ベランダ側の外壁塗りで DIY!

ベランダ側の外壁を防水防腐塗装しました。

今まで機織り機がベランダの奥に置かれていて、なかなか手入れができなかった部分です。

塗装前の外壁。手前には乾いた薪を積み始めている

この春に山小舎おじさんの奥さんの指導の下、息子に加わってもらって重く大きな機織り機を移動。
ベランダの奥から引きずり出し、ベランダ中央部の家よりの部分に置き場を変えました。

今まで手の付けられなかったベランダ最深部が現れたので、手摺、柵、柱の部分を塗装しました。
これで、ベランダそのものについては、防水防腐塗装がほぼ完了しました。

ついでにベランダ側の母屋外壁の塗装を行いました。
ベランダのこの場所には、あとあと、乾いた薪の置き場としても使いたいので、その前に塗装したかったのです。

塗料を攪拌し、重ね塗りしました。
下準備としては1か月ほど前にホースを引っ張って、壁板に水をかけ、たわしでこすっておきました。
直接は雨水、雪などがかからない場所ですが、それなりに汚れが流れ落ちてゆきました。

塗料は一斗缶のまま年を越していましたので、缶をヨコにするなどしたうえで、よく振ってから使いましたが、塗料が上澄みのさらっとした感じでした。
半乾きのまま重ね塗りしましたが、去年塗った部分に比べて色が薄いような気もしました。

塗料にはナフタデコールを使用
今日の作業は終了。後日もう一回重ね塗りの予定

外壁はまだまだ未塗装部分が広大にあります。
できる範囲で、ぼちぼちやってゆこうと思います。

DVD名画劇場 1940年代最高の美人女優ジーン・ティアニー

ジーン・ティアニーという女優がいました。
1920年ニューヨーク生まれのアイルランド系。
旅行でハリウッドのスタジオを訪れたときにスカウトされ、1940年代に活躍した。

叩き上げ女優のような強烈な存在感に訴える女優ではなく、気品ある美しさが持ち味だった。

ジョン・フォードの「タバコロード」(1941年)やエルンスト・ルビッチの「天国は待ってくれる」(1943年)などに出演した。

映画評論家の山田宏一や蓮見重彦がジーン・ティアニーのファンで、彼らの著作や対談集には彼女に一章が割かれていることが多い。

今回はジーン・テイアニーの出演作から2作を選んで見てみた。

「砂丘の敵」 1941年 ヘンリー・ハサウエイ監督

ジーン・ティアニー21歳の時の作品。

製作はウオルター・ウエンジャー。
第一次大戦後のパリ講和会議で大統領補佐官の任についたという、数か国語を操る人物で、パラマウントに入社後、プロデユーサーとして独立し、数々の作品を制作した。

主に1930年代から40年代にかけて活躍し、ドイツからの亡命ユダヤ人監督フリッツ・ラングの「暗黒街の弾痕」(1937年)、「入り江の向こう側の家」(1940年)のほか、ジョン・フォードの「駅馬車」(1939年)やアルフレッド・ヒッチコックの「海外特派員」(1940年)をプロデユースしている。

本作「砂丘の敵」は英領東アフリカが舞台の冒険活劇。

世界大戦時の不安定な情勢下で、英国から派遣された軍人、鉱物学者らが、現地人に不正に武器を供与する勢力の暗躍に立ち向かうストーリーで、クレジットのトップを飾るジーン・テイアニーは現地で生まれ育ち、父が築き上げた現地の隊商による交易利権を継承しているという白人娘で登場する。

敵対勢力(ドイツを暗喩)に立ち向かう連合国白人チームの冒険活劇、という点ではのちの「インデイジョーンズ」をほうふつとさせる。

ユダヤ人でもある製作者のウエンジャーが、反ナチの意味を込めた本作の設定は、この後アメリカ映画のいわば定番の設定ともなり、ナチス勢力はわかりやすい悪役として登場し続けることとなる。
「砂丘の敵」はその原点の1本なのだろう。

