大洗濯大会

孫たちが一週間滞在中に使ったシーツ、布団カバー、枕カバー、タオルケットを洗濯しました。

山小舎の洗濯機は全自動ですが容量が大きくないので、一度に洗えるのは、せいぜいシーツと布団カバーを計2枚、大きめのタオルケットでしたら1枚です。
時間と手間と洗剤がかかります。

夏の名残の日差しが降り注ぐ中、洗濯したシーツ類を干します。
物干しざおのほかにスタンドを二組出して洗濯ものをかけます。

標高1400メートルの紫外線は、洗濯物を乾燥させ殺菌します。
一方で、カンカン照りの日はいいのですが、日差しが弱かったり、夕方にかかったりすると土地の湿気が勝り、カラッとは乾きません。

仕上げは夜の薪ストーブで乾かします。

延べ3日ほどかけて洗濯終了。
これからは敷布団を干して来客用の寝具の手入れ完了となります。

路線バスで山小舎に戻る

今年のお盆は家族とともに東京に戻り一週間過ごしました。
何度経験しても暑い東京の夏でした。

うっかりして軽トラを山小舎に残したままでした。
帰りは「自力」で茅野から山小舎のある姫木まで戻らなければなりませんでした。

茅野駅から大門峠まではアルピコ交通の路線バスがあります。
問題は大門峠から姫木までの間です。
3度ほど「自力」で行き来した際には、峠道を歩いたり、タクシーを呼んだりしました。
今回もタクシーの利用を考えていました。

その時、姫木の森有限会社発行の「姫木の森だよりの2023年号」の裏表紙を思い出しました。
長和町のコミュニテイバス「ながわごん」が白樺湖から姫木中央経由、鷹山スキー場まで運行しているというのです。

4月から10月のシーズン中のそれも特定日のみの運行ですが、大門峠をバスで越えられるというのは僥倖です。

幸い帰還予定日には運行しているとのこと。
しかも茅野駅からのアルピコ交通路線バスに連絡して、白樺湖を出発しているのです。

当日は、路線バスへの確実な連絡を考え、特急あずさで茅野駅まで行くことにしました。
11時ちょうど発のあずさに乘ろうと、新宿駅に着きました。
夏の移動シーズンの混雑でざわついたホームでは11時発のあずさは満席、とのアナウンスが流れていました。
立って茅野まで行くことを覚悟してデッキに立ちました。
その間にも続々と乗客が乗り込んできました。

あずさのデッキには立ち席の乗客の荷物であふれんばかり
満員の客席

デッキには、アジア系の青年、タトウーの入ったラテン系の若い女性二人組、気弱そうな白人青年などがいました。甲府、韮崎、小淵沢で降りる乗客も多くいました。
茅野駅ではトランクを携えたリゾート風の観光客が大勢降り立ちました。

あずさが停車する

20分ほど待って茅野駅発車山高原行きのアルピコ交通バスに乗りました。
西白樺湖までの運賃は1500円でした。

バスには10人ほどの乗客。
この便はいわゆる路線バスではなく、観光バスの扱いのようで、茅野市内の停留場には止まらず、また集落を通るルートは取らずにまっすぐ大門街道をめざしてゆきました。
大門峠麓の音なしの湯から停車を始めました。

茅野駅前のアルピコ交通バス乗車券売り場
白樺湖、車山高原行バス乗り場
シーズン中の増便バス車内

バスは白樺湖を一周し、ほとんどの客が池之平ホテルで降りました。
山小舎おじさんは西白樺湖バス停で降りました。

白樺湖に着きました

時間通りに「ながわごん」がやってきました。
100円の運賃です。
乗客はほかに女性が一人だけ。
この女性も姫木の別荘へ行くとのことでした。

バスはあっけなく大門峠を越えて姫木中央に着きました。
ここから徒歩で登りです。

歩きだすと後ろから来た軽乗用車が止まりました。
枯葉マークがついています。

ドライバーは高齢の女性。
「ながわごん」から人が降りるのを見て「なんだろう?」と思ったそうです。
白樺湖からの路線バスだというと感心していました。

「乗ってく行きます?」というので後ろに乗せてもらって、山小舎の近くまで送ってもらいました。
ラッキー!でした。

乗せてくれたのは山小舎から少々上に行ったところの別荘住人でした。
ありがとうございます。

あずさの満席は予定外でしたが、茅野駅からの連絡は想像以上の快適さでした。

メキシコ時代のルイス・ブニュエル②

この8月、渋谷シネマヴェーラで「スペイン、メキシコ時代のブニュエル」という特集があり、スペイン時代の初期作から、メキシコに撃つっての50年代初期作品までが上映された。
貴重なメキシコ時代のブニュエル作品について述べる。

