タキギを作る 前編

タキギを作りました。

薪ストーブを焚くときに、いきなり薪に点火することはできません。
新聞紙や、白樺の皮などのスターターにマッチやライターで点火し、さらにタキギに火を移してから、主燃料の薪に着火させてゆくのが通常です。

タキギの材料となるのは、廃材や、乾燥した枝などです。
それらを細かく割ったり折ったりして利用します。

よく乾燥したタキギがあるかどうかで、ストーブ点火の効率が全然違います。
タキギ作りは山小舎にとって大事な仕事の一つです。

山小舎をリフォームしてくれた大工さんから廃材を軽トラ一杯もらって、軒下に備蓄していました。
タキギがなくなっていたので、蓄えてある廃材をカットして今年分のタキギを作ることにしました。

廃材を備蓄している軒下へ行きます。
廃材を数枚ずつ担いでカットを行うヤードへ持ってゆきます。

山小舎の軒下に備蓄(放置?)された廃材
軒下から廃材を担いで登ってゆく。いずれ階段を整備しなければならない斜面
今年分の廃材を撤去した後の軒下。枯葉を掃除しなければならない

テーブルソーを取り出してセットします。
薄い板は2枚ずつ、厚めの板は1枚ずつカットしてゆきます。
40から45センチの長さにカットします。

材木の匂いがし、切りくずが巻き上がり、舞い落ちていきます。
チェーンソーを使うときも同様ですが、木材を切るということは、すなわち切りくずを大量に作り出すことです。

前オーナー置き土産のテーブルソーが今年も活躍
今年も切れ味抜群!
タキギの材料ができました。後日手斧で割る予定です

木くずは燃やすこともでき、土にかえることもできます。
薪を燃やした後の灰も植物にとっての肥料となります。
木材は究極の循環素材なのです、

これだけのタキギの材料ができました。
これを手斧で割るとタキギの完成です。

梯子を雑品屋へ持ってゆく

山小舎に不要の梯子があります。
アルミ製でスライド式の大型梯子ですが、曲がっていてスライドできません。
もう一つ同様の壊れていない梯子があるので、壊れている方を処分しました。

処分に当たっては、別荘地のごみ置き場に出す方法もあるのですが、大型なので処分費用がかかります。

大門峠を越えて、茅野へ下ってゆくと雑品屋があります。
金属類は無料で引き取ってくれます。
また、そこでは在庫品は買うこともできます。
動物除けのポールやフェンスの中古品が入荷しているかもしれません。
茅野の雑品屋に持ってゆくことにしました。

問題は搬出方法です。
縛り付ければ軽トラで運べないことはないので、トライすることにしました。
ただし、梯子が落ちないように縛り付けるには、運送屋さんがやっているような「積荷結び」をしなければなりません。

トラックの荷台に積んだ荷物が崩れないように、ロープを結び、体重をかけてぎゅっと縛り付けるあのやり方です。

この結び方、町で暮らしている分には一生無縁の技術です。
ところが田舎で暮らすには必要な技術となります。
常識といってもいいのかもしれません。
バイト仲間の、都会から移住した方々も当然のようにやっています。

山小舎おじさんはこの結び方ができませんでした。
覚えようとして本まで買いましたが覚えられません。

耕運機などを運ぶときにロープで縛りますが、運ぶ距離が近いこともあり、何となく縛ってゴマ化していました。
ところが今日という今日は、軽トラの荷台をはみ出す梯子が荷物の中距離搬送です。
どうしてもこの縛り方をしなければなりません。

荷台に梯子を据え付け、この縛りができなければ搬送をあきらめる覚悟で臨みました。
ロープの縛り方の本を脇に置き、何度も縛りをトライしました。
そうするととうとうできました。
ゆっくりと一行程ごとにやってゆくとできたのです。

とうとう「積荷結び」ができました!
縛り方の本は用意していたのですが・・・
何とかロープが緩まずに運べました

大袈裟ですが、また一つ「田舎人」として一人前に近づけたような気がする休日の午後でした。

帰りに、たてしな自由農園原村店でお買い物。

茅野名物の寒天、茅野の地酒「ダイヤ菊・蓼科」、冷凍の味付けホルモン、地粉、ふすま、鯉のしっぽの甘煮、など。

生の寒天はところてんで食べるとうまい。
ダイヤ菊は、かの小津安二郎監督が蓼科の別荘に滞在中のご指名の銘柄。

普段用というよりは来客用の食材を購入しました。

玉切り、薪割、積み込み

待ちに待った夏の日差し。
まちかねていた夏の行事が目白押しです。
夏野菜の世話と収穫、梅の土用干し、布団干し、室内の空気入れ替え、薪の乾燥・・・。

そうなんです。
高原の短い夏は野菜の世話に追われるだけではなく、来るべき冬に備えての薪割と乾燥の季節でもあるのです。
薪割のスケジュール上では、来るべき冬といっても、
今年の冬のことではなく、来年の冬のことなんですが。

