長野市立博物館春の企画展「皆神山をとりまく世界」

塩尻の平出博物館に行ったときに、長野市立博物館のチラシがあったのでもらってきた。
「皆神山をとりまく世界・パワースポットの源流を探る」企画展という大変興味を引くチラシだった。

企画展のちらし

今は長野市と合併した旧松代町。
上田側の真田地区から地蔵峠を越えて下りてゆくと、右手に低い独立峰の皆神山が見える。
道路の分岐点には「日本ピラミッド」という標識が立っている。

ピラミッド?
そう、オカルト方面でも有名な山。
昭和時代の松代群発地震の震源地?ともいわれた。

車道があり短時間で行ける皆神山山頂には、古くからの神社が建ち、近年のオカルト一派のものも含めた様々な記念碑も見られる。
パワースポットとして全国的に有名な場所となっているようだった。

長野市博物館での企画展。
とうとう博物館というアカデミズムもスピリチュアルの世界は無視できなくなったのか?と一人合点した山小舎おじさん。
はるばる長野市まで出かけました。

長野市博物館常設展示物

川中島合戦場にほど近い公園内にある長野市博物館。
善光寺平東方に広がる山塊をバックにした池のほとりに建っています。

三々五々散歩する市民。
絵画のようなこういった風景に接するたびに「地方っていいなあ」と思う山小舎おじさんです。

川中島古戦場公園

モダンな建物の博物館内へ入ります。
入場料300円は良心的。
今はマスクも強要されません。

博物館の入り口

常設展示室では写真撮影可能。

善光寺平のジオラマに迎えられた入場者は、松代地区に近い博物館ならではの地震観測コーナーを経て、石器時代から以降の歴史をレイアウトするコーナーへと導かれます。

善光寺平のジオラマ
石器時代の幕開け
竪穴住居の模型

県内の博物館へはよく行きますが、都市部の博物館をのぞき人気がないのが普通です。
が、さすが長野市、日曜ということもあり家族連れの気配がするところもうれしく感じられます。

竪穴住居や古墳を復元した模型を大掛かりに展示したり、古代の生物や石器人の模型をレイアウトしたり。
メリハリの利いたポイントを強調した構成が目を引きます。

善行寺周辺の仏像
川中島合戦コーナーの展示

長野ならではの善光寺と仏教文化のコーナー、川中島の合戦のコーナーもあります。
信州の都の博物館として、アピールすべきところをよくわきまえています。
展示された仏像にも迫力を感じます。

順を追って展示物を見てゆくと、信州という場所が石器時代、古墳時代から東日本の一つの中心地であり、その歴史の必然として、仏教の中心地たる善行寺や、諏訪大社の信仰が興て近世に至る流れがあることがわかります。

藁で作った道祖神
花火と大筒

企画展「皆神山をとりまく世界」

この日の企画展は、皆神山と川中島合戦に関するふたつ。
それぞれ一室にレイアウトされていました。
撮影禁止です。

企画店入り口。これより先は撮影禁止

皆神山に関する展示は、山を取り巻く地域の寺社の仏像など。
昔から皆神山は修験者の山。
オカルトの下地はあったようです。
展示物にオカルトの匂いは全くありませんでしたが。

松代は、戦国時代に上杉が信州攻略の前進基地としての松代城を築城した場所で、徳川になってからは明治まで真田氏が領主を務めた場所。
戦時中に大本営の移転場所が作られたり、特別な場所だったようです。

いろいろと勉強になった長野市博物館への旅でした。

塩尻市立 平出博物館

切通しの中ごろに博物館はあった。
縄文の世界が残っていた。

塩尻市郊外の平出博物館に行ってきた。
5000年の時を奏でる縄文遺跡の中にそれはあった。

博物館へのルートは塩尻市街地を抜け、住宅地から田畑の広がる低地を走ると、道は山すそへと至りやがて切通しを通る。
右手に岩をくりぬいたような奇景があったと思うと、緑滴る木立に博物館が建っている。

