大根、人参、ヤーコンを収獲終了しました

2週間ぶりに畑へ行きました。
畑に残っている作物は、大根、人参、ヤーコン、キャベツ。
霜も降りてきたので作物を撤去し、冬じまいしなければなりません。

現在の畑の様子です。
大家さん宅の裏手の畑です。
ここには大根、人参、ヤーコンが収穫待ちです。
来年収穫予定のニンニク、玉ねぎは植えたばかりです。ニンニク。

玉ねぎ。

大根、人参を抜いてゆきます。
大きく育ったものは先月に抜いてしまっています。
残ったものは残念ながら、細いもの、短いもの、割れたものばかりでした。

根菜類には不向きな硬い土の畑です。
来年以降、徐々に耕してゆきましょう。
大根も人参も、秋撒きの場合、長野では生育期間がせいぜい10月中旬まで。
8月に撒いたとして2か月ちょっとの間が勝負です。
その間に大きく育たないものは、それまでなのです。

ヤーコンは思ったより良い収量。3株分の収量です。
土が硬いせいか、掘り出すのに力がいりました。

ちなみに、サツマイモも収量はよかったのですが、形が不ぞろいで、表面がデコボコ、傷だらけでした。
土がこなれていないせいだと思います。

土の改良は来年以降の楽しみです。
とりあえず、もみ殻を数袋撒きました。
畑に来る途中に精米所でもらってきたもみ殻です。
もみ殻、燻炭、えひめAIで来年以降、徐々に土壌改良です。

もう一か所の畑へ行きました。
ここでも大根と人参を収穫。
キャベツが寒い中よく育っていました。

夏野菜は、例えばズッキーニは霜にあたって腐っていました。あんなに元気だったのに。
ピーマン、シシトウもさすがに終了。
抜いてみると茎が太く育ってました。

名残のヘチマがぶら下がっています。

キャベツを除き、全部撤去します。
冬ごもりの前に、畑にもみ殻と生石灰を撒き、耕運機で耕す予定です。
もみ殻には、2,3年かけて土をふかふかにしてもらう予定です。
生石灰を撒くのは隣の畑のおじさんのアドバイス。
土壌の消毒と、PH調整の意味だと思います。

そのあとは、玉ねぎとニンニクの面倒を見てもらいながら、畑とは来年までお別れです。

天気がいいので切り干し大根作りに挑戦

晩秋の長野の高原です。
朝晩の寒さはストーブをガンガン焚かないと防げません。
昨年割って乾かし、デッキへ移しておいた薪がどんどんなくなってゆきます。

デッキの外に掛けている干し柿は順調に乾いています。柿を触ってみると、表面は乾いていますが、芯が残った感じ。
地元のおばさんのアドバイス通り、芯を揉んでおきます。
上級者は揉んだついでに種を抜いてしまうそうです。
定年おじさんの干し柿は種までは抜きませんが、今年もおいしくできそうです。

たくあん用の大根も干しています。
大根はまだまだ、しんなりしていません。
むしろ低温で凍ってしったのか、実の表面が透明になったようなのもあります。
たくあん漬けが無事できるまで、まだまだ油断はできません。
大根自体が筋張って育っている可能性もあり、そうなるとそもそもうまくは漬からないでしょうし・・・。
漬物はいろいろと奥が深そうです。

ということで切り干し大根。
2週間ほど前に収穫した大根が、泥付き、葉付きのまま、10本以上、デッキに転がっていました。
煮物、煮込みで毎日食べています。
昨日は数本を粕漬にしました。

今日は残りを切り干し大根にしましょう。
まず、ネットにて作り方を確認。
大根を洗って皮をむきます。

この時点で、実の痛みや、筋の有無がわかります。
芯が乾いているようなのもあります。
これらは煮ても乾かしても、漬けてもうまくできないので捨てます。
鹿のえさになります。

みずみずしくておでんにでもしたくなるようなものをチョイス。

5ミリ幅に輪切りして、さらに5ミリ角にカット。

晩秋の晴天の下、ざるに広げて干します。

切干を広げる、平たい大ざるが揃っているのも、この山小屋のいいところ。
備品を揃えてくれた、先代の仙人さん夫婦に感謝です。

切り干し大根は2週間で完成とのこと。
天気次第でしょう。
11月の25日頃には山小屋を離れ、東京の自宅に戻る予定です。
それまでに間に合うか?
間に合わなければ自宅で干すつもりです。

