土留め補強でDIY!

裏の小川と山小舎の間を流れる小川の岸に設置した、土留めを補強しました。

2年前から始めた小川の護岸作業。
杭を打ち込み、カラマツの丸太を渡した土留めを3基作ってありました。

シーズン初めに山小舎の周りを点検したときに、丸太を固定する針金が細くて緩んでいることと、丸太を支える杭が弱いことに気が付きました。

手が空いた時に補強作業をしました。

補強用の杭については、去年のうちにホームセンターで2本購入し、防腐対策として焼きを入れ、ケミソート塗料を塗っておいたものが軒下にあります。
これは将来設置予定の4基目の新規土留め用に、と用意していたものですが、既存の3基の補強に転用することにします。

用意してあった防腐加工済みの杭2本を使用

丸太の縛りについては、弱い部分に太めの針金を重ねて使って、丸太と杭を縛り付け直すことにします。

太い針金で丸太と杭を縛りなおす

杭は、地盤が石原だったり、脆弱だったりするので、思うようなポイントに、思うような深さまで打ち込めるわけではありません。
それでも頑張って、ハンマーで打ち込みます。

新規の杭2本を打ち込んで補強
新しく打ち込んだ杭を丸太に縛り付ける

土留めは3年目を迎えて壊れることもなく頑張ってくれています。
この間、台風や大雨があり、小川の流れが増水しましたが、岸が多少削れても土留めがそれ以上の崩れを防いでくれています。

この先は、特に細い丸太を使った杭の部分が腐ったり、折れたりして土留めが壊れることが心配です。
土留めの内側に土嚢を積んで、土留め自体を新しい岸に作り替えることを考えます。

その際、ホームセンターで売っている土嚢袋の耐用年数が短いので、袋が破れても原型をとどめやすい素材(泥?砂利?石?)を選択したいと考えています。

また、4基目の土留めが必要かどうか検討します。

既存の土留め3基の補強が終了

ジーン・セバーグと「勝手にしやがれ」

先日、塩尻東座で観た「勝手にしやがれ」。

改めて、俳優が輝いているし、作り手が自由に作っているし、古びていないし・・・〈ヌーベルバーグ〉という60年当初の〈フランス文化の新人台頭の現象〉の枠内にとらわれない画期的な映画だと思いました。

中でもヒロイン、ジーン・セバーグの魅力。
彼女の代表作であり、彼女と、監督:ゴダールと、相手役:ベルモンドとの化学反応が、この作品で歴史的輝きを発していたことを痛感しました。

有名なシャンゼリゼでの再会シーン

手元にあるセバーグの伝記、「ジーン・セバーグ」ギャリー・マッギー著、石崎一樹訳、2011年水声社刊。
彼女の女優生活の転機となった「勝手にしやがれ」出演時の前後で一章が割かれています。
そこには貴重な証言が記録されています。
映画の女神に祝福された奇跡的な1本であるこの作品を主演女優の観点から追ってみましょう。

伝記の目次

ゴダールが「勝手にしやがれ」が映画にできるかどうかを彼女に賭けている(P101)

ゴダールはプレミンジャー作品(「聖女ジャンヌダルク」「悲しみよこんにちわ」)のセバーグを気に入っており、自分の長編第一作への起用のために会いたがった。
ゴダールは自分の短編「シャルロットとジュール」をセバーグに見せた。
主演予定のベルモンドも彼女に会って出演を要請した。
セバーグは好意的に反応した。(伝記P101要旨)

セバーグはコロンビア映画の専属女優だった。
ゴダールはコロンビア映画にセバーグの出演を求め、出演権を12,000ドルで購入するか、興行収入の半分を渡すかの条件を提示した。
当時のセバーグの夫であったフランス人弁護士・フランソワ・モレイユがコロンビア映画と交渉し、セバーグの出演権を12,000ドルで買取った。(P103)

ゴダールとセバーグ

コロンビア映画の首脳陣はもちろん、セバーグ自身もゴダールの存在は認知していなかった当初。
ゴダールが(ベルモンドも)ジーン・セバーグの出演を映画の生命線と考えていたことがわかります。