周りは縄文遺跡。
竪穴住居が復元され、古墳が発掘保存された公園になっている。

縄文時代から平安時代にかけての大集落跡があるという平出地区。
今では塩尻郊外の農村風景が広がっている。
土器や遺物が畑から出土したという。

係の人が一人しかいない博物館。
出土したという五重の塔に驚かされる。

館内を見てゆくと立派な銅鐸や鳥型の硯の出土品がさりげなく展示されている。
これって国宝に近い出土品なのではないか?状態もいい。

ゆっくり館内を見て外へ出る。
折からの雨模様。
係の人は雨だったら傘を貸しますよ、と言ってくれる。

竪穴住居の復元。
古墳の保存。
人気のない公園内を歩く。
保存状態の良さがうかがえる。

茅野の尖石遺跡もいいが、塩尻の平出遺跡も地元が力を入れて保存しているのがわかる。

手書きのマップをもらう。
今度はこのマップを片手に半日ゆっくり歩いてみたいと思った。

絢爛!県内ローカル新聞 「市民タイムス」

県内を歩いていてコンビニに入り、新聞ラックを見たとき、そこにあるのは全国紙だったり、スポーツ新聞だったり、あるいは県最大の信濃毎日新聞だったりします。
が、地域によっては見たこともないローカル新聞が売られています。

塩尻のコンビニで売られていたのは「市民タイムス」という新聞。
買ってみました。

「市民タイムス」令和5年5月14日。第一面

松本に本社がある市民タイムス社は、安曇野、塩尻に支社があります。
松本安曇野地域をカバーする新聞のようです。
月ぎめ2130円、1部売り100円です。

地域別のニュース欄。朝日地区のトップニュース。

トップ記事の早乙女姿の娘さんによる田植え姿の写真がインパクト大です。
安曇野市の神社の式年遷宮祭の記念行事とのことです。

神仏が息づき、神事が行われ続ける信州らしさを感じます。
年配の方は田植えのことを「お田植絵」と言ったりする土地柄です。

ほかのニュースでは、AC長野と松本山雅のサッカー信州ダービー対決をのぞき、ほとんど地域のローカルニュース。
全国で話題になっている事件が一切出ていないのが心地よいです。

子供向けのページもあります

「口差点」という読者投稿欄には94歳になる神奈川県在住のご婦人による、松本蟻ケ崎高校(女子高)時代の思い出がつづられていました。
当時女子学生のあこがれだった、旧制松本高校生。
その松本高校には、のちの小説家・辻邦生が在学しており、演劇祭でスターだった由。
辻に憧れた演劇女子高生だったご自身の思い出を記されています。

松本高校の青春については、北杜夫「ドクトルマンボウ青春記」に印象的に描かれていたことを思い出しつつ、このご婦人の投稿を興味深く読ませていただきました。

投稿欄「口差点」

地域の市民向けに発行されている「市民タイムス」。
これからも貴重なニュースを発信し続けてほしいものです。

この日の広告より

諏訪湖の浮城 高島城

桜の季節が終わった頃の雨の日、諏訪市にある高島城へ行ってきた。

秀吉の家臣が築城。
のちに関ケ原の戦いで戦功を得た地元諏訪氏がの居城となったお城。

かつては諏訪湖に面し、湖畔に浮くように建っていたという。
明治維新で廃城となり、天守閣なども壊されたが、昭和40年代に地元の募金によって天守閣が復元されたという。

