信州ソウルフード放浪記VOL.31 立岩和紙の里の日替り定食

山小舎から上田方面へ大門街道(国道152号線)を下り、軽井沢方面への分岐点を直進すると、上田市との境の少し前に、立岩和紙の里があります。

子供たちの和紙漉き体験の作品を天日干しする立岩和紙の里

本ブログでも、孫たちの和紙漉き体験の話や、秋の新蕎麦祭の話、を載せたことがある施設です。

食堂と土産物売り場への入り口

和紙漉き体験施設と、蕎麦を中心にした食堂、土産物販売所が併設されています。

入り口から食堂方面を見る

今回はここで蕎麦定食を食べました。

2時の昼休みの前に店内に入るのがここ信州での食堂利用の鉄則です。
全国チェーン店などは通しの営業ですが、地元の食堂は14時から17時くらいまで休みます。
最終入店が13時半などとなっている店もあります。
規律正しく昼食時間を取ることが多く、また人口もあまり多くはない信州の伝統なのでしょう。

お品書き。このほかに本日の定食がある

この日は14時前に入店。
念のため確認すると注文OKとのこと。

カウンターに座ります。
ホール係のおばさんがお茶と漬物を持ってきます。
落ち着くんだなあ、こういう応対。

着席するとお茶とお茶請けが供される

日替わり定食を注文します。
蕎麦と炊き込みご飯のセットです。
田舎風の愛想のない定食で、一見量的にも物足りないのですが、食後感は満足いった記憶があります。
また、ここの蕎麦は美味しいのです。

日替わり定食。冷たい蕎麦とおこわのセット

どんぶりに入った冷たい蕎麦と山菜おこわのセットがやってきました。
すすりこみの音を気にせずに盛大に昭和風の食べ方でやっつけます。

手打ち蕎麦は食べ応えがあります。
もち米で炊いたおこわも腹持ち十分です。
徳利に入ったツユがついてくるのもうれしいことです。
ツユで割ったそば湯がたっぷりいただけます。

都会風に愛想を付けるとしたら、油気のある小鉢をもう一品、ですが、ここは田舎。
これでいいのです。

上田トラゥム・ライゼでゴダール追悼

上田にあるミニシアターで、2022年に亡くなったゴダール追悼特集が上映された。
会場は上田映劇と同じNPOが運営している映画館トラゥム・ライゼ。

上田映劇、トラゥム・ライゼともに、ワンスクリーンでフィルム上映も可能な昔ながらの映画館。
上映作品はいわゆるミニシアター向けの作品が多い。

近年全国上映されたパゾリーニ(「テオレマ」「王女メデイア」)やブレッソン(「たぶん悪魔が」「湖のランスロ」)、ミムジー・ファーマー(「モア」「渚の果てにこの愛を」)などの旧名作の再輸入プログラムもカバーしているのがうれしい。

ゴダール追悼上映の全国プログラムもカバーされ、そのうちの2作品に駆け付けた。

「小さな兵隊」 1960年  ジャン=リュック・ゴダール監督  フランス

ゴダールの長編第二作であり、のちにゴダールの妻、アンナ・カリーナの長編デビュー作。
撮影は「勝手にしやがれ」と同じくアンリ・ドカエ。

フランスからの独立戦争であるアルジェリア戦争。
アルジェリアの独立派と保守派の、フランス国内における抗争を背景に、保守派の鉄砲玉として独立派の幹部を暗殺する主人公と、独立派の女性(アンナ・カリーナ)の出会いと別れを描く。

ハリウッド映画であれば、派手なアクションと男女間の立場を超えたロマンス、体制派の価値観に沿った結末とセンチメンタルな男女の分かれ(独立派の女性が、保守派の男の手の中で死亡)で終わるのがパターンだが、ゴダールの手法は全く異なる。

処女作「勝手にしやがれ」はハリウッドのB級ギャング映画に仮託していたその作風が、「小さな兵隊」では、一見スパイ映画に仮託した風ではあるが、ゴダール自身の特性を濃厚に漂わせる、重たく、暗い政治的作品となっている。

追悼上映パンフレットより

保守派の義勇兵を脱走しジュネーブの街を漂う主人公は、ゴダール映画の主人公らしく、とにかくしゃべりまくり、動き回る。
追跡する保守派の幹部から、脱走を免責する代わりに独立派の幹部の暗殺を命じられるが、優柔不断に避け続けたり、暗殺に失敗したりする。
独立派につかまり、証拠が残らないような拷問を延々とされる。
独立派の女性は拷問の末殺されたことをにおわす。

主人公の前に現れる独立派の女を、初々しいアンナ・カリーナが演じるが、作中臆面もなくカリーナにそそがれるゴダールの視線は、映画監督でなかったら最も女性にもてない(理解されない)であろうゴダールのオタクっぽい暗さに満ち満ちている。

なんて的を得たタイトルなんだ!

