令和4年 青春18きっぷの旅 中央本線で木曽路へ

夏の青春18きっぷ発売の季節です。
今年も購入しました。

ある土曜日、中央本線の塩尻・中津川間の列車に乗ってみました。
木曽路を巡る各駅停車の旅です。

茅野~塩尻~十二兼

07:07茅野発松本行きの普通列車に乗りました。
土曜日ですが高校生たちでにぎわう茅野駅のホームでした。

土曜日朝7時の茅野駅下り線のホーム

塩尻駅で下車し、中央本線中津川行きを待ちます。
コーヒーを飲もうと駅構内のキヨスクを訪ねました。

しかしながらレジわきのコーヒーメーカーには故障中の貼り紙が。
レジのおばちゃんに確認すると、10分待ってくれれば、とのこと。

すぐ近くの待合室で座って新聞を読んでいると、すぐに直ったと声がかかりました。
レジのおばちゃんの人間味のある対応に心が温かくなりました。

塩尻駅で中央本線中津川行きに連絡

中津川行き列車に乗りました。
初めての木曽路です。

塩尻を出発してすぐ、盆地から、中央アルプスと北アルプス南端の間の山間を上ってゆきます。
山間を縫う木曽谷をたどる路線です。
かつて木曽谷には中山道が通っていました。

車窓は急峻な山々、というよりは、日本的な山の緑が続くという感じ。
思ったよりも開けた場所が多く、そういた場所には町が広がっています。

木曽谷を行く

木曽地方の中心地である木曽福島、大関御嶽海の出身地・上松を過ぎたあたりに十二兼という駅があります。
実は山小舎おばさんの実母の母親の出身地だそうです。

山小舎おばさんは全く記憶にないそうですが、親せきによると、川の音が聞こえるいい場所、とのこと。
せっかくなので下車してみました。

下車して駅の発着時刻表を見ると、次の列車まで2時間半もあります。
たまたま駅にいた青年に聞くと、中津川方面へは路線バスもないとのこと。
中津川方面に進むには駅に戻って2時間半後の列車に乗るしかありません。

駅前の観光案内標識

駅前には名所案内版が一つ立っているだけ。
現中山道(国道19号線)に面した駅ではないとはいえ、周りには店1軒、停留所一つありません。
集落といえるのかどうか、人家がぽつぽつと並んでいるだけです。
雑草が伸び放題の廃屋も目立ちます。

駅前の風景

仕方がないので、温泉施設や民宿があるという名所・柿其渓谷(かきぞれけいこく)へ向かって歩きました。
木曽川を渡り、重要文化財というコンクリート製の水路橋をくぐります。

木曽川を渡る

木工所などを過ぎます。
集落らしい集落にも乏しい地域です。
ここら辺、南木曽町のはずれの地域で、柿其渓谷付近の水力や林業の基地だったようです。
果たして山小舎おばさんの母方の実家はどのあたりで何をしていたのでしょうか?

コンクリート製の水路橋をくぐる
斜面に集落が点在する
渓谷に向かうにつれ民宿が現れる

汗だくになって歩いているうちに時間が過ぎ、折り返して駅に向かう時間が近づきました。
渓谷入り口の温泉宿を見た後、折り返して駅に戻りました。
山道の上り下りで計7~8キロも歩いたでしょうか、腰が痛くなりました。

傾向入り口にある温泉施設

岐阜県中津川

列車に乗り終点の中津川で下りました。
土曜日だからでしょうか座席はほぼ満席でした。

駅の立ち食い蕎麦で昼食です。
愛想のよい主人が袋から出したそばを湯がき、温めたダシをかけて出してくれます。
ダシは完全に関東風というか東日本風で、色が濃くしょうゆ味がしっかりしたもの。
美味しかったです。

かき揚げ蕎麦450円

折り返しの列車は1時間後。
駅前を散策します。
駅前に立つ観光センター・にぎわい特産館に入ってみました。

どら焼きなどの銘菓、産品が並んでいました。
菓子の種類が多いのと、温暖な地で産するお茶が並んでいるのが目を引きました。
今どきの各地方は、地元の農産品を魅力あるお土産に加工しているものです。
自宅用の土産に、煎茶、菊芋の粕漬、飛騨美濃伝統野菜を加工した七味唐辛子を買いました。

