ジョン・フォードといえば西部劇を中心に、戦前のサイレント時代から1960年代まで140本を超える映画を撮った名監督。
今回はその代表作といえる3作品を見た。
そこには同時代に活躍した名監督ハワード・ホークスと同様に、男の世界が描かれていた。
ホークスのタッチと異なるのは、男同士の友情がウエットに描かれていること、男を受け止める女性達が控えめで芯が強く描かれていること。
無理やり東映映画に例えれば、ホークスが乾いたタッチの実録映画だとしたら、フォードはウエットな任侠映画なのではないだろうか。
「駅馬車」 1939年 ジョン・フォード監督 ユナイト
プロデユーサーはウオルター・ウエンジャー。
ハリウッドきってのインテリプロデューサーといわれ、「暗黒街の弾痕」(1937年フリッツ・ラング監督)、「海外特派員」(1940年アルフレッド・ヒッチコック監督)などを製作した。
ウエンジャーの制作と聞けば、なるほど「駅馬車」は時代を先取りした実験的な作品に見えてくる。
映画の作りは大まかな舞台を、駅馬車内部と、宿泊地に限定。
駅馬車自体が移動しているのでスピード感も出てくる。
登場人物はほぼ駅場車の乗客に限られ、キャラクターを掘り下げやすくなる。
余計な舞台設定と人物はカットされ、観客は物語に集中できる。
実験的というのは、駅馬車が進むにせよ取って返すにせよ、乗客全員に意見を諮る、という民主的な姿勢が貫かれていること。
アメリカの支配層であるワスプ系の価値観の押し付けがない。(ユダヤ系インテリプロデユーサー・ウエンジャーの意向か?)
そして登場人物の平等で、下から目線的な描き方にもこの映画の特徴がみられる。
別の町へ流れる酒場女(クレア・トレバー)や、いかさま賭博師(ジョン・キャラダイン)、酔いどれ医者(トーマス・ミッチェル)、あげくに脱獄囚・リンゴキッド(ジョン・ウエイン)など見かけは最悪のメンバー。
ところが前途の危機に際し、またインデイアン襲撃の緊急時に際し、彼らの真価が発揮される。
すなわち、人情味にあふれ、責任感と勇気にあふれ、差別しない人たちが登場人物ということがわかる。
映画の隠れたテーマが民主主義とその前提としての人々の健全な常識と責任感をたたえることだということがわかる。
ジョン・ウエインが若く、のちにその存在イコール正義、といったものになっておらず、彼の存在が映画の邪魔をしていないところもいい。
アパッチの襲撃シーンがハイライト。
全力疾走の6頭立ての駅馬車。
アパッチは疾走する馬上からライフルで射撃する。
全力疾走する馬から駅馬車を引く馬に飛び乗る。
撃たれたら前のめりに馬ごとぶっ倒れる。
リンゴキッドは外れそうな馬車馬を御するため、駅馬車の運転台から馬を伝って先頭の馬まで飛び移る。
コマ落としによるスピード感アップがあるとはいえ、「ベンハー」の戦車競走シーンに並ぶ名シーンだと思う。
撮影技術の向上があるとはいえ、今では到底実写で再現はできないだろう。
酒場女役のクレア・トレバーもいい。
リンゴキッドの直截的で武骨なプロポーズを一度は受け入れ、我に返って逡巡し、別れを告げる。
このあたりの、数度夢破れた生活感のある、内実はしっかりした女性像をこれ以上なく表現している。
クレアのクレジットの順番はトップ(ジョン・ウエインは2番目)。
当時の女優としての評価がうかがえる。
「荒野の決闘」 1946年 ジョン・フォード監督 20世紀FOX
ワイアット・アープ、ドク・ホリデイ、OK牧場の悪漢一味といった西部劇の18番がそろった名作。
悪漢一味への復讐のために町の保安官になったアープが、ドク・ホリデイと出会い、ホリデイを追って東部からやってきたクレメンタインに淡い恋をし、決闘で悪漢一味を退治し、もとの牛追いに戻ってゆくまでの物語。
アープとドクの緊張感あふれる出会い。
かつての優秀な医者から身を持ち崩し、結核に身を冒されるドクホリデイの苦渋。
ぶきっちょなアープがクレメンタインと教会のミサへ向かい踊る淡い恋、と名場面が続く。
山小舎おじさん的には、ヘンリー・フォンダのワイアット・アープの描き方が作られすぎに見えた。
ゆっくり歩き、長い脚を机や柱にもたれかけて座るのもいいが、弟の仇のクラントン一家が同じ町にいるのに緊張感がなさすぎ。
クレメンタインとの関係もプラトニックなのはいいが、フォンダが盛んにおめかしするのは見苦しい。
また、アープとドクが出合う酒場のシーン。
打ち解けて仲間になるのはいいのだが、そのきっかけがわかりずらかった。
先に拳銃抜いたドクが、お前も抜けというとアープが丸腰のベルトを見せる。
そのユーモアというか人間性で分かり合えたということか?
