狭山境緑道の河津桜

埼玉県所沢の狭山丘陵にある多摩湖の水を、東京の武蔵野市関前の境浄水場まで通していた水道道路があります。
大正12年に開通しました。
現在では埋設された水道管が浄水を運び、その上を緑道が走っています。

狭山境緑道です。
歩行者と自転車の専用道路です。
多摩湖の東京側の麓の東村山市を出発点に、武蔵野市の関前5丁目交差点までの約20キロのほぼ直線道路です。

水道道路として直線に延びる狭山境緑道

途中の西武新宿線小平駅から終点の武蔵野市関前5丁目までサイクリングしてきました。

平日の午後、歩いているのは散歩の高齢者。
小学生低学年が下校の時間になりました。
あとは小さな子供とママさん。

舗道と自転車道路が分かれており、全体の道幅も広いので、歩行者も自転車も快適です。
沿道には畑が残り、ところどころに野菜の無人販売所が建っています。
収穫に季節にはさぞにぎやかなことでしょう。

緑道の案内板

また、沿道にはベンチとテーブルが設けられています。
児童公園も多々あります。
何より、暗渠化される前から沿道を彩ったであろう、並木の老木達に相当の年季が入っており、木々が作り出す自然と歴史の雰囲気が素晴らしいのです。

歩く人々もゆったりと和むはずです。
散歩やサイクリングに集まる人々を包み込むような緑道です。

道路は西武新宿線にほぼ沿って進みます。
周りはほぼ住宅地なのですが、畑や古い農家なども残っています。
小学校からは体操する児童たちの元気な声が聞こえてきます。

ふと見ると桜のような花が満開になっていました、木の麓には菜の花が満開です。
赤と黄色の春の共演です。
木の幹には「河津桜」と書いた札が掛かっていました。
寒桜で有名な河津桜の満開の光景です。

沿道にあった河津桜と菜の花

風が吹き荒れ、体感温度が低い日でしたが、春は確実に訪れています。

武蔵野市の関前5丁目という交差点で、緑道は突然終わりました。
狭山丘陵の水を都民に供給する水道とその上の緑道。
三多摩地区の文化遺産です。

武蔵野市関前5丁目交差点。緑道の終点

「駐輪禁止」

阿佐ヶ谷パールセンター商店街にはよく行きます。
近くのラピュタ阿佐ヶ谷に行ったとき、空いた時間に商店街を歩きます。

戦前からある商店街で、アーケードが数百メートル続きます。
路面店の集まりですが、シャッターの閉まった空き店舗はほとんどありません。
いつ行っても人通りの絶えない商店街です。

JR阿佐ヶ谷駅南口から青梅街道方面に斜めに伸びる、阿佐ヶ谷パール商店街
商店街は人通りが絶えない

パールセンター商店街は自転車の走行が禁止です。
自転車は押して歩くか、どこかに駐輪して徒歩で通行するのがお約束です。
確かに自転車が通常速度で走行していては、歩行者にとっては危ないのがわかります。

目立つのがあらゆる場所にある「駐輪禁止」の表示です。

店の前、店の横、商店街と交差する横道。
とにかくあらゆる隙間に「駐輪禁止」の看板、コーンポスト、ロープが設置されています。
これだけあると目立ちます。

店舗前の「駐輪禁止」
なかには「たむろ禁止」の表示も

各店が独自に設置したもののほか、杉並区名で設置したものと色々由来があります。

買い物客が自転車できて店の前に思い思いに駐輪されたら困ることもありましょう。
杉並区名での規制は条例によるものなのでしょうか、それとも店舗側の要請により行政が介入したものなのでしょうか。

杉並区に寄る「駐輪禁止」
放置自転車の受け取りにも5000円が必要

アーケード街、商店街はいろいろ歩きましたが、ここまで「駐輪禁止」が目立つ商店街はなかなかありません。
中央線沿線の人口密集地、阿佐ヶ谷のことだけはあります(ほめていません)。

