軽トラ流れ旅 道の駅南アルプスむら長谷

真夏の土曜日、軽トラに乗って旅に出た。

目指すは杖突街道を通り高遠へ。
そこからは、いつもの伊那方面ではなく、高遠から南下して分杭峠付近の立寄り湯へ、さらに駒ヶ根まで下って、伊那、南箕輪を通って帰るというもの。

軽い1日コースではあるが、心配なのは真夏の暑さ。

まずは茅野へ下りて杖突峠を目指す。
順調に軽トラは走るが、夏休みの他県ナンバー車に追われるようでゆっくり走れない。

暑い中、途中下車して杖突街道沿いの古道具屋に寄ってみる。

2階から髭を生やした店主が下りてきて色々説明してくれる。
7年前に古民家を買って移住したという70がらみの店主は、かつて料理人の仕事で住んだ、イギリス、フランス、ロシアなどの話題が豊富。
趣味の古着は高級そうだった。

古道具屋を辞し、高遠の街へ。
ここを通過して152号線・秋葉街道を南下。
途中にダムが見えたので一時停車。
暑くてダム見物もしんどい。

秋葉街道をゆくとダムの風景が現れた
美和ダムという場所だった

まずはその先の道の駅を目指す。
広い駐車場には他県ナンバー車両で一杯の道の駅・南アルプスむら長谷。
食堂、直売所、ベーカリーの棟のほかに、一帯のビジターセンターの建物も隣接している。
芝生の緑が目に染みる。

道の駅南アルプスむら長谷に到着
中庭に芝生が広がるロケーション

ここでは、地物のトマトなどを買う。
ついでに安くて並んでいるパンも少々。

館内では熊のはく製がお出迎え
直売所入り口には生産者紹介とカブトムシが

昼飯もここで食べる。
ソースカツ丼。
地元飯らしく小鉢が多い。
味付けもばっちり。
食堂のおばちゃんたちも愛想よく頑張っていた。

食堂では意欲的にメニューを紹介
この日はソースカツ丼をチョイス。品数がたっぷりだ

この先の情報を得ようとビジターセンターへ。
おっとりしたお姉さんに目指す立寄り湯の情報を聞く。
なんと、ネットで調べていた分杭峠近くの立寄り湯は店じまいしてやっていないとのこと。
分杭峠から駒ヶ根に下る道も通行止めとのこと。

ビジターセンターで情報収集
ゼロ地場で有名な分杭峠のプレゼンテーションが

やはり地元で聞いてみるものだと納得。
これ以上の南下を断念して、高遠へ戻りいつもの道を伊那へ。

伊那の街中の酒屋でこの季節のおすすめの日本酒を買い、南箕輪町の直売所で桃を買って帰りました。

暑かった!
念願の杖突街道沿いの古道具屋を訪問でき、道の駅で美味しいランチを食べ、珍しい日本酒を手に入れ、季節の果物を格安で買えたので満足の旅でした。

甲府~韮崎 路線バスの旅

東京の自宅に息子の誕生会で帰りました。
畑の作物が心配で、自宅にゆっくりできず、すぐ山小舎に戻りました。
帰りはJRの各駅停車です。
いつもの甲府途中下車の後、思い立って韮崎まで路線バスに乗ってみました。

甲府駅に掲示された列車遅れの状況

この日の甲府はカンカン照り。
日に当たるだけでぐったりします。

途中下車後は駅前通りにあるいつもの定食屋へ。
これまたいつもの信玄鶏竜田揚げ定食の大盛。
揚げたての竜田揚げともども、おなかいっぱいになりました。

次に来るときは塩だれとんかつに挑戦してみようと思いつつ。
竜田揚げのほかには、焼き魚定食や、ハヤシライスの注文客が多いこの店。
甲府での昼飯は当分ここで決まりです。

甲府名物、信玄鶏の竜田揚げ定食

昼飯の前に駅前の路線バス案内所で、韮崎行きのバスの時刻と乗り場を確認しておきました。
韮崎行きの路線は2系統で、それぞれ毎日6本ほど運行されています。
食後の余った時間を駅ビルのパン屋さんのイートインでコーヒーを飲んで過ごし、カンカン照りの停留所へ。

駅前のロータリーには5か所ほど停留所があり、ほぼひっきりなしにバスが発着しています。
目指す、一高経由韮崎駅行きのバスは時刻どおりにやってきました。

甲府駅バスロータリー

案内所のお姉さんに教わった通りにSUICAを先にタッチして乗り込みます。
同乗者はほかに二人でした。

韮崎駅行きのバス車内

バスは駅の反対方向へ出ました。
韮崎を目指し、北西方向へ進みます。

甲府といえば武田神社へ続く道と、岡島デパートのある中心部しか知らない山小舎おじさん。
バスの窓越しに、いろんな方向に商店街が伸びている甲府の街の広さを認識しました。

沿線のショッピングセンター

しばらくは、郊外型の店舗が断続的に続く風景をバスが進みます。
やがて長野方面の山の景色が迫ってきます。
韮崎のエリアに入ったのでしょうか。
始発から乗った乗客はすでに降り、途中から乗った3人がいます。

