12月の山小舎

令和2年も師走になりました。

山小舎周辺では先月末から雪が降り始めました。

寒い日はストーブをガンガン焚いてやっと部屋が温まります。

朝と、外出から帰った後は灯油ストーブの力を借ります。

そういった気温の朝は、屋根や積んだ薪の上が白くなっています。
日が当たるまで雪は残ります。

薪割フィールドは白くなっていたある朝
雑木林の地面もうっすら積雪

日が当たっている間はいいのですが、日が陰ると野外での活動はしんどくなります。
動いている間はまだしも、止まって行う作業は日中の晴れの日に限られます。
最も冬の間は晴天が続き、雨や雪の日が少ないですが。

冬らしい晴天に恵まれたある朝

来年の3月いっぱいはこういった気候が続きます。

標高700メートルの畑にも雪が降った

ガッテン農法 ネジネジ実習会

山小舎おじさんが実践しようとしているガッテン農法。

とりあえず農法通りの畝づくりを実践中だが、ガッテン農法と切っても切れないのが「ネジネジ」。
稲わらをねじり、ススキの茎に巻き付けたりして作る、「ネジネジ」を土壌改良などに役立てようとする試み。
ガッテン農法をまとめた三浦伸章さんが2年ほど前に到達した「境地」だそう。

11月に茅野で行われたガッテン農法の講習会でも、ネジネジに関しては、三浦さんによるデモンストレーションと、参加者による簡単な実習があった。

「ネジネジ」を乗せると重いバケツの軽くなり、土中に埋めると土壌が団粒化し、雑草も抜きやすくなる、という触れ込み・・・。

体験すると、気のせいかもしれないが、石が詰まったバケツも軽くなるような感じだし、今後の畑作業を考えると、神頼みであっても、野菜の品質、収穫量の向上と、作業の省力化は推進したいのが、山小舎おじさんとしての本音。

そういうわけで、12月初旬に行われたネジネジ実習会にも参加。
この度の講師は三浦さんではなくて、富士見町在住の農園主のNさん。
自身の農園主宰7年目で、ガッテン農法、ネジネジの実践者だ。

開催時間ギリギリに慌てて会場の茅野市の民家へ行くと、講師のNさんと民家の主が楽しそうに稲わらを梳いており、良い意味で拍子抜け。
蓼科山に見守られるあたりのゆったりとした雰囲気そのままの、リラックスした実習会となった。

会場の民家の縁側にはかりんが干されていました

稲わらをねじって丸める簡易スタイルのネジネジ作りから、ススキにねじった稲わらを巻き、畑に埋めるための本式のネジネジ作りまでを実習。
他の参加者は、一人を除き全員女性。
こういった感性の鋭さ、柔軟さは女性の方が・・・と思わざるを得ない。

講師のNさんによるネジネジ実習会
Nさんのデモンストレーションを見守る参加者

1回の実習でネジネジ作りが身に着いたとはとても思えないし、ましてはその原理など想像もつかないが、結果に貢献してくれればそれで充分。
費用がほとんどかからないのもいい。
来年の畑に期待し、ネジネジを試してみようとする山小舎おじさんでした。

会場を貸していただいた家主の玄関先には本が

浅間山、山麓に行ってみた

令和2年、12月になったある日、急に思い立って浅間山を見に行ってきた。

ひとつ山越しゃ、見える景色が一変する信州。
地域地域で仰ぐ山々も変わってくる。

茅野から見えるのが八ヶ岳連峰、松本からは北アルプスが地元を見守る山、というか地域のシンボル的な存在だとすれば、上田、佐久地方にとっては浅間連峰が、同様な存在なのではないか。