大根はまだ残っています。

自宅に戻り町内会バーベキューに参加しました

11月上旬に東京の自宅へ戻りました。
健康診断があったためです。
おじさんは、妻の被扶養者になっており、田無病院というところで健康診断を受け、ついでに高血圧でかかっている医師の診察を受けました。
ちなみに被扶養者となったおかげで、国民健康保険料・月24,000円が節約できています。
妻に感謝。

おじさんの自宅が所属する町内会のバーベキューが3日にあったので参加しました。
自宅があるのは調布市です。
町内会(地方自治法上の正式名称は「自治会」です)は、同時に建売住宅に入居した10軒で立ち上げました。

会員名簿と会則を市役所に届け出れば、自治会が設立できるのでした。
その前に、近隣の既成の自治会に参入を打診しましたが、断られました。

東京の郊外は、旧来の地主や農家などを中心にした、割と大規模な自治会が残っています。
一方、新興住宅地や社宅などでは、住民がそれぞれ自治会を立ち上げてもいます。
おじさん宅の近隣はそうした新興自治体がいくつもありました。
そういった自治会は、会員の流動もなく、年とともに自然消滅してゆくようですが。

おじさんの自治会の唯一の行事は、年に1,2回のバーベキューです。
一応、自治会長はおじさんということにして届け出てありますが、実際には年長の自営業社長宅が町内会の中心で、バーベキューの回覧もやってくれています。

というわけで、町内会の唯一の行事、バーベキューは、20年間続いています。
20年前、おじさんは40歳そこそこ。長女が5年生、長男が3年生、次男が5歳でした。
町内会10軒のうち、家長がおじさんと同じ年が2軒。長女の同学年の女の子が2人。長男の同学年の子が2人いました。

バーベキューの日は子供たちが走り回り、大人たちも念願のマイホーム生活実現に盛り上がっていました。
連帯感のようなものを感じたのも、酔った勢いのせいばかりではありませんでした。

20年たち、子供たちはそれぞれ独立もし、亡くなったメンバー、離婚して去ったメンバーもいました。
転勤により離脱したのは1軒だけで、近隣に引っ越してきた1軒が新規に加わりました。
またゲストで参加する人、実家に帰ってきて家族ともども参加するかつての子供たちなど、毎回賑やかに催されました。

会場は10軒の間を走る路上です。
袋小路なので公道ですが実質的には私道です。
おじさんの自宅は袋小路の一番奥の方ですので、路上に炭焼台を出し、炭をおこします。

三三五五、折り畳みテーブルやいすを持ってメンバーが集まりだします。
缶ビールで乾杯の後は、各家からとっておきのワインや日本酒などが出てくることもあり盛り上がります。

暗くなったり、寒くなってくると、世話役のお宅に集まりなおして2次会です。
おじさんは最近は2次会の前にダウンすることが多くなりました。

今年のバーベキューは、おじさん2年ぶりの参加。
ゲストが多く近年になくにぎやかでした。
おじさんは、サンマ数匹と信州鳥の焼き鳥、畑のサツマイモ、里芋のホイル焼きなどをして好評でした。食材は山小屋から担いだり、買って帰ったものです。
また、山小屋ビジター用におじさんが作ったアルバムも回覧しました。
山小屋の紹介を目的に、立地や地域の歴史や自然、山小屋での暮らしなどを写真と切り抜きでまとまたものです。

20年前からのオリジナルメンバーは、思ったよりは元気でにぎやかでした。
皆地域での交流を望んでいるからうれしいのでしょう。

田舎暮らしをしている身からすると、話題に強烈な個性を感じなかったのは、「守りに入っている」都会人のなせる業でしょうか。
都会は住民が個性を発揮する場所ではなく、お互いに出すぎないようにけん制しあいながら注意深く暮らすところなのかもしれません。
いざとなった時に頼りになる近隣者かどうかは、そうなったことがないのでわかりませんが。