韮崎に近づくと長野方面の山塊が迫る

それなりの規模がありながら人気の消え去った、今時の地方都市の商店街を通って韮崎駅に着きました。
駅の周辺には商業ビルと、公共施設が入った多目的ビルが建っています。

駅は自動改札ですが、列車ダイヤの自動表示などはありません。
待合室の奥には立食い蕎麦屋があります。

韮崎駅

茅野までの下り列車には時間があったので駅前をぶらぶらします。

まずは山梨交通の案内所へ。
念のため、長野方面への路線バスの有無を確認。
係の女性は丁寧に答えてくれました。
小淵沢止まりも含めて、長野方面のバスはないとのことでした。

駅前から見た風景。左奥の建物がカフェのあるビビル
駅前からは富士山が見える

続いて図書館などの公共施設と、土産物屋、カフェなどがあるビルへ。
カフェは市民の憩いの場にもなっているようです。

カフェのパン売り場を見ると、美味しそうなカレーパンがあったので購入。
買いながら店員のおばさんに聞きました。

駅前の韮崎高校サッカー部のインター杯優勝のこと。
中田ヒデのこと。

ヒデは韮崎高校サッカー部の出身だが、甲府の人間で韮崎高校に通ってきていたとのことでした。
地元のおばさんは何でも知っています。

韮崎効能優勝をたたえる球児の像

時間が来たのでホームに出て列車を待ちます。
ホームからも雪の溶けた富士山が大きく見えます。
駅の反対側には、何やら標語を書いた鳥居や、山の上の大観音が見えました。
もともとの韮崎らしさはここにあるような気がしました。

秋の反対側には朱塗りの鳥居
ホームから見える大観音

軽トラ流れ旅 甲州街道笹子峠越え 

6月上旬、娘とその連れ合いの誕生会で帰宅しました。
軽トラで帰りました。
帰りにマウンテンバイクを積んでくるためです。

マウンテンバイクを積み旅姿の軽トラ

下道での往復。
片道数時間以上かかります。
お土産を買ったり、道の駅に寄ったり、食事をしたり、たっぷり寄り道をします。

帰りはかねてから通ってみたかった笹子峠越えの旧道を使いました。

自転車を積んで9時ころ自宅を出発。
八王子を経て高尾山塊を越えます。

相模湖に寄ってみました。
子供が小さなころは何度か来た場所です。
平日の午後の相模湖は時間が止まったようでした。

初夏の相模湖で一服

大月駅に寄ってみます。
信玄餅で有名な桔梗という菓子メーカーの販売所があり、和菓子をよく買います。

ついでに駅の立食い蕎麦によって昼食です。
蕎麦屋は地元の学生や勤め人、外人観光客などで混んでいました。

大月駅前の桔梗屋
大月駅の立食い蕎麦で、かき揚げ丼セット

笹子の集落を過ぎ、長いトンネルをくぐると甲府盆地です。
国道20号線、中央自動車道、JR中央本線、そのどれもがトンネルをくぐります。
トンネルをくぐらず、笹子峠を越えるルートがそのほかにあります。

国道20号線を行き、笹子トンネルに入る少し前を左折します。
初めて通る道です。
集落を過ぎると山道に入ります。
周りは杉林です。
車幅は思ったより広く、普通車が交差できるほどです。

国道20号線と笹子峠旧道の分岐点
杉の美林地帯を行く

しばらく行くと矢立の杉という場所に着きます。
相当に古そうな杉の巨木が立っています。
一見の価値ありです。

神々しさをたたえる矢立の杉

笹子峠は1車線幅の隧道でくぐります。
昭和11年に完成したという味のあるトンネルです。
長さは100から200メートルほど。
入口から出口が見えますが、車両の交差はできないので用心して進みます。

笹子隧道入り口

隧道を出ると山すそに宿場町の名残を残す集落がありました。

笹子峠、甲府側の宿場案内
駒飼宿の風景

集落を過ぎると国道20号線に合流します。
感応式の信号がありますがいつまでたっても青にならないので、用心しつつ信号無視して国道に合流。
国道20号線を直走って山小舎に帰りました。

国道20号線合流地点の感応式信号

山小舎まで列車で移動

3月の山小舎開きの後、1週間ほどで孫の誕生会があり、自宅に戻りました。
8歳と5歳となり、3年生と年長さんの新学期を迎える彼女たちのお祝いをしました。

自宅までの移動は高速バスで、帰りは列車を使いました。
高速バス駐車場(乗客が自家用車を止めるための)が何年かぶりで満車に近くなり、コロナ時代の終焉を告げていました。
乗車した便(土曜午後)の乗車率は半分ほどでしたが。

