令和元年 台風19号の爪痕

2週間ぶりに山小屋へ戻ってきた山小屋おじさん。
十二指腸潰瘍で4日間の入院やら、台風19号の来襲やらで東京の自宅に待機しておりました。
山小屋が気になっても台風の被害で中央道が不通。
中央本線も相模湖・大月間で不通になっていたのでした。

山小屋周辺はほぼ変化なし

山小舎は無事でした。

積み上げた薪は長雨で湿っていましたが、強風にあおられて倒壊するようなことにはなっていませんでした。ホッ。

しかしというかやっぱりというか、裏の沢が音を立てて流れていました。
普段は水がなく、大雨の後だけ流れる沢です。
山小屋の土台が削れるほどではありませんでしたが。

大門街道沿いの様子

大門街道を上田側へ下ります。
山小屋おじさんが畑へ通う道でもあります。

路面が雨でもないのに濡れています。
山の水が路上にあふれ出しているのでしょう。

山肌が崩れています。
山肌の崩れはこのほかに数か所ありました。

路肩が崩れかかっています。
後日、本格的な補修が必要な崩れ具合です。
街道と平行する大門川の水量も増し、猛々しい水音とともに白いしぶきをあげています。

路上にあふれる山の水。
側溝に流れるよう辛うじてコントロールされてはいますが。

大門川の堰堤が壊れています。
濁流の爪痕が生々しく感じられます。

大門街道が中山道と合流する落合地区では、道路が崩落していました。
道路の復旧まで何か月かかることでしょう。
ここら辺は集落の規模も大きく、崩壊した道路は、生活道路としてまた、白樺湖・茅野方面への幹線道路として重要です。当日、長和町に避難指示が出ていたのは、情報で知っていましたが、これほどとは・・・。

山を下るほど被害が大きくなっています。

平成18年にも大門川の護岸が崩落していますから、大雨の際の濁流のこわさ、濁流が合流してぶつかる時の破壊力の大きさを前にして人間の無力さを思い知らされます。

畑に土石流が来ていた!

畑へ行きました。
まず、大根とニンジンが植わっている畑。
着いてわが目を疑いました。

畑がごろ岩が転がる石原になっていました。
かつての面影はなくなっていました。
土石流が発生したのでしょう。

川が畑の横を流れてはいるものの、高度差が2,3メートルもあり水害は想像すらしませんでした。
だからこそ石垣を積んで段々畑になっていたのでしょう、何十年も前から。

大根、ニンジンどころか、柿の木や梅の木も跡形もありません。
収穫が終わっていた隣の田んぼも無情の石原となっています。
不思議とハウスが残っていました。

段々畑の段も崩れて、川砂に覆われた土地。
この後、大家さんはどうするつもりなのか・・・。
長久保の集落が無傷のようだったのは不幸中の幸いでした。

あと2か所の畑へ急ぎます。
農道が橋のところで崩れて行けません!
畑の横の中山道が片側通行になっています!

それでも何とか軽トラを畑につけ畑へ入りました。
残り2か所の畑は無事でした。

千曲川の堤防決壊、上田電鉄の鉄橋崩落、武石村への橋の崩落など令和元年の台風19号の県内の被害は甚大です。
この台風、全国の死者が80人あって、直撃した東京都の死亡人数が0人というのが象徴的な気がします。

東京では災害にそれなりの準備ができているというか、地方には手が回っていないというか・・・。

「過去に例のない」雨量の台風被害で幕を開けた令和の世。
これ以上は災害のない時代であることを祈って。

夏の終わりの入道雲

今年の夏も終わりです。
東京はまだ残暑の盛りでしょう。

山小屋は朝晩、暖房が恋しい季節となりました。
山は雨が多い夏でした。

茅野にて、入道雲

山小屋おじさんは十二指腸で引っかかり、検査などで三週間近く東京の自宅に帰っていました。
寄る年波、ということなのでしょう。

ここ最近の東京の夏はボイラーの間近であぶられているような具合です。
マジに熱中症に注意しなければなりません。
家では遠慮なくクーラーをつけさせてもらいました。

8月下旬。
山小屋に戻りました。

長野はすでに秋風だろうと思いながら高速バスを降り立った茅野は、まだ蒸し暑さが残っていました。
入道雲が見事だったのでパチリ。

白樺湖でも入道雲

山小屋への途中の白樺湖の風景です。

好天の下、蓼科山は全景を現わしています。

旅のキャンピングカーの上空には入道雲がありました。

夏の景色を残しつつ、秋の気配が忍び寄っている湖畔でした。

2019年7月 梅雨寒の白樺湖

今年の梅雨は雨が多いような気がします。
気温も低めのような。
朝夕はストーブの火が恋しくなる山小屋の夏です。

白樺湖も春先のような靄のかかり具合。

小雨交じりで肌寒い日です。
湖畔には当然ながら人影がありません。

東京も最高気温が22度とのことでした。

梅雨明けは20日ごろとの予報です。

昭和の初夏の食卓! わらびを採りました

山小屋も梅雨入りです。
といっても3日も続かないのが梅雨空です。
今日は午前中は肌寒い雨降りでしたが、午後からは太陽が出ました。
おじさんは、別荘地のスキー場跡地に行き、わらびを採取してみました。

さて、わらびとは?