女性陣はクレメンタイン(キャシー・ダウンズ)とドクの情婦のインデイアン女(リンダ・ダーネル)。
どちらも生活感なく、定型的なキャラクターに見える。
リンダ・ダーネルのエキゾチックで鉄火な魅力は見ごたえあったが。
20世紀FOXのラストタイクーン、ダリル・F・ザナックの総指揮。
例によって総ラッシュ版の後に、ザナック指示によるシーンの削除、追加、撮りなおしがあり、ラストシーンのクレメンタインへのキスも、フォードではない監督による追加撮影だという。
この作品が名場面の連続ながら、人物描写が定型的に見えたのは、「感受性のない」(ジャン・ルノワールによるザナック評)総指揮者の干渉のせいなのか。
「幌馬車」 1950年 ジョン・フォード監督 RKO
騎兵隊三部作を撮り終えたジョン・フォードが自身の原作を自身でプロデユース。
RKOでのびのびと撮った作品。
ベン・ジョンソンとハリー・ケリー・ジュニアにワード・ボンドが主演。
ヒロインはジョーン・ドルー。
彼らは「黄色いリボン」にも出演しており、そのままフォード組に残留したか?
ほぼロケーション撮影。
モルモン教徒の一団60人が幌馬車隊を作り、西部の移住地を目指して進む。
馬を売りに来た若者二人を道案内に雇う。
インチキ薬売りと芸人の一団を拾い、威嚇してきたインデアンとは和解。
乾きに堪え、山を削って道を作って進む。
ケガをしたお尋ね者一味をも拾ってやるが案の定裏切られる。
力を合わせて窮地を脱し、若者二人は拳銃を投げ捨て、思う娘らとカップリングしてエンド。
のどかな牛追いの歌で幕を開け、ピリピリとしたムードは一切なく映画は進む。
若い主演二人はガンマンではなく平和主義者。
途中で拾う、インチキ医者と踊り子2人への温かい目線は「荒野の決闘」でも見られたフォード一流のもの。
丘を駆け降りてきたナバホ族に、「白人は大泥棒だが、モルモンは違う」と言わせ平和裏に解決。
夜はナバホのキャンプに招待さえされる。
これがフォードの望む理想の西部か。
ジョンソンは踊り子(ジョーン・ドルー)に武骨にプロポーズ(「駅馬車」のジョン・ウエインと全く同じ)。
素直に受けない踊り子は一度別れる。
この二人の関係も「駅馬車」と同様のフォードスタイル。
宗教的少数者、芸人などの底辺者、先住民インディアン、への偏見のなさ、暴力否定。
これらもジョン・フォードの本来のスタイルか。
ベン・ジョンソンとハリー・ケリー・ジュニア、そして一団を率いるワード・ボンド。
この三人、西部の男として、リンゴキッドやワイアット・アープより、より男らしい。
彼らが主人公の「幌馬車」は映画としてより優れていると思う。
若者二人が一度は断った道案内を受けて幌馬車隊に同行を決めるシーンがよくわからなかった。
「荒野の決闘」でアープとドクが意気投合するシーン同様、フォード映画での行動の転換は、理屈ではなく、西部の男同士の阿吽の呼吸によるものということなのか。