天日干しした藍を加工しました

藍染の原料のタデ藍を収穫して天日干ししていました。

今回は天日干しした藍を、パウダーとお茶に加工しました。

藍の葉だけを外しました。

外した葉を電子レンジでカラカラにし、粉末にしました。

粉末をざるでこしてパウダーを集めます。
右がざるでこしたパウダー、左がパウダー以外の部分です。


パウダーは、パックに入れて冷蔵保存し、ケーキに混ぜるなどして使おうと思います。

ざるでこした残りでお茶を淹れてみました。

スギナなどの野草茶は青臭さがありますが、藍はより「お茶」に近い味と香りです。

ついつい後を引く「お茶」感。
これはいけるんじゃないでしょうか?

葉を外した後の茎も、細かく切ってレンジでチンし、粉末に混ぜてお茶として使おうと思います。

食材としての藍は抗酸化作用に優れており、産地などでは利用されているようです。

薪づくり急ピッチ!

畑は夏野菜の収穫はほぼ終了。
秋野菜の作付けも終わり一段落。

山小屋暮らしの2本柱のもう一つ、薪づくりの季節となりました。

たまっていた材木を処理しました

春先から山小屋の庭に木材が一山積んでありました。
丸太をチェーンソーで玉切したまま放っておいたものの山です。

夏場の長雨に湿ったそれらは黒ずみ、あるいはコケやキノコが生えておりました。

夏が過ぎるころ、遅ればせながら斧で割り始めました。
空き時間にちょこちょこっと、計10回もやりましたっけ。

細いものは割れませんからそのまま積んでゆきます。
これらも乾けば立派な薪になります。

節だらけで割れないもの、腐ったものは、木くずと一緒に燃やしてしまいます。
そうやって湿った木の山はいったんきれいになりました。

新たに玉切と薪割の準備

今年新たに入手した丸太があります。
毎冬暖房を賄うためには毎年新たに薪を仕込んでゆかなければならないのです。

新しい丸太をチェーンソーで玉切りします。

チェーンソーの刃は使うたびにやすりで研ぎます。
燃料とオイルを満タンにしてだいたいワンクール30分。
刃がよく切れると、ツークールほどチェーンソーで切ると、玉切の山が一山できます。

玉切りしたものを軽トラで庭まで運びます。

軽トラざっと1台分で運べるのはこの量です。

3回運んで庭に新しい玉切りの山ができました。

これをきれいにするにはまた10回ほどの薪割が必要になります。

今年割った薪は来年以降の燃料となります。

赤シソを干して「ゆかり」を作りました

畑の副産物、赤シソを収穫しました。

葉を取って洗ってから水で煮出して赤シソシロップを作りました。
煮だした汁に砂糖を溶かし、クエン酸を添加するのがポイントです。
色が鮮やかになります。
ソーダで割ったりして飲んでいます。夏の味です。

だしガラのシソは捨てずに天日干ししました。
シーズン終盤の夏の日差しのおかげで、からからに乾きました。
絞った葉を開いて干すのがポイントです。
塊のままだと乾きが遅くなり、のちの処理もしずらくなります。

2,3日天日干しした後、電子レンジで1分ほど乾燥の仕上げをします。
要は完全に乾けばいいのですが、フライパンで炒るような場合には焦がして焦げ味が付かないように注意します。

すり鉢に乾燥した葉を移します。
最初のうちは手でもんで葉を砕いてゆくのがいいです。

だいたい崩してから、すりこ木であたります。
最終的にはすりこ木で細かくしたものがふりかけに適します。

ざるでこして、粉末になったものだけを集めました。
きれいに細かくなった粉末に塩を混ぜます。

残ったシンや砕けなかった葉は捨てました。

ゆかりの出来上がりです。
ふりかけとして重宝します。

なお、梅干しの色付けに使った赤シソを、乾かして使うと色鮮やかで塩味がちょうどよいゆかりができます。
来年はそうしようと思います。

諏訪湖新作花火大会

諏訪湖新作花火大会を見てきた。

諏訪湖の花火大会は8月に終わったものと思っていた。
ある日、下諏訪町の立寄り湯に行ったとき、温泉の管理人のおばさんと世間話するうちに、「今度の土曜日(9月7日)に新作花火大会がありますよ」との情報を得た。

