令和4年の御柱を訪ねる旅。
今回は上社本宮へ行きました。
5月の連休に茅野市から諏訪市にかけての道を、諏訪大社上社へ里曳きで運ばれた御柱は、前宮に4本、本宮に4本立てられています。
立派な本宮の鳥居をくぐったところに一の柱が立っています。
7月の3連休、そこそこの観光客が訪れています。
御柱を確かめ、本宮を後にしました。
後の3本は見る時間がありませんでした。
60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
令和4年の御柱を訪ねる旅。
今回は上社本宮へ行きました。
5月の連休に茅野市から諏訪市にかけての道を、諏訪大社上社へ里曳きで運ばれた御柱は、前宮に4本、本宮に4本立てられています。
立派な本宮の鳥居をくぐったところに一の柱が立っています。
7月の3連休、そこそこの観光客が訪れています。
御柱を確かめ、本宮を後にしました。
後の3本は見る時間がありませんでした。
ズッキーニという作物は実が成ったままで放っておくと巨大化します。
キューリなどもそうですが、採り遅れて巨大化すると種ができてきます。
キューリとズッキーニが異なるのは、ズッキーニが巨大化してもあまり食味に影響しない点です。
地方の直売所などには巨大化したズッキーニを安く売っているところもあります。
7月上旬に1週間畑を留守にしていた山小舎おじさんは、今年も巨大ズッキーニと対面することになってしまいました。
3本ほどは山小舎にやってきた奥さんに持って帰ってもらいました。
そのほかに巨大キューリをたくさん持って帰ってもらいました。
山小舎には2本の巨大ズッキーニが残りました。
山小舎ではズッキーニを〈夏のオールマイテイの野菜〉として重宝します。
カレーに入れます。
豚汁には大根代わりに入れます。
ソテーしてもおいしいです。
冬瓜の代わりにダシで煮てあんかけにしてもいいでしょう。
この日は豚汁に入れることにしました。
巨大ズッキーニは台所に転がしておいて、必要に応じて輪切りにして使います。
豚汁の具にするときは、一番最後に入れます。
煮すぎると煮崩れするからです。
煮崩れするとせっかくの歯触りが失われてしまいます。
しばらくは夏の恵みをいただけます。
1942年のソロモン諸島をめぐる陸海空戦は、日米両軍の戦力が拮抗していた時期のことだった。
そもそも日本軍がなぜ、今にして思えば無謀な、かつ1943年の御前会議で決定された〈絶対防衛圏〉(千島、マリアナ諸島、ニューギニア西部を結ぶエリアを太平洋戦争における日本の最終防衛圏としたもの)においてすらその圏外とされたソロモン諸島に兵を進め、あまつさえ貴重な戦力を漸次低減消耗させていったのだろうか?
その契機となったのが、飛行場建設のために、ソロモン諸島のガダルカナル島に上陸した日本軍守備隊と、その後ガダルカナル島に反抗上陸した米海兵隊との一連の戦いだった。
1942年7月の米軍反抗上陸から、1943年2月の日本軍撤収まで、ガダルカナル島内の陸戦のほか、幾多の海戦、空戦が行われ、日米両軍ともに相当数の軍艦、輸送船、航空機、兵員を周辺海域で失った。
米軍の目的は、西太平洋の日本軍に対する反抗の拠点としての飛行場占領確保で、日本軍の目的は米豪分断の拠点としての飛行場建設と確保だったが、日本軍の飛行場再占領の作戦はすべて失敗に終わり、ガダルカナル島に残された陸軍兵の兵站は分断され、駆逐艦、潜水艦による細々とした物資輸送を余儀なくされた。
飢餓とマラリアに苦しめられた日本軍は駆逐艦により残存兵を撤収し、ガダルカナルでの戦いは終わった。
「ガダルカナル・ダイアリー」1943年 ルイス・セイラー監督
同島米軍上陸の1年後に製作された劇映画。
従軍記者による原作の映画化。
太平洋戦争真っ盛りの時期の劇映画ながら、単純な戦意高揚映画ではなく、また一方的に米軍の活躍を賛美してもいない。
戦争を知る人々が作った冷静さ、シリアスさを感じられる作品。
この戦争では、ジョン・フォード、フランク・キャプラ等そうそうたるハリウッド巨匠が招集され、戦争記録映画を撮っている。
本作は有名ではない監督と出演者によるものだが、その独立性がリアルな映画作りに貢献したのだろうか?