高島城

お濠には名残の桜の花びらが残っていた。
門をくぐり城内へ。

普段は市民が三々五々集まる城址公園には人の姿はなく、八重桜と枝垂桜が花見シーズンのラストを飾っていた。

市内中心部に立派なお濠がめぐらされている
お濠に浮かぶ名残の桜
お濠を渡って城内へ、冠木門をくぐる
場内は公園になっている。八重桜が咲いている

天守閣へ登ってみる。
3階建ての閣内。1階と2階は高島氏の歴史、郷土史などを展示する博物館になっている。

3階が展望室。
この日は雨で諏訪湖方面は展望が効かず、もちろん富士山なども霧の彼方。
晴れた日の展望は絶景であったろう。

高島城天守閣
城内には諏訪市の遺物などが展示されている
3階の展望室から望む。諏訪湖方面は霧にむせぶ

1、2階の展示室には、甲州街道の錦絵のレプリカがあり、当時の凍った諏訪湖の湖面を歩く旅人の姿等が描かれていて興味を誘った。

歴史を感じるお濠。
諏訪湖方面をバックにそそり立つ天守。
落ち着いた城内公園。
諏訪の歴史と分化を味わえる場所だった。

お濠岸に見る天守閣
城内にある諏訪護国神社。もちろん御柱が立っている

諏訪市美術館「旅する視線」

諏訪湖畔の諏訪市美術館へ行ってきました。
「旅する視線展」が開かれているのをチラシで知ったからです。

ポスターの題材に「漁村」

片倉館が建つ敷地内に諏訪市美術館はあります。

片倉館は製糸業で.財を成した片倉財閥が戦前に建てた洋風建築で、本館と温泉施設を持ちます。
製糸工場の女工さんたちの厚生施設として建てられたという洋風の千人風呂は現在では地元、観光客に解放されており、750円で入浴できます。
どっしりした館内には食堂、休憩室などがあり一見の価値があります。

片倉館本館
片倉館千人風呂

これら施設と同じ敷地内に建つ諏訪市美術館は、和風の外観を持つ建物です。
歴史を感じる点では片倉館と対をなし、風景的にマッチもしています。

美術館全景
美術館入り口

美術館に入館します。初めての入館です。
1階の展示室には、地元出身の彫刻家のコレクションが並んでいます。
写真撮影OKとのことです。

1階の彫刻展示

2階が目指す「旅する視点」の展示でした。
「旅」をメインテーマとした絵画作品などが展示されていました。
地元出身の作家の作品が半分はあります。
チラシにあった「漁港」という作品も見ることができました。

「漁港」には1943年当時の風俗が画化の視点を通して描かれており、当時の日本に点在したであろう、辺境の漁村の空気感がよく出ていました。
写実的というか、わかりやすい点描の中に「時代」と旅の郷愁が保存されているようでした。

その他の作品も立派な作品ぞろいでしたが、芸術家の解釈、主観が前面に出ているものも多かった印象でした。
山小舎おじさんは「旅する視点」展に勝手に民俗的色彩を期待していました。
民俗学者の宮本常一が日本各地で撮った写真のような。
そういった写実的な作品もありましたが、当然ながら美術作品では作家の解釈、主観が入りますので、民俗学とは違いました。

片倉館構内の庭

芸術家の解釈、主観は別な意味で興味深いものがあります。
これからは各地の美術館を訪ねるのも楽しみになった山小舎おじさんでした。

諏訪湖畔に残る八重桜
この日の諏訪湖

2023高遠城址公園さくら祭

「天下第一の桜「といわれる高遠城址公園の桜を見てきました。

令和5年の4月。
信州も各地で桜の満開を伝えています。
今年は高遠へ行ってみようと軽トラに乗りました。

茅野から杖突街道を高遠まで走ります。
杖突峠を下ると、集落が街道沿いに点在する風景が見られます。

桜の季節の集落は夢のような風景でした。
人家の庭、川の堤防沿い、公民館などの建物沿いを春の色合いで満開の桜が彩っていました。

この日の杖突街道は観光バスを筆頭に乗用車が車列を作っていました。
高遠の街に入り、城址公園の臨時駐車場に着くまで車列は続きました。
全国ナンバーの車が集まっています。