調べれば、37回目を数える大会で、8月の湖上花火大会と並ぶ諏訪湖2大花火大会とのこと。

山小屋おじさんは子供の頃、旭川の石狩川河畔の花火大会を毎年見ていた。
自宅の2階がベストポジションだった。
大玉がさく裂すると家全体が揺れるほどの距離だった。
花火は一生分見たと思っていた。

渋滞を避け岡谷方面へのルートで諏訪湖へ向かう

当日軽トラで諏訪湖へ向かった山小屋おじさん。
諏訪湖へ向かうメインルートの国道20号線を酒、諏訪湖の「反対側」を岡谷に抜けるルートを走りました。
おじさん久しぶりの花火大会です。

諏訪湖に達すると、湖畔の「正面側」へ向かうルートへの右折が禁止となっていました。
やはり発射台がある湖畔道路の正面側は混雑しているのでしょう。

直進して諏訪湖の「反対側」を走ります。
渋滞はないのですが、コンビニの駐車場などは満車に近く、店内も混みあっています。

そのまま天竜川が諏訪湖から流れ出る地点の「水門」まで行き、橋を渡って湖畔ルートをたどってみますが駐車場はどこも満車状態。
やっと見つけた空車スペースに軽トラを止めました。

湖上越しに新作花火を眺める

運動公園から続く湖畔に観客が三々五々集まっていました。芝生と砂しかない場所です。
発射台のあるメイン会場からは諏訪湖を挟んで反対側になります。
湖上越しに花火が見えるポジションです。

思い思いにシートや折り畳み椅子を広げた景色には首都圏の花火大会のような殺気立った雰囲気はありません。
出店もなく、運動公園に常備された以上の灯もありません。地元(岡谷地区)の家族連れやカップルが集まり、のんびりと花火を待つ風情です。

手をつないでいないと幼子が迷子になってしまうような夜の帳の中花火が打ち上げられました。


大玉を含めて連発される花火に時には歓声が上がりました。

メイン会場の雰囲気は味わえなかったものの、諏訪湖畔の晩夏の情緒を味わうことができました。

帰りの渋滞を避け早々に駐車所を出たおじさんでしたが、来た時にはなかった路駐車両の群れに驚きました。

上田映劇で「新聞記者」を観る

今年話題の映画「新聞記者」を見た。
レトロな劇場・上田映劇の9月第一週初回上映のプログラム。

ここは山小屋おじさんが上田に行ったときに必ず寄るところ。
戦前に芝居小屋としてスタートし、その後映画館に。
いったん廃業となった後、NPO法人が運営して再スタートした歴史上の場所である。

久しぶりの上田映劇、入場者は30人も!

平日の初回10直上映ながら30人近い観客数。
山小屋おじさん3回目の上田映劇でこんな大人数は初めて見た。

入場券を買う際に、シニア料金の1,100円の入場券が支配人の一番手前に置かれていたのを見た。
場内はほとんどシニア。
支配人も1,100円の入場券ばかりを切ったということか。

誰が「新聞記者」を作ったのか?

さて「新聞記者」。
時の日本の権力者、もっと言えば官邸の反民主主義を正面切って批判した珍しい作品。
原作は東京新聞の望月記者の同名書。
菅官房長官の記者会見で、手を挙げたのに発言を許されなかったというエピソードを持つ記者が原作者だ。

実例のエピソードから、官邸の横暴な権力行使ぶりを描写してゆくが、この作品のテーマは、権力というものの性質そのもの。
つまり、権力はその行使に際して真の目的を国民から隠すこと、また権力の遂行に際しては非合法も辞さないということだ。

権力を揶揄する、もしくは抽象化・一般化して広く勧善懲悪のドラマとすることはテレビなどでも行われている。
が、近時のスキャンダルをエピソードとしてストレートに問題提起した作品は今どき珍しい。
終戦直後の独立プロの作品のようだ。