「勝手にしやがれ」撮影中も脚本の決定稿は存在しなかった(P104)

撮影の初日は1959年8月17日。
ジーンにはまだ不安が残っていた。
その日の撮影が終わらないうちに帰りかけたほどだ。
「(前略)意見の相違をお互いに認め、握手をし私はその場を離れようとした。でも彼が私を追いかけてきたから仲直りしたってわけ」(P103)

「ジャン=リュックは毎朝、学生が持っているようなノートをちぎった束をポケット一杯に詰めて現場に来るのよ。そこに書かれているのは前の晩に彼が考えたことなの。
彼は恐れていたわ。
自分が作っている映画が、長編とい呼ばれている尺にはならないっじゃないかって」(P104)

「即興の演技ばかりだったわ。
ベルモンドも私も、私たちが思った以上のいい演技ができた、と思うことが何度もあった。
(でも)そこはゴダールよ。きっちりコントロールしていたわね。」(P104)

ハリウッドの制作環境とのあまりの違い、ゴダールの〈即興演出〉への戸惑い、反発。
一方でそのやり方を楽しんでいるセバーグ。
その輝きが完成作品の端々から窺えます。
セバーグにとって奇跡的に幸運な出会いがこの作品だったのではないでしょうか。

つまり、プロのアメリカ人女優なんだ(P105)

カメラマン、ラウル・クタールはジーン・セバーグに初めて間近で会ったとき、「いったいどうやって彼女を撮影すればいいんだ」と思った。
肌の状態が良くなかったのだ。
しかしひとたびメイクした彼女は豹変した。画面に映える。
照明が足りない時でもジーンのカメら映りは抜群だった」
クタールは語る「彼女の仕事ぶりはまじめだったよ。まわりにも協力的だった。つまり、プロのアメリカ人女優なんだ」(P105)

「撮影の時以外、部屋(セーヌ左岸にあるホテル・ド・スエード12号室)にはほとんどだれもいなかったわ。
照明を調節しに時々入ってくる技師と、セリフを思えようと必死になっている女の子(セバーグ自身)。
それだけね」(P106)

9万ドルという予算はあまりにも少なすぎた。
彼女の衣装はフランスのデイスカウントスーパー、プリズニックで調達された。
シャンゼリゼでの撮影時、カメラマンのクタールが歩行者から見えないようにするために、郵便配達用の箱をゴダールは自分で押して運んだ。
最後のシーンはゴダール自身が車椅子で押されながらの移動撮影となった。(P106)

撮影はくだけた雰囲気の中で行われた。
気分が乗らない日には、ジーンはそういった。
同じくゴダールも気分が乗らなければその日の撮影は休みになった。(P106)

映画のラストシーンで、パトリシア(セバーグの役名)が恋人を売った後、彼の財布を盗むことにしないかとゴダールがもちかける、とジーンは反対した。
彼女にしてみれば、自分が演じる役の女はそこまで徹底的にやらなくてもすでに充分みすぼらしかったのだ。
議論の末、パトリシアは財布を盗まないことに決まった。(P103)

画面をよく見ると、セバーグのメイクが濃いことに気が付きます。
シーンによってはつけまつげとアイシャドウがばっちり目立ってもいました。

同時にメイキングフィルムのように自然な彼女の笑顔が映るシーンも。

撮影は照明を気にしない移動撮影(レールを敷いた撮影所方式ではなく、車椅子にカメラマンが乗っかる方式)や、ベルモンドとセバーグが意味のないやり取りを延々と行う場面では、二人の間をカメラがさ迷うようにパンします。

技法的束縛から解放されたスタッフが発揮した技量と、自由な精神下で発揮された旬の俳優たちの演技が幸運な出会いを果たしています。
とはいってもベースにはプロの女優としてのセバーグの、セルフプロデースの技量、演技の技量があります。

ゴダールが心配した、尺の足りなさは、作家役でインタビューを受ける、映画監督ジャン=ピエール・メルビルの長時間のアップや、主人公や刑事たちの動きを俯瞰でとらえたつなぎうのカットの使用などで何とか埋めています。
ジャズ音楽の使用も良い感じです。

