上諏訪を歩く

お盆が過ぎ、例年なら待っていたようにの秋風が吹き渡るころなのですが、過酷な残暑が続く今年の長野県。
諏訪へ下りたついでに、気になっていた上諏訪(諏訪市)を歩いてみました。

諏訪湖東岸に沿って、南から諏訪市、下諏訪町、岡谷市と続く諏訪地方。
その中で、甲州街道の宿場として、諏訪湖観光の拠点として、歴史を刻んできたのが諏訪市(上諏訪)。

北隣には、諏訪大社の下社2社が鎮座し、6年ごとに御柱祭を挙行し、中山道と甲州街道が合流する宿場でもあった、下諏訪町があります。

上諏訪住民のシンボル・高島城に向かいます。
諏訪湖畔の軟弱地盤に丸太で土台を組み、その上に石垣を積んで築城したという、別名「浮城」と呼ばれるお城です。
お堀と石垣、天守閣の塩梅が絶妙です。

城門をくぐると手ごろな規模の庭園が広がっており、市民の憩いの場になっています。
天守閣に登り、諏訪湖を眺望するつもりだったのですが、マスクを軽トラに忘れたおじさんは入場をやんわりと断られてしまいました。
残念。

お掘り越しの高島城天守。まるで諏訪湖に浮かんでいるようだ
城門越しに手入れされた庭園が望める
天守閣への階段は遠かった・・・。入場料310円。

城下町・上諏訪の風景です。

諏訪は醸造の産地。これはお城近くの味噌蔵
町中に諏訪湖へ流れる水路が張り巡らされている
街の小路には由緒ありげな街並みが散見される

甲州街道こと国道20号線は今でも住民の生活道路であり、山梨方面とを結ぶ幹線道路でもあります。
往年のメインルートの名残を残した、商店や蔵が残ります。

甲州街道沿いには今も5軒の造り酒屋が軒を連ねる
歴史を感じる呉服店の店構え

甲州街道から1本入った裏町には住民の生活の歴史が残ります。

裏町の生活路には歴史を感じさせるお寺があった
街角の民家にも住民の生活の歴史を感じる

温泉の町でもある上諏訪にはもともと多くの飲食店街があったようです。
今では寂れた感じの飲食店街ではありますが、往年の温泉街の艶は残っています。

街から諏訪湖畔へ向かう商店街
歴史ある温泉街らしい旅館も現存する
駅前の飲み屋街
「居酒屋放浪記」の吉田類が2014年に来店したらしい
こういう看板はいい。ひとの生活の歴史と風情を感じる

中央本線上諏訪駅とその周辺です。
甲州街道に接した駅は文字通り上諏訪の玄関口です。

JR中央本線・上諏訪駅。国道20号線に接する
駅前には最近、商業ビルができた。
お土産は駅構内の直売所で地物の桃。1パック200円を2つ。

上諏訪のもう一つの玄関口である諏訪湖畔の風景は今回はカット。
湖畔のホテル、旅館、みやげ物店などは今も活気があります。
恒例の諏訪湖花火大会の日などは渋滞で車で近づけないエリアとなります。

湖畔エリアには、紡績で財を成した財閥の遺産である、片倉館などの建物も残ります。
片倉館は、巨大なローマ風呂を擁する、かつての紡績職員用の厚生施設だった建物で、現在では一般客が入浴などで利用できます。
次回はこのエリアもレポートしたいものです。

この日の昼食はハルピンラーメン。
独特のダシがうまい。県民のソウルフードの一つでもある

北国街道 海野宿

旧北国街道(信越)は、軽井沢で中山道と別れ、千曲川の右岸を北上、上田、松代などを経て新潟の日本海海岸に至る街道。
佐渡から金を江戸へ運ぶ道筋として、五街道に次ぐ位置づけだったとのこと。

軽井沢の追分から、上田までの間には城下町で有名な小諸宿があり、その先に田中宿、海野宿と続きます。
現在では小諸市内の街道風景は、往時の建物と雰囲気が残ってはいますが、道幅などは拡張されており、基本的には「現代の風景の中に歴史建築が散在して」いる風景となっています。
その先の田中宿も、駅前商店街として開発整備されています。

一方、海野宿の景観は奇跡的に往時の様子をとどめています。
建物の保存もさることながら、道のわきに流れる側溝が埋め立てられもせず、暗渠化されもせず、その流れをさらさらと露天にさらしている素晴らしさです。

宿場の入口には常夜灯を模した行燈が立っています。
格子と土壁づくりの建築が100軒ほど残っています。

訪れたのは土曜日でしたが、観光客の姿は2,3組。
ちょっと寂しい気もしますが、一方、土産物店、食べ物屋、などの数が少なく、また店のデイスプレイが本来の建物の邪魔をしていないのが好感が持てました。

旅籠だった建物が資料館となっています。
荷役などに使った馬に塩をなめさせる石が残っていました

この地域、商圏は隣の田中駅周辺だったり、上田だったりしますから、無理な開発もなく、住宅地として100年以上現状保存され、価値が認められてからは景観保存の措置が取られた結果の景観維持状態ものと思われます。
日本の道100選にも選ばれています。

