「奇跡のリンゴ」第2弾「すべては宇宙の采配」再読

山小屋おじさんは11月初旬に孫たちと松川町のリンゴ園へ行ってきました。
そのときにリンゴ農家の人と話したのがきっかけで、木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」を再読しました。

やっぱり面白い本だし、木村さん面白い人だと思ったので、その第2弾「すべては宇宙の采配」という本を引っぱりだして読んでみました。

木村さんの面白エピソード満載の本

「奇跡のリンゴ」がルポライターによって、木村さんが無農薬リンゴの栽培にたどり着くまでの経緯を現した本だとすれば、「すべては宇宙の采配」は木村さん自身を著者とした、自分語りの本です。

本で読むだけで、木村さんという人の面白さは伝わりますが、それにもましてというか、それ故にというか、木村さん自身のエピソードが面白すぎるのです。

バイトとして携った弘前のキャバレー時代の話や、白ナンバートラックの運ちゃん時代の話は、とんでもない失敗談の中に木村さんの人柄と強運ともいうべき人生の背景をうかがわせて忘れられません。

それから、竜を見たとか、UFOに乗った話になるのですが、他人はともかく本人は真実のエピソードと信じていることがうかがえます。

無農薬リンゴを実現した人だからこそ許された自分語り。
やはり木村さんは特別な人なのでしょう。

DIME増刊「大学は美味しい!!」

急に2008年発行の雑誌の話になります。
DIMEというビジネス雑誌、まだ発行しているのでしょうか?

おじさんが持っているこの増刊号は、「キャンパスの隠れた食の名品」をキャッチフレーズに、大学発の食の名品を特集したもの。
捨てずにとっておき、山小屋に持ってきてました。

当時、新宿高島屋の催し物会場で同趣旨のフェアがあり、おじさんも駆けつけましたが、仕事帰りの時間帯では狙っていた品物は売り切れており、残った中で良かれと思って選んだ、奈良女子大の「奈良漬アイス」が家族に不評だったこともありました。

閑話休題。
この雑誌に弘前大学のリンゴジュースの話が載っていたことを思い出し、取り出してみました。

その中に弘前大学教授の話として「ポリフェノールの含有量は完熟果より、摘果して捨てられている未成熟のものに多い」、このことを発見して「無農薬無肥料栽培の未成熟リンゴを原料にリンゴジュースを作った」とあります。

ありました、「無農薬リンゴ」というキーワードが!
なるほど、生食用として成熟させなければならないリンゴと違い、最初からジュース用の未成熟を作るのであれば無農薬でも栽培可能なのでしょう。

コマーシャルベースで無農薬リンゴの有無を論ずる以前に、現場には面白い現実が転がっているのです。

木村さんは生食用の成熟果を無農薬で栽培しているのかもしれません。
あるいは、消費者から見ればB級品のような見かけのリンゴなのかもしれません。
あるいはUFOに乗るような木村さんですから、リンゴとは既に別な果実の開発に成功しているのかもしれません?

いずれにせよリンゴの世界は奥が深そうです。
ましてや自然全般の世界においておや。

リンゴ園から帰り、「奇跡のリンゴ」を読み直す

リンゴ園に行ってきました。
松川町にあるリンゴ園です。
中央道の松川インターを下車したあたりに数々のリンゴ園があります。

11月初旬、山小屋におじさんの孫たちがやってきました。
滞在中の1日、伊那方面に繰り出し、ソースカツ丼などを食べた後、足を延ばしてリンゴ狩りしてきました。

人生初のリンゴ狩りに大興奮

長野で暮らし始めて、リンゴが実る風景は秋の風物詩となりましたが、初めてその風景を見たときは驚いたものです。
真っ赤なリンゴが文字通りたわわに実った景色はインパクト十分でした。

この日孫たちと訪れた宮澤農園というリンゴ園。
陽光、王林、富士などが手を伸ばせば届く範囲で実る風景に家族は興奮しまくりでした。

陽光などを手でもいで収穫したほか、シナノゴールドなどのリンゴや洋ナシなど、農園でとれたものを買い求めました。試食で味わうリンゴたちはどれもコクがあっておいしかったのです。