帰りは自宅からJR三鷹駅までバスに乗り、そこから中央線高尾駅まで電車で、高尾からは小淵沢行きの普通列車に乗りました。
車窓は春爛漫の風景でした。

相模湖から大月あたりまでは、桜が満開から散り始めの時期でした。
様々な春の花が咲き乱れてりました。

笹子トンネルを越えて甲府盆地側に出たところ、甲斐大和駅から見える桜は満開でした。

甲斐大和駅の桜
甲斐大和駅土手の桜

甲府盆地を下ってゆき、勝沼のあたりになると、気温が高いのか桜は散り終わりに近い姿でした。

勝沼の駅の葉桜

甲府が近づくにつれて、沿線に桃畑が広がってきます。
濃いピンク色の桃の花が満開でした。
盆地の西側には富士山が山頂をのぞかせていました。

甲府盆地の桃の花

甲府駅で途中下車。
駅には春休みの少年少女の姿が目立ちました。

甲府で昼食です。
最近行きつけの駅前通りにある割烹料理屋のランチをいただきます。
信玄鶏のから揚げ定食、ごはん大盛です。

最近の値上げブームの影響か、唐揚げの量とごはんの盛が少なくなっていました。
去年までは、唐揚げを食べ尽くすのが一仕事、さらにご飯が普通盛だと唐揚げが余ってしまい、ならばとご飯を大盛にすると満腹すぎて・・・だったのですが、今では大盛でちょうど良い全体量になっていました。
値段は変わっていませんでした。

それでも腹いっぱい。
腹ごなしにいつものように甲府の中心街を一周。
ニュースで見た通り、甲府で長い歴史を持つ岡島というデパートが閉店になり、近くの2号店に統合されていました。
中心街唯一のミニシアターは営業していました。

駅へと戻る途中に城壁が見えます。
武田氏が滅んだあと、幕末までの間に領主が住んだお城です。

甲府の人々に圧倒的に人気があるのは武田信玄で、駅前に銅像が立ってたりします。
山小舎おじさんも、駅から30分ほどの武田氏の居城跡のお寺と博物館には行きました。
一方、駅前のお城には入ったことがなかったのでこの度寄ってみました。

復元された城門をくぐって城内へ

駅からほど近く、城壁に囲まれた小高い丘に城跡があります。
広い城内ですが、天守閣などはすでになく、復元の予定もないようです。
城壁や一部の門が復元されています。
桜はほぼ終わっていましたが、木の下では訪れた人が三々五々休んでいました。

天守台への鉄門
天守台の桜の下で憩う人

一番高い天守台に登りました。
富士山がきれいに見えました。
反対側には雪を頂いた南アルプスの山並みが見えます。

天守台から望む富士
天守台

甲府駅に戻り下り列車に乗りました。

茅野駅に帰ってくると、駅前の八重桜が満開でした。

茅野駅前の八重桜

冬の盛岡、八戸旅行

令和5年になった1月、盛岡経由で八戸を目指して1泊旅行をしました。

目的は八戸の八食センターで海産物の仕入れ。
1日目の昼を盛岡で途中下車して過ごすのも目的の一つです。

朝の新幹線で盛岡へ。

降り立った盛岡駅前は予想通りの雪景色。
雪を踏みしめ駅前のロータリーに集まるバスの光景に北国の風情を感じます。

まずは、駅ビルで家族リクエストの、南部せんべい「豆五郎」や、岩手の銘菓「かもめの玉子」を買い込みます。本屋で地元の情報誌もついでに。
盛岡駅の駅ビルが変わらず賑やかだったのはうれしい限りでした。

盛岡駅前

外へ出て中心街を歩きます。

北上川にかかる開運橋を渡り、大通りと呼ばれるアーケード街へ。
路面は圧雪状態ですが市民はすたすた歩いています。
北海道育ちの山小舎おじさんにとって、雪の残る車道や、歩道は懐かしい光景です。

大通り商店街

盛岡城跡公園を過ぎて、もう一つ川を渡るとバスセンターのある中心街・肴町エリアです。

目指す東屋本店で昼食です。
2階ではわんこそばもやっている、老舗のソバ屋です。
ここは丼物も美味しいので少し迷ったのですが、いつまた来れるかわからない盛岡ですので、王道のそばをチョイス。
期待通り、記憶通りの味でとてもおいしかったです。

東屋本店
天ざるそばを注文
黒柳徹子、仲代達矢ら大御所の色紙が並ぶ東屋本店店内

盛岡では城跡公園内の郷土資料館にも寄ってみました。チャグチャグうまっこや、さんさ踊りの展示、さらには盛岡藩の成立から幕末までの歴史が丁寧に展示されています。

欲を言えば、中世の俘囚長で、前九年の役で現盛岡市の厨川のあたりで滅亡した安部氏など、北東北固有の蝦夷の歴史にも踏み込んでもらいたかったですが。

夕刻迫る盛岡駅に再び凍り始めた圧接を踏みしめ戻ります。
16時ころの新幹線で八戸を目指しました。

盛岡、新八戸間の新幹線はトンネルの連続で景色が見えないのが残念です。

新八戸駅到着後、バスに乗って中心街についたのは、18時ころ。
既に夕方です。
真っ白な雪景色の中心街は街頭に照らされています。

夕闇の八戸中心街

ホテルに投宿後向かったのは居酒屋ばんや。
15年ほども前に一度来ていて、魚のうまさにうなったことがあります。

カウンターとテーブルが3席ほどの店内。
15年前にいた大将の姿はなく、おかみさんがカウンター内で陣取り、ホールにはバイトの女の子を置いた布陣です。

まずはビールを注文。
刺身はヤリイカとしめさばにします。

ついで地酒・陸奥八仙を注文。
バイトのお姉さんが、甘口、甘口、超甘口、辛口のどれにしますか?というので甘口を選択。
ぐい飲みに注いでくれますが、受け皿にこぼさない上品な注ぎ方が、ばんや流でした。