だれが、どういう目的で作った作品なのだろう?
映画製作の背景はいかに?
見ている最中そのことばかりを考えていました。

現在のアンチと現在のヒーロー

かつてのやくざ映画などを見るまでもなく、「旧来の悪役」はわかりやすかった。
同義に反し、乱暴で、ずるいやつが悪役だった。

今の時代、牧歌的な悪役などいなくなり、「最新の悪役」として官邸が選ばれたということか。

かつてのヒーローは悪に耐え、堪忍袋の緒が切れて立ち向かい、やっつけた。
今の時代、ヒーローの存在が許されなくなっている。

一方の主人公の松坂桃李が官邸の悪を暴く情報リークし、予想される官邸側の反証・印象操作に対しては、実名発表を同意した時、一瞬だけヒーロー誕生!と思った、が。
「最新の悪役」は簡単にヒーローの登場を許すほど純朴ではないのだった。

主人公の女性新聞記者役は韓国人女優が務める。
危惧したキャステイングだったが、過剰な演技を排することができてかえって良かったと思う。

開始からスピーデイな展開で手際よくエピソードをつないでゆく、まじめでストレートな作品。
いい作品が持つ映画的緊張感に満ちている。

顔を知っている出演者が、松坂のほかには本田翼と西田尚美、高橋和也くらい。
日本若手俳優もこういった作品に出て、役者としてのキャリアを築いてほしいもの。

劇中エピソードが実例ばかりなのが、映画としての厚みを欠いたことは指摘しなければなりませんが。

NPO運営を応援し100円寄付

終映後、もぎりにいた支配人と話す。
丸眼鏡をかけたおとなしそうな青年で今どきは古本屋の経営者にでもいそうなタイプ。

おじさんは「新聞記者」のメインタイトルがわからなかったので尋ねると、開始に主人公の女性記者の登場場面がそうだったとのこと。
ちゃんと上映作品を見ていたことにも感心。

入場者が多いので雑談はそこまでにして寄付金箱に寄付をして退場しました。

次回の入場者数も含めて館内がにぎわっているのがうれしい、NPO法人経営の上田映劇でした。

藍を収穫しました

藍を植えていました。
藍染の原料となる植物です。

今回用意した種は、日本ではなく、外国種のタデ藍です。
種が一般的に手に入るのはこの種類です。

染めの原料として使えるのかどうか?
今年の取り組みとして作付けしてみました。

畑の現状

4月に種をポットに蒔いて「芽出し」をしました。
山小屋の寒さの中、何とか芽を出した幼苗を畑に定植しました。
頼りない苗でした。
半ば無理して植えた苗の定着率は良くありませんでした。
除草もろくにせず、追肥などは施しませんでした。

しばらく後、定着した苗が育っているのが見えました。
藍は思ったより丈夫なのでした。

8月になって藍を世話する余裕もなく、そのままにしていました。
生い茂った雑草の中に、同じ丈の藍が立っていました。

雑草もろとも刈って収穫

めんどくさいので雑草もろとも機械で刈り倒して、藍だけを拾い集めることにしました。
刈払機で調子よく刈ってゆきます。

藍は苗を数本ずつ定植してありますので、拾い集めるときもまとまって拾えました。
箕にふた山ほどの収穫でした。

ついでに自生した赤シソも収穫しました。
こちらは思った以上の収穫量でした。

藍は持ち帰って山小屋の外の水道で洗いました。
そして天日干ししています。
干した後はお茶にしたり、焼き菓子の材料にしてみようと思います。
染の原料とするのは来年以降の課題です。

赤シソは、シソジュースにした後、干してゆかり(ふりかけ)にでもしてみようと思います。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.5 下諏訪温泉郷・旦過の湯

下諏訪温泉郷というところがある。

もともと諏訪湖周辺は温泉が湧くので有名だった。
山小屋のリフォームに来てくれる大工さんは、昔諏訪で仕事があったときは温泉で手を洗って帰ってきたといっていた。手洗いの蛇口からも温泉が出ていたらしい。