全編オールロケ、対話する人物の間を往復する手持ちカメラ、一つの芝居の間に関係のないカット(演技の後のオフショットだったり)が挟まる手法、はゴダール映画ならでは。

ヌーベルバーグの作家たちも、予算があれば豪華セットでクレーン撮影によるワンショットワンシークエンスの演出をしたかったと思う。
が予算がなく、何よりそこまでの経験、力量(演出力と俳優の演技力も)がない若手監督にとって、撮影セオリーをあえて無視したカメラはやむを得ないもの。
また、わざとらしいドラマチックさを排除する編集手法もゴダールならでは。

アルジェリア戦争という政治的なテーマは、例えば大島渚がどうしても「日本の夜と霧」を作らなければ前に進めなかったように、ゴダールにとっては必然のテーマだったのだろう。

そのためか、「勝手にしやがれ」「女は女である」「男性女性」といった、B級ギャングやミュージカル、ポップミュージックに仮託したときの軽やかさ、明るさがない作品となった。
作品に漂うのは重さと暗さ。
それこそがゴダールの本質なのだが。

一方でアンナ・カリーナを撮るときの、学生映画の作り手の主演女優に対するようなまなざしは、ほほえましいというかなんというか。
ゴダールのアンナに関する憧れは、次作「女は女である」でついに炸裂。
「小さな兵隊」ではぎこちなかったアンナの演技も満開となるのだった。

「カラビニエ」 1963年  ジャン=リュック・ゴダール監督  フランス

今回の追悼特集には「はなればなれに」がラインアップされていた。
残案ながら見逃がしたが、アンナ・カリーナ主演で、ギャング映画に仮託したミュージカルの色付けがある作品とのことだった。

「カラビニエ」はゴダールの一方のカラーである、暗い政治的メッセージに彩られた作品。

出演は、素人だったり無名の俳優だったりするが、主人公の家族役の2人の女優などは、アンナ・カリーナやのちのアンヌ・ヴィアゼムスキーに似ており、色気もある魅力的な女優で、ゴダールの女性の好みが見事に反映されている。

また、予算のなさはいつものことながら、トラクターにベニヤを被せたような戦車を1台と、戦闘シーンでは複数の爆薬を設置するなどの大盤振る舞いを見せている。
大掛かりな戦闘シーンは第二次大戦時のニューズリールで代用しているが。

トラゥムライゼ入り口
劇場の掲示板

王様の命令で戦争に行く主人公たち。
戦地では美女を思いのままにでき、財宝をわがものにできると信じた無知の主人公井たち。
戯画化され誇張され、また省略化された戦場場面を経て自宅に戻った二人が、家に待つ女性二人に持ち帰ったものは世界各地の絵葉書だった。
やがて王様はレジスタンスに追われ、主人公たちも王様側の兵隊に殺される。

ゴダール初期の作品で、寓話的内容ながら戦闘シーンなど、具体的な描写に心がけた作品となっている。
のちのゴダール作品の象徴性(「中国女」ではベトナム戦争の米軍爆撃機をプラモデルで表現)への移行以前の貴重な作品だった。

上映後の帰り道。上田の夜

甲府~韮崎 路線バスの旅

東京の自宅に息子の誕生会で帰りました。
畑の作物が心配で、自宅にゆっくりできず、すぐ山小舎に戻りました。
帰りはJRの各駅停車です。
いつもの甲府途中下車の後、思い立って韮崎まで路線バスに乗ってみました。

甲府駅に掲示された列車遅れの状況

この日の甲府はカンカン照り。
日に当たるだけでぐったりします。

途中下車後は駅前通りにあるいつもの定食屋へ。
これまたいつもの信玄鶏竜田揚げ定食の大盛。
揚げたての竜田揚げともども、おなかいっぱいになりました。

次に来るときは塩だれとんかつに挑戦してみようと思いつつ。
竜田揚げのほかには、焼き魚定食や、ハヤシライスの注文客が多いこの店。
甲府での昼飯は当分ここで決まりです。

