畑の大根を抜いて干した

おじさんの畑は、今、大根と人参が収穫期です。
少しずつ収穫して、近所に配ったり、自分で食べたりしています。

山小屋では、大根を、輪切りにしてストーブに掛け、下茹でしておきます。
下茹で後に、出汁しょうゆをベースに少しの砂糖、みりんなどでゆっくり炊くと、大根の煮物ができます。
酒のあて、おかずになります。
特にアツアツに辛子を漬けてフーフー言って食べるのは季節感十分です。

今年もタクアンを漬けようと思います。
去年は大根20本を買って漬けました。
去年も畑で大根を蒔いたのですが、うまく育ちませんでした。実が曲がったり、長く育ってくれませんでした。土が固かったかな?と思うのですが、地元の人に聞くと、大根は下に伸びるのではなく、上に伸びるのだ、とのこと。
今年もめげずに大根を撒きました。

今年は、おじさんにしてはうまく大根ができました。
特に土を深く耕したわけではないのですが、太く長くできた実もあります。
畑の大家さんや、ご近所に配ってます。
自前の大根でタクアンが漬けられそうです。

収穫しに畑に行きました。
太いものから抜いてゆきます。
たくあん用の20本を目安にプラスアルファ分を抜きます。

おすそ分けできるようなA品が数本、たくあん用には十分なB品が20本近く、折れたり短かったりするC品も出ました。

人参も収穫しました。
夏の種まきの時期に、発芽で苦労した人参です。
まいた種の上に新聞紙を敷き、その上からジョーロで水を撒いて発芽させました。
まずまずの収穫です。

大根は持ちかえって、葉をとります。

おじさんが小さかったころ、実家ではたくあんを漬けてました。
大根を洗って干す時期は、実家のあった当時の北海道旭川では初雪さえ降ってきそうな寒々しいころでした。

大根を洗うのを手伝いました。大きな木製の漬物樽を使って洗っていました。
覚えているのは、小学校を風邪で休んだ日に、大根洗いを手伝っていると、近所の同級の女の子が学校のプリントを持って来てくれて、極まりが悪い思いをしたことです。
水が相当冷たくなっている季節のことでした。

山小屋での大根干し。
葉をとった大根を洗います。

葉も数本分、干します。
太めのひもで結びます。採れたばかりの大根は重いので5本で1セットにしました。

まずは物干し台に掛けて日に当てます。

実家では、荒縄で結んで、二階からつるしていましたっけ。

最終的には風通しの良いのきさきに掛けます。
2,3週間干して、大根がしわしわになって、尻尾と頭が丸くくっつくくらいになると漬けます。
ザラメと塩とヌカで漬けます。

実は去年のタクアン。重しが重すぎて、水気が飛び、繊維だけが残った硬いのが出来上がってしまいました。
味も塩気が強く、2本くらいしか食べていません。

今年は、水が上がった後の重しに気を付けて食べやすいタクアンを作ろうと思います。

東京でも2回程漬けたことがあります。1度はうまくできましたが、水が上がらずかびてしまった時もありました。

中山道 長久保宿

おじさんの山小屋から大門街道を下ってゆくと、最初の信号がある交差点で、中山道に合流する。

中山道は江戸時代に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ。67宿(69次)、530キロの道のりである。
江戸の起点は日本橋だが、実質の出発点は板橋宿。
今の埼玉、群馬を抜けて軽井沢、諏訪を経て木曽へ向かう。
信州に入ると、峠を越え、つかの間の盆地を抜けると、次の峠が現れる山道である。

東海道に比して、大井川などの大河の渡りもなく、取り締まりもゆるく、宿場の宿代も安かったので、それなりに往来が盛んだったらしい。
京都の宮中から江戸幕府に嫁ぐ際に使う街道で、皇女和宮が通った道でもあった。

現在では、長野県の松本から、埼玉、東京方面へ抜ける物流ルートとしてトラックが引きも切らない。

おじさんの畑は、中山道27番宿の、長久保にある。

佐久方面から笠取峠を越えての宿場。
最盛期には旅籠の数が50軒を超えたという。

次の宿場である和田宿から、難所の和田峠を越えて諏訪に至る。
諏訪でで甲州街道に接する。

畑の大家さんの家も長久保宿にある。
今時の町おこしとて、家々は宿場の景観保存を行っている。
屋号を表した看板を掲げた家も多い。

本陣にはかつてのお札が掲げられている。

今でも近辺の集落の中心地で、JRバスのターミナルがある。
上田方面からの路線バスと、和田方面、姫木平方面へのバスの中継地点となる。
便数はごく少ない。「ローカル路線バスの旅」の舞台にはならないだろう。

