DVD名画劇場 アフリカの女王とキャサリン・ヘプバーン

「アフリカの女王」という作品が好きだ。
中学生の時にだったかテレビの名画劇場で見て、20代になって映画館で再見した。
何ともいえぬ力の抜け具合。
まるで仏教説話のような映画だと思った。

「アフリカの女王と私」というキャサリン・ヘプバーンの著作がある。
彼女(「ケイティ」とヘプバーンが自称している)らしく、口語体で思ったことをのびのびと書いた本で、読みだしたらやめられない。
彼女の自伝「Me」を思い出す。

まずはこのメイキング本を読んだ。
そのあとに映画を見た。

「アフリカの女王と私」 キャサリン・ヘプバーン著 1990年 文芸春秋社刊

「お金のためだけに(映画の)仕事をしたことは一度もない。」(同著P141)とケイティは言う。
「仕事をするときは、その映画の発想なりキャラクターなりに愛情を覚えるからだ。」(同)とも。

「事実や映像やなまなましい感覚が、ひとつながりの記憶となってこちらへ押し寄せてくる。私の場合「アフリカの女王」がそうだった。」(同P10)。
ケイティは撮影後三十数年をして、この本を執筆する。

「アフリカの女王と私」表紙

電話が鳴る。
映画プロデューサーのサム・スピーゲルからだ。
面識はない。
「アフリカの女王」という原作ものの映画化の話。

監督のジョン・ヒューストン。
面識はない。
主演予定はハンフリー・ボガート。
会ったことはない。

でもケイティはスピーゲルに会ったときには出演を決めている。
あまつさえ、アフリカロケを提案する。
逡巡するスピーゲルに追い打ちをかける、「忘れないでくださいね、きっとアフリカですから」(同P15)と。

ケイテイことキャサリン・ヘプバーン。「アフリカの女王」撮影時41歳

脚本が届く。
ケイティに言わせればピンとこない。
ジョン・ヒューストンはなかなか姿を現さない。
会ってもとらえどころがなくケイテイをイライラさせる。
「一つだけ答えてほしい。ヒューストンはなぜ約束の時間を守れないのか。私は彼よりも百万倍も忙しい。」(同P17)のにと。

アフリカに着く。
コンゴのレオポルドヴィル。
次に飛行機でスタンリーヴィル。
撮影用キャンプの村までは、汽車で8時間、さらに車で40マイル。
ボギーはローレン・バコールとともに夫婦でロケに参加。

ロケ地でのボギー夫妻。ローレン・バコールが若い

キャンプでは、ボギー夫妻ともども個室のキャビンを与えられ、専属のボーイが付く。
部屋を花で飾り、シャワーやトイレの不自由に耐える(トイレはおまるで行い、シャワーの際に廃棄する)。
アフリカ暮らしはまんざらでもないらしい。

キャンプの「自室」でくつろぐケイテイ

「ここの水は、そう、まるではちみつだ。泥から蒸発してきたはちみつ」。(P35)と現地の軟水に感激するケイテイ。
軟水だと肌や髪が滑らかに保てるらしい。
アフリカ滞在を楽しんでいる。
否、文化生活とは対極にある生活から学び、よいところを見つけ出している。
さすが、ハリウッドではパーテイには参加しない主義、というケイテイ!

お気に入りの専属ボーイのアシストで髪を洗うケイテイ

ボギーとヒューストンへの評価は厳しい。
「私はこのアフリカでボギーとヒューストンという『男性意識過剰の』二人の男に挟まれている。」(同P65)と。ボギーの飲酒、ヒューストンの狩り(ちょっとでも暇ができると狩りに行きたがる)についても忌憚ない意見を述べることを躊躇しない。
自立した女性・ケイティ。

監督のジョン・ヒューストンは当初、ケイテイをあきれさせた

兄とともにアフリカに宣教に来て10年。
第一次大戦がはじまり、兄は死ぬ。
兄を間接的に殺したドイツ軍の戦艦をやっつけに、滝や葦原を物ともせず、ポンポン船アフリカの女王号で、船長のチャーリー(ボギー)とともに突き進むオールドミスのロージー(ケイテイ)が映画の主人公。

水に入る部分以外のほとんどのシーンをアフリカロケで撮影した1950当時では前代未聞の映画。
その空前節後のメイキングが「アフリカの女王と私」。

信心深く、不器量なオールドミスのロージー。
そのキャラクターにユーモアの色を付けたヒューストン。
深刻な場面で「スマイル」を指示されたケイテイ。

「こんなにすごい演出の仕方は初めてだった。」「ヒューストンは常識がなく、無責任で、乱暴だ。しかし彼には本当に才能がある」(同P96)と絶賛。
評価を180度転換する。

批判しつつもヒューストンの狩りに同行したケイテイ!

前後するがボギーについての評価も。

ロケの合間に川向の漁村見物に出かけようと、ボギー夫妻ともどもモーターボートをチャーターしたが、エンジン始動と同時に爆発が起きた。
ボギーは川に飛び込んで水をかけ、隣のボートの消化器と毛布で火を消し止めた。

「ボギーはトラブルに出くわしても、それをちゃんと処理できる人なのだ。」(同P42)とその真価を評価している。

ボギーは「トラブルを処理できる男」だった

「アフリカの最後の数日(中略)私はこの土地の美しさと力強さに心を動かされていた。とにかくけた外れの体験だった。(中略)もう一度ここへ戻ってこれるだろうか。戻りたい、本当に戻りたい。」(同P133)。

ヒューストンに出会い、ボギーに出会い、得難い体験の数々を残し、ケイテイはアフリカロケを終えた。

撮影風景。50年当時の大掛かりな撮影クルーの様子がうかがえる

「アフリカの女王」 1951年 ジョン・ヒューストン監督 ユナイト

1914年の独領東アフリカ。
イギリスから派遣されて10年の宣教師兄弟が教会に讃美歌が流れる。
オルガンを弾いて声高らかなやせぎすの中年女性(キャサリン・ヘプバーン)。
黒人のリズムと全く調和が取れていない。

一方、ボイラーを真ん中に積んだだけでキャビンもないポンポン船で川を行き来し、郵便や物資を運ぶカナダ人のチャーリー(ハンフリー・ボガート)。
すっかりアフリカずれした様子は、貧乏旅行者が気に入ったアジア・アフリカの安宿で「沈没」した様さえ思わせる。

さすが、ケイテイとボギーの両スター。
つかみはOKだ。

画面から醸し出される茫洋とした、雄大な、神の支配するかのような明るさとゆったり感。
これはジョン・ヒューストン監督のなせる業か?
いや、暇さえあれば狩りにうつつを抜かしていたというヒューストンの功績について結論付けるのはまだ早かろう。

アフリカの女王号の二人を狙うテクニカラー仕様のカメラ

それにしてもキャサリン・ヘプバーン扮するロージーの何とチャーミングなことか。
宣教師の兄に同行してアフリカで10年。
こちこちのクリスチャンでやせぎすのオールドミス。
ユーモアのかけらもないキャラクター。

兄が死に、様子を見に訪れたチャーリーとともに野辺の送りを済ませると、ドイツ軍の来襲から逃れるため(と、内心ではドイツ軍に復讐するため)、アフリカの女王号で出発する。

メイキング本の裏表紙より、アフリカの女王号に乗り込むシーンのケイテイ

せちがらさと世俗からはかけ離れ、頑固一徹、宗教者として誇り高く自律的なロージー。
擦れておらず、一本ずれた天然なところがかわいらしい。
突拍子もない発想は一見非常識だが、チャーリーの協力よろしく、窮地に陥ったアフリカの女王号を何度も救う。

滝を下る、魚雷?をつくる、折れたスクリューをジャングルで炭をおこし冶金で修理する。
チャーリーにとっては常識外の発想。
あっけにとられながらも持ち前の生活力で、ロージーの「発想」を「形」にするチャーリー。

二人に襲い掛かる困難の数々

兄の死と教会からの離脱という絶望的な状況に毅然とした姿勢を崩さず、助けてくれるチャーリーの飲んだくれに対してはジンの瓶全部を川に投棄し、酔ったついでの「やせぎすのオールドミス」というチャーリーの暴言には、翌日チャーリーが全面的に謝るまで無言を通す。
こういった融通の利かない女性像の演技はヘプバーンの独壇場。
頬のこけ尖っているが上品な顔つきが冴えに冴える。

共同作業の中、二人が意気投合する。
堅物オールドミスと沈没組中年外人のカップリング。
もちろんロージーにとっては初めてのパートナー。
これぞベストカップル!
奥さんのロージーが溌溂としていてリーダーシップをとり、旦那のチャーリーがしっかりとフォローできるのが好ましい。

困難を一つひとつ解決してゆく二人

ヘプバーン(ケイティ)のメイキング本では「大騒ぎ」の内幕だった。
大作映画としてスマートに編集された完成映画を見ると「混乱」の跡形もない。

アフリカロケが醸し出す泰然としたムード。
ヘプバーンの「絶望感の中にスマイルを通す」演技はヒューストン演出のナイスプレー。
キーマンであるロージーのキャラ付けが映画に果てしない広がりと深みを生んだ。
汚れ役で、頼りがいのあるボギーの演技もよかった。

なお、ケイテイのメイキング本には一言もなかったがこの映画、製作のスピーゲル(クレジットでは変名のサム・イーグルとなっている)、監督のヒューストン、主演のボギーに同行のベテイ(ローレン・バコール)、そしてケイテイと、全員が40年代末期のハリウッド赤狩りの間接的な犠牲者であり、少なくとも苦い思いをしたという意味で共通点を持つ「仲間」ではないか。

製作者;サム・スピーゲル(右)。左は撮影監督のジャック・カーデイフ

彼らのいわば「同志愛」が、困難な製作をやり通し、人類愛に満ちたともいえるこの作品を誕生せしめたのかもしれない。

おまけ 「旅情」 1955年 デヴィッド・リーン監督  イギリス

ヘプバーンのオールドミスキャラつながりで「旅情」を見た。

今回のケイテイの役柄は、アフリカの宣教師というぶっ飛んだものから、大幅に一般化し、アメリカ地方都市の秘書の役。
38歳の独身、仕事は有能だが男の影無し。
長期休暇を取っての欧州でのバカンス。
最後にベニスにやってきた女性一人旅という設定。.