これほどまでに景観が保存されている宿場というと、県内では中山道の木曽路にある奈良井宿が思い出されます。

全国的知名度はありませんが、山小舎から比較的近い位置に残っている旧街道の歴史的遺産です。

地元パワースポット訪問記VOL.13 北国街道を通って県内最大の古墳へ

梅雨のある日、山小舎の周辺は雨にけぶっていました。
畑仕事を中止し、行楽の一日にすることにしました。
行きたかった食堂で昼食を摂り、隣町にある古墳見学をすることにします。
山小舎から下ってゆくと雨は上がって夏空が広がっていました。

北国街道を北上

山小舎から上田方面に下り、千曲川に達する地点に、岩鼻と呼ばれる奇岩があります。
千曲川の左岸に迫った崖で、かつては千曲川に並行して通る北国街道の難所であり、その昔、参勤交代の一行がこの地点の無事通過を地元に報告したという話もあります。

もっと昔、小海、佐久平からこのあたりにかけては湖だったそうで、海ノ口、小海といった地名が残っているほか、湖の北岸に当たる岩鼻のあたりには、塩尻(潮尻)の地名が残っています。

左のせり出した岩山が岩鼻という景勝地

岩鼻の千曲川対岸には国道18号線が上田市と長野市をつなげて走っています。
旧北国街道です。

上田を抜けて坂城町に入ったあたり、ねずみという地名が残っています。
このあたり、街道の正式な宿場は坂木宿だったのですが、鼠宿という間宿があったそうです。

今でもねずみ交差点があり、その付近に明治天皇が巡幸時に休憩したという建物が残っています。
地名の由来は、交通の要衝で寝ずの番を行う衆である「寝ず見」からくるとも、動物の鼠からきたともいわれています。

国道18号線の坂城町ないにあるねずみ交差点
ねずみ交差点付近に明治天皇が休んだ場所が残る

坂城のまちだ食堂へ

長野のローカルテレビで、地元の食堂を紹介している番組があります。
街道沿いの昔ながらの食堂、住宅地のラーメン屋、郊外に佇むカフェなど、内容本位の店を紹介している番組です。
昨今の事情で新規ロケがなくなり、これまでの「傑作選」を放送する回がありました。
その「傑作選」に登場したのがまちだ食堂でした。

坂城町にある取材店・まちだ食堂

ねずみ交差点から北国街道を北上し、坂城町の中心部に近く、まちだ食堂がありました。
名物はナポリタン定食。
スパゲテイナポリタンと鶏のから揚げにどんぶり飯がセットになった定食です。テレビ番組でもレポーター役の女子アナがこのメニューを食べていました。

狭い店内はすでに7人ほどの先客。
ナポリタン定食を注文して待ちます。

ナポリタンも唐揚げもごはんにあう味付けでした。
箸でナポリタンを掬い、ご飯にのせて食べました。
ごはんが進み一気に平らげました。
ナポリタンが鉄板にのっていて冷めないのもよかったです。

アツアツのナポリタンと、竜田揚げといってもいい唐揚げにどんぶり飯がセット!

食べていると、食堂のおかみさん(80歳代後半?)が声をかけてきました。
「テレビ見てきたの?」。
見かけない顔と、店内での落ち着かない様子を目に留めたようです。
「テレビ取材のときはもっと盛がよかったんだけど・・・」というので、これ以上大盛りだと食べられない、と応えました。

がっつり系のランチを求める層のニーズにばっちり答える食堂です。
また、がっちり系メニューの場合、食べている間に飽きが来ない味付けが肝なのですが、その点も及第点なのがテレビの取材対象たるゆえんでしょう。
「プロ」の食堂です。

県内最大の古墳を見学

国道18号線(北国街道)へ戻ります。
県内有数の幹線道路は、トラックなどで通行量が半端ありません。
県内の道路は上田市や長野市などの大都市圏に近くなると交通量が増えます。

千曲川の両側から山が迫る地形を抜けてゆきます。
坂城町を抜けて千曲市に入るあたり、沿道の風景が全国どこにでもある都市郊外の景色になってゆきます。
自働車修理工場、自動車販売店などが増えてゆきます。
千曲市中心部に近くなると、郊外型飲食店、カラオケ、量販店などが沿道に軒を連ねます。
全国どこにでもある風景になります。