雑貨屋、食堂などはすでに閉まっており、居酒屋1軒と床屋、酒屋などが細々と続いている。
立派なJAの支店がある。

この街道を歩く中高年のハイカーも散見される。
長久保には1軒宿屋が残る。

次の和田宿には今は宿がないので、諏訪に抜ける和田峠越えのコースをとるとすると、長久保を出発点に一気に諏訪まで行くしかない。

長久保宿から諏訪までの間は、かなり長距離の難コースである。
和田峠の旧歩道は、人気もなく険しい。
旧道の麓にあったドライブインもとうに閉鎖されている。
冬は車でも十分な装備が必要な位雪に閉ざされる。
また、旧道を歩く分にはいいが、新道を歩かざるを得ないときには、脇をビュンビュン通る大型車両の通行に気を付けなければならない。

今も昔も道中に困難はつきものである。

 

晩秋の白樺湖

高原は晩秋です。
紅葉真っ盛り。落葉も真っ盛りです。

おじさんの山小屋から、大門峠を越えたところにある白樺湖。

流れをせき止めて作った人造湖です。
農業用のため池だったそうです。
かつてはふもとに住む人たちが、炭を焼くのに登ってきた場所だったそうです。

今は湖畔にリゾートホテルや遊園地があります。
リゾートブームが一段落した今、閉店した施設も目立ちます。

すそ野が古くからの別荘地で有名な蓼科山のふもとです。
蓼科山は八ヶ岳連峰の最北端の峰です。
山梨から見た八ヶ岳連峰の一番奥側のエリアになります。

極私的信州上田巡りVOL.4 最新街中点描

上田巡りの続きです。
とんかつを食べ、駅をふらふらした後、おじさんは街中へ出ました。
この日は秋晴れの土曜日。寒くもなく、暑くもなく。
観光客の姿も、駅周辺や古い町並みが見られる柳町界隈にちらほら。
おそらく上田城もたくさんの人出でにぎわっていることでしょう。

今日のおじさんの楽しみは、まず、昼食のとんかつ。
それから街中の菓子屋で団子とおやきを買って食べること。
どこかでコーヒーを飲んで休み、上田映劇で、映画を1本見ること。

演劇小屋から出発した、歴史的な映画館・上田映劇が上田の町に残っています。
ミニシアター的な映画作品上映と、貸しホール収入で運営してます。

この日は寺山修司特集。
遺作の「さらば箱舟」を上映しています。
今時貴重な35ミリフィルムでの上映とのことでした。
集客は10人。

寺山修司の映画作品といえば「書を捨てよ街へ出よう」「田園に死す」の自伝的な、実験劇場的な作りがイメージされます。
のちに東映で、菅原文太と清水健太郎の出演で「ボクサー」といういわゆる一般映画も撮っています。

今回見た「さらば箱舟」は、寺山の個人的趣味はわきに置いた、出演者・山崎努と小川真由美の映画になってました。
撮影の鈴木達夫の凝った映像もあり、ますます寺山らしさが、良くも悪くもなくなってました。

ちなみに、フィルム状態ですが、古いプリントに見られる、いわゆる雨降りやコマ切れはなかったのですが、発色が青みが買っていたのが気になりました。
セリフも聞き取りずらかったのはおじさんの老人性難聴のせいばかりではないでしょう。
上映プリントが青みに強いフジカラーだからでしょうか?
音の再生も併せて、デジタルに慣れてきた観客にとって、フィルムでの上映は懐かしくもあり、物足りなくもあるようです。

(街角点描)

かつての盛況の名残か。古い蔵があちこちにみられる。

上田で2軒あった老舗の古本屋のうち1軒が閉店に。

駅前通りの1本裏の銭湯。いい感じです。

手裏剣の選手権まで行われる。

団子とおやきを買いました。

上田名物のうまタレ焼き鳥の店。

極私的上田巡りVOL.3 駅周辺をさまよう

上田巡りの続きです。
生島足島神社にお参りした後は、上田駅を目指しました。
軽トラを駐車場に止め、まず昼食です。
地元で有名なとんかつ屋、力亭へ行きました。
駅前の飲食店街にあります。