女性の一人旅。
普通は男(特にイタリア男!)がほおっておかない。
ゆく先々でアヴァンチュールを繰り返し・・・というところ。
だが我がケイテイにはまったく男っ気なし。

ベニスのペンションでも食事の誘うのはもっぱらケイテイの方から、しかもデートに忙しい同宿者はケイテイの誘いを断ってばかり。
イタリアは、ベニスは恋の街なのだといわんばかりに。

ペンションの女主人がイザ・ミランダ。
イタリア生まれのフランス女優で「輪舞」(1950年 マックス・オフュールス監督)で貫禄たっぷりな美貌を見せてくれた。

女主人はケイテイとさっそく意気投合するが彼女も恋の女。
「積極的に行かなきゃ」などと、会った早々のケイテイにアドバイス。
「イタリア男は面白いわよ」とも。

そこへ現れたイタリア男。
てかてか、ぎらぎらのロッサノ・ブラッツイ。
ベニスへの列車でケイテイと同じコンパートメントだったのがなれそめ。
サンマルコ広場のカフェで再会するが、防御の硬いケイテイは見て見ぬふり。
ベネチアガラスを飾る骨董屋で再再会。

ケイテイ対ロッサノ・ブラツイ

自立しテキパキしている職業婦人のケイテイは、ムービーカメラを片手に一人でどこでも出かける。
裸足の浮浪児マルコが案内役だ。

ピュ-リタリニズムというのかアメリカの田舎の価値観なのか、男に対してはとにかく硬いケイテイ。
折に触れ口説くブロッツイ。
既婚者で成人しそうな息子がいるのがばれて、せっかく近づくことのできたケイテイの怒りを買ってもあきらめないで言い訳にこれ務める。

本当は寂しがり屋、旅先で若い男に言い寄られるのが夢だがこれが現実、と核心を追いて口説きまくるイタリア中年男に、さすがのケイテイもギブアップ。
夢のようなベニスの夜。
オーケストラが奏で、空には花火が轟いておりました。

イギリス人監督のデヴィッド・リーンは撮影時40代中盤のヘプバーンの、首のしわとそばかすを隠すことを第一に考えたらしい。
なるほどハイネックの衣装と濃い目のメイク。
テクニカラーに映える衣装。

ただし隠し切れないのがキャサリン・ヘプバーンの役者としての実力、そして貫禄。
毅然とした姿勢を崩さず、自立し、一人で行動する役を敢然とこなす。

運河に落ちるシーンもスタンドなし。
「アフリカの女王」に次いでの水ずくしだ(ちなみに「アフリカの女王」でボギーとケイテイが水に漬かるシーンはすべてロンドンのスタジオ撮影とのこと)。

若いころの「赤ちゃん教育」でも「フィラデルフィア物語」でも、水に浸かったりプールに飛び込むシーンはお手の物だったのがケイテイ。
さすがの女優魂である。
この作品でもケイテイことヘプバーン一人の場面の芸達者ぶりをたっぷり楽しむことができる。

イタリア男の手を借りて、旅の情けを知ったケイテイ。
理想ではないものの、自分相応の夢を見ることができた。
現実とは交わらないものの、確かな夢の名残を残してベニスからアメリカのホームへ帰ってゆくのだった。

ヘプバーンは中年になっても、若いころ(「勝利の朝」「赤ちゃん教育」「フィラデルフィア物語」のころ)同様に冒険が似合っていた!

列車でベニスを去る時のケイテイ

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル!①勃興期

アメリカ映画黄金時代のラインアップに欠かせないのがミュージカル映画。

「ミュージカル映画こそは、我々大衆が常に求めている真の芸術形態であると筆者は確信する。」とは、柳生すみまろ著「ミュージカル映画」(1975年 芳賀書店刊) P158よりの引用。

今回は1940年代に全盛期を迎えたMGM社のミュージカル映画から、その勃興期に当たる1920年代から30年代にかけての2作品を見た。

「ミュージカル映画」表紙
同、奥付き

「ブロードウエイ・メロデイ」 1929年 ハリー・ボーモント監督 MGM

世界初のトーキー映画が1927年の「ジャズシンガー」。
初のミュージカル映画ともいわれる「ジャズシンガー」から、各社は玉石混交のミュージカル作品を制作した。

「ブロードウエイメロデイー」は、音楽部員として、のちにMGMはミュージカルを支えることになるアーサー・フリードが参加し作詞を担当。
また、劇中の全曲がオリジナルスコアという力の入った1作だった。

出演は、ブロードウエイのスターを目指す姉妹役に、ベッシー・ラヴ(姉)とアニタ・ペイジ(妹)。
姉の恋人で、ブロードウエイで作曲家兼役者をしている役にチャールズ・キング。

アーサー・フリードを除き、監督のボーモントともども、現在では忘れられたスタッフ、キャストだが、姉役のベッシー・ラヴは子役から無声映画で活躍した人気者だったとのこと。

また、映画は我々が想像するような、セリフを歌で表現したり、レヴューシーンと劇シーンが混然一体となったミュージカルではなく、歌と踊りが行われるのは舞台上とけいこの時だけで、あとは一般の劇映画のように進んでゆくスタイル。

「ブロードウエイメロデイー」の一場面

田舎からニューヨークに上京し、舞台のスターを目指す姉妹が主人公。
お互いへの思いやり、チャールズ・キング扮する姉の恋人を巡る三角関係、バックステージの混乱、リハーサル前の緊張、妹の抜擢、妹に近づく都会の遊び人・・・などが要素となって話が進む。

前述のように、レビューシーンは舞台を平板的に撮影するという方法で表現され、のちのMGMミュージカルに見られるような、大セットと大人数のダンサーによる目くるめく舞台を立体的に撮影する、というスペクタクル性は見られ無い。
ダンサーたちの踊りも、整合性がなく緩い感じなところに完成度の低さがうかがえる。
その分、ベッシー・ラヴの達者な個人芸が見られるのは、アナクロな意味で拾い物だが。

中央アニタ・ペイジ。右ベッシー・ラヴ

先の「ミュージカル映画」によると、ミュージカル映画には2種類あり、一つはいわゆる楽屋話を描くバックステージものや伝記もので、もう一つは40年代のMGMミュージカルに代表されるオリジナル歌曲で構成される豪華絢爛なものだという。(同著P150)

この定義で行くと「ブロードウエイメロデイー」は、初のオリジナルスコアによる作品でありながら、多分にバックステージものの要素を持っており、分類は難しいが、レヴューシーンの表現が成熟していない点やドラマ部分の重要度合いを見ると、一つ目のいわゆる「楽屋話」に分類されるのだろう。

妹を思って、遊び人から妹を守ろうとしたり、三角関係から身を引く姉(ベッシー・ラヴ)の演技がよかったし、妹役アニタ・ペイジのフレッシュな美しさは見ごたえがあった。
本作は大ヒットし、MGMがミュージカルに傾注するきっかけになったという。

「巨星ジーグフェルド」 1936年 ロバート・Z・レナード監督 MGM

上映時間(DVD)178分。
MGMのトップスターの配役。
豪華絢爛なレビューシーン。

どれをとっても第一級作品仕様で、40年代に全盛を迎えるMGMミュージカルの直接の契機となった作品。
第9回アカデミー賞の作品賞と主演女優賞(ルイーゼ・ライナー)を受賞。

このそうそうたる作品が1936年に生まれている。
テーマとなったジーグフェルドとは何か?
この作品撮影の数年前に死亡したブロードウエイのレビュープロデユーサーである。
名前の通りドイツ系移民の子孫で、父親は音楽学校の経営者。
比較的裕福な出だった。

1893年シカゴ万博の会場からドラマは始まる。
筋肉自慢の怪力ショーをプロモートするジーグフェルド(ウイリアム・パウエル)。
向かいの小屋ではエジプト娘のベリーダンスを出し物に、終生のライバルとなる興行師が呼び込みしている。
当時の万国博覧会は異国趣味や怪物志向の見世物小屋が今でいうところのパビリオンだったのだ!

