山小屋の食事

山小舎では自炊です。
食材は地元のスーパーで買いますが、シーズン中は野菜はほぼ自給できます。
ときどきは畑の隅っこやら、直売所の売り場から、地元ならではの珍しい食材も手に入ることがあります。

定番はストーブ料理

定期的に作るのがカレーやシチュー。
材料を切って鍋に入れストーブに乗せるだけ。
火の通りがよく、煮崩れしないのがストーブの火力の特徴。
アルミで巻いて乗せておくだけで、おいしい焼き芋、ジャガバターもできます。

カレー。
信州豚のこま切れを使います。
季節によっては畑でとれたズッキーニをたっぷり入れることも。

キャベツの間にひき肉を挟んだ煮込み。
トマトなどと一緒に1日以上煮込むと独特のうまみが出ます。
来客があった時の1品にもなります。

日常の夕食たち

毎日の主菜は、スーパーで仕入れた揚げ物や冷凍ハンバーグになることが多いです。

ゴーヤチャンプルもよく作ります。
鯖缶を使います。

モヤシ炒めはコスパ抜群です。

鯖の塩焼きも主菜の定番。
スーパーで2枚で200円以下の時に買って冷凍しておきます。

魚が好きで、身欠きにしんや目指しもよく食べます。

副菜には、豆腐、海藻、漬物、お浸しなどが多くなります。
トウモロコシ、枝豆などは、季節は、には連日食卓に上がります。

朝食はあっさりと

パン食です。サラダとジャムは手作りです。

味噌汁付きの納豆定植。味噌汁は1回で2食分作ってしまいます。

ちょっと奇抜なランチとお弁当

別荘地内の草刈りバイトの日。
昼食は、山小屋に戻って食べます。
冷凍うどんを出しで煮込んで食べると楽です。

いただいた茅野名物の寒天を冷やし中華風にしたもの。
これが見た目以上にうまかった!

収穫したトマトで作るミートソースは夏の楽しみです。

畑へ持ってゆくお弁当2選。
パンとおにぎり。


コロッケは既製品、梅干しは手製です。

今年の帰省は帯広スタート!

山小屋おじさん一家の帰省は今年も9月でした。
おじさんのオリジナル家族5人中4人が参加。
例年通りの2泊の行程。
札幌のお寺にあるお墓参りと叔父さん一家との年1回の交流が目的です。

第一日目は帯広スタート

子供たちが小さなうちは、お盆に家族で帰省し、親の家に滞在しました。
両親がなくなった今は、その年に参加できるメンバーで、時には旭川や函館などを観光で経由するなどして帰省を楽しんでいます。

今年はなんと帯広に飛んで旅をスタートしました。
十勝平野名産の乳製品、豚肉。小麦、大豆を味わうためです。

帯広空港。
羽田から降り立つと空港内外が冷房したように冷たい空気に満たされていました。
朝の気温は12度とのことでした。

幸福駅。
おじさんが高校生の時、道東を一人旅した時に当時の広尾線に乗り幸福駅に降りたことを思い出しました。
当時すでにブームでした。
現帯広空港からはすぐ近くです。

思いやりファーム。(写真無し)
粗飼料のみで育てた牛の無殺菌牛乳とソフトクリームを食べました。
さらっとした口当たりでほのかに草とクリームの香りがしました。
帯広の南隣、中札内村にあります。

豚丼。帯広駅近くのぱんちょうという店で食べました。
思ったよりしつこくなくておいしかった。

高橋まんじゅう屋。(写真無し)
帯広市民御用達のおやき屋さん。
店内の昭和な雰囲気は最高。
あんこの味は・・・。
六花亭のどら焼きにも感じたが最高の素材(小豆)を生かし切れていないような気がする。
あんこに煮方は都会のほうがうまいのか?
残念。