鰻で有名な若菜館や馬肉うどんの田中屋の近くです。

ロースかつ定食を食べました。
肉厚なのに柔らかい。
みそ汁、漬物がうまいのも地方の名店らしい。
キャベツがなくなると追加してくれる。
満足感がありました。

上田のとんかつ屋はこれまで、仔豚屋、六文銭、実楽亭へ行きました。
おもてなしするなら、力亭か六文銭。
がっつり食べたいときは仔豚屋。
一人でもう一度行くなら実楽亭です。

力亭を出て、上田駅へ向かいます。

駅ビルにある、上田から揚げセンター。
際物っぽい感じですが、どっこい。地元客が押し寄せるだけあります。

から揚げ定食の満足度は、全国チェーンのバーミアンの比ではありません。
夕方から居酒屋となり、1時間飲み放題で960円とのこと。いつか行かずにはおれません。待っててください。

上田駅舎へ入ります。
JR新幹線としなの鉄道と上田電鉄が乗り入れる駅です。JRが運航するのは東京と金沢を結ぶ北陸新幹線だけです。

群馬県の高崎から、スイッチバックで碓氷峠を越えてきた旧JR信越本線は、軽井沢、篠ノ井間が第三セクターのしなの鉄道に移管されました。

上田電鉄は、もともとローカル私鉄で、上田を中心に今は別所温泉までの一路線を運行しています。

改札近くに立ち飲み屋が出店しています。

今時の地方都市は、街の中心部の商店街には人がいません。
ひとが集まるのは、郊外のショッピングセンターです。でも駅だけは、人がいるのです。

その町の人が集まり、雰囲気を味わえる数少ない場所、それが駅なのです。
駅側もそれなりに集客に努力しています。
大都市の駅ビルほどではないにせよ、商業ビルを隣接させたり、飲食店を誘致したりしています。

地元の人が休み、時間をつぶせる数少ない場所が駅なのかもしれません。おじさんが知らない町で行ったときには、商店街や市場へ行きます。それらがなかったり、著しくさびれている場合は、駅へ行きます。デパートがあればデパ地下へ行きます。どこかに、その町らしさがあるものです。

極私的上田めぐりVOL.2 生島足島神社へ

上田へ行ってきた。
山小屋からみて、一番近い都市は茅野だが、山小屋の住所である小県郡(ちいさがたぐん)は上田地方に属する。

茅野から大門峠を越えると、途端に人気が少なくなり、ローカルな雰囲気になるが、かつては上田は信州の中心地だった。
例えば、江戸時代以降、江戸を出発する五街道が整備される前のこと。
当時の中央、近畿を出発し、東国・陸奥を目指す東山道は上田を通過した。

そのころ各地の中心部に置かれたのが国府や国分寺。
信濃の国府と国分寺は上田に置かれた。
関東は武蔵国といい、国府が現在の府中市に置かれた時代である。

戦国時代には、実戦に強い真田氏の本拠地であったことは有名。

近代にあっても、鉄道が引かれたのは諏訪地方より先。このころは、諏訪の人が東京へ行くのに、一日かけて徒歩で上田に出、汽車に乗ったという。
戦前、県内の遊郭は、長野、松本と上田にだけあったとのこと。
それだけ上田盆地に物資と人が集まり、産業が起きたということだ。

今は、ひっそりとしたローカル都市だが、街の隅々に味があるのは、豊かな時代を経た名残なのだろう。

上田地方の信仰の中心が、生島足島神社。

10世紀の律令時代に編纂された、延喜式に載っているいわゆる式内神社。
成立時期が不明、というほど古い。

本殿の周りを池が囲うという何とも言えぬ雰囲気のある神社で、折々に市民が集う。

おじさんは何度か訪れている。
去年来たときは、神楽殿で小学生の巫女さん3人が舞っていた。
神楽殿のすそでは、巫女デビューする後輩を見守る中学生くらいの女の子たちが舞いを見守っていた。
伝統が継承されているのを感じられたものだった。