お土産を購入

岐阜県の中津川は長野県とは違う匂いがしました。

木曽福島で中山道散策

中津川から折り返しの松本行き列車に乗り、木曽福島で途中下車しました。
木曽路の風景に触れるためです。

木曽福島は長野県木曽郡の中心地で、木曽谷では大きな町となります。
町の中心部に中山道宿場の景観が残っています。

次の列車まで1時間しかないが、中山道の景観を見ておきたく、駅前の観光案内所に飛び込みました。
マップを所望するおじさんに係の女性はにこやかに応対してくれ、中山道に関心あるなら、と街道案内の冊子までくれました。

木曽福島駅前

マップを頼りに宿場の景観保存地区へ急ぐ。
残って入のはわずかな区間でしたが、建物の景観が保存され、水が昔ながらに流れていました。

宿場の景観保存地区

駅までは別の道、現在の商店街を歩きました。
地方の商店街とて、さびれてはいるが、江戸時代の景観保存地区よりも人々の匂いが感じられます。

街中の風景
御嶽海の出身地は隣町
街角の風景

こういった通りにこそ、その地方独特の風情というか歴史というか、が強く漂っているものだと思いました。

軽トラ流れ旅 杖突街道~高遠~伊那の旅

茅野に下りて床屋へ行ったついでに、軽トラを飛ばして杖突街道を伊那方面に走らせました。
目的は初秋の物産調達です。

杖突街道沿道の直売所にて

茅野より杖突街道(国道152号線)を走って、杖突峠に登り、高遠方面に下ると、谷あいに取り残されたような里の風景が点在します。
伊那谷と諏訪地方、甲州街道を結ぶ街道だった道で、山城国から勧進された貴船神社などが残る集落が続きます。

かなり下って道が平坦になったあたり、塩供という地区に一軒の直売所があります。
沿線の商店や食堂が閉店している現在では貴重な有人販売所です。

杖突街道マップより、高遠北小学校の向い側に直売所がある

コロナが始まってからはこの直売所も閉まっていることが多くなりました。
たまに空いていても、怖いから午前中だけ開ける、と一人で経営しているおばさんの話しでした。

空いているのを見かけたので寄ってみました。
おばさん自家製の野菜とリンゴ、高頭饅頭などが並んでいます。
声をかけると奥からおばさんが出てきました。

今年はプルーンの出来が悪かったこと。もうすぐ駒ヶ根からナシを仕入れること。キノコはまだなこと。今年のキノコの出来はわからないこと。山から鹿、イノシシ、サルが出ること。最近木材の伐採が進んでいること。そば粉を知り合いからもらって年越しそばは自分で打つこと。などなど・・・。

一山380円のトマトを買いました。
一人で直売所を守るおばさんへの応援です。
これからもコロナとサルに負けずに元気でいてほしいものです。

高遠の華蔵食堂でソースカツ丼

高遠の町へ入り無料の商店街駐車場へ。
みすず食堂をという2回ほど入ったことがある食堂を目指しますが、本日休業。
駐車場隣の真新しい観光案内所へ行って昼食の場所の情報を聞きました。
教えてくれた高遠郊外の食堂へ。

観光案内所に紹介された食堂・華蔵

店内は田舎によくある飲み屋を兼ねた食堂。
小上りには作業着の4人組と地元の夫婦。
応対したおばさんの年季からして味に期待が持てます。
おすすめはローメン、ソースカツ丼のようです。
1000円のロースソースカツ丼を注文しました。

メニューにはまずローメンが出てくる

これが当たりでした。
伊那でソースカツ専門店のたけだへ行けば、1500円するソースカツ丼が、肉の分厚さではやや劣るとはいえ、1000円です!
味も遜色ありません。
観光客が詰め掛け、混んでおり、ややもすると客扱いが雑になりかねないたけだよりいいかもしれません。
14時に昼の部終了、という県内のローカルルールはどちらも同じで、その点は十分注意しなければなりませんが。

ロースソースカツ丼。十分!

