早春の信州へVOL1 山小舎と畑の様子

三月のお彼岸。
今年初めて山小屋へ行きました。
カミさんと同行の旅でした。
4月からの山小舎おじさん、3シーズン目の滞在を前に、冬を越した山小舎の様子を見てきました。

山小舎に春近し

三月下旬の山小舎の周りです。
今年は雪が少なかったそうです。
雪の少なかった去年よりさらに少なかったとのこと。
訪れた日は暖かく、地元の人は4月の陽気、といっていました。

山小舎の内部。
いつものたたずまいで我々を迎えてくれました。

例年より暖かいとはいえ、3月の山小舎に暖房は欠かせません。

今年は水回りの凍結がないのは幸いでした。

シーズンを待つ畑の様子

まず、去年から借り始めた畑へ行きました。
玉ねぎは冬を乗り越えていました。
近所の畑のものより若干たけが短いのは、冬の追肥がなかったせいでしょうか。

にんにくはたくましく伸びていました。

小松菜も少しながら生き残っています。

こちらは中山道沿いのフェンスに囲まれた、3年目の畑です。
土たちが作付けを待っているように感じました。

今年から新しい畑が1反歩増える!

息子が務めている先で藍染めをやる人がいて、原料のタデ藍を探していることを聞き、山小舎でのタデ藍の栽培を志願してみました。
ということで、今回の長野ツアーの目的の一つは、タデ藍栽培用の畑探しでした。

事前に畑の大家さんにラインを入れ、畑探しの相談がてら、新年度のあいさつに伺う旨を伝えておきます。
約束の時間に訪れると、ほぼ2年ぶりに会う大家さんが、その足で新しい畑に案内してくれました。

思わぬ新展開です。
大家さん所有の畑4枚(約1反歩=330坪)を使っていいとのこと。
あまりの展開の速さにびっくり。
いきなり畑の面積が300坪以上増えるのにもびっくり。

タデ藍どころか、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、ヤーコン類が果てしなく作付けできそうです。
問題はおじさんの体力だけです。
大家さんにはただただ感謝です。頑張るゾウ。

早春の蓼科山に夕日が映えています。

白樺湖水は一部凍結が残っていました。

その日の夕食。湯豆腐です。
地元の鶏もも肉でだしを取り、思いのほかのうまさでした。

地元パワースポット訪問記VOL.3 諏訪大社本宮で今年を感謝

諏訪大社は全国的に有名だ。
信濃国一之宮というから、西暦1000年前後から、すでに信州における神社の筆頭格だった。

また、全国の諏訪神社の総本社という。
神社の系統は、白山神社、八幡神社、などなどあるが、その一つ諏訪神社系統の筆頭である。

創建年代は不明というほど古い。
祭神は、アマテラス、スサノヲなど天孫系の神様ではなく、オオクニヌシの息子というから国津神系。

渡来人が律令国家を形成し、天孫系の天津神をまつるようになる前から、縄文系の地元民がその神をまつる場所だったようだ。

4か所ある諏訪大社の本宮が諏訪市にある。
市内には、ほかに前宮があり、下諏訪町には、下社春宮、下社秋宮がある。
前宮は創建時の原始的な雰囲気が残る場所。
下社はそれぞれ観光名所となっている。

今日は思い立って本宮に参拝。
参道に出店も並んでいる。

立派な鳥居をくぐる。

手水舎で手を洗う。

本宮には御柱が4本立っている。

参拝路に沿って進み、参拝殿からご神体を望んで二礼二拝。

おじさんは、長野での田舎暮らしの今年の無事を感謝した。

ついでに宝物殿で代々の宝物を鑑賞。
宝物には、数々の歴史上の第一級資料のほか、神社のハンコや日本刀などもあった。
すり減った大昔からのハンコは明治になるまで使われたという。
ハンコは、単なる祭祀用だけではなく、時の政権との連絡など、行政手続にも使われていたようだ。

神社がかつて信仰の対象としてだけではなく、具体的な行政の一端を担っていたことがうかがわれる。
日本刀とは、行政組織としての「力」の裏付けの象徴か?