20歳のセバーグと26歳のベルモンド

60年代の新しい映画の女神(フランソワ・トリュフォー談)ジーン・セバーグの起用に成功し、相手役に将来のフランス人間国宝・ベルモンドを擁した、プロデユーサーとしてのゴダールの時代性。
結果として自由な撮影空間が生んだ、撮影技術と即興演技の化学反応。

かくして「勝手にしやがれ」は映画史にとってのターニングポイントとなり、ジーン・セバーグは「ヨーロッパ最高の女優」(トリュフォー談)となったのでした。

軽トラ流れ旅 和田トンネルを抜けて塩尻東座へ

大正11年に芝居小屋として発足したという映画館、塩尻東座で「勝手にしやがれ」(1960年 ジャン=リュック・ゴダール監督)を上映するというので出かけました。
10時上映というので、余裕をもって8時に山小舎を出ました。

山小舎から塩尻へ行くには、和田峠を越えて諏訪地方へ下り、さらに国道20号線で塩尻峠を越えなければなりません。
直線距離的には上田へ行くのと同程度ですが、峠を二つ越えなければならなく心理的な距離感があります。
上田地方の端っこの山小舎と、塩尻・松本地域とでは、間に諏訪地方を挟んだ遠方のイメージなのです。

この日は雨模様。
6月を目前にして、セーターを着てちょうど良い肌寒さです。

別荘地から和田峠方面へ向かいます。
ところどころ霧が路面に立ち込めています。

和田峠への山中

中山道最大の難所といわれる和田峠には現在、新和田トンネルが開通し物流に貢献しています。
有料だったトンネル通過料金が無料になりました。

峠道を上る
新和田トンネル

トンネルをくぐり諏訪地方に出ても天候は変わりません。
山々から霧が立ち上っています。

下諏訪の町をかすめ、岡谷に入り国道20号線に出ます。

下諏訪への下り

岡谷からは、諏訪湖を背景にして国道20号線を塩尻峠へ向かいます。
勾配、カーブ的にはきつくはない峠道ですが、県内有数の大動脈路線として交通量は常に多く、また車両はスピードを出す傾向にあります。
ゆったりした運転ぶりが特徴の長野県のドライバーですが、都会のようにひたすら飛ばしたがるポイントも各所にあり、国道20号線塩尻峠付近もその一つです。

国道20号線塩尻峠

国道20号線で塩尻峠を越え、塩尻の街が遠望されてくると20号線の終点の交差点に至ります。
右折するとそこからは19号線、松本方面です。
塩尻市街は左前方なので直進するか左折するかです。

国道20号線終点

ここまでの所要時間は約1時間。
10時まで時間があるので、先に塩尻農協の直売所へ。
狙いはサツマイモの苗です。

サツマイモの苗は、山小舎に近い茅野や上田の直売所では売り切れだったり予約制だったりして入手できていません。
苗の種類と量が多く、また収穫期には多種多様な野菜が出そろう塩尻の直売所は山小舎おじさんのお気に入りで、塩尻に来た時には寄るようにしています。

塩尻農協直売所。テントの下には苗が出そろう

期待通りにサツマイモの苗を購入。
ついでに丸ナスなどの珍しい品種の苗を2,3仕入れました。

紅あずまの苗50本を購入

寄り道のせいか東座到着は結構ぎりぎりの時間でした。

映画館の裏には結構な広さの駐車場があります。
続々と車両が集まってくるので驚きます。

シニア料金1,200円で入場。
モギリには支配人で映画コラムニストの合木こずえさんがいました。

合木さんは先代支配人の娘で、女優を目指し上京、その後、映画配給関係の仕事に就き東京で暮らした。
塩尻に戻ってからは、自分で企画した番組を東座で上映し始め、紆余曲折をへて現在に至る。