甲府名物、信玄鶏の竜田揚げ定食

昼飯の前に駅前の路線バス案内所で、韮崎行きのバスの時刻と乗り場を確認しておきました。
韮崎行きの路線は2系統で、それぞれ毎日6本ほど運行されています。
食後の余った時間を駅ビルのパン屋さんのイートインでコーヒーを飲んで過ごし、カンカン照りの停留所へ。

駅前のロータリーには5か所ほど停留所があり、ほぼひっきりなしにバスが発着しています。
目指す、一高経由韮崎駅行きのバスは時刻どおりにやってきました。

甲府駅バスロータリー

案内所のお姉さんに教わった通りにSUICAを先にタッチして乗り込みます。
同乗者はほかに二人でした。

韮崎駅行きのバス車内

バスは駅の反対方向へ出ました。
韮崎を目指し、北西方向へ進みます。

甲府といえば武田神社へ続く道と、岡島デパートのある中心部しか知らない山小舎おじさん。
バスの窓越しに、いろんな方向に商店街が伸びている甲府の街の広さを認識しました。

沿線のショッピングセンター

しばらくは、郊外型の店舗が断続的に続く風景をバスが進みます。
やがて長野方面の山の景色が迫ってきます。
韮崎のエリアに入ったのでしょうか。
始発から乗った乗客はすでに降り、途中から乗った3人がいます。

韮崎に近づくと長野方面の山塊が迫る

それなりの規模がありながら人気の消え去った、今時の地方都市の商店街を通って韮崎駅に着きました。
駅の周辺には商業ビルと、公共施設が入った多目的ビルが建っています。

駅は自動改札ですが、列車ダイヤの自動表示などはありません。
待合室の奥には立食い蕎麦屋があります。

韮崎駅

茅野までの下り列車には時間があったので駅前をぶらぶらします。

まずは山梨交通の案内所へ。
念のため、長野方面への路線バスの有無を確認。
係の女性は丁寧に答えてくれました。
小淵沢止まりも含めて、長野方面のバスはないとのことでした。

駅前から見た風景。左奥の建物がカフェのあるビビル
駅前からは富士山が見える

続いて図書館などの公共施設と、土産物屋、カフェなどがあるビルへ。
カフェは市民の憩いの場にもなっているようです。

カフェのパン売り場を見ると、美味しそうなカレーパンがあったので購入。
買いながら店員のおばさんに聞きました。

駅前の韮崎高校サッカー部のインター杯優勝のこと。
中田ヒデのこと。

ヒデは韮崎高校サッカー部の出身だが、甲府の人間で韮崎高校に通ってきていたとのことでした。
地元のおばさんは何でも知っています。

韮崎効能優勝をたたえる球児の像

時間が来たのでホームに出て列車を待ちます。
ホームからも雪の溶けた富士山が大きく見えます。
駅の反対側には、何やら標語を書いた鳥居や、山の上の大観音が見えました。
もともとの韮崎らしさはここにあるような気がしました。

秋の反対側には朱塗りの鳥居
ホームから見える大観音

夏野菜の収穫始まる

2日続いた雨が上がり、畑に夏の日差しが突き刺さります。

じりじりと日差しが肌を焼き、帽子を被らないと頭がボーッとなります。

1週間ぶりの畑です。
トマトの枝が自由気ままに生い茂っています。
伸びすぎた脇芽を掻き、伸びた茎を支柱に縛るだけで一仕事です。
そろそろ、もう一段高い横渡しの支柱を組まなければなりません。

トマトの実が成り始めました。
ミニトマトの実には色が付き始めています。
収穫が大仕事になるのが今から想像できます。

大玉トマトの実が成り始めました
ミニトマトの実には色づきが・・・

なんと、マルチの脇にはこぼれ種から自然発芽したトマトが数本伸びています。
去年から見られる現象です。

緑一色ですが、トマトの自然発芽の芽が3本出ています

ズッキーニは実ができるのですが肥大せずに黄色く腐っています。
この日はやっと3本ほど収穫しました。
実が黄色くなるのは、高温、樹の成長不足などの原因があるようです。
そういえば樹の成長に例年の勢いがありません。
もう少し全盛期を待ちましょう。

