孫からのバレンタイン

令和3年2月14日。

もうすぐ東日本震災から丸10年の令和3年2月13日深夜に地震がありました。
東京でも突然の揺れに驚きましたが、震源地の福島は震度6であった由。
お見舞い申し上げます。

これも地震が多い日本列島に生まれついた定めなのでしょうか?
ゆめゆめ油断怠らずに暮らしていかなければならないと思う次第です。

明けて14日はバレンタインデー。
もうすぐ6歳になる孫が、じいさん(山小舎おじさん)にチョコレートを持ってきてくれました。
手作りとのこと。

お孫ちゃん手作りのチョコ。まず仏壇に供えました。
チョコを裏側から見たところです

バレンタインといえば、サラリーマン時代に職場で毎年もらいましたっけ。

山小舎おじさんのサラリーマン晩年時代。
職場によっては「義理チョコ」などとよばれた「文化」はすでに廃れていました。
が、たまたまおじさんのいた部署の女性は昭和の文化の継承者なのか、毎年、部署の男性に配ってくれました。
それを持って帰ると子供たちに喜ばれたものでした。

今や季節の風物詩と化したバレンタイン。
こういった文化も続いて行ってほしいと思う、昭和のおじさん。

今年は「逆バレンタイン」としゃれこみ、働いているかみさんに感謝のしるしとして、下の息子とお金を出し合い、チョコをプレゼントしました。
「逆ホワイトデー」が楽しみです。

今年のリンゴ狩りは小諸で

家族が秋の山小舎にやってきた。
娘一家と孫も来た。
今年も春夏秋とやってきてくれた。
秋の山小舎行事は孫たちとのリンゴ狩りだ。

去年は伊那谷の松川町というところのリンゴ園へ行った。
家族経営のいい雰囲気のリンゴ園で、リンゴもうまかった。
今年はその日の行程に合わせて、佐久、立科方面でリンゴ園を探した。

別荘の管理事務所に聞いたり、ネット検索をしたが、リンゴの名産地で山小舎からも近い立科町にはリンゴ狩りができる観光農園はないようだった。
そこで、観光農園が集まっている小諸に行くことにした。

着いた農園はすでに駐車町の車列ができていた。
県外ナンバーの車両がほとんど。
ほどなく駐車ができて一同、入園した。
入園料は一人400円。園内では食べ放題。持ち帰りは有料。

去年の松川町の、自然に伸びた木が茂るリンゴ園と異なり、いわゆる矮化栽培というのか、盆栽のようなリンゴの木が並ぶリンゴ園だった。
普通に大きく育った木もあった。
この日採れる品種は、秋映、シナノゴールド、シナノスイート、紅玉。
フジにはまだ早い。

園内のリンゴの木の下で

孫の人気はシナノスイート。
パリパリとした歯触りとさっぱりとジューシーな味わい。
シナノスイートは甘みが強くやわらかな歯ざわり。
伝統の味、紅玉をしっかり栽培し続けているのもうれしい。

真っ赤に実った紅玉の木。梯子で登って収穫する

大勢の観光客とともににぎやかなリンゴ狩り。
随所にテーブルと椅子が用意され、座ってゆっくり食べられる。
孫たちはもぎたてのリンゴをバクバク食べた。
秋晴れの背景には浅間山。

園内の随所にあるテーブル席で一休み
孫に人気のシナノスイートを切って食べる

小諸には観光リンゴ園が何か所もある。
小諸市街地からすぐだし、軽井沢と長野市を結ぶ国道18号線からすぐの立地が便利だ。

今年のリンゴ狩りも一同大満足だった。

山小舎に家族がやってきた ヤア!ヤア!ヤア!

すいません、はしゃいだ題名で。
「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」(1964年 リチャード・レスター監督)からいただきました。
あつ、最近では「こまどり姉妹がやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」(2009年 片岡英子監督)というドキュメンタリー作品もありましたね。
観ていませんが。

ということで8月になって2回、家族が山小舎にやってきました。
うち1回は孫を連れた娘一家が同行の豪華版です。

なんやかんや言って、このご時世下、4月以降7月まで家族に会ったことなしのスケジュールでした。
7月から交流を再開し、山小舎の整頓と手入れも含めた、夏の避暑としての家族来家となったものです。