佐久地方から遠望する浅間山の秀峰

ということで、空気も澄み、仰ぐお山の姿も鮮烈なこの頃、佐久地方の母なる山、浅間山に近づきたくて軽トラを走らせた。

地図を見ると、小諸から山麓までのルートがある。

あたりは上信越高原国立公園エリアだ

10月に孫たちとリンゴ狩りをした小諸のリンゴ園の脇を通り、浅間山麓へと登ってゆく。

峠への道を登ってゆく

シーズンオフ、曇天、行きどまりのルート(冬季間、群馬へ抜ける道、湯ノ丸港高原へ抜ける林道は閉鎖)。
通行量はほとんどない。

浅間山登山口への分岐点を過ぎる

浅間山の山頂も雲がかかっている。

雲がかかった浅間山山頂

けっこうな傾斜のルートを登りきると、群馬との県境の車坂峠に到着。
下山してきた登山者もいるにはいたが、肌寒い気温と霧。
単独行の高齢登山者一人のほか、あたりに人影はない。
浅間山一帯が完全なシーズンオフであることを物語っている。

登山者への警告
峠から見た浅間山山頂

湯の丸高原への林道が閉鎖されているので、元来た道を引き返す。
とりあえず浅間山に近づけたドライブだった。

中山道シリーズ第五弾 芦田宿と茂田井間宿

今回、中山道二十六次・芦田宿と、その江戸よりにある茂田井間宿を訪ねた。

芦田宿

白樺湖から、県道40号線を使い、雨境峠を越えて下ってゆくと立科町の中心部に着く。
旧甲州街道との交差点を左折すると、中山道芦田宿だ。

長和宿と望月宿の間にあり、諏訪に向かって笠取峠のふもとに位置する宿場だ。

旧甲州街道・芦田宿

全国的に有名な場所でもなく、山小舎おじさんもあまり来たことがない。
通過するには旧中山道ではなく、新道を使うことが多いので通過することもほぼない。

本陣跡の門構え
現役で営業中の旅館

現役の旅館や、現役の醤油屋、本陣跡などを表面から見て歩き、町の中心部と思しきエリアに建つ「ふるさと交流館」に入ってみた。

ふるさと交流館に入ってみた

最初はいぶかしげに対応してくれた女性職員。
館内にはリモートワーク風にパソコンに向かう利用者、井戸端会議風に情報交換する利用者が三々五々。
平時のこともあり、全員女性だ。

来館の意図を伝えると、職員さんは地域紹介のパンフをくれたり、現役旅館のマッチをくれたり、付近の直売所の情報交換に応じてくれたりした。
部外者には戸惑ったものの、相手の意図を理解するとフレンドリーに対応してくれた職員さんに感謝。
館内に展示されている、東山道、東海道、地元の名士などの資料を見せてもらう。

この芦田宿には、立科町の役場がある。
昔からの街の中心地なのだが、車の流れ、商圏は完全に中山道の新道沿線に移っている。

町の中心部とバス停

ひっそりと時を刻む芦田宿の現在。
真新しい白壁の古民家が軒を連ねる歴史遺産的なエリアでもなければ、古民家が一掃され、宿場の香りが残っていない町に変貌していることもない。
無理なく自然な感じが好ましかった。

茂田井間宿

芦田宿から望月宿(江戸方面)へ歩いてすぐの場所に茂田井間宿がある。
間宿というのは、幕府が定めた正式な宿場ではなく、その中間にあり、宿場で賄いきれない客などをさばくための場所だという。
したがって本陣などはなく、殿様はあくまで正式な宿場の本陣に泊り、家来が泊まるのだという。

旧中山道。茂田井間宿には古い町並みが残っている

ここには造り酒屋が2軒残っており、その白壁が目を引く。
酒屋の一つ大澤酒造が民族資料館を併設しているので入ってみる。

大澤酒造の門構え、敷地内に資料館がある

声をかけると50代くらいの当主が出てきて、二階にある資料館の電気をつけてくれる。
びっくりしたのが鎧兜の展示。
かつての当主が殿様より賜ったものという。
宿場の住民で会っても名主を務めるような存在ならば、名字帯刀を許されたのだ。
名のある街道筋で歴史を刻んだ旧家の重みを感じることができる空間だった。