低農薬をうたうその農園は、小さな子供4人を持つ元気なおかみさんが来園者に応対していました。
園内には鶏舎が建っており、元気そうな鶏が走り回っていました。

人の背丈ほどにリンゴの木を小さく育てる、わい化栽培(矮小化栽培の略?)ではなく、収穫には脚立が必要なほどの丈の従来通り?の栽培方法でした。

いい雰囲気のリンゴ園でしたので、ついでにおかみさんに聞いてみました。

おじさん「奇跡のリンゴってありますよね。リンゴは無農薬では無理なんですか?」

おかみさん「木村さんですか?青森と長野では違いますけど、無農薬では無理です。近所にも迷惑かかりますし」

「奇跡のリンゴ」と聞いて間髪を入れずに、木村さんと帰ってきました。
リンゴ農家同士のこととはいえ、「奇跡のリンゴ」とその作り手の木村さんの知名度を感じました。

おかみさんの反応からは、「奇跡のリンゴ」に対する否定や揶揄は感じ取れなかったものの、自分たちの常識との隔絶の意識は感じられました。

おじさんがなぜ「奇跡のリンゴ」の事を専門家であるリンゴ農家に聞いてみたかというと(単に余計なことを聞くのが悪い癖というだけではなく)、一世を風靡した無農薬リンゴが「ガセ」なのでは?という話を仄聞していたからです。

ということで、思い立って山小屋の書棚にある「奇跡のリンゴ」を再読してみました。

「奇跡のリンゴ」を再読してみた

同書は2008年に幻冬舎から発刊されました。
著者はノンフィクションライターの石川拓治。
無農薬リンゴの生みの親、木村秋則の経歴、リンゴ栽培への取組、現在の心境をメインに、リンゴ栽培の歴史や現状を構成した作品です。

このノンフィクションの骨子でもある木村さんの経歴というのが実に面白いのです。
機械に興味を持ち、効率を重んじた若き日から、農家を次いで発揮される実践力がこの人のベースにあります。
更に一貫しているのは思い込み(一貫性ともいう)の強さと独特の人間的魅力です。
転機となったのが、自然農法のバイブル「わら一本の革命」(福岡正信著)で、それまでの合理的営農から、無農薬リンゴへと、一転突っ走るきっかけになったそうです。

同時にこのノンフィクションでは、いわばストーリーの背景であるところの、リンゴ栽培の歴史を丁寧にひも解いています。

曰く、今のリンゴは原種に近いリンゴが品種改良されたもので、無農薬、無肥料で育てられた原種のリンゴとは別物であること。

曰く、新種のリンゴは害虫、病気に弱く、被害にあうと全滅の可能性があったこと。

曰く、新種リンゴの栽培を商業ベースに乗せているのは、開発された農薬が、害虫と病気を防いでいること。

ノンフィクション中の白眉は、無農薬リンゴを目指してからの数年間の木村さんの取り組みです。そのこと自体がよほど「奇跡的」ともいえる取り組みは、害虫を手で駆除したり、酢をあらゆる濃度で噴霧するなどです。
そのためにはあらゆる犠牲を払い、田んぼや自家用車を手放し、弘前のキャバレーでバイトまでしています。

転機は万策尽きて山中で自殺を試みるときに訪れます。

たどり着いた山中でたわわに実ったリンゴの木を発見する。
よく見たらドングリの木だったが、感心して根元の土を掘ってみたらふかふかだった。
自然のバランスがとれているとはかような状態のことかと思い至り、リンゴ園の環境全体を、山のドングリの木の環境に近づけるべく努力してついにリンゴが実り始める。

読んでみて、改めて木村さんという人の人間的魅力を感じます。
思い込んだらどうにもならないであろう頑固さも。

最終的にたどり着いたリンゴ農家としての奥深さにも感心します。
リンゴの木を見ただけでどこに害虫がいるかわかるという、いわば神眼の境地に至ることができたのは、ご本人の素質と努力の継続以外の何物でもないでしょう。

実は作物の栽培に於いて、土づくりが最も大切だというのは常識です。
このノンフィクションの弱さは、木村さんが無農薬リンゴの栽培に開眼した理由として、土づくり以上のものを提示できなかったことです。