ということで、新しい乾燥台も設置したことですし、そこに乗せる薪を準備しましょう。

乾燥台に載せる薪ですが、下の方に積む薪は重く、大きめがいいのです。
ラックに収納するような場合はともかく、薪自体の組み合わせでバランスを取る積み方では、下は重く、上は軽く、また前後左右の重心にも注意します。
したがってまずは重めの薪を調達します。

まずはチェーンソウの準備です。
オイルと混合燃料を注入。
刃を研ぎます。

刃研ぎこそがチェーンソウワークの肝といっても過言ではありません。
気持ちよく作業が進むか、それとも中腰が痛むだけで全然はかどらないか。
まっすぐ刃が進んでゆくか、それともまがって進み丸太が斜めに切れてしまうか。

刃の切れ具合がすべてを左右します。
ほんとに切れなくなったら刃を替えるしかありません。
左右の刃の切れ味が変わらないようにやすりを入れます。

直径4ミリの専用やすりを使います
上下と左右の角度に気を使いながら刃を研ぎます

次に貯木スペースに太めの丸太を探します。
これは去年調達した丸太です。
これを切ることにします。

横たわった丸太の上から切ってゆきます。
玉切りの作業の肝は丸太の「転がし」ができるかどうかです。
上から丸太を切ってゆき、重心の関係で刃が挟まって抜けなくなることもない、としましょう。

それでもそのまま地面まで刃を進めることはできません。
チェーンソウの刃は石やコンクリ、金属はもちろん、地面をかむことで切れ味が格段に落ちてしまいます。

丸太を玉に切ることはすなわち、丸太を転がして刃が入る面を上部に持ってゆけるかどうかがすべてなのです。
ちなみに丸太は一人の力では持ち上げることはもちろん、転がすこともできない重さを持っています。

今回はてこを使って丸太を転がしました。
無事、6つの「玉」に切り離すことができました。

乾燥台の土台にはこれくらいの太さの薪が必要です
上から切れ目を入れた丸太をてこで転がします
無事6つの玉にカットできました

玉切した丸太を軽トラの荷台に乗せ運びます。
太い丸太の「玉」は持ち上げるのもぎりぎりの重さです。
薪割場に玉切りした丸太を持ってゆき、薪割します。

玉切りした丸太を軽トラに積んで運びます。断面はまっすぐです
断面がずれている丸太。チェーンソウの刃の研ぎが偏っていたのです

これくらいの「玉」になると、斧での一刀両断はとても無理です。
端からそぐように斧で割ってゆく方法もありますが時間と体力がかかります。

そこで楔を2本用意して打ち込みます。
この方法だとよほど節が入り込んだ「玉」でもない限りは割ることができます。

割った薪を積んでいって乾燥させます。

楔2本で割ってゆきます
2本の楔を打ち込んでゆくと繊維に沿って割れてゆきます
玉切りした丸太が4つに割れます
薪を乾燥台に積んでゆきます。来年の冬の燃料です。

いつの間にか秋野菜の作付けの時期になっていました。
例年、暑い盛りにニンジンの種をまきます。
今年もその季節になりました。

ニンジンの畝を荒起しします。
もっとさらっと土が起きてくれてもよかったのですが、田んぼだった粘土質の土地。
しっかり固まっています。

この段階で燻炭とえひめAIをかけて置きます。
お盆前までにニンジンの種をまく予定です。

ニンジンの畝をスコップで起こします
もみ殻燻炭とえひめAIをかけておきます

小豆の畝を除草しました。
思いがけずにうまく育っている小豆。

鞘ができていました。
マメ科の植物特有の鞘です。
この中に小豆豆ができてゆくのでしょう。

山小舎のポットで発芽し、定植後もほとんど肥料もなく、雑草にも負けず淡々と育ってきました。
これが地元の種の強みというのでしょうか。
収穫を期待しましょう。

小豆の実がなっています

山小舎の燃料・薪の乾燥台を設置

山小舎の燃料は薪です。
暖房の主力として、また煮込み料理と湯沸かしの燃料として薪を使っています。短時間の調理と風呂沸かしはプロパンを、また補助燃料として灯油も使っています。

