山小舎今シーズンの収支報告

山小屋の今シーズンの収支報告をします。

収支といっても「収入の部」は年金が主なのでカット。
なので、「収入」は現地でのバイト、野菜収入のみ報告し、主に「支出」とその内訳を報告します。

1.収入・・・194,000円

【内訳】
・バイト(山小屋のある別荘地の管理会社が行う落ち葉集め、除草などの仕事)・・・180,000円

・野菜収入(朝市に出品、消費者に直送などによる野菜の販売収入)・・・14,000円

2.支出・・・1,400,000円

【内訳】

・固定費(税金、管理費、水道光熱費、保険代、通信費、資産購入・管理費)・・・490,000円

・食費・・・180,000円

・交通費(高速バス、軽トラ燃料)・・・80,000円

・営農、農産加工費・・・80,000円

・交際費(来客費用、土産代)・・・140,000円

・消耗品、教養娯楽・・・30,000円

・その他・・・400,000円

こう見てくると、山小屋を持っているだけで年間約50万円必要ということです。

燃料がプロパンなので割高ですが、水道費は年間2万円のみ。
下水料もかかりません。

反面、通信費がネットと携帯で毎月1万円かかっています。

公租公課関係では、固定資産税と管理料、住民税で年間約10万かかります。
住民票がなくとも固定資産を保有すれば住民税がかかります。

火災保険料と汲み取り代が合わせて年間数万円です。

変動費を見ると食費は、月平均約2万円と節約しています。消耗品、衣料、娯楽費は合わせて月平均数千円のみ。

かかっているのは月平均1万円の交通費と、交際費の月平均2万円になりましょうか。
交際費の中身は家族が山小屋に来る祭の食費と、自宅に帰る際の手土産代などです。
長野は季節の産品がおいしいので、家族に持って帰ったり、送ったりすることが多くなります。

その他費用の中身は、口座引き落とし代金(自宅にある自家用車のETCカード代金、年金積立金など)が主で、厳密には山小屋暮らしにかかる費用ではないものです。

結論としては、田舎暮らしを送るには月10万円では暮らせないということです。
ただし、山小屋おじさんの収支データは、年間8か月のみの田舎暮らしのデータであります。
また頻繁に自宅と行き来しており、そこから発生する費用と利益を含んだものであるということです。

「給料のない単身赴任」とは山小屋での実感です。
単なる自己満足ではなく客観的な「利益」の実現が今後の目標です。
「利益」には、家族が山小屋に来て満足することもそうですし、畑でとれた野菜を食べた人がおいしいと感じることも含まれます。

本音はもうちょっと経済的な利益を増やしたいところですが。

まあ、来年は家族以外の人を山小屋にお迎えできるよう頑張りたいと思っています。

石井輝男キングオブカルトの猛襲VOL.1 「戦場のなでしこ」を観る

阿佐ヶ谷駅からほど近く、ラピュタ阿佐ヶ谷という複合文化施設があります。
定員48名の映画館と演劇ホールとレストランを備えた建物です。

令和元年12月。映画館ラピュタ阿佐ヶ谷で「石井輝男キングオブカルトの猛襲」なる特集上映が行われています。
1924年に生まれ、2005年に没した映画監督石井輝男の90本と言われる監督作品中38作品を1か月にわたってフィルム上映する催しです。

石井監督は新東宝から経歴をスタートして、東映に移り、呼ばれれば松竹、日活と活躍の場を広げました。
この間、新東宝では会社のカラーに沿った「セクシー地帯」などの地帯(ライン)シリーズ、東映ではギャングものや「網走番外地」のほかに、異常性愛路線といわれる東映版エログロ路線を手掛けてきました。

石井監督の徹底した娯楽路線の追求ぶりが、近年、一部の映画ファンをしてキングオブカルトと呼ばしめることになったのです。

石井監督の代表作に「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」(1969年東映)という映画がありますが、この作品、倫理コード的に近年までDVD化できなかったという事実を見ても、石井監督の持ち味がわかるというものです。

そういう資質の監督が映画全盛時代とはいえ、各映画会社にわたって延々と商業映画を作り続けられたというのは考えてみればすごいことです。

ラピュタ阿佐ヶ谷「石井輝男キングオブカルトの猛襲」。
近年のブームもあり、このフレーズを見て俄然盛り上がる映画ファンも少数ながら世の中にはいるのです。

その一人、山小屋おじさんもラピュタ阿佐ヶ谷に向かいました。
当日のプログラムは「戦場のなでしこ」。
1959年の新東宝作品です。

新東宝という映画会社、元はと言えば1948年の東宝争議の際の第二組合結成に端を発した制作会社ですが、映画興行主だった大蔵貢を社長に迎えてから徹底した娯楽路線を踏襲。