まもなく口八丁手八丁のジーグフェルドルドは、ライバル興行師を付け回し、ロンドンでフランス人歌姫アンナ(ルイーゼ・ライナー)を横取り契約して大当たりを取り、彼女と結婚(実話では事実婚)したりで、ブロードウエイでのし上がってゆく。
舞台については装置から衣装まで細かく口を出す。
そのことごとくがヒットにつながる。

右からウイリアム・パウエル、ルイーゼ・ライナー、ヴァージニア・ブルース

アンナを主役から降ろし、バックダンサーのオードリー(ヴァージニア・ブルース)をレビューの主役に抜擢。
大人数のダンサーを使い、大掛かりな舞台装置、豪華な衣装のレビューを演出するのがジーグフェルドのスタイル。

映画で再現されるそれは、まさにMGMミュージカルの豪華さをこれでもかと見せつけるよう。
デコレーションケーキのような形の巨大な装置を舞台上にあつらえ、それが回転するにつれ、東洋調、イタリア調と異国情緒あふれる場面が過ぎてゆく。
様々な音楽を豪華衣装のダンサーたちが奏で、回転を終えたデコレーションのてっぺんでは、オードリーがにっこり微笑む。

レビューの場面

衣装は宝塚もびっくりのキンキラキンだし、ダンサーは大勢で皆美人、踊りも「ブロードウエイメロデイー」に比べて格段に揃っており、キレもある。
観客から見えやすいように、ダンサーたちが配置される階段は高く、急に、というのもジーグフェルドの演出。

一方でスターの座を奪われたアンナは夫のもとを去る。
のちにジーグフェルドの再婚を新聞で知り、お祝いの電話をかける。
この時のルイーゼ・ライナーの演技がよい。
ドイツに生まれたユダヤ人としてハリウッドで異色の経歴を生きた女優であるルイーゼの悲哀が感じられるかのような演技だった。

ルイーゼ・ライナー

開巻2時間を優に過ぎてから、マーナ・ロイが二度目の妻役として登場。
最後までジーグフェルドを励まし、株の暴落で破産してからは自ら舞台に復帰し夫を支えた妻を演じている。
パウエルとマーナはすでにMGMの黄金コンビとして「影なき男」シリーズで夫婦探偵を演じており、息の合ったパートナーぶりが見られる。

マーナ・ロイ

ジーグフェルドの自伝映画としてほぼ実話に基づいた作品のようで、生前ジーグフェルドに関係のあった俳優(ウイル・ロジャースなど)が実名で出ている。
ここら辺はバックステージものそのものである。
一方で、豪華絢爛ぶりもいよいよ盛んになった作品でもあり、見物としては舞台の豪華ぶりが一番の見どころではあった。
1936年作品にしてこの盛り上がりぶり。
MGMミュージカルよ恐るべし。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ターザンとジェーンのエデンの園

ターザン映画は1918年にアメリカで映画化(大正8年「ターザン」の題名で日本公開)されたのが最初だという。
MGMによる、ジョニー・ワイズミュラー主演での映画化(1932年「類猿人ターザン」)は、作品の数では9作品目の映画化になる。
ワイズミュラーは6代目のターザン役者とのこと。

先に「類猿人ターザン」を見てその面白さに驚いた山小舎おじさん。

ワイズミュラー主演のターザン10作品が入ったDVDボックスがあったので買ってみた。
ワイズミュラーとモーリン・オサリバンのコンビによるターザン物を見てますますターザンものが面白くなった。

「類人猿ターザンの復讐」(原題:ターザン アンド ヒズ メイト) 1934年 セドリック・ギボンズ監督 MGM

MGMターザンシリーズの第2作。
前作で行方不明の父を追ってイギリスからアフリカへやってきたジェーン(モーリン・オサリバン)は、自然児ターザンの出現に恐れおののいたものの、その魅力に心動かされる。
父の死を確認したこともあり、ジェーンはターザンとともにアフリカに残る道を選ぶ。

ワイズミュラーとオサリバンのコンビ2作目の「ターザンの復讐」ではアフリカでターザンと暮らすジェーンの、ジャングルへの適応ぶりとターザンへの愛情が描かれる。

日本公開当時の「類猿人ターザンの復讐」広告

この作品でのジェーンの格好は、セパレーツの上下で、下半身は紐で前後とつなげているだけ。
ターザンのスタイルとの共通性があり、ジャングル生活に適応したジェーンの姿を現す。
だが当時の社会情勢や映画の自主規制状況を考えると、これはかなり思い切ったスタイル。

「ターザンの猛襲」プレスシートより

ジェーンは、前作で彼女に思いを残しながらイギリスに帰っていたハリーと、その友人で象牙で一攫千金を狙う山師のような男のキャラバンを迎え、再会を喜ぶ。
キャラバンにはハリーが用意したドレスや化粧品があり、ジェーンはドレス姿を披露。
ドレスや化粧はジェーンの若い女ごころをくすぐりはするが、ターザンとの絆を切るまでには至らない。

ジェーンが「エデンの園」と呼ぶ河畔。
朝のターザンとの水泳シーンでは、ジェーンが着ていたドレスが木に引っかかり、裸のまま水中を泳ぎ回る。
水中シーンはシリーズで毎回出てくるが、この作品の場面が一番長く、美しい。
ジャングルに適応し、ターザンと暮らす喜びがあふれる。
当時の映画では思い切った表現。

「ターザンの復讐」よりターザンとジェーン

ジェーンを演じるイギリス人女優、モーリン・オサリバンは1911年生まれ。
本作品撮影時は22、3歳でまさに若さがキラキラしている頃。
前作でのおてんば娘ぶりから、愛する人と暮らす若い娘への変貌を溌溂と演じている。

DVDボックスより

山師の策略で、ターザンが死んだと思ったジェーンは一度はイギリスへの帰還を覚悟するが、こういったジェーンと文明社会との切っても切れない関係性はシリーズ中で繰り返されることになる。

シリーズ中最長と思われる上映時間104分は、大半がジェーンの魅力に捧げられたものだった。

「ターザンの逆襲」(原題:ターザン エスケイプス) 1936年 リチャード・ソープ監督 MGM 

本作から監督は娯楽映画の職人として長く活躍したリチャード・ソープに交代。
さあ、ターザンは何から逃げるのか?

「ターザンの逆襲」より

イントロはいつものようにアフリカの奥地へ着いた蒸気船から降り立つ白人一行のシーン。
やってきたのはジェーンの従姉姉弟。
おじが残した遺産を餌にイギリスへジェーンを連れ帰そうとする。

一方、ジャングルでの新婚生活も板についてきたジェーンは、偶然チンパンジーのチータが持ち帰った女性の下着を見てターザンの浮気?を疑ったりの若妻ぶりを発揮。

二人の新居は、ハンドメイドではあるものの、像の力で昇降するエレベーターがあり、チータがハンドルを回す扇風機が備わっている立派なツリーハウス。
ターザンが作ったらしい。
食事はテーブルで摂り、ターザンがサーブする。

これら、文明生活をコピーした新居を、ユーモアととるべきか、ジェーンと文明生活のつながりの強さとみるべきか、当時のアメリカ映画の価値観の発露とみるべきか。

イギリスにいったん帰ることを決めたジェーンにすねるターザン。
説得し励ますジェーン。
ジャングルの王者ではあるが、文明社会との接触場面では、直情径行の「問題児」ぶりを隠さないターザンと、文明的でしっかり者のジェーンという、カップルの色がこの作品あたりから確立する。

一度は、いとこ一行と同行してターザンのもとを去るジェーン。
荒れるターザン。
ターザンものらしくない心理劇的展開が重たく、そぐわない。

すべての問題が解決し、ジェーンはイギリスに帰らなくてもよくなる。

従姉は「あなたは(素晴らしい男性と、理想的な環境という2つを得て)すべての女性がかなえられるわけではないポジションにいるのだ」とジェーンに言うラストシーン。
ジャングルに残るジェーンに対する最大級の賛辞でドラマが終結する。

ジェーンのコスチュームは、この作品以降、ショートパンツの上におとなしいワンピースを着たスタイルに変更。
ジェーンが自然の中で肌を露出して色気や美しさを発揮するシーンはなくなる。

「ターザンの猛襲」(原題: ターザン ファインズ ア サン)  1939年 リチャード・ソープ監督  MGM

MGMターザンシリーズ第1作から7年。

おてんば娘だったジェーンも落ち着いた若妻に。
そして本作で母親となる。

「ターザンの猛襲」本国宣伝

南アフリカへ鉱山経営に向かう飛行機が、ターザンが住む絶壁に衝突して不時着。
富豪夫婦は死に、赤ん坊が残される。
チータが飛行機から赤ん坊を回収し、ターザンに渡す。
この作品あたりからチータの活躍が目立ち、チータ単独の場面も増えてくる。

ボーイと名付けられすくすく育った赤ん坊。
ターザンとジェーンはボーイの親を自任。
ボーイの遊び相手はチータと仔象。

また、ターザンはほぼ英語を解している。
発する言葉は、相変わらず単語をつなげたものだが。

「ターザンの猛襲」ボーイとターザン

遭難した夫婦の死亡を確認するためのキャラバンがやってくる。
莫大な遺産が絡む。
遺産の独り占めを狙ってキャラバンの中の悪人が策動。
直感で悪人を見破るターザン。

ジェーンは、文明人の余韻を残すため、悪人の言葉に騙される。
というか、文明人のジェーンは直観ではなく、相手の発する言葉の論理性如何で物事を判断するため、結果的にターザンの行いに抵抗し、悪人を助けることにもなってしまう。
ただし、結末はターザンの活躍により悪人が滅び、ジェーンはターザンに謝り、二人の仲は一層深まるのだが。

DVDパッケージより

この作品から、キャラバンの一員として、おどけ者ながら直観的にターザンを理解し、最後に悪人に対抗(しようと)する芸達者なキャラが加わる。

「ターザンの黄金」(原題:ターザンズ シークレット トレジャー) 1941年  リチャード・ソープ監督 MGM

ターザンシリーズの主題は、素朴な自然主義。
ターザンに象徴される、平和を愛し、自活能力に優れ、自然を愛する直観力、を賛美している。
もっとも、ジェーンに象徴される常識的な文明性へのリスペクトも忘れてはいない。

本作ではその主題にもう一歩深く踏み込む。

「ターザンの黄金」本国宣伝

ボーイが家族で泳ぐ川の底で金の塊を見つける。
ターザンは黄金には興味がないが、山にも同じものがあるという。
ジェーンはボーイに文明社会での金の価値を教える。

部族の調査にやってきた学術調査のキャラバンがターザンのもとへやってくる。
歓待するジェーン。
新居には吹き出す温泉で蒸し焼きや茹で料理ができるグリルや、湧水を引いてかける冷蔵庫まで新設されている。.

