おじさんの東京近郊自転車散歩シリーズです。
今日は、東京都と神奈川県の間を流れる多摩川の神奈川県側の土手を自転車で散歩しました。
狛江より多摩川を渡って川崎市多摩区へ
おじさんは自宅から自転車で多摩川を渡りました。
多摩水道橋という橋です。
世田谷通りを三軒茶屋方面から下り、狛江市に入って、多摩川を渡る橋です。
橋の上から見る風景。

渡し船の名残や観光ボートなどが見えます。
背後に見える鉄橋は小田急線の鉄橋です。
河原と渡し船と私鉄の鉄橋。東京らしい風景です。
川の真ん中は、東京から神奈川県の県境です。
冬なので晴れた日には富士山も見えます。
川崎側の土手をゆきます。
土曜日なので三々五々、ジョギングする人と行き交います。
河原では少年野球の練習をやっています。
河口まで20キロとの表示がありました。

溝ノ口に到着。大山街道資料館で歴史を学ぶ
二子橋に到着しました。
神奈川側の武蔵溝ノ口と、東京川の二子玉川を結ぶ幹線道路にかかる橋です。
この道はかつて大山街道と呼ばれました。
大山街道は、江戸城と箱根を結ぶ街道で、江戸時代に現在の東海道が整備される以前には、江戸と関西方面を結ぶ幹線道路だったとのことです。
江戸時代以降も、丹沢山系の大山へ詣でる人々の参拝の道として栄えた吉。
現在の二子橋から溝口の間は、街道沿いの宿場だったそうです。
道沿いにある大山街道ふるさと館で歴史を学びます。

ちなみにこの町で生まれた有名人には、岡本太郎の実母で小説家の岡本かの子がいるとのことです。

館内においてある地元の情報誌「溝の口ウオーカー」も渋かったです。
表紙はOL時代に地元溝口で働いていたという、女芸人の大久保佳代子さん。

ディープな溝ノ口界隈をゆく
溝ノ口は今では人気のスポットです。
都心への距離が近く、タワーマンションが立ち並ぶ新興住宅地になっています。
一昔前は、東京のどん詰まり、二子玉川を渡った先にある川崎のディープなエリアでした。

今でも往時を偲ばせる一角が、JR南武線の線路わきに残っています。
この一角の古本屋も、団子屋も、八百屋も、飲み屋も、おじさんが知っている20年前から残っているのがすごいと思います。
昼食はその一角にある食堂で食べました。
ランチタイムのかつ丼450円。
客層はビールと一緒に食事するおやじたちが中心でした。
帰りは、二子橋を渡ったルートで帰りました。

かつての大映株式会社は破産手続きにより法的に整理され、スタジオ、映画フィルムなどの資産は、徳間書店に譲渡されたのち、角川書店に譲渡されて現在に至っています。




門構えは大映より大きく、構内も広そうです。
外注の制服姿の守衛さんが顔を出し「どちらへ行かれます?」とのこと。
かつての日活の映像遺産に対するフィーチャーは外部には全くありませんでした。












向かいにはかつてキューピーの工場があり、調布市内の小学生は見学に行って、マスコットサイズのマヨネーズをもらって帰ってきていました。
今は、キューピーのPR施設になっています。




事件の傷の大きさがうかがえます。
ここは前からこんなさびれた感じです。

アーケード街はほぼシャッター街となっています。















「光は新宿より」。
これらの土地は、終戦後のどさくさによって本来の地権者から、やくざや第三国人などが勝手に占拠し現在に至っているものが多いといわれます。
















東急デパート南隣の建物2階の、百年という古書店。


おじさんは、開館後初期の「内田吐夢特集」で「飢餓海峡」(64年)に駆け付け、再見。改めて感動しました。

そのわきの古びたアパートが事件現場。



常連がとぐろを巻いていたが、入りやすくつまみもうまかった。今でもやってるのだろうか。
ホッピーとつまみ、2000円で満足する庶民の味方、山家。昼間でもやっている。







2階はかつて満月胴という酒も飲ませる自然食屋だった。


若い店主が始めた比較的新しい店。
商品の回転がよく、新しい本の品揃えも良い。

自転車を止め、表のゾッキ本棚から冷やかす。

がっつり食事をするなら、駅北の「男の晩御飯」。









甲州街道布田宿以来の赤線街、仲町の現状。

かつては楽器屋、ペットショップなどが並ぶ「地元の商店街」だった。

式内神社。
1500年代にこの地へ移転したとのこと。








神保町点描


映画関係に強い古書店・矢口書店のショーウインドウ。



神保町交差点。