デビュー間もないアンソニー・クインが海兵隊役で出ている。
輸送船内での新兵の不安、上陸直前の恐怖感が描かれている。
一方で、日本軍の刀を土産に持って帰りたい、などと話す明るく陽気なアメリカ兵の姿は、のちのハリウッド映画のアメリカ兵の姿と同様だ。
上陸直後は戦闘機が7機しかなかった米軍。
おっかなびっくり上陸し、日本軍を追ってゆく。
ジャングルには入りたがらない様子なども描かれる。
指揮官は「日本軍を甘く見るな」を連発する。
ガダルカナルを巡る一連の戦闘の記録としても貴重な作品。
劇中のセリフに、〈サボ島沖海戦〉が出て来たり、日本海軍の戦艦、金剛と榛名によるガダルカナル島飛行場への夜間艦砲射撃の描写も出てくる。
飛行場を占領した米軍への反撃として、ガダルカナル島沖に日本海軍の高速戦艦が夜間出撃し、焼夷弾による艦砲射撃を行い、飛行場と周辺の物資を火の海としたもの。
防空壕で艦砲射撃におびえる海兵隊員の姿が描かれていた。
交代要員が到着し、ボロボロになった先任の海兵隊とすれ違う。
ピカピカで張り切っている交代要員と、黙々と行進する前任の海兵隊員との対比が描かれる。
そこには戦争の賛美も、米国の全能感もない。
主役の一人、アンソニー・クインも作品の途中、戦闘で狙撃されてあっけなく戦死する海兵隊員を演じている。
「シン・レッド・ライン」1998年 テレンス・マリック監督 20世紀フォックス
「ガダルカナル・ダイアリー」から55年後に描かれたガダルカナルの戦闘。
55年前の映画では上陸前の輸送船内の米兵は、ジャズで踊っていたが、本作では物悲しいバイオリンがむさ苦しい輸送船内の蚕だなベッドに流れる。
上陸後の戦闘では、日本軍の迫撃砲に負傷する米兵の叫び、苦痛の声がやまない。
突撃前に胃がつって動けなくなる米兵。
丈の高い草の中を恐る恐る前進する米兵。
ニック・ノルテイ扮する中佐は叩き上げの指揮官で、やたら部下を叱咤し、酷使して成果を焦る。
昔の劇映画なら、小心で狡猾な卑怯者の指揮官として描かれるだろうキャラクターも、この作品では組織としての軍隊で屈辱にまみれながら年下の上官に仕えてきた中間管理職の、無能ではあるが悪意のない姿として描かれる。
故郷に残してきた最愛の妻がいる米兵。
美しい妻との魅惑的な回想シーンがカットインされる。
最前線で妻からの待望の手紙を受け取った米兵が、その手紙で妻から離婚を懇願される絶望感。
妻は別の男に〈恋〉をしたという。
白兵戦で日本兵を蹂躙する。
降伏した日本兵を銃座で殴り蹴飛ばす。
死体から金歯を集める。
死臭を避けるために鼻の穴にたばこを詰める。
交代要員を迎えた米兵の姿は敗残兵のように疲れ切っている。
主人公は脱走して原住民の村に入り浸っていたところを哨戒艇につかまってガダルカナル戦に連れていかれた。
水木しげるさんも兵隊時代にソロモン諸島での戦闘を経験。
脱走こそしなかったが、原住民の村に自由に出入りし、村長の娘と仲良かったと自伝の漫画にあった。
「シン・レッド・ライン」の天国のような原住民村と米兵の描写も嘘ではないのだろう。
戦闘シーンでは日本軍の激しい砲弾の中を米兵が進む。
当時、兵站は途切れ、ただでさえ弾薬が乏しかった日本軍が、平地を散開して進む米兵に対し、果たしてあんなに景気よく砲弾を消費したものだろうか?という疑問もわく。
ショーン・ペン、エイドリアン・ブロデイ、ジョージ・クルーニー、ジョン・トラボルタなどの新旧俳優が挙って出演を希望したという作品。
寡作のテレンス・マリックは本作品で第49回のベルリン映画祭金熊賞を受賞している。
(おまけ)「太平洋航空作戦」1951年 ニコラス・レイ監督 RKO
日米が雌雄を決したガダルカナル戦には米空軍も参加した。
この作品はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に展開した米空軍戦闘機隊の物語。
ロバート・ライアン大尉の元、腕利きの戦闘機隊に出動命令が下る。
指揮官はライアンが昇進して当たるのではなく、新任の少佐のジョン・ウエインが赴任してきた。