DVDパッケージ裏面より

ジーン・テイアニーはスカーフを被り、おなかを出したハーレム風衣装で活躍する。
当時のオリエンタルな女性スタイル(とおもわれるもの)である。

当時のアメリカ映画「アラビアンナイト」(1942年 ジョン・ローリンズ監督)や「アリババと四十人の盗賊」(1944年 アーサー・ルービン監督)でも、シエラザードやお姫様を演じたドミニカ出身の美人女優マリア・モンテスも、スカーフとおなか出し、はお約束だった。

東アフリカと中東では、風景も人種も服装も異なるとは思うのだが、西欧(とアメリカ)にとっては、自分たちの世界以外は〈東〉としてひとくくりにしていた世界観(今も?)なのだろう。

「砂丘の敵」のジーン・テイアニー

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
現地人の隊商を統括するベールを被った美しき白人娘。
〈民主的〉にあーだこーだと、仲間内では揉めながらも、最終的にはテキパキと敵対勢力を打ち破る連合国チームのスリリングな活躍。

大戦下の不安に満ちた雰囲気漂う作品ながら、かつ、のちの冒険活劇の原点ともいえる要素に満ちた「砂丘の敵」でした。

文庫版「傷だらけの映画史」の表紙を飾るジーン・テイアニー

ここで余談

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
「アラビアンナイト」でもそうだったが、ラクダはともかく、中東やアフリカでこのようにたくさんの馬が運用できたのは史実なのだろうか?

スピード感があって映画的にはこれでいいとは思うのだが。

マリア・モンテスが出演するアラビアもの2作品

「風とライオン」(1975年 ジョン・ミリアス監督)でも、現地人首領に扮したショーン・コネリーは集団を馬で運用していた。
ショーン・コネリーが誘拐したアメリカ領事?夫人役のキャンディス・バーゲンを自らの乗馬に抱え上げて立ち去る場面は、映画のハイライトとしてヒロイックに演出されていたが、果たして。

「ローラ殺人事件」1944年 オットー・プレミンジャー監督 20世紀FOX

ジーン・テイアニーの代表作で、オットー・プレミンジャーの出世作。
美人で華やかな活躍をする主人公ローラを巡る男たちの悪夢の物語。

殺されたはずのローラが現れて、刑事や真犯人らが驚く。
ローラを巡る、パトロン、婚約者、刑事らの心理が謎めいて描かれる。

高慢で滑稽なくらい個性的なパトロン、女にだらしないクズっぽさ全開の婚約者。
一匹狼風の敏腕刑事にしても、一人で殺人現場のローラ宅に泊まり込む、という異様さ。

まともな人が出てこない。
刑事でさえも途中からローラの陰に取り込まれ、夢中になってしまう。
もともと彼らがまともではないのか?それともローラが彼らを虜にしているのか?

ジーン・テイアニーは本作当時24歳。
貫禄もつき、美しさに磨きがかかっている。
まさに適役。

様々な髪形、ファッション、帽子で登場し、いちいちキュートだ。

ラストで謎は解明され、真犯人が射殺され、ローラは刑事の胸に飛び込む。
それまでの間、何より観客はローラの魅力に惑わされ、迷宮のストーリーにさ迷う。
悪夢のようなその展開がこの作品の狙いだったのだろう。

信州ソウルフード放浪記VOL,20 小海町の風とり食堂

八ヶ岳の東山麓、国道141号線沿い。
高原のパン屋さん、スーパーナナーズの並びに食堂風とりはあります。

バイトの草刈りで一緒の管理事務所の職員さんが教えてくれた食堂です。

八ヶ岳を茅野から小海町へと横断する、メルヘン街道の麦草峠を越えてゆきました。

高原のパン屋さんもスーパーナナーズも、小海町を通る際には寄るところですので、目指す風とりもすぐわかりました。

食道正面全景
店先のメニュー表

おすすめの風とり丼を注文します。
とんかつのほかに、白身魚とエビとイカのフライが乗ったどんぶりです。
最近少食になった山小舎おじさんにとって、思いのほか量が多く、やっとの思いで完食しました。

メニューより
お店おすすめの風とり丼。

正直いって、イカやエビのフライはともかく、メインのとんかつが〈通常レベル〉のものなので、満腹以上になると胃に入ってゆきません。
とんかつ専門店ではない食堂なのでしょうがありませんが。
風とり丼は若い人向けのメニューでした。

かの別荘管理事務所の職員さんは、カツ丼とラーメンのセットを食べると言ってました。
若いです!