おじさんの親世代までは、家庭で季節の山菜を食べるのが普通でした。
春のふき、うど、わらびから、秋のキノコなど。
専門的な山菜や野草などは当時でもなかなか食べませんでしたが、ふき、わらびなど有名どころは季節に必ず食卓に並んだものでした。

現在でも山菜の人気は高く、別荘地住民のみならず、近隣の住民が山菜を採りに道端に車を止めている風景をよく見ます。

わらびはシダ科の植物です。
シダ科の植物を食べるのは日本人だけ?ということですが、朝鮮料理の材料でもありますね。
日本人の影響で、野菜の少ないシベリアのロシア人が食べているという話もあります。

年寄りが好きそうな鄙びた味がします。
おじさんなども小さいころから食べていたせいか、味には慣れ親しんでいます。
たまーには酒のつまみに煮びたしでも食べたくなります。

初めてわらびを採ってみる

山小屋近くのスキー場跡地がわらびがよく採れる場所だということを聞きました。

簡単な見分け方と、採り方を教わりました。
大きくなると枝分かれしますが、手で折れる部分までは食べられるそうです。

ビニール袋を持って現場へ行きます。
スキー場跡地の斜面に立つと青空と遥か山並みが見えます。足元には斜面が広がります。

歩いてゆくと山ウドがありました。

ふきもところどころにあります。
つつじも咲いています。

ふもとの畑などは雑草が生い茂っていますが、標高1500メートル近くの別荘地では野草の育ち具合もまだかわいいものです。

わらびです。
わらびとは群生して生えているのか?となんとなく思っていましたが、実際はポツンと生えており、見つけるのが簡単ではありませんでした。
もちろん先客も何度か採取に入っている場所でもあります。

売っているような、わらびらしいわらびは一握りも採れたでしょうか。
あとは枝分かれした柔らかいものを合わせて両手いっぱいくらい採れました。

帰ってあく抜きします。

5月とあやめと水田と

5月です。五月晴れです。

信州は田植え真っただ中です。
農家の庭先や田んぼのわきにはあやめが咲いています。

あっ、あやめでよかったですよね?
それとも菖蒲?カキツバタ?

田植えが終わった水田たち


おじさんの畑の隣の田んぼです。


田んぼと山と。ほっとする風景です。


結構小さな苗を機械植えしています。
今はインスタ映えしませんが、じきに田んぼ一面が青々となります。


山間に広がる田んぼ。信州らしい風景です。

いずれがあやめかカキツバタ。それとも菖蒲?


田んぼのわきのあやめと菖蒲。
信州では、田んぼにあやめはつきものなのか?


田んぼだけではない。
畑のわきの菖蒲たち。


たっぷりと咲くあやめの群れ。


夕方近くの山間のあぜ道に咲く、少々寂しいあやめの群生。
これも風情があっていい。

一番いい季節の到来です。

信州桜前線VOL.1 山里に桜が咲きました

4月10日の大雪で一時季節の進行がストップした信州地方ですが、いよいよ桜が咲きました。

茅野市内の福寿院というお寺の境内の桜です。4月16日の様子です。

国道152号線、通称大門街道を上田側に下った、長和町大門地区の桜です。
大門街道に沿って咲いています。

大門街道と中山道が交わる当たりの道沿いは、桜とレンギョウのコラボレーションがさく裂していました。


まさに春の乱れ咲き。

長和町長久保地区のお寺の裏手にある桜です。
遠くからも目立っていたので、境内にお邪魔して撮影しました。

お寺の裏山にはさりげない枝垂桜の一枝もありました。

川沿いに枝垂桜がひっそり、否、盛大に咲いていました。

山を見渡せば、人家のそばに咲いているのが遠望できます。

桜というと、上野公園などの花見風景を連想するおじさんなどは、マスコミの影響の受けすぎたのでしょう。

信州の山里の桜は、公園に並木になって咲き誇っていることはあまりありません。
農家の庭先や、自社の境内や裏山で1本だけでひっそりと咲いていることが多いような気がします。

自然の一部として、ひっそりと咲く桜。
本本来、桜って儚いものなのでしょう。

桜だけを集めた風景もいいですが、山里の自然の中で1本だけ咲く風景もいいものです。
1本だけでも、春の訪れを主張する強烈さを桜は持っています。

本格的な生命活動の季節が到来しました。

山小屋に初雪が降りました

11月20日。
全国的に低温の天気予報です。
山小屋で起きるとうっすら雪が積もっていました。

屋根の雪。

葉っぱの上の雪。

薪の上の雪。

軽トラの屋根と作業台の上の雪。

日中の天気で雪はすぐ溶けました。

室内はストーブをガンガン焚いています。
ガンガン焚かないとすぐ寒くなります。
風通しの良い、日本家屋の山小屋です。

敷地内に鹿が餌をあさりにやってきました。
おじさんが捨てた大量の人参の葉っぱを食べていました。

初雪のころ

おじさんが子供のころ。
故郷、北海道の初冬は、冷たいみぞれと泥んこの道の思い出だった。
秋が過ぎ、寒さが本格的になると、なぜか身がしゃんとした。
これからの長い冬を迎える自然な体の対応か?