命令が絶対で、作戦のためには部下を容赦なく使い倒す少佐。
この少佐と大尉(および隊員)の間に軋轢が生まれる。
部下思いのヒューマニストがライアン、作戦遂行のためには統制第一のウエイン。
両者のキャラクターは、ただし画一的ではない。
ウエインが戦死した部下の両親に手紙を書いたり、家族の声をソノシートで聞いてしんみりしたり、と人間性も見せる。
ライアンは部下のためにはウエインと衝突もするが、それは指揮官を上司に持つ〈気楽な〉立場のなせる業でもあると最後に示唆される。
戦争当時の、グラマン、コルセアなどの実機が編隊で飛ぶ飛行シーン。
当時の機体がほとんど残っていない現在ではこんな画面は二度と撮ることができない。
負傷したパイロットが、プロペラを曲げながら何とか着陸するが機体は壊れるシーン、日本軍の空襲でグラマンが燃えるシーンなど、実機をバンバン壊したり燃やしたりして、ぜいたくな撮影を敢行。
空戦シーンは実写フィルムをモンタージュしており、主に日本機が撃墜される映像が続く。
金剛、榛名の艦砲射撃でヘンダーソン飛行場が炎上し、ウエインらが掩体壕に飛び込むシーンもあり、史実に忠実たらんとする姿勢は見える。
それでもあれっ?と思ったことがあった。
たとえばウエインが日本の輸送船談を空襲する際に、無線電話で列機に「トウキョウエキスプレスを攻撃する!」というシーンがあったが、東京エキスプレスとは、速度が遅い輸送船では兵站を維持できない日本軍が、やむなく駆逐艦や潜水艦を使って夜間細々とガダルカナルの残存兵に食料弾薬を運んでいたことを米軍が揶揄したコトバなはず。
日本の輸送船がガダルカナル近海でさんざん沈められたのは事実だが、輸送船団は〈エキスプレス〉ではない。
日本軍の呼称についてはこの映画、ニップスとジャップが使われていた。
「ガダルカナルダイアリー」や「シンレッドライン」ではジャップ一辺倒だったが、ここら辺何か意味があるのか?
また、一時本土に戻り帰宅するウエインの土産は日本刀。
それを幼い息子に与え、息子は重いはずの真剣を片手ですらッと抜刀する場面があった。
特に意味のないシーンではあろうが、日本人としては不自然極まりない思い。
更に言えば、ガダルカナル戦のはずが、いつの間にか時間経過し、機種がグラマンから戦争後期に使われたコルセアに代わり、日本のカミカゼ攻撃が現れたが、これは単なる尺のカットで、説明不足のなせる業か?
さはさりながら1951年のこの作品。
世の中は大戦の経験を鮮明に残した人々が現存し、また新たな朝鮮戦争が起こっている。
単純な米国賛美、軍隊賛美では嘘くささが喝破されかねない風潮でもあったろう。
スポーテイな戦争映画ではなく、銃後も含めて人間の痛みが伝わるような作りとなっている。
監督のニコラス・レイはRKOの「夜の人々」(1949年)でデヴュー。
社会に疎外された若い男女が、惹かれ合うも社会に受け入れられず、犯罪に手を染めて自滅してゆく、いわゆる〈ラヴ・アンド・ザ・ラン〉の佳作だった。
このデヴュー作は、のちに「カイエデュシネマ」の評論家に「B級映画だが精神においては上等」と評価された。
ニコラス・レイは、その後も「暗黒への転落」(1949年)や「危険な場所で」(1951年)などで、旧来の権威に対する疑問と弱い立場の者に対する同情的な視点を崩さなかった。
「太平洋航空作戦」はレイ初のカラー大作ではあるが、人間を見つめる視点は変わっていなかった。
ニコラス・レイの左翼的姿勢は、デヴュー当時にハリウッドを席巻していた〈赤狩り〉の犠牲になってもおかしくなかった。
本人が非ユダヤ人だからということもあるが、所属する映画会社のRKOのオーナー、ハワード・ヒューズの庇護により、非米活動委員会への召喚を免れたといわれる。
長野県民がごちそうと思うのは、てんぷら、マグロ、うなぎだそうです。
諏訪湖を擁する諏訪、岡谷地方では、ワカサギと並んでうなぎが古くからの名物です。
昭和元年には、諏訪湖、天竜川周辺で38トンのうなぎの水揚げが記録されています。
現在では天然うなぎを商いする鰻屋はほとんどみかけないものの、諏訪湖と、そこから流れ出る天竜川に接する岡谷市は、うなぎのまちとして町おこしをしています。