ズッキーニ。実はつくのですが・・・

キューリの収穫が始まりました。
これから忙しくなるのでしょうか。
ズッキーニ同様、もう少し樹の勢いが欲しいところです。

キューリが数本ぶら下がています

葉の巻きがなかなか来なかったキャベツ。
小さいながら3玉を収穫しました。
外側の葉は例によって虫食いだらけです。

果たして食味と硬さはどうか?夏になっても葉が巻くのか、このままか。

この日の収穫。少量なので集荷には至らず

トウモロコシは勢いがあります。
直播した種も発芽しています。

真田温泉ふれあい真田館

上田市真田地区にある立ち寄り温泉施設、ふれあい真田館へ行ってきました。

真田氏の本拠地であった真田地区。
菅平、群馬長野原方面への入り口に位置する上田市の郊外です。

南向きの斜面に田畑が広がる純農村地帯でもあり、地区の直売所には地区で採れた季節の農産物が並びます。

7月に入ったばかりの雨の日、地区にある真田温泉ふれあい真田館へ立ち寄り、ひとっ風呂浴びてきました。

何年か前にも食事だけに寄ったことがある施設です。
とんかつ定食を給仕口で受け取った後、入浴客が休む大広間で食べたことを思い出します。
その時は関係者用の裏口から入場しました。

ふれあい真田館の正面入り口

今回は正面入り口から堂々の入場です。
入場料は大人500円。
これで温泉プールから、大浴場、大広間、食堂、売店などを利用できるのですからリーズナブルです。

エントランスではアニメキャラがお出迎え。六文銭の旗が見える

温泉は無色透明、かすかに漂う硫黄臭。
地元の人が三々五々集まっている浴室は土曜日の午後ながら空いています。
もちろん、ボデイソープとシャンプー付きです。
露天風呂もあります。

食堂のメニューも豊富だ

ゆっくり温泉に浸かった後は、大広間で休みます。
食堂は17時まで休みですが、給仕口わきにある給茶器から冷えた麦茶などが飲めます。
横になってひと眠り。

周りは地元のファミリーと、将棋をするお年寄りです。
たっぷりと休養できました。

館内には椅子が並んだロビー、農産物、菓子、飲料、雑貨などの売店もあり、ファミリー客などで終始にぎわっていました。

雨の中、駐車場から帰るとき周りのナンバープレートを見るとほとんど全部が地元の長野ナンバーでした。

上田市街からも近いので、いつでもフラッと寄りたくなる立寄り湯でした。

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代①  ルネ・クレールと巴里


エジソンがのぞき窓式の動画・キネトスコープを特許商品としたのは1894年のことでした。
スクリーンに上映するという現在の方式で映画を公開したのは、翌年の1895年フランスのシネマトグラフが最初です。

フランス映画の歴史はこの後、リュミエール兄弟とジョルジュ・メリエスという映画作家を生み、スタジオでトリック撮影するなど、シネマトグラフを発展させました。
第一次大戦による欧州の疲弊で、ハリウッドにその座を奪われるまで、世界最大の映画会社はパテとゴーモン。
フランスの映画会社でした。

1930年前後のトーキーの時代を迎えたころから1950年代まで、フランス映画界で活躍し今も映画史上にその名が残る映画作家が、ルネ・クレール、ジャック・フェデー、ジュリアン・デュビビエ、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワールです。

ルネ・クレール

今回はこの世代の代表格として名高いルネ・クレールの戦前の作品を4本見ました。

「巴里の屋根の下」 1930年 ルネ・クレール監督  フランス

クレールのトーキー第一作にしてフランス映画のトーキー第一作。
パリっ子クレール監督のパリを舞台にした作品で、クレールの代表作の1本としてだけではなく、のちの映画作品に作風、技法ともども多大な影響を与えている。

主題歌の「巴里の屋根の下」は今ではポピュラーなシャンソン。
街角の楽譜売りの主人公が作品中に何度も歌う。

「巴里の屋根の下」メインセット。右下に楽譜売りを取り囲む聴衆が見える

楽譜売り、そこに集う人、それを狙うスリ、町のやくざ者。
パリの市井の人々が集う街角。

下町の屋根が並び、煙突から煙が昇る。
屋根屋根を移動していったカメラが舗道に下りてゆく。
アパートの各階の人々の暮らしを写しながら。

クレールが奏でる巴里の物語の世界へと一瞬で引きずり込むカメラ。
家々はすべてセットに組まれたもの。
遠近法を取り入れ、遠景は実写も使っている野外セットだ。

スリに奪われた鏡をヒロインに返す主人公

堅気とやくざの境界線上のような楽譜売りで暮らしている主人公。
歌を歌っては1枚1フランで楽譜を売る。
これが今はやっている歌だよ、と。
盲目のアコーでイオン弾きが伴奏だ。