参考文献はキネマ旬報刊「世界の映画作家7 ショトイット・ライ ルイス・ブニュエル」とフィルムアート社刊「インタビュー ルイス・ブニュエル公開禁止令」。

「愛なき女」 1952年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

メキシコに移ってブニュエル6本目の作品。
メキシコ時代から劇映画の演出を始めたブニュエルは、ここまでミュージカル風だったり、エスプリの効いた喜劇風だったり、悪女ものだったり、ドキュメンタルな社会派風だったり、と多岐にわたった作品を撮っている。

この作品(今回見たプリント)の開巻ではコロンビア映画のマークが映し出される。
ハリウッドメジャーのコロンビアが配給していることになる。
おそらくメキシコで製作後に、コロンビアが配給権を買い取り、アメリカ国内で配給したものと思われる。
マイナーな映画館での番組穴埋め的な公開だったと想像するが、ハリウッドメジャーが買い上げるほどの商業映画をこの時期すでにブニュエルは撮っていたということになる。

キネマ旬報刊「世界の映画作家7」のブニュエル自作を語るでは「完全な注文仕事である」と一言のみ。

「世界の映画作家7」ブニュエル自作を語るより(題名役が「恋なき女」となっている)

フィルムアート社刊のインタビュー集「ルイス・ブニュエル公開禁止令」でも1ページに満たない内容で、インタビュアーが「どこをとっても及第点の見当たらない唯一の映画だと思う」と切り出し、ブニュエルも「私にも見当たらないよ」と応じている。

モーパッサンの「ピエールとジャン」の翻訳で、すでにアンドレ・カイヤットが映画化していた。
「公開禁止令」によると、20日間の撮影期間中、ブニュエルはカイヤット作品のシーンをなぞって撮影したという。

ロザリオ・グラナダス(中央)

実家が貧しく、愛無き結婚をした女性(ロザリオ・グラナドス)が、若い時に林業技師と恋に落ち次男を設ける。
長男のために林業技師との駆け落ちを断念。
息子二人は医師に育つ。
息子たちの容貌、性格は異なり、厳格な父親との関係、昔の不倫を知った母親との関係に苦しむ。
最後はハピーエンド。

子供にとって理想的な母親像を演じるロザリオ・グラナドスの落ち着いた美貌が見られる。
また、戦後すぐとはいえ、恵まれたメキシコの上流階級の暮らしぶりを見られるのも貴重。

アラン・ドロンの出来損ないのような風貌の次男役の俳優、長男から次男に乗り換える女医役の女優のコケテイッシュ、長男とできている崩れた感じの看護婦役女優など、当時のメキシコの映画俳優の珍しい姿を見られるのも貴重。

まるでハリウッドの二流メロドラマのような映画だが、どこか漂うノワールなムードはブニュエルならでは。

シネマヴェーラのパンフより

「乱暴者」 1952年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

この作品もコロンビア映画が配給。
主演のペソロ・アルメンダリスはジョン・フォード作品にも出ている国際派。

「世界の映画作家7」によると「出来上がった作品は卑俗の極致」とブニュエルは極言。

「世界の映画作家7」ブニュエル自作を語るより

「公開禁止令」でのインタビューは10ページに及び、ブニュエルは語る。
主人公は悪人ではないが一匹の野獣であり社会的常識を身に着けていなく、その暴力の振り方が好きではないこと。
主人公が近づき、結婚まで意識する娘(ロシータ・アレナス)の善良な甘美さと無垢さに魅了されたこと。
ラストシーンで主人公らが死に、情婦(カテイ・フラード)がその場を去る時に鶏が出現し情婦と見つめ合うが、鶏は私(ブニュエル)の持っている多くの幻想を形成するものであり、悪夢そのものである、こと。

ブルートとパロマの愛欲シーン

ブルートとあだ名される主人公(アルメンダリス)は強欲なボスに服従している。
ボスは所有するアパートの住民を立ち退かせようと主人公を屠殺場から手許に呼び寄せ住民のリーダーを襲わせる。リーダーは死ぬ。
下手人として住民らに追われた主人公は逃げ込んだ部屋で無垢な娘メチエに助けられる。
主人公はボスの妻パロマとも出来ており、パロマからボスを殺すよう迫られる。
主人公は一緒に住み始めたメチエを選び、ためにパロマから密告され殺される。

ストーリーは上記のように清と濁、富と貧困、正義と悪が混然となったカオスの世界を描く。
メキシコらしく、またブニュエルらしい世界である。
どちらかの価値観に誘導しようとしないところもいい。
ブニュエル自身の好き嫌いは画面に濃厚に出ているが。

終盤、ボスに反逆するブルート

開巻の屠殺場のシーンから強烈なブニュエルの世界が始まり、貧困を抉るような住民立ち退きを迫る富者の横暴な描写、凶暴な主人公と私欲丸出しの妖女の肉欲へと映画は展開してゆく。