現在のラインナップはいわゆるミニシアター作品が主流。
そこに支配人のセンスを感じる。
現在の観客に現在進行形の作品を提供できる、というセンスを。

一方東座は昭和40年代の映画斜陽時代に、ダンスホールと喫茶店だった2階をピンク映画専門館としてリニューアルし現在に至っている。

広々とした東座専用駐車場に軽トラを止める。この後も続々車両がやってきた

ピンク映画のポスターや「大蔵映画」の看板文字。
かつての街中ではよく見られたものだが、現在こういった景色が残っている場所は東座を含めて国内に何か所あるのだろう。
飯田橋の駅前、ギンレイホールの隣にあったピンク専門館はいつの間にか閉館した。
上野の専門館もなくなったと聞く。

何年か前、偶然通りかかり、東座を〈発見〉した山小舎おじさん。
軽トラを止め、ひたすらこの景観を記憶とスマホ画面に留めたものだった。

「ひまわり」のデジタル版を上映中と知り、改めて鑑賞に再訪してから、館内に入るのはこの日で2度目。
4,5人かな?と思っていた観客数はみるみる増え、平日の10時上映ながら20人を優に超える集客。
長野の映画館で身近に人の気配を感じながらの鑑賞は初めての経験となった。

思わぬシーンが映るたびに声を出してリアクションするお客が一人おり、まるで昭和の時代の映画館客のようでひたすら懐かしかった。
1960年のパリの〈ヌーベルバーグ〉と2022年の信州塩尻の〈観客〉との接点を確認するかのような人間らしい反応だった。

〈ザ・映画館〉東座の雄姿
劇場入り口。左が1号館、右が2号館へ
今どき貴重なピンク映画のポスターが
「大蔵映画」「新東宝映画」の文字も真新しい。新東宝魂ここに健在!

「勝手にしやがれ」は画期的な作品だった。
時代と旬な俳優の奇跡のような出会いがそこにはあった。
この映画については日付を改めて述べてみたい。

東座発行の上映予定作品ラインアップ

信州ソウルフード放浪記VOL.17 イナゴ

信州伝来の食材に挑戦してみようと思います。
イナゴ、鯉、鮒、ハチの子、ザザムシなどいろいろあります。
それらは、道の駅や直売所の片隅に、あるいは地元資本のスーパーなどに並んでもいます。

今までは山小舎おじさんとそれらの食材の間には、渡り切れないほどの距離があり、橋渡しの機会(地元居酒屋でつまむとか、地元の人とワイワイ言って食すとか)がなければ、出会いはないな、と思っていました。
が、この度地元系スーパーのやおふく東御店(トオミテン)というところに寄ったとき、リーズナブルな値段のイナゴの佃煮を見て、自然に手に取ることができました。

道の駅の棚で、県外の観光客向けにデコレートされた高額なそれらと違って、地元の客向けにお惣菜として売られている姿に親近感がわき、〈距離感〉が一気に縮まったのかもしれません。

やおふくで購入した状態のイナゴ佃煮パック

イナゴの佃煮そのものはこれまでも食べたことがあり、素材に対する警戒感はありません。
警戒感があったとすれば、素材の処理と味付けに関してでしょうか。

というのも、かつて岡谷の川魚料理店でアユの佃煮を買ったときに、その生臭さにがっかりしたことがあったからです。
素材が古いのか、内臓の下処理が悪いのか、生臭さの残る佃煮はいただけませんでした。

山小舎おじさんは母方が滋賀県で、琵琶湖名物の小鮎の佃煮を食べる機会が多かったのですが、関西の端くれらしく、洗練された味付けというか、川魚を素材としつつ、別物のように加工され炊き上げられ、万人の舌に合うように磨き上げられた佃煮で、アユの佃煮というと琵琶湖のそれを思い出すののです。

対して信州のアユの佃煮は、これが川魚だ、アユだ文句あるか、といわんばかりに臭みと苦みをそのまま残したものとなっていました。
味付けも心なしか中途半端で、甘みもしょっぱみも強くありません。