ちなみに、宝物館のチケットは、お授け所で巫女さんから買う。

この時、巫女さんの凛とした口調のきれいな標準語に接して、おじさんは襟を正さざるをえなかった。
そう、ここはほのぼのとした田舎の神社などではなくて、日本国の設立のころから、その精神的、歴史的な中心のひとつだった場所。

東京などよりよほど古い歴史と精神文化を、巫女さんが象徴するこの神社は誇っているのだ。
これは、先日、前宮を訪れた時に、話を聞いた宮司さんの口調、醸し出す雰囲気と同じだった。

大きな神楽殿の奥には巨大な太鼓が2張りあった。

全国から寄せられる絵などの進物を展示する建物も。
砲丸の進物は戦争時代の象徴か?

これらの進物からは、諏訪大社が民心から遊離した独善的な存在ではないことがうかがえる。

県内の地酒の樽が並ぶ。酒蔵は諏訪大社の有力なスポンサーだろう。

本宮には本殿がない。
背後の山自体が本殿で、パワースポットとされる。
堂々たる広い社内。

恐るべし諏訪大社。
来年もまた山小屋暮らしの無事を祈って訪れよう。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.2 蓼科別荘地と蓼科温泉

八ヶ岳中信国定公園の中心部に近く、古くからの別荘地で有名な蓼科という土地がある。

温泉が湧き、旅館街を形成し、街の金持ちが別荘を建てた場所。歴史は古い。
今では東急リゾートがゴルフ場などを大規模開発。
ふもとの茅野からのルートであるビーナスラインは交通量も多い。
おじさんの山小屋からは割と近いのだが、これまであまり行ったことがなかった。
今回軽トラで半日散歩としゃれこんだ。

小津安二郎ゆかりの別荘を訪ねる

茅野駅前の商業ビル内の小津安二郎コーナーの一角では、古い(戦前の?)蓼科の映像が流れている。
ボンネット式のバスが坂道を登ってゆき、温泉宿では若い女中さんたちが笑っている。
古い観光絵葉書のような光景の中には活気が感じられた。

映画監督の小津安二郎が蓼科の別荘で毎年脚本を書いていたのが、昭和30年代から40年代にかけて。

無芸荘という建物は執筆用ではなく、迎賓用に使われた別荘とのことで、立っていた場所から中心地のプール平に移築された由。

小津監督と蓼科のご縁は、蓼科高原映画祭という形で地元に残り続けている。

共同湯・蓼科温泉へ入湯

古い映像に残る蓼科温泉街の活気は今は面影もない。
古い旅館が少し残るだけ。

水の流れは変わらない?

共同湯・蓼科温泉へ入ってみた。
熱めの湯。かすかに硫黄臭がする。500円。

管理人のおばさんと話す。
中心部のプール平の由来とは、かつて温泉プールがあったからとのこと。

かつては道の終点だった、蓼科温泉街もビーナスラインが、車山や美ヶ原の方まで通って、泊り客が減ったとのこと。

ふもとの東急リゾート開発のゴルフ場や、温泉街のホテル、旅館も経営は苦しいようだとのこと。

また、住んでいる別荘族も高齢化で、温泉に集まる様子は養老院のごとし?とのこと。

温泉自体は源泉から引いた60度のお湯をそのまま使っており、時々ゴボッと湯が沸くような音がする。
熱かったが、加温した湯を使う、最近の大規模な温泉施設に比べると本来の温泉らくて良かった。

ついでに奥蓼科温泉郷を覗きに行く

蓼科温泉を出て、ビーナスラインを白樺湖方面に進む。道路わきに別荘が点在する。
学校や企業の保養施設の看板も目立つ。
おじさんの住む別荘地に比して、メジャーな雰囲気がする。

