12月上旬になりました。
八ヶ岳は雪化粧です。
蓼科山の雪景色は、11月のさらっとしたものから冬らしい姿に変わりました。
なんと白樺湖畔に「氷上立入禁止」の幟が立っていました。
湖面が一時凍結したようです。
12月の山小舎は冬まっしぐらです。
60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
12月上旬になりました。
八ヶ岳は雪化粧です。
蓼科山の雪景色は、11月のさらっとしたものから冬らしい姿に変わりました。
なんと白樺湖畔に「氷上立入禁止」の幟が立っていました。
湖面が一時凍結したようです。
12月の山小舎は冬まっしぐらです。
11月です。
霜月です。
山小舎は日が暮れると急激に気温が下がる季節となりました。
日中は日が当たると何とか表で作業ができます。
日が暮れるともうだめです、寒くて。
室内はストーブを焚きっぱなしです。
薪ストーブはもちろん、2台ある灯油ストーブも焚きます。
灯油代もかかります。
いつにもまして寒い朝、外に出てみると真っ白に霜が降りていました。
落ち葉が霜で白くなっています。
霜柱で地面が盛り上がっています。
玄関先のマットが凍り付いています。
屋根が白くなっています。
軽トラはウインドウが真っ白です。
出発するには、ウインドウの霜を手でこそげ落としつつ、暖気運転とワイパーの合わせ技で視界を確保しなければなりません。
ウインドウに限らず、マットを敷いた荷台が白く凍っています。
山小屋は冬直前です。
11月中旬。
東京の帰宅から茅野駅に戻りました。
目前にあったのは新雪に輝く八ケ岳の姿でした。
茅野市内は紅葉もまだ盛りです。
八ヶ岳連峰からが目を左に転じると、これまた薄く新雪を頂いた蓼科山の姿がありました。
この季節、日も短いのですが、日が暮れた後の気温の低下が急です。
寒い夜を過ごした翌朝、外に出ると降雪の後が残っていました。
落ち葉はすっかり散り終わっています。
日が昇ると気温が上がるのですが、それでもストーブを焚きっぱなしにしないと過ごせません。
日差しを頼りに、泊って行った孫一家が使ったシーツ、布団カバー、タオルケットを洗って干します。
外で乾かない分はストーブを頼りに室内干しにの予定です。
冬の到来を待つ山小舎周辺です。
山小舎周辺は野生生物の宝庫です。
鹿などの動物、昆虫類が嫌という程います。
春先になると毎年ハチがブンブン飛び回ります。
スズメバチ、あしながバチなどが多い印象です。
スズメバチは山小舎周辺に巣を作りたがります。
これまでも、2階の軒下、ベランダの軒下の廃ストーブの中、玄関先のコンパネの下に巣を作りました。(いずれも撤去)
今年も山小舎の周りには、常に1、2匹のスズメバチがブンブン飛び回っていました。
割ったばかりの薪が好きなようで、止まっているときに殺虫剤をかけたりはしましたが、特に害はなかったのでほおっておきました。
これがいけなかったのでしょう。
夏が終わり、後片付けのシーズンとなり、ベランダの軒下に廃材などを収納していた時に何気なく見た先に、立派なハチの巣がありました。
コンテナの中にすっぽりはまるように巣が形成されています。
不気味な姿にびっくりしました!