子供たちが小さなころは誰かが路上で遊んでいて活気があった町内ですが、ここ最近は活気が乏しくなりました。
住民の年齢とともに、街も年を取ってゆくということでしょう。
実質リーダーの自営社長は、小淵沢に別荘を持っています。
今度寄ってみようと思っています。

やっつけ!大根を粕で漬る

大根が余っている。
葉付きのまま10本以上だ。
それもB品、C品ばかり。
大根だけではない、人参も里芋もサツマイモも食べきれないくらいある。

畑には収穫を待つ、大根、人参、ヤーコン、キャベツがある。
収穫して玄関に置いておいたサツマイモはカビが生えてきた。
100坪の畑でこのざまだ。

農家はどうしているのだろう。
よく、畑で季節外れの野菜が収穫されないまま放っておかれるのを見る。
かつてはおじさんも「なんてもったいない」と思っていた。
今では、農家の気持ちがわかる。
季節外れの過剰な農産物。
もう、取って売るのも、ましてや食べるのも手をかけるのがめんどくさくて放置されているのだろう。

ということで我が大根。
既にたくあん用には20本ほど干している。
今すでにある分とこれからの収穫分をどうしよう?キューリ用に買った粕がそのまま残っている。
夏に塩漬けしておいたキューリが実が崩れて廃棄。
大根の粕漬はできないか?

早速ネットで調べる。
生の大根を粕で漬けるユーチューブが検索に引っかかった。
これはいい。
樽はキューリ用に用意していた10リットルのがある。よーし!やっつけだが大根の粕漬をつくろう!

大根を用意する。
採ってから1週間以上たち、葉も枯れてきている。
葉を切り落とす。

大根葉は外へ放っておくと鹿のえさになる。
大根を洗う。

B品だけあって、二股になっていたり、割れていたり。ユーチューブにあるようにきれいな白い大根ではない。

粕と砂糖、塩を用意する。粕はAコープで買った地酒・真澄の酒粕だ!

食品加工を季節の楽しみとする者にとって、それら調味料は、袋単位で必需品。

目分量で混ぜ合わせる。

大根を樽に詰めて、粕をまぶしてゆく。

重しをたっぷり乗せる。
水が上がったら重しを半分にして1か月で食べころとのこと。
干し大根と違い、生大根は水の上りも早かろう。
漬物部屋に収納する。

現在、山小屋にある漬物は、去年のタクアンとキューリの粕漬と、ナスの味噌漬け。
前も書いたように、今年の夏野菜の塩漬けがほぼ全滅したので、今年の材料は大根のみとなる。
たくあん、粕漬の予定だ。
大根には切干にもなってもらう予定だ。

長野のスーパーでは季節になると盛大に漬物の材料が売られる。
ヌカ、ザラメ、酒粕、味噌などだ。
それを見るとこちらも漬物を漬けたくなる。
冬ごもりの季節だ。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.1 鹿教湯温泉に秋を探す

長野は山国だから温泉天国です。
温泉といえば群馬県が一番数が多いとか、九州、北海道が有名です。
一方、町々の近場に手軽な温泉場があるという点では長野は有数なのではないでしょうか。
何せ四方八方が山ですから。

全国的なビッグネームの温泉は少なく、せいぜい、別所温泉が有名なくらいでしょうか。
一方、知る人ぞ知る、渋い温泉は多そうです。
また、今はやりの複合施設のスーパー銭湯的な温泉施設は県内各地にみられるようです。

今日は、丸子温泉郷の鹿教湯温泉ということころへ行きました。
山小屋から40分ほどの距離。
今日で、おじさん、3回目の訪れです。

ちなみに山小屋から1時間県内にある温泉はほかにもたくさんあります。
鹿教湯温泉から青木村の間にある、霊泉寺温泉、沓掛温泉、田沢温泉など。
諏訪湖側には、上諏訪の町中に点在する上諏訪温郷。白蓼科山の中腹の蓼科温泉などです。
別所温泉も近いです。