休み休み食べ終えた山小舎おじさん。

店を出ると10人近くのライダー集団が、佐久方面からやってきて食堂の駐車場に入ってゆきました。
ライダー飯としても有名な場所のようです。

今度来るときがあったら、信州サーモン丼か馬刺し丼にしようと思います。

DVD名画劇場 クララ・ボウとシルビア・シドニー

映画プロデユーサーの息子で、作家のバッド・シュルバーグの自伝的回顧録「ハリウッド・メモワール」には、1920年代から30年代のハリウッドが活写されており、様々な映画人が登場する。
この書で、子供時代の筆者の視点で印象的に描写されているのが、女優のクララ・ボウとシルビア・シドニーだった。

バッド・シュルバーグ著「ハリウッド・メモワール」。表紙はシルビア・シドニー

クララ・ボウは、バッド・シュルバーグの父のB・P・シュルバーグがスカウトしてきた新人女優だった。

子供だったバッドから見ても、〈クララは演技ができなかった。それに覚えがいい方ともいえなかった〉(「ハリウッドメモワール」P160)が、同時に〈彼女の全身から電流のような活発さ、うきうきする感じが発散していた〉(同161P)存在だった。

1920年代のセックスシンボルとしてクララ・ボウの評価は現在定まっている。

クララ・ボウ

シルビア・シドニーはニューヨークの芝居に出ていたところをB・Pにスカウトされた、東欧ロシア系のユダヤ人で、1933年に結成されたのちのHANL(ハリウッド反ナチ同盟)の創立メンバーの一人だった。

映画はトーキーとなり、セリフがちゃんと喋れるタイプの女優が重宝された。

まもなく彼女とB・Pは共に暮らすようになり、B・Pはバッドらが暮らす自宅には帰ってこなくなった。

〈私の目には、シルビア・シドニーが自分の女優としての立場を守るために父の血を吸うきれいな吸血鬼のうちの最新の女だと決めつけている考えを変えることはできないと思えた。〉(同書353P)

シルビア・シドニー
蜜月時代

今回は彼女らの代表作を見てみようと思った。

「つばさ」 1927年 ウイリアム・A・ウエルマン監督  クララ・ボウ主演 パラマウント

第一次大戦時の複葉機による空中戦を再現した戦争ドラマ。
クララは若き戦闘機乗りの恋人に思いを寄せ、従軍女性ドライバーとして戦地に赴き、また必要とあらばフラッパーな格好でパリのカフェに現れ恋人に迫る、健気で可愛げのあるアメリカンガールを演じる。

「つばさ」より

監督はこれが出世作となったウエルマン。
無名の存在だったが、空軍の従軍経験をアピールし、当時で製作費100万ドルを超える大作のメガホンをとることを必死に製作者のB・Pに売り込み。パラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーはB・Pの連帯責任を条件にOKした。

ウエルマン監督

とにかく空中戦のシーンが多い。
それもロングショットで撃墜シーンなどが繰り返される。

基本、実写だった時代の空中戦の撮影は、出演する方も演出の方も大変だったろうと想像がつく。
地上戦の再現シーンも大掛かりで、とにかく戦闘シーンの再現に力が入った作品。

戦闘場面

一方で、パリのカフェで酔っ払って正体不明の恋人に、フラッパーなクララが迫る場面では、シャンパングラスから泡が出てくる特撮を演出。
ロマンチックなムードを醸し出してもいた。