家族一行を迎えるにあたり、2階をゲストルームとして整備しました。
バルサンを焚き、掃除機をかけ、雑巾がけの後、ダニブロックをスプレーして畳部屋をチューンナップしました。
当然、布団は干してあり、シーツ類は洗濯乾燥済みです。
2階の本棚に、児童書やガイドブック類などを移しておくことも忘れませんでした。

食事はいつもの炭火焼を1日目とし、2日目用に地元アルプス牛の牛筋を3時間以上煮込んだ居酒屋風煮込みを用意。
地ものの桃、ネクタリン、プルーンや自家製のトウモロコシ、ナス、ズッキーニをサイドメニューに整えて、子供たちにはこれまた地元産のリンゴやブドウのジュース。
お土産に自家製のジャムまで準備しました。
至れり尽くせり、疲労困憊です。

山小舎の近場には、牧場、釣り堀、湖、ゴーカート場などレジャー施設がありますので子供たちは大喜びです。
まあ子供は広い場所があって走り回れればそれでいいのですが。
山小舎自体も広いので、子供たちは2階へ行って布団を、自動車や家に見立てて遊んでいるので大人は楽です。

陣内森林公園内の釣り堀で遊ぶ
釣り堀横の食堂にて。天丼、ソバセット
女神湖近くのゴーカート場で遊ぶ

家族滞在の時間は、静かだった山小屋に生命力が溢れ、活気が満ちた瞬間でした。
畑のトウモロコシもおいしいと評判でした。
夜はおじさん、少々飲みすぎましたが、久しぶりに家族と肝胆相照らし、大満足でした。
これを人は「命の洗濯」というのでしょうか。

今年は行き来も少なく、家族に負担をかけてもいるので、畑が一段落したら、長めに自宅に帰って家族の役に立ちたいなと思うこの頃です。

釣り堀で釣ったニジマスを夕食に焼いて食べる

ポスティングに挑む その2

シルバー人材センターからの仕事が来ました。
社会福祉協議会の公報「ふくしの窓」のポスティングです。

今回も約30003000部を預かりました。
配布地域は前回と同じです。

山小屋おじさんの、3月までの現金収入の手段は、障害者のガイドヘルパーとシルバー人材センターからだけです。
待ちに待った仕事です。

ポスティングも、大判サイズの冊子を3000部ともなると片手間ではできません。
配布機関が1週間あるとはいえ、前回の反省も踏まえ自分なりに工夫して臨みました。

工夫その1

自転車の荷台にかごを設置しました。
1〆500部に近い冊子を自転車に積む場合、重心の設定が大事です。

前回は前かごだけに積みましたが非常にバランスが悪く、運転しずらい上に自転車を止める場所に苦労しました。
普通に止めると前かごに重心が取られて、自転車が倒れたり動いたりするのです。

そこで今回はプラスチック製の買い物が語を荷台に取り付けました。
1回に500部を積むとして、主力は荷台のかごに積み、手元用の手提げには少数の部数だけ入れるようにしました。
自転車のバランスと、配る際の勝手が格段に向上しました。

工夫その2

ポステイングの天敵は雨と風です。
本降りの際は仕事自体ができませんが、小降りの時や、突然の降雨の際には冊子を雨から守るために大き目のビニール袋(ゴミ袋など)を用意しました。

工夫その3

また強風も大敵です。
何の備えもなく強風にあおられると冊子が簡単に捲れたり、飛ばされてしまいます。
荷台には重しを備えておいて、冊子の上から押さえておきます。

工夫その4

配る順番工夫しました。
前回はとりあえず自宅の近くから配り始めました。
そのあたりは一戸建ての多い地域で、効率が悪く、期間内に配り終えられるかと心配したものでした。

そこで今回は集合住宅を最初に配ることにしました。
国道20号線沿いやバス通り沿いには集合住宅が集まっています。
数十戸が入居しているマンションなどでのポステイングは非常に効率がいいのです。

最初の2日間、集合住宅優先で配布してみると、たちまち3分の2近くがはけました。
担当地区の3分の2近くが集合住宅に住んでいることになります。

2日間で集合住宅を配り終わりました。
効率の悪い一戸建てについては、後半でのんびりとやる予定です。

工夫その5

配る先には様々なポストがあります。
冊子を二つ折りにして幅広いサイズのほう(ヨコ)から入るもの、狭いほうのサイズ(タテ)からでないと入らないものなど。

一戸建てのポストでは、新築戸建てでは特にデザインの斬新なものが多く、一見どこから投入すればよいのか迷ったものでした。

今はだいたいのポストに関して最短時間での投入を工夫できるようになりました。
集合住宅のポストでは、2,30部の冊子を送り出しやすいようにずらして左手で持ち、右手で1部ずつ取ると同時に折りながら投函していくイメージです。