主人公との初夜のシーンでストッキングを脱ぎベッドにもぐりこむメチエ役のロシータ・アレナス。
その若く無垢で善良な姿は「忘れられた人々」で盲目の乞食に牛乳で足を洗われる少女以来のブニュエル好みのキャラクターか。
ストッキングの場面については「ビリデイアナ」のシルビア・ピナルに、そして「小間使いの日記」のジャンヌ・モローへと受け継がれるブニュエルこだわりの場面の、これが出発点か。

淫乱とむさぼりの極致、パロマ役のカテイ・プラード。
女性の持つ二面性の一面だけを強調したキャラを存分に演じるプラードの、その「濃さ」も見どころ。

ラストでパルマと向き合う鶏も「忘れられた人々」以来の重要なブニュエル組の一員(一羽)。

シネマヴェーラのパンフより

「エル」 1952年  ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

インタビュー集「公開禁止令」でブニュエルは語る。
「主人公には何か私の分身がいる」と。
それは主人公の性格(他人から賛美されたい願望だったり、嫉妬深さ、他人から追求されると逆上したりする)に表されている。
主人公はまた大衆を見下し、彼らを抑圧したいとの願望も持ち、ブニュエルもそれに組する。

片や主人公は祖父の代からの富豪であり、慎み深く理性的な人間として社会から信用を得ている。
その本性が出現するのは特定の他者(この作品では妻)に対するときだけなのだ。

こういった性格はパラノイア(あるいはサイコパス?)と呼ばれるものだろう。
事実この作品はある精神病院で典型的なパラノイア症状の理解のために定期的に上映されていたとのことである。

「世界の映画作家7」ブニュエル自作を語るより

ただしこの作品の目的は、パラノイア症状の描写ではなく、主人公の願望の発露にある。
つまり、主人公にとってはパラノイアと分類される諸願望を発揮することが自己解放であり、それが己の偽らざる願望であるのだ。
自己を偽らず、ついには社会的(宗教的)信用を失う事態になってもなお、自己を貫く人間を描くことにあるのだ。

こう書くと立派な人間のように聞こえるが、主人公の願望とは、嫉妬だったり、他社からの賛美だったり、大衆の抑圧だったり、サデイズムだったりするから全く立派ではなく、限りなく卑近でひょっとしたら万人の心の奥底に潜む恥ずべきものだったりするところがブニュエル流といえる。

冒頭の協会での洗足シーン。敬虔な主人公が後ろに控える

主人公フランシスコがのちの妻グロリア(デリア・ガルセス)をその足の美しさから教会で見染め、略奪婚。
新婚旅行の日からパラノイアぶりを発揮し新妻を苦しめる。

教会の尖塔から落とそうとしたり、心が離れた妻の寝室にロープと針と糸をもって侵入するなどの行動をとった挙句、追いつめられたフランシスコは教会で神父に対し乱暴を働き、社会的に抹殺される。
精神病院を経て修道院で暮らすフランシスコだが、自分はずっと正気であったとつぶやく。

教会の尖塔で新妻を転落させようとして逃げられる

嫉妬に取り乱すフランシスコがテーブルの下でグロリアの脚を見た瞬間に発情する場面。
ロープなどの小道具をもってグロリアの寝室に侵入する場面。
ブニュエルの本領発揮だがユーモラスというよりは、ひたすら暗い。

心が離反した褄の寝室にロープなどをもって忍び込む

妻がパラノイアの相手に不条理に追い詰められるシチュエーションや、教会の尖塔から突き落とされんばかりの場面は、ヒッチコック映画のようだった。

ブニュエルは、自己に忠実なあまり滑稽としか見えない行動をユーモラスに描いたわけでも、ましてやスリラーを描いたのではない。
自己の内部に潜むパラノイア性とそれに忠実に自己を解放しようとする人間を割と真面目に描いたのであろう。

DVDで見ました

ヒロインのデリア・ガルセスは気品ある聖女的なキャラで、パラノイアである主人公の願望を受け止める。
全く受け身的なポジション。

ブニュエル映画のヒロインが、聖女的な外面と妖艶な内面を併せて発露するようになるのは、「ビリデイアナ」のシルビア・ピナル、「小間使いの日記」のジャンヌ・モロー、そして「昼顔」「哀しみのトリスターナ」の真打カトリーヌ・ドヌーブの登場を待たなければならない。

メキシコ時代のルイス・ブニュエル①

御盆に自宅に帰ると、猛暑の東京。
渋谷のシネマヴェーラでは、「スペイン・メキシコ時代のブニュエル」という特集上映をやっていました。

シネマヴェーラの特集パンフ

ルイス・ブニュエルはシュルレアリストとして「アンダルシアの犬」を作ったスペインの映画作家。
作品の内容の、反権威、反宗教的過激さから故国を追われ、ハリウッド経由でたどり着いたのが同じスペイン語圏のメキシコ。
1940年代後半から50年代にかけて、ブニュエルは10本以上の映画をメキシコで撮っている。