千曲川右岸を山間を縫うように進む18号線
盆地に出た18号線は都市部に近づくにつれ都市郊外型風景を呈してゆく

千曲市の屋代という駅。
しなの鉄道(旧JR信越線)沿線のこの駅を越え山側に分け入ってゆくと、科野の里歴史公園があります。

森将軍塚古墳への入口です。
資料館が建っています。
資料館の入場料と古墳へのバス往復料金で700円です。

科野の里歴史公園内にある古墳館

平日午後とはいえ、資料館の入場者はゼロ。
案内のお姉さんに勧められてバスに乗って古墳から先に見ることにしましたが、随時発車するバスの乗客はおじさんのみ。

ハイエースで古墳まで行く。随時発車してくれる

バスで里山の尾根にある古墳まで5分ほど。
歩けば20分ほどとのこと。

やがて古墳の全景が見えてきました。
名付けて森将軍塚。

「森将軍」とは地名からとった仮の名で、埋葬された権力者が誰だったのかは判明していません。
わかっているのは4世紀ごろの造築で、副葬品に三角縁神獣鏡の破片が見つかっており、当時の中央・ヤマト政権との関係性が強いこと。
千曲市から長野市に至る善光寺平を望む立地から一帯を治める権力者の墓だったと想像されること。

山頂について壮大な古墳の全景に驚かされる
古墳の端っこには埴輪が並んでいる。この埴輪の並びも含めての復元とのこと

本格的に調査されたのは昭和になってから、復元されたのは平成になってからという。
発掘時には副葬品はほとんど盗掘されており、盗掘者の名前もわかっているとのこと。
全国的に見ても十指に入るといわれる規模の古墳にありながら、おおらかすぎるその取り巻く状況がうかがわれる。
全国的に見れば「見捨てられた」ようにも思える状況を感じるのはおじさんだけであろうか。
中世以前の東国(畿内以東の日本)の歴史の不明を感じることである。

埋葬された権力者が納めたといわれる善光寺平を古墳より望む
堂々たる全容だ。見学者はおじさん一人。

古墳を見、資料館を一巡した。
この時間唯一の入場者である山小舎おじさんに、資料館の案内のお姉さんは気を使ったのか、絵葉書ワンセットをお土産にくれたのでした。
全員にくれるのかな?入場者が少ないから・・・。

お土産にいただいた絵ハガキ。5枚セットです。

地元の人の心遣いを痛感した、地元中世の歴史的遺産を訪ねる旅でした。

こうなりゃ神頼みだ2 長野県護国神社にアマビエの御朱印をもらいに行く

松本市に長野県護国神社があります。
ここでいただける御朱印がアマビエをデザインしたものだと聞きつけていただきにまいりました。

市の北側、浅間温泉とお城の中間程、善光寺街道の沿線近くに目指す護国神社がありました。

広々とした境内の入口に鳥居が迎える
本殿。雨のせいか人気がない

護国神社と言えば生まれ故郷の旭川護国神社を思い出す山小舎おじさん。
陸軍第七師団の駐屯地であった軍都旭川の歴史どおりの大きな神社で、毎年春の招魂祭は、パレードが催される大きなお祭りでした。

また、小学校4年生の時に旭川に昭和天皇が来て、学校から沿道に旗を持って動員されましたが、昭和天皇を乗せた自動車が通ったのもまさに護国神社へ続く通りでした。

閑話休題。
令和2年の長野県護国神社です。
折からの雨で参拝者はおじさんのほかに一人だけ。

参拝もそこそこに社務所へ向かいます。
窓口に並べてある、アマビエの人形などを見ていると窓が開き、巫女さんが対応してくれます。
神社にしてはものすごくサービス精神があると思い、アマビエの御朱印について聞くと「御朱印帖に書くのではなく、紙で出すので、後で御朱印帖に貼ってください。1通300円です。赤のほかに青色のバージョンもあります」とのこと。

神社の巫女さんとは思えないCS(カスタマーサテイスファクション)ぶりでした。
あっ今はCSって言葉は、はやってないの?

1通300円と聞き、3通買いました。
2枚が赤バージョン、1枚は青バージョンです。
御朱印のリクエストは自宅を守る家内からですので、自宅に送ろうと思います。

社務所の窓にディスプレーされた赤バージョンのアマビエ御朱印
非売品のアマビエ人形も並んでいた
御朱印を3通いただきました

ついでに松本の街を探索

折角松本に来たのだから街を探索します。
松本の観光と言えば国宝の松本城をメインに、縄手通り、中町通といった伝統的な街並みのそぞろ歩きが主になります。
長野県在住4年目の山小舎おじさんも、そのあたりは来るたび訪れてきました。
今回はそれ以外の街並みを探索しようと思いました。

まず、市内中心部の開運堂という和菓子屋に行きました。
ここのどら焼きがおいしいので、御朱印を自宅に送る際に同封しようと思ったからです。

開運堂本店内にはソフトクリームロボットなるものがありました。
専用のコインを買うとロボットがソフトクリームを作ってくれるというものでした。
お父さんに連れられた女の子が食べていました。

パルコの並びにある開運堂本店
店内のソフトとクリームロボットを撮影するのははばかられたので、外の看板を撮る

次いでアガタ書房という古書店に行ってみました。
県内では松本、長野以外には古本屋らしい古本屋は少ないのです。

音楽と郷土史に力点を置いた品揃えの店でした。
3冊ほど郷土史関係の本を買いました。

開運堂から徒歩3分。県内には珍しい古書店らしい店構え。
「ふるさと地理誌佐久平上田」には昭和60年当時の活気ある地元の商店街が紹介されていた

昼食は、キッチン南海という店でカツカレーでした。
そうです、神保町にあるキッチン南海ののれん分けで、神保町で修業をしていたというマスターが開いている店です。

土曜ということもあり、またイオンモールが向かいという立地もあり、店内は満席で、外で並ぶ家族連れもありました。
おじさんも並ぼうとすると、家族連れが「先どうぞ、カウンター空いてるし」というのです。