資料館の中央には鎧兜があたりを睥睨する
名主としての歴史を感じさせる展示物

入場料代わりに酒蔵の新酒を1本購入。

大澤酒造大吉野新酒を購入

通りがかりに見えた諏訪神社。
柱を組んだような本堂脇の外観が珍しくて寄ってみる。
かつての名工が刻んだ彫刻を保護するために柱で囲んでいるようだった。

集落にある諏訪神社
左の骨組みの中に名工の彫刻が保存されている

軽トラを駐車したのはかつての集落の中心地。
村立の学校から後に公民館として使われたという木造の愛すべき建物の前の広い駐車場。
バスが展開するというその場所は、今ではJAも閉店し、ひたすら無聊の時を刻んでいるようだった。

村立学校だった建物
柿の実越しに遠望する浅間連峰

ガッテン農法畝づくりの実践 その3

ガッテン農法にはまっています。
畑に行くたびに畝を掘り、資材を投入して畝立てをしています。
今回はガッテン農法の畝づくりに必要な資材の調達についてレポートします。

枯れすすきを調達

ガッテン農法で大量に必要なのがススキ。
今はススキがシーズンではあるのですが、いかに田舎暮らしの山小舎おじさんといえども、大量のススキを調達するのはひと手間です。

7メートルほどの畝を立てる場合、ススキが一抱え程は必要になります。
数株から10株ほど固まって生えているススキを5回ほど刈って、一抱え程になります。

大門街道沿いのススキの群落。茎の堅い立派なススキが採れる

山小舎から畑の間でススキの群落を探します。
道から近く、軽トラが駐車できる場所、明らかな敷地内ではないこと、が条件です。
ススキは道端にいくらでも生えてはいますが、条件に合う群落となるとそうはありません。

別荘地近くの空き地のススキ。細い茎だが大量にとれる

が、やはり山道。
人に迷惑が掛からないで刈れる場所はあります。

目星をつけた場所で、刃の付いた鎌で刈ってゆきます。
思わず、「俺は河原の枯れすすき・・・」のメロデイ-を心で口ずさみます。

紐で縛って軽トラに積み込みます。
紐で縛らないと走っているうちに風圧で飛んで行ってしまいます。

一抱えを縛って運ぶ。これで1畝とちょっとの量

落ち葉を調達

ガッテン農法では落ち葉も使います。
山小屋周辺に、ミズナラの落ち葉なら無限にあります。
が畑に持ってゆく荷姿に落ち葉を整えるのは、これもひと手間です。

熊手で落ち葉を集め米袋に詰める

熊手で集めて米袋に詰めますが、乾いた落ち葉は軽いものの、まとめるのが大変なので、霜や雨で湿った時を狙います。
7メートルの畝で1から2袋分の落ち葉が必要になります。

燻炭を調達

ガッテン農法の畝づくりでは燻炭を使います。
これは、もみ殻を焼いて自作します。

山小舎付属の炉です。
廃材から生ごみまで何でも燃やします。
これで燻炭を焼いています。

普段はごみ焚きに活躍する炉

まず、炉の中の灰や燃えカスを取り除きます。
種火をおこします。
燃えやすい端材などを使います。
簡単に消えてはまずいので、しっかり火をおこします。

種火はしっかりとまんべんなく燃やす

炉の空気取り入れ口を閉じます。
蒸し焼きにするので、空気が入れば完全燃焼し、灰になってしまいます。
もみ殻の灰はそれで利用価値があるのですが、今回の目的は燻炭化です。

自作の金属板も使って空気取り利口を封鎖

煙突を立てて、その周りにもみ殻を投入します。
しばらく、煙突から盛んに煙が出ます、炎が出るときもあります。

煙突の周りのもみ殻が焦げてゆきます。
燃え具合を見て、もみ殻を混ぜたり、煙突を外したりしながら炭化を待ちます。

翌朝にはもみ殻燻炭が出来上がっています。

種火の上に煙突を立て・・・
煙突が倒れないようにしながらもみ殻を入れてゆく
もみ殻は盛れるだけ盛っておく
翌日に焼きあがった燻炭。少々ごま塩だが・・・

地元パワースポット訪問記VOL.15 日本アルプス総鎮守・穂高神社

気になっていた穂高神社へ行った。

ガイドブックには「信州屈指のパワースポット」と、凛と輝く社屋の写真とともに紹介される穂高神社。
是非いかなきゃ!