ラップを取ったイナゴ佃煮パック

余談が長くなりました。

やおふくのイナゴの佃煮はお惣菜としては文句のないものでした。
素材云々ではなく、つくだ煮としてしっかり、甘く、辛く味付けされており、おかずとして文句ありません。

なお、この佃煮、イナゴの原産地が中国とありました。
この値段では国産イナゴは食べられないということなのでしょう。

イナゴを一匹つまんでみる

春ゼミとスズメバチ

山小舎の5月下旬。
晴天の日は紫外線が盛大に降り注ぎます。
日中の気温も急上昇。
洗濯物もよく乾きます。

ただし午後3時を過ぎると冷たい風が吹いてきて、薄着で油断していると体が冷えてきます。
古民家由来の山小舎は、日本家屋そのものなので室内(1階)はいつもひんやりしています。
朝晩はストーブを焚いています。

初夏を迎えんとする山小舎周辺の緑

いつの間にか春ゼミが鳴きだしました。
例年、春から初夏にかけて、別荘地一帯で鳴きだします。
透明な羽をもつ小型のセミです。

ここに来た当初は「カエルが鳴いているのかな?」と思ったほどの声です。
ほんの一時、盛大に鳴いて、夏前には鳴き止んでいるのです。

付近のミズナラ林。春ゼミの大合唱が聞こえる
春ゼミ

この時期はハチが飛び回っています。
巣を作る場所を探しているのです。

山小舎周辺にはスズメバチもよく出没します。
先日は朝方に2階の室内で発見。
ペットボトルに興味津々でのろのろ動き回っていました。
動きが鈍いのを見定めて、草履の脚で
踏みつぶしました。

またある日は、野鳥が出入りしている巣箱をのぞき込んでいるスズメバチを見ました。
野鳥はスズメバチを捕食するのでしょうか?
毒針があるから敬遠するのかな?

昨晩は台所の流しにあるコップの中にいるスズメバチを発見。
底に残ったジュースに夢中の様子でした。

皿で蓋をして捕獲しました。
「制圧」方法を考えて、台所洗剤を試してみました。

驚きました。
さすが合成界面活性剤の威力。
あっという間にハチが洗剤の海にヘタレ込んでゆきました。

コップの中のスズメバチ
この後、台所合成洗剤の原液の中に沈没

外へ出るとハチの羽音がする季節です。
今後もスズメバチには気を付けようと思います。

庭の花壇の花も咲き始めた

ということで、スズメバチトラップを作ってみました。

ペットボトルを細工

通常サイズのペットボトルを細工。
スズメバチをおびき寄せるための誘導液はネット情報を参考にして、焼酎乙類とジュースを混ぜました。

誘導液の原材料

設置場所は、誘導液の発酵が進みすぎないようにとベランダの軒下に吊り下げてみました。
果たしてどうなりましょうか。

軒下の日陰に吊り下げました

夏野菜の定植始まる その3

夏野菜の主役の一つ、キューリの苗を定植しました。
品種は夏涼み。
自根の苗を10株です。

キューリの苗を定植

4株ほどのスペースを残しておきました。
キューリは株の老化が早いので、農家は第二弾の植付をして夏後半の出荷に備えます。
その際、苗も出回るので、夏ころにその時の苗を残したスペースに植える予定です。

10株のキューリを植えました

トウモロコシの種をトレイに蒔いておきました。
連休に孫と蒔きました。
スイートハミーというF1(一代交配)の種です。
順調に芽が出たので、少し早めに定植しました。

山小舎で芽出ししたトウモロコシの苗を畑に運びます

数えると80株ほどを植え付けました。
トウモロコシ用の畝は後1列あるので、頃合いを見てトレイで新しく芽出しして、第二弾を植え付ける予定です。

80株のトウモロコシを定植

ジャガイモの芽が育ってきたので、芽かきと土寄せをしました。

ジャガイモの芽かき。3本ほどを残して芽を掻きます

男爵、メークインなどは順調に発芽していますが、今年初めて植えたホッカイコガネという品種の発芽率がよくありません。
全体的にはまあまあの状態なのではないでしょうか。
猪による食害はありません。

ジャガイモの畝を土寄せします。畝の盛り土と畝間の除草を兼ねた作業です

畑はこの後、大豆の直播、枝豆の芽出しと定植、落花生の定植、夏野菜の管理などが主な作業となります。

最初の収穫は6月の玉ねぎとレタス、キャベツになるでしょうか。

上田トラムライゼで「湖のランスロ」

トラムライゼ(旧上田電気館)へ行きました。
ロベール・ブレッソンンが1974年に製作した「湖のランスロ」という映画を観るためです。

モダンな外観のトラムライゼ(旧上田電気館)