恐縮して入店。
神保町というよりは家庭の味のカツカレーをおいしく頂きました。

その家族連れはおじさんが食べ終わるころにやっと空いたテーブルに着席していましたが、その間子供が騒ぐでもなく、大人がいらいらするでもなく外で待っていました。
それとは別に、店内で食事中の客も、外で待っている人を気にするでもなくゆったりと会食しているのが印象的でしたが。

これが「長野時間」ともいうべきものなのでしょうか?
うれしくも貴重な体験をしたように思います。

店のロゴ、カラーも神保町店と同じ。味はちょっと違います。

降り続く雨の中、上土通りという道筋を歩きました。
戦災を受けなかった松本の昔の建物が残っている通りです。
昔の建物オリジナルというよりは、リニューアルしたような建物が目につきます。
お城に近い昔からの商業地でだったようです。

レトロな建物をリニューアルした写真館
閉鎖になった映画館。
とどめはお堀に浮かぶ料亭。その名も「かき船」。

松本には善光寺街道というレトロな道筋も残っています。
上土通りが戦前の姿を残す道だとすれば、善光寺街道は明治以前の風情を残す道なのでしょうか。
善光寺街道をについては、いずれ散策してみたいと思いました。
歴史ある都会の松本はまだまだ探索する場所が多そうです。

八ヶ岳横断 メルヘン街道を行く

山小舎おじさんの住む別荘地から見える日本百名山・蓼科山。
八ヶ岳連峰の北端の峰です。

蓼科山を北端にして南東に連なる八ヶ岳連峰。
この山岳を横断する道路が国道299号線、通称メルヘン街道です。
名称はドイツにある本物の街道名からのいただきです。

この時期、週3日のバイトと3日の畑作業、1日のオフのスケジュールで回している山小舎おじさんの暮らし。
畑優先のスケジューリングでどうしても雨の日がオフとなってしまいます。
5月最後の雨の日曜日、八ヶ岳横断ドライブに出かけました。

蓼科別荘地から小海町までの道

茅野市の郊外から、蓼科ビレッジという高級別荘地帯を抜け、標高2000メートルの麦草峠を越えて、JR小海線が走る小海・佐久穂エリアへ下る国道299号線の一部がメルヘン街道とよばれています。
八ヶ岳中信国定公園の真っただ中を貫くルートです。

しばらくは別荘地帯が続きます。
別荘とは本来はこういう階層の人が持つものなんだなあ、と改めて思わせる壮大・豪華な別荘が点在します。
郊外型のしゃれたレストランや隠れ家的な割烹が木々の間に続きます。
戦前からの避暑地だった蓼科の歴史が漂っています。

別荘の姿が尽きたころ、小さな展望台にたどり着きました。
眼下の南八ヶ岳の山々は霧に隠れて全く見えません。
ときどきツーリングのライダーたちが小雨を切ってコーナリングしてゆきます。

麦草峠です。
標高2000メートルの峠で八ヶ岳の稜線を越えます。
茅野市から小海町へ入ります。
この先、メルヘン街道は八千穂高原を越えて佐久穂町方面へ下りますが、おじさんは松原湖方面へ折れ、小海町へ下ることにしました。

小海町で昼食と買い物

八ヶ岳の東側に下りました。
そこはJR小海線が走る千曲川沿いの谷地形のエリアです。
小海線は、JR中央本線の小淵沢と、旧JR信越本線(現しなの鉄道)の小諸駅を結ぶ単線です。
長野県東部の平地を結んで流れる千曲川は、小海を経て佐久、上田、長野、新潟県へと続いてゆきます。

小海線、千曲川と並行して走る国道141号線(佐久甲州街道)に至る途中に松原湖があります。
ご時世柄か人気もなくひっそりとたたずんでいます。
雰囲気のある湖です。

みんなのうたの名曲はここで生まれたのか?!