と言ってそこまでの行程の徹底ぶり、最終的に到達した境地の奥深さは余人にまねのできるものではありませんが。

世の中には「植物とお話しできる」という人もいる。
農家で名人と言われた人は、虫の飛び方や風の吹き方で数か月先まで気象を予報したり、ほかの田んぼの稲の穂先を見て触ってその田んぼでどういうことがあったか、農業者がどう対応したかを言い当てたそうだ。(新潮選書「日本農業への正しい絶望法」16ページより)

そこまでいかなくても毎年毎年、何町歩もの田畑を天変地異のない限り、一定レベルの作物を予定通り作付けし収穫することのできる農家は各地に健在である。

「奇跡のリンゴ」の木村さんは、多分名人級に近い農家なのでしょう。
そして無農薬(に近い)リンゴ栽培農家としてマスコミの目に引っ掛かった。
なぜなら野菜と違いリンゴはそれこそ商業的無農薬栽培は不可能だから。
だからこそ、マスコミ的には「おいしい」素材だから。

マスコミ一流のフィーチャーによって「売出され」、売れた。
木村さんのリンゴが無農薬かどうかはわからない。
世に広まる「無農薬リンゴ」のイメージ流布に関して何らかの責任があるのだとしたら、それはマスコミにも多々あるんじゃないかな?

リンゴで思い出すこと

リンゴと言えば山小屋おじさんは2,3のエピソードを思い出します。

・1982年に26歳の山小屋おじさんは旧西ドイツからベルリンに向かいヒッチハイクしていました。
その車中からの風景です。
旧東ドイツの平原にはポツンポツンと農家が建っていました。
ささやかな農家の敷地には各々1本、リンゴに木が植わっていました。
ドイツには1日1個のリンゴは医者いらず、とのことわざがあるとか。
リンゴの木と暮らす農家の風景に、昔からのドイツの農村を見るような気がしました。

・その後、ポーランドへ行きました。
東西の壁が厳然としてあった頃の東欧です。
人々はうつむき加減に街を歩いていました。
2月、都市部には野外マーケットが出ていました。
雪の中です。
出品はほとんどリンゴでした。
人々が欲しているであろう、肉や乳製品、日用品は見事に売っていませんでした。
申し訳なさそうに置いてあるリンゴも、すでに日本では見られない小ぶりなすっぱそうなものでした。
一つ食べておけばよかったと今では思います。

・一連の旅では、旧西ドイツも歩きました。
都市の旧市街広場にはマーケットが開かれていました。
物資も豊富で、日本と同じ大型のリンゴが山積みされています。
一人旅の叔父さんは、1個売ってくれと手に取りました。
売り子のお兄さんは、よせやいというジェスチャーとともに持っていけ、とそのリンゴをくれました。

 

 

令和元年台風19号の爪痕 続々報

台風19号の被害です。
全国ニュースでも流れましたが、上田市内の千曲川沿いの現状です。

上田電鉄の鉄橋が崩落

上田電鉄は上田駅と別所温泉駅を結ぶ私鉄です。
札幌と定山渓温泉を結ぶ定山渓鉄道があったように(とっくに廃線)、弘前と大鰐温泉の間に弘南鉄道があるように、福島から飯坂温泉に向かうには飯坂電車に乗るように・・・。都市とその奥座敷と呼ばれる温泉街の間には私鉄路線が走っていることがよくあります。

上田とその奥座敷・別所温泉の間を結ぶのが上田電鉄。
1920年創業の歴史を誇る私鉄で、かつては青木村との間や、丸子町との間(丸子鉄道と合併後)の路線を持っていたが別所線以外を廃止して現在に至る。
別所温泉への観光客や、路線住民の足として活躍している。

台風19号の被害により、上田市街の千曲川の左岸堤防が削られ、鉄橋の橋げたが崩落した。

一部区間が不通で前線復旧の時期は未定。
体力のないローカル私鉄でもあり、ここはしっかり国の援助によって早急に復旧が待たれる。

これが首都圏、中京圏、関西圏での出来事だったら是が非でも早急な復興に向けて手当てがなされることだろう、と思うのはおじさんだけだろうか?