「明治天皇と日露大戦争」で嵐寛十郎に明治天皇を演じさせる(それまでは歴代天皇を正面から描く劇映画はなかった)など、「見世物」に徹する映画作りをカラーとしました。
題材は、エログロ、犯罪、裏社会、怪談などのほか、2・26事件、戦艦陸奥の爆沈、シベリア抑留などの戦争秘話に及びました。

当時は低級な娯楽映画として見られてきたでしょうが、今となっては、これらの映像は貴重な文化的遺産です。
映画化しようにも倫理的、文化的、技術的に困難な題材ばかりなのですから。

「戦場のなでしこ」は大陸における従軍看護婦の悲劇を題材にしたもの。
脚本は「月光仮面」の原作者・川内康範。
いかに新東宝とはいえ、娯楽一辺倒の作風にはできず、終戦後にソ連進駐軍の慰安婦にされることを拒否して自決する従軍看護婦の悲劇を詠嘆調に描いています。

石井監督の演出はスピーデイーで手堅い。
自分の好みを毛ほども出さないこのような作品も、「キングオブカルト」のキャリアには必要なのでしょう。
脚本の川内康範が怖くて「脱線」どころではなかったのか?

出演は宇津井健のほか、若き日の三ツ矢歌子、大空真弓、原久子など。
皆さん、若くてけなげに力演してます。

ソ連兵役も含めて大人数の役者が出ています。
大人数を配しての撮影では、セットやロケ現場など背景の設営が必要になります。
また、大勢の動きの統制など撮影隊の組織力、監督の演出力が問われます。
この時代の日本映画には撮影隊の組織力が十分に感じられます。
結果として画面が豊かになっています。
日本映画の財産ともいえる作品群です、この時代の商業映画は。

ちなみに従軍看護婦を題材にした劇映画というと、おじさんが知っている限りでは、1966年の「赤い天使」があります。
増村保造監督と若尾文子のコンビの力作ですが、テーマが単純な反戦ではなく極限時の人間性に及んでいるので、ちょっと色合いが違います。

このほかでは、「ひめゆりの塔」(1953年東映)など沖縄戦の従軍看護婦(女学生の学徒動員)を描いたものがありますが、学徒動員生の悲劇にスポットを当てた作りになっています。

最後に、「戦場のなでしこ」を観ていても思いましたが、日本人女優に黒の従軍看護婦姿は特別に似合っています。
「日本人は男優は兵隊役、女優は女郎役が誰がやってもうまい」といわれますが、女優の従軍看護婦姿(移動時の黒の制服)も様になっていることを付け加えたいと思います。

 

 

ご近所立寄り湯めぐりVOL.8 初冬の野沢温泉は「新潟」の匂い

新潟との県境に近い野沢温泉へ行ってきました。

ジャンプ場もある県内では有名なスキー場を持つ温泉です。今ではスキー場のほうが世界的に有名なのでしょうか。
温泉には外国人の姿が目立ちます。

スノーモンキーで有名な、サルが温泉に入る地獄谷野猿公苑へも片道1時間ほどの距離にあります。
名物は野沢菜漬けです。

新潟へ抜ける国道117号線と、JR飯山線沿線からほど近い立地。

11月下旬に家内とともに行ってきました。

上田から上信越道に乗って豊田飯山インターチェンジで下車。
あと2つ先のインターは新潟県という立地です。
沿道から遠望する山々は真っ白で冬そのものの風景でした。

内陸部に位置し、気温は低いものの豪雪地帯は少ない長野県の風景とは既に違います。
雪のにおいプンプンの「新潟っぽい」雰囲気がします。

豊田飯山インターから下道を北上。
飯山市街地のわきを抜けると野沢温泉の標識があります。

温泉街の規模は、県内有数の別所温泉に比べると倍以上の規模の野沢温泉です。
しかもシャッターの下りた店が少ない。
初冬の季節とて観光客の姿も少ないのですが、開いている店が多いのが不思議です。