山小屋の毎年のお守りは、ここと、諏訪大社でもらうことにしている。

諏訪と上田の二大古社に毎年挨拶しているわけだ。

この日は七五三で、本殿で祈祷を受ける家族連れが並んでいた。

いつ寄っても、堂々として気品のある所なのがいい。

境内の直売所を覗いてみると、柿やリンゴを中心に、付近の農産物が売られていた。
細長型の渋柿が15個も入って250円だったので買った。干し柿を追加する。

 

渋柿を干す

今年も柿を干しました。
この季節、長野の農家の庭先にミカン色の彩が現れます。
関東以南だと、ミカンのある風景なのですが、長野ではミカンができません。
長野の秋のミカン色は全部が柿の実の色です。

直売所にもたくさん出回ります。
渋柿もます。
平たくて四角い型のものも、釣り鐘状のものあります。

こちらでは干し柿づくりもまだまだ盛んで、ホームセンターには専用のキットが売られています。
紐に専用のフックがついたもので、柿をいちいち縛り付けなくとも、へたの枝をフックさせればよく、またひもが実に食い込まないようにできています。
地方には実にいろいろなものがあります。

さて、山小屋でも干し柿を作りましょう。
直売所で渋柿を買います。
今年は二袋買いました。400円です。

まず皮をむきます。
全体が乾くようになるべく皮は残しません。
ここらへんで売っている渋柿は、しばりつけやすいように枝、を少し残しています。
干し柿づくりにはありがたいことです。

むいたら、ひもで縛ってゆきます。
おじさんはビニールひもで結びます。
案外重くなるので1本に5個くらいにします。
ここまでが第一段階。

実を熱湯につけます。
こうすると消毒(カビ防止)になります。
また、実の表面が高温となり水気が飛ぶので、生を干すより、傷みにくいような気がします。
消毒には、35度の焼酎を霧吹きする方法もあるようです。

ここで、日光に当てます。
実は気持ちよさそうに日光浴しています。

また、初日の夜は、ストーブ近くの物干し竿に一晩掛けます。二日目から、所定の場所で干し上げます。

本干しの間も、時々、日光に当てるようにし、カビに気を付けます。
つるす場所は、第一に風通し、第二に日当たり、と言われています。

ちなみに、おじさんのつるし方だと、どうしても紐が実に当たり、こすれたところが黒ずむことがあります。
味に変化はありませんが、傷んだ部分からカビなどが生えないとの限らないので気をつけたいところです。

また、外側が乾いたときに、実を揉むとか(柔らかく仕上がる)、白カビが生えるようにする(味がよくなり日持ちがする)干し柿づくりにはいろんな応用編があるようです。

難しい応用技法を施さなくとも、よく乾きさえすればおいしい干し柿ができます。
おじさんの家族が楽しみにしています。

(追記)

地元のおばちゃんの話によると、ひもの食い込み防止には、実を回して同じ場所が紐にあたらないようにするとのこと。また、実を揉んで柔らかくするはやったほうがいい、とのことです。

高原は紅葉真っ盛り

定年おじさんの住む標高1500メートルの山小屋。

周辺は紅葉真っ盛りです。

別荘地の入り口です。

ふもとの集落あたりでは紅葉はまだです。

葉っぱ一枚の中色が分かれているものもあるのですね。

おじさんの山小屋の周りは、雑木林なので葉が散っている最中です。

朝晩は寒くて薪ストーブ全力燃焼です。

地元パワースポット訪問記VOL.1 県宝仏岩へ登る

秋晴れです。明日は全国的に雨の予報。
久しぶりに仏岩へ登りました。

仏岩。
おじさんの住む山小屋から、国道152号線、通称大門街道に沿って上田方面へ5分ほどにあります。
1300年ころの鎌倉時代に建てられた仏塔が山頂の岩の上にあります。