この後はメヌケのカマの煮魚を注文。
隣席の30代の大阪からのサラリーマンに声をかけると話が弾みました。
ネットで調べてこの店へやってきたとのことで、ウニなどの刺身を取り地酒をバンバン飲んでいました。

山小舎おじさんは店を出て雪の中を八戸の飲み屋街を一巡。
そのまま宿へ帰りました。

翌朝はバスで八食センターへ向かいます。

宿で教わったバス乗り場を探しますがうまくたどりつけません。
八食センター行きのバスが止まった停留所を見つけたのでそこで待ちます。

結局、新八戸駅行きのバスが来たのでそれに乗りました。
新八戸駅からも八食センター行きのバスはでているのです。

朝の八戸中心街でバスを待つ
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生鮮鮮魚市場に隣接して建つのが八食センター。
魚を中心にした小売市場です。

8年ほど前に家族と北東北旅行をした際にここに寄り、ホッケやサバの干物などを買って送り、食べたところったところ、家族に大好評でした。

今回の旅行の目的もここで鮮魚や干物を仕入れることだったのです。

8年ぶりの八食センター。
開店早々の時間だったとはいえ、人の少なさに驚きます。
前回来た時は夏の観光シーズンだったとはいえ、昼食を摂ることが困難なほど御客であふれていましたから。

しかも目指す、ヒラメ、サバなどの鮮魚が売っていません。
店の大将やおかみさんに聞けば、天候が悪く漁がない、とのこと。

それにしても全体の品ぞろえが、鮮魚を丸で売るというより、干物、冷凍もの、切身うり、が中心となっており、観光客向けの商品構成となっているような気がしました。
魚や全体に元気が感じられません。

店の構成も、魚屋と乾物屋が中心ではありますが、食堂、カフェ、酒屋、土産物屋などが増えていて、観光客や休日の地元家族連れがターゲットの場所になっていることがわかります。

回転ずしコーナー
お弁当売り場は昼時賑わう

目指す鮮魚はありませんでしたが、干物やホッキ、ホタテ、若干の刺身類を買って送りました。

お弁当のホッキ寿司を買ってバスで新八戸駅へ。
新幹線で東京に帰りました。

軽トラ流れ旅 加賀井温泉一陽館

12月になり、今年最後の流れ旅です。
今年最後に入りたかった加賀井温泉一陽館に行くことにします。

加賀井温泉は松代にあります。
そこまでのルートは国道18号線で行くのがメインですが、ほかに、千曲川の左岸を行くコースや真田地区経由で地蔵峠を越えて松代に下りるコースなどがあります。

千曲川左岸コースは、途中、上山田の温泉街を通り、千曲市稲荷山の旧宿場町を通るなど、見どころの多いコースです。
今回は、途中の千曲市八幡地区にある武水別神社に寄りたくて、千曲川左岸コースを行きました。

武水別神社

篠ノ井へ北上するバイパスを外れると千曲市八幡の街中に入る。
街中を走ってゆくと大きな鳥居をくぐる。
武水別神社だ。

境内に駐車場があり、遠慮なく入らせてもらう。
鳥居の内側に太鼓橋。
袂には古い旅館もある。
映画のセットのような光景。

大鳥居の内側にある太鼓橋
鳥居前に建つ松屋旅館

鳥居をくぐったところにはレンガ造りの塔がワンセット。
その先には年末にはちょっと早い屋台が2、3脚。
参拝客より、屋台や神社の関係者の方が多いが、広々としたすがすがしい、オープンな空間。

大鳥居をくぐった境内

奥に進んでゆくと広い空間に配置された様々な建物が目に入る。
右手に体育館のような空間を持つ建物が目に入る。
額殿というらしい。

正面には拝殿とその奥の本殿。
左手には、神話や戦国話をモチーフにした錦絵のような絵が飾られた建物。
賑やかな空間である。

額殿
拝殿
絵が飾られた御供殿

千曲川流域の五穀豊穣を祈った場所という神社。
畏れる神々の降臨の地、というより、地元の人々が折に触れ集い祈る場所、という雰囲気。
関東で言えば、府中の大國魂神社をカジュアルに、素朴にした感じ。
年末年始のそれなりの賑わいが想像できる、地元の人々に寄り添った神社だった。

焼き肉はやしや

昼食は稲荷山地区の地元の食堂へ。

稲荷山は北国街道の宿場町だったところで、かつての富の集積を物語る蔵の街並みが残っている。
武水別神社がある八幡地区から車で5分ほど。
ネットで調べた焼き肉はやしやへ行ってみる。

ロースターがセットされたテーブルに案内される。
ランチメニューには丼物もあるので、カツ丼を注文。
どんどん入ってくる地元のお客は、たいてい焼き肉を注文している。

ランチのカツ丼900円

赤ン坊を背負ってホールを切り回す若奥さんがカツ丼をはこんできた。
見た目は素人が作ったっぽい、ごちゃっとした出来上がり。
食べてみるとつゆだくというか、メリハリのない味。