しっかり者のジェーンを先頭にターザン一家

ジェーンはしっかり者のママとしてボーイを教育。
キャラバンが持っている望遠鏡や映写機に積極的にボーイを触れさせる。

ボーイが金塊を見せたことで学術キャラバンは内部分裂。
悪人派が良識派を駆逐し、ターザンを銃で排除して、ジェーンとボーイを人質に金塊奪取へ向かう。
前回から登場の、おどけキャラ(バリー・フィッツジェラルド)がここで活躍し、ターザンの逆転劇をアシストする。

すっかり落ち付いたヤングママぶりを発揮するジェーン役のマーガレット・オブライエンは20代最後の出演。
ポーレット・ゴダードとジェーン・フォンダを合わせたような美人女優に成長している。
ターザンとの会話は、出会った頃の思い出話をするまでに言語が進化。
一方、いったんは悪人の「言葉」に騙され、結果としてターザンを窮地に陥らせるパターンを本作でも踏襲している。

DVDパッケージより

ラストシーン。
「君達のような人が増えれば世界は平和になる」と、ターザンを助けた、おどけ者(バリー・フィッツジェラルド)に言わせて、ターザンの文明に毒されない素朴な生き方が賛美される。
金第一主義の弊害を明確に否定して、映画はその主題を深化させる。

では、そのあとはどうなのか。
去ってゆく白人を見送る「理想的」なターザン一家が、まるで〈絶滅を待つ、エデンの園の希少生物〉のように、はかなく寂しげに映ったのは気のせいか。

そう見えたのは、〈素朴な自然性〉以上の価値観を、この映画も当時の社会も持ち得ず、そういった中で〈金第一主義〉だけを否定する状況にいわば〈放置〉されたターザン一家が不安定に見えたからではなかったか。

「ターザン紐育へ行く」(原題:ターザンズ ニューヨーク アドベンチャー)1942年 リチャード・ソープ監督 MGM

ワイズミュラーとオサリバンのコンビの最終作。
ターザンは少々おっさん臭くなり、30歳を迎えたジェーンは堂々たる中堅美人女優。
オサリバンは、映画監督のジョン・ファローと結婚し、1945年には、のちにミア・ファローとなる娘を出産することになる。

DVDパッケージより

エデンの園で泳ぐターザン一家の姿がトップシーン。
新居にはチータがハンドルを回す「食器洗い機」が新設されている。
ジェーンは幸せそうだ。

やがてライオンの捕獲を目的とした一行が双発機で不時着する。
ボーイが現場に向かう。
白人3人のうち一人を操縦士と見破るボーイ。
自然児としての直観力がボーイにも備わっており、ターザン二世として成長していることがわかる。
一方、一行のうちの悪人はボーイが仔象を手なずける様子を見て、サーカスで大儲けできると悪だくみを考える。

凶暴なジャコニ族の来襲と救援に駆け付けるターザンとジェーン。
ツタがジャコニ族によって切られて落下する二人。
さらに火をかけられる。
チャンスとばかりにボーイを連れて離陸する白人たち。

チータに助けられたターザンたちは、ボーイを追って海岸の街へとたどり着く。
ジャングルでの格好のまま裸足で港町の往来を歩く二人は好奇の的。
白人の高官に掛け合って、黄金と交換にニューヨークまでの航空券を入手。
中国人のテーラーでそれぞれの洋服をあつらえる。

ニューヨークの空港、タクシー、ホテルでの騒動の描写は、大人し目。
ドタバタは主にチータが引き受け、よく訓練されたチンパンジー芸をたっぷり披露。
ターザンも服の上からシャワーを浴びて叫ぶなどするが、ギャグっぽい描写はされていない。

「ターザン紐育へ行く」より

洋装もよく似合うジェーンは、当初は法律に従うようにターザンを説得し、ボーイを戻すために裁判にまで訴える。
が、実の親ではないことが判明し、ボーイの親権を証明できない。
その瞬間、裁判所でターザンの怒りが爆発。
拘束された部屋の窓を破って脱出。
警官とビルの屋上から、吊り橋の上まで大捕物を展開。
サーカステントでは悪人を相手に空中ブランコで立ち回る。

この展開、反権力・アナーキーなものではなく、無声映画の喜劇で警官をからかう喜劇役者のふるまいに近い。
むろん喜劇風演出はされておらず、ターザンの直情径行を強調し、ターザンだから許される、という風で観客も全面的にターザンを応援したくなる。
公務執行妨害と裁判所侮辱罪については、情状酌量され執行猶予となる結末が用意され、文明との妥協の場面も用意されている。

ジェーンは法律に頼り、ターザンを自重させたことを反省。
「これからもついてゆく」とターザンに謝罪。
一家はアフリカに戻り、エデンの園で泳ぐ一家の姿がラストシーン。

母親役で、ますます落ち着きの出ているジェーン。
自らの色気発揮は少ないが、だからこそコスチュームから覗く形の良い足が、大人の色気に変わっていて貴重だったことを申し添えたい。

まとめ

・原作のターザンは類猿人と呼ばれ、いわば人外魔境に暮らすジャングルの王だったの(だろう)が、そういった伝奇性、猟奇性は第2作目までで、それ以降は、ジェーンの存在感が増し、ターザンは家庭人、常識人としての一面が強調されている。

・映画のベースには素朴な自然賛歌があり、平和を乱す拝金主義、武器などの文明はターザンによって否定、排除される。
ジェーンは文明人として一義的にはそれらを排除しないが、最終的にはターザンの価値観に従う。

・このシリーズは女優モーリン・オサリバンの成長物語でもある。
イギリスからハリウッドに渡り、シリーズ第1作から体当たりでターザンのヒロインを熱演。
ジャングルに定着した当初を描く第2作では思い切ったコスチュームを披露、はつらつとした魅力を全開にする。
シリーズ後半では母親としての落ち着きも見せ、洋装でのニューヨークのシーンなどでも芸達者ぶりを見せた。

・アフリカロケの部族や動物の珍しいシーン。
スタジオでの動物を使ったシーン(特に多数の像を使ったアクションシーン、猛獣とと格闘シーンンなど)。
大勢の黒人を使っての部族の襲撃シーン、キャラバン隊の再現シーン。
などに工夫が見られ、アフリカもの猛獣物の原典となった。
人が川でおぼれた瞬間にワニが出動してゆくカットなどはこの後の映画で繰り返されることになるお馴染みのものだ。

モーリン・オサリバン

シネマヴェーラでサッシャ・ギトリ特集

シネマヴェーラ3月の特集はサッシャ・ギトリ。
生涯30本ほどの映画を監督するが、リアルタイムでの日本輸入は2本ほどしかなかった。
ただ輸入されたうちの1本である「とらんぷ譚」(1936年)は30年代のフランス映画を語る際によく登場する作品であった。
今回はギトリの特集から2本を見た。

シネマヴェーラのパンフより

「あなたの目になりたい」 1943年  サッシャ・ギトリ監督主演  フランス

ギトリ映画初体験。

若々しいファッションに身をつつんだマドモアゼル2人が展覧会の会場へ入ってゆく。

ぴちぴちして魅力的なマドモアゼル(ジュヌビエーブ・ギトリ)。
そこに出てくるのが初老で恰幅のいい彫刻家(ギトリ)。
その姿、若い娘には釣り合わない。

初老のエロ爺の若い女への執着?
もしくは若い娘によるパトロン狙いのパパ活?

恋の都フランスだからその主題もありなのだが、当時60歳に近いギトリが主人公を演じる姿に驚く。

監督で演技者としても定評のあるギトリゆえに許されるのか。
同じく監督主演を務め、気に入った(多くは愛人の)女優を相手役に抜擢した、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、チャーリー・チャップリン、そしてウッデイ・アレンの〈マイナス面〉を思い出す。

シュトロハイムには徹底した己を含めた現実への視線があった。
チャップリンには体を使った常人ならぬ表現があった。
それらは、仮に己の映画を公私混同の場としていたとしても一見の価値のあるものだった。
が、果たしてギトリ映画にそれはあるのか。

セリフ回しは滑らかだが、動かなくなった太めの体躯と隠せない年齢はすでに主演者のそれではなかった。

シネマヴェーラ特集パンフより

それでも映画の前半。
恋に落ちた娘を邪険にする彫刻家の姿に、人間の情の不可思議さ、深さを表現していいるのか?さすがフランス映画!と感心させる。

それが早とちりだったと判明するのが、彫刻家が失明を予期し、娘に結婚をあきらめさせる親心だとわかって迎えるハッピーエンド。
これではハリウッドメロドラマと同じではないか。

「とらんぷ譚」 1936年  サッシャ・ギトリ監督主演  フランス

1936年の作品。
主演は同じくギトリ本人だが、まだ50代前半で、また全編にわたっての出演ではなく、少年時代や青年時代の主人公をそれぞれ子役や若い役者が演じるので無理なく見られる。

特集パンフより

主人公のナレーションによる回想シーンがほとんどを占める。
この回想シーンの処理がテンポがあっていい。
短くカットがつながれ、演技もパントマイム的で無駄がない。
さりげないギャグにはペーソスや人生の苦さが加えられ、ギトリのセンスの良さを感じる。

当時の結婚相手ジャクリーヌ・ドゥリュバックが魅力的に撮られており、とっかえひっかえのファッションやコケテイッシュな笑い顔に「あなたの目になりたい」のジュヌビエーブ・ギトリを思わせる。
ギトリの好みはいくつになっても、こういった若い魅力的な女性なのだろう。
チャップリンも10代の少女が好きだったように。

右:サッシャ・ギトリー、左:伯爵夫人役の老女優

快調な作品なのだが、回想シーンでモナコ時代の話の時の主人公のナレーションで「ここにはあらゆる人種が集まる(中略)雰囲気がいいのは日本人がいないせいだろう」みたいなセリフがあった。
背景が白くてスーパーの日本語が判然とはしなかったものの。

1936年当時は戦前で、枢軸国は悪の対象。
ドイツには面と向かって言えないので、影響の少ない日本を悪者にしたのか?
あるいは人種差別か?