奥蓼科温泉郷という場所がある。
蓼科温泉から、さらに八ヶ岳連峰の懐に入ったところ。ついでに行ってみた。

ビーナスラインから林道を抜け、メルヘン街道という、八ヶ岳横断道路をまたぎ、湯の道街道という道に出る。
渋温泉というところで行きどまりになる道だ。

最初に現れたのが、信玄の隠し湯の謂れの、辰野館。
大規模な一軒宿で木造三階建の造り。
寂れた休館を撮影。

ここから道を進み、どん詰まりにあるのが渋の湯。
山懐の温泉。

二軒のうち一軒はつぶれていた。

バス停もあった。1日3本の便。

ビーナスラインを走る

ビーナスラインは、茅野の中心部から、蓼科温泉を抜け標高1700メートルの高原を走り、白樺湖へ降りる。

さらに大門峠を横に抜けて、車山高原から美ヶ原へ至る。

天気が悪いと霧が立ち込めることもある高原の道。
蓼科山の麓を半周して今日の小旅行を終えた。
寒いというより冷たさが身に染みる時候だった。

 

茅野の古民家カフェに行ってきました

茅野市東部の泉野という地区に、古民家カフェ・Mさんちがある。
定年おじさんは2017年広報ちの11月号で知った。
その号の「移住してよかった茅野市に」という特集で紹介されていたのだ。

訪れたのは2017年に続き2回目。
Mさんちもその年の3月に移住したばかりだった。
若い働き盛りの夫婦。
ご主人は日中務めており、奥さんがカフェを運営。
神奈川より移住とのこと。

泉野という地区は、標高1000メートルに位置し、かつては養蚕が盛んだった。
大きめの集落の中心部にある、築150年の古民家ともども敷地600坪を購入して移住し、古民家をリニューアルしてカフェをオープンした由。

移住者の話を聞きたくておじさんは再訪した。
干し柿がすだれをなしている屋敷の表。

聞けば庭の柿を採って干したとのこと。
これだけ干すのは大した仕事量だ。

敷地の半分が畑とのことで、去年は耕していなかった畑が半分ほど耕されている。

燃料用の廃材や丸太もカットされている。
平日勤めながらの作業。
田舎暮らしの楽しみとはいえ、時間のない中での慣れない作業であろう。

古民家の内部は、床を張り替え、壁を塗り直しただけで、柱、梁、天井はオリジナル。

本格的リフォームを施しているので、おじさん宅の古民家とはグレードが違う。

庭に面したガラス張りの引き戸がいい。
庭に面しておひさまの恵みを取り入れている。
道路に面しては閉鎖的な日本の家屋の、中に入ってみなければわからない開放性だ。
町の家っぽい感じがする。
常に底冷えがするおじさんの山小屋と比べてはいけないが。

奥さんに話を聞く。
田舎暮らしをするにあたって、別荘などではなく、集落への移住を考えていたとのこと。
まだ若い生産年齢世代の物おじしない行動力を感じる。物件は不動産屋で見つけたとのこと。
借家ではなく、買取。

地域にはよくしてもらい、行事には参加し、問題はないとのこと。
カフェのお客も地域の人が主だとのこと。

おじさんのような定年後の年代のような、おっかなびっくりさはない。
「こだわりなく、生活に突き進む」現役世代と「細かいことにこだわって後ろ向きな」リタイア世代の差であろうか。

定年おじさんも若い世代から刺激を受け、心をリフレッシュしてゆかなければ。

敷地はほぼ平面で、使い勝手がよさそうで今後の楽しみが十分ある。
若い世代の地に足を付けた生活を応援したい。

茅野の街を歩く VOL.1

茅野市は、諏訪湖の南方に位置し、白樺湖までを領域とする。
国道20号線(甲州街道)、中央自動車道、中央本線に接し東京都へのアクセスも良い。
新宿発の特急あずさの停車駅でもある。