12月から3月までは山小舎にいない、とはいいながら、夏の一時期を除き肌寒い日が続く山間部では暖房用燃料が必須です。
実感的には9月から6月までは暖房が必要な山小舎暮らしです。
薪ストーブが主暖房の山小舎にとって、薪の備蓄は生命線です。

夏前に、丸太を薪に割って乾燥台に乗せ、翌年の暖房用とする。
つまり、2回の夏を越えた薪が燃料には最適といわれています。

山小舎では1回の夏越えで使っています。
ただで入手できる丸太は雑木(カラマツ、白樺など)なので、本来の薪の材料といわれているナラなどの広葉樹より乾きやすいからです。

束などで売っている薪はナラなどの広葉樹。
密度がある材質で、重く、乾きずらいのですが、火持ちがよいのがナラ材です。

反面、ただで入手できる針葉樹や白樺は、熱量が高いのですが短時間で燃え尽き、商品にはなりません。
カラマツなどは発する熱量が高すぎて、普通のストーブでは素材を傷めるとして忌避されています。

山小舎のストーブは薪の材質を選ばないので、タダでもらえるのなら材質を選ばず、丸太を集めています。

集まった丸太はチェーンソウで40から45センチの長さにカットし(玉切りと呼ばれる作業です)、それを斧やくさびで割って薪にし、積み上げて乾燥させて使うのです。

今日は薪を乾燥させる台を新たに作りました。

去年積んだ薪をベランダなどに移動します。

1年たった薪をベランダに移動してゆきます

薪を除き終わったら、乾燥台として使っていた木製のパレットを取り除きます。パレットは不要になったものをJAからもらってきて使ってました。
2年使ったパレットは雨水で腐りかけています。

古いパレットを除きます。雑草や枯葉で地面が雑然としています。

そこで新しいパレットを用意し乾燥台を新調します。

地面を整地し、水平と高さを考慮しながら新しいパレットを置きます
大きな角材で土台を強化。右の植物はグズベリー。実がなるので残しておきます

設置する場所は風通しがよく、日が当たる場所を選びます。
山の斜面に立つ山小舎周辺では、駐車場所として使っている水平の盛り土エリアの端っこが乾燥場所です。

乾燥台周辺の草を刈り、植木などを整理します。
一番肝心なのは、パレットの水平と土台の強度、そして高さです。

相当の重量の薪を積むのですから土台の強度が重要ですが、バランスの取れた積み方をするためにも土台が水平であることが重要となります。
また、乾燥を進めるためにも地面から15センチ以上の高さが必要となります。

今回は材木店から入手した角材を土台に使い、地面を掘ったり、石を使ったりして微調整。
何とか、水平で高さがある土台ができたようです。

この土台に2列、高さ2メートルほどに薪を積み上げる予定です。

早速、玉切りした丸太を持ってきました。これから薪割です

サツマイモ植付けの季節

5月も終盤になりました。
いつの間にか標高1300メートルの山小舎周辺には春ゼミの声が聞こえています。ベランダの巣箱に野鳥が出入りし始め、立木をキツツキがつつきはじめ、スズメバチが巣を作る場所を探すように飛び始めました。

サツマイモの苗を植えました

サツマイモの苗を50本植えました。
JAで買って1200円くらいでした。
これを4列の畝に植えました。

簡単に畝を起こして石灰を散布。
苗を斜めに差し込んで、えひめA1液をたっぷり掛けました。

普通の畑ならばこれで終了ですが、鹿の餌場となっている山小舎おじさんの畑ではもうひと手間が必要です。
で、畝に寒冷紗をふわっと架けました。
とりあえず寒冷紗で苗と芋を保護し、弦が出てからはピンクテープで圃場全体を守ろうか?と思っています。

やせた土地でも育つサツマイモ。
あとは夏の光を浴びてぐんぐんゴムのような弦を伸ばしていってほしいものです。
ここは人間の畑だぞ。今年は食べるのを遠慮しろよ!鹿よ!