昼食の後、近くの直売所に寄ってみました。
果物ではネクタリンが多く出ていました。
大石早生というスモモがあったので加工用に仕入れました。

高遠の直売所でゲット

伊那市創造館で大昆蟲食博

伊那市では博物館に行ってみました。
高遠の博物館に行ったことはあるのですが、なるほど伊那市博物館という施設はなく、検索で見つからなかったのです。

駅からほど近く、長らく図書館として利用されていた由緒ある建物が、伊那市の博物館に当たる創造館でした。
出土した貴重な土偶、土器のほか、関連する文化人の資料などが企画展示されています。

その中に!大昆蟲食博という展示がありました。
何気なく入ってみると、ザザムシで有名な伊那ならではの力の入った、見ごたえのある展示でした。

イナゴ、ザザムシ、ハチの子のほか、信州と伊那谷に伝わる昆虫食の歴史と未来がパネリングされています。
ザザムシのふりかけを開発した、上伊那農業高校の取り組みがビデオ化されており、見ることができました。

ザザムシを飼う上伊那農業高校生(ビデオより)
高校生の取り組みが紹介されたパネル

この企画、地元でやるのはいいのですが東京などでやってみてはどうでしょう?
タイムリーだとも思います。

ザザムシが気になって創造館を後にした山小舎おじさん。
伊那の商店街の一角に、ザザムシ、ハチの子の貼り紙を張った店があるのを思い出しました。

行って見ると店は無人で鍵がかかっていました。
御用の方は電話ください、とあったので電話してみました。
出てきたおばあさんに聞くと、ザザムシは季節ではないこと、季節になっても今はあまり出回らないこと、との返事でした。
残念。

かつてザザムシの貼り紙があった信州名物店

この店の隣の酒屋に力強い看板がかかっていました。
秘酒・突こしとは何者?店へはいって聞いてみました。
よく聞いてくれたとばかりに店主が冷蔵庫から出してくれたのは、真空パックに入った真澄の特別酒でした。
諏訪にある真澄の蔵元ショップでもお目にかかったことがないものです。
どうして諏訪から遠く離れた伊那に?と聞くのももどかしく、得意げな店主から1本買い求めました。

歩けば色んなものと出会えるのだなあ。

力強い看板の酒屋
真澄突こしをゲット

帰り道、いつもの南箕輪村の直売所JA上伊那ファーマーズあじーなに寄りました。
リンゴの早生品種が出ていました。地物の桃も出盛りで、B品がひと箱700円でしたので加工用に買いました。

いつにもまして収穫の多い、高遠、伊那谷の初秋の旅でした。

DVD名画劇場 デートリッヒ×スタンバーグ「嘆きの天使」「モロッコ」「上海特急」

今回はマレーネ・デートリッヒの初期の3作品を見た。
女優デートリッヒを世界的に有名にした作品群で、監督はいずれの作品もジョセフ・フォン・スタンバーグ。
この時期、デートリッヒの個人史も激動していた。

まずはスタンバーグ監督の紹介。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、両親とともに渡米後、さまざまな職を経たのち、1本の自主映画を製作。
その後、米映画最初のギャング物といわれる「暗黒街」(1927年)がヒットし、一躍スター監督となった。
ドイツで製作された「嘆きの天使」(1930年)の監督として招かれ、主役にデートリッヒを発掘。
パラマウントに招かれデートリッヒとともに渡米。
以降1935年までデートリッヒとのコンビで映画史に残る作品群を発表した。

全盛期のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督

「嘆きの天使」制作時、デートリッヒはすでに20代後半。
キャバレー歌手などを経て、舞台を中心に活動し、映画にも数本出ていた。
映画出演を機に監督助手と結婚し、一女の母親でもあった。

若きマレーネ・デートリッヒ

「嘆きの天使」 1930年  ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督  ドイツ

主人公の堅物教師がキャバレーの歌姫に魅入られて結婚。
ドサ周りの挙句落ちぶれて死ぬまでの物語。

歌姫役がなかなか決まらなかった。

スタンバーグはたまたまベルリンの舞台でデートリッヒを見て、歌姫ローラローラの配役を決めたという。
役を持ち掛けたスタンバーグに対するデートリッヒの反応は、私は写真写りがよくないんですよ、という冷ややかなものだったという。

ウーファ撮影所の当時最先端の技術を誇るスタッフ、ドイツ一の演技力を誇るエミール・ヤニングス(主人公の堅物教師役)、新進気鋭のスタンバーグ監督がそろったなかの最後のピース、退廃の歌姫・ローラローラの配役、が埋まった。

撮影が始まると、デートリッヒは妻、母として家事、育児をこなしながら撮影所に通った。

作品中、主人公の堅物教師と結婚して数年後、ドサ周り中のローラローラが普段着姿で家事をする場面がある。
普段着姿のがっしりした体形のデートリッヒはまさに堅実なドイツの主婦以外の何物でもなく見えた。