パンの麦音。
地元の人がわんさと訪れるパン屋。
並んでパンを買ったあと建物外の広々とした芝生でくつろぐ。
これぞ十勝のファミリーの昼食。

狩勝峠。
帯広を出て富良野、旭川経由で札幌に帰りました。
途中の狩勝峠です。

かつては根室線の難所で、鉄道の三大車窓にも選ばれた景観です。

現在はこの間のJR線は台風の影響で不通になったままです。JR北海道はこのままこの区間を廃線にするつもりでしょうか。

青い池。
美瑛から活火山の十勝岳方面に上った白金温泉の近くにあります。
立ち枯れた木が湖中に残っている風景です。

有名になったのは最近のことで、道産子には白金温泉の近く、と言わなければ通じないことが多いようです。
訪れる人の外国人の割合が増えた場所でした。

二日目は親戚訪問、お墓参り、小樽遠征・・・

二日目にお墓参りをセット。
お墓のあるお寺では、いつもお経をあげてくれる前代の住職が今年も待っていてくれました。
感謝。

昼食は小樽で寿司。
今年はサンマやイカは不漁で、代わりにハマチやイワシが上がっているとのこと。

小樽の市場で生イクラなどを買って自宅へ発送。

夕方からは親戚一家と地元の居酒屋で一席。
魚がうまい居酒屋で、ニシン、ソイ、ハッカクなどの珍しい刺身を肴に、北海道のビールと地酒を飲みました。

高齢の叔父さんは山小屋おじさんの母親の弟にあたり、88歳になりましたがおかげさまで無事にしておりました。

故郷と、亡き両親と親戚らに感謝の帰省でした。

第22回蓼科高原映画祭

20年以上連続して茅野市内で行われている映画祭があります。
蓼科高原映画祭です。
今年で22回目。
これが今年のパンフです。

名匠小津安二郎が茅野市郊外の蓼科高原の別荘で新作の構想を練っていた時期が10年くらいあって、その別荘(持ち主は行動脚本の野田高梧)そのご縁を記念しての映画祭とのこと。
毎年、茅野市内の市民会館と映画館(不定期上映の新星劇場)を会場に9月下旬の約1週間開かれます。
小津の代表作品のほかに、日本映画の新作も上映され、小津ゆかりの豪華ゲストが目を引きます。

山小屋おじさんが初「参加」したのが、おととしの第20回。新星劇場で「小早川家の秋」を観て(デジタル上映だったと思います)、上映後に司葉子さんのトークを聞きました。
司さんはまだまだお元気で、小津監督の思い出話よりも、「秋日和」で共演された原節子さんのことをもっぱら話していたのが印象的でした。

原節子さんがなくなって間もないこともあったのでしょう。撮影休みに二人きりで鎌倉の海水浴場に泳ぎに行った時の原さんのスタイルの良さのことや、原さんが引退後に撮影所の壁越しにサンドイッチの差し入れをもらったことなどを嬉しそうに話していました。

上映会場の一つ、新星劇場は、茅野駅近くの中央本線線路わきにある古い映画館で、今は定期上映はしていません。
場内は昔ながらの天井の高い造りでいかにも昔(といっても3~40年前)の映画館の雰囲気を残しています。
フィルム上映もできるようです。

映画祭期間中は、映画館の入口へのアプローチにテーブルを出し、地元の人がコーヒー、寒天菓子、樽酒(小津監督お気に入りの茅野の自酒・ダイヤ菊)をふるまってくれるのが、うれしいおもてなしです。

第21回の昨年もここ新星劇場で小津監督のサイレント映画「学生ロマンス若き日」を観ましたが満員でした。

というわけで2019年の第22回の映画祭。
おじさんは、季節遅れの墓参りに帰省する予定で参加できませんでした。

東京への高速バスの停留所へ向かう軽トラの車窓から映画祭開催中の新星劇場が見えました。

今年の上映作品は「彼岸花」など。
ゲストは山本富士子さんです。

山本富士子が全盛期に出演した「彼岸花」。
出演者の絢爛さ、監督初のカラー作品、中流階級を舞台にした鷹揚さ、ぜいたくなセットなど映画監督小津安二郎のある意味「頂点」の作品だと思います。

山本さんのトークも聞きたかったのですが残念。
今年は映画祭「不参加」にて墓参りに帰省しました。

ジャガイモ保存中

8月に収穫したジャガイモです。

4月に男爵20キロ、デストロイヤー1キロを作付けしました。

収穫量は男爵がコンテナ4箱くらいだったでしょうか?
ちゃんと図っておかないのが山小屋おじさんのいい加減なところです。

収穫したジャガイモは自宅へ送ったり、朝市で販売しました。

デストロイヤーは食味が好評で全量消費しました。

男爵は総量でコンテナ2箱くらいをランク別に保存中です。

日光に当たって青くなったり、収穫時に傷がついたりしたのがこの箱。
自家用で食べています。

大玉などAランク?がこの箱。

中玉。

小玉です。

収穫量はまあまあでしたが、売り物、贈り物にならないものが多く出たのが今年の反省点です。
小玉も多かった。

味はまあまあで、家族などからは好評でした。

ということで来年は、

①男爵の作付け量を10キロに減らし、デストロイヤーなど多品種を増やす。

②畝を高く、土寄せして玉への日当たりを防ぐ。

③1株1本立てを基本として芽かきをし小玉を少なくする。

などなどを考慮して、ジャガイモ栽培に望みたいと思っています。

山小屋所在の別荘地管理事務所のスタッフさんなど、地元で畑も長年やっている方に、畑づくりの相談をよくします。
生きたアドバイスは役立ちます。

天日干しした藍を加工しました

藍染の原料のタデ藍を収穫して天日干ししていました。

今回は天日干しした藍を、パウダーとお茶に加工しました。

藍の葉だけを外しました。

外した葉を電子レンジでカラカラにし、粉末にしました。

粉末をざるでこしてパウダーを集めます。
右がざるでこしたパウダー、左がパウダー以外の部分です。


パウダーは、パックに入れて冷蔵保存し、ケーキに混ぜるなどして使おうと思います。

ざるでこした残りでお茶を淹れてみました。

スギナなどの野草茶は青臭さがありますが、藍はより「お茶」に近い味と香りです。

ついつい後を引く「お茶」感。
これはいけるんじゃないでしょうか?