鹿教湯温泉は、鹿に化身した文殊菩薩が猟師に教えたといういわれをもち、国民保養温泉地に指定されています。歓楽的な要素はありません。

今時の地方温泉街の例にもれず、すたれた雰囲気もあるが、文殊堂などの文化財と季節ごとの風景の見事さで一定の人気を保っています。

古い温泉場の雰囲気は残っています。
いたるところに湧水がわき、文殊堂、薬師堂などをめぐると、俗気との隔絶感に浸ることができます。

長野の温泉地に必ずある、共同湯。
鹿教湯温泉の共同湯は文殊の湯といいます。
300円で入浴できます。無色透明な湯。
一度入るとその日は入浴不要なほど温まります。

そばを流れる渓谷のもみじを眺めながら、温泉の恵みに浸りました。

 

今シーズン一番の冷え込み

今朝は寒かった。
布団の中にいても、寒気が掛け布団を越えてしみ込んできた感じがした。

起きて早速ストーブを焚きつけます。
ストーブの周りに何となく昨夜の暖気が残っているのはさすが、鋳物のストーブです。

薪を取りにデッキへ出ると、わが愛車の軽トラのフロントガラスが見えました。
銀色に輝いています。

東京では真冬でもまず見られない光景。
故郷の北海道に帰っって来たのか?スキー場にいるのか?と一瞬の錯覚。

こういった季節。山小屋では、いくら暖房しても床近くの温度はなかなか上がらない。
半分丈のズボン下の隙間から寒気がしみいる。

座敷の寒さも半端ない。
畳の上で、スリッパなしで、パソコンを叩いていると、足の裏が冷たくて我慢できないほどだ。

故郷の北海道の真冬は更に厳しい。
親が入院していた時のこと。
見舞いに帰り、冬の札幌の実家に泊まった。
実家の暖房は、ボイラーを焚き、床に温水パイプを通し、各部屋には温風の送風機を置いていた。
無人になった家ははボイラーが止まっていた。

見舞いに帰ったおじさんたちは、夜、実家に到着した。冷え切ったというか、冷凍庫状態の家の中。
ボイラーを点火させたが、させたが、室内が温まるまでの間、おじさんたちはカーペットの上でで文字通り足を踏み鳴らして寒さに耐えたものだった。
その時の床の冷たさが忘れられない。

山小屋の外へ出る。
地表の水分も輝いている。
霜になる寸前だ。
気温は0度近かっただろう。
干している大根や柿は頑張っている。
大根の表面は一部透明になりかかっているが。

今年も冬がやってくる。
おじさんは今月で引き揚げるが。

道の駅あおきへ行きました

山小屋は東京でいえば真冬の寒さ。
干した大根も凍りそうです。
明日は年に一度の健康診断に東京へ一時帰宅します。
今日は気晴らしに遠出をしました。

青木村というところがあります。
上田から西に向かった山懐。
古の東山道に面する村です。

江戸時代の五街道が整備される前の時代の主要街道である東山道。
信濃に入ってからは、今の松本から、難所の保福寺峠を越えて、青木村へ下り、上田盆地に至っていました。
青木村には、山小屋からは1時間弱でつきます。

松本と青木村の間の保福寺峠には、日本アルプスを世界に紹介した、宣教師ウエストンの碑が建つといいます。
ウエストンは1888年から13年間日本に滞在し、布教の傍ら日本各地の山を歩いたひとです。
上高地を有名にし、日本アルプスの名付け親です。

その青木村、東山道沿道にある所以からか、国宝大宝寺三重塔など文化遺産も抱えています。
1333年に建立の三重塔です。
都から宮大工を招いて建てられ、洗練された中央の気風を持ち、別名みかえりの塔と呼ばれています。

青木村に道の駅があります。

直売所と食堂が主な施設です。

直売所では季節になると山菜やキノコがたくさん出ます。
今日は、リンゴ、柿を中心に、キノコ、野沢菜などが売られていました。

食堂ではタチアカネという種類の蕎麦が食べられます。花がピンク色に咲く蕎麦です。

結構人気の道の駅で、松茸の時期などは込み合います。
上田方面からの行き止まり、というわけではなく、松本方面から峠を越えてこられる立地のせいもあります。

おじさん、今日の昼食は、直売所で売っている弁当にしました。

海苔巻きと稲荷のセット。350円です。
手作り感一杯でうまかった。
こういった直売所の弁当はコスパ感十分です。
欲を言えば、海苔巻きのキューリを粕漬にしてほしかったけど(個人的な郷愁です)。