DVDパッケージ

サイレント時代の作品だが、実写の空戦シーンを中心に今でも目を見張るところのある作品だった。

「暗黒街の弾痕」 1937年 フリッツ・ラング監督 シルビア・シドニー主演

若い主人公たちが社会の無理解から追い込まれ、犯罪に手を染めた挙句に自滅してゆく姿を描く、いわゆる〈ボニーとクライド〉ものの原点といわれる作品。

シルビア・シドニーは主人公の弁護人事務所の秘書だったが、ヘンリー・フォンダ扮する主人公と恋に落ち、犯罪を犯して自滅するまでの行動を共にする。

「暗黒街の弾痕」の一場面

雨の中、バックミラーに映る目線だけで犯人側を表現した銀行強盗シーン。

人気のない操車場の貨車に隠れるシーン。

恋人が差し入れた拳銃でヘンリー・フォンダが死刑当日に脱獄する一連のシーン。

いずれも〈この世のものとも思えない〉緊張感に満ちた悪夢のような場面が続く。

DVDパッケージ

制作者:W・ウエンジャー、監督:F・ラング、主演:S・シドニーらメインスタッフ、キャストがユダヤ人である事が、開戦前夜の世相と相まっての不安感、悪夢感に満ちた画面を起因せしめているのだろうか?

ドイツからの亡命者、フリッツ・ラングのアメリカ映画の第2作目。

本作でのラングの視点は、登場人物を冷徹に見つめるもの。

本作は、〈ボニーとクライド〉ものの原点と呼ばれてはいるものの、のちの「ハイシエラ」(1941年 ラウール・ウオルシュ監督)でのハンフリー・ボガートとアイダ・ルピノ、「夜の人々」(1949年 ニコラス・レイ監督)のファーリー・グレンジャーと.キャシー・オドンネル、「拳銃魔」(1950年 ジョセフ・H・ルイス監督)のジョン・ドールとペギー・カミングス、「明日に処刑を」(1972年 マーチン・スコセッシ監督)のデビッド・キャラダインとバーバラ・ハーシーが演じた〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉作品で濃厚に漂う、若い犯罪者への同情というか共感の視点はほぼない。

ヘンリー・フォンダのキャラに同情の余地は少ないし、シルビア・シドニーがフォンダに惹かれる必然性の描写はない。
むしろ、二人の逢瀬の場面で池のガマガエルを執拗に映して、若き犯罪者を突き放すようなラングの視点がある。
もともとが真人間とは異なる世界の人間の物語だといわんばかりに。

DVDパッケージ裏面

冷徹で表現主義的なラングの描写は、銀行強盗のシーンがのちのギャング映画にそっくり使われたり、安モーテルで公証人?から結婚証明書をもらう場面が、のちの〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉映画の数々で繰り返されたり、貨車の場面が「明日の処刑を」に援用されたり、と、映画的記憶の原典の数々を生み出した。

「明日に処刑を」貨車のシーン

シルビア・シドニーの清純な演技も一見の価値がある。

諏訪大社上社本宮の御柱

令和4年の御柱を訪ねる旅。
今回は上社本宮へ行きました。

5月の連休に茅野市から諏訪市にかけての道を、諏訪大社上社へ里曳きで運ばれた御柱は、前宮に4本、本宮に4本立てられています。

立派な本宮の鳥居をくぐったところに一の柱が立っています。
7月の3連休、そこそこの観光客が訪れています。

御柱を確かめ、本宮を後にしました。
後の3本は見る時間がありませんでした。

巨大ズッキーニを食す

ズッキーニという作物は実が成ったままで放っておくと巨大化します。

キューリなどもそうですが、採り遅れて巨大化すると種ができてきます。

キューリとズッキーニが異なるのは、ズッキーニが巨大化してもあまり食味に影響しない点です。
地方の直売所などには巨大化したズッキーニを安く売っているところもあります。

7月上旬に1週間畑を留守にしていた山小舎おじさんは、今年も巨大ズッキーニと対面することになってしまいました。

3本ほどは山小舎にやってきた奥さんに持って帰ってもらいました。
そのほかに巨大キューリをたくさん持って帰ってもらいました。
山小舎には2本の巨大ズッキーニが残りました。