歌いながら聴衆に若い美人がいると目を付け、スリが仕事をするとそれにかこつけスリと友達になる。
自由にパリの街角で生きるパリジャンが主人公。
目を付けた美人のヒロインとの恋模様が始まる。

やくざの親分(左)もヒロインにご執心

泊まる場所がなくなったヒロインを部屋に泊めることになった主人公。
一晩の顛末は、ピューリタンの倫理に支配されたハリウッド映画(「或る夜の出来事」「ローマの休日」)のように高潔なものとはならずにフランス風の味付け。
主人公はヒロインをあきらめきれずに一晩中ドタバタするというねちっこさ、否、人間臭さ。

主人公の部屋で一晩過ごす。おとなしくは終わらない

監獄の塀の上を歩いて暮らしているような主人公が、冤罪で入獄した間にヒロインが親友とくっつく。
ハリウッド映画なら、ヒロインと親友が倫理的価値観に基づき処理されるケース。
クレールの味付けは、恋人に振られた主人公に身を引かせる、という大人で粋な巴里風の決着。

あるいは男同士の信義にも厚い主人公、親友との友情を重んじたから身を引いたのか。
一方で、開き直るでもなく堂々としている新しい恋人たち(親友とヒロイン)。
既婚者同士の不倫でもなし、人生こんなこともあるだろう、とでもいうようなフランス映画の世界。

町のやくざ者と主人公の果し合いのシーンでは、武器を持たぬ主人公にやくざ連中が自分のナイフを提示し、主人公がそれぞれにダメを出すというユーモラスな描写も。
助けに来た親友が拳銃をぶっぱなし、街灯に弾が当たってあたりが暗闇となり、パトカーのヘッドライトに我彼が浮かび上がるという、ギャング映画でよく見る場面が続く。

こういった場面処理って、ひょっとしたらクレールがその先駆け?
その後のギャング映画で何度も繰り返され、映画的記憶となっているのは、後進の映画監督たちがクレールの手法をまねしたから?

喧嘩のバックに汽笛が流れるなどのスマートな場面処理も見られ、1930年当時、クレールの才気が画面に渙発している。

セリフで説明しなくてもいい場面のサイレント映画風の処理。
よくできた映画主題歌とその効果的な使い方。

ヒロインを奪われた後、主人公がカフェで親友と話すシーンでは、肝心な会話はカフェの窓ガラス越しで聞こえない。
役者にすべてを語らせず、説明過多を避ける粋な手法。

パリジャンは、ルネ・クレールは、やぼったくない。
「巴里の屋根の下」はそういう作品だった。

「ル・ミリオン」 1931年 ルネ・クレール監督 フランス

今作の主人公は売れない画家。
肉屋、牛乳屋、大家に借金を重ねてている。
アパートの向いの部屋の若い女性(アナベラ)が婚約者だが、見てくれのいいほかの女性にも当然のように粉をかけては、アナベラに怒られており、パリジャンの面目躍如。

ヒロインを務めるアナベラ

1930年代のパリの下町。
若い画家の主人公と親友、婚約者、愛人。
主人公を追いかける借金取りはミュージカル風にコーラスしつつ、サイレント映画風に一列で主人公を追いかける。

そんな主人公がオランダの宝くじに大当たり。
ところが当選くじをポケットに入れた上着を盗まれ、その上着は泥棒市でオペラ歌手の舞台衣装になり。
借金取りが当選祝いの祝宴を主人公の自宅で準備するなか、上着を追いかける主人公たち。
上着の奪取後は祝宴の支払いが待っている!

自らもバレエダンサーとしてオペラに出演するアナベラ嬢は、主人公のために上衣を追って主役のおじさんに取り入ったり、また親友は主人公を裏切って上着を独占しようとしたりの展開。

主人公(左)とバレエスダンサータイルのアナベラ

家々の屋根のシーンから始まる巴里物語。
今回はアパート内部のセットが幾何学的で、思いきったデイフォルメ処理で目を引く。
追いかける警察の一団はコーラスを歌いながら登場し、これまたミュージカル風に一列で行動する。

