畑の冬じまい

11月も15日です。
畑は収穫もほぼ終わり。
来年に向けての冬じまいです。

今年最後の畑の手入れ。
夏の間酷使した土壌を休ませ、養います。
耕して日光を当て土を消毒します。
石灰などを散布して土の酸性を中和します。
土を半年休ませて、作物が収奪し不足したミネラル分を回復させます。

おじさんの山小屋の脇には去年積んだ堆肥があります。別荘地に山と降り注ぐ落ち葉を集め、糠や鶏糞とともに積んだものです。
これが平地なら積んだ先から湯気を上げて発酵開始し、半年で養分たっぷりの堆肥になるのですが。
ここは1500メートルの高地。
気温のせいか、水分が足りなかったのか。発酵が進まないまま1年たっていました。

といっても山小屋の敷地に積んでおいても鹿のおやつになるくらいなので、軽トラに積んで、畑に運ぶことにしました。
標高600メートルの畑でこの先半年置けば、土になじんで来年養分として働いてくれるような気がしたからです。

酸性の中和には、生石灰ではなく、もみ殻燻炭を使いました。
この間せっせと作った燻炭が肥料袋で10袋近くあったのです。
燻炭というよりは灰に近いものもありましたが。

燻炭と、もみ殻と、堆肥を撒きます。

耕運機を大家さん宅から借ります。
大家さんは不在なので特に断りもなく、納屋から耕運機を出して使います。

いつもガソリンを満タンにしてくれています。
納屋から畑まで、15分くらいかけて自走します。

耕運機を縦横にかけ、畑の冬じまいが終了です。

天気はよく畑日和。
風がないとポカポカ陽気なのですが、風が冷たくヤッケが手放せませんでした。
畑よ、大家さんよ、来年もよろしくお願いします。

来年の収穫に向けて玉ねぎを定植

今年も玉ねぎ定植の時期となった。
昨年は、専用のビニールマルチを張って張り切って定植したものの、直後の豪雨でマルチがはがれ、苗がほとんど流れた。
流れて白い根を見せている苗を拾い、植え直したが、そのせいなのかどうか、翌年(今年)の実はピンポン玉くらいの大きさだった。
株数も半分くらいの歩留まりだった。

そこで今年は、少々時間と手間をかけた。
畝3本を玉ねぎ用とした。

縄を張って、スコップと鍬で畝を切りなおす。

人の畑を借りているので見かけも重要。畝の縦横が平行になるように気を付ける。

レーキで雑草などを除去する。

石灰を撒いておく。玉ねぎは酸性土壌を嫌うらしい。

JAで苗を買う。1本9円だった。
200本買うと10本くらいおまけしてくれた。

定植の時期は、ここら辺は10月下旬から11月とのこと。おじさんが定植したのは10月20日。
ご存知のように、おじさんの畑は初期成育が弱いので、年内にしっかり根を張らせておくために早めに植えたのだ。

今回はマルチはやめ、路地植えにした。冬季間は雑草が少ないからだ。
防寒と翌春からの雑草対策には、もみ殻を撒くことにした。
もみ殻は土壌がふかふかになるし、えひめAIなど有効成分の環境にも良いと思うからだ。

さて、植付の日。
まず、畝の表面にえひめAIを散布。

苗ポットにも同様に潅水する。苗にもAIに慣らしておくためだ。

苗の根の白い部分まで土をかぶるように植えてゆく。

植え付けてから、再度、AIを潅水し、もみ殻で覆う。

あとは無事な生育を祈るだけ。
長野の厳しい冬と雪を玉ねぎが乗り越えられるかは、半信半疑だったが、去年はちゃんと生き残っていた。
今年は、もうちょっと大きく結実してほしいものだ。

おじさん里芋を掘る

今日も定年おじさんは畑に行きました。
山小屋から軽トラックで畑まで。1500メートルから7~800メートルへ1500、一気に下ります。
行きの、下り坂は、軽トラのシフトをニュートラルにしておけば、50~60キロが出続けます。
ガソリン高の折、助かります。
その代わりに帰りは、軽トラでは、アクセルを踏み続けても60キロまでしか出ない上り坂です。
ガソリン代は行きと帰りを平均するとイーブンです。

ということで畑。
今日は、里芋の収穫です。
サトイモは5月1日に植えました。
ビニールマルチを張り、ショウガと交互に種イモを植えました。
ショウガと交互にしたのは、ショウガが日陰を好むと聞いたからです。

