたりまで伸びています。

参道を善光寺に向けて進みます。
仁王門のあたりではあたりの雰囲気が、のんびりしたものから、観光地のそれに変わっています。
日常から非日常への場面転換です。

仁王門
仁王門と山門の間にある門前市

門前の店先にかかると、人数はさらに増えます。
善光寺参道のこのあたりはいつ行っても混んではいますが、御開帳ともなるとさらに賑やかな感じがします。
コロナ明けも近いのでしょうか?

門前市を過ぎると山門

山門を過ぎると善行寺の境内です。
回向柱が見え、参拝客が並んでいます。

法衣に身を包んだ体格のいい御坊さんたちの姿も見えます。

山小舎おじさんも回向柱へと向かう列に並びました。
20メートルほどの列は5分ほどで回向柱へと到着しました。
自身と家族の健康を願って柱へタッチします。

本堂の前には本尊とひもで結ばれた回向柱が立つ
参拝客は回向柱に触れて祈祷

警備員のハンドマイクに追われるように柱を離れ、本堂への階段を上りました。
さらにお参りの列が続いていたのですがこれはパス。
賽銭だけを投げて、本堂からの階段を下りました。

本堂から山門方面を望む

長野といえば善行寺。
民間信仰の長い歴史を感じる場所が長野にはあるのでした。

家族へのお土産は善行寺のだるま

信州ソウルフード放浪記VOL.18 松本どんぐり

松本駅近くの洋食店どんぐりへ行ってきました。
塩尻へ行ったときに、松本まで足を延ばして寄りました。
1954年創業という老舗です。

6月に入った松本の町。
駅前を通ると、研修旅行なのでしょうか、中学生のグループがいます。
男女合わせて4人から5人のグループで駅前から市内に散ってゆきます。

松本へ日帰りの研修旅行、しかも12時過ぎに駅前にいるということは・・・、10時に地元の駅を出発したとして、松本まで列車で2時間くらいの距離の町から来たのか?
大糸線沿線の白馬あたりから?もしくは木曽方面から?もしくは伊那谷方面?

この日の松本駅

考えながらどんぐりの店を探していると、女子中学生のグループが「おなか一杯」といいながら出てきた店がありました。
めざす洋食店どんぐりでした。
よく見ると、そのグループも駅前にいたような地方からの研修旅行の中学生のようでした。

洋食店どんぐり

よくある、老舗洋食店風の店構え。
ドアを開けて店内へ。
おばさん風のウエイトレスに案内されて4人掛けのテーブルに着きます。

客層は勤め人のランチ風が多い中に、昼ビールを頼む観光客風がチラホラ。
地方の店にありがちな、地元限定の入りづらい雰囲気は全くありません。
きわめて都会的で事務的なサービスを受けられそうです。

どんぐりのランチメニュー

ハンバーグ、カツを中心にしたワンプレート料理がランチのメイン。
1,000円弱から1,300円の価格帯です。
山小舎おじさんは、ハンバーグにエビフライが2本ついたランチを頼みました。
1,200円ほどでした。

ミックスグリル、ハンバーグとエビフライ

すぐに水が運ばれ、フォークとナイフなどの入ったケースが運ばれてきます。
ややあってサラダとスープが運ばれ、メインの皿とごはんの皿が運ばれました。

ごはんの盛がよいのは地方の食堂のいいところです。
サービスは都会的で、食事の内容は地方色豊か、とは双方のいいとこどりではないですか。
サラダのボリュームもいい感じ。

許可を得て撮影。
ハンバーグはファミレスや個人食堂にありがちな冷凍もの、とは一線を画すジューシーなもの。
ソースの味も甘みがちながらまあまあ。
老舗洋食店としてのレベルを維持しているからこその集客ぶりを納得。

2本のエビフライもカリッとしており、タルタルソースが添えられているのもうれしかった。
見れば、とんかつソースのボトルも配膳されています。
エビフライの味変への配慮なのでしょうか?細かな心遣いです。

付け合わせの、コーンとポテトフライ。
いちいちボリューミーです。
その下にスパゲテイナポリタンが一定量加わってワンプレートをなしています。

余談ですが、信州で食べるナポリタン・・・。
信州に限らないのかもしれませんが、直売所やスーパーで売っているお惣菜としてのナポリタンのケチャップ濃度の濃いこと!
県内の食堂では、付け合わせのナポリタンを頬張ると、それまでの食事がすべてケチャップ味に書き換えられるほどです。
軽快に進んでいた食事が、最後のケチャップ味の濃度の前にスローダウンすることもあります。

最近では山小舎おじさん、スーパーなどでナポリタンのお惣菜パックを買ってくるとそのままでは食べません。
倍くらいの量のパスタを新規に茹で、フライパンに玉ねぎとキノコなどと炒めておいて、パックのナポリタンと新規の茹でパスタを投入し炒め和えてから食べます。
つまりワンパックのナポリタンを、3倍増のナポリタンに作り替えてから食べるのです。
新たな調味料は必要ありません、バターを溶かすくらいです。
味付けがちょうどよくなった上に、食費も節約できます!

どんぐりでの付け合わせのナポリタンも2倍増くらいにして食べたい味付けでした。
これが信州のソウルナポリタンなのか!

おなか一杯になって店を後にしました。

どんぐりを出ると松本の飲食店街

鹿教湯温泉文殊堂御開帳

上田市丸子地区の三才山トンネルふもとに近く、鹿教湯温泉があります。
環境庁指定の国民保養地で、歓楽的要素はない温泉地です。

立ち寄りの、文殊の湯が源泉近くにあり、300円で入浴できるため、寄ることが多い温泉です。

鹿教湯温泉、文殊の湯脇の渓谷

文殊の湯の脇を流れる渓谷には、屋根付きの五台橋という風流な木造の橋が架かっており、紅葉の季節などには温泉地特有の澄んだ空気感とともに、一服の風景画のような風情を醸し出します。

渓谷にかかる五台橋

この五台橋を渡り、崖に穿っている石段を上ると文殊堂があります。

奈良時代に行基により創設されたと伝えられ、現在のお堂は宝永6年(1709年)の竣工。
奈良時代の仏像を本尊とする霊験あらたかなお堂と伝えられます。

26年ぶりの御開帳と聞き、行ってきました。
文殊堂まで登るのは、これで2回目でしょうか。

鹿教湯温泉の無料駐車場に軽トラを止め、入浴道具を持参のうえ、文殊の湯の脇をとおって、五台橋を渡ります。
石段を上ると回向柱が目に入ります。

本堂のご本尊とひもで結ばれた回向柱に触れるだけでご本尊の霊験に触れることができるといわれます。

回向柱が立つ文殊堂
お堂の奥にご本尊が見える
回向柱に触れる
境内には石の像が並ぶ

参拝客は他に誰もいません。
温泉地特有の峻烈な空気があたりを支配しています。
この感じが霊験といわれるものの感触なのでしょうか。

お参りも早々に、一巡します。
境内のはずれには薬師堂があり、ご利益により病の癒えた人々の感謝の羅漢んが立てられています。

薬師堂
薬師堂わきの羅漢?

境内から下って、文殊の湯に入湯しました。
ぬるめの湯ですが芯から効きます。
いつ来てもいい温泉です。

文殊堂付近の石畳