戦後にはすぐ壊れるおもちゃを裏返すとMADE IN  JAPANの文字が現れ、それをラストシーンとしたイギリス映画(「落ちた偶像」1948年)などもあり、直接的間接的に日本(日本人)を揶揄した外国映画が各時代に見られた。

自分の作品のギャグのために外国(人)を茶化すようなことは好きではないのでここで一気に醒めてしまった。

コメデイアンがその毒として事象を茶化すことはあるが、その選択には本人の立ち位置が表れる。
ロシア生まれで、フランスでは己の才能1本で演劇映画でのし上がってきたギトリの〈毒〉のこれは一つなのであろう、時代背景もあったろう、がしかし・・・。

そういうわけで、この日以降ほかのギトリ作品を見る気力をなくした山小舎おじさんでした。

ウッデイ・アレン作品のように、自虐ネタやオチョクリをしゃべりまくる主人公が、若く魅力的な女優を横に、苦いギャグを連発する映画が好きな人はどうぞ。

「レッドパージ・ハリウッド 赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝」を読む

先日「ハリウッドとマッカーシズム」という本を読んだばかりの山小舎おじさん。
続いて「レッドパージ・ハリウッド」という本を読んでみた。

なぜに映画界が赤狩りの主なターゲットとされたのか?
そこにはユダヤ人などへの差別はあったのか?
それとも左翼勢力と「民主国家」アメリカの価値観との覇権争いが本質だったのか?否か。

「レッドパージ・ハリウッド」 2006年 上島春彦著  作品社刊

定価3800円、399ページの大著を吉祥寺の古本屋で2000円で思い切って購入。
帯に「映画ファン必読の労作ー蓮見重彦氏絶賛」の文字が踊る。
本のタイトル、ボリュームからして、ハリウッド赤狩りの歴史的経緯と評価が体系的、時系列的に網羅された内容を連想する。

目次

読んでみて、著者がハリウッド赤狩りの歴史的、時系列的解説に興味のないことがすぐ分かった。

本書は、チャップリンがドイツからの亡命人作曲家で左翼のハンス・アイスラーにかかわりがあった、という話から始まり、「ライムライト」撮影後に共産主義者としてアメリカを追われたチャップリンの話へと続く。

その後も赤狩りの時系列的、歴史的経過に著者の関心はなく、ジョン・ガーフィールド、ベン・マドウ、フィリップ・ヨーダンといった俳優、脚本、製作者の個別の話が続く。

これらの登場人物は、赤狩りの犠牲者だったり、赤狩りでブラックリストに載った脚本家の「フロント」(名義貸し)だったり、一連の「赤狩り事象」に深く関係した人たちだった。
が、日本ではあまりなじみのない人物でもある。

著者は彼らの経歴のみならず、演劇・映画の作品の背景(作品完成に至る、人物関係、業界関係など)に分け入り、また枝分かれした先の情報をたどってゆく。
そこに確証のない情報だったり、著者の推測が混じる。

第一次、非米活動委員会に召喚された19人

本書「はじめに」によれば、「著者の関心は普遍的部分にはなく」また「本書は基本的には年代記ではなく人物伝の形式をとる」とある。
本書はハリウッド赤狩りに関心のある初心者用に書かれたものではなく、ある程度の時系列的事実を押さえた者でかつ映画史の周辺に興味を持つマニア向けに書かれたものだ、ということがわかる。
なるほど蓮見重彦氏が推薦文を書くはずである(文体、文脈も蓮実氏と似ている)。

赤狩り時代を題材にした、ハリウッド人物伝として読めば、豊富な裏話(確証のないものも含めて)に溢れる本書は確かにマニアにとっては面白い。
本書が採り撃揚げた人物には以下のような映画人がいる。

  ジョン・ガーフィールド 俳優

1913年ロシア系ユダヤ人の移民の息子としてニューヨークに生まれ、ストリートキッズとして少年時代を過ごし、16歳の時にメソッド系の演劇レッスンの練習生となる。
左翼系の演劇集団グループシアターで売り出し、ハリウッドに進出。
自らの経歴を生かすようなストリートキッズ役で脚光を浴び、ジェームス・ギャグニーの後継者としての評価を得る。

独立プロを作ったガーフィールドは、エイブラハム・ポロンスキー脚本、ロバート・ロッセン監督で代表作「ボデイアンドソウル」を製作する。

1951年、共産主義シンパとして非米活動委員会の召喚を受けたガーフィールドは、自らを「共産主義者でもないし、その思想に共鳴もしない」と議会で証言。
ただし、仲間の名前を出すことは拒んだ。

第二次、非米活動委員会で証言するガーフィールド

1952年、ガーフィールドは知人女性の部屋で死亡。
自死ともいわれたが、最近では持病の心臓発作によるものと思われている。
赤狩りのストレスが間接的な死因であることは自明。

フィリップ・ヨーダン 脚本家、製作者

1914年シカゴ生まれのポーランド系ユダヤ人。
「犯罪王デリンジャー」(1945年)を製作しヒット。
「大砂塵」「折れた槍」「バルジ大作戦」などの脚本、製作を経て1990年代まで映画製作に関与した人物。

筆者が特に関心を寄せたのは、このヨーダンがブラックリストに載った脚本家を起用し、そのフロントとなったことが多々ある(のではないか)という点。
「最前線」の脚本でブラックリスト作家ベン・マドウのフロントを務めたとのこと。

このヨーダンなる人物、メジャースタジオの内部で働いてきたわけでもなく、脚本家としての実績もあいまいで、いかにも胡散臭い人間(独立系映画プロデューサーとはかような人物をさす)。
著者にとっても、どの作品がブラックリスト作家のフロントだったのか確証がない。

本書からは「いかがわしい映画人」以上のヨーダン像が伝わってこない。
ただし、日本人がほとんど論評してこなかったヨーダンなる映画人に、スポットライトを当てた点だけは意味があるのかもしれない(まったく意味のないマニアの自己満足なのかもしれないが)。

怪人フィリップ・ヨーダン

   エイブラハム・ポロンスキー  脚本家、演出家、映画監督

ユダヤ系の薬剤師の家庭に生まれ、社会主義の家風に育ちコロンビア大学を出て弁護士の資格を持っッテイタポロンスキーは、小説家志望から劇作家となり、ハリウッドでの活動に至った。
主に脚本家で活躍する。
監督処女作は「フォースオブイーグル」。

エイブラハム・ポロンスキー

1951年には盟友ジョン・ガーフィールドに次いで非米活動委員会の召喚を受けた。
ガーフィールドを除く仲間の密告によるものだった。

ポロンスキーは筋金入りの共産主義者で、人種差別と偏見に基づく非米活動委員会の召喚リスト中でも「唯一追放に値するハリウッドの共産主義者」といわれた。

ブラックリスト入りで早々にハリウッドを離れたポロンスキーはニューヨークの演劇界に戻り、50年代をテレビの台本執筆などで過ごした。

この時期1959年にはロバート・ワイズ監督、ハリー・ベラフォンテ主演の「拳銃の報酬」でノンクレジットながら脚本を書いている。
「拳銃の報酬」は、偏見に満ちた白人が、犯罪仲間の黒人と協同する中でお互いの理解に至るまでを描いた犯罪映画。
著者は「善意の黒人を白人が受け入れる、というそれまでのプロット(「手錠のままの脱獄」などでシドニー・ポワチエが演じる善良な黒人のイメージ)から一歩進んで、ありのままの黒人が白人の理解を得る、という、より進歩的なプロットを描いたもの」(山小舎おじさん要約)と評価している。

  エリア・カザン 演出家、映画監督

トルコ、コンスタンチノーブル(現イスタンブール)出身のギリシャ系。
移民とはいえ絨毯で財を成していたおじさんにより裕福な生活を送る。
学生時代から演劇に親しみ、左翼系演劇集団グループシアターでジョン・ガーフィールドなどと親交を結ぶ。
この時期に共産党に入党し、のちに脱退。

1952年非米活動委員会の召喚を受けたカザンは、委員会の活動を全面支援するとともに、共産党シンパの名前を10名近く挙げた。

この密告について著者は、「ハリウッドで監督として商売する以上は、非米活動委員会に協力するよりほかにない」(山小舎おじさん要約)状況だったと述べている。
事実、密告したエドワード・ドミトリクもエリア・カザンも、ロバート・ロッセンも、もともと監督としての実力があったにせよ、(密告をした)50年代以降の監督としてのキャリアはそうそうたるもので、非協力を貫いたポロンスキーとは見事な対比を見せている。

陸井三郎著「ハリウッドとマッカーシズム」中のアーサー・ミラーによっても、本書著者の上島春彦によっても、「救いようがない」と両断されたカザンの行動。
仲間を売るという行為が、ハリウッドで演出家が生き残るための当時唯一の手段だったとはいえ、その後も自分の裏切りに開き直り、売った仲間を誹謗し続けたカザンの人間性を非難している。

また、著者はカザンが自伝やのちのインタビューで盛んに強調したという、「自らの移民としてマイノリテー性」なる「被害者意識」にしても、恵まれた幼少時代からの生活ぶりなどを理由に切り捨てている。

  まとめ

時系列を無視し、著者の興味と知識(確証がない部分も含めて)の赴くまま、自在に時空を超えて展開するブラックリスト人の映画ワールド。
混乱する展開が多々あるとはいえ、「映画マニア」としての著者が思わず熱を込める筆致が、えもしれぬ魅力を発していたのも事実。
本書の切り口、端はしに顔を見せるマニアックな豆知識の数々。
例えば・・・。

ブラックリスト中では有名人のドルトン・トランボが、「ローマの休日」の原案者だった?とか、トランボの別名執筆といわれている「黒い牡牛」だが、背後はそんな単純なものではなさそうなこ話。

「ボデイアンドソウル」のユダヤ人母親役が「緑園の天使」でエリザベス・テーラーの母役を演じた個性的なアン・リヴェアという女優である話。
などなど。

ドルトン・トランボ

何やかんや言いながら、映画ファンの端くれ・山小舎おじさんもつかの間、映画の光と影にが作り出す渦に巻き込まれ、夢を見させてもらったような読後感でした。

筆者の関心は、ユダヤ人問題にも、左翼問題にもなく、ひたすら映画マニア的な人物関係にあったような気がします。
本書の値段が高いのは読者層が非常に限られているからでしょう。