今年は暑い日が続き、なかなか芽が出ませんでした。
一旦芽が出ると葉と茎が勢い良く伸びました。

元肥も追肥も特になし。
おじさん得意の、えひめA1という微生物の希釈液を水やりの時に根元にまいただけです。
えひめAIについては別の投稿で話題にする予定です。お楽しみに。

畑にいると、時々地元の人が通りかかります。
よく会う人に60歳代後半の人がいます。地元おじさんとします。
この人は、定年おじさんによく声をかけてくれます。
お盆でお孫さんが帰省するときには、庭の手製のピザ窯でピザを焼いてました。
1切れご馳走になりました。

この地元おじさんが、サツマイモ、里芋の様子を見て「この辺りは寒いから(地温が低いから)、早めに収穫した方がいい(活けておくと霜にやられる)」とアドバイスしてくれました。
そこで、里芋を1株掘ってみると、まずまずの収穫。
それからは畑に行くたびに1株ずつ掘って持って帰っています。

今日は、玉ねぎの定植用の畝づくりに畑に行きましたが、まだ残っている里芋の1株を掘りました。

株を抜いてみるとこんな感じ。

子芋を外し、茎を包丁で切り離す。
この後、芋のひげ根をはさみで切り、泥を洗う。

作物や、農機具の泥を洗うのはここ。
農道の脇を流れる側溝。夏の水やりもここの水で。

1株の収穫はこれくらい。

山小屋には、収穫したサツマイモと里芋が、箱にあふれています。

ヤーコンの花が咲いていました。

サツマイモを掘りました

おじさんの畑も今年の終盤。
収穫を待つのは、サツマイモ、里芋、ヤーコン、大根、人参、キャベツ。
ハックルベリー、食用ホオズキはまだまだ着果中。
夏野菜は終了。トマト、ズッキーニ、ピーマン、シシトウが最後の頑張り中。

というわけで、今日はサツマイモを掘った。
5メートルほどの畝1列。
まず、たくましく伸びた弦をむしって集める。
食糧難時代には食べたという、芋の弦。ゴムのように強力だ。

3本鍬で掘ってゆく。
一株の収穫はこれくらい。
品種はベニアズマ。苗を買って植えるのだが、一番値段が安かった。
マルチを敷いて定植したが、今年の猛暑で、苗が焼けてしまった。
やむなく植え替え。苗が直接マルチに触れないようにして植えた。
もう1畝は路地で。
今回は路地の分を収穫。全部でコンテナ委1箱の収穫。20キロくらいか?
マルチで作った畝より収量が少なく、形もやや小ぶり。

長野は地温が低く、サツマイモの糖度も低いということだが、マルチと路地で地温に差がつき、収量に影響したのかもしれない。
素人百姓は日々勉強。
さらには、勉強しても必ずしも結果につながらないのが畑の奥深いところだが。

ほかに、里芋、大根、人参も、少々収穫。
大家さんにもおすそ分けした。
今年は大根の出来が良いので、自前の大根でタクアンを漬けよう。
割れたり、二股の面白いタクアンができるかもしれない。

定年おじさん畑を借りる その4

定年おじさん畑を借りる その3から続きます。
2018年の畑の様子です。
畑は2か所借りてますが、今回は中山道沿いのフェンスに囲まれた畑について報告します。

作った作物

ここの畑には、2017年の秋に植えた玉ねぎが植わってました。
越冬を前に、もみ殻と燻炭をできるだけ施しておきました。
玉ねぎの苗の防寒と、土壌改良にいいと思ったからです。

2018年は4月中旬から始めました。
玉ねぎがほとんど太っておらずに、かえって苗が枯れているものが結構ありました。
枯れて場所が開いたところに長ネギの苗を植えました。

5月中旬に、夏野菜の苗を植えました。
トマト、キューリ、ナス、ゴーヤ、ズッキーニ、オクラ、ヘチマ、ツルムラサキ、食用ホウズキ、ハックルベリー、オクラです。
ホウズキ、ハックルベリーは長野ならではの野菜です。

肥料はいつもの微生物液、えひめAIのほかに、去年の秋に積んだ堆肥を使いました。
堆肥は別荘地内の落ち葉を集めて、鶏糞、ぬか、もみ殻などと混ぜて積んでおいたものです。