ブニュエル映画永遠のミューズ、カトリーヌ・ドヌーブ。聖と淫のアイコン

メキシコでは、シュルレアリストとしてではなく一映画人として、商業映画を撮ったブニュエルだが、そこはそれ。美男美女の職業俳優を使い、一般的な観客に受けれられる商業映画の枠組みを踏襲しながらも、彼らしい、彼ならではの作品が生まれていた。

今月はメキシコ時代のブニュエル作品をシネマヴェーラで5本、DVDで1本見ることができた。
まず初期の3本についてお届けしたい。

参考文献はキネマ旬報社刊「世界の映画作家7 ショトジット・ライ、ルイス・ブニュエル」とフィルムアート社刊「インタビュー ルイス・ブニュエル公開禁止令」。

キネマ旬報刊世界の映画作家7
フィルムアート社刊「ルイス・ブニュエル公開禁止令」

「のんき大将」 1949年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

キネ旬刊「世界の映画作家7」の「ブニュエル全自作を語る」によると「フェルナンド・ソレルの活躍する喜劇で、2週間で撮りあげてしまった。清潔な映画だが、面白味はない」とある。

一方「公開禁止令」ではインタビュアーとのやり取りが3ページにわたって記載されている。
この時期前作の「グランカジノ」を撮り終えてから仕事がなく、故国の母親からの仕送りで暮らしていたこと。
プロデユーサーの依頼でこの仕事をしたこと。
主演のフェルナンド・ソレルはメキシコ演劇界の重鎮的存在だったこと。
この作品撮影時のブニュエルの関心事は、己の感性をいかに作品に反映させるかではなく、モンタージュ、アングルなど劇映画撮影時の技術的習得にあったこと。

「のんき大将」フェルナンド・ソレル(右端)

作品は富豪の主人公(ソレル)が、世間知らずの娘や寄生する親戚夫婦に騙されたふりをしながら、一芝居うち彼らを立ち直らせ、娘を幸せな結婚に導くというストーリー。

人間の幸福は富にあるのではなく、真実にあるのだ。
というのが、ルネ・クレール映画のエスプリに満ちた皮肉を待つまでもなく、ハリウッド映画にも共通する鉄則であり、「のんき大将」もその鉄則を踏襲している。

その意味では1949年の段階でメキシコ映画は十分映画界の近代水準にマッチアップしており、またソレルを中心にした演技陣や、カメラ、セットなどのスタッフの技量も同様であることが確認できる。

娘とのちの結婚相手

最後の最後で、愛する娘の結婚式で司祭の愛の誓の確認に待ったをかけ、真実の愛を待つ青年のもとに娘を送り届ける主人公の姿に安心する観客の心理は、ハリウッド映画「ある夜の出来事」のラストシーンに喝采を送るのと同じ観客心理である。

ブニュエル本来の関心とは縁のない作品ではあるが、劇映画の習作として意味はあっただろうし、また当時のメキシコ映画界の高い(ハリウッド映画的基準を十分に意識しているという意味も含めて)レベルを知ることができる。

シネマヴェーラのパンフより

「スサーナ」 1950年  ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

「のんき大将」の後ブニュエルは「忘れられた人々」を撮っている。
メキシコの非行少年の実態をドキュメンタルに撮った衝撃作だ。
その写実性もさることながら、女性の脚、不具者、鶏、母性などなど、この後のブニュエル作品に必ず出てくるアイコンが網羅された記念碑的作品が「忘れられた人々」だった。

「忘れられた人々」の次作が「スサーナ」。
「世界の映画作家7」ではブニュエルが語る。
「ハッピーエンドの虚偽がはっきりした。これは私の最悪の映画である!」と。

左から農場主、牧童頭、スサーナ

「公開禁止令」では8ページを使ってインタビューしている。
スサーナを演じる主演女優ロシーナ・キンタナが製作者の妻であること。
制作者からの依頼仕事であるが、ブニュエルの即興によって撮られたシーンがいくつかあり、それは主にエロテイシズムを暗喩しまた強調するためのものだったこと。
スサーナが農場に現れる際のびしょ濡れの姿や、牧童頭に言い寄られて前掛けの卵が割れて太ももを伝わり落ちる場面などがそれにあたること。

スサーナと牧童頭をのぞき見する農場主の息子

少年院を脱走したスサーナが嵐の夜に農園にたどりつく。
彼女を憐れみ、彼女の話すうそを信じ、滞在を許す農園一家。
主人、息子、牧童頭の男どもはスサーナに誘惑され、翻弄される。
仲良かった農園一家が解体寸前になってスサーナは警察に連れ去られ、一家は悪夢から覚める。