山小舎おじさんも家族が来た時など、諏訪湖周辺へ出て鰻を食べることがあります。
この日は岡谷にある小松屋という店へ行ってみました。
料亭風のアプローチを経て玄関をくぐります。
この日のメニューは鰻重、鰻丼、鰻定食の三種類のみ。
しっかりとアクリル板で区切られたテーブル席に案内されます。
出てきた鰻重。
ふんわりと柔らかく焼けており食べやすかったです。
岡谷の鰻というと、蒸さずにパリッと焼き、甘辛いたれをかけた店が多いのですが、小松屋さんは関東風に近い食味でした。
入店時はパラパラだったお客さんが、あっという間に満席になりました。
退店したときには、完売の看板がかかっていました。
岡谷周辺には、水門、観光荘などの有名鰻店が点在しており、どこも常に満員です。
家族が来た時に、たまに食べる鰻が楽しみな山小舎おじさんです。
令和4年の諏訪大社御柱祭は5月に終わりました。
上社、下社ともに山出しはトレーラー曳きで。
山落し、川越は行われませんでした。
大社直前の2キロほどの里曳きだけが例年通り行われました。
その里曳きも、上社は5月連休に、下社は5月下旬に無事終了。
御柱は各社に立てられています。
現在は7月。
遅ればせながら令和4年寅年の御柱を下社前宮に見に行きました。
いつもながら神社と里の融和的関係を現代に残しているかのような、諏訪大社下社前宮のたたずまい。
里の民家と神社の境内の間に、塀も生垣もありません。
神様の威光を誇示するかのような壮麗さもありません。
あるのは歴史を経て、地元に鎮座する〈なにものか〉のありがたさ。
前宮の本殿は、田んぼと民家に囲まれた山道を登って行った先にあります。
背後に守屋山に連なる山をいただいた簡素な造りです。
本殿を囲んで真新しい御柱が4本立っていました。
境内を流れる清水。
簡素をたっとびながらも、人の手が入りすぎない程度に保たれた静謐さ。
諏訪の本来の神様の姿に一番近いといわれる前宮の景色です。
境内に交流館があるので寄ってみました。
御柱祭の資料がレイアウトされています。
今年は行われなかった、木落などの映像が流れていました。
次回は制限のない御柱祭が行われますように。
6月末から7月にかけてはあんずの季節です。
プラム類、桃、ナシ、ブドウ、リンゴと続く信州の果物シーンのトップを飾って登場するのがアンズ。
上田から千曲市にかけての一帯が名産地です。
今年もアンズを買いました。ジャムとコンポートに加工しました。
独特の甘みの中に酸味を感じることができるのがアンズの特徴です。
生食よりも加工してより特徴が出る果物のような気がします。
独特の色味もいいですね。
日本的な果実です。
信州にもいよいよ夏が到来しました。
ジーン・アーサーに続いてはジーン・セバーグが登場するDVD名画劇場。
セバーグの映画デビュー第2作目の「悲しみよこんにちは」です。
「悲しみよこんにちは」1957年 コロンビア オットー・プレミンジャー監督
原作は18歳でこの小説を発表したフランソワーズ・サガン。
南仏リビエラでの父と娘と愛人の楽しい日々。
そこにかつて父と縁があったデザイナーが現れ、父と婚約。
とたんに娘にとって婚約者は、父を奪った異性でかつ、口やかましい新しい母的存在となる。
婚約者に反抗し、父の浮気の現場を見せつけるなどして婚約者を追い出す娘・・・。
原作者の分身ともいえる娘に当時19歳のジーン・セバーグ。
事業があたりブルジョワ暮らしをしながら、いつまでも若い女を渡り歩く父にデビッド・ニブン。
婚約者にデボラ・カー。
娘とも仲の良い父の若い愛人にミレーヌ・ドモンジョ。
リビエラの別荘地での過去の楽しい日々。
カラーで描かれ、セバーグは最初は赤、次に青、最後は黄色の水着で現れる。
水着でないときには活動的なショートパンツ姿。
ベリーショートカットに細身のシルエット。
父とキスし、動き回り、海に飛び込み、ボーイフレンドと戯れる。
若さとエネルギーが発散する。
劇中、19歳のセバーグが、主人公の若い衝動、婚約者への反発心、日常の倦怠、父へのアンビバレントな感情、などを一生懸命表現しようとする。