肉が厚く、ボリュームは十分。
何より手作り感がいい。
この手作り感だけで合格点だ。
田舎の食堂はこれだからいいのだ。

川中島古戦場跡

目的地の加賀井温泉へ行く前に、長野市博物館へ寄ってみた、が、この日は休館日だった。
やむなく博物館が建つ、川中島古戦場史跡公園を歩いていると、公園の片隅に八幡神社があった。
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの場所に建つ神社とのことで寄ってみた。

一帯はきれいに整備され、様々な由来を持つ遺跡などが案内板とともに残っている。
信玄と謙信の一騎打ちが、それぞれの旗印とともに銅像で再現されている。

長野県民の心情としては、領内を深く侵略された武田より、それを一応は撃退した上杉の方に近いのか?
それとも外様同士の闘いを第三者的に見ているのだろうか?

武田にしても上杉にしても、地元を遠く離れた信濃の地に自身の銅像が、数百年後にも建立されていることに満足しているのだろうか。

加賀井温泉一陽館

さて念願の加賀井温泉。

一陽館の寂れたたたずまいは変わらず。
ただし、入浴料が値上がりして500円になっている。

午後の割と早い時間なので温泉を独り占め。
かけ流しの浴槽の下流から上流へ時間をかけてゆっくり浸かった。

右が浴場棟、左は受付

寒い時期に入って見るとお湯の温度が低く、なかなか温まらない感じがした。
長く浸かっても茹で上がるようなことはなかった。
硫黄臭などもないから、嗅覚からリフレッシュするタイプの温泉でもない。

休憩場は使われていない

ただし、当日よく眠れたり、翌日疲れが取れてすっきりしたのはさすがの効用だった。

今年もどうもありがとう、来年もまた来ます。

遠くに見えるのは北アルプス?

軽トラ流れ旅 高遠歴史博物館

12月初旬はシーズン最後の旅の時期、降雪と厳寒の季節を前に軽トラで旅に出ました。

目指すは杖突街道を高遠から伊那に向かうお気に入りのルート。
路面凍結を注意しながら、杖突峠へ向かいます。
幸い、杖突峠は雪もなく、路面は乾いていました。

杖突峠から望む茅野市街と蓼科山

杖突街道藤沢地区

杖突街道を高遠に向かって下る道にはひなびた里の景色が続いています。
藤沢という地区には、温泉施設やカフェなどが集まっています。

この地区の街道沿いの一軒が、天気の良い日などに、道具類を軒先に出しています。
通るたびに気になっていたので、軽トラを路駐して寄ってみました。

この家は古道具屋兼カフェをやっているようでした。
この日は道具類の軒先への蔵出しはやっていませんでした。
いつか改めて寄ってみたいところです。

藤沢地区にある古道具屋さん
古道具屋さんの蔵

高遠歴史博物館

高遠歴史博物館へ寄ってみました。
前回酔ったときは、ここで杖突街道の手づくりマップを買いました。

改めて歴史博物館の立地が絶妙なことに気づきました。
川をせき止めてダム湖とした景観のほとりに立地し、その川は高遠城が立つ山の崖を削っています。
城山と川の間を削った道をたどって博物館にたどりつきます。

博物館からは川をせき止めた高遠湖が見える
右手が城山から続く崖

博物館の1階には、杖突街道の沿道に建立されている、貴船神社で行われていたお祭りの舟形の山車が展示されています。
京都の貴船神社から勧進された神社が杖突街道にあるのです。

2階には、高遠城の最後の城主が家臣たちに下賜した鎧兜や刀剣などが展示されています。
下賜されたものが大事に保管されてきたからこその展示です。
城主は廃藩に当たって、藩の所有物を散逸させるのではなく、家臣たちに下賜したうえで、それらを記録に残したとのことです。
藩の宝物が当時の記録とともに今に残されたわけです。