このショッキングで前途に決して希望をもたらさない風景が果たしてこの先いつまで上田市民の前に晒され続けるのだろう。
それともこれが今の地方の、いや日本の現実なのだと下級国民は心せよと天からのの戒めなのか?
それが下級国民のおじさんのひがみと妄想だったらよいのだが。

上田駅構内の上田電鉄改札口の様子。

鉄橋と平行する橋は運航可能なので代替バスよりを運航中。

上田駅の上田電鉄改札口は閉鎖されている。

しなの鉄道も途中折り返しの運転中

しなの鉄道は軽井沢と篠ノ井(長野市郊外)を結ぶ私鉄。
もともとは、高崎と新潟を結ぶJR信越本線(の一部)です。

北陸新幹線が軽井沢・長野間を通っているとはいえ、本線を私鉄に移管するとはJRも商売に徹しています。
あっ、民営だからしょうがないのか!?

しかも、しなの鉄道に移管した部分以外(高崎・横川間と篠ノ井・新潟間)をその後もJR信越線として継続経営し、横川・軽井沢間を廃線というのもよくわからない。

通勤客などで手堅い経営が望める長野県区間を私鉄に高値で売り、また、横川・軽井沢間の碓氷峠越えの厳しい路線経営から手を引きたかったから、としか思えない。
あっ、民営だからしょうがないのか!?

今回の台風19号で東御市内の千曲川にかかる海野宿橋がしなの鉄道線路上に崩落し、上田・田中間が不通となっている(上田・篠ノ井間と、軽井沢方面は開通している)。

上田駅構内のしなの鉄道改札口の様子。
軽井沢方面の案内板が表示されていないのを除き、上田鉄道の改札口よりはより平常に近い。

いつもと変わらないように見える上田駅前。

果たして本当の復興はいつか。

 

台風19号の爪痕 続報

台風19号は長和町のにおける被害状況の続報です。

ちなみに姫木平別荘地内の被害は一か所、路肩が崩落しただけとのこと。
倒木も少なかったとのこと。
避難警報が出てコミュニティセンターが避難場所になったものの、避難者は1名だけだったとのことです。

大門川の下流の落合地区で国道152号線の崩落があったことと、長久保地区の五十鈴川の松尾神社周辺で鉄砲水による田畑の被害、農道の崩落などがあったことは既報の通りです。

今回、山小屋おじさんの畑の近くの、五十鈴川氾濫の様子を見てきましたので報告します。

松尾神社や被害にあった畑の上流部分です。
川が急流となっています。

地上にあった立木が流れに飲み込まれています。

畑がえぐられハウスの枠組みの土台が半分流失しています。

畑の上を濁流が流れた跡が残っています。

おじさんが借りている畑の動物除けの電線は破壊されています。

山小屋おじさんの畑の大家さんの話によると、台風通過の朝になって畑の被害を見てびっくりしたとのことです。
それまでに土石流の音はしなかったとのことでした。

長久保地区では、川の氾濫が60年ぶりとのことで、半世紀前にも氾濫があったようです。

人家の被害はなく大家さんに深刻な様子はありませんでした。
むしろ山小屋おじさんに代わりの畑を紹介してくれようとする勢いでした(謝絶しました)。

被害にあった畑は国が整備してくれるとのことです。
ひと安心です。

令和元年 台風19号の爪痕

2週間ぶりに山小屋へ戻ってきた山小屋おじさん。
十二指腸潰瘍で4日間の入院やら、台風19号の来襲やらで東京の自宅に待機しておりました。
山小屋が気になっても台風の被害で中央道が不通。
中央本線も相模湖・大月間で不通になっていたのでした。

山小屋周辺はほぼ変化なし

山小舎は無事でした。

積み上げた薪は長雨で湿っていましたが、強風にあおられて倒壊するようなことにはなっていませんでした。ホッ。

しかしというかやっぱりというか、裏の沢が音を立てて流れていました。
普段は水がなく、大雨の後だけ流れる沢です。
山小屋の土台が削れるほどではありませんでしたが。

大門街道沿いの様子

大門街道を上田側へ下ります。
山小屋おじさんが畑へ通う道でもあります。

路面が雨でもないのに濡れています。
山の水が路上にあふれ出しているのでしょう。

山肌が崩れています。
山肌の崩れはこのほかに数か所ありました。

路肩が崩れかかっています。
後日、本格的な補修が必要な崩れ具合です。
街道と平行する大門川の水量も増し、猛々しい水音とともに白いしぶきをあげています。

路上にあふれる山の水。
側溝に流れるよう辛うじてコントロールされてはいますが。

大門川の堰堤が壊れています。
濁流の爪痕が生々しく感じられます。

大門街道が中山道と合流する落合地区では、道路が崩落していました。
道路の復旧まで何か月かかることでしょう。
ここら辺は集落の規模も大きく、崩壊した道路は、生活道路としてまた、白樺湖・茅野方面への幹線道路として重要です。当日、長和町に避難指示が出ていたのは、情報で知っていましたが、これほどとは・・・。