その下諏訪温泉郷には銭湯方式の立寄り湯だけでも7軒ある。

立寄り湯・旦過の湯へ

立寄り湯としては新しい建物の旦過の湯。

諏訪大社秋宮から春宮方面へ少し行ったところ。
旧中山道に並行した坂道に面して建っている。

下諏訪財産区の管理運営というから、諏訪では昔からある温泉は、町の共有財産ということだ。

源泉の温度は56度とのこと。
冷泉もわいているのでブレンドして適温にしているらしい。

熱つーい!
そのわきにはさらに熱い浴槽があったりする。
卵もゆだる?ほどの温度!
さすがに誰も入っていなかった。

街の銭湯のようにタイルの壁画がかかっているのが目につく。
立寄り湯としては最高グレードの設備か?
財産区が管理するプライドがうかがえる。
入浴料230円。

なお、脱衣場のロッカーは100円が戻らないので、下足場のロッカーを使用するのがよさそう。
そちらは100円が戻ってくる。

菅野温泉も渋い

下諏訪温泉郷で、山小屋おじさんが他に入ったことがあるのは菅野温泉。
下諏訪町の中心部により近い立地なのだが案内図などはなく、たどり着くのが一苦労。

たどり着けばそこには50年前の街の銭湯もかくや!のレトロなスパ空間が展開されている。
玄関へのアプローチからして目くるめくような場所だ。
入浴料230円。

写真がなくてごめんなさい。

下諏訪温泉郷は諏訪大社下社に近く、参拝の前後に良し。
また国道20号線沿線に展開しているので、松本方面からの帰りにひと汗流すのに良し。
魅力的な温泉場があなたを待っている。

薪割り、薪積みをしました

山小屋暮らしの重要な仕事の一つが薪造りです。

丸太の入手から始まり、丸太を40センチの長さにチャーンソウできる玉切り、切った玉を斧で割る薪割り、そして切った薪を乾燥させる積み込み。
この一連の作業を毎年行います。

短期間ではできない仕事です。
暇を見ては玉切、薪割、積み込みをできれば夏の間に行います。

今年は畑作業に追われていた山小屋おじさん。
初秋を迎え作業に追われています。

丸太のタイプごとに違う割り方

おじさんはこういった斧を用意しています。
楔とハンマーもあると便利です。
手袋は軍手よりこういったしっかりした作業用手袋がいいです。

一番割安いのは、長さ40センチほど、直径30センチほどの丸太で節がないものです。
丸太の中心部に向かって斧を打ち下ろすと真っ二つに割れます。

節のある丸太は、斧の一撃で刃割れません。
斧がポーンと跳ね返されることもあります。
少しでも刃が食い込んだら、楔を使ってハンマーで打ち込みます。
楔が頭まで打ち込まれたら割ることができます。

節だらけの丸太と、きれいな丸太では、割った後の薪は、見た目でも大きく違います。

直径が大きい丸太は一撃ではどうにもなりません。
端からそぐように割ってゆきます。
それでもだめな場合は楔を使います。
楔でもだめならチャーンソウを縦に使って切ることもあります。

今回は斧だけでなんとか割れました。

細くて節のある丸太などでは、側面から斧を入れて割ることもあります。

積み込み方法にも一工夫

薪を割ったら乾燥させます。
風通しの良い、日当たりのいい場所に乾燥台をあつらえ、薪を積んでゆきます。

乾燥前の薪は特に重量があります。
積み込んだ薪の重量は相当なものです。
乾燥台の土台はしっかりしていなければなりません。

おじさんは農協から廃棄予定のパレットをもらってきて土台にしています。
強度があり、台の平面が維持できて、地面から10センチほどの空間も確保できます。

あとは重心がずれて薪の壁が傾かないように積み込めばいいのです。
と言っても積み込んだ壁の側面は崩れやすいのです。

普通に積んでゆけば側面は垂直にならずに、台形のような角度になってしまいます。
そこで、時々積み込み方向を直角にした、薪を配して、重心を調整して積んでゆきます。


そうすると側面は垂直になり乾燥台を効率よく使うことができるのです。

通常2年ほど乾燥させてから燃料にします。

キューリ、ナスを本漬けしました

キューリの粕漬は山小屋おじさんのソウルフードです。
子供の頃、太巻き細巻ともにキューリと言えば粕漬が入っていました。

しばらくは、生のキューリを使っている海苔巻きを見ると手抜きだと思ったものです。

一時付けをしたキューリ、ナスの樽をあけてみる

1週間ほど前に塩漬けした樽をあけてみました。

まずキューリです。
白いカビが浮いていました。
これは想定内でした。

キューリそのものを見ると、畑で自作した育ちすぎのキューリが傷んでいました。
去年の失敗と同じケースです。
外から触ると柔らかく、切ってみると身がジュクジュクでした。