ただ、ひとたびローラローラの衣装に身を包んだデートリッヒは、煽情的なポーズをいとわず、退廃的な歌詞を、まだ若く高い声に乗せて歌った。
それは舞台を眺める堅物教師や、ギムナジウムの悪ガキどもに限らず、スクリーンの前の全世界の観客の目をくぎ付けにした。
今に至る伝説の女優マレーネ・デートリッヒ誕生の瞬間だった。

それにしても、場末の町の片隅の安キャバレーの舞台づくりよ!
当時のドイツ片田舎の場末の匂いと喧騒と退廃が今によみがえるよう。

その舞台では歌うローラローラの周りを女が取り囲み、客の指名を待つかのように、ビールを回し飲みしている。
当時のドイツの庶民の享楽を十分に想像させる舞台設定だ。

ローラローラはストッキングとガーターもあらわに椅子にそっくり返り、あるいはホットパンツのような格好で歩き回って客を煽情する。

堅物教師がいなくなった後の舞台シーンでは、椅子の背もたれをまたぐように足を開いて歌う。
このポーズは「キャバレー」(1972年)のライザ・ミネリにまで引き継がれている、場末の歌姫の〈決め〉のポーズでもある。

決して確信的な悪女ではなく、堅気の人間とは生まれた世界が異なり、金しか信じられるものがない芸人をデートリッヒは演じ切る。

ローラ・ローラの背後に女が並ぶキャバレーの舞台場面
DVDパッケージ裏面

安キャバレーの舞台、楽屋のセットは猥雑さにあふれ、そこに至る夜の下町のセットは、表現主義時代からのドイツ映画の伝統にを感じさせるように重厚で、陰影に満ちている。
これが戦前のウーファ撮影所のスタッフの技量であろうか。

「嘆きの天使」が後世に残したものはデートリッヒの誕生のほかに、ドイツの映画製作所の水準の高さがあった。

「モロッコ」 1930年  ジョセフ・フォン・スタンバーク監督  パラマウント

パラマウントは、「嘆きの天使」のアメリカ公開を1931年1月まで延期させ、その間にデートリッヒ、スタンバークによるハリウッド第一作「モロッコ」を撮影し、公開させた。
「嘆きの天使」の悪女ぶりを、「モロッコ」により弱めさせ、デートリッヒのイメージをアメリカ中産階級向けにアレンジするためという。

デートリッヒ個人は、夫と娘を残しての渡米を悩むが、むしろ夫が渡米を進めての決断だったという。

デートリッヒはスクリーン上のイメージと異なり、渡米後もたびたびベルリンへ帰ったりまた帰ろうとした。
娘をアメリカに連れて一緒に暮らし、夫や実母、実姉をアメリカに連れてゆこうとした。

「モロッコ」はパラマウントが、MGMのグレタ・ガルボに対抗してデートリッヒを売り出そうとしての第一作。
相手役に当代一の色男、ゲーリー・クーパーを持ってきたわけでもある。

このクーパー、田舎の消防団一の男前、といった感じで、ヨーロッパの歴史を背負うデートリッヒには文化的に対抗のしようもないが、これがアメリカ映画、文句を言ってもしょうがない。

スタンバーグのタッチなのか脚本のせいなのか、エキゾチックな舞台設定を生かし切ることなく、現地の欧米人たちの恋愛関係のドロドロにのみを粘っこく描いて映画が進む。

そういった中で、流れ者の歌姫、デートリッヒのステージシーンは一服の清涼。
この作品ではタキシードの男装姿を披露。
歌姫が男装で歌う、という、ひとつの〈定番〉の先鞭をつける。

男装のデートリッヒ
クーパーとデートリッヒ

ラストでハイヒールを脱いだデートリッヒが、クーパーらの外人部隊の後を追うが、フランスではこのシーンに失笑が起こったという。
熱い砂漠をはだしで歩けるか!ということだろうが、デートリッヒは単独ではなく、部隊について歩く女たち、いわゆる後衛部隊に合流していき、女たちが連れている山羊の手綱を持って歩き始めたのだった。

この後衛部隊、軍隊にはつきもので、日本軍にも民間の業者が女とともに同行し、駐屯地で慰安所などを開業した。
軍隊は何といっても当該国随一の官僚組織であり企業なので予算は潤沢、倒産の心配もなく、確実な取引先だったのだから各業者がぶら下がり群がるのは当然だった。