葉を外した後の茎も、細かく切ってレンジでチンし、粉末に混ぜてお茶として使おうと思います。

食材としての藍は抗酸化作用に優れており、産地などでは利用されているようです。

薪づくり急ピッチ!

畑は夏野菜の収穫はほぼ終了。
秋野菜の作付けも終わり一段落。

山小屋暮らしの2本柱のもう一つ、薪づくりの季節となりました。

たまっていた材木を処理しました

春先から山小屋の庭に木材が一山積んでありました。
丸太をチェーンソーで玉切したまま放っておいたものの山です。

夏場の長雨に湿ったそれらは黒ずみ、あるいはコケやキノコが生えておりました。

夏が過ぎるころ、遅ればせながら斧で割り始めました。
空き時間にちょこちょこっと、計10回もやりましたっけ。

細いものは割れませんからそのまま積んでゆきます。
これらも乾けば立派な薪になります。

節だらけで割れないもの、腐ったものは、木くずと一緒に燃やしてしまいます。
そうやって湿った木の山はいったんきれいになりました。

新たに玉切と薪割の準備

今年新たに入手した丸太があります。
毎冬暖房を賄うためには毎年新たに薪を仕込んでゆかなければならないのです。

新しい丸太をチェーンソーで玉切りします。

チェーンソーの刃は使うたびにやすりで研ぎます。
燃料とオイルを満タンにしてだいたいワンクール30分。
刃がよく切れると、ツークールほどチェーンソーで切ると、玉切の山が一山できます。

玉切りしたものを軽トラで庭まで運びます。

軽トラざっと1台分で運べるのはこの量です。

3回運んで庭に新しい玉切りの山ができました。

これをきれいにするにはまた10回ほどの薪割が必要になります。

今年割った薪は来年以降の燃料となります。

赤シソを干して「ゆかり」を作りました

畑の副産物、赤シソを収穫しました。

葉を取って洗ってから水で煮出して赤シソシロップを作りました。
煮だした汁に砂糖を溶かし、クエン酸を添加するのがポイントです。
色が鮮やかになります。
ソーダで割ったりして飲んでいます。夏の味です。

だしガラのシソは捨てずに天日干ししました。
シーズン終盤の夏の日差しのおかげで、からからに乾きました。
絞った葉を開いて干すのがポイントです。
塊のままだと乾きが遅くなり、のちの処理もしずらくなります。

2,3日天日干しした後、電子レンジで1分ほど乾燥の仕上げをします。
要は完全に乾けばいいのですが、フライパンで炒るような場合には焦がして焦げ味が付かないように注意します。

すり鉢に乾燥した葉を移します。
最初のうちは手でもんで葉を砕いてゆくのがいいです。

だいたい崩してから、すりこ木であたります。
最終的にはすりこ木で細かくしたものがふりかけに適します。

ざるでこして、粉末になったものだけを集めました。
きれいに細かくなった粉末に塩を混ぜます。

残ったシンや砕けなかった葉は捨てました。

ゆかりの出来上がりです。
ふりかけとして重宝します。

なお、梅干しの色付けに使った赤シソを、乾かして使うと色鮮やかで塩味がちょうどよいゆかりができます。
来年はそうしようと思います。

諏訪湖新作花火大会

諏訪湖新作花火大会を見てきた。

諏訪湖の花火大会は8月に終わったものと思っていた。
ある日、下諏訪町の立寄り湯に行ったとき、温泉の管理人のおばさんと世間話するうちに、「今度の土曜日(9月7日)に新作花火大会がありますよ」との情報を得た。

調べれば、37回目を数える大会で、8月の湖上花火大会と並ぶ諏訪湖2大花火大会とのこと。

山小屋おじさんは子供の頃、旭川の石狩川河畔の花火大会を毎年見ていた。
自宅の2階がベストポジションだった。
大玉がさく裂すると家全体が揺れるほどの距離だった。
花火は一生分見たと思っていた。

渋滞を避け岡谷方面へのルートで諏訪湖へ向かう

当日軽トラで諏訪湖へ向かった山小屋おじさん。
諏訪湖へ向かうメインルートの国道20号線を酒、諏訪湖の「反対側」を岡谷に抜けるルートを走りました。
おじさん久しぶりの花火大会です。