八ヶ岳連峰の北端に接し、古くからの別荘地である蓼科高原への玄関口でもある。
また、佐久方面、上田方面への峠越えの起点でもある。

山梨県の清里、小淵沢から発し、長野県に入って富士見、原と続く高原リゾート地帯の終点でもある。
この一帯は、移住者、別荘族の楽園の地といわれる。

人口は55,000人。
後発の市ながら、近隣の諏訪市、岡谷市を人口数で抜き去ったと聞く。

定年おじさんの山小屋への玄関口が、中央自動車道の諏訪南インターで、ここで降りて、原村、茅野と通り、国道152号線で大門峠を越えて着く。
おじさんの山小屋は行政的には、上田のエリアに属するが、心理的には茅野への親近感が強い。
茅野が東京ナイズされた町だからだろうか?
距離的にも茅野に行く方が近い。

茅野駅をを仰ぎ見る

茅野の中心街は?
駅周辺であろう。
駅舎は立派だが、いわゆる雑居ビルとしての駅ビルはない。
通路でつながった商業ビルはある。
また、駅に隣接して市民会館がある。

地方都市の常として、役所、公共施設は町で一番立派な建物であることが多いが、茅野で一番立派な建物は市民会館だ。
蓼科高原映画祭のメイン会場にもなり、最新の設備を誇っている。
駐車場は3時間無料である。

駅舎は市内で出土した土偶をメインにレイアウトしている。国宝である。

駅から延びる道がメイン道路。
地元出身の小平奈緒選手がオリンピック優勝の凱旋パレードで通った道でもある。

ついでに小平さんが小中学生の時に練習に通ってというスケート場を見る。

夏はゴルフの練習場、冬はスケート場になるようだ。

街の匂いを探し駅前を歩く

アーケード街もなければ、商店が固まってもいない茅野駅前を歩く。
車で通っただけだは、住宅の間に商店が点在するだけの駅前に見える。

ちなみに、スーパーやファミレス、チェーン店などは国道152号線、通称ビーナスライン沿いに固まっている。車の通行量も多い。

「旧市街」には何もないのか?
神社があった。
巨木に囲まれた鬱然たる一角。

犬射原社との看板。
ここらで昔、犬を追って射かける、犬追物が行われた由。諏訪大社の末社とある。
よくわからないがただならぬ雰囲気。

ダウンタウン的な街を探して歩く。
雰囲気がありすぎる飲み屋がある。

市内のめぼしい役所、事業所としては市役所と信濃毎日新聞の支所くらいしか思い浮かばぬ立地。
いわゆるサラリーマンの客層は少ないだろうと想像する。

裏通りに入っても、住宅街に飲み屋が点在する風景が続く。

健全というべきか?寂れているというべきか?

以前、馬油を買った肉屋も駅前にある。
原料は北海道産と言っていた。

郷愁の新星劇場とその周辺

駅近くの線路わきに新星劇場という映画館がある。
蓼科高原映画祭のサブ会場にもなる。
常時上映はしていないが、夏休みにアニメをやったり、スポンサード映画を上映したりしている(幸福の科学作品など)。

今日は上映予定のポスター掲示もなく寂しかった。
天井の高い場内と大スクリーンの映画館らしい映画館である。35ミリ映写機も備えている。

ここら辺に飲み屋が2,3軒固まっていた。
思わず撮影。
おとなしい?町にしてはキャッチーな店名の元気な一角だ。
チャンスがあればここら辺で飲んでみたいが、そのチャンスがなかなかない。残念。

県民のソウルフード、テンホウで昼食

昼食は、「長野県民にとって中華といえばここ!」のテンホウへ。
県内に30店舗以上を展開する長野県発祥のラーメンチェーン。
茅野市内にも3店舗ある。
おじさんも何度か入ったことがある。

まずくはない。材料もケチっていない。
全国チェーンのバーミアンよりは余程良心的。

市役所前の店舗に入る。
13時過ぎでほぼ満席。
家族連れ、サラリーマン、外国人と客層も万遍ない。

お勧め定食をチョイス。780円。

見ると、食後に150円のソフトを注文する人が多い。
長野県民のソウルフードとして定着しているように見える。
埼玉県民にとっての山田うどんのように。

娘一家に野菜を送る

収穫した野菜が新鮮なうちに野菜を送ることにした。
3歳と0歳の娘二人を育てている娘宅に、応援の秋の野菜セットを詰める。
おじさんの畑からの贈り物だ。

このほかにリンゴを1袋買って追加して送った。
喜んでくれるだろうか?