発見時は10月下旬。
朝晩の寒さで巣にはハチが活発に出入りしているようなことはなく、むしろ巣の表面に張り付いた数匹のハチが全く動いていなかったので、これまで気が付きませんでした。
慌ててその場を離れましたが、改めてよく見ると、巣の表面に張り付いたハチがゆっくり動いています。
これを見て、一時は自力で巣を撤去できるのでは?と考えましたが、断念しました。
東信消毒という佐久市の茂田井にある駆除業者に駆除を頼みました。
スズメバチの巣の駆除は1万8000円から2万円の料金とのことでした。
2、3日後に業者がやってきました。
防御服を着てネットを被った業者が現場に入ってゆき、あっさりとコンテナごと巣を引き出しました。
巣はコンテナ一杯にはまっています。
ハチが巣から飛び出してはきません。
業者は引き出した巣を構わず刃物で解体してゆきます。
コンテナの中にはミツバチ用の巣箱が入っていました。
この巣箱を利用してキイロスズメバチが巣を作っていたのでした。
6月ころから作られた巣はすでに繁殖の役割を終え、たくさんのハチなども死滅し、女王バチは越冬場所に移っているとの説明でした。
ワンチャン、山小舎おじさんが自力で対処しても無事に巣の撤去ができたような状況でした。
今回は無理しなくてよかったでしょうが。
キイロスズメバチはオオスズメバチなどよりの人間に対して攻撃的なこと。
ここ山小舎付近はハチの往来が多く、近所にも巣があるのではないか?ということ。
巣を撤去するなら6月ころか、あるいは10月過ぎがよいこと、などを聞きました。
取り出した巣は、巣食っていたミツバチの巣箱ごと焼却炉で燃やしてしまいました。
これで今年のハチ関係は一件落着です。
撤去しやすい場所だったこと、危険性がほぼなかったこと、から費用は1万1千円で済みました。
良心的な業者さん、ありがとう。
ハチについて勉強になりました。
10月も半ばを過ぎました。
東京の自宅に1週間ほどいて家族の養分を補給した山小屋おじさんが、山小舎に戻ってきました。
標高1400メートル以上の山小舎周辺は季節が進んでいました。
日差しが厳しく、外へ出るのも苦痛だった今年の夏も今いずこ。
10月に入っては、ミズナラから落ちるどんぐりの音のみが響いていた山小舎。
今年も例年のように木々が紅葉し始め、落ち葉が舞い始めました。
まだ紅葉は始まったばかり。
今のうちにあちこちへ出かけて眺めておこうと思います。
冬はあっという間に来るでしょう。
数年ぶりに蓼科山に登りました。
10月初旬の単独登山です。
数年前の初登山の時は、まだまだ足に自信がありました。
7月に登りましたが、蓼科山はツアー客やグループの中高年女性達であふれており、山頂には遠足に来た佐久穂町の小学生たちまでもいました。
当時は、9合目からの急な岩場に「降りてこられるかな?」と心配しながら登った山小屋おじさんでしたが、小学生の一団に交じり、ワイワイ言いながら降りてきたのを思い出します。
数年後の現在は、前期高齢者となり、体に自信はありません。
果たして蓼科山に登れるのか?
ダメだったら帰ってこよう、と思いなおし、重い腰を上げました。
9時に登山口の7合目出発を目指し、携行食のおにぎりを握ります。
ほかに菓子パン1個と200ミリペットボトル1本の水を持参しました。
外へ出ると寒かったので、用意したヤッケのほかに、ジャージの上着を着こみました。
ジャージは登山中一度も脱ぐことはありませんでした。
平日の朝9時、7合目登山口に着くと最寄りの駐車場は県外ナンバーの車両で満車でした。
少し離れた駐車場に軽トラを止めます。
7合目付近の登山客はチラホラ。
夏山シーズンを過ぎた今、団体客はいませんでした。
鳥居をくぐり、山頂の蓼科神社の参道でもあるのでしょう、歴代に渡って踏み均された登山道を歩きます。
夜の寒気が残った登山道はとても寒く、立ち止まると震えるほどなのでひたすら歩き続けます。
マツやシラカバの天然林が取り囲む登山道は光がほとんど射しません。
やがて眼下に視界が開けてきます。
女神湖が遥か眼下に見えます。木々は紅葉し始めています。
登山道は大きめの石が転がる急な道になります。