1週間不在の後の畑で収穫したズッキーニ
この日のキューリもご覧の通り

山小舎ではズッキーニを〈夏のオールマイテイの野菜〉として重宝します。

カレーに入れます。
豚汁には大根代わりに入れます。
ソテーしてもおいしいです。
冬瓜の代わりにダシで煮てあんかけにしてもいいでしょう。

山小舎の「普段使い」のズッキーニ
断面。中央部分にできたワタはが取り除いて使う

この日は豚汁に入れることにしました。
巨大ズッキーニは台所に転がしておいて、必要に応じて輪切りにして使います。

豚汁の具にするときは、一番最後に入れます。
煮すぎると煮崩れするからです。

豚汁に投入したズッキーニ

煮崩れするとせっかくの歯触りが失われてしまいます。

しばらくは夏の恵みをいただけます。

DVD名画劇場 太平洋戦争の分岐点「ガダルカナルダイアリー」と「シン・レッド・ライン」

1942年のソロモン諸島をめぐる陸海空戦は、日米両軍の戦力が拮抗していた時期のことだった。

そもそも日本軍がなぜ、今にして思えば無謀な、かつ1943年の御前会議で決定された〈絶対防衛圏〉(千島、マリアナ諸島、ニューギニア西部を結ぶエリアを太平洋戦争における日本の最終防衛圏としたもの)においてすらその圏外とされたソロモン諸島に兵を進め、あまつさえ貴重な戦力を漸次低減消耗させていったのだろうか?

日米両軍が死闘を繰り広げたヘンダーソン飛行場の現在

その契機となったのが、飛行場建設のために、ソロモン諸島のガダルカナル島に上陸した日本軍守備隊と、その後ガダルカナル島に反抗上陸した米海兵隊との一連の戦いだった。

当時の写真。表情の必死さ

1942年7月の米軍反抗上陸から、1943年2月の日本軍撤収まで、ガダルカナル島内の陸戦のほか、幾多の海戦、空戦が行われ、日米両軍ともに相当数の軍艦、輸送船、航空機、兵員を周辺海域で失った。

米軍の目的は、西太平洋の日本軍に対する反抗の拠点としての飛行場占領確保で、日本軍の目的は米豪分断の拠点としての飛行場建設と確保だったが、日本軍の飛行場再占領の作戦はすべて失敗に終わり、ガダルカナル島に残された陸軍兵の兵站は分断され、駆逐艦、潜水艦による細々とした物資輸送を余儀なくされた。
飢餓とマラリアに苦しめられた日本軍は駆逐艦により残存兵を撤収し、ガダルカナルでの戦いは終わった。

映画の一場面ではない。実戦だ

「ガダルカナル・ダイアリー」1943年 ルイス・セイラー監督

同島米軍上陸の1年後に製作された劇映画。
従軍記者による原作の映画化。

太平洋戦争真っ盛りの時期の劇映画ながら、単純な戦意高揚映画ではなく、また一方的に米軍の活躍を賛美してもいない。
戦争を知る人々が作った冷静さ、シリアスさを感じられる作品。

この戦争では、ジョン・フォード、フランク・キャプラ等そうそうたるハリウッド巨匠が招集され、戦争記録映画を撮っている。
本作は有名ではない監督と出演者によるものだが、その独立性がリアルな映画作りに貢献したのだろうか?
デビュー間もないアンソニー・クインが海兵隊役で出ている。

輸送船内での新兵の不安、上陸直前の恐怖感が描かれている。
一方で、日本軍の刀を土産に持って帰りたい、などと話す明るく陽気なアメリカ兵の姿は、のちのハリウッド映画のアメリカ兵の姿と同様だ。

上陸直後は戦闘機が7機しかなかった米軍。
おっかなびっくり上陸し、日本軍を追ってゆく。
ジャングルには入りたがらない様子なども描かれる。
指揮官は「日本軍を甘く見るな」を連発する。

DVDパッケージ裏面

ガダルカナルを巡る一連の戦闘の記録としても貴重な作品。
劇中のセリフに、〈サボ島沖海戦〉が出て来たり、日本海軍の戦艦、金剛と榛名によるガダルカナル島飛行場への夜間艦砲射撃の描写も出てくる。