青木村には温泉もあります。
そのうちのひとつ、沓掛温泉の共同湯です。

長野は山国でいたるところに温泉があります。
沓掛温泉は、温泉宿が1軒、共同湯が1軒の鄙びたたたずまいです。

山小屋に鹿が来ました

11月です。
山小屋は寒さが本格化します。
朝夕はもちろん、日中も暖房が必要です。
薪ストーブは焚きっぱなしです。
特に朝夕はガンガン焚きます。
薪がそれなりに必要になります。

今朝、薪をとろうとデッキに出たところ、鹿が見えました。
メスと子供の2頭連れ、奥にもう1頭います。
おじさんが捨てた大根葉の山を平らげていたところです。

別荘地は鹿の縄張りですので、住民にとって、放し飼いのペットみたいになっています。
夕方の鹿の鳴き声は風物詩です。
野生の甲高い声が響きます。孤高の声です。

夜の運転は、路上を横断する鹿とぶつからない様にしなければなりません。
時々は、立派な角の雄の姿を見ることもあります。
雄の角を見ると、一層野生の気高さに気押されます。

別荘地で見ることのできる動物は、タヌキ、キツネ、ウサギ、リスなどがいます。
カモシカを見たという人もいます。
庭の植物は鹿の食害に遭います。

熊については、別荘地から500メートルほど下った大門川の川沿いでの目撃情報が毎年あります。
キノコ採りの地域住民が見かけるようです。
熊は水を飲みに来るだけのようで、被害は今のところ聞きません。

ジビエで活用されてもいる鹿ですが、山小屋のリフォームを頼んだ大工さんが連れてきた職人が、鉄砲を撃つ人でした。
その人によると、鹿もたくさん撃ったが、撃った後の処理が大変なので、今は撃った鹿をそのまま捨てているとのこと。
鹿肉をたくさん食べたことがある大工さんも、筋が多いし食べ飽きたのでもういらないとのこと。

ジビエ生産の最前線の実態のようです。

今年の塩漬けは大失敗!

夏の間に、ナスとキューリを塩漬けにしておきました。おじさんの畑の収穫分では賄いきれないので、直売所でそれぞれを2,3袋買いました。1,2キロでしょうか。

キューリは畑で採れたものも使いました。
採り遅れて大きくなったものでした。

塩漬けしておき、寒くなったら、粕や、味噌、辛子などで本漬けする予定でした。

昨日、樽を開けると、一面にカビが浮いていました。
想定の範囲内でしたので、カビを捨て塩抜きのために。実を水に放ちました。
するとキューリの全部とナスのほとんどが実が崩れたり、皮が破れたりしました。

(去年の塩漬け)

どうしてなんだ?
これでは本漬けできません。
泣く泣く廃棄です。
かろうじて残ったナスは辛子漬けにしました。

去年は、キューリもナスもうまく漬かりました。
キューリは粕と味噌に漬けました。
ナスは味噌と辛子に漬けました。

(去年の味噌漬け)

辛子漬けはおいしくできすぐ食べてしまいました。
粕漬けは今、箸休めに重宝しています。
味噌漬けは辛すぎてあまり食べていません。
でも、去年はとにかくうまく漬かったのです。

(去年の辛子漬け)

長野では漬物シーズンになると、スーパーの店頭に漬物材料が並びます。
酒粕や漬物用の味噌、たまり醤油などが、大々的に売られています。

さてどうして今年はうまくいかなかったのか?
まず考えられるのが、素材です。
キューリをはじめ、完熟過ぎたきらいがあります。
実が柔らかすぎ、水分がいつまでも残っていました。

なぜ実に水分が残りすぎたのか?
塩分濃度が上がらないまま放っておいたからでしょう。
今年のように気温が高いときには、早めにきっちり実を漬け込まなければならないところでした。
具体的には、漬けて最初に水が上がってからも、早々に重しを減らさず、実を締めておき、また二度漬けをして、実の塩分濃度を上げておくべきでした。
実の硬化を懸念しすぎて、早々に重しを軽くし、二度漬けもしませんでした。
腐敗せず実の保存はできましたが、実の果肉部分がぐじゅぐじゅで、かつ皮が破れる状態では漬物と言えないのでした。