Let’s 豪徳寺

世田谷にある豪徳寺を見てきました。

マンガ「レッツ豪徳寺」で有名となり、招き猫由来の聖地として海外からの観光客も押し寄せるお寺です。

自転車で環状八号線を越え、千歳船橋、経堂と小田急線沿線を走って小田急線・豪徳寺駅に着きました。
近くに世田谷線という半分路面電車のような近郊線が走る住宅地です。
豪徳寺駅から数百メートルの場所に目指す豪徳寺がありました。

小田急線・豪徳寺駅

想像以上に大きな門構え。
山門までの100メートルほどには松林が残ります。

山門前の案内板を見ると、江戸幕府で大老を務めた井伊直弼の江戸での菩提寺であり、墓所でもあると記されていました。

立派な門構え
山門前の案内板には由来書きされている
山門をくぐる観光客たち

山門を越えると立派な仏殿が視界に入ります。
左手には三重塔まであります。
敷地には手入れされた梅などの庭木が配置されています。

仏殿正面
仏殿。立派さがわかる
境内には三重塔も

外国人をはじめ観光客の姿が目につきます。
招き猫発祥の地ともいわれ、井伊直弼が猫を好んだことから招き猫がお寺のシンボルとなり、また奉納されてもいるのです。

奉納された招き猫

よく手入れされて人気があり、また落ち着いた雰囲気の漂う境内でしばし休憩。
井伊家だったり、招き猫だったりに興味がある人には必須の観光スポットでした。

世田谷区内を走る世田谷線

世田谷線に沿って下高井戸まで北上し、甲州街道沿いに調布まで帰りました。

残雪の陣馬山ハイキング

東京に積雪があった数日後の週末。
陣馬山に登ってきました。

子供が小さいころよく行った陣馬山。
お気に入りのコースは、陣馬高原下までバスで行き、陣馬山山頂へ、そこで昼食休憩の後は、栃谷尾根コースで下山、途中の陣馬温泉に立ち寄り入浴した後、車道を歩いて中央線・藤野駅まで、というものでした。
小さい子連れの場合、1日たっぷり歩く行程ですが、40代の自分にとってもほどほどに疲れ、心地よいハイキングでした。

60代後半となった今、果たしてあのコースを踏破できるのか?試してみました。
出発は高尾駅です。

高尾駅発陣馬高原下行きの西東京バスは毎時1本ほどの連絡

西東京バスで終点の陣馬高原下に着きました。
陣馬街道の追分の集落がある所です。
新しい蕎麦屋もできています。
陣馬山から下山し、バスを待つターミナルでもある場所です。

陣馬高原下に到着、バスは折り返す
バス停付近の雑貨店の跡
陣馬街道との追分集落

陣馬街道を歩き始めます。

やがて尾根伝いに陣馬山頂を目指すルートに分かれます。
雪が心配ですが、ショートカットでもある尾根ルートを進みます。
尾根ルートはシャーベット状の雪が残る道でした。
下山する人は登山靴に滑り止めのチェーンを巻いています。

陣馬街道沿いの石仏
陣馬街道から尾根伝いのハイキングコースへの分岐点

同行者は中高年の3人組、単独の中年女性、30歳前後の若い男性二人組でした。
女性は身軽にさっさと行ってしまいました。
若い二人組は汗だくでハアハアいって休んでいたので追い抜きました。
3人組とは同じペースです。

ハイキングコースに残る雪

やがて一面真っ白の雪山風景が出現しました。
雪山登山をするつもりは全くありませんが、トレッキングシューズの底が滑らないので用心しながら進みます。
幸いにも急斜面はないので危険なことはありませんでした。

やがてあたりは雪景色

汗をかきつつ山頂に着きました。
山頂はハイカーで賑わっていました。

春から秋にかけて芝生が広がり、360度の展望が広がる陣馬山の山頂です。
山小舎でおでんを頼んで、持っていったおにぎりを食べます。
今日は富士山は見えないようです。
30分休むと元気が回復しました。