 

ご近所立寄り湯めぐりVOL.1 鹿教湯温泉に秋を探す

長野は山国だから温泉天国です。
温泉といえば群馬県が一番数が多いとか、九州、北海道が有名です。
一方、町々の近場に手軽な温泉場があるという点では長野は有数なのではないでしょうか。
何せ四方八方が山ですから。

全国的なビッグネームの温泉は少なく、せいぜい、別所温泉が有名なくらいでしょうか。
一方、知る人ぞ知る、渋い温泉は多そうです。
また、今はやりの複合施設のスーパー銭湯的な温泉施設は県内各地にみられるようです。

今日は、丸子温泉郷の鹿教湯温泉ということころへ行きました。
山小屋から40分ほどの距離。
今日で、おじさん、3回目の訪れです。

ちなみに山小屋から1時間県内にある温泉はほかにもたくさんあります。
鹿教湯温泉から青木村の間にある、霊泉寺温泉、沓掛温泉、田沢温泉など。
諏訪湖側には、上諏訪の町中に点在する上諏訪温郷。白蓼科山の中腹の蓼科温泉などです。
別所温泉も近いです。

鹿教湯温泉は、鹿に化身した文殊菩薩が猟師に教えたといういわれをもち、国民保養温泉地に指定されています。歓楽的な要素はありません。

今時の地方温泉街の例にもれず、すたれた雰囲気もあるが、文殊堂などの文化財と季節ごとの風景の見事さで一定の人気を保っています。

古い温泉場の雰囲気は残っています。
いたるところに湧水がわき、文殊堂、薬師堂などをめぐると、俗気との隔絶感に浸ることができます。

長野の温泉地に必ずある、共同湯。
鹿教湯温泉の共同湯は文殊の湯といいます。
300円で入浴できます。無色透明な湯。
一度入るとその日は入浴不要なほど温まります。

そばを流れる渓谷のもみじを眺めながら、温泉の恵みに浸りました。

 

極私的信州上田巡りVOL.4 最新街中点描

上田巡りの続きです。
とんかつを食べ、駅をふらふらした後、おじさんは街中へ出ました。
この日は秋晴れの土曜日。寒くもなく、暑くもなく。
観光客の姿も、駅周辺や古い町並みが見られる柳町界隈にちらほら。
おそらく上田城もたくさんの人出でにぎわっていることでしょう。

今日のおじさんの楽しみは、まず、昼食のとんかつ。
それから街中の菓子屋で団子とおやきを買って食べること。
どこかでコーヒーを飲んで休み、上田映劇で、映画を1本見ること。

演劇小屋から出発した、歴史的な映画館・上田映劇が上田の町に残っています。
ミニシアター的な映画作品上映と、貸しホール収入で運営してます。

この日は寺山修司特集。
遺作の「さらば箱舟」を上映しています。
今時貴重な35ミリフィルムでの上映とのことでした。
集客は10人。

寺山修司の映画作品といえば「書を捨てよ街へ出よう」「田園に死す」の自伝的な、実験劇場的な作りがイメージされます。
のちに東映で、菅原文太と清水健太郎の出演で「ボクサー」といういわゆる一般映画も撮っています。

今回見た「さらば箱舟」は、寺山の個人的趣味はわきに置いた、出演者・山崎努と小川真由美の映画になってました。
撮影の鈴木達夫の凝った映像もあり、ますます寺山らしさが、良くも悪くもなくなってました。

ちなみに、フィルム状態ですが、古いプリントに見られる、いわゆる雨降りやコマ切れはなかったのですが、発色が青みが買っていたのが気になりました。
セリフも聞き取りずらかったのはおじさんの老人性難聴のせいばかりではないでしょう。
上映プリントが青みに強いフジカラーだからでしょうか?
音の再生も併せて、デジタルに慣れてきた観客にとって、フィルムでの上映は懐かしくもあり、物足りなくもあるようです。