国道沿いにパン屋があったので寄ってみました。
小海・佐久エリアに2店舗展開している地元のパン屋です。
品ぞろえがよく値段も安いので、パン数点と大福もちを買いました。

ゴマあんパンとキノコ入りチーズパンもおいしかった

ナナーズというスーパーがあったので寄ってみました。
あとで調べると、ここも小海・佐久エリアに展開する地元のスーパーでした。
ここで昼食用のお弁当を仕入れました。

田舎の独立系のスーパーの弁当総菜には思わぬ掘り出し物があるのです。
こちらのヒレカツ弁当も食べ応えがありました。

期待通り質量ともに十分のお弁当でした。計558円。
地元産のお米を買ってみました。5キロ、1700円ほど。

中込の町を「発見」

佐久市中込という地区があります。
JR小海線の沿線の町で、駅には小海線営業所がある交通の要衝です。
また、佐久市役所、消防署などがあり行政的にも佐久市の中枢を担うとのこと。ピンコロ地蔵で有名な金台寺もあります。

小海から北上したおじさん、中込駅前の商店街に通りかかり、その雰囲気にどうしても通過できずに車を止めました。

駅へと続く中込商店街。この雰囲気を見たら素通りはできない。

まず駅に立ち寄ってみます。
小海線は1時間に1本ほどの運行でした。

駅から続く商店街です。
駅前に喫茶店が2店舗ほどあり、かつても今もそこそこ乗降客でにぎわう駅であることがわかります。
婦人用品店なども数店あり、地域の住民の商圏であることがわかります。
一方、昨今の事情なのかどうか、空き店舗も目立ちます。

商店街の通りは6時から24時までの間、無料駐場になっています。
このビルの店舗はほとんど空き店舗。シャッターが下りていないのはいい。

商店街の先には飲み屋街がありました。
そこそこの規模の飲み屋街の存在は、この町が地域の中心地で、人が集まる場所であることを示しています。

飲み屋街は広範囲に広がっています。
飲み屋街近くの卓球場。やっているのか?

北陸新幹線の開通後は、新幹線駅がある佐久平地区が佐久市の中心街となっており、全国的なチェーン店などは佐久平駅周辺に集まっています。
しかしながらな小海線で佐久平駅から3つ南の中込駅周辺にはかつての佐久の姿が残っていました。

メルヘン街道で八ヶ岳連峰を横断し、小海・佐久地方を北上。
八ヶ岳連峰の北半分を一周したドライブでした。

雨の土曜日の外出

予報通りの雨の土曜日。
バイトも畑もありません。週一回のオフの日です。
おりから緊急事態宣言も解除された長野県です。

雨境峠を越えて立科、佐久へ

山小舎から里へ下りる道は大きく分けて、国道152号線を通ての茅野方面と反対側の上田方面への二通りです。

細かく分けると、152号線の途中からビーナスラインを通っての諏訪方面へ抜けるルートや、諏訪白樺湖小諸線という県道を使って立科町へ抜ける道もあります。

今回は諏訪白樺湖小諸線を使って立科町へ下りました。
沿線に女神湖、長門牧場といった観光地が点在する道で、標高1400メートルほどの雨境峠を越えるルートです。

雨境峠です。
初めてここに立ち寄りました。
肌寒い日でもあり交通量はほとんどありません。
県道に沿って蓼科第二牧場が広がっています。

峠から少し下ったところに、鳴石というパワースポットがありました。
東山道という、中世の街道にも由来する祭祀遺跡とのことで、立科町指定遺跡となっています。
牧場の売店から奥に入ったところにたたずんでいました。

江戸時代の五街道時代ならともかく、正確なルートさえ判然としない中世の東山道が通っていた当時の雨境峠と鳴石のあたりはどんな様子だったのでしょうか。今のように夏なお肌寒くひっそりとしていたのか?
それとも峠には東屋などが存在する人気のある往来だったのか?
当時を知っているのは鳴石だけとなりました。

ちゃたまやはいつも人気の卵専門店

雨境峠を降りると、国道142号線沿いの平地に出ます。
芦田、茂田井、望月といった中山道の宿場だった集落が沿線に続きます。
現在ではトラックなど交通量の多い国道沿いには、直売所、道の駅、JAなどが点在し、この季節には野菜の苗が盛大に売られてもいます。

142号線を佐久方面に行き、枝道にそれたあたりにちゃたまやという店があります。
地元の卵農場の直営店で、平時は卵かけご飯を人気メニューにした食堂と、スイーツなどを売る売店をやっています。

売店の正面風景
長野県知事賞を受賞した卵を生産しているとのこと
ご時世柄、宅配に力を入れていました

ご時世柄、食堂は休業中ですが、売店は主に地元の方々で人気なのです。
以前、ここの唐揚げ弁当を食べましたが、食べきれないほどの量の唐揚げがおいしくて忘れられませんでした。
今回は弁当は売り切れ。
やむなく唐揚げのパックを2パックと、シュークリームの2個セットを買いました。

タイムサービス中の値段は2パックで600円でした。おじさんの夕食4回分ほどの分量。
大型のシュークリームです。プリンやジェラードもありました。

望月地区のJAで杵つき餅の大福と遭遇

雨の中の外出。
帰りに寄った望月地区のJAで、ルバーブなどの苗を購入しました。
地方のJAなどには、珍しい品種の苗だったり、元気な苗だったりがあるのです。
値段も安いですし。

さて苗をレジに持ってゆくと、おばさんが「杵つき餅どうですか?」と言ったので、みると大福が2個ありました。
こういったJA、直売所などでは手作りの菓子、パン、総菜などが売られており、おいしいのがわかっているので、「おいしそうですね」と答えると、「おいしそうではなくて、おいしいです」と断言するので引くに引けなくなり2個とも買いました。