陣馬山頂に到着。まるで雪山
山頂で憩うハイカーたち
茶屋で昼食タイム
おでん600円は食べ応えあり

帰りは栃谷尾根コースを下山します。
山頂近くの道は階段が溶けた雪でどろどろです。
日陰では雪が残っています。
滑らないように、また靴を濡らしたりどろどろにしないように気を付けます。

前回の高尾山ハイキングでは下り時に足が痛くて往生しましたが、今回の下りはなぜか絶好調。
先行の単独高齢者を自然に追い抜くほどなのはうれしい誤算でした。

山頂から下山開始。栃谷尾根コースは泥だらけ
栃谷集落付近では雪は消えた

やがて栃谷の集落に出ます。
30年ほど前、一人で歩いていた時に、このあたりで地元の人に声をかけられたことがありました。
日曜日だったでしょうか、その人は南側の斜面にテーブルと椅子を持ち出して一杯やっているのでした。
30代の若い人で「気持ちいいので休みの日にはこうやって飲んでるんですよ」と言ってこちらにも勧めてきました。一杯だけご相伴にあずかりました。
あの場所には去年の枯れ草が生い茂っていました。

かつて地元の人と一杯飲んだあたり
ハイキングの記念に3個入り100円の夏ミカンを買う

舗装道路に出ました、集落からバス道路に下りて藤野駅を目指します。
ここから足に痛みが出ました。
ゆっくりと進みます。

バス停に到着、次のバスまで30分、駅まは約2キロです。
持って行った伊予柑を食べて小休止。
駅まで歩くことにします。

陣馬温泉には入らず
登山口に到着。ここから藤野駅までバスがある
ふもとの畑には罠が。イノシシ用?熊用?

栃谷尾根で追い抜いた老ハイカーがいつの間にかいます。
「(コースには)思ったより雪があった(ので遅くなった)」とのことです。
かつては八ヶ岳や北アルプスにも登ったというベテラン登山者でした。

平地では老ハイカーについてゆくのがやっと。
何とか藤野駅に着き列車で高尾まで、そこから京王線で帰りました。

何となく自信がついた残雪の陣馬山ハイキングでした。

ああ東京に雪が降る

令和6年2月のある日、東京に雪が降りました。

天気予報は2,3日前から雪の予報でした。
台風や梅雨の季節には強めの予報がお約束の天気予報ですので、話半分に聞いていましたが。
降りました。

自宅前の道

前日昼間から降りはじめ、翌朝にはあたりが真っ白になりました。

東京は雪が積もらないことを前提に運営されている街なので、雪が積もると道路、鉄道、歩道が機能ストップします。
路面が圧雪状態になると交通がストップし、チェーンを巻いたバス以外は車の走行がなくなるのはもちろん、ちょっとした降雪でも自家用車は恐る恐る徐行します。
東京の自家用車は、スタッドレスタイヤなどは用意しないのが普通です。

自家用車の窓にも積もった

自宅の今年93歳のおばあさん(義母)は毎日デイサービスに通っており、迎えのワンボックスが来ます。
デイサービスのショック員さんに聞くと、この日は車が帰着してから職員総出でチェーンを装着し、翌日は道路状況を見て外したりと大騒ぎだったそうです。
日差しが強い関東の冬は、降雪時でもバス通りなどは日中、路面が乾いたりもします。

近所の遊歩道の様子

東京の雪は積もってもべちゃべちゃのシャーベット状です。
夏靴で歩くと溶けた雪が浸み込みます。

グラウンドや公園には雪が積もっています、雪が積もった広場は子供の大好物です。
雪を見ると雪玉を作って投げたくなったり、雪だるまを作りたくなるのは人間の本性なのでしょうか。