(街角点描)

かつての盛況の名残か。古い蔵があちこちにみられる。

上田で2軒あった老舗の古本屋のうち1軒が閉店に。

駅前通りの1本裏の銭湯。いい感じです。

手裏剣の選手権まで行われる。

団子とおやきを買いました。

上田名物のうまタレ焼き鳥の店。

極私的上田巡りVOL.3 駅周辺をさまよう

上田巡りの続きです。
生島足島神社にお参りした後は、上田駅を目指しました。
軽トラを駐車場に止め、まず昼食です。
地元で有名なとんかつ屋、力亭へ行きました。
駅前の飲食店街にあります。

鰻で有名な若菜館や馬肉うどんの田中屋の近くです。

ロースかつ定食を食べました。
肉厚なのに柔らかい。
みそ汁、漬物がうまいのも地方の名店らしい。
キャベツがなくなると追加してくれる。
満足感がありました。

上田のとんかつ屋はこれまで、仔豚屋、六文銭、実楽亭へ行きました。
おもてなしするなら、力亭か六文銭。
がっつり食べたいときは仔豚屋。
一人でもう一度行くなら実楽亭です。

力亭を出て、上田駅へ向かいます。

駅ビルにある、上田から揚げセンター。
際物っぽい感じですが、どっこい。地元客が押し寄せるだけあります。

から揚げ定食の満足度は、全国チェーンのバーミアンの比ではありません。
夕方から居酒屋となり、1時間飲み放題で960円とのこと。いつか行かずにはおれません。待っててください。

上田駅舎へ入ります。
JR新幹線としなの鉄道と上田電鉄が乗り入れる駅です。JRが運航するのは東京と金沢を結ぶ北陸新幹線だけです。

群馬県の高崎から、スイッチバックで碓氷峠を越えてきた旧JR信越本線は、軽井沢、篠ノ井間が第三セクターのしなの鉄道に移管されました。

上田電鉄は、もともとローカル私鉄で、上田を中心に今は別所温泉までの一路線を運行しています。

改札近くに立ち飲み屋が出店しています。

今時の地方都市は、街の中心部の商店街には人がいません。
ひとが集まるのは、郊外のショッピングセンターです。でも駅だけは、人がいるのです。

その町の人が集まり、雰囲気を味わえる数少ない場所、それが駅なのです。
駅側もそれなりに集客に努力しています。
大都市の駅ビルほどではないにせよ、商業ビルを隣接させたり、飲食店を誘致したりしています。

地元の人が休み、時間をつぶせる数少ない場所が駅なのかもしれません。おじさんが知らない町で行ったときには、商店街や市場へ行きます。それらがなかったり、著しくさびれている場合は、駅へ行きます。デパートがあればデパ地下へ行きます。どこかに、その町らしさがあるものです。

極私的上田めぐりVOL.2 生島足島神社へ

上田へ行ってきた。
山小屋からみて、一番近い都市は茅野だが、山小屋の住所である小県郡(ちいさがたぐん)は上田地方に属する。

茅野から大門峠を越えると、途端に人気が少なくなり、ローカルな雰囲気になるが、かつては上田は信州の中心地だった。
例えば、江戸時代以降、江戸を出発する五街道が整備される前のこと。
当時の中央、近畿を出発し、東国・陸奥を目指す東山道は上田を通過した。

そのころ各地の中心部に置かれたのが国府や国分寺。
信濃の国府と国分寺は上田に置かれた。
関東は武蔵国といい、国府が現在の府中市に置かれた時代である。

戦国時代には、実戦に強い真田氏の本拠地であったことは有名。

近代にあっても、鉄道が引かれたのは諏訪地方より先。このころは、諏訪の人が東京へ行くのに、一日かけて徒歩で上田に出、汽車に乗ったという。
戦前、県内の遊郭は、長野、松本と上田にだけあったとのこと。
それだけ上田盆地に物資と人が集まり、産業が起きたということだ。