金髪で白人めいた主演のロシーナ・キンタナはブニュエル映画のヒロインとしては類型的過ぎた。
目指す男を見つけると、ドレスの襟ぐりを胸元まで下げて出てゆくスサーナに苦も無くメロメロとなる男ども。
農園主相手にはスカートをめくって足を全開にするロシーナ・キンタナは、もう立派なブニュエル女優。

悪女がばれて農場主の妻に殴打されるスサーナ

悪女スサーナが退場し一家に平和が戻るのは商業映画としては平常運転。
しかしながら、仮にこの映画からハピーエンドをカットし、男どもを自死か他死かで退場させ、スサーナが最後に誇らしく自分の女性性に居直ったら、立派なブニュエル映画にならないか?

その意味では半分はブニュエルらしい映画なのだと思う。

スサーナがその凶暴な正体を現し、農場主の妻に対して鎌を振りかざした後、警察に引きずられて叫びながら退場するラストシーン。
私の幻影なのだろうが、引きずられるスサーナを俯瞰でとらえた5秒ほどのの間にびっくりする場面が出現した。
それは、部屋がまるで熱帯の植物園のように彩られ、あまつさえ引きずられるスサーナの右側、部屋の隅に、足を出した熱帯娘がスサーナの反対をむいてブランコに乗っているのである!

老眼が進んだ私の目に映ったそれは幻想なのだろうが、幻想だとしても、まさにハッピーエンドを嫌うブニュエルの面目躍如の演出のようにも、正体を現したスサーナへの賛美のようにも感じる自分がいた。

また、農園主を演じたフェルナンド・ソレル。
その風貌といい、女性に翻弄される役どころといい、後年のブニュエル映画の常連、フェルナンド・レイを思い出す。
別人とは思えないくらいだ。

シネマヴェーラのパンフより

「昇天峠」 1951年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

メキシコで商業映画を撮るようになったブニュエル6本目の作品。
メキシコの土着性あふる魅力的な作品が出来上がった。

主人公とリリア・プラドの夢想シーン。

「公開禁止令」によると、「愛なき女」という作品の方が先に撮られているようだ。
また、さらにひとつ前に「ドン・キンテイン」という作品があるようだ。
いずれも1951年の作品になる。

「昇天峠」についてブニュエルは次のように語っている。
主人公を誘惑する女を演じたリリア・プラドはルンバを踊る踊り子だった。
リリアに誘惑される主人公は母親と花屋を営んでいた若者。
脚本は要旨的なもので、即興も含めて演出はほとんどブニュエルのオリジナルによるものだった。
カンヌ映画祭の最優秀前衛映画賞を受賞した。

夢想シーンで主人公から、花嫁衣裳のまま川に投げ捨てられる貞淑な妻

田舎町に住む主人公は、瀕死の母親の頼みで、町の書記官を迎えにバスに乗る。
主人公は貞淑で親思いの女性と結婚したばかり、妻は義母の面倒を見るために残る。
主人公の乗ったバスには、なぜか主人公に迫りまくる酒場の女が乗っている。
バスは出発早々パンクし、川の増水で立ち往生し、葬式の棺が乗り込み、車内には羊が横行する。
最後は運転手の実家に立ち寄り宴会が始まる。
主人公は女に誘惑される・・・。

ブニュエル印のオンパレード。
義足の男、女の脚(バスが川で立ち往生すると乗客の女達はスカートをまくってバスを降り水浴を始める!)、羊、聖なる母(と、へその緒でつながっている主人公の夢のシーン)、貞淑な妻(を、川に投げ捨て酒場の女の誘惑に溺れる主人公の夢想シーン)。

無邪気に主人公に迫りまくるリリア・プラドの若く、野生的で、土着的な美しさ。

バスが川の増水でストップ、さっそく水浴びの準備をするリリア・プラド

すべては夢のようなメキシコの田舎のゆったりムードの中で展開し、どこまでが現実なのかわからない。
何かあると、楽隊が登場して宴会が始まったり、羊が主人公の体の上を歩いて行ったり、酒場の女が迫ってきたりするのだから・・・。

メキシコの貴重な50年代の田舎の風景と空気感。
それにブニュエルの幻想がぴったりマッチして夢を見るような映画に仕上がった。

シネマヴェーラのパンフより

嵐、来たり去る 孫一家との一週間

8月上旬の一週間、孫一家が山小舎に滞在してゆきました。

山小舎を好んでくれる孫姉妹は、まずは妹が自動車の乗り物に乗って遊びます。

自動車で遊ぶ

高原でも暑い日が続きます。
地元の依田窪プールへ行ってみました。
足の裏が焦げるほどの日差し。
流れるプールやウオータースライダーで遊びました。
ほどほどの混み方で、地元のプールは子供達には天国です。