畝を立て、苗を斜めにさしてゆきます
畝全体にえひめA1の希釈液を散布
ざっくりと寒冷紗を架けます。鹿の目先を変えるのが主目的です

玉ねぎに追肥

玉ねぎとニンニクに最後の追肥をしました。
成長が回復した玉ねぎは、葉が勢いよく育っています。
が肝心の玉のほうはいまいち。これからの肥大に期待します。

玉ねぎの刃が勢いよく突き立っています
上から見ると玉の肥大はこれからです。長野での収穫時期は6月。うちは少し遅れそうです。

ポットで芽を出してきた作物たち

朝晩、霜が降りようかというくらい寒い日もある山小屋の5月。
やっとというか、それでも頑張ったというか、作物たちが、ポットから芽を出してきました。
発芽という現象。
温度が一番大切なのかもしれません。
枝豆、落花生などの芽が出こないのが気がかりです。

インゲンです
トウモロコシも芽が出ていました
パクチーの発芽
芽が出たインゲンを大き目のポットに植え替えました

大門街道のヒツジ小屋

街道沿いで買われている羊たち。外に出て草を食んでいます。

廃材をもらってきました

解体中の別荘から廃材をもらってきました。
梁や柱に使われた太い木材です。
板材と違い、丸太を割った薪と同じく燃料の主力として使えます。
しかも完全に乾いているので火力・熱量ともに十分です。

別荘管理事務所のバイト仲間と二人で現場に行き、それぞれ軽トラに積んできました。
山小舎おじさんは燃料に使い、バイト仲間は薪の乾燥台のプラットフォームに使うそうです。

廃材には釘がありますので抜いてからチェーンソーでカットする必要があります。
これだけあれば山小屋で2週間分の燃料確保です。
丸太もたまってきたので、畑が一段落したら薪割と、新たな乾燥台の設置をしなければなりません。

柱や梁の廃材を軽トラ一杯もらってきました
ベランダをかたずけて、くぎを抜きカットした廃材を並べ始めました

カラマツをもらってきた 今年初の玉切り

バイト仲間の別荘住民から、伐採したカラマツがあると聞き、もらいに行きました。

まずチェーンソーの準備です。
昨年末にプレートが壊れて修理に出していたおじさんのチェーーソーがJA農業機械部から上がってきました。
チェーンも新しくなってチューンアップされたチェーンソーの出番です。

まず、混合燃料を作ります。
2サイクルエンジンオイルとガソリンを用意します。
今年から、ガソリンを買うときには住所氏名電話番号とガソリンの使用目的をスタンドで申告することになっていました。


25:1の割合でガソリンとエンジンオイルの混合燃料を作ります。
混合燃料とは別に専用のチェーンソーオイルを用意します。

混合燃料を作る時にガソリンに混ぜるエンジンオイル。
ガソリンタンク。専用の容器でないとガソリンは売ってくれません。
25:1の割合で混合燃料を作ります。

チェーンソーオイルです。

チェーンソーオイルと混合燃料をそれぞれの注入口からマシンに注入します。
試運転も絶好調。
新しい刃はさすがに良く切れます。

チェーーソーオイルを注入します。
混合燃料を注入します。
細い丸太で試運転。あっという間の一刀両断。

現場に向かいました。
大きなカラマツが3本倒れています。
べったりと地面に接して倒れているのが2本。
伐採面が根元にくっついて、倒木が斜めになっているのが1本。
いずれにしても玉切りするのに時間がかかるし、マシンの燃料の補給も2回以上かかりそうな丸太の量です。

玉切りの難しいところは、チェーンソーの刃が挟まらないように切ること、また刃が地面や砂利をかまないように切ることです。
丸太を上から下までスパッと切ることができるような状況は少ないので、地面との間に木をかますか、刃が挟まらないような力点のところに切断面を持っていくかをしなければなりません。

地面にべったりくっついた丸太は、ひと先ず上から切ってゆき、地面に接する前に切るのをやめ、丸太を転がして反対側から切ってゆきます。
ところが1人の力では転がりもしないのが丸太の重さです。
一人で玉切りするときはとにかく時間がかかります。

今回は伐採主のバイト仲間がそのあたりを手伝ってくれたので、時間が大幅に短縮できました。
奥さんからジュースの差し入れもあり感謝です。
マシンの調子は絶好調で、刃が面白いように丸太を切り進んでゆきました。