 

藤純子「女渡世人おたの申します」

ラピュタ阿佐ヶ谷の、令和4年から5年にかけての年越し企画、2か月にわたる「血沸き肉躍る任侠映画」特集があった。
藤純子主演の「女渡世人おたの申します」を見てきた。

「女渡世人おたの申します」 1971年 山下耕作監督 東映

「おたの申します」とは「よろしくお頼み申し上げます」をやくざ風の言い回しにしたもので、藤純子は「女渡世人」「緋牡丹博徒」などの主演シリーズ中、仁義を切るシーンで使っている。

「女渡世人」シリーズは「緋牡丹博徒」シリーズをヒットさせた藤純子による新シリーズ。
「おたの申します」はその第二弾。

監督は東映京都撮影所で「将軍」と呼ばれた山下耕作。
脚本は「仁義なき戦い」シリーズでやくざ映画の新境地を切り開いた笠原和夫。

重要なわき役に島田正吾と三益愛子を配しており、東映プログラムピクチャア中では異色にして鉄壁の布陣。
映画は期待にたがわぬ完成度の高いものだった。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに飾られた本作のポスター

「緋牡丹博徒」シリーズなど、藤純子主演の任侠映画のパターンは、仁義を通して渡世稼業(ばくち打ち)に生きる女渡世人の藤が、悪徳やくざの理不尽な所業に耐えかねて殴り込み、日ごろ藤の応援団を自任する親分(若山富三郎)が助っ人に駆け付けるなどして悪漢をやっつける、というもの(だと思う)。

「おたの申します」ではそのパターンを一ひねり。
藤は主なストーリーのむしろ脇に回り、理不尽な所業に苦しむ渡世人(ばくち打ちではなく、正業を営んでいる)を島田正吾が演じて、正統派の芝居をたっぷり見せる。
その妻役の三益愛子による、大時代的ではあるがそれでも抑えた演技も任侠映画に枠を超えて見ごたえがある。

当日のラピュタ阿佐ヶ谷のロビー風景

「男はつらいよ」シリーズでもパターンが煮詰まっていた時期に、浅丘ルリ子扮する場末の歌姫・リリーを創出し、道東を走る夜汽車の中で寅さんと邂逅させたり、東京の場末の街でリリーが実母に金をせがまれたりする場面によってリリーの「異色な」キャラ付けを行い、シリーズに新境地を開いたことが思い出される。

「緋牡丹博徒」シリーズで藤がバッタバッタと悪漢を斬り伏せるというファンタジィに疲れた東映が、ここは藤のスーパーウーマンぶりを抑えて、しっとりとした人情の世界を描き、シリーズの世界に厚みを持たせよう、としたのが本作ではなかったかと推察する。

ロビーに飾られたポスターより

悪漢の理不尽に耐える正義の人、の役柄は島田正吾がしっかり演じ、盲目の妻・三益愛子は藤を息子の婚約者と思って情けをかける。
不肖の息子はとっくに殺され、藤は婚約者でも何でもない渡世人だと知りながら。

その状況に悩む藤は、威勢のいい女渡世人ではなくて一人の若い女として描写される。
とはいっても堅気の女衆は決して、やくざの藤を受け入れない。

ラストシーン、堪忍袋の緒を切って悪漢に殴り込み、しょっ引かれる藤に、ただ一人三益愛子が思わず「お前は本当の(義理の)娘だと思っている」と声をかける。
思わず「おっかさん」と叫ぶ藤。

「義理と人情」の虚構の話が「真情」に変わった瞬間。
母親の愛を知らずに育った女渡世人が弱弱しい年相応の娘に戻り、母を慕う心情を吐露した瞬間だった。

「日本映画全作品の鑑賞が目標」といい、ラピュタ阿佐ヶ谷の客席でも時々見かける、落語家の快楽亭ブラックが生涯ベストテンで第二位にランクした作品。
いつどこのメデイアに、だったのかは覚えていないが。

特集パンフの作品解説

筑摩書房刊「ハリウッドとマッカーシズム」

陸井三郎著、1990年筑摩書房刊の「ハリウッドとマッカーシズム」という本を読んだ。

目次その1
目次その2

マッカーシズムとは、1940年代から60年代にかけて、アメリカ下院議会に設置された「非米活動委員会」の活動を指す。
上院議員のジョゼフ・マッカシー議員に由来するネーミング。

委員会のメンバーは、反共、反リベラル、白人至上主義、反ユダヤ、人種差別、親ナチの主義者。
その目的は共産党員とそのシンパの摘発。

非米活動委員会は1947年、その目標をハリウッドに定め、共産党員、元党員およびシンパと目された19人の、映画製作者、脚本家、監督を「非友好的」証言者として議会に召喚した。

19人は全員が戦争中、反ナチ、親ソの立場で仕事をし、また10人ないし13人がユダヤ系だった。
また、彼らのうち、脚本家ドルトン・トランボ、監督のルイス・マイルストン、脚本のレスター・コール、俳優のラリー・パークスなどは、すでにハリウッド最高クラスの高給取りだった。

召喚された11人。米印は実際に証言することになった11人

委員会は19人の召喚の前に、「友好的」証人として、ウオルト・デイズニー、ジャック・ワーナーなど保守的な映画界のボスたちを召喚し、証言させた。
ボスたちに、共産主義の影響を受けた「破壊活動分子」がハリウッドに存在していること、またボスたちが彼等をすでにリストアップし、かつ追放していることを証言させ、世論を委員会の味方つけることが目的だった。

1947年10月「非友好的」証人19人が召喚に応じ、うち11人が議会で証言した。
委員会が要求した証言内容は、煎じ詰めると「あなたは共産党員か、元党員か」であり、「ほかに共産党員だった人物を知っているか」だった。

それに対し「非友好的」証人らは、言論の自由を規定したアメリカ憲法の修正第一条を盾に、非米活動委員会の召喚そのものが憲法に違反している、という建付けで証言(を拒否)することで対抗した。

そもそもの始まりが、戦前の1938年に、反ファシストの立場から、仮想敵国のスパイ活動を取り締まる目的で設置されたのが非米活動委員会だった。
ところが、戦後、非米活動委員会は、反共に基づいた思想調査活動を、FBIとの連携のもとおこなうように変容しており、あまつさえマッカーシー、ニクソンなどの保守派議員の活動実績作りの場ともなっていた。

それに対し、左翼やニューディール派の知識人、マスコミなどは批判的で、「右翼」に乗っ取られた委員会による中傷、誹謗に対しては、軽蔑と嘲笑をもって応えていた。

11人の「非友好的」証人らは、証言席で、事前にまとめたステートメントを読み上げようとし、また、憲法が定める表現の自由を無視するかのような委員会自体の在り方に疑問を呈し、反論した。

自作のシナリオを持ち込み「どこに共産主義的要素があるのだ」と委員会に逆質問した。

「あなたは共産党員ですか」の問いには質問自体が憲法修正第一条に違反するからと答えず、再度の質問には「先ほどお答えした」と答えた。

「他の共産党員の名を述べよ」との質問に答えるわけがなかった。

委員会は証言者10人を議会侮辱罪で、下院本会議に上程した。
本会議は圧倒的多数でこれを可決し、10人の議会侮辱罪が裁判所に提訴されることになった。
これに応え、1948年ワシントン連邦地裁は、10人全員に禁固1年ないし6か月、罰金1000ドル前後の判決を下した。
10人は下獄した。

この時、「政治」に先導されたアメリカ世論は、すでに「反共」に変わっており、10人を擁護する流れが、非米活動委員会を容認する風潮に変わっていた。
下獄した10人はのちにハリウッドテンと呼ばれた。

反非米活動委員会の動きもあった。憲法第一条支持を表明した映画界を代表してキャサリン・ヘップバーン!
憲法第一条支持者の映画人リストより

以上が、非米活動委員会の第一次証人喚問時の、ハリウッドテンに関する概略である。
本著は、この部分を著作中の全9幕中の、第1幕と2幕に集約。
残りの7幕はハリウッドテンの周辺で非米活動委員会の召喚を受けた文筆家、アルヴァ・ベッシー、ベルナルド・ブレヒト、ダシール・ハメット、リリアン・ヘルマン、アーサー・ミラーなどの顛末に充てている。

アルヴァ・ベッシーは映画脚本家だったが、スペイン戦争に義勇軍として参加したという理由だけで召喚され、議会侮辱罪で下獄し、以降は職を転々として暮らした。

ベルナルド・ブレヒトは、最後までアメリカ国籍を持たなかったドイツ人劇作家。
ドイツ出国後は各地を転々と亡命しており、アメリカ亡命後は同じくドイツ亡命組のフリッツ・ラングやウィリアム・デイターレの支援の下にハリウッドに脚本家として活動しようとしていた。

ブレヒトは文化的にも芸術的にもアメリカおよびハリウッドに馴染もうとはしなかった。
非米活動委員会の証言では委員の質問を巧みにはぐらかした。
委員たちの敵う相手ではなかった。
ブレヒトは議会侮辱罪で上程されることもなく、旧東ドイツに向けて出国した。

著者は、戦後すぐの1945年に米軍によって日比谷に開設されたアメリカ文化センターに送られてきた新聞・雑誌・書籍により、マッカーシズムに接し、以降研究をつづけた。
本著では、アメリカ議会の議事録と残されている録音、画像を照合し、証言の再現を行うなどして、ハリウッドに関するマッカーシズムについて著している。

リアルな証言の再現などは臨場感をもって、当時の進歩的文化人たちの矜持に接することができる。
ダシール・ハメットやアーサー・ミラーたちハリウッド外の文化人たちの気骨に触れられたことも、読者にとっての有益だった。
エリア・カザンやリリアン・ヘルマンなどに対する決して高くはない「評価」に触れられたことも。