その後、インゲン、枝豆を植えました。インゲンは直播、枝豆はポット播きして苗を作って植えました。

今年の出来具合

畑に通うのは2日~3日に一度。
今年の猛暑に植えたばかりの苗も息絶え絶えでした。
オクラなどは苗が枯れてしまいました。
苗が大きくなるまで、えひめAI液を混ぜた水やりをしました。
畑のそばの側溝には常時、山からの冷たい水が流れており、それをじょうろとポリタンクに汲んで水やりをしました。

いつもながら、わが作物の育ちはゆっくりでした。
でも夏を迎えると茎が太く、びっくりするほどたくましくなりました。

その中で、早めに実が成りだしたのが、ズッキーニ。
初収穫は図太いズッキーニでした。
キューリも早めに成りだして今はほとんど枯れています。

トマトは8月下旬くらいから実が成りだしました。ゴーヤも現在が最盛期です。
インゲンは夏の暑さからか、収穫量が去年に比べて少なかったのですが、8月下旬の雨で、第二弾の花が咲き、収穫が続きました。
ナスも真夏の時に剪定をし、木を休ませたのが良かったのか、今も収穫が続いています。

朝市へ出品する

2018年は畑も2倍に増え、収穫量も種類も倍増する予定でした。
こうなると収穫した野菜のことについても考えなければなりません。
近所に配ったり、自宅に送ったりしただけでは余ってしまうでしょう。

別荘地では夏の間、朝市が開かれていました。
ダメもとで責任者の方に電話してみました。
朝市の出店者も減っているとのことで参加を許されました。朝市は7月下旬から9月第1週くらいまで開かれます。

出店はほかに3店ほど。
別荘に定住する老夫婦が自作の野菜を持ってくるのが1店。
近くの農家から仕入れた野菜を売るのが1店。
地元の人でスモモやトウモロコシを持ってくるのが1店です。

おじさんの畑の収量を考えると、毎日出品するのは無理ですので、1日置きに出店しました。
最初はジャガイモとインゲンくらいしか品物がなく、また、7月中はお客さんの出足も悪く、最初の日は、売り上げがゼロでした。

それでも出店を続けていると、やがては売り上げが500円とか1000円行くようになりました。
全部で12回出店して、売り上げの合計は13000円ほど。

一番来客数の多い、お盆の時期に枝豆やトウモロコシが間に合わないなどマーケテイング不足を痛感しました。一方、お客さんとのコミュニケーションで勉強できたことも多々ありました。
朝市でのエピソードについては稿を改めたいと思います。

 

定年おじさん畑を借りる その3

定年おじさん畑を借りる、その3。今日は、今年の畑の様子を報告します。

2018年の様子 その1

今年は、4月下旬から畑を始めた。
東京での越冬を終え、山小屋に復帰して畑を見た。
雪と霜に耐えてきた畑には、玉ねぎが半分くらい生き残り、枯れかかった葉をかろうじて伸ばしていた。
長野の厳しい冬を玉ねぎは生きながらえていたのだった。

玉ねぎの苗が枯れた後のマルチの穴に、長ネギの苗を植えた。
長ネギは細いながらも育った。

玉ねぎは、最終的にピンポン玉程度に太って6月に収穫となった。
苗を100本植えて収穫した玉は30~40玉程度だったろうか。ちょっとがっかりしたが、来年頑張りたい。

今年から、畑を借増しした。
去年から大家さんが使ってくれと言っていた畑だった。こちらの畑は、大家さんの家の裏側にある。100メートルくらい、今までの畑とは離れている。
フェンスに囲まれてはいない。
隣は田んぼである。

去年まで生えていた雑草を草刈り機で借り、大家さんのトラクターで耕す。
通りかかったおばあさんが、きれいになりますね、とあいさつしてくれた。
しばらく耕していない土地なので、トラクターの葉が深く入らない。
一度耕した後、鍬で3列の畝を切り、ジャガイモ10キロを植えた。

本に書いてある浅植え方式とし、マルチをかけた。
何とか芽が出て、茎が育って、7月には収穫できた。
収穫量は30キロ程度だったろうか、もうちょっと収穫量が欲しかった。来年頑張りたい。

通りかかった近所の人が、だいぶ簡単に植えたようだができているね、と言ってくれた。
ほとんど人通りのない集落だが、案外人は見ているのだなあと思った。

ジャガイモの隣には里芋とショウガを交互に植えた。
里芋は、現在、旺盛に育っている。
その隣に、サツマイモを植えた。
マルチを敷いてから、サツマイモの苗を植えたが、今年の猛暑でマルチの表面にくっついた苗が枯れてしまった。
苗がマルチに接触しないように植え直し、現在は弦を大いに伸ばして生育中。