依田窪プールのスライダー

ある日、塩尻で開かれている木工のワークショップへ行ってみました。
塩尻の中心部にある図書館などが入っている公共施設、その3階で2日間にわたりワークショップが開かれていました。
県内各地のショップや役所の森林課などが木材をテーマに出店しています。
材料費などを払うと、ペーパーナイフや木工製品などを手作りすることができます。
子供たちは大喜びで1日遊びました。

塩尻の木育フェステイバル会場にて
木工でアクセサリー造り

毎日、日記を欠かさない、小学校3年生の孫です。

毎晩日記を欠かさない

この日は、女神湖から長門牧場方面へ。
女神湖へはこれまで来たことがありませんでした。
景色がきれいで、湖畔のセンターの食堂で蓼科ビーフバーガーを食べることができました。

女神湖ほとり

長門牧場は孫たちにもお馴染みの場所。
ソフトクリームを食べ、羊に餌をやって遊びます。
日差しがきつくて大人はグッタリでした。

仲良し姉妹

釣り堀にもゆきました。
人数分の魚が釣れるまで頑張りました。
ヤマメとニジマスが釣れました。
帰ってから魚のワタを取り焼いて食べました。

姫木の釣り堀にて
ニジマスのワタを取る

孫たちの父親が合流した日は、外でバーベキューをしました。
花火もしました。

山小舎前でのバーベキュー

疲れましたが内容の濃い夏休みでした。

ネクタリンの季節

さあ、夏の果物が最盛期になってきました。

近隣の直売所の棚を見るまでもなく、プルーン、ブルーベリー、スモモ、桃、ワッサー、ネクタリンなどが花盛りです。

この時期の果物にネクタリンがあります。
皮に毛のない桃のような形状。
つやのある赤い表皮が盛りをアピールしています。
この時期になると食べたくなります。

大粒の完熟ネクタリン

桃の変種とのことで、長野県が全国の70%を生産しているとか。

直売所でひと箱買ってきました。
大型の完熟が8個くらい入って1200円でした。

御盆にやってくる娘一家のデザート用に、と思いましたが、生食用には多すぎます。
ほかにプルーンやワッサーなども食べさせたいし。
また、熟しが進んでいるようなので硬めの2個を残し、ジャムにすることにしました。

皮と一緒に煮込みます。
実が柔らかい割には煮崩れがしません。

ジャムにするとカサが減ります。
風味とともに信州の夏を閉じ込めます。

今年はあんずから始まって、プルーン、ブルーベリー、スモモ、桃と季節の果実の加工が順調です。

独特の色合いに仕上がりました

チェーンソー始動!

今年もチェーンソーが始動しました。

運ばれてきた雑木の丸太。
手が空き次第、玉切りして、薪割りして、乾燥台に載せておかなければなりません。

草苅バイトがあり、畑が忙しいこの時期、なかなかその時間が採れませんでした。

連日の強烈な夏の日差しに心が折れ、予定の畑仕事に出かけるのを午後過ぎにしようと思っていたある日、少しでも玉切りをしておこうとチェーンソーを始動させました。

今年もチェーンソーの出番

チェーンソーの稼働音は案外やかましいので、土日と昼の1時間、早朝夕方はしないようにしており、それ以外の空き時間は貴重だったこともあります。

玉切りのために新しい、ソウチェーン(刃)を用意しており、その試運転のタイミングでもありました。
刃を付け替え、エンジンを始動させます。
今年も変わらぬエンジン音。
頼もしいチェーンソーです。

購入した替え刃に付け替える

刃が切れると仕事がはかどります。
はかどると仕事が楽しくなります。
昼休みを挟んで、2クールの玉切りをしました。
オイルと混合燃料満タンを2回分の稼働です。

この日の玉切りを終える

小規模とはいえ丸太の山での仕事、チェーンソーでの仕事には十分な注意が必要です。
疲れてまでする仕事ではありません。
足元が不如意になりつつある山小舎おじさんではなおさらです。

この日の玉切を終え、滴る汗をぬぐい、長靴にたまったおがくずを払いながら今シーズンの薪仕事の無事を祈りました。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル③ 40年代ジーン・ケリーとフランク・シナトラ

MGMミュージカルシリーズの第三弾です。
50年代に絶頂期を迎えるMGMミュージカルが、盛隆を誇った40年代。
今に残る名作群が生まれています。

戦中から戦後の時代、アメリカの明るさ、豊かさが爆発しそうな時代。
ブロードウエイの舞台出身のジーン・ケリーと、イタリア移民の子孫で楽団コーラス上がりのフランク・シナトラがMGMのスクリーンで共演していました。