この時代にもそういったものがあったということだろう。

ロバに荷を積み、山羊を引っ張りながらよたよたついてゆく女たちの姿が哀れだが、何とも言えぬリアルな異国情緒を誘う場面でもある。

伝説のラストシーン
DVDパッケージ裏面

「モロッコ」撮影後、デートリッヒは家族の待つベルリンへ帰宅。
娘を連れてハリウッドへ戻る。
夫はドイツに残った。

「上海特急」 1932年 ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督 パラマウント

ハリウッドで娘と暮らしながらデートリッヒが撮った作品。

ハリウッド第3作。
舞台を混乱の中国に移してのエキゾチック路線。
デートリッヒの役柄も植民地を流れる訳あり玄人女。
謎めいて冷ややかな外見だが、内心は愛する男に純情を貫く役柄。
今回はステージシーンはなし。

戦前の中国。
北京から上海への特急列車の一等室が舞台。
植民地に巣食う列強の出身者の乗客の中に、デートリッヒ扮する流れ者の白人女とさらに謎めいた中国女(アンナ・メイ・ウオン)が加わる。
彼らが革命軍が策動する中国内戦に巻き込まれ、デートリッヒはかつて愛した英国人医師と偶然再会し・・・。

ステージシーンがない分、贅を凝らしたファッションでスタンバーグはデートリッヒを映す。
巻頭のアイ・ヴェールをかけた艶姿。
恋人との再会ではその軍帽を取って斜めにかぶって見せる。

ファッションを見せるだけではなく、スリリングなシーンでは大股で歩き、愛人を助けようと行動する。
肩幅の広い姿で、大股に動く場面では、「嘆きの天使」での普段着で家事を行う場面同様、ドイツ女性としてのデートリッヒの素に近いものが見える?

この作品の後、デートリッヒは夫に手紙を書き、娘とともにベルリンに一時帰国する旨連絡する。
夫は帰国するのは危険だと返事する。

デートリッヒが、愛するドイツ、ベルリンへ帰ることができたのは(公には)1960年になってからだったという。

DVDパッケージ裏面

モモとネクタリンを加工

夏は信州の農産物、特に果物が集中して出荷される季節。
6月下旬のアンズに始まって、プラム、プルーン、ブルーベリー、モモ、ネクタリン、ワッサー(モモとネクタリンの掛け合わせ)など。
秋にかけては、イチジク、ナシ、ブドウが出てリンゴが収穫される頃になるとシーズンの終了です。

どれも産地特有のおいしさがあります。
盛りの安い時に仕入れて、ジャムなどに加工するのが毎年の楽しみです。

最近では山小舎特製のジャム類の評判も良く、この前泊って行った来客にお土産で持たせたプラムのジャムが美味しかったとの反応もありました。

モモのコンポートづくり

実は長野県は全国有数のモモの産地でもあります。
長野市周辺の川中島が有名な産地ですが、各地の直売所などへ行くと、地元産のモモが売られています。

今回は上田市丸子地区の直売所で5個400円で売られていたモモをゲット。
コンポートにしてみました。

半分に切り、種を取って皮をむきます。
よく熟れています。

水に砂糖を溶かし、白ワインとレモンを少々。
砂糖が溶けたころに切ったモモを加えて30分ほど煮ます。

熱いうちに煮沸した瓶に詰め、蓋を軽く締めてから再び煮沸して蓋をきつく締めます。

余ったシロップは寒天に溶かすとフルーツ寒天ができます。
夏の特産品が一つ完成です。

ネクタリンのジャム

モモやネクタリンなどは、地元のスーパー、直売所などでは箱で売られています。
出盛りの時期を狙って買います。
完熟していて、値段も安い品物が手に入ります。
今回は長和町の道の駅で、ひと箱900円ほどで売られていたネクタリンを手に入れました。

生食でも十分おいしそうなネクタリンを煮てしまいます。

皮をむいて、実をカットし砂糖と一緒に煮ます。
思いのほか実が煮崩れしませんが、とろみがついたころで切り上げます。

季節の果物のジャムは風味がよく、短い夏の贈り物として1年間楽しみます。

布団干し

夏の来客が使った布団を干します。

シーツ、布団カバー、タオルケット、枕カバーは洗って干しておきました。
外で乾ききらないときはストーブを焚いて乾かしました。
御盆に北海道に帰ったりしていたので、布団干しは帰って来てからとなりました。

山小舎の夏は北海道同様、お盆までです。
8月下旬になると秋風が吹いてきます。
日中は暑くても日暮れとともに、外気が寒いくらいになります。

今日は天気予報も晴れです。
軽トラの荷台も利用して干します。
二階で使った布団は二階で干します。

秋晴れの空。
薪も乾燥の稼ぎ時です。

DVD名画劇場 エリッヒ・フォン・シュトロハイムとは何者?