軽トラに戻って1個食べてみると思った以上においしい大福でした。
豆の入った厚手の餅自体がしっかりしていて歯ごたえがあり、あんこの味付けも絶妙でした。
まさに田舎のおばさんの手作り。

帰ってからその日のうちにもう一個食べました。
歯ごたえのある皮が固くなり始めていました。
本物です。

佐久市望月地区にあるJAの売店。苗を見に立ち寄りました。
手作りの大福が売られていました

中山道シリーズ第三弾 岩村田宿の現在

かつて長野県の中央部を横断して中山道が通っていました。
東海道は五十三次。
中山道は六十九次の長丁場。

お江戸日本橋を出て、現在の群馬県から軽井沢へ出て長野県を横断。
木曽路を抜けて京へ至る主要街道でした。
今回は第二十二宿にあたる岩村田宿の現在を訪ねました。

中山道岩村田宿とは

現在の長野県佐久市にあった宿場です。
八ヶ岳の東側に広がる佐久平という平地というか盆地にあります。
内藤氏1万6千石の城下町で、また中山道、佐久甲州街道(小諸から山梨県韮崎へ抜ける街道)、善光寺街道(岩村田から善光寺へ抜ける道)が交差する要衝でした。

第十八宿が軽井沢宿で、第二十九宿が下諏訪宿ですから、その間の宿場になります。

岩村田宿の現在

旧中山道沿いに岩村田本町商店街があります。
アーケードを街道の両側に頂く一昔前のスタイルの商店街です。

銀行や和菓子店、理容店などが軒を連ねており、かつてはこの地域の中心街としての歴史を伝えていますが、現在は見事なシャッター街となっています。

新幹線駅の佐久平駅が車で10分もかからない距離にあり、その周辺のモールや全国チェーン店に商圏が完全に移っています。
一方の岩村田本町商店街は、宿場時代の街並みを完全に排した、昭和の時代の商店街スタイルに変貌しています。
そのため、商店街が廃れた現在、宿場時代の歴史的景観に戻すこともできず、「昭和のアーケード商店街」としての歴史を残すのみとなっています。

ある程度の都会でも、小諸市のように街道沿いの歴史的景観が(偶然にせよ)残っている場所もあり、観光客のそぞろ歩きの光景も見られますが、岩村田の商店街に観光客が来訪するとしたら、昭和遺産のマニアくらいでしょうか?

味のありすぎる飲み屋横丁がありました。

商店街の表通りはおそらく現在でも昔からの地権者などが幅を利かせている可能性がありますが、一本横道に入ると新しい飲食店などもありました。

岩村田城址へ行ってみる

岩村田は宿場としては格上の「城下町」だったということで、城址へ行ってみました。
おそらく広かったであろうお城の跡地はほとんどが小学校の敷地になっているようでした。
城郭の中心部だったであろう土地は道路で真っ二つに寸断されていました。

残る一方の敷地には、招魂社とお稲荷さんがありました。

山小舎の割と近場を通る中山道。
まだまだ知らない歴史が広がっているようです。

伊那谷に春を訪ねて・・・。

畑作業4連勤につかれた山小舎おじさんは、GWのある1日、伊那市へ行ってきました。
伊那は山小屋から直線距離にして上田とほぼ同じ。
松本や長野よりは近いのです。

杖突峠は桜満開

伊那へ行くルートは、茅野へ降りてから西側にそびえる山塊を杖突峠で越えます。
峠を越えたあたりに桜の木が数本あり、満開でした。

城下町・高遠へ続く杖突街道です。
谷あいに集落が続く鄙びた道はいつ来てもなぜか落ち着きます。
今日の今日とて、街道沿いの直売所は閉まっていましたが・・・。

高遠城址公園は閉鎖中・・・

杖突峠を下ると高遠の町。
今は伊那市に吸収合併となっていますが、その昔は高遠藩が治める城下町。
高遠城址は地元の誇りで、桜の季節の高遠城址公園桜祭りは有名です。
今年は例によって桜祭りは中止、城址公園は閉鎖となっていました。

折角高遠に寄ったのだから、地元の神様と古刹にご挨拶。
まずは建福寺。
本堂へ至る石段に沿って数十体の石仏が残っている。
江戸時代に全国的に有名だったという、高遠石工の作によるものだそう。
今は格子の背後で佇む石仏たち。
慈悲深いというよりは独特なきりっとした顔つきをしていました。

石仏たちの反対側には観音像が建ち、高遠の町を見守っています。

西暦721年創建という高遠の守り神、鉾持神社へもお参りしました。
現在の地に遷座した際に、鉾が出土したので改称したという古社です。
急な321段を登って拝殿へ向かいました。
毎年2月にはだるま市が開かれるとのこと。
納められただるまが残っていました。