「錨を上げて」 1945年  ジョージ・シドニー監督  MGM

製作はジョン・パスターナク。
クレジットはシナトラ、キャスリン・グレイン、ジーン・ケリーが1枚の画面に上から順で。

製作がアーサー・フリードではないせいか、全体に地味な作りの印象。
地味というのは、レビューシーンに美人ダンサーがずらりと出てくるような場面がないこと、色っぽくなまめかしい色付けがなく、むしろ男の子とその叔母さんを出すなどアットホームな場面を強調していること。

フリード製作ならば子供は女の子だったろうし、豪華絢爛のレビューシーンでは腕によりをかけた美人たちをギラギラにデコレーションして総動員したであろうから。

若いシナトラがケリーの踊りについてゆく

サンデイエゴに停泊する航空母艦上での「錨を上げて」のマーチングで始まるこの作品。
4日間の休暇をもらった水兵たちがハリウッドで体験する心温まる物語。

奥手でぎこちない水兵を演ずるシナトラと、その保護者よろしく万事やり手の水兵を演ずるジーン・ケリーのコンビ。
8か月ぶりの休暇を酒池肉林で過ごすのではなく、子供の夢をはぐくみ、それぞれ運命の相手に巡り合うというハリウッドストーリー。

劇中アニメのジェリーと踊るジーン・ケリー

シナトラが出合う運命の相手は、ブルックリン出身のウエイトレス。
移民のるつぼニューヨーク・ブルックリンの出身者同士の無理のない交際が、移民出身のシナトラには良く似合う。
若いシナトラは細身の体をしならせて、精一杯の踊りでケリーについてゆく。

ジーン・ケリーの相手に収まるのは、ソプラノ歌手としてMGM入りしたというキャスリン・グレイン。
黒髪豊かなラテン風の容貌で、メキシコレストランで歌ったりする。

この映画、ヒロインが二人とも移民系のキャラクター。
金髪美人がレビューシーンで媚を売りまくるようなミュージカルに比べると、毛色が変わってはいないか。

ジーン・ケリーが達者な演技で、シナトラの面倒を見続けるという、男の友情の物語であることもこの作品のカラーとなっている。

「踊る大紐育」 1949年 ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン監督  MGM

主演のケリーと振付師出身のスタンリー・ドーネンの共同監督。
製作は、まってました!アーサー・フリード。

コンセプトは「錨を上げて」同様の水兵の休暇の物語。
期間を24時間と短縮したせいもあろうか、テンポよく、まとまりよく出来上がっている。

休暇でニューヨークに上陸した3人。まずは歌で喜びを表現

今回の水兵チームは、シナトラ、ケリーにジュールス・マンシンの3人組。
ニューヨークで次々と巡り合うお相手が、ベテイ・ギャレット、ヴェラ=エレン、アン・ミラー。

女タクシードライバー(ギャレット)がシナトラに一目ぼれして迫りまくったり、博物学者(ミラー)が原始人に似ているマンシンに興味をしめしたリ。
出会いの場面は唐突でぶっ飛んでいるが無駄がない展開。

ヴェラ=エレンの若々しいスポーテイなダンスシーンもグッド。
アン・ミラーがタップダンスが特別にうまく、独特の色っぽい雰囲気も「イースターパレード」でお馴染み。

男の友情を基本線にしているのは「錨を上げて」同様だが、前作よりその色合いは薄い。
その分女性陣のパフォーマンスが前面に出ており、ホームドラマではなくコメデイとなっている。
彼らがさ迷う夜のクラブの場面では(待ってました!)派手なダンサーたちが次々登場し夜のムードも色濃く描かれる。

エンパイアーステートビルで、右からヴェラ=エレン、一人置いてアン・ミラー

ジーン・ケリーがやり手で達者なキャラ、シナトラが不器用で奥手なキャラなことは「錨を上げて」を踏襲。
育ちは悪いが歌が上手いあんちゃん、というこの時期のシナトラの存在感がわかる。

「私を野球に連れてって」 1949年 バスピー・バークレイ監督  MGM

大リーグの試合は7回の攻撃前になると球場に「私を野球に連れてって」の曲が流れる。
その曲をモチーフにした映画である。
製作はアーサー・フリード。

監督は振付師としてブロードウエイから招かれ一世を風靡したバスビ-・バークレイ。
バークレイはその名前が〈凝った作りのミュージカルナンバー〉という意味の一般名詞として辞書に載る有名人。

〈バズの暴力志向と、女性に対する倒錯的な態度は(彼が振り付ける)ダンスナンバーにもはっきりと表れている〉とは、ケネス・アンガーによる「ハリウッド・バビロンⅡ」でのバークレイの人物評。

幾多の女優を紹介、抜擢し、私生活では3人死亡の自動車事故を無罪で切り抜けたりもしたバークレイ。
ハリウッドに来てからは一般映画の演出もこなしたが、この作品が監督としての最終作になった。

ミッキー・ルーニーに振り付けするバズビー・バークレイ(左)