また、高遠藩では射程変更できる大砲を自力で作ったとのこと。
家臣の子弟教育の水準の高さといい、当地の文化水準の高さがうかがえます。

高遠藩が開発した大砲
花火を放つ大筒

武田信玄が信濃侵攻の前進基地とした高遠城。
織田信長に攻められた武田軍が総崩れとなる中で、高遠城は武田軍が壮絶に抵抗したことでも知られます。

ローメンとソースカツ丼

伊那はローメンとソースカツ丼が名物。
高遠の食堂でそれらを同時に味わえる定食をいただきました。

高遠の食堂華蔵

ローメンは汁あり焼きそば。
汁はウスターソースの味です。

ここの食堂のウリは手作りの味です。
個人営業の食堂の何がいいかって、手作りの味が味わえること。
満足感があって、胃もたれしないこと。

ご当地定食Aを注文

伊那ではいつもの酒屋に行く

高遠まで来たら伊那に下りるのがお約束。
天竜川のほとり、伊那谷の北部の中心地、12月の伊那市は底冷えがします。

駅前アーケード街にある酒屋さんに寄ってみます。
この酒屋さんは手作りの看板が名物。

前回は「秘酒」の大文字に思わず入店し、買い求めた真澄、これがうまかったのです。
今回の看板には「夜明け前誕生50周年記念酒」とありました。

酒屋名物の大看板

看板の品を求めると、おかみさんが冷蔵棚から出してくれます。
ついでにこれも看板にある、無添加生ワインというのも買い求めました。

隣のスーパーで正月飾りを買う

更にアーケード街を歩いていると、地元出身の音楽家に名前をずらりと並べた看板がありました。
おお、そうそうたるメンバー。

その下には年寄りの心得を歌詞にした歌が書かれています。
ツボを得た歌詞に思わず深く納得させられました。

年末にふさわしい流れ旅でした。

軽トラ流れ旅 軽井沢歴史民俗資料館

晩秋の軽井沢へ軽トラを走らせた。

軽井沢。
夏は細い道々を人と車が埋め尽くし、その雑踏に、ここは信州か?と思わせる場所。
人のいない冬は・・・、「軽井沢に冬行っても何もないよ」(山小舎おばさん談)といわれる場所。
では冬の前の晩秋ならどうか?

ある日、つけっぱなしのテレビにローカルニュースが流れていた。
軽井沢の博物館でゆかりの人物の版画展をやっているとの内容。
ポール・ジャクレーという軽井沢に住んでいたフランス人版画家の回顧展とのこで、映し出される個性的な版画が印象に残った。

ジャクレー展の会場、軽井沢歴史民俗資料館は11月中旬から冬季休館に入るらしい。
その前に訪れてみた。

長野県東部を千曲川に沿って北上する主要国道は18号線。
これに沿って南下し、佐久を柵を過ぎてからは東方向に行けば県の最東端・軽井沢に至る。
古くは中山道の宿場町で、近年は避暑地、別荘地として栄えた軽井沢。

群馬県と上田、長野方面をつなげる国道18号線は常に交通量が多い。
山小舎からは2時間かからない行程だが、軽井沢が近づくにつれて車の量が多くなる。

軽井沢に近づくにつれ、初冬の平日とはいえ、ますます交通量が増える。
車だけではなく、人の姿も多い。
山小舎周辺の景色との差を感じる。

目指す歴史民俗資料館に到着。
庭の紅葉に迎えられる。

歴史民俗資料館玄関へのアプローチと紅葉

窓口のお姉さんに、他の施設(追分宿郷土館、堀辰雄文学記念館など)との共通券購入を勧められ、600円で購入。

急ぎの予定があるわけでもなし、お姉さんと世間話。
中山道軽井沢宿は本陣跡に標識があるだけとのこと。
一つ先の追分宿には多少の景観が残っているとのこと。

歴史民俗資料館の入り口

館内へ向かう。
常設展示を見る。
中世の東山道から近世の中山道に至る歴史、明治以降の外人宣教師による軽井沢開発の歴史、信州の寒村としての軽井沢の風俗・歴史、浅間山噴火の歴史とジオラマなどが見られた。

米が採れず、度重なる浅間山の噴火の逆境の中で、中山道の物流に助けられてきた軽井沢の歴史がそこにはあった。

特別展示企画のポール・ジャクレー展は思ったよりも狭い一室で行われていた。
じゃクレーは、幼くしてフランスから両親とともに来日し、戦時中を経て生涯を終えるまで軽井沢で暮らした人物。

日本画と版画を学び、戦前の朝鮮、満州、南洋を旅行し版画の題材とし、版画用の和紙を特別に作らせ、専属の摺師を雇い軽井沢にアトリエを開いたとのこと。

館内で配布していたパンフより

作品を見ると、南洋の人物を描いた作品には、独特の明るい色使いと、ゴーギャンがタヒチに魅せられたかのような感覚が見られた。

展示会のハイライトは満州の王女たちを描いた版画。
絶妙な発色を子細に組み合わせ、考えられないくらい手の込んだ版画。
解説によると、一つの色を再現するために7色の絵の具を調合したり、一作に200枚以上の版木を作ったとのこと。
画家としての感性もさることながら、作者の根気と執念に圧倒される。

館内撮影禁止のためチラシから撮影。満州の王女を題材とした版画

たっぷり時間を使って館内を一周。
ほかに入場者もなく心行くまで博物館を楽しむ。

挨拶をして出ようとすると、くだんのお姉さんが飛び出してきた。
何事かと思ったが、火曜日はほかの施設が休館、近々それらに訪問の予定がないなら共通券から単館券に変更する、とのこと。
年内に軽井沢を再訪問する予定もないので、差額を払い戻してもらう。
愛想のいいお姉さんには、かえってお手数をかけてしまいました。

1時を過ぎ昼食の場所を探します。
信州のローカルルールで地元の食堂は2時に閉まってしまいます。
国道18号線を追分方面へ走りつつ、目に留まった1軒の食堂に入りました。

1時過ぎても続々来客が入店していた食堂

想像された野郎系の威勢のいい食堂ではなく、地元のヤングミセスたちが待ち受ける定食屋さんでした。
数少ない外食では、チャンスとばかり大食いしがちな山小舎おじさん。
今回も唐揚げに大盛ご飯を頼みました。満腹でした。