玉切りした木材は軽トラ3台分ありました。
ざっと1か月分ほどの燃料となりましょうか。
割って干せば来年には使えそうです。

この積荷で3台分ありました。
山小屋の薪割フィールドが山になりました。

柿酢を絞りました

今日はバイトを休む日。
雨なので畑も休みです。
気になっていた柿酢を絞りました。

昨年の11月に仕込んだ柿酢です。
完熟の柿や、畑の隅の渋柿を手当たり次第にリカー瓶に放り込んで、つぶしておいたものです。
放り込んだ後は今年になって一度、かきまぜただけです。

柿酢を仕込むのは今回で3度目。
半信半疑で仕込んでみた最初の柿酢はまろやかに仕上がり、自宅でも人気で、通常の酢代わりにすぐ使ってしまいました。
2回目も同じように仕込んだつもりですが、絞った後に嗅いで見ると酢の匂いと同時に、苦いようなにおいがし、失敗しました。

今回の柿酢は一応、酢の匂いだけがしており、このままいくと使えそうです。

柿酢作りの場合、仕込みよりも絞りの行程が一番手間がかかります。
改めてネットで絞りの行程を確認してから準備に取り掛かりました。

今回は、布巾を袋に縫ってそこに柿酢をあけ、絞ることにしました。

山小舎の裁縫セットの出番です。
100均で集めた、針、糸、ゴムなどが、山小舎にはすでにそろっています。
股引のゴムが伸びたときはこの裁縫セットが活躍します。

布巾の両サイドを二度縫いしました。
袋の完成です。
これが大いに役立ちました。

布巾のすそを縫ってゆきます
布巾の袋の完成です

いよいよ絞りの行程です。

手縫いの袋は良く絞れました。
柿酢がリカー瓶に8割ほど採れました。

後は発酵し続ける柿酢の絞り汁を冷暗所に保管します。
まろやかに仕上がってくれることを祈って。

袋にリカー瓶の柿を入れます
袋を絞ってしぼり汁を集めます
やや濁ったしぼり汁が取れます
しぼり汁。あとは常温で熟成させるだけです

搾りかすもいい肥料になりそうです。

絞りかすは肥料にして使います

雪の降った朝に

4月25日です。
朝起きると雪が積もっていました。
昨日は外で1日バイト仕事をしましたが、確かに風が冷たかった。
夕方から雨か雪の予報。
まさか?

14日に山小舎到着後、2度目の積雪です。
昨年もキャベツを定植してから積雪がありましたが・・・。
あの時は畑がある標高600メートルでも積雪がありましたっけ。
山小舎内部及び周辺の気温は低いです。
冬のようです。

ということで、朝のうちは室内で仕事?2件を片付けました。
まずはトウガラシの保存処理。
昨年収穫したトウガラシをガス台の横に引っ掛けておいてましたが、最近、乾ききって種などが落ちてくるようになったので、実だけを外して瓶に保管することにしました。

カラカラに乾いたトウガラシ4枝を新聞紙の上に広げます。
畑で栽培し、1本の苗からとれたものです。
この4枝のほかに2,3枝を娘のところなどに送っています。
毎年トウガラシは豊作です。

枝から実を外してゆきます。
ハサミで切っていましたが、カラカラに乾いているので手で折ったほうが早かったです。

実だけをより分けて、乾燥剤を入れた瓶に移します。
2,3年分のトウガラシが保存できました。

次いで、2,3日前に直売所で買ってきたフキノトウを加工しました。
1パック100円。
花が開いており、若干のヒネモノですが充分食べられます。
天ぷらが美味いのですが、一人の時には揚げ物はしない山小舎おじさんは、フキノトウ味噌を作ってみることにしました。

フキノトウ味噌は初トライです。
みじん切りにすると苦い香りが広がります。
早春の香りです。
さっと炒めて味噌、酒、砂糖を加えます。

フキノトウ味噌の完成です。
早春の食事のパートナーができました。

緊急事態宣言下 生島足島神社へ「初詣」

緊急事態宣言下の東京から、レベル2で警戒中の長野県へやってきました。
山小舎への入口、茅野市では、もともとと人気がないところに持ってきて、がらんとした街と少ない交通量に尋常ではない雰囲気を感じました。

山小舎到着翌日には畑の下見をし、その後で、買い物を兼ねて上田方面に向かい、生島足島神社にお参りしました。
例年4月がおじさんにとっての長野での「お正月」です。
神社への年初のご挨拶は、季節外れの「初詣」となります。