近所のグラウンドにはお約束の子供の姿が

溝の口西口商店街

JR南武線と東急田園都市線が交差する武蔵溝ノ口駅。
昨今は都心へのアクセスの良さからマンション開発とともに駅周辺が再開発され、近代化し、賑わっている界隈です。

自宅から自転車で散歩するのにちょうど良い距離のため、多摩川のサイクリング道路を使って溝の口までよく行きます。
この日は溝の口駅の西口商店街を目指してペダルをこぎました。

多摩川にかかる二子橋まで走り、大山街道沿いに溝の口駅に向かいます。
南武線の踏切の手前を斜め左に折れると、「溝の口駅西口商店街」の看板が迎えてくれます。
ここから駅西口入り口までの一帯が商店街になっています。

西口商店街の看板、右手が八百屋

本ブログでも取り上げたことのあるこの商店街。
10年位前は、八百屋が2軒くらい、団子屋1軒、古本屋もある商店街でした。
現在では八百屋が1軒のほかは飲み屋が続く一帯になっています。
立ち飲み屋や、外にビールケースの上にベニヤを乗せた「テラス席」を置いた、今風の飲み屋ばかりです。

飲み屋が続く現在の商店街

唯一残る八百屋の店先に樽に入ったたくあんが1本200円で売っていたので買ってみました。
八百屋の大将が大儀そうにやってきて「酸っぱいよ」と一言。
たくあんを袋に入れ、手渡し、代金を受け取るまでの間、何度も「酸っぱいよ」を繰り返していました。
向かいにあった団子屋のことを聞いてみると「閉まった」と一言。
商店街の活気のなさを象徴するような八百屋とのやり取りでした。

かつては古本屋がったあたり

商店街を抜けたところにあるいつもの食堂でランチ。
500円のカツ丼です。
いつもそこそこ客が入っている食堂です。
肉の厚さ、うまさ、量などは値段相応のカツ丼ですが、そこはプロの食堂の味つけ。
シッカリ一食分満足させてくれます。

ランチタイムカツ丼500円の食堂

府中街道が駅前を横切り、駅と府中街道から多数の脇道が伸び、交差する溝の口駅前。
パチンコ屋の店員が声をかけ、戦後から続いたであろう安売りの八百屋が残る混とんとした風景。
再開発以前の溝の口の街の様子が、裏道にはまだ残っています。

再開発の溝の口に残る古い建物

ゆっくり探せばまだまだ昭和の風景に出会えそうな溝の口の駅周辺です。

史跡・武蔵国府跡を訪ねて

府中には律令時代の国府(武蔵国府)がありました。

大化の改新後、西暦700年代から鎌倉時代までのほぼ300年間、朝廷が、中国に倣って法律と地方制度の整備によって国内を治めた時代のことです。
地方はクニと呼ばれる地域に分割統治され、現在の東京都全部と埼玉の一部、川崎、横浜の大部分は武蔵国と呼ばれました。
武蔵国の国府(県庁所在地に当たる)が現在の府中に置かれました。

現在、府中市の大國魂神社がある場所を挟んで広い範囲に武蔵国府がありました。
今日は武蔵国府の跡を訪ねました。

大國魂神社境内の東隣に「武蔵国府跡」と表示される展示スペースがあります。
かつての発掘作業の現場の一つで、発掘された国府の柱を再現したモチーフが並んでいます。
誰もいない展示室に入ると、現在の地図に国府のスペースを重ね合わせた全体図や、国府とは何かの説明パネルが並んでいます。

大國魂神社わきにある武蔵国府跡の展示室

建物自体は小さいのですが、館内の説明を読むと律令時代の壮大な国府がよみがえるようです。

建物内の展示パネル
柱をモチーフにしたモダンな展示室内部

見学を終えて自転車に乗ろうとしたとき作業服姿のおじさんがやってきました。
施設の管理者と名乗るおじさんは、「史跡に興味があるなら、府中本町駅隣にも国府の発掘現場があり3Dスコープを借りて案内が受けられるよ。大國魂神社境内にも資料館があるよ」と教えてくれました。