時に輝きを伴い、時に達者な演技力で、また時に痛々しくも。
デビッド・ニブンは適役過ぎて、製作者サイドはこの父親というキャラクターを軽視し(戯画化し)ているんじゃないか、と思うほど。
デボラ・カーもしかり。
わざわざ名のある彼らを持ってこなくとも、あるいは無名の実力は俳優を持ってくれば、戯画化を避けてよりシリアスなものになっていたのに、と思いもするが、監督のプレミンジャーには商業的な意図もあったのだろう。
というかそれが第一なのだろう。
19歳のセバーグは商業目的のこの作品で唯一、与えられたキャラクターの自分なりの表現に取り組み、作り物ではない存在感を得た。
映画の冒頭と最後に描かれる、父と娘の現在のシーン。
モノクロで描かれるそこには、倦怠にまみれ、底知れぬ絶望感にさいなまれる〈その後〉の主人公の姿が描かれる。
カラーで描かれたリビエラでのはつらつとした水着姿のセバーグと同一人物か?と思わせる黒のドレス姿。
これを演じ分けたセバーグを称賛したい。
この作品により、「カイエ・デュ・シネマ」誌の表紙を飾ったセバーグはフランソワ・トリュフォーにこう評された。
「ジーンがスクリーンに映っているときはいつでもスクリーンから目を離すことはできない。彼女の動きすべてが優雅で、まなざしは的確。頭の形、シルエット、歩く姿、すべてが完璧だ。スクリーンでこのような魅せ方をする女優ははじめてである。」(ギャリ・マッギー著、石崎一樹訳「ジーン・セバーグ」83P)と。
ジャン=リュック・ゴダールは長編第一作の「勝手にしやがれ」を作るにあたり、主人公のパトリシアを「悲しみよこんにちは」の主人公セシルの3年後の姿と想定して形作った。
パトリシア役には、「悲しみよこんにちは」でセシルを演じたジーン・セバーグをキャステイングした。
(番外) 「大空港」 1970年 ジョージ・シートン監督 ユニバーサル
70年代らしいミニスカートの制服姿で、当時30代に入ったばかりのジーン・セバーグが登場する。
ベストセラーの原作をバート・ランカスター、デイーン・マーチンらのオールスターで映画化した大作。
ジーン・セバーグは三番目にクレジットされ、ギャラは15万ドルだったという。
ジーンの役柄は空港に駐在する航空会社の現場責任者。
空港長のランカスターと歩調を合わせ、日常的に起こる様々な出来事に対応してゆく。
ハリウッドが斜陽を迎えてからしばらくたち、過去のタイクーンたちはとっくに去り、映画はオフハリウッドや低予算の独立プロ作品などに多様化していた時代。
70ミリ、トッドAO方式、2時間尺の「大空港」はハリウッドが事態の打開を模索していた中での(おそらくもっともイージーな)トライアルの一つだったと思われる。
多様な登場人物を手際よく、テンポよく描く。
古い技法である画面のワイプも、スピード感に寄与している。
ヘレン・ヘイズのキセルばあさんや、モーリン・ステープルトンの爆弾犯の妻など、わき役も芸達者。
ここら辺にハリウッドメジャーの職人芸が受け継がれている。
ストーリーの味付けには70年代らしく、夫婦間の問題だったり、空港の騒音問題に対する市民運動だったりも加味されているが、全編を通して描かれるのは、仕事に取り組む人々の姿。
社会への疑問や、心理的不安などなく、目の前の障害に取り組み、解決してゆく職業人の姿に、まだまだ社会が健全だった(健全であろうとした?)時代性を感じることができる。
もっとも、オールスターといいながら、ランカスター、マーチンの主演は、微妙に弱くもあり、とっくに全盛期を過ぎたハリウッドの衰退感も漂う。
二人ともさすがの演技ではあったが。
キャストで勢いを感じたのは、マーチンに不倫相手のCAを演じたジャクリーン・ビセットで、ミニ丈の制服姿が似合っていた。
彼女はこの作品の後、キャリアを積み重ねてゆく。
ジーン・セバーグは当時フランスに住んでおり、夫のロマン・ギャリーとの問題、ブラックパンサーの支援者としてFBIにマークされていたことからのストレスに苦しんでいたころ。