山を下るほど被害が大きくなっています。

平成18年にも大門川の護岸が崩落していますから、大雨の際の濁流のこわさ、濁流が合流してぶつかる時の破壊力の大きさを前にして人間の無力さを思い知らされます。

畑に土石流が来ていた!

畑へ行きました。
まず、大根とニンジンが植わっている畑。
着いてわが目を疑いました。

畑がごろ岩が転がる石原になっていました。
かつての面影はなくなっていました。
土石流が発生したのでしょう。

川が畑の横を流れてはいるものの、高度差が2,3メートルもあり水害は想像すらしませんでした。
だからこそ石垣を積んで段々畑になっていたのでしょう、何十年も前から。

大根、ニンジンどころか、柿の木や梅の木も跡形もありません。
収穫が終わっていた隣の田んぼも無情の石原となっています。
不思議とハウスが残っていました。

段々畑の段も崩れて、川砂に覆われた土地。
この後、大家さんはどうするつもりなのか・・・。
長久保の集落が無傷のようだったのは不幸中の幸いでした。

あと2か所の畑へ急ぎます。
農道が橋のところで崩れて行けません!
畑の横の中山道が片側通行になっています!

それでも何とか軽トラを畑につけ畑へ入りました。
残り2か所の畑は無事でした。

千曲川の堤防決壊、上田電鉄の鉄橋崩落、武石村への橋の崩落など令和元年の台風19号の県内の被害は甚大です。
この台風、全国の死者が80人あって、直撃した東京都の死亡人数が0人というのが象徴的な気がします。

東京では災害にそれなりの準備ができているというか、地方には手が回っていないというか・・・。

「過去に例のない」雨量の台風被害で幕を開けた令和の世。
これ以上は災害のない時代であることを祈って。

夏の終わりの入道雲

今年の夏も終わりです。
東京はまだ残暑の盛りでしょう。

山小屋は朝晩、暖房が恋しい季節となりました。
山は雨が多い夏でした。

茅野にて、入道雲

山小屋おじさんは十二指腸で引っかかり、検査などで三週間近く東京の自宅に帰っていました。
寄る年波、ということなのでしょう。

ここ最近の東京の夏はボイラーの間近であぶられているような具合です。
マジに熱中症に注意しなければなりません。
家では遠慮なくクーラーをつけさせてもらいました。

8月下旬。
山小屋に戻りました。

長野はすでに秋風だろうと思いながら高速バスを降り立った茅野は、まだ蒸し暑さが残っていました。
入道雲が見事だったのでパチリ。

白樺湖でも入道雲

山小屋への途中の白樺湖の風景です。

好天の下、蓼科山は全景を現わしています。

旅のキャンピングカーの上空には入道雲がありました。

夏の景色を残しつつ、秋の気配が忍び寄っている湖畔でした。

2019年7月 梅雨寒の白樺湖

今年の梅雨は雨が多いような気がします。
気温も低めのような。
朝夕はストーブの火が恋しくなる山小屋の夏です。

白樺湖も春先のような靄のかかり具合。

小雨交じりで肌寒い日です。
湖畔には当然ながら人影がありません。

東京も最高気温が22度とのことでした。

梅雨明けは20日ごろとの予報です。

昭和の初夏の食卓! わらびを採りました

山小屋も梅雨入りです。
といっても3日も続かないのが梅雨空です。
今日は午前中は肌寒い雨降りでしたが、午後からは太陽が出ました。
おじさんは、別荘地のスキー場跡地に行き、わらびを採取してみました。

さて、わらびとは?