案内所に飛び込み情報収集。
立寄り湯が7か所もあるとのこと。
その中で有名な大湯は古い木造の浴槽が情緒をそそるのですが、天井が高く寒い季節にはお勧めしない、とのこと。
案内所のおばさんは細かに情報をくれました。
おいしいそば屋や、野沢温泉名物の麻釜(おがま)という温泉が湧出している場所などの見どころをゲット。

温泉街の中心部?
人影は少ないのにみやげ物屋は結構開いています。

蕎麦屋に入ると、客は外国人ばかりでした。
団体客やピカピカの観光客というのではなく、日本に滞在中?とか野沢温泉に滞在中?の外国人といった感じ。
どういう人たちなのでしょうか?
本格的なスキーシーズンはもうちょと先ですが。
店内には歴代の野沢温泉観光ポスターが貼ってありました。スキー場としての歴史が感じられます。

麻釜。
温泉を使って野菜を洗ったり茹でたりする場所。
部外者は立ち入り禁止で地元民限定です。
観光客用には小規模な同様の場所が別にあります。

立寄り湯の大湯です。

我々は案内所おすすめの横落の湯に入りました。
入浴料は任意。
東北の共同湯にあるような料金箱方式です。
お湯は熱めですが入れないほどではなく温まりました。

長野県内にあって裏日本の雰囲気も楽しめる野沢温泉の旅でした。

令和元年東京の紅葉

山小屋おじさんは今年の山小屋を冬じまいしました。

12月より東京の自宅暮らしです。
久しぶりに戻った東京は、体が記憶している通りの温かさでした。

長野の冬が、体から体温をきゅっと奪い取るような寒さだとしたら、体の周りの体温を真綿でくるんでくれるよな東京の冬の気温。
天候も晴れが多いし、冬は表日本がいいですね。
室内の温度が低いのは、北海道生まれ育ちのおじさんにはいまだにつらいですが。

というわけで12月初旬の東京の紅葉です。

自宅のある調布のモミジです。

公園の並木。

常緑広葉樹が多いのも東京の冬らしい風景です。

柑橘類の庭木は長野では見られない景色です。

靖国通り九段坂のイチョウの街路樹。

東京のイチョウの紅葉もきれいですが、田舎の何気ないイチョウの紅葉のこの世のものとは思えない景色を見てしまうと物足りなさを感じてしまいます。

都会の景色のすごさは、人工物と自然のコラージュにあるのではないでしょうか。

桜の枯葉越しに見る皇居のお濠です。歴史を感じる風景です。

初冬の風景

11月末の白樺湖の風景です。

平地でも最高気温が10度未満の日が続きます。
高原の空気はピリッとしています。

冬の季節、冷たい湖水を青々とたたえる白樺湖畔。

白樺湖の周りのスキー場では人工雪をゲレンデに振りまいているのが遠望できます。

蓼科山は裾野まで雪景色となりました。
山頂付近は、来年4月まで冠雪です。

大門峠付近の風景です。
標高1400メートル。
ここら辺ではまだ冠雪はありません。

白樺湖越しの車山。
山頂は雪が積もっています。

雪が似合う季節となりました。

山小舎も来春まで冬ごもりです。

今シーズンもいろいろありがとうございました。
また来年よろしくお願いします。

初雪

初雪です。
今日は11月28日です。

全国的に寒い予報が出ていました。
長野県では、新潟との県境や山沿いに雪の予報でした。

標高1400メートル近くの山小屋では、やはり雪になりました。
それほど体感温度は低くありませんが、空気はすっかり冬のそれなのですが、まだ真冬のピリピリ感はありません。

別荘地内をさまよう鹿の群れは、エサ大丈夫かな?

それより明日山小屋に来る東京の家族。
ノーマルタイヤのままで大丈夫だろうか?