こんな年寄りにも近寄ってしゃべってくれる人がいるだけでも感激です。
失礼のないように応対します。

管理者のおじさんは「発掘現場まで案内しますよ」と言って歩き出しました。
どうやらおじさんの勤め先は大國魂神社構内の郷土資料館(図書分室なども入った建物)のようです。
職場に戻るついでに案内してくれることのようです。

「大國魂神社はご利益がありますよ。通るたびに頭を下げてお参りしてます。平日にこんなに人出がある神社もそうないでしょうね。」神社の境内を横切りながら管理者おじさんの話がはずみます。

この日も参拝客で引きも切らない大國魂神社境内

管理者おじさんは、郷土資料館に寄り、いろいろなパンフレットを見繕ってくれました。
目指す国府跡の発掘現場は、競馬場へ向かう通りに出てラウンドワンの向いにあるとのことです。

府中本町駅に隣接した広いスペースが武蔵国府跡でした。
発掘現場を埋め戻して保存し、昔あった建物のミニチュアや柱の模型を展示した公園になっていました。
広い人工芝のスペースもあり、家族連れが三々五々遊んでいます。

プレハブの管理棟を訪ね、3Dのゴーグルを借りました。
ゴーグルとイヤホンをつけ、公園内のポイントに近づくと案内の音声が流れ、バーチャル映像が見えるのです。

府中本町横の武蔵国府発掘現場
人工芝が敷き詰められた発掘現場全景

国府の壮麗な建物の復元や、国司らが行う蹴鞠や歌会の様子がゴーグルの3Dで再現されます。
また、のちの時代に徳川家康がこの地で鷹狩をしたり、府中御殿と呼ばれる建物を建てたことを知りました。

国府の建物のミミニチュア
ここにも柱のモチーフが

現地の先達の導きによって、より深く武蔵国府に出会えた山小舎おじさん、実り多い一日でした。
関係者の皆さん、ありがとうございました。

大國魂神社参道のケヤキ並木。源頼朝が寄進し、家康も大坂の陣戦勝を祈願した

新春の山歩き  大垂水~小仏城山~高尾山

1月の高尾山系で山歩きしました。
国道20号線沿いの大垂水から、小仏によって高尾山まで歩くというコースです。

地図もなく、歩いたこともないコースですが、道案内の看板と他のハイカーたちを頼りにとにかく出発しました。
ペットボトルに水道水を汲み、コンビニでおにぎりを2個と缶コーヒーを買いましたです。
コンビニで軍手も買いました。

JR八王子駅から相模湖駅行きの神奈中バスに乗ります、9時47分発です。
気温は4度です。
バスは1時間ほど走って八王子市内を抜け、高尾山口駅に寄って国道20号線を上ってゆきます。
高尾山口バス停で大勢のシルバーハイカーが乗ってきて、満員になりました。
ストックを突いてようやく乗車するような高齢者もいます。

八王子駅北口のバス停で、相模湖駅行バスに乗車

峠道を上って大垂水バス停に着きます。
運賃は八王子駅から610円でした。
ここで全員が下車しました。
バス停からハイカーたちは思い思いのスピード、コースで出発。
たちまちばらけてゆきます。

大垂水峠は小仏峠と並ぶ東京都と神奈川県の県境。
列車や高速道路は小仏トンネルを抜けますが、国道20号線は大垂水峠で県境を越えます。

神奈中バス、大垂水バス停で下車
国道20号線登り車線側の側道を上ってゆく

バスを降りた皆の後に着きながら国道わきの舗道を上ってゆき、道案内の看板通りに高尾山への道をたどりました。
コースは三方に別れ、高尾山ルートには、前を行くハイカーは誰もいませんでした。

高尾山方面のルート
道端のお地蔵さん

しばらく細い道をなだらかに上ります。
やがて合流地点にきました。
二人ほどハイカーがいました。
看板を見るとこのまま高尾山へ向かうルートがありますが、小仏峠に寄ってみたかったのでその方向へ進みました。