またもや主演はシナトラとケリー。
今度は野球選手の役。
シーズンオフには二人して旅劇団で歌って踊る、というおまけつき。

開巻の二人の舞台「私を野球に連れてって」の歌と踊りでかっさらい、あとは怒涛の展開だ。

球団の新オーナーとしてキャンプ地にやってきたのは若い美人のエスター・ウイリアムス。
エスターは水泳選手から水中レビューをしていたところをスカウトされてMGM入り。
本作では、なぜかは知らぬがキャンプ地から遠征先まで、ずーっつと球団について回り、監督にも口を出す球団のオーナー役。

ホテルの夜のプールで、エスターが黄金色の水着で泳ぐシーンの夢のような美しさ。
その動きの良さと、長身のスタイル、可愛げのある顔立ちは一瞬にしてみるものの心をつかむ。

野球のシーズンオフに芸に精を出す二人

同じように心をつかまれた球団のスター遊撃手・ケリーが彼女を追いかける。
片やぶきっちょで奥手なシナトラには「踊る大紐育」でシナトラに迫りまくった達者な女優ベテイ・ギャレットが再び登場して名コンビよろしくカップリング。

エスターのキャラが明るいので昼のムードに覆われた家庭向きの作品となっている。

ぶっ飛んだギャグが連発される中、ケリーが口八丁手八丁のやり手のキャラ、シナトラが不器用で奥手のキャラを演じるのは、今回の3作品に共通していた。
作品を貫く能天気なムードは東宝の「若大将シリーズ」をちょっと思い出したりして。

かんぴょう干し

山小舎おじさんの畑では夕顔の実がぶら下がっています。
一つ収穫してきました。
例年なら冬瓜代わりに煮て食べるか、それともズッキーニ代わりに炒めるか。

今年は新規開拓でかんぴょうにしてみようと思いました。

ネットで調べます。
1センチ幅に輪切りして皮を厚めに剥き、中身を桂剥きにしていました。

早速、巨大夕顔に立ち向かうことにします。

夕顔、今年の一番果

1センチ幅の輪切り。
これは問題なくできます。

1センチ幅に輪切り

皮を厚めに剥く。
これもできました。

皮を厚めに剥く

中味の桂剥き。
これが難しい。

夕顔の輪切りというのは、芯がふわふわなので、大根と異なり、1センチ幅の輪切りにはそもそも強度がないのです。
桂剥きしようにも非常にやりずらい!
仕方なく厚めに桂剥きするのですが、それでもぼつぼつに切れてしまう。
ピラーでやってみましたが、輪切りそのものに強度がないうえに、手元のピラーでは薄くなりすぎてしまいます。

桂剥きの成果?
残った芯の部分はやむなく廃棄

ぼつぼつでもいいから、と作業を続行。
大きな夕顔からは少なすぎるかんぴょう素材が採れました。

ネットの通りに一晩冷蔵庫で乾燥。
翌日天日干しにしました。

果たしてどうなるやら。

天日干し。辛うじてぶら下げられる部分
天日干し。ブツブツに切れた部分

薪の乾燥台再生

令和5年も8月になりました。
お盆過ぎには秋風が吹き始めるであろう山小舎です。
既にトンボが飛び始めています。

7月に乾燥済みの薪をベランダに移動しておきました。
空いた場所に新たに乾燥台を設置しました。

乾燥台を設置する前の状況

基本的には乾燥台は例年同じ場所に設置します。
風通しがよく、日当たりの良い場所です(比較的)。

土台は高さ15センチ以上高くします。
台とするパレットを水平に設置するのはもちろん、パレットを支える土台がしっかりしており、強度があることも必要となります。

土台には大きめの石、ブロック、大きめの柱材などを使います。
スコップで掘るなどして土台を安定させます。
土台とパレットの間には鉄材、角材などを用います。

目見当での作業なので、土台にパレットを乗せてみて、ぐらぐらしたり、水平が取れていなかったりします。
その場合は平べったい石などを挟んで調整します。

崖側の土台の強度には十分注意します。
崖側が心持高くなっているくらいでOKです。

土台を組みなおし、3枚ほど設置

今回は去年の土台より一段高くしました。
廃品の鉄材やベッドの部品なども利用して土台を作りました。

パレット4枚を設置完了

5枚ほどのパレットを敷きました。
うち2枚はJA茅野の廃品をもらってきたもので、重さのある良品です。

端っこにベッドの部品を土台に5枚目を設置

出来上がった乾燥台。
水平取りは厳密ではありませんが、薪の積み方で調整することにしましょう。
全体的に強度は十分だと思います。

一番端っこのパレットの土台のバランスには不安がありますが、乗せる薪の重さで調整しましょう。

新規の乾燥台設置完了

次回の作業は、空き地の丸太の玉切りと、薪割りです。