駐車場へ向かう車列

駐車場に軽トラを置き、城址公園へ向かいます。
入場者が三々五々集まっています。
入場料を払い園内へ。

入場門は城跡に建つ「高遠閣」の脇にある

園内はソメイヨシノが満開で、花弁が散り始めています。
メインルートに沿って並び立つ提灯が花見らしさを誘います。
お祭りには欠かせない屋台も並んでいます。

テキヤの屋台が並ぶ
茶店も何軒かオープン

城址公園には2、3の櫓や城門などが復元されています。
郷土の出征兵士の霊を慰める忠魂碑もあります。

忠魂碑
城内のくぼ地の沼に桜の花びらが

このお城は武田氏の居城で、信玄亡き後、信濃を攻めた織田信長軍に最後まで抵抗して落城した場所です。
その後、城主は変わり、ご多分に漏れず明治維新後に取り壊され、現在に至っています。

西側には天竜川沿いの伊那の街の向こうに遥か中央アルプスが望めます。
こじんまりとした城内ですが、廃城後に桜を植え、桜で町おこしをしたのは正解だと思います。

雲で見えないが中央アルプス方面を望む

まだ昼間だからなのか、シートに座って花見をするグループはほとんど見られず、三々五々歩く観光客がほとんどでした。

珍しく1組が花見の真っ最中

昼になり、軽トラを高遠市街に回して蕎麦屋を探しました。
高遠は高遠蕎麦でも有名です。
しかし目指す蕎麦屋は観光客で並んでいました。
その向かいの蕎麦屋も同じ。

そこで別の食堂を探しました。
並ばずにソースカツ丼をいただきました。
これで1000円はお値打ちです。

目指す蕎麦屋は並んでいた・・・
別の食堂でソースカツ丼!

午後は伊那へ下り、かねてから気になっていた森本という地元の菓子店へ。
山小舎おばさんがお気に入りの草餅などを買いました。
いつもは直売所で手に入れる草餅を本店で買いました。
この日行われた入学式のお祝いの赤飯の注文が積み上げられている森本菓子店の店内でした。

伊那の森本菓子店
草餅、どら焼きなどをチョイス

帰り道ではいつもの直売所へ。
南箕輪村のあじーなです。
山小舎おばさんが最近凝っている手作りこんにゃくや、地元産の原料で作ったラー油などを買いました。

帰り道はいつもの「あじーな」へ
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春本番を前にした高遠、伊那地方の旅でした。

茅野市八ヶ岳総合博物館

山小舎から茅野に下りて、街中に至る途中に、諏訪東京理科大学の校舎があるのだが、そこに隣接して茅野市の博物館がある。

春の一日、山小舎おじさんは、八ヶ岳総合博物館に2度目の訪問をしてみた。
山小舎暮らし数年を経てからの再訪は、前回の訪問より地域への理解が進み、興味を引く内容が増えている?と思ってのことだった。

入り口には御柱を曳く際の用具が展示されている。
去年は7年に一度の御柱祭の年。
茅野は古い歴史を持つ、諏訪大社上社へ納める御柱8本が、八ヶ岳から引き出されて通る途上にある町。

茅野八ヶ岳総合博物館入り口
下社御柱の引手

入館する。
大人310円。
入館券を買っていると女性の職員が出てきたので写真撮影の可否などを聞く。
入館者はほかに一人だった。

展示内容は、八ヶ岳の造山、地形、河川、温泉などをジオラマで展示するコーナーに始まり、生物関係、縄文遺跡関係、民俗学的な生活用具・地場産業、御柱祭、八ヶ岳山麓の農業用水堰を作った地域の歴史的偉人・坂本養川のコーナーなど。
それぞれが簡潔にまとまっている。

八ヶ岳の地学的ジオラマ
ニホンカモシカのはく製
縄文関係の展示
多数の機織り機が並ぶ民俗学展示コーナー

茅野と八ヶ岳といえば縄文遺跡の本場として、石器、土偶などが出土しているのだが、八ヶ岳総合博物館の縄文に関する展示は比較的あっさりしている。
茅野の博物館としてはもっと縄文にこだわっても、とは思ったが、尖石遺跡の近くには国宝の縄文のビーナスを展示する尖石考古館がある。
こちら茅野市の博物館は総合的な展示を、というわけだと納得。