一部の峠と山小屋周辺以外は大丈夫でしょう。
山小屋の前の道にも積もっていないし。

キューリの粕漬

山小屋の冬ごもり作業の一環です。

漬物づくり。

キューリの粕漬を作りました。

キューリは夏の間に安いものを30本くらい買っておき、塩漬けしておきました。
塩で2度漬けして、しっかりと実を締めておくことが大切です。

塩漬けしたキューリを取り出し、軽く塩抜きします。

粕漬けする容器を用意します。
半年くらいつけるのでカメにつけることにします。

粕床を作ります。

酒粕3.5キロの袋を買っておきました。
長野では季節になると漬物用品がスーパーの店頭に並びます。

冬前だと、たくあん用の糠、ザラメ、荒塩、乾燥させた柿の皮のほか、35度の焼酎、酒かす、漬物用の味噌、醤油などが並びます。
とうがらしや、和辛子なども当然売っており、至れり尽くせり。
長野県における漬物の深い歴史がうかがえます。

今回使う酒粕は、漬物用にアルコールが添加されており、やわらかいので、あとは砂糖を加えるだけです。

酒粕:10、砂糖:1くらいの目分量です。

カメに酒粕とキューリを交互に漬け込んでゆきます。

空間を残さないように酒粕を、塗り込めるようにキューリにまぶしてゆきます。

詰め終わったらラップで密封します。

カメの口を布巾で縛ります。

冷暗所に置きます。
出来上がりが楽しみです。

ところで、長野の漬物と言えば、第一に野沢菜漬けですが、来年以降に挑戦したいです。

ナスの辛子漬け

ナスの辛子漬けを漬けました。

材料は夏の間に塩漬けしておいたナス。

この塩漬け、昨年は失敗したので今年は念入りに漬けました。

一度ざっと塩で漬けた後に、さらに濃度の濃い塩に漬けなおして長期保存に挑戦しました。

狙い通りに実が締まった(水分が出て実が崩れていない)塩漬けができました。
このままでもひと冬持つでしょうし、塩抜きすればこのままでも食べられます。

今年は、塩漬けナスの半分の量を辛子漬けにします。

一晩塩抜きしました。

当日、ザルに挙げざっと拭きます。

我ながら丁寧な仕事です。
このひと手間がおいしくなるコツ、なのかも?

ナスを一口サイズに切ります。

ナスの辛子漬けというと、小ナスのイメージですね。
漬かった後、切ったりせずにそのまま食べたいとすると、一口サイズがいいですよね。
切り口から味がよくしみますし。

辛子ダレを作ります。
タレのレシピはいろいろあるようですが、今回は田舎のおばあさんが作る辛子漬けのイメージを目指しました。

材料は砂糖と辛子と酒。

砂糖:10、辛子:1、酒適量。

結構辛いですよ。

タッパーに入れて冷蔵庫保存です。
楽しみです。

初冬の庭仕事 4日目

今日は一日庭仕事です。

天気がよく仕事がはかどりました。

まず、薪の処理。

まだまだ丸太のままの木材があるので、チェーンソウで玉切りしました。
玉切りしたものを軽トラで庭に持ってきて、薪割です。

割った薪は台所下の乾燥台に一輪車で持ってゆきます。
台所下の乾燥台もほぼ満杯になりました。
冬前の作業の予定を最低限クリアです。

積んだ薪が崩れないように重心の置き場に注意して積みました。

合間を見て焚き付けを作ります。
リフォームを頼んだ大工さんからもらってきた廃材を適当な長さに切ってから手斧で割ります。
廃材はベランダ下にたくさんあるのですが、切る時間がなくて当面必要な分だけの焚き付けを作りました。

薪ストーブの点火には乾燥した焚き付けが必要です。
乾燥した板材を細かく割ったものが一番良いようです。
ほかに乾燥させた小枝も用意しています。

点火のスターターには今までは新聞紙を使っていましたが、最近は白樺の薄皮を使っています。
白樺の皮は油分が含まれていてよく燃えます。

外仕事ばかりでは飽きるので、台所でジャムを作りました。キウイとシナノゴールドの2種類です。
キウイも地元の産品です。
今回のリンゴジャムは皮をむいて煮てみました。

ご近所パワースポット探訪記VOL.12 日本ピラミッドと松代大本営

今日のパワースポットは強烈だよ!

愛車の軽トラが車検なので。
丸子自動車へ愛車を預け、代車の軽トラにまたがって一日オフ。
代車はオートマでカツ馬力があるので走りやすいんだこれが。

ルートは真田の里から、地蔵峠を越え、下りたところの城下町・松代でまったり、帰る途中の戸倉上山田温泉でひとっ風呂、の一周半日コース。

ところがこの松代という町、只者ではなかった。
歴代のオカルティストの聖地であり、日本ピラミッドの一つと言われる皆神山が鎮座し、戦時中には天皇御座所と大本営、中央官庁の移転を予定した地下壕の跡が残る町だったのだ。