今は、ひっそりとしたローカル都市だが、街の隅々に味があるのは、豊かな時代を経た名残なのだろう。

上田地方の信仰の中心が、生島足島神社。

10世紀の律令時代に編纂された、延喜式に載っているいわゆる式内神社。
成立時期が不明、というほど古い。

本殿の周りを池が囲うという何とも言えぬ雰囲気のある神社で、折々に市民が集う。

おじさんは何度か訪れている。
去年来たときは、神楽殿で小学生の巫女さん3人が舞っていた。
神楽殿のすそでは、巫女デビューする後輩を見守る中学生くらいの女の子たちが舞いを見守っていた。
伝統が継承されているのを感じられたものだった。

山小屋の毎年のお守りは、ここと、諏訪大社でもらうことにしている。

諏訪と上田の二大古社に毎年挨拶しているわけだ。

この日は七五三で、本殿で祈祷を受ける家族連れが並んでいた。

いつ寄っても、堂々として気品のある所なのがいい。

境内の直売所を覗いてみると、柿やリンゴを中心に、付近の農産物が売られていた。
細長型の渋柿が15個も入って250円だったので買った。干し柿を追加する。

 

定年おじさんの 極私的上田めぐりVOL.1

上田市はおじさんの住む別荘地の行政的な中心地。
距離的には茅野市のほうが近いけどね。

上田で食事

上田といえば真田。だが、食べ物もうまい。
蕎麦、鰻、とんかつが有名だが、五目焼きそば、ラーメン、洋食もうまいところがある。

今回食べたところはカレーで有名なベンガルのポークカレー。正統派の味です。
付け合わせのサラダは、大きめに切ったコールスロー。何気ないところも手抜きしない店はいい。

蕎麦の刀屋も有名店。

五目そばの福昇亭は、いつも満員。

信州はポークもうまいが、上田中心部で地元の客が引きも切らないのが、こぶたや。
荒いパン粉に、決して柔らかさ一辺倒ではない、大きな肉。いやというほどとんかつを味わえる。

こぶたやの力強い看板。

鰻は駅前の若菜館かな。
名物馬肉うどんは、駅前の田中屋で食べられる。
新しい名物では、駅ビルのから揚げセンター。決して際物ではない。

夜のメニューはタレ焼き鳥が有名だが、おじさんはまだ上田で飲んだことはない。残念。

上田のデザートは?

地元っ子の甘味のソウルフード。富士アイスはいつも並んでいる。
今川焼を箱で買う人が多い。小型のソフトクリームが150円。

おやきや団子のやまざきや。
おやきの皮がもっちりしてうまい。おじさん、おやきに慣れていなかったが、ここのおやきを食べて好きになった。

ほかにも、みすず飴や、長野市本店の竹風堂のどら焼きなどもうまい。

上田では上田映劇を見逃すな

古いものが残る街、上田では昭和な風景が渋く残っている。

中心部で異彩を放っているのが、大正6年に芝居小屋からスタートした上田映劇。現役の映画館。
「あさくさ雷門ホール」の看板は、全国各地に銀座と名乗る繁華街があるのと同じコンセプトか。

街中の古い造りの元商家が、祝日を祝う。

今は廃業した造り酒屋。

こんな小路もある。

北国街道沿いの歴史の町

上田はすぐ近くに信濃国分寺があった場所。
かつての信濃国の中心地だったわけ。
新潟へと抜ける北国街道に面してもいる。

北国街道沿いにかつての面影が残るのが、柳町通。
岡崎酒造では地酒の亀齢を造る。真面目、正直な味わい。

隣には天然酵母パンで有名なルヴァン。

街の風景に溶け込んだような銭湯。

町の中を川が流れるのも風情。

一方、人口比で飲み屋の数が多い上田は、飲み屋街が充実。夜は楽しそうだ。まだ飲んだことはない。