山小舎に数年住んで、茅野へ下りること数知れず、の山小舎おじさんでも、坂本養川と農業用水堰のことは知らなかった。
御柱祭のことでも、下諏訪町にある諏訪大社下社の木落としの光景にはニュースなどでよく接してはいるが、肝心の上社の御柱祭の里曳き、木落し、川越しの風景を見たことはなかったので、この博物館のビデオで見ることができて貴重だった。

八ヶ岳山麓で農業用堰を作った坂本養川のコーナー
堰についてはビデオで再現されている
下社御柱祭の展示も
茅野市内の木落坂での木落のしの様子

博物館の周りは、芝生が広がり、広い駐車場が隣接している。
天気がいいと北八ヶ岳の山並みを望むことができる。
八ヶ岳総合博物館は、小学生から大人まで楽しめる知のワンダーランでだった。

望月の弁天窟

佐久市望月地区は中山道望月宿があったところ。
現在でも、地区の旧中山道沿いには宿場の名残の古民家などが残る。

映画「犬神家の一族」に登場する那須ホテルのロケが行われた旅館はここ望月にある。
中世より馬の産地として、牧が置かれ、御牧の地名も残る。
大戦末期にはなんと陸軍士官学校がこの地に移転したこともあった。

望月の街を望む

その望月の中心部を離れた川沿いに弁天窟がある。
11月のある晴れた日、車を止めて付近を歩いてみた。

弁財窟

川に突き出した岩壁に掘られた岩窟。
説明書きによると、室町時代に琵琶湖の竹生島の弁財天を勧進したものという。
中世の信州のこの地に、近畿地方の弁財天を勧進せしめる何があったのか。

まだ中山道が整備されるはるか前。
東山道という当時の東国街道の流通によるものか、あるいは馬の生育により中央に貢献したことに由来するものなのか。

残念ながら弁財窟には通路が閉鎖されたどり着けなかった。
山を回って反対側に下りればたどりつけるのかもしれなかったが。

弁財窟の上方には山道が続いており、たどってゆくと豊川稲荷と書かれた鳥居が現れた。
奥には立派な神楽殿もある。
この山一帯が地域の神域なのだろう。

岩窟情報にある稲荷神社
鳥居の奥の神楽殿

足元を見ると丸々としたどんぐりの実がたくさん落ちていた。
孫がどんぐりの実を欲しがっていたが、山小舎周辺では、鹿などに食べられたのか、はやどんぐりの実は姿を消していたのだった。

軽トラに取って返し、ビニール袋を持ってきてどんぐり拾いをした。
珍しい岩窟が見られ、どんぐり拾いまでできてうれしい秋の日だった。

山には紅葉が広がっていた

中山道シリーズ第八弾 追分宿

軽井沢へ行ったときに追分宿に寄ってみた。

追分宿は中山道六十九次の第二十次。
江戸方面からでは沓掛宿の次にあたり、この後、北国街道と別れ小田井宿へと向かう。
上野国(現群馬県)から碓井峠の関所を越え、軽井沢宿で信濃国(現長野県)に入り、2つ目の宿場が追分宿。

渓斎英泉画「木曽街道六十九次」より追分宿。背景はデフォルメされた浅間山

現住所は軽井沢町追分になる。

国道18号線を西に向かい、しなの鉄道中軽井沢駅を過ぎ、信濃追分駅のあたりに、国道から右に分かれる道がある。旧中山道だ。

入ってすぐ左手にある広い無料駐車場に軽トラを止め、中山道を散策してみる。

駐車場からすぐのところにある堀辰雄記念館。本陣の裏門を移築したという
常夜灯と流れる小川

軽井沢歴史民俗資料館で聞いた通り、古民家が並んだ風ではない。
現代風の民家がぽつぽつと建ち、中には今風の飲食店も見られる。
神社や仏閣は当時のままなのだろう。
観光客の姿はほとんどない。

宿場の歴史的景観はとうに失われ、そこに住んでいたであろう住民の民家もまばらになった通りを歩いていると、右手に校舎のような公民館のような木造建物が見えた。
寄ってみると、脇本陣を旅館に転用した油屋という建物だった。
旅館は廃業しているが、地元の若い人がカフェなどで活用しているようだった。
既に冬季休業中だったが、面白そうな場所だった。