飛行場を占領した米軍への反撃として、ガダルカナル島沖に日本海軍の高速戦艦が夜間出撃し、焼夷弾による艦砲射撃を行い、飛行場と周辺の物資を火の海としたもの。
防空壕で艦砲射撃におびえる海兵隊員の姿が描かれていた。

交代要員が到着し、ボロボロになった先任の海兵隊とすれ違う。
ピカピカで張り切っている交代要員と、黙々と行進する前任の海兵隊員との対比が描かれる。

そこには戦争の賛美も、米国の全能感もない。
主役の一人、アンソニー・クインも作品の途中、戦闘で狙撃されてあっけなく戦死する海兵隊員を演じている。

「シン・レッド・ライン」1998年 テレンス・マリック監督 20世紀フォックス

ガダルカナルのジャングルを進む米米兵

「ガダルカナル・ダイアリー」から55年後に描かれたガダルカナルの戦闘。

55年前の映画では上陸前の輸送船内の米兵は、ジャズで踊っていたが、本作では物悲しいバイオリンがむさ苦しい輸送船内の蚕だなベッドに流れる。

上陸後の戦闘では、日本軍の迫撃砲に負傷する米兵の叫び、苦痛の声がやまない。

突撃前に胃がつって動けなくなる米兵。
丈の高い草の中を恐る恐る前進する米兵。

ニック・ノルテイ扮する中佐は叩き上げの指揮官で、やたら部下を叱咤し、酷使して成果を焦る。
昔の劇映画なら、小心で狡猾な卑怯者の指揮官として描かれるだろうキャラクターも、この作品では組織としての軍隊で屈辱にまみれながら年下の上官に仕えてきた中間管理職の、無能ではあるが悪意のない姿として描かれる。

ショーン・ペン(右)

故郷に残してきた最愛の妻がいる米兵。
美しい妻との魅惑的な回想シーンがカットインされる。
最前線で妻からの待望の手紙を受け取った米兵が、その手紙で妻から離婚を懇願される絶望感。
妻は別の男に〈恋〉をしたという。

白兵戦で日本兵を蹂躙する。
降伏した日本兵を銃座で殴り蹴飛ばす。
死体から金歯を集める。
死臭を避けるために鼻の穴にたばこを詰める。

交代要員を迎えた米兵の姿は敗残兵のように疲れ切っている。

パッケージ裏面

主人公は脱走して原住民の村に入り浸っていたところを哨戒艇につかまってガダルカナル戦に連れていかれた。

水木しげるさんも兵隊時代にソロモン諸島での戦闘を経験。
脱走こそしなかったが、原住民の村に自由に出入りし、村長の娘と仲良かったと自伝の漫画にあった。

「シン・レッド・ライン」の天国のような原住民村と米兵の描写も嘘ではないのだろう。

一時的なパラダイスに憩う兵隊たち。現実か幻想か

戦闘シーンでは日本軍の激しい砲弾の中を米兵が進む。
当時、兵站は途切れ、ただでさえ弾薬が乏しかった日本軍が、平地を散開して進む米兵に対し、果たしてあんなに景気よく砲弾を消費したものだろうか?という疑問もわく。

ジョン・キューザック

ショーン・ペン、エイドリアン・ブロデイ、ジョージ・クルーニー、ジョン・トラボルタなどの新旧俳優が挙って出演を希望したという作品。
寡作のテレンス・マリックは本作品で第49回のベルリン映画祭金熊賞を受賞している。

(おまけ)「太平洋航空作戦」1951年 ニコラス・レイ監督 RKO

日米が雌雄を決したガダルカナル戦には米空軍も参加した。
この作品はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に展開した米空軍戦闘機隊の物語。

ロバート・ライアン大尉の元、腕利きの戦闘機隊に出動命令が下る。
指揮官はライアンが昇進して当たるのではなく、新任の少佐のジョン・ウエインが赴任してきた。
命令が絶対で、作戦のためには部下を容赦なく使い倒す少佐。
この少佐と大尉(および隊員)の間に軋轢が生まれる。