トラムライゼは、上田映劇を復活させたNPO法人の運営で2館の距離は歩いて3、4分です。
上映プログラムは、ミニシアター系作品が中心です。
その中に、旧作をデジタルで再輸入した作品も含まれており、ブレッソンの「たぶん悪魔が」(1977年)と「湖のランスロ」(1974年)もその流れで輸入公開され、東京公開を経て上田にも来たものです。

この日は10時5分開映。
ロビーでモギリを済ませてトイレへ急ぐと、開いた入り口から場内が見えました。

スクリーンには次回上映の「勝手にしやがれ」(1960年 ジャン=リュック・ゴダール監督)の予告編がかかっており、思わず見入ってしまいました。

〈ジーン・セバーグ20歳!〉〈ジャン=ポール・ベルモンド26歳!〉〈ゴダール28歳!〉の文字が躍るスクリーン。
画面には、トリュフォーが絶賛した〈新しい映画の女神〉ジーン・セバーグの若さが輝いています。
「勝手にしやがれ」でのジーン・セバーグの登場は、映画史上で最も輝かしい瞬間の一つです。

これは何度でも見に来なければなりません。

「気狂いピエロ」予告編の一場面。(映画泥棒にならないよね)

さて「湖のランスロ」。
アーサー王と円卓の騎士伝説の英雄・ランスロが、キリストの血を受けたといわれる聖杯探しに失敗しての帰還後、王妃との不義密通、ライバル騎士との確執に揺れる挙句に死ぬまでを描いています。

例によって素人俳優、特に女優の静謐で理知的な美しさに心ひかれます。
ランスロとの不義密通を、単なる肉欲にまみれたものだけではなく、二人の宿命的なものとしての表現に説得力をもたらすこの素人女優さんは魅力的です。

パンフレットより、王妃役

西洋鎧の重さと剣の重さの表現、打撃を受けた人体の損傷の表現にはリアリテイが見られます。
騎士が乗る馬はサラブレッドではなく、農耕馬のような丈夫な馬。
騎士の野営地にはテントが張られ、黒い衣装と帽子を被った従者が騎士たちの世話をします。
ブレッソンは、ヒーローものとしてではなく、中世ヨーロッパの現実としての騎士団を描いています。

木と土壁で作られた当時のヨーロッパの家屋。
内部はクッションと防寒材を兼ねた藁のくずが散乱しています。
一歩、野営地を出ると、かつてヨーロッパ中を覆っていた暗く湿った森が広がっています。

馬に乗って槍でぶつかり合う騎士の試合に使う槍は、木を削って作り、壊れると従者が代わりの槍と交換する、という描写も、ブレッソンが史実に忠実に再現したものなのでしょう。

山小舎おじさんに、アーサー王伝説や、聖杯伝説、中世ヨーロッパの実情などの知識があればもっと楽しめたことでしょう。

パンフによると騎士道精神の崩壊過程を描いてもいるとのことでした。
ランスロは王妃と不義密通するなど、最大限の背信行為をしつつも、王への忠誠心、神への信仰心は厚く、その人間らしい矛盾と苦悩が主題の一つだったのかもしれません。

パンフより、左ランスロ、右王様

トラムライゼを出ると11時半。
上田の街で食事をと、中心部のはずれにある相生食堂へ。
850円のとんかつ定食を堪能。

熱いお茶を何度も注いで回ってくれるおかみさんのサービスにも感激し勘定へ。
1,050円出すとおつりを500円出してきました。
850円だよと言って200円のおつりをもらいなおしました。
大丈夫かなおかみさん。

相生食堂全景

今年最初の上田映劇

上田映劇は、大正6年開業の上田劇場をルーツとする映画館。
現在はNPO法人が運営するミニシアターとなっている。

映画好きの山小屋おじさんとしては、上映情報のチェックが欠かせない。
上映作品は、いわゆる内外のミニシアター系の新作が中心だが、時に「フィルム上映大会」として寺山修司の「田園に死す」などを取り上げたり、地元上田出身の映画監督・成沢昌茂の追悼上映として、「花札渡世」など4作品を上映するなどの企画にも取り組む。