おじさんの親世代までは、家庭で季節の山菜を食べるのが普通でした。
春のふき、うど、わらびから、秋のキノコなど。
専門的な山菜や野草などは当時でもなかなか食べませんでしたが、ふき、わらびなど有名どころは季節に必ず食卓に並んだものでした。

現在でも山菜の人気は高く、別荘地住民のみならず、近隣の住民が山菜を採りに道端に車を止めている風景をよく見ます。

わらびはシダ科の植物です。
シダ科の植物を食べるのは日本人だけ?ということですが、朝鮮料理の材料でもありますね。
日本人の影響で、野菜の少ないシベリアのロシア人が食べているという話もあります。

年寄りが好きそうな鄙びた味がします。
おじさんなども小さいころから食べていたせいか、味には慣れ親しんでいます。
たまーには酒のつまみに煮びたしでも食べたくなります。

初めてわらびを採ってみる

山小屋近くのスキー場跡地がわらびがよく採れる場所だということを聞きました。

簡単な見分け方と、採り方を教わりました。
大きくなると枝分かれしますが、手で折れる部分までは食べられるそうです。

ビニール袋を持って現場へ行きます。
スキー場跡地の斜面に立つと青空と遥か山並みが見えます。足元には斜面が広がります。

歩いてゆくと山ウドがありました。

ふきもところどころにあります。
つつじも咲いています。

ふもとの畑などは雑草が生い茂っていますが、標高1500メートル近くの別荘地では野草の育ち具合もまだかわいいものです。

わらびです。
わらびとは群生して生えているのか?となんとなく思っていましたが、実際はポツンと生えており、見つけるのが簡単ではありませんでした。
もちろん先客も何度か採取に入っている場所でもあります。

売っているような、わらびらしいわらびは一握りも採れたでしょうか。
あとは枝分かれした柔らかいものを合わせて両手いっぱいくらい採れました。

帰ってあく抜きします。

5月とあやめと水田と

5月です。五月晴れです。

信州は田植え真っただ中です。
農家の庭先や田んぼのわきにはあやめが咲いています。

あっ、あやめでよかったですよね?
それとも菖蒲?カキツバタ?

田植えが終わった水田たち


おじさんの畑の隣の田んぼです。


田んぼと山と。ほっとする風景です。


結構小さな苗を機械植えしています。
今はインスタ映えしませんが、じきに田んぼ一面が青々となります。


山間に広がる田んぼ。信州らしい風景です。

いずれがあやめかカキツバタ。それとも菖蒲?


田んぼのわきのあやめと菖蒲。
信州では、田んぼにあやめはつきものなのか?


田んぼだけではない。
畑のわきの菖蒲たち。


たっぷりと咲くあやめの群れ。


夕方近くの山間のあぜ道に咲く、少々寂しいあやめの群生。
これも風情があっていい。

一番いい季節の到来です。

信州桜前線VOL.1 山里に桜が咲きました

4月10日の大雪で一時季節の進行がストップした信州地方ですが、いよいよ桜が咲きました。

茅野市内の福寿院というお寺の境内の桜です。4月16日の様子です。

国道152号線、通称大門街道を上田側に下った、長和町大門地区の桜です。
大門街道に沿って咲いています。

大門街道と中山道が交わる当たりの道沿いは、桜とレンギョウのコラボレーションがさく裂していました。


まさに春の乱れ咲き。

長和町長久保地区のお寺の裏手にある桜です。
遠くからも目立っていたので、境内にお邪魔して撮影しました。

お寺の裏山にはさりげない枝垂桜の一枝もありました。

川沿いに枝垂桜がひっそり、否、盛大に咲いていました。

山を見渡せば、人家のそばに咲いているのが遠望できます。

桜というと、上野公園などの花見風景を連想するおじさんなどは、マスコミの影響の受けすぎたのでしょう。

信州の山里の桜は、公園に並木になって咲き誇っていることはあまりありません。
農家の庭先や、自社の境内や裏山で1本だけでひっそりと咲いていることが多いような気がします。

自然の一部として、ひっそりと咲く桜。
本本来、桜って儚いものなのでしょう。

桜だけを集めた風景もいいですが、山里の自然の中で1本だけ咲く風景もいいものです。
1本だけでも、春の訪れを主張する強烈さを桜は持っています。

本格的な生命活動の季節が到来しました。