部下思いのヒューマニストがライアン、作戦遂行のためには統制第一のウエイン。
両者のキャラクターは、ただし画一的ではない。
ウエインが戦死した部下の両親に手紙を書いたり、家族の声をソノシートで聞いてしんみりしたり、と人間性も見せる。
ライアンは部下のためにはウエインと衝突もするが、それは指揮官を上司に持つ〈気楽な〉立場のなせる業でもあると最後に示唆される。

戦争当時の、グラマン、コルセアなどの実機が編隊で飛ぶ飛行シーン。
当時の機体がほとんど残っていない現在ではこんな画面は二度と撮ることができない。

負傷したパイロットが、プロペラを曲げながら何とか着陸するが機体は壊れるシーン、日本軍の空襲でグラマンが燃えるシーンなど、実機をバンバン壊したり燃やしたりして、ぜいたくな撮影を敢行。

空戦シーンは実写フィルムをモンタージュしており、主に日本機が撃墜される映像が続く。
金剛、榛名の艦砲射撃でヘンダーソン飛行場が炎上し、ウエインらが掩体壕に飛び込むシーンもあり、史実に忠実たらんとする姿勢は見える。

それでもあれっ?と思ったことがあった。

たとえばウエインが日本の輸送船談を空襲する際に、無線電話で列機に「トウキョウエキスプレスを攻撃する!」というシーンがあったが、東京エキスプレスとは、速度が遅い輸送船では兵站を維持できない日本軍が、やむなく駆逐艦や潜水艦を使って夜間細々とガダルカナルの残存兵に食料弾薬を運んでいたことを米軍が揶揄したコトバなはず。
日本の輸送船がガダルカナル近海でさんざん沈められたのは事実だが、輸送船団は〈エキスプレス〉ではない。

日本軍の呼称についてはこの映画、ニップスとジャップが使われていた。
「ガダルカナルダイアリー」や「シンレッドライン」ではジャップ一辺倒だったが、ここら辺何か意味があるのか?

また、一時本土に戻り帰宅するウエインの土産は日本刀。
それを幼い息子に与え、息子は重いはずの真剣を片手ですらッと抜刀する場面があった。
特に意味のないシーンではあろうが、日本人としては不自然極まりない思い。

更に言えば、ガダルカナル戦のはずが、いつの間にか時間経過し、機種がグラマンから戦争後期に使われたコルセアに代わり、日本のカミカゼ攻撃が現れたが、これは単なる尺のカットで、説明不足のなせる業か?

さはさりながら1951年のこの作品。
世の中は大戦の経験を鮮明に残した人々が現存し、また新たな朝鮮戦争が起こっている。
単純な米国賛美、軍隊賛美では嘘くささが喝破されかねない風潮でもあったろう。
スポーテイな戦争映画ではなく、銃後も含めて人間の痛みが伝わるような作りとなっている。

DVDパッケージ裏面

監督のニコラス・レイはRKOの「夜の人々」(1949年)でデヴュー。
社会に疎外された若い男女が、惹かれ合うも社会に受け入れられず、犯罪に手を染めて自滅してゆく、いわゆる〈ラヴ・アンド・ザ・ラン〉の佳作だった。
このデヴュー作は、のちに「カイエデュシネマ」の評論家に「B級映画だが精神においては上等」と評価された。

ニコラス・レイは、その後も「暗黒への転落」(1949年)や「危険な場所で」(1951年)などで、旧来の権威に対する疑問と弱い立場の者に対する同情的な視点を崩さなかった。
「太平洋航空作戦」はレイ初のカラー大作ではあるが、人間を見つめる視点は変わっていなかった。

ニコラス・レイの左翼的姿勢は、デヴュー当時にハリウッドを席巻していた〈赤狩り〉の犠牲になってもおかしくなかった。
本人が非ユダヤ人だからということもあるが、所属する映画会社のRKOのオーナー、ハワード・ヒューズの庇護により、非米活動委員会への召喚を免れたといわれる。