今回はロベール・ブレッソンというフランスの映画監督の旧作「たぶん悪魔が」(1977年)が上映されたので駆け付けた。

この日、劇場に駆け付けると、支配人がラックにチラシなどをセットしていた

この日の上映開始は16時20分。
14時半ころまで畑で苗の植付作業などを行い上田を目指す。

上映開始までに近くの商店街で今川焼のあんことクリームを購入、上田映劇に併設しているカフェでコーヒーテイクアウトしてから場内へ。

いつものように広々とした場内。
観客は自分を入れて5人ほど。
まるで大スクリーンを個人で独占しているかのような鑑賞条件に感謝、満足。

ロベール・ブレッソンは映画史上で評価が定まった巨匠だが、山小舎おじさん的には、リアルタイムで見た「白夜」(1971年)という作品が唯一の鑑賞体験。

ここ最近になって、「少女ムシェット」(1967年)、「やさしい女」(1969年)などがデジタル素材で再輸入されてミニシアターなどで上映されており、本作「たぶん悪魔が」と「湖のランスロ」(1974年)も同様にデジタル素材での輸入公開(日本では初公開)となったもの。

作品チラシより、ブレッソン紹介の部分

今川焼を食べ、コーヒーを飲みながら(上田映劇は場内での飲食可能)ほぼ初めてのブレッソン作品を見た山小舎おじさん。
芸術作品にありがちな、観念的、象徴的、形而上的な映画なのかと思っていました。
もしそうだったら無理して理解しようとはせず、画面のあるがままを受け入れ、力を抜いて見ていようと思いました。
退屈しないか、だけが心配でした。

作品チラシより

心配は当たりませんでした。
登場人物は他のブレッソン作品同様、職業俳優ではないようでしたが、静謐で知的な美男美女でそれだけで画面が締まります。

素人俳優の演技は個性を排した動きで、まるで小津作品における俳優たちのセリフ回しのようですが、それが映画そのものをスポイルするということはありませんでした。

登場人物たち

ストーリーは、1970年代のパリの学生である青年が、あらゆる事象に救いを得ることができず、自殺するといいものです。
政治運動、宗教、ヒッピー、麻薬、恋愛、学問などの事象が出てきますがそれらは青年の救いにはなりません。
反対に当時の環境汚染などの映像が青年の絶望の象徴としてカットインされます。

映画を貫くテーマは、ブレッソン監督の感性〈そのもの〉です。
もっというと、ブレッソンの感性〈それだけ〉です。

俳優に自由な演技を許さず、むしろロボット的な動きを求めるなど、ブレッソンの感性を逸脱する動きを排した映像が続く作品です。
そういった作品が緊張感を維持し、退屈ではないのは、ブレッソンの感性の完成度が高く、また普遍性を持っているからだと思います。

映画作家には、〈この作品を撮らなければ前へ進めない〉と思って作った作品があるように思います。
それは大島渚の「日本の夜と霧」(1960年)だったり、ビリー・ワイルダーの「異国の出来事」(1946年)だったりします。
両作品に共通するのは興行的にヒットしなかったこと(「異国の出来事」は日本に輸入すらされなかった)。
作家の個人的感慨を唯一のテーマにしたり、濃厚に反映させた作品の宿命でもありましょう。

おそらくはブレッソンのフィルモグラフイーはほとんど全部が、ほかのだれかが企画したものではなく、ブレッソン自身が〈この作品を撮らなければ前へ進めない〉と思って撮った作品なのではないでしょうか。
その結果が、興行成績はともかく、各作品が映画祭等で受賞し、現在に至るまでファンを獲得しているところがロベール・ブレッソンのすごいところだと思います。