大門街道沿いの低山です。
山頂には大きな岩がごろんと立っており、そこに仏塔が建てられています。
県宝です。

登山口には標識と由来が建っています。

しばらく里山の道を行きます。雑木林です。

登山道は、雨水で掘れておりわかりやすく、迷うことはありません。

標識もあります。

ところどころに巨石がごろんと転がっています。溶岩とのことです。

次第に登山道は山肌をまいてゆきます。
幅が狭く崖っぷちのところもあります。

鉄梯子が出てきました。

鎖場もあります。

この道をかつては仏塔を背負った修行僧が通ったのでしょうか。

山頂の岩へ登る梯子が見えます。

梯子の3連続。その上の頂に仏塔があります。

溶岩由来の巨石が山頂です。
今回も頂への登頂は断念。
岩の頂はむき出しで柵も何もありません。
おじさんは高所が苦手です。

最後の梯子にしがみついて仏塔を拝みます。
背景に蓼科山が見えます。

はるか下界の風景です。

おじさんは、仙台での現職時代に、単身赴任の気楽さから近場の低山へ結構登りました。
北泉ヶ岳、二口峠など。
都市近郊の低山とはいえ、東北の山の怖さは忘れられませんでした。
そこは、住み慣れた人界ではなく、山界ともいうべき別の世界でした。
ひとの気配がしなくて別のものの気配に満ちていました。

その点、長野の仏岩は安心そのものの人界です。
登り40分。往復60分ほどの道のりでした。
ただし、都市近郊のハイキングコースのような至れり尽くせりの配慮はありません。
幅40センチほどの道を踏み外せば、崖に堕ちますし、山頂の岩で貧血を起こせば、そのまま行方不明となります。

地方のハイキングコースは案外ワイルドで、おじさんが仙台郊外の名勝地へ行った時も、手すりなどのない、幅1メートルほどの崖の道を歩いていたら、向こうから小学生の一団が現れて、すれ違うのに怖かったことがありました。

長野のこのあたりの小学生は標高2500メートルの蓼科山に遠足で登ります。
山頂付近は急こう配の岩場が続く山です。

田舎はたくましいのです。

(追記)

仏岩を過ぎて大門街道を上田方面に下って行った道沿いに、てっぺんに石碑が乗った溶岩石がある。

登ってみると、稲荷神の字が読める碑だった。

街道のはす向かいにある、大門稲荷神社の関係するものかもしれない。
長野を歩いていると、岩の上に碑が乗っている風景に出くわす。

民間信仰の形態なのだろう。

血液サラサラ!ヤーコン茶を作ってみた

おじさんの朝は、一杯のお茶から始まります。
今は、スギナ茶を煎じて飲んでいます。
畑からむしってきた大量のスギナを乾かしただけです。スギナはケイ素という元素が豊富で、体内の活性酸素を減らす効果があると言われているものです。
寒い朝には、一杯の熱いスギナ茶が体を温めてくれます。

ヤーコンという作物があります。
南米原産のキク科の芋です。
寒冷地で作られ10月下旬から12月が収穫期。
日持ちはよくなくて、1,2か月しか保存できません。
おじさんの自宅(山小屋ではなく)では小松菜、リンゴに混ぜてスムージーにして飲んでいます。
オリゴ糖やポリフェノールの含有量が高く、いわゆる血液サラサラ食品のひとつです。

おじさんは直売所で、種イモを週個買ってきて植えました。
夏場はぐんぐん茎をのばし、葉を広げ、

10月下旬に近くなって花を咲かせました。

一度、試しに掘ったのですが、地下の芋は小さかったので、まだ収穫はしていません。

ヤーコン茶というのが直売所などで売っています。
効用は同じとのこと。
そこでヤーコン茶づくりに挑戦してみました。
手順は、葉を蒸す→天日干し→乾いた葉を揉んで細かくする→炒る、です。

茎を何本か折ってきました。

葉っぱだけをちぎります。

外にストーブを出してお湯を沸かしました。
別荘地のごみ捨て場から拾ってきた薪ストーブです。十分使えます。

蒸し器がないので、ざるを使って蒸しました。
蓋はします。
蒸す理由は、消毒のほか、繊維を柔らかくするためと思われます。葉の根元などは相当繊維が強いです。

蒸した葉をざるに広げて天日干し。
日が弱いのでパリパリに乾きません。
ストーブの上にざるを乗せて、火力で乾燥させました。

手で粉にします。

粉を炒って完成です。

繊維の強い部分は粉にならず、捨てましたが、細かく切れば使えたかもしれません。
おじさんのヤーコン茶は炒りがきつかったのか、やや苦み走ってます。

今日からおじさんの朝のお茶のメニューが一つ増えました。

ついでに今夜の夕食をストーブで作ります。
野菜たくさんの煮込、3日分。野戦料理です。