人気のなさは、畑の近くの長和町松尾神社に匹敵しようかという寂しさでしたが、境内の広さといい、格式ある立派な神社です。

拝殿を望む
神社の門前の廃屋です。破れたガラス窓が何とも言えません。

昼食はお楽しみ、伊那のソースカツ丼

高遠を出れば伊那市の町はもう少し。
伊那といえばソースカツ丼が有名です。
開いていました、田村食堂。初めての店です。
ただし持ち帰りオンリーでの営業でした。
分厚い肉と甘いタレ。さすが地元の名物です。
パック入りのソースカツ丼を軽トラの運転席で食べました。
できれば店内でゆっくり食べたかった。

伊那の横丁は今日も強烈だった

高遠方面から伊那谷へと下り、天竜川を渡った時に目に飛び込んでくる伊那の飲み屋街の看板。

なぜ「日中友好」なのかよくわからないが、車道からまず目に飛び込んでくるのがこの建物

動物横丁と呼ばれるこのあたり、カメの向こうにキリンの看板があるのが見えるでしょうか?

飲み屋の件数が多いので有名な伊那の町。
かなりさびれていますが、かつての名残が強烈に残っています。

焼け跡ではありません。平時は食堂を営業中です。
これは本当の廃屋です。一昔前の建築様式が貴重ですが・・・。
映画館です。シネコンではありませんが、データ上映機器を導入して生き残っています。
路面電車の沿線ではありません。JR飯田線の伊那市内の沿線風景です。
このまま伊那に泊まって一杯飲みたくなります
横丁の銭湯です。効きそうですね

伊那に春を探した1日でした。

明日からまた畑やー。

こうなりゃ神頼みだ! 諏訪大社上社と諏訪湖畔の人々

長野県内も緊急事態宣言。
県知事がローカルテレビでしきりと、不要不急の外出自粛と観光客の来県の自粛を呼び掛けています。
まじめで好感の持てる知事さんなのですが、上から言われたことをなぞるだけのようなコメントが、物足りません。
といっても某都知事のように、ここを先途と勇ましく、テレビにスポットで出まくって、リーダーシップの発揮?ならぬ、公費での選挙活動ばかりされてもどうかと思いますが。

ということで標高1300メートルの山小舎暮らしの定年おじさん、軽トラのガソリンも尽きかけていたので、大門峠を越え、60歳以上割引のガソリンスタンドのある、茅野市のザビック(安売りスーパー)へ向かいました。

折角茅野へ下りたので、諏訪大社へお参りしました。
山小舎を開いた後は、毎年、月遅れの初詣をしている諏訪大社。
上田側の生島足島神社といい、県内有数の神様に車で1時間圏内に位置する山小舎にいられるなんて、恵まれた身分です。

上社前宮へお札をもらいに行く

向かったのは茅野市に位置する、諏訪大社上社前宮。
ご存知の通り諏訪大社は、4つのお宮からなっており、中央に近い2社が上社。
遠い2社が下社と呼ばれます。
上社は、茅野市にある前宮と諏訪市にある本宮からなっており、下社はどちらも下諏訪町にある春宮と秋宮からなっています。

茅野市街を南に抜けた里山沿いに、上社前宮があります。
平時でも参拝客が少ない神社なのですが、この日も連休初日ながら三々五々の人出。静かでした。

参道に茶店もなければ、境内を柵や石垣で囲ってもいません。
おそらく原初の時代と変わらぬ姿を保っている?と思わせる素朴な雰囲気に包まれています。

素朴ではあっても漂う厳粛な雰囲気には襟を正されます。
すがすがしい空間です。
本殿の裏には、祀られている豪族の古墳があるとのことです。

かつては神社を守る有力者の屋敷が連なっていたという古参道は、今では民家の裏道になっています。

境内を流れる清水には、ワサビと思われる草が自生していました。

何年か前にお札をもらった社務所はご時世柄閉所していました。
お札は本宮でもらってくれと書いてありました。

前宮境内から望む、雪を頂いた八ヶ岳連峰です。
原初の時代から変わらぬ景色なのでしょう。

上社本宮へ今度こそお札をもらいに行く

軽トラで10分行けば諏訪市内の本宮へ着きます。

全国的には、諏訪大社といえばここのお宮をさすのでしょう。
広大な駐車場と、参道のみやげ物屋数軒が迎える大きな神社です。

素朴な前宮とは異なり、壮麗な社屋が連なり、お宮の前には地酒の樽が供えられ、社務所には巫女さんが常駐しています。

鳥居から参拝殿へと向かうメインルートは観光地特有の「公な」雰囲気に支配されていますが、境内の背後の原始の森の姿には、本来の諏訪大社の雰囲気を感じることができます。

ここで念願のお札をいただくことができました。
社務所で硝子戸の向こうにいる巫女さんはやはりマスクをしていました。

八重桜満開の法華寺へ

本宮の裏手に法華寺というお寺があります。
初めて寄ってみました。

山門脇の八重桜が咲き誇っています。
何とも言えない鮮やかな色です。

このお寺、忠臣蔵の悪役、吉良上野介の養子の墓があるのです。
山形の米沢から吉良の養子に入り、赤穂事件に連座して、諏訪に蟄居を命じられた養子が、ひっそりと寺の裏手の山すそに供養されています。

この法華寺、明治時代の廃仏毀釈騒動で、かなりのお堂が文字通り廃棄されたとのこと。
並行して、隣接する諏訪大社本宮が、国家神道の名のもと整備、統制されていき、今日に至ったことがうかがえます。

答えはあった、諏訪湖畔は繰り出す人々でにぎやか

ついでに諏訪湖を1周して帰りました。
諏訪湖畔、特にメインの下諏訪町から湖の反対側の岡谷市のエリア。
湖畔に公園が連なっており普段は住民の憩いの場になっていますが、ここが連休初日の今日は賑やかだった!