穂高神社があるのは安曇野市。
山小舎から行くには諏訪側へ峠を越え、北上しなければならない。
しかも交通量が集中する松本周辺を抜けなければならない。

うーん、混むのは嫌だなあ。
そこで、諏訪側に出て国道20号から19号に入った後、アルプス側に迂回北上し、松本を避ける形で安曇野を目指すことにした。

国道19号線沿いの塩尻から山沿いの山形村へと迂回する。
通称「サラダ街道」と呼ばれている県道25号線を進む。

周辺はバラエテイに富んだ畑作地帯。
いろんな作物が植えられていて観ていて楽しい風景。
リンゴの収穫は終わっていた。

上高地から流れてきた梓川を越える

安曇野市に入ったあたりで、山裾の道から大糸線沿いのメインルート、国道147号線に下りた。

安曇野市の中心部で、大糸線の豊科駅があるエリアは、長野自動車道の安曇野インターにも近く、地元商店街のほか、郊外型チェーン店も並んでおり、交通量も多かった。
北アルプスが雪を湛えた姿を見せている。

安曇野から望む北アルプス
安曇野市豊科地区の商店街

かつては「壁」として日本列島を東西に隔てていた日本アルプス。
その東側は「毛人」の住む場所といわれていた。
朝廷が京都にあった時代の一方的な歴史観だが、なるほど遠望される北アルプスは、近寄りがたくも決然としてそびえる壁のようだ。

安曇野市豊科郷土博物館に寄ってみる。
郷土が現在まで受け継いでいる「御船祭り」に特化したといっていい館内のレイアウト。
手作りの「御船」がぶつかり合う祭りの映像が流れている。
石器時代からの歴史を追うような、一般的な郷土博物館より、郷土の一押しに特化したレイアウトは印象的に映った。

二階では特別展示として、郷土から出征し特攻隊として戦死した青年の資料や、満蒙開拓団、空襲、疎開などに関する聞き書きなどが展示されていた。
きちんと保存されている当時の遺品や、手打ちのワープロによる説明文などを見ると、まじめな県民性がうかがえるようだった。

博物館玄関にあったニホンカモシカの毛皮。寒さに強そうな手触りだった

国道147号線を北上して穂高神社へ。
日曜とはいえ、渋滞ともいえる交通量にビックリ。
大糸線・穂高駅駅前の穂高神社までは程ない距離。

穂高駅前の商店街の背後に隠れるようにして穂高神社はあった。
鳥居をくぐって1時間無料の駐車場へ。
境内に入ってびっくり。

まず、そこら中に鶏が放し飼いになっている。
あとで聞くと「神様のお使い」だからとのこと。

混んでもいなく、閑散ともしていない参拝客。
ガイドブックの写真で目に付くピカピカの社屋は、拝殿の前、境内の中央に立つ神楽殿。

思わず足取りが軽くなり、自然に笑みがこぼれるかのような雰囲気。
来てよかったと思えるありがたさ。
これだけ有名で、参拝者も数知れずの歴史を持ちながら、今も境内に流れるすがすがしい空気。

拝殿
神楽殿
ご神木

帰りに境内にある、御船会館という宝物館に入ってみる。
ここも、安曇野郷土博物館同様に、御船中心の展示だった。
7年ほどごとに行われる遷宮の行事にも、御船に乗った飾り物が欠かせないようで、歴代の写真が展示されていた。

安曇野地方。
真のパワースポット、北アルプスの神々しいパワーを背景に、空気がすがすがしいエリア。
そうすると穂高神社は、「北アルプスのパワーを受取る場所」という意味での「パワースポット」なのだろうか。