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人、エリッヒ・フォン・シュトロハイムは渡米後、ハリウッドで5本のサイレント映画を監督した。

自称、貴族の出でオーストリアの士官学校出身。
実際の経歴は帽子職人の家に生まれ、商業学校卒業後に帽子職人となり、陸軍入隊後除隊し渡米というもの。

渡米後はハリウッドで端役、監督助手などを経て、ユニバーサルのタイクーン、カール・レムルに自ら売り込み、「アルプス颪」(1919年)で監督デビューした。

以降4本の作品を監督するが、予算と時間を超過することが当たり前で、完成作品は数時間の長尺となり、カットを要求する会社側といちいち衝突した。
それでも作品がヒットし、製作費を回収することができたので、1925年までは映画を監督することができた。

自作を演出するシュトロハイム

その後はハリウッドはおろか、シュトロハイムを監督で起用する場所は世界中になく、個性派俳優として活躍した。

「大いなる幻影」(1937年)で、シュトロハイムを俳優として起用したフランス映画の名匠ジャン・ルノアールは、シュトロハイムについて、「この巨人に対する私の傾倒ときたら絶対的なものだった」「私が映画をやるようになったのも、元はといえばシュトロハイムが”作家”として作った映画に夢中になったということがひとつあったほどなのだ」(「ジャン・ルノワール自伝」みすず書房P205)と述べ、シュトロハイムの監督としての作家性を評価している。

「愚なる妻」 1922年 エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督 ユニバーサル

DVD版では本編の前にシュトロハイムの撮影シーンと、豪華なモンテカルロのカジノの大セットが映しだされる。
ナレーションが被って、この作品がいかに豪華なセットを作り、ヨーロッパ製の車を輸入して使ったか、を観るものに伝える。
金のかかるシュトロハイム作品の逆手を取って、プロデユーサーがその贅沢な撮影ぶりを宣伝材料にしたということが今に伝わる。

本編が始まる。
数階建ての威容を誇るモンテカルロカジノの建物のセット。
騎馬兵の一団が駆け抜け、当時の高級車両が走り回る。
エキストラは数百人の規模であろう。

公使夫人に迫るシュトロハイム

主演はシュトロハイムその人。
白を基調にしたヨーロッパ高級将校の軍服に身を固め、軍帽を斜めにかぶって、片眼鏡をはめた姿が決まる。

インチキ、偽善、詐欺師、好色、吝嗇、クズ、人でなし、小人物・・・。
これら全部に最大級の形容詞を被せたような人物をシュトロハイムが演じる。

シュトロハイムはこの主人公を気持ちよさそうに演じており、自己陶酔をさえ感じさせる。
登場人物と実物のキャラが被っているようにさえ見える。

高級将校の衣装姿のシュトロハイム。絶好調だ!

主人公は、偽札を作らせて暮らしを立てている素性卑しい偽高級将校。
女とみれば卑しい笑いを浮かべて近づく。

12歳から20年仕えているメイドにも手を付けており、「いつ結婚してくださるの?」と迫られるたびに作り笑いでごまかしている。

モナコ大公に信任状を持ってきたアメリカ公使夫人に目をつけ、だまして金を引こうと近づき、手練手管を弄する。夫人は軍服姿も決まっている主人公にメロメロとなる。

主人公は夫人にカジノで大勝ちさせ、だまして金を引く。

並行して、だまし続けているメイドからは、20年間でためた2000フランをだまし取る。

すべてがばれて夜逃げの際に、偽札職人の娘を思い出し、寝室に忍び込んで親父に殺される。
マンホールに捨てられる際のシュトロハイムの死に顔には卑しい笑顔が浮かんだままだった。

DVDパッケージ裏面。卑しい笑顔でメイドをだますシュトロハイム。メイド役の女優は「グリード」にも出演

圧倒的にシュトロハイムの演技に目がいく。
ナルシステイックな軍服姿と大見えを切った表情が目を引くが、よく見ると小柄で、歩く後ろ姿に品がない。

それは卑しいキャラを意識した演技なのか、それとも地が出たものなのか。
このあたりの浅薄さ、作り物めいたところが、後年のシュトロハイム演じる様々な、インチキめいた怪しいキャラクターの源流となっているのだろう。