アーサー・ミラー、マリリン・モンロー夫妻

一点不満を申せば、晩年は不遇だったダシール・ハメットの葬儀に女優のパトリシア・ニール画参列した、など、映画関連では詳細な情報に触れ得る本著ではあるが、エリア・カザンの1962年作品「訪問者」がイングリッド・バークマン主演とあった(P249)のは事実と違う記述であり残念だった。
カザン、バーグマンとも映画史上のレジェンドであり、基本的事実関係は押さえておいてほしかった。

著者の左翼的史観から、多少のひいき目と固定観念があったきらいはあるが、ハリウッドにおけるマッカーシズムの歴史が整理された労作だった。

三鷹駅で盛岡さんさ踊り

東京の、それも三鷹駅で、盛岡さんさ踊りを見る機会がありました。

時どき寄る三鷹駅の立食い蕎麦。
店を出て何気なく見たポスターに北東北フェスの文字が。
よく見ると秋田の竿灯と、盛岡のさんさ踊りを、三鷹と武蔵境の駅でダイジェストでデモンストレーションする催しが開かれるとのこと。
3月のJR東日本の新幹線乗り放題切符発売前の宣伝も兼ねての企画なのでしょうか。

2月18日の三鷹駅

たまたま先月の八戸魚買い付け旅行で、盛岡にも寄ったばかりの山小舎おじさん。
さらにたまたま、盛岡城跡公園内の歴史文化館でさんさ踊りの展示を見たばかりでした。

歴史文化館の展示コーナーには、さんさ踊りの準備から本番までをビデオが上映されており、ミスさんさ踊りに選ばれた娘さんが踊りをマスターするまでの練習の様子も見ることができました。

1月に訪れた盛岡歴史文化館
歴史文化館のさんさ踊りの展示

山小舎おじさんは、毎年8月に開かれるさんさ踊りの本番を見たことはないのですが、初夏に訪れた盛岡の北上川河原で本番に向けて練習する集団を見かけたことがあります。
本番さながらの熱の入った練習風景に、北国の夏の到来を感じたものでした。

さて当日の三鷹駅構内。
いつものように乗客らでごった返しています。
さんさの演武は駅コンコースで行われるとのことですが、心配になります。
大丈夫でしょうか。

三鷹駅みどりの窓口前

駅員に詳しく聞くと、みどりの窓口前に特設会場を設置するとのこと。
14時開演の30分前から会場設営作業を開始するとのことでした。

待ちきれないおじさんは、設営開始時間前にみどりの窓口前に行ってみました。

時間になると駅員たちが、ポールとテープをもって場所を仕切り始めます。
三々五々、観客らしき中高年が集まり始めます。
さんさの演武を聞いて駆けつけた、岩手出身の方々なのでしょうか。

駅員らによる会場設定

駅員たちが盛岡、秋田の観光パンフレットの入った袋を配りはじめました。
その間にも、「14時から、ミスさんさ踊り、ミス太鼓、ミス横笛の参加による演武が始まる」とのアナウンスが繰り返されます。
観客は狭いコンコースを遮断するように二重、三重に演武舞台を囲み始めています。

さあいよいよミスさんさ踊りがやってきます。
会場が一気に華やぎます。

ミスさんさ踊りを先頭に演武団が入場

水色の着物と、青の着物を着たミスさんさ踊りが一人ずつ。
背後に赤い着物と、特徴的な飾りをつけた菅笠姿のミス太鼓が3人と、ミス横笛が1人。

いずれも若い娘さんたちです。
立ち姿、表情はすでに素人のそれではありません。
特にミスさんさ踊りの二人は。

初々しく、つつましやかな表情の娘さんたちですが、さんさのプロとしての自信と覚悟がかんじられます。

司会係の駅員が後で言ったことには、2021年と22年のミスさんさ踊りだったとのことです。

一礼して演武が始まりました。
独特の手の動き、跳ねたり中腰になったりダイナミックな足腰の動き。
歴史文化館のビデオで見たさんさ踊りそのままです。
太鼓のリードに横笛の調子が和して、テンポの速いリズムです。
2曲ほど舞うと、ミスたちは肩で息をしていました。

太鼓のリードで演武が始まる
特徴的な手の動きが鮮やか
足腰の動き、移動、太鼓らとの入れ替えなどのダイナミズムにもあふれている

曲の間にはミス達が自らマイクを持ち、盛岡やさんさ踊りの解説、宣伝を行いました。
ニューヨークタイムス選定の「2023年に行くべき世界の旅行先52か所」に盛岡が選ばれた(なんと第2位!)ことにも、さりげなく触れていました。

20分間の演武が終わりました。
夏のお祭りでダイナミックにはじける、岩手の伝統文化を感じることができました。

美人が踊る姿はいいものだ、と思いながら三鷹の駅を後にしました。

“女ごころ”とマックス・オフュルス

渋谷シネマヴェーラの「ヌーヴェル・ヴァーグ前夜」特集で、マックス・オフュルス監督作品6本が上映された。
イタリア時代の作品が1本、アメリカ時代のものが2本、フランス時代が3本の構成。
未見の4本の上映に駆け付けました。

「永遠のガビー」 1934年 マックス・オフュルス監督 イタリア

オーストリア生まれのユダヤ人で、戦前のドイツで活躍していたオフュルスがドイツ脱出後、イタリアで撮った唯一の作品。
ヒロインはイザ・ミランダ、相手役はメモ・ベナッシ。

ストーリーはヒロインの出世物語なのだが、単なるスターものでもなければメロドラマでもない。
開巻から素早いカッテイングと縦横無尽のカメラワークで己の世界に観客を引きずり込む手際の良さは、当代一流のオフュルス節全開。
「この映画は原作者のものでも、製作者のものでも、出演者のものでもない。俺の作品だ」とのオフュルスの主張が鮮やかだ。
流れるようで、鋭い映画手法に、山小舎おじさんはあっという間もなく画面に引きずり込まれる。

素早いカットつなぎ、クレーンで縦横無尽に動き回るカメラ。
古さを感じない映画手法が連続する。
例えが適切かどうかわからぬが、リチャード・レスター監督が1960年代後半に、ビートルズ主演のスター映画を、斬新なカッテイングやコマ落とし撮影などを駆使して思いっきり「自分の映画」としたことを思い出した。

独特なプロット、手法に晩年までこだわり続けたオフュルスワールドの原型が、この作品ですでに見られた。

シネマヴェーラのパンフより

「輪舞」 1950年 マックス・オフュルス監督 フランス

オフュルス監督は流麗なカメラワーク、〈既視感〉に溢れた忘れがたい背景設定などを駆使して、一瞬にして観客を己の世界に引きずり込むが、さらに音楽にも重要な役割を担わせているのがこの作品でわかる。

狂言回しの俳優が、一話ごとにシュチュエーションにふさわしいコスチュームで登場し案内する、愛と恋の小話が6話ほど。
タイトルバックに流れる主題歌を、時には狂言回しが口ずさみながら、時には場面のバックミュージックとしながら物語がつづられる。
音楽が、懐かしさに彩られた寓話的映画の世界の演出効果を高める。

映画は、シモーヌ・シニョレが演じる街の女と兵隊の物語で始まるが、その兵隊は次のシチュエーションでシモーヌ・シモンが演じる小間使いを追いかけまわし・・・と、役者を重複させながら別の話へと進んでゆく。
典型的なオムニバス映画にひと手間加え、一話ごとにストーリーが途切れない工夫がされている。

「輪舞」より、シモーヌ・シニョレとジェラール・フィリップ

各小話に登場する俳優もいい。
ダニエル・ダリューのよろめき夫人はいかにも適役だし、若々しいシモーヌ・シモンの小悪魔ぶりも、ベテラン女優役のイザ・ミランダ(「永遠のガビー」のヒロイン)の余裕ある美しさも忘れがたい。

「輪舞」より、ダニエル・ダリュー(右)とダニエル・ジェラン

遊園地と回転木馬を用いた場面は、「忘れじの面影」(1948年)においてもそうだったように、懐かしさに彩られた、映画的記憶に満ち満ちている。
忘れがたき、オフュルスの映画的世界である。

シネマヴェーラのパンフより

「快楽」 1953年 マックス・オフュルス監督 フランス

モーパッサンの短編3話からなるオムニバス。
今回の特集で上映されたフランス時代の3作品では最も製作費がかかっているものと思われる。

第一話。
若き日の思い出を忘れられず、仮面をつけて若作りし、舞踏会にまぎれこむ老人の話。

オフュルスのカメラは、話の本題に入るまでの、舞踏会の館に次ぎ次ぎに乗り付ける馬車とドレスアップした客、迎える召使など、豪華なセットと、多数の俳優たちの動きを延々と描写する。
また、踊りまわる人々を館のガラス越しに移動撮影で追い、人々の間をクレーン撮影で動き回る。

見ている我々は、舞踏会の賑わいと猥雑な熱気の渦の中で翻弄される。

豪華なセットと馬車、群集に近い大人数を使ったぜいたく極まりない撮影に、思わず「そんなに金賭けて大丈夫か?」と、70年後の観客である我々も心配してしまう。
これでもかと繰り広げられるオフュルスワールドには圧倒される。

第二話。
ある港町の娼館のマダムとマドモアゼル(娼婦)一行が、マダムの実家の田舎へ、姪の神事に参加するために旅行する。

マダムにジャン・グレミヨン作品のマドンナ、マドレーヌ・ルノー。
マドモアゼルの一人にダニエル・ダリュー。
田舎で一行を迎えるマダムの兄にジャン・ギャバン。

全体を通すのびやかでのんびりとしたムード。

ダニエル・ダリューは草原で花を摘みながら主題歌を口ずさみ、マダムは終始口元に笑みを浮かべ、田舎のスケベ紳士ジャン・ギャバンは、いつもの深刻ぶった顔も忘れ、マドモアゼルの姿にひたすら鼻の下を伸ばす。
ルノワール映画のような開放感。