外出自粛ではなかったのか?
人があふれています。
茅野や岡谷にこんなに人がいたのか?!

それも中高生らしき若者が多い。
平時なら街に遊びに出てしまう若者が、自粛の名のもとに湖畔に繰り出しているのだ。

いいではないか。
平時は人気がなく、死んだようだった地方の町が、実はこれだけ老若男女のマンパワーを秘めていたなんて!

これも緊急事態がもたらした、天地返し、真実暴露、仕切り直しの一環なのだ。にぎやかでいいと思います!

今日この頃の上田市内

長野県でもマスコミは周到に「外出自粛」を謳っています。
そんな時に、そんな時だからこそ、今年初めての上田市内に行ってきました。

緊急事態宣言下の土曜日。
天気は晴れ、気温も暖かい。
桜は散っていますが、花々がほころび始め、遠く浅間山の残雪がまぶしい。
上田盆地は春真っ盛りを迎えています。

昼食を上田市郊外のとんかつ屋・味楽亭で済ませる。
いつもは地元客で行列のできる店。
時間を外したこともあるが、店内は奥に地元のヤングが10名近くで陣取る以外は、コロナなど気にしてもしょうがないおやじが、単独で三々五々現れるだけ。客席はやっと半分埋まったくらいか。
なによりも寂れかかったような店内のムードがヤバイ!
ロースかつ定食1400円。
こんなに高かったっけ?
ネット情報にあるように、豚肉をはじめとして食料が不足から高騰してゆくのか?
味はいつも通りでした。

上田市内に入る、幹線道路の交通量は平時の1/2くらいか?
中心部の交差点はいつもと変わった様子はない。
軽トラを駐車場に止めて、いつものルートで街を歩き始める。
今年初めての上田訪問だ

トンカツで満腹の腹を抱え、中心部の商店街・海野町商店街を歩く。
いつにもまして人の姿がない。土曜日なのに。

商店街の中ほど、富士アイスに寄る。
ここには人がいました。
といっても平時の半分くらいか。
今川焼を1個買って食べ歩き。

上田映劇へ向かう。
休映中なのは承知。
せめて映画館らしい匂いに触れてみたくて。
館を運営するNPO法人の決意の大文字デコレーションに少々安心したものの、映画館らしくない人気のなさ。
思うのは、いかに歴史ある建物でも、使われていてナンボだなあと。
頑張ってくれ!

海野町商店街に隣接する飲み屋街。
かつては織物景気で、人口比の飲み屋の件数が全国有数だったという上田。
飲み屋街は表面的には健在も、よく見ると自粛中の張り紙の嵐だった。

こうなりゃ、商店街の守り神・弁才天と、隣のお寺の日蓮上人にそれぞれ神頼みや!

同じく中心街にある、カレーのベンガルは扉を開けて営業中。
コーヒーの木の実もやっているようだった。

山小舎おじさんお気に入りの和菓子屋・やまざきやへ。
やってました。
店員さんに聞くと、個人客はそこそこも、学校や会社などの法人需要がなくなっていると。
団子と柏餅を買いました。
ここ名物の新作団子は「桜団子」。
桜の花をあしらった白あんがのった団子でした。

柳町通りへ行ってみます。
旧北国街道沿いの古い町並みです。
シーズンの土曜日には観光客がそぞろ歩く名所ですが、それらしき姿は一組だけでした。
蕎麦屋などの食堂は閉まっています。

おじさんお気に入りの岡崎酒造で、地元米使用の限定版・亀齢を1本。
特製の甘酒も気になったので1本求めました。
畑作業で疲れたときは甘酒がいいのです。
土間にひな人形が飾ってあったのでパチリ。
江戸時代の人形とのことです。

帰りに去年の台風19号で橋げたが落ちた、上田電鉄別所線の鉄橋現場を見てきました。
片方が千曲川に落ちていた鉄橋は撤去されていました。
新たな鉄橋を架設すべく、土台になる堤防を新たに作っているところです。

崩落してから5か月。
遅いような気がしますが、崩落したままの鉄橋が撤去されたのだから、工事は進捗しているのでしょう。

コロナ対策に金を渋るような国が、田舎の私鉄の鉄橋補修なんかに優先して金なんか出すわけない。
とはわかっていても、いまいちポジティブな気持ちになれない春の午後でした。字余り。