漬物は、単なる塩蔵の保存食品ではなく、最終的な味付け後の歯ごたえ、食味を想定して導き出さなければならない、発酵食品の結晶とも言えます。
奥が深そうです。

余談ですが、上田の地酒・亀齢の酒蔵、岡崎酒造で酒粕を買ったとき、「何に使う?」と店のおかみさんに尋ねられたことがあります。
「粕漬用」と答えると、「もったいない」、と言われました。

冷蔵して売っているような搾りたての酒粕は、かす汁や甘酒など、直接粕を楽しむように利用すべきなのでした。

粕や麹は飲む点滴と言われ、最近ひそかなブームです。
おじさんは、山小屋では、和風洋風を問わず、煮物、煮込みのベースに亀齢の酒粕を使っています。
コクが出ます。

今年の使い納め チェーンソー

山小屋暮らしに欠かせない道具にチェーンソーがある。山小屋には先代の「仙人さん」が配備してくれていた。
キョーリツというメーカーのもの。

チェーンソーは、農機具販売店やホームセンターに売っている。
いいものは、7,8万円以上するようだ。
刈払機と同じで、安いものがホームセンターで手に入る。

耕運機は中古は買うもんじゃない、と地元の人は言う。
チェーンソーや刈払機もあまり安いものは買わない方がいいのかもしれない。

おじさんは去年生まれて初めて手にして、使った。チェーンソーは、エンジンで刃のついたチェーンをぶん回す原始的な設計。
刃が摩擦で傷まないよう、オイルを刃に垂らしながらぶん回す。

木というものは相当硬いし、重い。
鉄製の刃付きチェーンといえども、オイルがないと全く切れないし、刃が痛む。
オイルが切れると、丸太の断面から煙が出、刃は摩耗する。てきめんに切れなくなる。

また、刃は定期的に研がないとすぐ切味が悪くなる。
丸太のいわゆる玉切では、重心の加減によって、刃が挟まって取れなくなることも悩ましい。
それくらい生木は取り扱いが厄介だ。
重い硬い生木にはエネルギーがぎっしり詰まっている。のちに、そのエネルギーを開放して燃料として役に立ってくれるのだ。

チェーンソーの燃料は仕様書通りにガソリンに2サイクリエンジンオイル一定の比率で混ぜて作る。
おじさんの機械は25:1の比率だ。
シーズン中は専用の容器で、常時2リットルほど作っておく。

ガソリンは専用のタンクで買ってくる。
ガソリンは消防法で、専用タンクでしか買えないし、給油はスタンドの従業員が行わなければならない。
おじさんは知らなかったが、田舎では常識だ。

手元のガソリンが、長期保管で古くなると、軽トラの燃料として使う。
古くなったガソリンは車に使ってもチェーンソーには使うな、と言われているからだ。

チェーンソウを使うときは、潤滑剤としてのオイルを、燃料とは別のタンクに入れる。
燃料とともに満タンにして、20分ほどもつ。

おじさんは、2年間の使用で2回、チェーンを交換した。
立ち木を切っていて、チェーンが絡まって動かなくなった時と、やすりで研ぎすぎて刃が擦り切れてしまった時だ。
ほかに、潤滑オイルの出が悪くなって部品交換をした。JAの農機具センターでやってくれる。

チェーンの張り具合も調整しておく。
チェーンのテンションが悪いと、立ち木伐採など、刃を横にして使うときに絡まったりする。
合わせて、棒やすりで刃を研ぐ。
仕様書通りの、角度で、また指定された直径のやすりで研がなければならない。

よく調整されたチェーンソウを使うと、丸太は気持ちよく切れてゆく。ノコくずも大きいのが出る。
エンジンの調子が悪かったり、刃が摩耗していたり、オイルの出が悪かったりすると全然仕事が進まない。
デリケートな機械である。

ということで、今年のチェーンソウの使い収め。
近くの別荘のリフォームでもらってきた廃材の柱や、節が絡み合った丸太などをカットした。

燃料を残さないようにエンジンが止まるまで待つ。
来年までお休み、ご苦労様。来年も頼みます。