これでは漬物になっていません。
このままつけておいても実全体が崩れてゆくだけなので廃棄です。
3,4本が廃棄となりました。
ただし、直売所などで購入したキューリはほとんど漬かっていました。

これはナスの樽です。
カビは浮いておらず、ナスの状態もまずまずです。
塩の量、さし水、重しがうまくいって、適正な時期につけ汁が上がったためでしょう。

本漬けする

つけ汁を捨て、樽を洗います。
実はざるにあけ水気を切ります。
白カビが出たキューリは丁寧に水気を拭いておきます。

本漬けは実の20パーセントの塩で漬けます。
相当な量の塩です。
このくらいでないと、実に残った水気が外に出ないのでしょう。

余計な水気が外に出ないと実は長くは持ちません。
古漬けとして長期に保存し、また粕漬なの二漬けなおすための本漬けです。

1本1本塩を塗りこみます。
今回は漬物用のビニール袋を買ってきたので、樽にビニールを広げその中に実を入れてゆきます。
真っ白に塩にまぶされたキューリです。
ナスです。

ビニール袋を閉じ、重しを乗せます。
重しは一時漬けの時と同じ重量です。

1週間後くらいに樽をあけてみて、水が上がりカビが出ていなかったらうまくいったことになります。

地元パワースポット訪問記VOL.9 諏訪大社下社春宮と万治の石仏

諏訪という地方があります。
おじさんの山小屋からは峠を終えて1時間ほどの距離。
ご存知、諏訪湖を抱える盆地で、かつては甲州街道と中山道が合流する宿場として栄えたところです。
信濃国一之宮である諏訪大社を擁する歴史の里でもあります。

諏訪大社下社秋宮へ

ご存知の通り諏訪大社には4つのお宮があります。
より東京に近い諏訪市にあるのが、前宮と本宮。
東京から遠い、下諏訪町に位置する下社には春宮と秋宮。

このうち観光客でにぎわっているのが本宮と下社秋宮。
規模も大きい立派な神社です。

ひっそりして落ち着いているのが前宮と下社春宮。
特に前宮は、まったく観光名所化されておらず、原初の信仰の様子さえ感じられるような場所です。

ここ下社春宮は、秋宮と同じ造りに見えますが人出も少なくゆっくりできます。
立派な造りの神楽殿があります。
その奥に拝殿があります。
ここは本殿ではないそうです。

春宮を抜け歩いてゆくと万治の石仏があります

橋を渡ってゆきます。
春宮にお参りしたらここにもよらなければなりません。

万治の石仏は岡本太郎が絶賛してから有名になったとのこと。
造形と言い顔の表情と言い独特のものがあります。

長野県内の田舎にある、「巨石の上の小さな石」と造形が同じです。


信州地方の民間信仰上のコンセプトが共通しているのでしょうか?

おんばしら館よいさへ寄ってみる

石仏を見終わって川に沿って歩を進めます。
地元の健児たちはこんな急流で泳ぐのでしょうか?

近くにある、「おんばしら館よいさ」という資料館によりました。

地元のご高齢の方が案内してくれました。
立て板に水の案内コメントの端端からこぼれる、深く静かでありながら強烈な地元愛。

御柱が運ばれるルートから、平地に降りてからの地元住民のお祭り、当時の諏訪藩・高島城主がお祭りの道具を提供したエピソードまで、山小屋おじさんの頭から零れ落ちるほどの情報を連打してくれました。

御柱祭について聞き書き

諏訪大社4宮に7年に一度、新しい御柱をしつらえる行事が御柱祭。

標高1500メートルの霧ケ峰高原の国有林からもみの木を伐りだし、途中の木落坂ではニュース画面で有名な、御柱に人がまたがって35度の急坂を落とす場面を展開。
沿道の里の人に接待を受けながら数百人の地元の若者が綱を引き、諏訪大社4宮に御柱を引き立てるまで祭りは続くのだそうです。

戦前は、女性が御柱にはもちろん、引き縄などにも一切触れられなかったといいます。
おとなしいイメージの長野県民ですが、諏訪っ子はこの御柱祭に燃えに燃えるとのこと。

下諏訪町の下社春宮と秋宮の間は、旧甲州街道と中山道の合流地点があります。

山間部の宿場と違い、温泉が湧く平地の宿場が持つ艶っぽさが残っているような気がします。
興味の尽きないエリアです。