ブログでは何度か紹介した、上田市の生島足島神社。
成立年がわからないほど古い歴史を持つ、上田地域の守り神です。
信濃国一之宮の座こそ、諏訪大社に譲ってはいますが、上田に信濃国国府があった時代からこの地にあった神社ですから、実体的に信濃国(長野県)全体の守り神といってもいいでしょう。

訪れた境内は、レベル2下の県内事情を反映してか、ひっそりとしていました。
手洗いの場所も使用禁止になっています。

構わず本殿にお参りし、今年の家内安全を祈願しました。
古いお札を納め、新しいお札をいただきました。
社務所はガラス戸で遮断され、応対してくれた巫女さんもマスクをしていました。

上田市中心部には寄らずに帰宅しました。

山小舎内のしかるべき場所にお札を安置し、柏餅などを供えました。
今年は神さんのパワーにすがるしかありません。

山小舎暮らしを再開しました

2020年の山小舎暮らしをスタートしました。

4月14日に東京から長野に移動しました。

今回は特急あずさに乗って茅野までの旅をしました。

調布から京王線で八王子へ。
JR八王子駅へ着いて異様な雰囲気に驚きました。
世の中は緊急事態宣言下だったのです。

駅のコンコースです。
ひとの少なさは尋常ならずですが、なによりも雰囲気がいつもと違っています。
人々の様子が暗いというか、苛立っているというか・・・。

八王子駅のみどりの窓口はまるで開店休業でした。

車中での昼食を求め、駅ビル地下食品館へ向かいました。
地上階のデパート部分は休業中のようでした。

特急あずさが入線しました。
山小舎おじさんが乗った車両の乗客は7,8人でした。
ビジネスマンらしき若者が2,3人いました。

異常事態でも腹は減ります。
車中での昼食です。
高速バスと違って列車の居住性は抜群です。

車窓の風景も目線が低いというか、高速道路から見る風景と違って、人々が暮らす目線の高さからの景色がとても興味をそそります。

中央本線の駅駅を過ぎ、やがて笹子トンネルを越えて甲府盆地へ。
甲府盆地も過ぎて八ヶ岳のふもとの景色の中へ。
長野県に入ると間もなく茅野駅に到着しました。

非常事態宣言下の世の中とはいえ、長野県は少しはのんびりした雰囲気なのかな?と漠然と思っていましたが、駅を降りてすぐに幻想は打ち砕かれました。

茅野駅舎内の観光案内所と物産館が閉まっています。
駅直結の商業ビルの食堂はパン屋を除いてしまっています。

アルピコ交通の営業所へ行き、バスの時間を確かめました。白樺湖方面への路線バスは運行していました。
しかし営業所の係員はマスク姿は仕方ないとしても、おじさんが入ってゆくとさっと警戒するような視線を送り、よそよそしく対応するのはやはり感じがよくありませんでした。

のんびりとした長野県気質がとげとげしくなっています。
しょうがないことなのでしょうか。
それとも例の北朝鮮発のロケットの着弾時のJアラートの発信に対しても、まったく安全圏の土地柄ながら、きっちり小中学校の登校時間を10時に遅らせる措置をとった長野県の、まじめというか、過剰反応気味の遵法性のなせる業なのでしょうか。

バスの時間までの間、ビル内の床屋で散髪しました。
カットのみ1650円。
開いててよかった!

ビル内の小津安二郎コーナーはいつも通りでした。
人気のないコーナーの片隅に、清酒ダイヤ菊の魅力的なポスターが立っていました。
巨匠が愛した茅野の地酒です。
ポスターの芸者さんだけは、いつも通りに茅野でおじさんを迎えてくれているようでした。

白樺湖経由車山高原行のバスで途中のAコープまで行きました。
Aコープで買い物をして残りの行程はタクシーを呼びました。
荷物が少なければ大門峠までバスで行って1時間弱歩くという方法もありますが、今回はやめました。なお、バスの乗客はおじさんのほかにおじいさんが一人でした。

タクシーの窓から見る八ヶ岳連峰の山すそまで、昨日降ったという雪が積もっていました。

山小屋の周りも真っ白でした。

管理事務所からの、コロナ注意のお願い文書が郵便受けで待ち受けていました。
今までにない、尋常ならぬ1年の始まりです。
果たしてどういう結末が待っているのでしょう。