林道をたどってしばらく行くと、やがて林道は途切れ、細い道になりました。
滑り落ちないように用心して進むと、大垂水からの道との合流地点に出ました。

そこから急な上りが続き、階段を登りきると、小仏城山と呼ばれる場所に出ました。

最初の合流地点
小仏城山に向かう急な登り

小仏城山には茶店が営業していました。(土日だけの営業かもしれません)。
木製のベンチとテーブルがたくさんあり、ハイカーたちが思い思いに休んでいます。
コンロを焚いてラーメンを作っているハイカーもいます。
スポーツ少年団なのでしょうか、2、30名の小学生グループがおにぎりを食べています。

小仏城山は高尾山から小仏峠、景信山を結ぶ尾根道にあり景色の良い場所です。

小仏城山の城山茶屋
茶屋のベンチで憩うハイカーたち

ここで持参の缶コーヒーを1本飲んだ山小舎おじさんは、高尾山町を目指してスタートです。

下り階段の尾根道が続きます。
非常によく整備されたコースです。
滑りやすい砂利や木の根の露出がほとんどなく、木製の階段も新しいものでした。

大垂水から小仏まではほとんど見ることのなかったハイカーの姿が、ひっきりなしに小仏方面へ向かってすれ違います。

ルート上の高尾山系案内板
景色のいい展望台

高尾山頂に着きました。
人の姿が一段と多くなります。
ハイカーというより行楽客の姿です。
中国人など外国人の姿、声が多くなります。

高尾山頂
山頂の茶店

山頂からケーブルカーの駅まで歩きます。
行楽客の間にうずまるように進みます。

歩いてゆくと高尾山の守護神・薬王院や薬王院に至る参道、ご神木・蛸杉、サル園などが次々に姿を現します。
高尾山の名所が集中するあたりです。

舗装された道をひっきりなしに行楽客が歩いています。
ファミリー、カップルにとっては絶好の行楽場所です。

山頂からケーブルカー駅方面に下ると薬王院に出る

薬王院はパワースポットです。
今はケーブルカーができていますが、昔は自力で登らないと参拝できなかった場所にあるお寺です。
2キロほど歩かないと参拝できない戸隠神社と同じコンセプトです。
ありがたさは現在でも濃厚に残っています。
人が集まるはずです。

薬王院にお参りする人々
薬王院本堂前
ケーブルカー駅近くのご神木・蛸杉

行程2時間を超えるころから足に疲れが出てきました。
下りになると膝や腰にガタが来るだけではなく、足の筋肉全体が痛くなって思うようなスピードが出ません。
ケーブルカーで下ろうか、とも思いましたが人がたくさん並んでいるのを見て諦めます。

舗装されたメインルートを下ります。
ハイカーの姿は少なくなり、山頂での込み具合が嘘のように閑散としています。
道幅があって本来は歩きやすい道なのですが、思ったより斜度があり、足に負担がかっかり、膝と腰に痛みが出てきます。
休み休み下ります。

ケーブルカー駅を過ぎて、高尾山口へ向かう道

ケーブルカーの駅と、土産物屋、蕎麦屋の列が見えてきて下山完了です。
昼食は、八王子によって(駅近くの500円のとんかつ定食を)食べようと思います。
とりあえずお疲れ様。

とてつもなくリフレッシュできた新春の山歩きでした。

高尾山口のケーブルカー駅に到着
ケーブルカー駅に向かう参道

令和6年1月 東銀座~築地~有楽町

用事があって東銀座に行きました。

東銀座駅コンコースの歌舞伎座案内

日比谷線東銀座駅で降ります。
駅のホームやコンコースには場所柄の演劇広告が掲示されています。

戸田恵子主演「虹のかけら」のアド

戸田恵子主演(三谷幸喜演出)の舞台がやっているのでした。
アンパンマンの声で有名な、実力派戸田恵子ですが歌もうまいのでテレビで見て驚いたことがあります。
マニアックな隙間番組で起用されることはあっても、舞台の主役を務めるとは。
うれしい驚きです。