シュトロハイムはこの作品で、インチキ将校にコロリと騙されれる公使夫人やメイドの姿を通して、悪意に対する善意の弱さ、愚かさを描いたのかもしれない。
悪意の象徴としてのインチキ将校の、滑稽さ、弱さ、愚かさ、もまた、監督シュトロハイム自身により、徹底して表現されていたが。

「グリード」 1924年 エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督 MGM

ユニバーサルを放逐され、(物好きな)MGMに拾われたシュトロハイムのハリウッド4作目の作品。

シュトロハイムは出ていない。
それゆえだろうか、「愚なる妻」に漂うブラックユーモア感はなく、ひたすら冷酷で突き放したトーンの作品となっている。

幸福な新婚時代の主人公と妻

少々要領は悪いがおおらかで性格の良い主人公。
金鉱堀の仕事から、母の元を離れてモグリの歯医者の弟子となる。
のちにサンフランシスコで開業していた時に運命の女と出会う。
友人の女だったがひとめぼれ、友人から彼女を譲ってもらい婚約する。

結婚式を行うが、窓の外を葬列が通る。
強烈にブラックな伏線となる。
こういった笑えないブラックユーモアはシュトロハイム作品に時折みられる。

結婚の前後に女が宝くじに当たる。
5000ドル。

女は結婚を境にゴールドに魅せられ、夫を支配する恐妻となる。
最初はおおらかだった主人公も、次第に我慢できなくなる。
折から歯医者の無免許が当局にばれて廃業となり、経済的にどん底に落ちる。
女を譲ってくれた親友も急に性格が悪くなり、サンフランシスコから姿を消す。

最後は灼熱の死の谷に逃げ込んだ主人公。
妻とは離婚し、また自ら決着をつけている。
主人公を追うかつての親友・・・。

ゴールド、宝くじといったわかりやすい富の象徴は「愚なる妻」の偽札、カジノ同様、シュトロハイムの執着する小道具だ。
その小道具に操られて簡単にキャラクターが変わる妻や友人はシュトロハイムが冷徹、皮肉に見つめる人間像か。
してみると最後までおっとりした、善意のキャラクターを通した主人公は、善意や人知の象徴なのか。
最後は死の谷で、死んだ友人と手錠でつながれ死を待つ身となった主人公。
善意や人知は欲望の道連れとなって滅びる運命だということか。

妖精のようだった女が、ゴールドに狂い、口をゆがめる光景と、おおらかな主人公が打ちのめされてゆく光景。
悪い意味で忘れられない映画である。

ジャン・ルノアールは自伝に曰く。
「「グリード」こそは、まさにわが映画作家としての活動を導いてくれる旗印とも思っていたくらいだ。ところが我が偶像は現実に自分の目の前にいた。それも自分の映画(「大いなる幻影」)を演じる俳優として。だが、いかなる真実に満ちた信託を下してもらえるかと期待に胸を膨らませしていた私が見出したのは、なんと子供だましの常とう手段にどっぷり漬かった人物だったのだ。もちろん私にも、こうした陳腐な行き方も、シュトロハイムの手にかかると、まさに天才のひらめきを放つ効果を上げることはよく心得ていた。」(自伝 P205,206)

シュトロハイムの詐欺師性とインチキさと、だからこそそれらが効果的に発揮された時の天才ぶりを表した、ルノアールによる至言だと思う。

キャメラを前にポーズをとるシュトロハイム
フィルムを抱えるシュトロハイム

孫と過ごす夏

山小舎に3家族がやってきた後、娘と孫二人が残りました。

天候に恵まれた山小舎の夏を孫たちと過ごしました。

長和町を上田方面へ下ると、立岩という地区をとおります。
ここは和紙が名産だった場所で、立岩和紙の里という施設があります。
和紙の生産を行っていたという建物を増築して、修学旅行の小中学生の体験施設や、食堂、売店を含む施設となっています。