「大空港」の役は、彼女じゃなくてもいい役柄にも思えたし、劇中、彼女らしい繊細でかつ豊かな感情表現を要する場面もなかったが、演技者としての確かな成長ぶりがみられる。
彼女が出演した70年代の数少ないメジャー作品としても貴重だった。
畑から、調布柴崎の彩ステーションに初の出荷をしました。
出荷内容は、玉ねぎ、キューリ、キヌサヤ(グリンピース)、ミント、コリアンダーです。
6月下旬の猛暑で夏野菜の成長が始まりました。
1か月以上、ほとんど成長しなかったナスが新し葉を出し始め、キューリのツルが勢いを増し、これまでは実をつけても途中で黄色く枯れてしまっていたズッキーニが青々した実をつけ始めました。
コリアンダー(パクチー)はこぼれ種から発芽し、早や花を咲かせています。
同じく自然発芽したミントは逞しくその香りを漂わせています。
この時期、ズッキーニとキューリ、インゲンなどを中心に、春植えのキャベツやらが出荷の中心で、品不足を新玉ねぎが埋める・・・のが理想でした。
今年は、低温から一転の高温、乾燥でインゲンの丈が伸びません。
キャベツはやっと玉を巻き始めましたが、硬くないか、食味はどうか心配です。
キューリが元気なので、ズッキーニと合わせて出荷の中心としつつ、ジャガイモの収穫を経て、ナス、トマトを待つ・・・というのが今年の見通しです。
トウモロコシも楽しみです。
山小舎暮らしで映画に飢えている昨今。
古本屋で見かけた100円のDVD。
こんなに安く映画が見られるんだと思った。
ブックオフに行って見るとDVDのコーナーがある。
よく見ると500円以下の廉価コーナーもあり、古の名作が安く販売されている。
山小舎でも映画が見られると気が付き、廉価版を中心に集めてみた。
山小舎版名画劇場という塩梅だ。
ジーン・アーサーは1930年代に活躍したアメリカ女優。
セシル・B・デミルやフランク・キャプラといった巨匠作品で、ゲーリー・クーパーやジェームス・スチュアートらと共演した。
彼女の30年代の出演作4本プラスアルファを続けて見た。
1,「平原児」1936年 パラマウント映画 セシル・B・デミル監督
パラマウント映画のタイクーン、アドルフ・ズーカーを先頭に、製作、監督、出演者名が画面下から上に、斜め後方に流れてゆくクレジットタイトルで始まるこの映画。
このタイトル方法は「スターウオーズ」がのちにマネをした。
西部の大立者、ワイルド・ビル・ヒコックとバッファロー・ビルの友情に、カラミテイ・ジェーンが絡むという、日本でいえば、〈ご存じ次郎長三国志〉のような物語。
大向う受けを狙ってハリウッドのタイクーンが企画し、国民的巨匠のデミルがタイクーンの意を受けて現場を仕切って作り上げた作品であり、また、正攻法で作られた大作の楽しさに満ち満ちた作品である。
ジーン・アーサー扮するカラミテイ・ジェーンは男勝りの西部の女。
ゲーリー・クーパー扮するワールド・ビル・ヒコックを見かけるなり、抱きついていきなりキスする登場シーン。
男勝りながら純情なカラミテイは、ビル・ヒコックへの追慕を隠さない。
健気でガラッパチながらも、かわいらしいカラミテイのキャラクターは、ジーン・アーサーのイメージに重なっており、愛らしい。
南北戦争が終わり、ガンマンだのバッファロー狩りだのの時代は終わりつつあり、インデアンとの戦いにも先が見えてきている。
遅れてきたガンマン二人のストイックな時代遅れの友情と、彼らを追慕する独立心にあふれてはいるが純情な女性像。
古き良きアメリカへの賛歌であり挽歌でもある。
ロケの群衆シーン、騎兵隊とインデアンの戦闘シーン、その全部がエキストラを使って再現されている。
今の時代では不可能なぜいたくさであった。
2,「オペラハット」1936年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督
西部の男勝りから一転して、ニューヨークのマスコミのキャリアウーマンを演じるのがこの作品のジーンさん。
都会的でスレていて、てきぱきと事を進める役もジーン・アーサーには似合っている。
相手役は、まだ若さが残り、イノセントな田舎者の役が似合っていた頃のゲーリー・クーパー。