第二話「テリエ館」の一場面

あまりにいい感じだったので、原作「テリエ館」を読んでみた。
原作ではマダムとマドモアゼルの容姿、性格の描写がかなり辛辣だが、映画ではダニエル・ダリューをはじめキレイどころが演じている。
リアリズム映画ではないのでこれでいい。
鉄道で田舎へ向かう場面などでほぼ原作通りのセリフが使われてもいる。
ジャン・ギャバンふんする田舎紳士がマドモアゼルに執心して追いかけまわすところも映画ではソフトに描かれている。

第三話。
ムードががらりと変わる。
こわばった表情の登場人物が、閉ざされたアトリエ内で、あるいは寒々しい大西洋の海岸で交錯する様を表現主義的な手法も用いて描いている。

ダニエル・ジェラン扮する新進の芸術家が、シモーヌ・シモンに恋をし、モデルにして売り出す。
売り出し後、心変わりして女を捨てようとする。
女はマンションの窓を突き破って身投げをする。

第三話。芸術家のモデルとなるシモーヌ・シモン

何年か後、海岸を散歩する車椅子の女と、付き添う初老の男の姿が見られる。

救いようのない男と女の関係が、一瞬ののちに永遠の救いにつながる。
女ごころを一皮めくり、一見その救いようのなさの中に救いを見出す、オフュルス永遠のテーマに沿った挿話だった。

シネマヴェーラのパンフより

「たそがれの女心」 1953年 マックス・オフュルス監督 フランス

オフュルス永遠のテーマを徹底的に掘り下げ、その極北に至った作品。
女ごころの探求もいいが、その深さに翻弄されているうちに、どうにもならなくなる寸前までいった作品。

ダニエル・ダリューのよろめき夫人がダリュー自身の実像に見えるほどのビター感。
その浅知恵、いい加減さ、欲深さ、好色、大胆さ、自己中心なヒロイン像が。

将軍(シャルル・ボワイエ)の何不自由ない夫人(ダリュー)が、イタリアの外交官(ヴィットリオ・デ・シーカ)と恋に落ちる。
ダイヤを小道具にした出会うまでの筋回しが、しゃれているというか、闇が深いというか。

外交官が夫人を追いかけて恋がスタートするが、そこには何の必然性も合理性もない。
もっとも、登場人物の合理性には何の関心もないのがオフルス映画なのだが。

「たそがれの女心」のボワイエとダリュー

闇を持たず、裏のない人物など一人もいないだろう、ヨーロッパの上流社会がすでに救いがない。
その中で、ひたすら情人を求めて心ここにあらずの外交官と夫人。

ダニエル・ダリューとデ・シーカが、再会の念願かなってのダンスシーン。
クレーンショットでカメラは二人の周りを回り続ける・・・ように見える。
が、よく見ると、回っているのは踊る二人で、カメラはクレーンでついて行ってる。
二人の周りをカメラが回っているように見える効果が、目くるめく。
二人の喜びと、不安定さが象徴される。

リアリズムではなく、一見豪華な画面作りの中で浮かび上がる、女ごころ。
上流社会の闇と腐敗。
オフュルスの真骨頂。

ダリューとデ・シーカのたそがれのダンスシーン

「快楽」の第一話のような大掛かりな舞踏会のシーンはこの作品では見られず、必要以上のカメラワークのテクニックも少ない。
予算の関係もあるのだろうが、結果としてヒロインの女ごころによりフォーカスする結果となった。

終盤になるにつれて、イタリアの伊達男デ・シーカが哀れな浮気男に、将軍ボワイエは己の闇に対面せず逃げおおせたズルイ男に、見えてくる。
とすれば「たそがれの女心」ダニエル・ダリューは己に正直なだけのピュアな女、なのか?

オフュルスがハリウッドで撮った「忘れじの面影」(1948年)が、イギリス人女優ジョーン・フォンテイーンをフィーチャーした、不可解で非合理的だが、まっすぐな女ごころを描いた作品だとしたら、本作はフランス人女優ダニエル・ダリューによる、裏も表もあり、闇も深く、非合理的極まりない、最後の最後まで本心が見えない、女ごころを描いたものなのかもしれない。

パンフより

(余談)

ダニエル・ダリューは1917年、ボルドー生まれのフランス人女優。

ダニエル・ダリュー

主な出演作品は「うたかたの恋」(1936年)、「赤と黒」(1954年)、「チャタレイ夫人の恋人」(1955年)など。ジャック・ドミー監督のミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」(1967年)にも出演している。

「うたかたの恋」

渋谷シネマヴェーラ「ヌーヴェル・ヴァーグ前夜」特集

令和4年から5年にかけての年末年始、ミニシアター・渋谷シネマヴェーラで「ヌーヴェル・ヴァーグ前夜」と銘打ったフランス映画特集があった。

フランスで、1960年前後に発生したヌーヴェル・ヴァーグは、映画を中心とした当時の新進作家の台頭であるが、それに「前夜」があったかどうかは知らない。
今回シネマヴェーラが集めたのは、ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち(もっというと映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」の同人たち)に評価され、また信奉された映画作家たちの、おもに1950年代(つまりヌーヴェル・ヴァーグ前夜)の作品であった。

特集された映画作家は、ジャン・ルノワール、ジャン・グレミヨン、マックス・オフュルス、ジャック・ベッケルを中心に、サッシャ・ギトリ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、マルセル・パニョルといった人々。

うち、ルノワール作品は8本が集められている。
内訳は戦前フランス時代の代表作というより、戦中戦後の作品が中心で、渡米後の4作品(「南部の人」(1945年)、「浜辺の女」(1947年)など)に加え、帰仏後の2作品(「黄金の馬車」(1952年)、「フレンチ・カンカン」(1954年))が含まれている。

注目すべきはジャン・グレミヨン、ジャック・ベッケルそしてマックス・オフュルスの諸作品が取り上げられたこと。

グレミヨンは、50年代のフランス映画の中心的人物の一人だったが、日本での評価を含め、忘れられた映画作家のひとりでもある。

シネマヴェーラの特集パンフより(以下の添付写真に同じ)

ベッケルは「現金に手を出すな」(1954年)、「モンパルナスの灯」(1958年)、「穴」(1960年)などで日本でも一般的な評価を受けた映画作家。
ルノワールの助手を務めた後1本立ち。

オフュルスはオーストリア生まれ。
戦前のドイツ、イタリアで、その後亡命してハリウッドで、また戦後はフランスで活躍した職人派の映画監督。
〈人間的なあまりに人間的な〉素材を、独特のタッチで画面に謳いあげ、女性映画の名手と呼ばれた。
その華麗だが、一皮めくると底知れぬ暗さに彩られた人間の〈さが〉を描く姿勢は、単に女性映画の名手のとどまらない。
長回し、移動撮影などを駆使する流れるような画面作りも含めてヌーヴェル・ヴァーグ一派に支持された。

この特集、山小舎おじさんにとってはこれ以上ない大好物。
ルノワールの未見作はDVDで見ることにして、鑑賞機会の少ないグレミヨン、ベッケル、オフュルスなどの諸作品に連日駆け付けました。

グレミヨンの「曳き舟」(1941年)は、港町を舞台にしたジャン・ギャバンとミシェル・モルガンのみちならぬ恋を描く作品。
家庭を持ち、腕利きの救助艇船長のギャバンが一瞬の出会いでモルガンと恋に落ちる。
その人間の〈さが〉を大西洋をバックにした冬の海岸を舞台に描く印象深い1作。
延々と、救命艇での活動シーン、家庭人としてのギャバンを描きつつ、それらすべてをひっくり返すようなモルガンとの強烈な出会いを持ってくる、グレミヨンの映画的センスに驚く。

「不思議なヴィクトル氏」(1938年)、「高原の情熱」(1943年)と他のグレミヨン作品にも、ヒロインか重要な脇役にマドレーヌ・ルノーという、小柄で演技派の女優が起用されており、その的確な演技がグレミヨン作品のグレードを維持している。

また、「曳き舟」「不思議なヴィクトル氏」「高原の情熱」は、舞台がパリ以外の場所に設定されている。
その舞台は、生活感のある港町だったり、隔絶された高原だったり。
作品の舞台が醸し出す雰囲気も、グレミヨンが重要視していることがわかる。

ベッケルの「エストラパート街」(1952年)はリアルタイムのパリが舞台。
若いカップルの暮らしぶりが軽快に描かれる。
アンヌ・ヴェルノンとルイ・ジュールダンのカップルは、ゴダールやトリュフォー映画の現代的ですっとぼけたカップル像を思い出させる。
そういった意味では「ヌーヴェル・ヴァーグ前夜」そのものの作品。
好感を持てる現代フランス美人のアンヌ・ヴェルノンの火遊びシーンがヒヤヒヤさせる。

「赤い手のグッピー」(1944年)はフランスの田舎を舞台にした異色作。
しゃれたフランス映画のテイストからは程遠く、むしろ閉鎖的・因習的な田舎の村を描く視点が新しい。

そして「肉体の冠」(1951年)。
シモーヌ・シニョレがそのキャリアの初期に良く演じた娼婦役で堂々の存在感。
運命の男と女の出会いと結末を淡々と描く。
底に流れるのはフランス映画永遠のテーマである人間の〈さが〉。
肯定でもなく否定でもなく、淡々とそれを描くベッケルの姿勢が一番怖い。

のちの大女優シモーヌ・シニョレ。
娼婦の仕草を演技力で再現している前半より、運命の相手を見つめるまなざしの鋭さ、ただならなさがみられる後半に、よりその存在感を発揮していた。

マックス・オフュルスの諸作品については別稿にて。