ここでは個人やファミリーでも和紙作りの体験ができます。
孫たちもうちわづくりを体験してきました。

うちわの骨組みに楮を溶かした液をかけ、それに絵を描きます。
何日かして乾けば出来上がりです。
この施設の前を通ると、よく修学生が作ったうちわが干してあります。

立岩和紙の里でうちわづくりを体験

また別の日は、茅野の隣の原村にある八ヶ岳自然文化園に行きました。
山小舎からは1時間かからずに行けます。

ここは幼児から小中学生をもつファミリー向けの施設です。
子供が乗りたがる大きな三輪車に乗ることができたり、建物の中にはプラネタリウムや昆虫館があります。

この日は、地元の縄文サークルが主催するワークショップが開かれていました。
出し物は、土器づくり、火おこし、木細工、絹糸でミサンガ編み、などです。

小学2年生の孫は、木細工、ミサンガ、土器(土鈴)をやっていましたが、単なる遊園地やハイキングより楽しそうでした。
下の孫は三輪車に夢中でした。

八ヶ岳自然文化園でのワークショップ

畑へも行って、トウモロコシなどを収穫。

畑でトマトなどを収穫

トウモロコシは娘が炊き込みご飯にしてくれました。

トウモロコシ炊き込みご飯

信州ソウルフード放浪記VOL.22 名物4種盛

先日の2家族来屋の折、ちょっとした悪戯メニューでお客さんを歓迎しました。

信州名物の4種盛合わせです。

内容は、イナゴ、カイコ、鯉、鮒。
それぞれ佃煮や甘露煮で調理されています。

どれも諏訪地方、上田地方の地元スーパーや直売所などで手に入る、現在も地域で食べられている食材です。

プレートに盛つけそれぞれに名札を付けました。

お客さんはそれぞれ、新潟、福島、徳島のご出身。
思ったより信州名物に対するガードは低く、むしろ「子供のころにイナゴを食用に採らされた」とか「イナゴは食べたことがある」などと食材に対する親和性の高さに驚かされました。
皆さん30歳台の若さにあって、です。

結局は、つまみ代わりに全種類箸をつけてもらえました。
山小舎への信州への好奇心と、フレンドシップに感謝です。

次回は、ハチの子、ザザムシなども用意して歓迎しましょうか。

大人7人、子供7人 大集合!

・・・が集合しました。

娘一家の社宅友達2家族が山小舎にやってきました。

彼らは、娘一家とは第一子誕生以来の付き合いで、社宅を出た後も、キャンプや引っ越し先の自宅などで集まっていたようです。
今年の夏も集まろう、という話になった時、山小舎ではどうか?となって、こちらに打診してきました。
もちろんOKを出しました。

八王子からひと家族、愛知県からひと家族がやってきました。
山小舎で前泊していた娘一家と山小舎おじさんを合わせて、大人7人、子供7人が大集合です。
こんなに大勢の人が山小舎にやってくるのも、家族以外の人が山小舎に泊まるのも初めてです。

グリルを出してバーベキューの準備をして待ちました。
子供たちには鉄板で焼きそばと、トウモロコシ、フランクフルトを外のグリルで焼きます。
大人用には信州豚、信州牛などを、居間でゆっくり炭火網焼きをする予定でした。

が、スタートが4時くらいと早かったのと、外があまりに気持ち良いので、大人用の炭火焼きも外のグリルでやりました。
やってきた2家族からは、ビールや日本酒、冷蔵焼鳥、果物などたくさんのお土産をいただきました。
飲み物は各自持参で、食材は割り勘がルールとのことです。

子供たちは幼馴染ということもあり、集合した瞬間から大爆発。
3人いる小学校2年生組を中心に、外から中から、1階から2階から、駆け回っての大騒ぎ。
焼きそばを頬張るのもものかわ、夜の花火、風呂、就寝までフル回転していました。

準備と段取りでフル回転したのは山小舎おじさん。
自分の子供の年齢の現役世代と飲んで話せるなんて、久しぶりのことで、アルコールが入るとボルテージはアップ。御前様寸前まで貴重な山小舎の夜を楽しませていただきました。

正直、準備が大変でしたが、年一回程度のお楽しみとしては大歓迎です。

来客準備おおわらわ 続き

来客準備の続きです。

外回りの草刈りをします。
今年二回目の草苅です。
玄関前の石段の雑草は手で抜きます。
とりあえず目につく場所だけの草を刈ります。
山小舎の裏側などは後回しです。

草刈り機を出して除草です

駐車場兼、作業場所を広くします。
薪は積込み、残った玉は端っこへ移動。
このスペースに2台縦列で止められるようにします。

作業台はバーベキュー台として山小舎の正面に移動です。

普段は丸太や薪が積まれている場所を空けて2台の駐車スペースにします
バーベキューグリルとテーブルを出しておきます

山小舎の内部については、床の拭き掃除をし、モノを片付けます。
風呂場、トイレ、台所も拭いておきます。
来客当日には、和室に布団も敷いておく予定です。