みそ汁と漬物はサービスだった

軽トラ流れ旅 初秋の青木村、保福寺峠

今回の軽トラ旅は、9月のお彼岸の頃の旅。
上田地区から峠を越えて青木村へ、そこから旧東山道を通り、保福寺峠を越えて松本方面へ流れました。

青木村は収穫シーズンだった

上田市内の鹿教湯から、小県郡青木村へ抜ける峠道・県道12号線は、2019年の台風19号の被害で長らく通行止めになっていました。
今年2022年の春にようやく開通となりました。

県道12号線

ほぼ一車線の道幅の山道で通行量は少なく、たまに対向車が来ると緊張します。
ここを通行したときに同乗していた家族は、もう通りたくない、と言っていました。
山小舎おじさんはなぜだか時々走りたくなる道です。

松本街道とも呼ばれた県道12号線。道沿いには道祖神も

狭い山道を抜け、峠を下りると、青木村の里の風景が広がります。
収穫期の田んぼの間に、蕎麦の花が咲いています。
江戸時代になって中山道が別ルートで整備される以前は、このあたりを通る東山道が西と東を結ぶ主要街道でした。

青木村の田んぼは収穫時期
これから収穫を迎えるそば畑

村の歴史文化資料館を訪れました。
村出身の東急グループ創始者の五島慶太の業績を展示する記念館と併設して歴史文化資料館がありました。

展示コーナーは4つに分かれています。
昭和の生活を記録した民俗資料館、遺跡土器の展示コーナー、郷土出身の俳人栗林一石路の展示室、義民資料展示室です。

まず、古墳から発掘された直刀に驚かされます。
また石棒も展示されています。
この地方が、諏訪の神様やミシャグジ神と関連することもうかがえます。

古墳出土物。直刀があった
石棒は信州に多い神様の象徴

昭和の暮らしの記録と展示物のコーナーを見ます。
様々な展示物を見ると、青木村が豊かな地域(だった)ことがうかがえます。
かつては多くの人口を抱え賑やかだった様子、高度成長時代以降は都会並みの生活水準を享受し、当時の最先端の電化製品を駆使していたことに、軽く驚かされました。

山小舎おじさんなどは青木村というと勝手に過疎地域をイメージしますが、おじさんが育った北海道などよりよほど物資、文化に恵まれた地方だったようです。
本州と北海道の違いなのでしょうか。

青木村のかつての生活がうかがえる
戦前の青い目の人形は破棄されずに保管されていた

義民資料室へ行くと江戸時代の青木村の存在感が伝わってきます。

青木村の歴史は一揆とともにあったようです。
展示資料を見るとやはり東北、信越地方に一揆が多く発生しています。
農産物(穀物)の生育にハンデがあった地域です。
いかに勤勉でおとなしい民度を持つ地域とはいえ、人間には最低限必要な生活水準があり、我慢の限度もある。
青木村に限らず、上田、松本などにも一揆の記録があり、主導者を義民としてたたえ伝える歴史があるのでしょう。

県別の一揆発生状況。

時の権力者の徳川家康を恐れさせ、大坂冬の陣では家康の本陣寸前にまで迫った真田幸村といい、信州人は怒らせると怖いのかもしれません。

道の駅あおきへ行くと、太鼓の演奏をやっていました。
義民太鼓の幟が立っています。
やはり義民の歴史は村の誇りなのです。

道の駅あおきでは義民太鼓の演奏が

満員の食堂で、義民太鼓の太鼓の音を聞きながら天丼を食べました。
量は十分。
ご飯は地元のお米なのでしょうが、ぜいたくを言えばもうちょっとご飯が美味しければ・・・と思いました。

道の駅の食堂。マツタケご飯は本物を使ってます
天丼。900円

直売所へ行くと、キノコ、リンゴ、ブドウ、新米と秋の実りであふれています。
この地域は全国的にもマツタケの名産地で、時期には松本方面からもマツタケを求めて人がやってくるのです。

直売所では新米も

保福寺峠を越える

青木村と松本を結ぶ峠道が保福寺峠を越える県道181号線。
東山道が通った道で、明治になってウエストンという外国人がここの峠から眺めた風景に感動し、飛騨山脈を(北)アルプスと名付けたという。

現在は青木村と松本を結ぶ主要道路は、青木峠をトンネルでくぐる国道142号線にその座を譲っている。

県道181号線も2019年の台風19号の被害で、保福寺峠越ができなくなっていた。
山小舎おじさんにとっては初の道です。

県道181号線。麓の集落

麓には集落が広がる。
まもなく道幅一車線となり、対向車ゼロの山道が続く。
止まっている車はキノコ採りの地元の車。

走っても走っても、深い山に分け入ってゆくだけで先が見えない。
ところどころに東山道遊歩道の標識が現れる。
遊歩道というにはふさわしくない寂しさ、山の気配が支配的です。

ところどころに案内の標識が

ようやく峠に到着。
松本方面からバイクが1台通って行った。
軽トラを下り、少し歩いてウエストンの碑を見る。

明治時代にここまで来たというウエストン。
村人の案内で、籠できたのか、馬を使ったのか。
当時のゆったりとした時間の中とはいえ、休む場所にも事欠き、途中で宿泊など思いもよらぬ道中だったろう。
青木村に前泊し、早朝出発して1日かけて往復したのだろうか。