その隣に、ヤーコン3本と、カボチャとスイカを植えた。
ビニールマルチを敷かずに、枯れ草を苗の周りにかぶせた。
土壌と合わないのか、肥料不足か、カボチャの弦はいじけたように縮こまって伸びなかった。収穫も苗1本に1個だけだった。
スイカも弦が伸びず、小さな実が一つだけついて、最後には食害にあって皮だけ残してなくなった。
まだまだ畑のスペースがあるので、トウモロコシを1列、サツマイモをさらに1列、枝豆を1列作った。
トウモロコシは、ポットに種まきから始めて育てた。
本を見て、尿素を2回追肥した。
50粒ほどの種をまき、25本ほどの収穫。
売り物のトウモロコシと比べて50から70パーセントの実の太りだったが、まあ食べられた。食害は2,3本にとどまった。動物も少しづつ食べようとしたのかもしれない。
枝豆もポットへの種まきから始めたが、すぐに芽が出て、定植後もうまく育った。
キレイに一斉に育つ様子は、農家の枝豆畑のようだった。
8月末に収穫した。実はよく太ったが、味が今一つだった。
去年作ったものより甘くないのは不思議だった、畑が違うからだろうか。
今、畑には、里芋、ショウガ、ヤーコン、サツマイモが残り収穫を待っている。

(続く)

 

 

定年おじさん畑を借りる その2

定年おじさんが畑を借りて2年目になる。
最初は1か所の畑。今年からもう1か所増えた。
それぞれの畑の去年と今年の様子を報告します。

去年から借りている畑

2017年の6月中旬に借りた。中山道沿いの傾斜地で面積は約50坪。

2017年の様子

しばらく放置された畑だった。
耕運機で一度耕したが、土を起こす前に、枯れ草がたくさん倒れた。
その枯れ草をレーキで集めて燃やした。

隣の畑の人がアドバイスしてくれた。よく乾かしてから燃やさないと、鎮火まで時間がかかるとのこと。
畑で火を使うのはダメだ、と言われなかったのは幸いだった。
その人は、それからも会うたびに一言二言声をかけてくれた。

枯れ草を燃やしてから、スコップで土を掘り起こした。
一応、畝型に縄を張って、起こしていったが、せいぜい長さ数メートルのひと畝を起こすのに体が悲鳴を上げた。
定年後の体力はここまで落ちているのか、と思った。

東京の家庭菜園ならば5月のゴールデンウイークのころが夏野菜の苗の定植時期だった。
ここは長野県とはいえ、すでに6月中旬だった。

あわてて、トマト、キューリ、なすの苗をを2.3本ずつ買い、やっと起こした畝に植えた。
元肥がどうの、追肥がどうのという知識はなかった。
たまたま本で読んだ、微生物農法というのをやってみることにした。

本を買ってきて、えひめAIという微生物液を作った。りそれを畝にたっぷりかけ、マルチで覆い、苗を定植した。
マルチを使うのも初めてで、風が入らないように土を覆うのに苦労した。

その時、すでに夏野菜定植の最盛期は過ぎており、農協で買った、売れ残りのトマトやナスのひょろ苗が、黄色い姿をマルチの上に頼りなくさらしていた。

たまたま近くに来る用事があり、畑の紹介者の自動車屋社長が様子を見にやってきた。
社長は、頑張ってるねと言いながら気の毒そうな顔で畑を見回した。
その時、定年おじさんは暑さと疲労に耐え、肩で息をしていた。

畑に行くたびに、苗の根元に微生物液・えひめAIの希釈液を潅水した。
しばらく苗は根付くのに精いっぱいの様子だった。

夏野菜を定植してから、畑の残りのスペースを耕した。そこにインゲン、枝豆を直まきした。
まいている最中に、山から鳥が集まってきたような気がした。
案の定、種はなくなっていた。
雑草で覆うなりして鳥に食べられないようにまき直した。

夏になり、畑の畝間から周辺から雑草が生い茂った。
草刈り機を購入し、草刈りした。
石や鉄パイプに歯が当たるキーンという音に驚いた。
ビニールひもを巻き込むと、からんで回転がストップする。
畑一面を除草して倒れそうに疲れた。
大家さんから気を付けるようにと言われていた、タラの芽の木を間違って切り倒してしまった。