足を取られないように坂を斜めに歩きます。
このルートの最初の難所です。
前を行くのは中高年夫婦。
山小舎おじさんとは同じペースです。
早い登山者は我々をいとも簡単に追い抜いてゆきます。
ゴロ場を抜けると将軍平。
山小舎が開店しています。
9合目に到着です。
ここまで約1時間かかりました。
山小舎前のテントにはキーホルダーやTシャツなどをデイスプレイし、髪を後ろで結んだお兄さんが山小舎を切り盛りしています。
頼めば食事も出ます。
有料のトイレもあります。
今朝はマイナス2度だったとのこと。
登山客はここで休憩し、最後の岩場の登りに備えます。
最後の岩場へ向かいます。
文字通り手足を使ってよじ登らなければならない急坂に大きな岩が重なっています。
健脚でバランスのいい人はひょいひょい登ってゆきます。
岩と岩をひょいひょい伝って下ってゆく人もいました。
健脚でもあり山で鍛えられている人です。
急な岩場の登り体力も消耗します。
自分のペースを意識しますが時々立ち止まらざるを得ません。
思い出してナンバ歩きをやってみました。
ナンバとは日本古来の体の使い方で、足と手を同時に出す歩き方などを言います。
本で読んだだけのニワカですが、例えば下半身の動きを足から下の筋肉にだけ任せるのではなく、骨盤や上半身とも連動させて行うことだとすると、こういった急坂の上り下りには有効だと思いました。
大きめの段を下りる時など、自然に足と手を連動させますが、ああいった動きのことだと思います。
心持、登る速度が上がったような気がして、励みになる山小舎おじさんでした。
山頂に至る岩場は、崩れる心配もなく大勢の登山客の足場になっています。
昔から昇りやすいよう、岩が崩れないように整備されていたことがうかがわれます。
先人たちの思いと努力に感謝です。
ようやくの思いで山頂に着きました。
標高2530メートルの山頂は風が強くて寒く、大きな岩がゴロゴロしています。
ここでおにぎりを食べるのは早々に諦めます。
10月の天気はあくまでも天高く、八ヶ岳の山並みや眼下の町々がクリアに見えます。
三角点まで行って記念撮影していると、次々に撮影を頼まれます。
その中の舞鶴から来たという60歳過ぎの男性と話しになりました。
頂上から下り、将軍平の山小舎前の陽だまりでおにぎりを食べながら改めて話しました。
この男性は、退職後の趣味で登山をしており、今回は木曽駒ケ岳などに行ってきたとのこと。
退職後の第二の人生についての話しになったので、三々五々、此方の現状も伝えると、男性は山小舎おじさんの単独田舎暮らしに驚き、「奥さんの理解がなければできませんねえ」といいました。
「お互いやりたいことはできるうちにやろう」とエールを交換して別れました。
下りは体に負担がかかりました。
将軍平でのおにぎりの後、山小舎でコーヒーなど飲んで休養をたっぷりとったのですが、ほぼ休みなしで歩いた下りは足腰にきました。
最後は足の筋肉が言うことを聞かなくなる寸前でした。
同行者がいるなど目的や気晴らしがないと登山は楽しくないこと。
自分に合ったペースを守ることもさることながら、たっぷり休憩を取らないと体力が回復しないこと、を痛感しました。
軍手が必要だったことにも気が付きました。
登山では、態勢を崩したりして砂利や岩に手を突くことがあります。
素手で登った山小舎おじさんは、手が傷だらけになりました。
足の筋肉が悲鳴を上げた蓼科山登山でしたが、滞留していた体内の気がすっかり一巡したような爽快感を得られたことも事実です。
暑かった令和5年の夏。
9月下旬になりました。
大気の入れ替えで山小舎周辺の空気が秋の空気に替わりました。
朝晩はストーブをガッチリ焚いています。
昼間は日差しが強い日でも、午後2時を過ぎると冷たい空気が吹き始めます。
雨が降ると肌寒くなります。
木々の葉も成果のころと比べると勢いがなくなりました。
紅葉の季節がすぐそこです。
屋外の活動がしやすいころとなりました。
今のうちに仕事を進めておかないと、屋外活動が寒かったり、冷たかったりの時期があっという間にやってきます。
例年、山小舎周辺の夏日は幾日あったでしょうか?