一連の動作で投入できれば上出来ですが、ポストのふたのバネが固くて左手でフォローしなければならない時もあります。

集合住宅では、配布物で満タンになったようなポストも散見されます。
その場合は無理には投入しません。

また、不要配布物を捨てるごみ箱が設置されたポストも多くなりました。
市報なども捨てられていました。

ふくしの窓第261号の表紙

メイン特集は手話講習会へのお誘いです

社会福祉協議会関係のイベントカレンダーが見開きページに

ボランテイア募集の伝言板も

皆さん、税金で賄われている市報などの行政サービスにはぜひ目を通してみましょう。

ポステイングの合間に見た近くの畑では春が訪れていました。

今年の帰省は帯広スタート!

山小屋おじさん一家の帰省は今年も9月でした。
おじさんのオリジナル家族5人中4人が参加。
例年通りの2泊の行程。
札幌のお寺にあるお墓参りと叔父さん一家との年1回の交流が目的です。

第一日目は帯広スタート

子供たちが小さなうちは、お盆に家族で帰省し、親の家に滞在しました。
両親がなくなった今は、その年に参加できるメンバーで、時には旭川や函館などを観光で経由するなどして帰省を楽しんでいます。

今年はなんと帯広に飛んで旅をスタートしました。
十勝平野名産の乳製品、豚肉。小麦、大豆を味わうためです。

帯広空港。
羽田から降り立つと空港内外が冷房したように冷たい空気に満たされていました。
朝の気温は12度とのことでした。

幸福駅。
おじさんが高校生の時、道東を一人旅した時に当時の広尾線に乗り幸福駅に降りたことを思い出しました。
当時すでにブームでした。
現帯広空港からはすぐ近くです。

思いやりファーム。(写真無し)
粗飼料のみで育てた牛の無殺菌牛乳とソフトクリームを食べました。
さらっとした口当たりでほのかに草とクリームの香りがしました。
帯広の南隣、中札内村にあります。

豚丼。帯広駅近くのぱんちょうという店で食べました。
思ったよりしつこくなくておいしかった。

高橋まんじゅう屋。(写真無し)
帯広市民御用達のおやき屋さん。
店内の昭和な雰囲気は最高。
あんこの味は・・・。
六花亭のどら焼きにも感じたが最高の素材(小豆)を生かし切れていないような気がする。
あんこに煮方は都会のほうがうまいのか?
残念。

パンの麦音。
地元の人がわんさと訪れるパン屋。
並んでパンを買ったあと建物外の広々とした芝生でくつろぐ。
これぞ十勝のファミリーの昼食。

狩勝峠。
帯広を出て富良野、旭川経由で札幌に帰りました。
途中の狩勝峠です。

かつては根室線の難所で、鉄道の三大車窓にも選ばれた景観です。

現在はこの間のJR線は台風の影響で不通になったままです。JR北海道はこのままこの区間を廃線にするつもりでしょうか。

青い池。
美瑛から活火山の十勝岳方面に上った白金温泉の近くにあります。
立ち枯れた木が湖中に残っている風景です。

有名になったのは最近のことで、道産子には白金温泉の近く、と言わなければ通じないことが多いようです。
訪れる人の外国人の割合が増えた場所でした。

二日目は親戚訪問、お墓参り、小樽遠征・・・

二日目にお墓参りをセット。
お墓のあるお寺では、いつもお経をあげてくれる前代の住職が今年も待っていてくれました。
感謝。

昼食は小樽で寿司。
今年はサンマやイカは不漁で、代わりにハマチやイワシが上がっているとのこと。

小樽の市場で生イクラなどを買って自宅へ発送。

夕方からは親戚一家と地元の居酒屋で一席。
魚がうまい居酒屋で、ニシン、ソイ、ハッカクなどの珍しい刺身を肴に、北海道のビールと地酒を飲みました。

高齢の叔父さんは山小屋おじさんの母親の弟にあたり、88歳になりましたがおかげさまで無事にしておりました。

故郷と、亡き両親と親戚らに感謝の帰省でした。

自宅に戻り町内会バーベキューに参加しました

11月上旬に東京の自宅へ戻りました。
健康診断があったためです。
おじさんは、妻の被扶養者になっており、田無病院というところで健康診断を受け、ついでに高血圧でかかっている医師の診察を受けました。
ちなみに被扶養者となったおかげで、国民健康保険料・月24,000円が節約できています。
妻に感謝。