役者を複数回起用しないというクレール作品では珍しく「巴里祭」と併せてクレール作品に登場しているアナベラ嬢。
若々しくも素人っぽいバレエダンサー姿で走り回る。

音楽とのコラボ。
サイレント映画的処理。
巴里が主人公。
男同士の友情(裏切りもあり)。
可憐な乙女と別な愛人。
機知にとんだユーモア。

いつものクレール節が炸裂している。

フランソワ・トリフォーは本作と「巴里の屋根の下」「巴里祭」をクレールの巴里三部作と評している。

「自由を我等に」 1931年 ルネ・クレール監督  フランス

今回は、パリ市内にある刑務所からの話。

刑務所内の親友(クレール作品にお馴染みの親友同士)が脱獄する。
一人が脱獄に成功し、一人は残る。
脱獄した一人が、蓄音機の工場を経営し、やがて財閥となる。
出獄したもう一人がひょんなことから蓄音機工場に雇われて二人は再会する。

満期出獄した方の一人は金や名誉にまるで関心がなく、工場の管理事務所の若い娘にのみ淡い恋ごころを抱く。
財閥になった方は、再会した親友に対し、金の無心だけを心配する。
が実は、財閥になった方も、毎日のパーテイと浮気性の妻にはうんざりしており、妻が情人と出て行って喜んだりする。

主人公二人組(右が財閥役)

刑務所内での作業風景と蓄音機工場での流れ作業の描写を似せて描くクレール。
むしろ刑務所での牧歌的な作業をより非人間的にしたのが工場での流れ作業だ、という描写。
「モダンタイムス」やジャック・タチの近代工業批判のタッチとこの作品のそれは同じだ。

工場経営者による「働くことにより自由が得られる」というセリフは、アウシュビッツ収容所の入り口ゲートにかかる標語と同じ。
資本家による洗脳の標語をこの作品はナチスより先取りしていた!

随所に溢れるウイットとユーモア。
テンポの良い描写。
セリフで過度に説明せずにパントマイム的な動き。
ヒロインの可憐さ。
は他のクレール作品と同様。

過去がばれそうになって工場を手放し、もう一人は憧れの乙女との結婚をあきらめ、再びコンビに戻って放浪の旅に出る二人。
放浪者チャップリンはヒロインとカップリングする結末を描いたが、まったくの一文無し、女なし、という自由をたたえるクレールの潔さよ!

「最後の億万長者」 1934年  ルネ・クレール監督  フランス

フランスとパリという題材を離れたクレールが作った風刺作。

カジナリオという架空の国。
首都がイコール国土という狭い国で、産業は外人観光客によるカジノ。
国民は全員役人で乞食が一人いるだけ。

財政ピンチになり、国外に住む富豪に公債3億フランの引き受けを要請する。
富豪は20歳の王女との結婚を条件に出資を引き受ける。

カジナリオ国王宮

カジナリオの王室のこっけいさをたっぷり描いたのち、富豪が国へやってくる。
国民は給料が出ておらず、電話交換手は通話の途中で勝手に切ったりして、話が通じない。

既に宮中楽隊のコンダクターの愛人がいる王女は結婚から逃げ回る。
王女は愛人と駆け落ちしようとするが、財政難で車のガソリンを買えず失敗したりする。

「ビジネスマン」の富豪は、国の権力を奪取しようと、行政長官の座に就くが、大臣らは反発し暗殺未遂。
頭を強打した富豪はパツパラパーになり、おかしな法令を連発する。

時間が経過。
今度は王室から狙われた富豪が一発食らって今度は正気に戻り。
しかし社長不在の本業が株価暴落で破産となり、約束の3億フランは、ない袖は振れず。

富豪は母国にとどまらざるを得なくなり。
王室は当てが外れて右往左往。
王女は念願かなって愛人と島へ脱出。
という結末。

クレールの批判精神が炸裂した作品。
巴里を離れ、フランス人の人情の世界を離れた作品だからだろうか、ヒットはしなかったようだ。

「自由を我等に」のように、あくまでパリとフランスを舞台にして、批判精神を加味していればよかったのかも。

風刺だ、批判精神だといっても例えばマルクス兄弟のように周りの役者を落とし込むような、我だけ良しの毒はないのがクレール流で、その洗練と鷹揚さがうかがわれる。

また、フランスの喜劇には、ルイ・ド・フユネスやクレイジーボーイもののように、とことんくだらなく、だらけた喜劇の伝統があるのだとしたら、テンポがよくスマートで才気が感じられるのがクレール流。
フランスが誇る一流の映画監督である。