信州ソウルフード放浪記VOL,19 岡谷の鰻

長野県民がごちそうと思うのは、てんぷら、マグロ、うなぎだそうです。
諏訪湖を擁する諏訪、岡谷地方では、ワカサギと並んでうなぎが古くからの名物です。

昭和元年には、諏訪湖、天竜川周辺で38トンのうなぎの水揚げが記録されています。
現在では天然うなぎを商いする鰻屋はほとんどみかけないものの、諏訪湖と、そこから流れ出る天竜川に接する岡谷市は、うなぎのまちとして町おこしをしています。

町おこしパンフレット表紙

山小舎おじさんも家族が来た時など、諏訪湖周辺へ出て鰻を食べることがあります。
この日は岡谷にある小松屋という店へ行ってみました。

パンフレット内内容

料亭風のアプローチを経て玄関をくぐります。
この日のメニューは鰻重、鰻丼、鰻定食の三種類のみ。

しっかりとアクリル板で区切られたテーブル席に案内されます。

出てきた鰻重。
ふんわりと柔らかく焼けており食べやすかったです。

小松屋の玄関
鰻重。ご飯の量もちょうどよく、満腹。

岡谷の鰻というと、蒸さずにパリッと焼き、甘辛いたれをかけた店が多いのですが、小松屋さんは関東風に近い食味でした。

入店時はパラパラだったお客さんが、あっという間に満席になりました。
退店したときには、完売の看板がかかっていました。

完売御礼の看板に見送られて退店

岡谷周辺には、水門、観光荘などの有名鰻店が点在しており、どこも常に満員です。
家族が来た時に、たまに食べる鰻が楽しみな山小舎おじさんです。

諏訪大社上社前宮の御柱

令和4年の諏訪大社御柱祭は5月に終わりました。
上社、下社ともに山出しはトレーラー曳きで。
山落し、川越は行われませんでした。
大社直前の2キロほどの里曳きだけが例年通り行われました。

その里曳きも、上社は5月連休に、下社は5月下旬に無事終了。
御柱は各社に立てられています。

現在は7月。
遅ればせながら令和4年寅年の御柱を下社前宮に見に行きました。

県道に面した鳥居が迎える前宮の入り口

いつもながら神社と里の融和的関係を現代に残しているかのような、諏訪大社下社前宮のたたずまい。
里の民家と神社の境内の間に、塀も生垣もありません。
神様の威光を誇示するかのような壮麗さもありません。
あるのは歴史を経て、地元に鎮座する〈なにものか〉のありがたさ。

登ってゆくと二つ目の鳥居と狛犬が出迎えてくれる

前宮の本殿は、田んぼと民家に囲まれた山道を登って行った先にあります。
背後に守屋山に連なる山をいただいた簡素な造りです。
本殿を囲んで真新しい御柱が4本立っていました。

木々に囲まれた本殿を囲んで4本の御柱が立っている
本殿
本殿の左前方に立つ、一の御柱

境内を流れる清水。
簡素をたっとびながらも、人の手が入りすぎない程度に保たれた静謐さ。
諏訪の本来の神様の姿に一番近いといわれる前宮の景色です。

境内に交流館があるので寄ってみました。
御柱祭の資料がレイアウトされています。
今年は行われなかった、木落などの映像が流れていました。

次回は制限のない御柱祭が行われますように。

交流館では例年の御柱債の映像が流れていた。茅野市内の木落坂で行われる木落の様子
下社本宮で立てられる御柱

アンズの季節

6月末から7月にかけてはあんずの季節です。

プラム類、桃、ナシ、ブドウ、リンゴと続く信州の果物シーンのトップを飾って登場するのがアンズ。
上田から千曲市にかけての一帯が名産地です。

今年もアンズを買いました。ジャムとコンポートに加工しました。

独特の甘みの中に酸味を感じることができるのがアンズの特徴です。
生食よりも加工してより特徴が出る果物のような気がします。

独特の色味もいいですね。
日本的な果実です。

ジャムができました

信州にもいよいよ夏が到来しました。