おじさんの自宅が所属する町内会のバーベキューが3日にあったので参加しました。
自宅があるのは調布市です。
町内会(地方自治法上の正式名称は「自治会」です)は、同時に建売住宅に入居した10軒で立ち上げました。

会員名簿と会則を市役所に届け出れば、自治会が設立できるのでした。
その前に、近隣の既成の自治会に参入を打診しましたが、断られました。

東京の郊外は、旧来の地主や農家などを中心にした、割と大規模な自治会が残っています。
一方、新興住宅地や社宅などでは、住民がそれぞれ自治会を立ち上げてもいます。
おじさん宅の近隣はそうした新興自治体がいくつもありました。
そういった自治会は、会員の流動もなく、年とともに自然消滅してゆくようですが。

おじさんの自治会の唯一の行事は、年に1,2回のバーベキューです。
一応、自治会長はおじさんということにして届け出てありますが、実際には年長の自営業社長宅が町内会の中心で、バーベキューの回覧もやってくれています。

というわけで、町内会の唯一の行事、バーベキューは、20年間続いています。
20年前、おじさんは40歳そこそこ。長女が5年生、長男が3年生、次男が5歳でした。
町内会10軒のうち、家長がおじさんと同じ年が2軒。長女の同学年の女の子が2人。長男の同学年の子が2人いました。

バーベキューの日は子供たちが走り回り、大人たちも念願のマイホーム生活実現に盛り上がっていました。
連帯感のようなものを感じたのも、酔った勢いのせいばかりではありませんでした。

20年たち、子供たちはそれぞれ独立もし、亡くなったメンバー、離婚して去ったメンバーもいました。
転勤により離脱したのは1軒だけで、近隣に引っ越してきた1軒が新規に加わりました。
またゲストで参加する人、実家に帰ってきて家族ともども参加するかつての子供たちなど、毎回賑やかに催されました。

会場は10軒の間を走る路上です。
袋小路なので公道ですが実質的には私道です。
おじさんの自宅は袋小路の一番奥の方ですので、路上に炭焼台を出し、炭をおこします。

三三五五、折り畳みテーブルやいすを持ってメンバーが集まりだします。
缶ビールで乾杯の後は、各家からとっておきのワインや日本酒などが出てくることもあり盛り上がります。

暗くなったり、寒くなってくると、世話役のお宅に集まりなおして2次会です。
おじさんは最近は2次会の前にダウンすることが多くなりました。

今年のバーベキューは、おじさん2年ぶりの参加。
ゲストが多く近年になくにぎやかでした。
おじさんは、サンマ数匹と信州鳥の焼き鳥、畑のサツマイモ、里芋のホイル焼きなどをして好評でした。食材は山小屋から担いだり、買って帰ったものです。
また、山小屋ビジター用におじさんが作ったアルバムも回覧しました。
山小屋の紹介を目的に、立地や地域の歴史や自然、山小屋での暮らしなどを写真と切り抜きでまとまたものです。

20年前からのオリジナルメンバーは、思ったよりは元気でにぎやかでした。
皆地域での交流を望んでいるからうれしいのでしょう。

田舎暮らしをしている身からすると、話題に強烈な個性を感じなかったのは、「守りに入っている」都会人のなせる業でしょうか。
都会は住民が個性を発揮する場所ではなく、お互いに出すぎないようにけん制しあいながら注意深く暮らすところなのかもしれません。
いざとなった時に頼りになる近隣者かどうかは、そうなったことがないのでわかりませんが。

子供たちが小さなころは誰かが路上で遊んでいて活気があった町内ですが、ここ最近は活気が乏しくなりました。
住民の年齢とともに、街も年を取ってゆくということでしょう。
実質リーダーの自営社長は、小淵沢に別荘を持っています。
今度寄ってみようと思っています。