夏野菜の定植始まる その2

ナスとトマトの苗を定植しました。

ナスの苗を計10本、大玉中玉トマトの苗を14本用意しました。

買い集めておいたナスの苗を定植前にえひめAIの希釈水につける
元気なトマトの苗

ナス10本の内訳は、千両2号が4本、長ナスが2本、丸ナスが2本、小布施ナスが2本です。

千両2号はいわゆる標準型のナス、長ナスは細く長めの実が付く品種、丸ナスは在来種で丈夫な品種、今年初めて作る小布施ナスは北信地方の在来種で、きんちゃく型の実がつく品種です。

トマトは、露地栽培向けのサターンという品種を8本、一般的な大玉品種の桃太郎を2本、加工用品種のシシリアントマトを4本です。

苗は定植前にえひめAIの希釈水につけてからマルチを張った畝に定植します。
マルチの下の土はほくほくしていて温かく、冷たい希釈水に浸った苗の根を包み込むように迎え入れてくれます。

ナスは体重をかけて埋め込み、支柱を立てて結わえます。
さっそくの水やりも欠かせません。

トマトはいつもの寝かせ植えをし、マルチにかかる部分が熱で焼けないよう草を敷いて枕にします。
乾燥気味に育てる方が根の張りもいいので水やりはしません。

去年のように無事育って実をつけ、高原野菜を待っている東京の方々を喜ばせることができるように!

夏野菜の定植始まる

5月の連休が終わると夏野菜の定植の時期です。

JAのみならず近隣の直売所を巡り苗を調達します。

山小舎おじさんが、苗を調達によく行く直売所は、茅野のたてしな自由農園、立科町のなないろ畑、丸子のあさつゆ、佐久市望月地区の望月農協、佐久市赤坂地区の赤坂直売所などです。

こういった直売所には、大手のJAでは見かけないような、つやつやした、見るからに丈夫そうな苗や、ハックルベリーや小布施ナスなど珍しい品種の苗があったりします。

たてしな自由農園の苗売り場

集めた苗を順繰りに畑に定植します。

「ガッテン農法」で去年までに立てておいた畝に、えひめAIを散布し、マルチを架けておきます。
フカフカで水分が保たれ、地温のある土になっています。

畝にはすでに雑草が束になって芽吹き始めています。
雑草の芽の集団を剥がすように除去しつつ、マルチを架けておきます。

畝にマルチを架けて定植の準備

この日は、セロリ3株、ズッキーニ4株、ハックルベリー3株、モロヘイヤ1株、ピーマン4株、シシトウ2株、万願寺トウガラシと大甘トウガラシを各1株、タカノツメ3株を植えました。

セロリ(去年は硬く育ってしまったので今年は柔らかいものを収穫したい)
ズッキーニ(収穫遅れで実が巨大化するのを今年は防ぎたい)
ハックルベリー(東京のファンに今年も届くように・・・)

ピーマン類の苗には支柱のほか、行灯と呼ばれる風よけをしつらえておきます。
保温と風よけのためです。
ピーマンの苗は軟弱なので、強風にあおられると茎がポキッと折れることがあります。

ピーマン、トウガラシ類を定植
行灯の中のピーマンの苗。暑いときはビニールのすそを挙げて風を通す。

ポットに芽出ししておいたカボチャ数株と、直売所で購入した甘龍という白く細長い品種のカボチャ2株も植えました。
種から育てたカボチャの成長が楽しみです。

種から育てたカボチャも定植の時期を迎えた

ヤーコンはマルチなしの畝3列に植えました。
ヤーコンは購入したポットの苗を半分か三分の一に分割して植えました。
ポットの中の種芋を割って植えてもヤーコンは育つのです。

鹿が嫌う、里芋、ヤーコン、菊芋を同じ圃場に植えています。
今のところ菊芋の若芽が少々食われた程度に食害は止まっています。

ヤーコンも定植完了。10月の収穫まで頑張って!

4月に植えた作物の様子です。
キャベツは4月の積雪に遭い、結局全滅しました。
同時に植えたレタスは生き残りましたが、その後の生育はよくありません。
積雪後に苗を買って定植したレタス類は順調です。

積雪後に定植したレタスは順調
ジャガイモの列は芽が出そろう

夏野菜の主役、トマト、ナス、キューリは現在苗を調達中です。