恒例!アンズのコンポート

今年もアンズの時期がやってきました。
信州の夏の果実の第一弾は6月から出回るアンズです。

可憐な見かけと、さわやかな食味、絶妙な色合いが、信州の地に初夏の到来を告げます。

アンズを水洗いします

先日訪れた彩ガールズが地元のスーパーで見かけて購入しておりました。
朝食で食べて「おいしいわ、これ。高かったけど」とおっしゃっていました。

早速、ガールズの残していった3粒と、地元のスーパー・ナナーズで別途求めたワンパックのアンズをコンポートに加工しました。

今年は梅干を作らなかったので、アンズのコンポートづくりが夏の実りの食品加工第一弾です。

皮ごと二つに割り、種を取り出したアンズをシロップで煮て瓶詰にします。
煮すぎると実が煮崩れます。
生すぎると保存性に不安が。

今回は少々煮過ぎたかもしれません。

二つに割って種を取りだします
砂糖を溶かしておいたシロップで煮ます
消毒した瓶に詰め、煮沸します

アンズはまた、種が貴重です。
種を割った中味は杏仁といって、杏仁豆腐のもとになります。

種を丸ごと焼酎に漬けるとアンズ酒になります。
種の薬効もあるようなので、種をためておいてアンズの種のお酒を造ろうと思います。

種は別に取って乾かしておきます
アンズのコンポートが完成
残ったアンズのシロップに棒寒天を溶かして寒天ゼリーを作りました

ガールズ来襲!

東京からガールズがやってきました。

山小舎おばさんが東京で主宰している彩ステーションのサポーターたち4人が山小舎を1泊で訪れたのです。
全員70代かそれ以上。
皆さん彩ステーション周辺に在住ですが、出身地、経歴とも多彩なバリバリおばさんたちです。

6月下旬の暑い日、山小舎おばさんの運転でやってきた一行。

まずは諏訪湖ほとりの鰻屋で、山小舎おじさんと待ち合わせ。
信州に来たからにはと、鰻に舌鼓を打ちました。

2時間半ほどの長旅から解放された一行は空腹を鰻で満たしてまずは満足。
そのあとは車で諏訪湖を一周しました。

下諏訪の松倉で鰻重の昼食

長旅の直後に車で観光は実は好評ではなかったようで、湖畔にある片倉館に着いた時にはほっとした表情のガールズたち。
山小舎おばさんの先導で片倉館の千人風呂へとご案内しました。

湯上りにはコーヒー牛乳を全員所望。
そこは昭和世代全開です。

諏訪湖畔の片倉館千人風呂での風呂上り

次いで、高島城を見ながら丸高味噌の味噌蔵兼直売所へ向かいましたが定休日。
それではと、造り酒屋の蔵が並ぶ甲州街道沿いへ出て、真澄の蔵ショップへ向かいました。
雰囲気のある蔵造りのショップは都会人の購買意欲を刺激したのか、ガールズは甘酒、日本酒などお土産を購入。

この後、諏訪へ来たからにはと、諏訪大社上社本宮へも、もうひと頑張りのご案内。
去年建ったばかりの御柱を見て、拝殿で御参り。
諏訪信仰と大社の歴史については、僭越ながら山小舎おじさんが軽くレクチャーしつつのご案内。
ガールズたちは興味深く聞いていました。

諏訪大社上社本宮の拝殿前で

長旅と温泉の疲れがガールズたちを覆い尽くしたころ、夕食用の買い物をして山小舎へ着きました。

夕食は山小舎恒例の炭火焼きです。
暖かいので窓を全開し、室内で炭火焼きです。
地元自慢のアルプス牛などの炭火焼きにガールズたちは満足。
飲めるガールズが一人しかいないので、もっぱら山小舎おじさんが飲みを担当し夜は更けてゆきました。

翌日は帰る時間まで思い思いに過ごすガールズ。
山小舎の周りで山菜を取ったり、東京では珍しい植物を採取するガールズもいました。

翌朝の山小舎朝飯。これに特製のスープが付く

1泊の中味の濃いツアー。
それなりの年齢のガールズたちは疲れたことでしょう。

準備や接待でそれなりに大変だった山小舎おじさんですが、おかげさまで鰻などをごちそうになりました。
ありがとうございます。
よろしかったらまたお越しください。

岩波写真文庫 長野県

1955年、昭和30年刊の岩波写真文庫・長野県を手に取りました。

岩波写真文庫はポケット版の写真ムックです。
長野県特集号で144刊を数え、それまでの各刊では、日本国内の都道府県や、山岳、河川、寺社仏閣のほか、文化事象(絵画、彫刻、建築、映画演劇など)、自然事象(動植物、天体、山林など)、産業関係(自動車、化学繊維など)、のほか外国の国土(アメリカ、ソブエトなど)や、外国人文化人(ミケランジェロ、ゴッホなど)までを特集しています。