イノセントな田舎者のクーパーが、遺産相続で都会に出てきて、狡猾な都会人に騙されようとするが、クーパーは信念の人でもあり、自らの人間性を頼りに、悪漢たちを退け、女性の愛も獲得する、という物語。
田舎で、〈妖精つき〉ともいわれた純朴、マイペースの変人ぶりをクーパーが好演。
すれっからしのジーン・アーサーが、この田舎者をネタにマスコミではやし立てるが次第にクーパーの本質に惹かれるというシンデレラストーリー。
クーパーの田舎では全員が〈妖精つき〉だというオチもつく。
ジーン・アーサー全盛期の美貌を堪能できる。
3,「我が家の楽園」1938年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督
続いてもキャプラ監督作品で、ジーンさんの相手役は若々しいジェームス・スチュアート。
スチュアートは大企業の御曹司で副社長だが、買収を繰り返す企業戦士の親父社長とは正反対の性格。
都会に生まれた〈妖精つき〉。
ジーン・アーサーは副社長の秘書で仕事はできるがスレてはいないキャラクター。
この二人が惹かれ合って、ジーンさんの実家へ挨拶することとなった。
ところがこの実家、企業戦士を退職してから自分に正直に生きている祖父を中心に、自分に正直すぎる人々が集まっているシェアハウスのような場所。
スチュアート自身は、通じるものを感じるが、ゴリゴリの現役企業家である父親を連れての再訪では、お約束通りの大混乱と相成る。
この作品でのジーンさんは、都会人ながら純情一方のキャラで、だからこそ役柄に屈折がなく、印象が薄いものの、〈妖精つき〉の相手役に惹かれる役柄という点では、ほかのキャプラ作品同様であり、彼女一流のイメージに合っている。
まさに現代のおとぎ話。
これがキャプラタッチというものなのだろうか?
ジーン・アーサーのおとぎ話のヒロインぶりも一興。
4,「スミス都へ行く」1939年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督
キャプラ作品が続きます。
ジーン・アーサーが出演したキャプラ監督の上記3作品。
コンセプトは共通していて、〈妖精付き〉のヒーローを、実は純真な心を持つヒロインが支える、という設定です。
この作品は、まだおどおどした演技が似つかわしかった頃のジェームス・スチュアートが田舎から補選の上院議員としてワシントンに上京し、政治の現実に夢破れるものの、最後に上院で自らの思いのたけを延々とぶちまけて信念を通すというお話です。
ジーン・アーサーは上院議員秘書を演じて、当初は田舎者のスチュアートに失望するものの、その信念を通す姿に味方となって助けます。
政治の世界の裏も表も知って、仕事はできるが疲れも出始めている、議員秘書の感じをよく演じています。
〈妖精つき〉で最後は己の信念を貫き通す主人公と、彼を陥れようとする〈私利私欲の〉勢力の対決、という構図は「オペラハット」と同じですが、この作品の方が、〈私利私欲の〉勢力の描き方がより強烈でリアルになっています。
したがって、陥れられる〈妖精つき〉主人公の追いつめられ方もより深刻で、切羽詰まっています。
とはいえ、ベースにはユーモアがあり、例えば上院議長役のハリー・ケリーの、世の中の正義もインチキもわかっているかのような議事進行ぶりと、馬鹿正直な主人公に一服の清涼剤をもたらすかのような仕草など、観客にとってもユーモラスな息抜きとなる演出です。
また、「我が家の楽園」ではジーンさんとスチュアートのデートシーンに流しの子供楽隊が急に現れ、見るものを驚かせ、喜ばせますが、本作では本格的な子供のマーチングバンドが要所で登場し、大々的に主人公たちを〈応援〉し、またまた見るものを驚かせます。
キャプラ監督一流のユーモアに満ちた前向きな場面転換のテクニックの炸裂です。
ジーン・アーサーは「オペラハット」同様、ラストの議会(この作品では法廷)での主人公の懸命な自己発露を女神のように見守り、励まします。
番外、「シェーン」1953年 パラマウント映画 ジョージ・ステイーブンス監督