脇本陣の後に旅館だったという油屋の建物
油屋の側面

泉洞寺というお寺の入り口に、「歯痛地蔵はこちら」という看板があった。
当地ゆかりの文学者堀辰雄が愛でたお地蔵さんだという。
珍しいので境内に入ってみることにした。

泉洞寺山門

山門をくぐる。
両側に菊が生けられ、垂れ下がるもみじも見事なお寺。

境内の鐘突き堂歯痛地蔵

墓地の片隅にある歯痛地蔵にたどりつく。
なんということはない石像だが、地蔵さんとしては珍しいフォルム。
墓地には三々五々、お墓参りの人の姿があった。
表通りより人出が多かった。

歯痛地蔵

北国街道と分岐する「分去れ」まで、駐車場からゆっくる歩いて15分から20分の距離。
いろいろ道草をして小一時間の行程だった。

分去れに近いラーメン屋の上に物見やぐら風の造作物があった

宿場時代の建物はほぼなく、ここまで時代の洗礼を受け、景観も人の営みも変遷してきたことがうかがえる。

残った古民家風の建物はリノベーションされてカフェとして再生されたものもあったが、追分宿そのものは、休館日だった「追分宿郷土館」の中にしか残っていないのだろうと想像できた。

古民家風カフェ
古民家が残っていた

諏訪大社と神宮寺

下諏訪町にある町立諏訪湖博物館と諏訪市の諏訪市博物館がコラボして、「諏訪信仰と仏たち」という特別展示をしているので行って見た。

下諏訪町立諏訪湖博物館の「諏訪信仰と仏たち」のちらし

まずは諏訪湖畔に建つ、下諏訪町の町立諏訪湖博物館へ。
こちらは、地元出身のアララギ派の詩人、島木赤彦の記念館と併設した建物。

博物館の展示内容は、諏訪湖の遺跡や自然、漁業方や道具の展示解説がメイン。
今回の特別展は別室に展示されていた。

博物館前景
常設展示室

特別展移管しては撮影禁止だった。
内容は諏訪信仰の解説と、神仏習合時代に諏訪大社下社秋宮に隣接していた神宮寺についての解説。
下社神宮寺には三重塔まであったという。

秋宮の向かって右奥、今の駐車場の場所から奥に神宮寺はあったとのこと。

また展示内容として、諏訪信仰と切っても切れない鹿食などの肉食の習慣についての解説があった。
それによると、諏訪の神様というのは戦いの神で、武家からの信仰が厚かったため、武家が行う狩猟を仏教などの信仰に適合させるための方便として発達した、との解説だった。

後日、諏訪市博物館へも行って見た。

諏訪市博物館の「諏訪信仰と仏たち」ちらし
博物館前庭にある足湯

こちらも別室に特別展示を行っていた。

諏訪市にある上社本宮と茅野市の前宮の間に神宮寺が立ち並んでおり、門前町が栄えていたとのこと。
今は本宮に隣接する法華寺だけが旧神宮寺として残っているそうです。

長い神仏習合時代には、諏訪大社上社にも寺院や宿坊が存在したこと、明治維新後の神仏判然令により廃仏毀釈運動が起き、寺院が壊され、仏像が廃棄されたこと。
寺院は壊される前に測量して図面が残されており、仏像は別の寺院や神社に隠されたこともわかります。

図面により再現された上社神宮寺の五重塔の模型や、神宮寺の絵図などには歴史の重みを感じます。

ロビーに展示されている上社神宮寺五重塔模型

諏訪市博物館には常設展示物としいて、廃仏毀釈を免れた如来像などもあります。
また、諏訪信仰に対するこちらの博物館の解説のトーンとして、信仰の本質を単に戦の神様としてとらえるのではなく、もっと古い土着の信仰としてとらえているような気がします。
諏訪大社の上社と下社の歴史、風土の違いなのでしょうか?