真田の里で野草茶を買う

菅平高原へ向かう山裾に真田一族の出身地、その名も真田地区があります。

ゆきむら夢工房という施設で一休み。
菅平方面の山には霧がかかっていました。

ここの直売所は初夏には名産の杏が出ます。
今日は、キウイ、シナノゴールドに加え、野草茶、干しシイタケなどを買いました。
いずれも魅力あふれる地元の名産。

興味を引いたのは野草茶。
笹、ヤーコン、ヨモギ、スギナのほかにカモミール、オレガノなどのハーブが原料です。
野草に入ったハーブティのような味がするのでしょうか?
楽しみです。勉強になります。

旧北国街道の難所・地蔵峠

真田から長野市のある善光寺平へ抜ける地蔵峠です。
旧北国街道が通っていたとのことです。
その後、北国街道は別のルートになったとのこと。

峠にはお地蔵さんが建っていました。

眼下に望む長野の市街地が、11月の寒空にかすんでいました。

日本ピラミッド・皆神山に上る

地蔵峠を降りると松代です。
古くは終戦直前に大本営が移転する場所として、近年?では群発地震の場所として有名です。

峠道を降りるとすぐ右手に皆神山があります。
おわん型の独立峰。

徒歩で30分、車で5分で頂上に着きます。
これが日本ピラミッドの一つと言われる山です。

頂上には古くからの皆神神社があります。


この点からも、ここが由緒ある山だとわかります。

問題はその後です。

皆神神社の境内には、天地カゴメの宮と富士浅間神社という別のお宮が建っています。
カゴメの宮の建立趣意が書かれた碑を見ると、そこには出口王仁三郎「霊界物語」から引用したかのような物語が刻まれています。

王仁三郎が教祖である大本教の教義にもろに影響を受けての建立であることがわかります。
出口王仁三郎自身の言葉の碑も併設されています。
まさに日本オカルティズムの直系男子が建立したかのようなお宮です。

ピラミッドと言われる皆神山の「磁場」が新興宗教者やオカルティストの嗅覚にヒットし、呼び寄せたのか?
それとももっと深い歴史的かかわりのなせる業なのか?

天地カゴメの宮。
そのまがまがしさに、パワースポット認定!

松代大本営に風寒し

11月末ともなると風が冷たい。
国内の戦争遺産・大本営跡の素掘りの殺伐とした内部の寒さもまたひとしおだった。

松代の町のはずれの山をくりぬき、それこそ皆神山の地下までも含む広大な面積を掘り、天皇御座所、大本営、中央官庁の移転予定地としたという。

ルバング島の小野田少尉もびっくりの大日本帝国最末期の断末魔が形として残っている奇跡。
これこそ「負の」パワースポットと言わずして何と言おう。

入場無料。
まったく観光地化されていないせいもあろうが、戦争遺産であれば何らかの気概なり勇壮さ、の片りんでも残しておいてほしかった。

まったく何のオーラもない素掘りのトンネルが続いている。魂の抜けた場所。
夜逃げの跡のような廃墟。
そうか、ここは国家の夜逃げ(未遂)の跡だったんだ。
どうりで寒いわけだ・・・。

松代という町

「NPO法人夢空間松代まちとと心を育てる会」が町の中心部に案内所を開いていた。
マップをもらいに寄ったついでに聞いてみた。

「皆神山はなぜピラミッドと言われているの?」
「独立峰で形が似ているから」。

皆神山を訪ねてくる人が多いので、NPOでも独自に調査してまとめてみたとのこと。
折角なのでその冊子を購入。
「祈りの山皆神山・松代の不思議を訪ねて」、1100円。

城下町で北国街道の宿場としての歴史を持ちながら、並行してピラミッドを持ち、大本営が移転先に選ばれるという不思議な町。

昼食は町の中華店であんかけ焼きそば

昼食はパンフレットに載っていた町の中華店へ。
これまたパンフに載っていたあんかけ焼きそばを注文。
パリパリに揚げたそばに具だくさんのあんがかかっている。

「写真撮っていいか?」とおかみさんに聞くと逆にびっくりされ、大将が「写真にとるようなもんじゃないけど」と。

満腹になるボリューム。
常連さんが夜の宴会の予約をしていましたが、飲んだら楽しそうな店。

14時までの営業とありながら店を出た13:41には「CLOSE」の看板がかかっていました。

充実すぎる松代の旅でした。
帰りの日帰り温泉の報告は別の日に。