ジーン・アーサーの存在感については、全盛期の30年代の上記作品より、この作品において一番重く感じるのは邪道だろうか。
最後の映画出演、彼女50歳前後の作品である。
この作品のジーンさんは、表立って主張しない。
30年代の懐かしい彼女の横顔。
微笑んで、目をキラキラさせる。
がみられるのは、独立記念日のお祭りに切るドレスを選んで、長持ちの底からウエデイングドレスを見つけるときのシーンくらい。
後は、ひたすら自分の夫と、息子と、特にシェーンを見守り、料理し、喧嘩の手当てをし、ひそかに思いを寄せる。
自分の意志を表示したのは、息子に「シェーンを好きになったらだめよ。いつかいなくなるのだから」といったときと、最後に夫がガンをもって対立する悪徳牧場主に殴り込みに行こうとするときに「私のために行かないで」という時くらい。
シェーンとの別れの場面でも、「もう会えないのね」「死なないで」と言って万感の握手をするだけだった。
ガンマンがもう流行らなくなり、そのことを自分が一番理解しているシェーンもまた、ひたすら堅気(開拓民)の一宿一飯の恩義に感謝しつつ、自分を殺している。
感情を発露したのは、悪漢の牧場主に「(開拓民の家で働く目的は)女房か?」とある意味図星の指摘を受けたときに「黙れおいぼれ」と悪態をついた時だけ。
男として、時代遅れのガンマンとしての矜持を貫いたのは、前半で悪徳牧場主一味に挑発され、一度は引き下がったものの、再び酒場でまみえたときにウイスキーを浴びせ返して殴り合いになった時と、最後に殴り込みに行こうとするヴァン・ヘフリン(ジーン・アーサーの夫)を力づくでひきとめたとき。
力ではもう、ヘフリンに敵わなくて、ガンで殴って気絶させ、彼の馬を追い放ち、拳銃をジーン・アーサーに隠すように託す。
40年代にスターとなり、素早い動きでギャング映画で一時代を築いたアラン・ラッドも俳優としては晩年。
低い身長を隠すこともなく、ラブシーンもなく、正体不明の中年ガンマンとして流れ着き、去っていく役を寡黙に演じきった。
時代遅れではあっても、己の信念と人間としての矜持を貫く役柄は、現実のラッドの俳優人生ともオーバーラップし、思い残すことはないだろう。
ジーン・アーサーも中年となり、母親役を演じた。
往年のこぼれ出るような色気は封印しても、控えめに大事な存在を見守り、平和を説き、バックアップする女性像を、彼女の女優人生の集大成として演じた。
映画人生最後の役柄は、心ひそかに愛するヒーローを見守る以上のことはせず、最後までキスもしないヒロイン役だった。
監督のジョージ・ステイーブンスは十分なリスペクトをもって彼女を演出した。
余談
ラストのジャック・パランスとの決闘シーン。
酒場のカウンターに寄りかかったシェーンとパランスは2,3のやり取りをする。
シェーンはパランスを挑発して応える。
「うそつきの卑怯者」と。
パランスは「抜け」と応じる。
この時のシェーンの言葉。
山小舎おじさんが中学生の時にリバイバルで観た版では「南部の豚野郎」だったと記憶している?!
今回見たDVDで原語を確かめると「なんとか・ヤンキー・ライヤー」と言ってる。
ライヤーはうそつき、最も相手を否定する言い方だ。
ヤンキーとは、アメリカで南部の住民が、北部の住民を軽蔑して呼んだ言葉だそう。
とすれば「北部の嘘つき野郎」が直訳である。
では山小舎おじさんの記憶にある「南部の豚野郎」とはいったい?
山小舎おじさん得意の記憶違い、なのか?
やっぱりそうなのか。
南部と北部の対立は歴史的にも根深い宿命的なものがありそうだ。
この作品の制作当時にあっては、南北戦争勝者の北部(北軍)に対する批判はタブーだったろう。
ということは、このシーン、ぎりぎりの北軍批判だったのか?
ちなみに、インデイアンなどに対する北軍のふるまいや、北軍そのものの程度の悪さなどは、のちの「ソルジャーブルー」(1970年 ラルフ・ネルソン監督)や「ダンスウイズウルブズ」(1990年 ケビン・コスナー監督)に描かれた通りなのだろう。
「シェーン」にとって南北対立はどのような意味を持つのか?