昔の街並みや暮らしぶりなどの写真が好きな山小舎おじさんは、古本屋で写真文庫を見掛けると、つい手に取ります。
出身地の北海道をフィーチャーした号などが見つかった時は、買ってしまいます。
自分が生まれたころの懐かしい故郷の風景が載っているからです。

長野県の特集号では70年近く前の県内の風景が見られます。
自分で行ったことがある場所のかつての風景もありました。

長野県内はかつての東山道から始まって、中山道、北国街道などの主要街道が通っています。
砂利道時代の碓氷峠や、馬を曳いて往来していた甲州街道の写真にはカルチャーショックを受けます。
主要街道の往来が、自動車がメインになる前の懐かしくものどかな空気感に浸れます。

砂利道の碓氷峠
羊が群れていた美ヶ原
馬車がいた甲州街道

さすが岩波写真文庫と思わせる頁もあります。
長野県が縄文文化の中心地であること、歴史が古く有名な寺社仏閣が多々あることもしっかりカバーされています。

平出遺跡の竪穴住居が、この時代にすでに復元されていた
諏訪大社上社本宮の拝殿
善行寺門前町の参拝客。門前市は小屋掛けだった

産業分野の紹介では、かつての製糸業から発展した精密工業の興隆も押さえています。
時計など精密工業発展の基礎は、製糸業時代のハード(工場施設)とソフト(女工さんの存在)があったからこそです。
こういった県内の産業の紹介は、にわか県民?としてもうれしいものです。

諏訪地方の写真レンズ工場
諏訪湖の漁師も現役だった

今は現代風に変貌したり、あるいは地方の例として寂れ切った街が人で賑わっていた時代の風景もあります。

繁栄ぶりを見せる1955年当時の松本市内

そして何より貴重なのは、当時の山村の風景です。
牛馬が役畜として存在し、婦人が労働の主役として活躍し、子供らが手伝っていたかつての日本の農村。
昭和に生まれ育った日本人のDNAを直撃する原風景です。
いずれの写真も、二度とは戻らない日本の記憶としてとてつもなく貴重です。

農村の女性達。馬車を御し、子守をする。女性の働きなくして農村の繁栄はなかった
子供が牛を曳く。なんという幸福感溢れる景色!

何よりどの写真でも、機嫌よさそうに笑ってこっちを見ている当時の日本人の表情に感動します。

朝の野草茶

山小舎では毎朝手作りの野草茶を飲んでいます。

今年飲んでいるのは、ヨモギ、スギナ、ヤーコンの葉、のブレンドです。

それぞれ自然に生えているものや、芋の収穫時に葉っぱも併せて収穫したものを洗って干しておきました。

ヨモギはご存じ野草の王様。
昔から餅などにも加工されてきた馴染みのあるもの。
春先には畑の周辺などに群生します。
独特の香りに薬効を感じさせる野草です。

自家製乾燥ヨモギ
現代農業が別冊を発刊するほどヨモギの効用は顕著
別冊現代農業ヨモギ特集号より

スギナはつくしんぼの親戚。
山小舎おじさんの畑には毎年掃いて捨てるほど顔を出します。
新鮮なヤツを箕に2杯ほど採ってきて洗って干します。
若干の甘みがあり、青臭さや苦みはない野草です。

自家製乾燥スギナ

ヤーコンの葉も体にいいというので、たくさん採れた年に葉も採ってきて加工しました。
葉を洗って茹でて干し、砕いて粉末状にしました。

血液サラサラ等の効果があるとのことですが、味が苦いので敬遠していました。
ヨモギ、スギナに混ぜると飲めるので、今年から活用しています。

自家製乾燥ヤーコン葉の粉末

毎朝お湯を沸かし、沸くまでの間にテイーパックにそれぞれの乾燥野草を一つまみ入れます。
カップに入れお湯を注ぐと、山小舎特製野草茶の出来上がりです。

朝ののどの渇きを潤す一杯です。
体も馴染んでいます。

体も壊さず何とかやっていけるのも野草茶のおかげなのかもしれません。

野草茶、健康の一杯