長和の里 地域いきいき券

山小舎おじさんにも、町からいわゆる地域振興券が配られた。
引換券を持って、別荘管理事務所に行くと、町内限定の金券3,000円分と町内の温泉施設への入場券2枚をもらえた。

別荘オーナーに配布されたチラシと引換券

山小舎おじさんは住民票は長和町に移していない。
が、固定資産税と地代を合わせて10万円弱、町(と財産区)に毎年納め、町民税約6,000円を納付している。
他の別荘オーナーも同様だ。
それなりに町の財政に貢献しているのだ。

もらった金券と招待券

町内で使うとしたら、限られた飲食店、コンビニ、直売所、ガソリンスタンドくらいしかないが、ありがたいことだ。
コロナ様様、なんちゃって。

金券は500円券が6枚です

早速、町内にある道の駅での買い物に使わせていただきました。
鷹山ファミリー牧場の煮込み用牛肉720グラム。
煮込み用としては見るからに肉質よく、家族にも好評だったもの。
2,000円分の振興券で購入し、自宅に送りました。

長和町さん、ありがとうございます。

鷹山ファミリー牧場の煮込み用牛肉

甲府の街 2時間ほっつき歩き

山小舎おじさんの街歩き、甲府の巻です。

自宅と山小舎の行き来を列車で行うことにはまってしまった山小舎おじさん。
今回は、高尾から甲府行きの列車に乗っての山小舎帰還の旅。
乗り継ぎまでの2時間、甲府の街を歩いてみました。

駅構内の立ちそば屋で腹ごしらえ。蕎麦とミニソースカツ丼セット

一度歩いたことがある甲府。
武田信玄の館や博物館などは見ていたので、今回は駅の南に広がる中心街、特に飲商店街を歩いてみました。

その前に、エキナカの探検。
最近のエキナカは、特に新幹線の止まる駅などは、地元物産品の販売などで充実しています。
秋田、盛岡、長野、新潟、金沢のエキナカの充実ぶりが思い起こされます。

そこで甲府エキナカにも期待しましたが、やや地味な印象でした。
やはり新幹線が通らないと、観光客などの出入りが少なく、地元客中心になるからなのでしょうか。

それでも食べてみたかった、レーズンバターサンドなどが売られているのを確認できたので、マークしておきました。
帰りに買うことにします。

武田信玄公が睨みを利かす甲府駅

駅前のロータリーの一角に観光案内所があります。
高速バス、路線バスの券売所を兼ねた、観光案内所としては大きな建物です。

ここで街のマップをゲットしようと思ったのですが、バスの案内に注力した施設だからでしょうか。ちょっと物足り鋳物しかなかった。

路線バスの案内の方に、「韮崎までの便はある」「韮崎に行けば白州までの便がある」などと確認できたのは番外の収穫でしたが・・・。

ガイドマップを入手

マップを片手に駅前通りから散策をスタート。
商店街、飲食店街のエリアを中心に歩き、帰りにお城のあたりを通ることにします。

駅前の通り

マップで「飲食・ショッピングエリア」と表されている範囲は広く、外周を歩くだけでも軽く30分ほどはかかりそうです。

岡島百貨店というデパートがありました。
地元資本?のデパートが生き残っているのは立派なことです。
昨今のご多分に漏れず、平日午後とはいえ、店の内外に活気はありませんでしたが・・・。

岡島デパート

アーケード街も複数ありますが、残念ながら活気のなさは同様です。
買い物客は郊外のロードサイドかモールに集まっているのでしょう。

銀座通りアーケード

飲み屋街がありました。
こちらは夕方前の開店準備時間とはいえ、夜の活気を思い起こさせるものがありました。
甲府の町の規模の大きさ、人口と人の流れの多さを感じさせる飲み屋街の規模です。

飲み屋街
飲み屋街のただなかに映画館があった!