保福寺峠にあるウエストンの碑

ウエストンの碑から眺める北アスプス

周りの景色を眺める余裕もなく、東山道の昔を思う暇もなく、とにかく遠いと思いながら走った峠越え。
かつて家族とともに美ヶ原から山道を松本に下った時もたいがい遠く感じましたが、信州の山塊の懐の深さに改めて畏れを感じた山小舎おじさんでした。

麓の化石館で驚く

峠を境に小県郡青木村から松本市へ。
まもなく集落が現れ、県道181号線が国道143号線とぶつかるところに化石館があった。
最近、孫娘が博物館好きだとわかった山小舎おじさん、情報収集も兼ね寄ってみる。

なんでも、松本市四賀というこの地区は化石の宝庫らしい。

館内に入ってみる。
子供が親しみやすいように、化石に触れたり図鑑が並べてあるロビー。
その奥の展示室には復元されたクジラの大化石が、青くライトアップされて宙に浮かんでいた。

シガマッコウクジラの化石標本

立派なアンモナイトなどの化石も多数展示されている。
化石好きな人にはたまらない空間だろう。

館内にはアンモナイトの化石なども

ロビーへ戻る。
付近の地形のパノラマがあった。
化石の出土ポイントがたくさんある。
この地区の見どころは、化石と虚空蔵山だと感じた山小舎おじさん。

事務室の学芸員のお姉さんに、化石出土ポイントと虚空蔵山について質問。
クジラの化石が出土した状態で保存されている場所があるとのことで、その場所の地図をいただく。
虚空蔵山のビューポイントも聞いたがそれについては明確な回答はなかった。
虚空蔵山までは遠いから、まあいいか。

とりあえず地図に沿って進む。
人知れぬ川のほとりに、ガラス張りで展示された一角が見えた。
中を覗くと小型クジラのほぼ全身状態の化石があった。
震災前の宮城県で見た、歌津魚竜館の.化石を思い出した。

化石館から車で5分ほどのところにあるクジラ化石の現地保存場所
出土状態で保存されているクジラの化石

帰りは松本市街を通り、直売所に寄ってリンゴや漬物を買って帰りました。
まだまだ暑さが残る初秋の流れ旅でした。

松本に来たら寄る直売所
紅玉、漬物などを買って帰る

糸魚川カニ屋横丁

新潟へ行ってきました。
長野県に隣接し、日本海への出口に位置する新潟県ですが、案外遠くて、山小舎に来てからは行けていませんでした。

今回は家族と行きました。
自宅に帰り、合流して自動車で行きました。

関越道で群馬と新潟の県境を越え、六日町のインターでした道に下りました。
魚沼郡、十日町などを越え、上越市に入りました。

ここで一泊。
地元の居酒屋で海鮮中心の夕食。
上越市の旧直江津市街地の店でした。

家族で一泊し、翌朝は日本海沿いを糸魚川に向けて出発。
好天の日本海沿いの道は快適でした。

糸魚川に入り、道の駅能生という場所へ向かいます。
駐車場は、関東や中京、北陸方面のナンバーで満車に近い状態です。

構内にカニ屋横丁というカニ専門の店が並ぶ一角があります。
鮮魚店が3店ほどあります。
道の駅なので土産物屋、食堂などもあります。
付近には道の駅が管理するキャンプ場もあるようでした。

カニ専門店が並ぶカニ屋横丁

鮮魚店で自宅に送る鮮魚を買い求め、宅配便を手配しました。
ノドグロをはじめ、南蛮エビ、イカ、石鯛などの鮮魚、サバの干物なども売られています。
その場で食べられる生ガキ、焼きイカなども売られていました。

カニ屋横丁と直角に鮮魚店が並ぶ
鮮魚店内の鮮魚の数々

カニ屋横丁前のパラソル付きテーブルにはカニを食べるお客でにぎわっています。
茹でたカニを買うと、バケツとはさみと割りばしと手拭きがついて来て、その場で割ってほじって食べられるのです。

カニ屋横丁前のテラスでカニをむさぼる

何とも豪快です。
日本は狭いようで広く、現地に行かないとわからないことがまだまだたくさんあります。

かつて夏に秋田の日本海沿いを車で走った時に、真夏の道の駅で人々が生ガキをじゃんじゃん食べては、蛎殻で一斗缶を山にしていた光景を思い出しました。
夏に生ガキを食べたことがない山小舎おじさんはその光景に驚きましたが、今なら喜んで仲間に入ることでしょう。

夏の新潟では茹でカニをむさぼり食う光景が繰り広げられているのでした。

カニをチョイスした山小舎おばさんによると、1杯1600円ほどでカニを買うと、倍くらいのおまけをしてくれたとのことでした。

これで1600円(おまけ込み。唐揚げ、コロッケは別)

家族で無言でカニをむさぼり食べました。
外なので多少こぼしても、汁が垂れても大丈夫。

茹でカニは生臭いこともなく都会ではなかなか出会えない味でした。
合わせて、カニご飯とカニクリームコロッケも食べましたが美味。

9月中旬ながら夏の日差しの日本海で思わぬプレゼントでした。