それから根雪になるまでの間、雪が降っては溶けた。
大人たちはストーブを準備し、石炭を半年分買って、貯蔵した。

やがて12月になり、根雪となる。
そこで寒さが一段落した。
雪が積もってしまうとそれまでの身に染みる寒さが落ち着くのだった。

気温は下がっているのにむしろ暖かいと感じた。
不思議だった。

今シーズン一番の冷え込み

今朝は寒かった。
布団の中にいても、寒気が掛け布団を越えてしみ込んできた感じがした。

起きて早速ストーブを焚きつけます。
ストーブの周りに何となく昨夜の暖気が残っているのはさすが、鋳物のストーブです。

薪を取りにデッキへ出ると、わが愛車の軽トラのフロントガラスが見えました。
銀色に輝いています。

東京では真冬でもまず見られない光景。
故郷の北海道に帰っって来たのか?スキー場にいるのか?と一瞬の錯覚。

こういった季節。山小屋では、いくら暖房しても床近くの温度はなかなか上がらない。
半分丈のズボン下の隙間から寒気がしみいる。

座敷の寒さも半端ない。
畳の上で、スリッパなしで、パソコンを叩いていると、足の裏が冷たくて我慢できないほどだ。

故郷の北海道の真冬は更に厳しい。
親が入院していた時のこと。
見舞いに帰り、冬の札幌の実家に泊まった。
実家の暖房は、ボイラーを焚き、床に温水パイプを通し、各部屋には温風の送風機を置いていた。
無人になった家ははボイラーが止まっていた。

見舞いに帰ったおじさんたちは、夜、実家に到着した。冷え切ったというか、冷凍庫状態の家の中。
ボイラーを点火させたが、させたが、室内が温まるまでの間、おじさんたちはカーペットの上でで文字通り足を踏み鳴らして寒さに耐えたものだった。
その時の床の冷たさが忘れられない。

山小屋の外へ出る。
地表の水分も輝いている。
霜になる寸前だ。
気温は0度近かっただろう。
干している大根や柿は頑張っている。
大根の表面は一部透明になりかかっているが。

今年も冬がやってくる。
おじさんは今月で引き揚げるが。

山小屋に鹿が来ました

11月です。
山小屋は寒さが本格化します。
朝夕はもちろん、日中も暖房が必要です。
薪ストーブは焚きっぱなしです。
特に朝夕はガンガン焚きます。
薪がそれなりに必要になります。

今朝、薪をとろうとデッキに出たところ、鹿が見えました。
メスと子供の2頭連れ、奥にもう1頭います。
おじさんが捨てた大根葉の山を平らげていたところです。

別荘地は鹿の縄張りですので、住民にとって、放し飼いのペットみたいになっています。
夕方の鹿の鳴き声は風物詩です。
野生の甲高い声が響きます。孤高の声です。

夜の運転は、路上を横断する鹿とぶつからない様にしなければなりません。
時々は、立派な角の雄の姿を見ることもあります。
雄の角を見ると、一層野生の気高さに気押されます。

別荘地で見ることのできる動物は、タヌキ、キツネ、ウサギ、リスなどがいます。
カモシカを見たという人もいます。
庭の植物は鹿の食害に遭います。

熊については、別荘地から500メートルほど下った大門川の川沿いでの目撃情報が毎年あります。
キノコ採りの地域住民が見かけるようです。
熊は水を飲みに来るだけのようで、被害は今のところ聞きません。

ジビエで活用されてもいる鹿ですが、山小屋のリフォームを頼んだ大工さんが連れてきた職人が、鉄砲を撃つ人でした。
その人によると、鹿もたくさん撃ったが、撃った後の処理が大変なので、今は撃った鹿をそのまま捨てているとのこと。
鹿肉をたくさん食べたことがある大工さんも、筋が多いし食べ飽きたのでもういらないとのこと。

ジビエ生産の最前線の実態のようです。

高原は紅葉真っ盛り

定年おじさんの住む標高1500メートルの山小屋。

周辺は紅葉真っ盛りです。

別荘地の入り口です。

ふもとの集落あたりでは紅葉はまだです。

葉っぱ一枚の中色が分かれているものもあるのですね。

おじさんの山小屋の周りは、雑木林なので葉が散っている最中です。

朝晩は寒くて薪ストーブ全力燃焼です。