飲み屋街のあちこちに小路、横丁があるのも特徴です。
かつては飲み屋街の隅々まで人があふれていたのでしょう。

横丁その1
横丁その2
横丁その3

乗り継ぎの列車の時間が迫ってきたので、駅に向かいます。
途中でお城に寄ってみます。
中に入る時間がないのでお濠越しに城壁を撮影しました。

このお城、郷土の英雄・武田氏の城ではなくて、武田氏滅亡後に築かれ、豊臣、徳川の管轄下にあったもの。
周辺に漂う熱気は、武田氏関連の史跡とは比べものにならない低さでしたが、おじさんの気のせいでしょうか。

甲府城のお濠
城門

長野行き各駅停車の発車時刻が迫る中、エキナカで購入した、レーズンバターサンドとマスカット大福。
味はマスカット大福の勝ち!(山小舎おじさん独断選)でした。

名物シャインマスカット大福
レーズンバターサンド

ガッテン農法、畝づくり実践 その2

ガッテン農法で畝づくりをしています。

先に掘った2本の畝は、掘ると石だらけの場所でした。
それでも何とか2本作りました。

畝立てを完成させるには、資材的としてススキが大量に必要ですし、燻炭、酢水、落ち葉、ぬか、と用意するものが結構広範囲です。
何より耕盤層まで掘り起こすのに体力と時間がかかります。

それでも来年の成果が楽しみでやっています。

前回までに完成させた畝2本

今回は、3本目以降の畝として、これまで4年間、夏野菜を植えていた場所をガッテン流に立て直すことにしました。

4年間夏野菜を植えた畝はサクサクとスコップが入ってゆきました

現在の畝の幅、畝間の長さ、は偶然にもガッテン農法の教科書にあるサイズとほぼ同じでした。
したがって、4年間使った畝そのものを掘り起こし、資材を入れて埋めなおせばよく、畝切の計測は不要でした。

表土を20センチほど掘ったところ。ここまでは順調に進みました

いざ、畝にスコップを入れるとサクサク入ってゆき、ふんわりした黒土をどんどんすくってゆくことができました。
さすが、えひめAIの微生物効果!と感心していると、表土20センチから下は、だんだん石が出てきて、土も硬くなってゆきました。

深さ30センチほどで表出した耕盤層は、粘土質で固まっていました。
石だらけだった先の2畝と全く同じです。
表土はふかふかになっていましたが、耕盤層がふかふかになっているわけではありませんでした。

深さ30センチで現れた耕盤層は堅い粘土質でした

ウーム。
今まで耕盤層については見て見ぬふりをしてきました。
何せ、深く掘って耕盤層に手を入れることなど、力がいるし、時間もかかる、と避けていたのです。
管理機で耕耘し、えひめAIを表土に振りかけるだけでした。
ガッテン農法に出会わなかったら、ついぞ、耕盤層まで掘ったりなどしなかったでしょう。

ふかふかの表土のおかげで1日で2本掘れました

今回掘った畝は4年間のえひめAIの微生物作用によって表土がふかふかになっていたため、畝堀作業は前回の倍のスピードで進みました。
1日で掘り起こし1本。もう1日で資材投入。と、1本の畝立て完成に2日かかる見込みが、これからは倍のスピードで進むかもしれません。

耕盤層に手を入れる初の試み。
来年の成果が楽しみです。

遅ればせながらアスパラの枯れた茎を切りました
アスパラの木にカマキリの卵がついていました

11月下旬の山小舎

令和2年も11月下旬となりました。

1週間ほど山小屋を離れておりました。戻った翌朝、山小舎の周辺は霧に包まれていました。

まるで映画の中の霧の高原のようです。ちょっと寒いけど
干し柿もほぼ出来上がりました。今回は途中でよく揉んで実を柔らかくしてみました

折から地元のテレビ局の天気予報が寒さの襲来を伝えていました。さらに翌日、天気予報通りに雪がうっすらと積もっていました。

軽く雪に彩られた裏のカラマツ林
落葉し終わったミズナラ林にうっすらと積もった雪