それでもえひめAIの効果か、トマトが急に伸びてきた。茎ががっしりしてきた。
植えた時のひょろ苗の面影がなくなった。
ナスやキューリもそれなりに伸びたが、実の成りは今一つだった。
トマトの脇芽かきは知っていたが、ナスやキューリの選定などはまったくやらなかったからだろうか。

夏野菜の収穫は今一つだったが、なんとなくえひめAIの効果を感じ、その後も使い続けることにした。
インゲンはよく実がなった。隣近所に配り、乾燥野菜にし、水煮にして瓶詰めしたりした。
枝豆はほんのり甘かった。

秋野菜には、大根、人参、白菜、キャベツを植えた。キャベツは苗、白菜はポットに種まきし苗を作ってから植えた。大根、人参は畑に直播した。

結果、満足行く収穫は人参だけだった。
白菜は途中まで順調に育ったが、葉が溶ける病気が出た。
キャベツ、大根は大きくならないままだった。
9月初旬に一斉に植えたり、まいたりしたが、時期が早ければいいというものでもないらしかった。

新米の収穫時期には、コイン精米所に大量のもみ殻とヌカが出るので、もらってきてはせっせと畑にまいた。
もみ殻は、山小屋の敷地にあるごみ焼きストーブで燻炭にしてまいりした。
来年以降の土づくりのためだった。

11月には玉ねぎの苗を植えたが、雨で苗が流されて植え直すなどした。
翌年の収穫はピンポン玉くらいにしかならなかった。

(続く)

定年おじさん畑を借りる その1

定年おじさんが田舎に来た目的の一つ。畑について話そう。

どうやって畑が見つかったか

定年おじさんは、去年(2017年)から長野県の山小屋に住んでいる。
山小屋に住むにあたって、日ごろの足として軽トラを買おうと、隣町のモータースに飛び込んだ。

そこの社長が面倒見のいいひとで、移住者のおじさんに対し、畑はやらないのか?と聞いた。
我が意を得たりと答えたところ、後日、見つけてもらったのが現在通っている畑。

約50坪の面積で、耕運機と草刈り機は自由に使ってよく、賃料などはいらないとの条件。
社長からは、畑とその大家の自宅の2枚の住宅地図コピーをもらい、現地へ向かったものだった。

畑の大家さんに会う

大家さんの家に挨拶に向かい、畑に案内された。
この時、もう一か所畑があるので使ってほしいと言われ驚く。

もともと、おばあさんが畑を作っていたが、できなくなったとのこと。大家本人は畑をする気はないとのことだった。畑は去年の草でボーボーだった。

大家本人にあったのはこの時1回だけ。時々訪問する本人は、職業上、不在であることが多く、奥さんか子供が時々いた。

大家が取引しているモータースの紹介とはいえ、見ず知らずの人間に無条件で畑って貸すものなのか?と思った。
これがご縁というものなのか、それとも、こういう大家さんだったからなのか。今もってわからない。

その後、大家さん宅には、年2回、東京土産を持って挨拶に行っている。
また、収穫した初物などを玄関先に置いてくるようにしている。

山小屋から畑に通う

定年おじさんの住む山小屋は、長野県小県郡というところにある。
山小屋は高度1500メートルにあるが、そんなところで野菜はできない。
借りた畑も高度700メートルくらいのところにある。
山小屋から畑まで軽トラで30分かかる。毎日は通えない。

畑に行く日は、ある程度まとまった作業をするようにしなきゃならない。
JAやホームセンターやスーパーに寄る用事に合わせて、行くことが多い。

畑の様子

50坪の畑は、中山道の道沿いの傾斜地にある。
フェンスに囲まれたの中の一画。近所の数軒が集まって、それぞれ50坪から200坪ほどの畑を隣り合わせている。
我が畑の端っこには、大家さんの秋の食用に、タラの芽の木が植えてある。
借り始めたころは、枯れた雑草が生い茂り、刈りはらってから山にして燃やしたものだ。
今年は、ナス、トマト、キューリ、インゲンなどの夏野菜を中心に植えた。

その当時、もう一か所あると言われた畑は、大家さんの家の裏側にある。
昨年は定年おじさんの体力が一杯いっぱいで、そこの畑のことまで考える余力はなかった。

今年から頑張って、そこの畑も耕し始めた。
大家さんの耕運機を借りて、畑まで自走で行けるのが助かる。今年はジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、トウモロコシなどを植えた。実がなってから、トウモロコシが食害にあった。1株だけ植えたスイカも折角成った小さな球が皮だけ残して食べられてしまった。