例年なら、姫木が30度予想になったら驚いたはずです。
夏の直射日光は、紫外線十分で厳しいものがありますが、空気は湿っておらず、木陰に入るとすーっつとしました。
今年は鮮烈な日光に加えて、蒸し暑い日が続くのが特徴です。
その日に管理事務所の草苅バイトだったとしたら、つなぎの長袖が上から下まで汗でびっしょりとなるほどです。
日に当たり続けると暑さにグッタリし、またヘルメットや帽子の中の熱が去りません。
木陰が涼しいのは例年通りなのですが、蒸し暑い日が多いような気がします。
直射日光の下では洗濯物もすぐ乾きます。
いつまでたってもパリッと乾かない山小舎周辺の湿気が嘘のようです。
厳しい暑さの日には、表の直射日光に当たるのがダメージなので、山小舎室内のひんやりした中で過ごします。
そういった日は山小舎の窓という窓を夕方まで全開にして風を通します。
東京のことを思うと、熱帯夜のない山小舎は天国なのですが、日中の外仕事は大変なこの季節です。
標高1400メートルに位置する山小舎。
今年は山小舎周辺も猛暑が続いています。
山小舎から大門峠に出て左折。
ビーナスラインを通って、車山高原から霧ヶ峰へ。
直進すると諏訪へと降りる道、霧ヶ峰を右折すると美ヶ原へと続く道となります。
霧ヶ峰を右折し、美ヶ原までの間に八島湿原があります。
諏訪からの帰り道、八島湿原に寄ってみました。
平日とはいえ、夏休みの八島湿原駐車場はほぼ満車。
無料の駐車場に止めて、まずはビジターセンターを訪れてみます。
ビジターセンターには湿原に暮らす動物、昆虫のはく製、標本などのほか、霧ヶ峰高原や八島湿原の成り立ちなどが解説展示されています。
霧ヶ峰高原がなぜ草原になっているのか?観光用に木を伐採したのか?疑問に思っていた山小舎おじさんでした。ビジターセンターの展示を見て、ここが江戸時代からの草刈り場で、毎年草を刈り、火入れしてきた結果、木が生えずに創元が維持されていたのだとわかりました。
霧ヶ峰とて、ほおっておくと灌木が生え、やがて森林になるのだそうです。
八島湿原の周りを歩いてみます。
一周90分の遊歩道コースが整備されているとのこと。
ハイカーたちとすれ違いながら右回りで木道を進みます。
左側に湿原を見て進みます。
湿原には3つか4つほどの池があります。
コースの最深部にはヒュッテが建っています。
御射山神社がありました。
諏訪信仰の一部をなす御射山(の一つ)がここだったのです。
木道はすでになくコース取りに迷いながら最深部を進みます。
このあたりは歩く人とてほとんどいません。
やがて砂利道に出ました。
標識に従い、駐車場方面に向かいます。
トイレのある休憩所ではたくさんのハイカーが休んでいました。
そこから再び木道が整備されています。
左手に湿原と池を見ながら出発点へと戻りました。
日を遮るものがなく、厳しいハイキングでした。
木道も少々痛み始めていました。
高山植物や野鳥に詳しい人にとっては天国でしょう。
できれば湿原のただなかを歩いてみたかった気がします。
太鼓の自然林の中を歩くのなら、御泉水公園の方がいいです。
霧ヶ峰高原の成り立ちがわかったのは収穫でした。
オオミズアオが山小舎に飛んできました。
オオミズアオは大型の蛾です。
名前の通り大きな、水色の蛾です。
一度見たら忘れられません。
自宅のある調布でも見かけたことがありました。
都立農業高校の演習地の近くで昼間にいました。
山小舎に住み始めて最初の2年は毎年見ました。
6月の夜になると台所のガラスに光を求めてやってきました。
最近はしばらく見ませんでした。
どうしたのかな、もういなくなったのかな。
ミズナラを伐採しすぎたからかな。
と思いました。
今年は久しぶりに見ました。
よく見ると調布で見たオオミズアオよりは小型です。
頑張って繁殖して毎年姿を見せてほしいものです。