歌舞伎座地下

東銀座駅は歌舞伎座の最寄り駅でもあります。
駅からつながって歌舞伎座の地下街に向かうこともできます。
大衆芸能の歌舞伎の劇場が、江戸の商業の中心地・銀座の外にあり、さらに外側にある河岸(築地)との間に位置するというのは納得のゆくところがあります。

歌舞伎座

東銀座での用事を終え、晴海通りを南下して築地場外市場へ行ってみます。
既にセリ場を豊洲に移した築地場外。
海外からの観光客でごった返していました。
海苔巻きでも買って帰ろうかと思いましたが、有名店には数十人ものアジア人たちが並んでおり諦めました。

築地場外市場
築地場外の風景
外人観光客が闊歩する築地場外の小路

ついでに晴海通りを渡って築地本願寺に寄ります。
改めて大きく、立派なお寺だと感心します。

印度風建築の築地本願寺の威容

晴海通りを北上し、有楽町駅を目指します。
銀座四丁目を越え、有楽町駅前に着きました。

銀座潤丁目交差点。左和光デパート、右銀座三越

劇場街でもある有楽町駅前。東映の本社が入っている東映会館があります。

有楽町駅前の東映会館

東銀座から築地にゆき有楽町へ戻る散歩でした。

有楽町駅前の交通会館にある北海道アンテナショップでソフトクリームを食べて帰りました。

映画のまち 調布

調布は映画のまちです。

日活が戦後に東洋のハリウッドという触れ込みで作った日活撮影所が、京王線の布田駅から多摩川に向かった場所にあります。
かつては石原裕次郎達スターが、会社のマイカーで土ぼこりを立てて、撮影所に向かう田圃の中の道を走って通ったそうです。

映画監督の鈴木清順は日活解雇後もしばらく調布市内の市営住宅に住み、奥さんが新宿ゴールデン街のバーで働いて生計を立てていたようで、その時代の「アサヒグラフ」巻末連載の「わが家の夕飯」に、市営住宅の一室で襖をバックに一人夕飯(というか酒と肴)をわびしく聞し召す壮年時代後半の清順氏が掲載されていたこともありました。

また、京王多摩川駅の近くには大映の流れをくむ、角川大映スタジオがあります。
戦前の日活多摩川撮影所から始まり、戦時中に大映に組織替えし、戦後の映画最盛期には、道路を挟んだ向かい側と、都立調布南高校の敷地になっている部分を敷地に加え、さらに隣地に大映村と称する社員住宅(家族寮、独身寮、風呂などを完備)まで備えていたという撮影所です。
今は入り口に大魔神とガメラが立っています。

かつては、調布市立の郷土資料館ではロビーに大きな35ミリ映写機が展示されていました。

これらの歴史的遺産を背景にした町おこしがささやかに調布で行われています。

品川通りという、京王線と多摩川の間を通る街道の脇で「映画のまち」による町おこしが行われていました。

品川通りからモニュメント越しに見た風景

映画フィルムをデフォルメしたのでしょうか、モニュメントがたち、パネルというか看板には映画製作の流れをイラストにして描いています。

映画ができるまでのパネル展示
京王線調布駅の表示板。映画フィルムをあしらったデザイン

オープンな広場というか通路で自然に「映画のまち」を市民にアピールしようというコンセプトでしょうか。

市内唯一のディスコ・ginzが付近にある

付近には調布市内唯一のデイスコにしてライブ会場でもある、ginzがあります。
入ったことはないのですが、ここのバンドの演奏を聞いたことがあります。
山小舎おじさんと同年代と思えるメンバーとやや若めの女性ボーカルがご機嫌にスイングしていました。
おじさん年代(の青春時代)を直撃するナンバーの数々もご機嫌でした。

折から市内の上石原地区では「近藤勇生誕の地」で町おこし