諏訪湖に達すると、湖畔の「正面側」へ向かうルートへの右折が禁止となっていました。
やはり発射台がある湖畔道路の正面側は混雑しているのでしょう。

直進して諏訪湖の「反対側」を走ります。
渋滞はないのですが、コンビニの駐車場などは満車に近く、店内も混みあっています。

そのまま天竜川が諏訪湖から流れ出る地点の「水門」まで行き、橋を渡って湖畔ルートをたどってみますが駐車場はどこも満車状態。
やっと見つけた空車スペースに軽トラを止めました。

湖上越しに新作花火を眺める

運動公園から続く湖畔に観客が三々五々集まっていました。芝生と砂しかない場所です。
発射台のあるメイン会場からは諏訪湖を挟んで反対側になります。
湖上越しに花火が見えるポジションです。

思い思いにシートや折り畳み椅子を広げた景色には首都圏の花火大会のような殺気立った雰囲気はありません。
出店もなく、運動公園に常備された以上の灯もありません。地元(岡谷地区)の家族連れやカップルが集まり、のんびりと花火を待つ風情です。

手をつないでいないと幼子が迷子になってしまうような夜の帳の中花火が打ち上げられました。


大玉を含めて連発される花火に時には歓声が上がりました。

メイン会場の雰囲気は味わえなかったものの、諏訪湖畔の晩夏の情緒を味わうことができました。

帰りの渋滞を避け早々に駐車所を出たおじさんでしたが、来た時にはなかった路駐車両の群れに驚きました。

上田映劇で「新聞記者」を観る

今年話題の映画「新聞記者」を見た。
レトロな劇場・上田映劇の9月第一週初回上映のプログラム。

ここは山小屋おじさんが上田に行ったときに必ず寄るところ。
戦前に芝居小屋としてスタートし、その後映画館に。
いったん廃業となった後、NPO法人が運営して再スタートした歴史上の場所である。

久しぶりの上田映劇、入場者は30人も!

平日の初回10直上映ながら30人近い観客数。
山小屋おじさん3回目の上田映劇でこんな大人数は初めて見た。

入場券を買う際に、シニア料金の1,100円の入場券が支配人の一番手前に置かれていたのを見た。
場内はほとんどシニア。
支配人も1,100円の入場券ばかりを切ったということか。

誰が「新聞記者」を作ったのか?

さて「新聞記者」。
時の日本の権力者、もっと言えば官邸の反民主主義を正面切って批判した珍しい作品。
原作は東京新聞の望月記者の同名書。
菅官房長官の記者会見で、手を挙げたのに発言を許されなかったというエピソードを持つ記者が原作者だ。

実例のエピソードから、官邸の横暴な権力行使ぶりを描写してゆくが、この作品のテーマは、権力というものの性質そのもの。
つまり、権力はその行使に際して真の目的を国民から隠すこと、また権力の遂行に際しては非合法も辞さないということだ。

権力を揶揄する、もしくは抽象化・一般化して広く勧善懲悪のドラマとすることはテレビなどでも行われている。
が、近時のスキャンダルをエピソードとしてストレートに問題提起した作品は今どき珍しい。
終戦直後の独立プロの作品のようだ。

だれが、どういう目的で作った作品なのだろう?
映画製作の背景はいかに?
見ている最中そのことばかりを考えていました。

現在のアンチと現在のヒーロー

かつてのやくざ映画などを見るまでもなく、「旧来の悪役」はわかりやすかった。
同義に反し、乱暴で、ずるいやつが悪役だった。

今の時代、牧歌的な悪役などいなくなり、「最新の悪役」として官邸が選ばれたということか。

かつてのヒーローは悪に耐え、堪忍袋の緒が切れて立ち向かい、やっつけた。
今の時代、ヒーローの存在が許されなくなっている。

一方の主人公の松坂桃李が官邸の悪を暴く情報リークし、予想される官邸側の反証・印象操作に対しては、実名発表を同意した時、一瞬だけヒーロー誕生!と思った、が。
「最新の悪役」は簡単にヒーローの登場を許すほど純朴ではないのだった。

主人公の女性新聞記者役は韓国人女優が務める。
危惧したキャステイングだったが、過剰な演技を排することができてかえって良かったと思う。

開始からスピーデイな展開で手際よくエピソードをつないでゆく、まじめでストレートな作品。
いい作品が持つ映画的緊張感に満ちている。

顔を知っている出演者が、松坂のほかには本田翼と西田尚美、高橋和也くらい。
日本若手俳優もこういった作品に出て、役者としてのキャリアを築いてほしいもの。

劇中エピソードが実例ばかりなのが、映画としての厚みを欠いたことは指摘しなければなりませんが。

NPO運営を応援し100円寄付

終映後、もぎりにいた支配人と話す。
丸眼鏡をかけたおとなしそうな青年で今どきは古本屋の経営者にでもいそうなタイプ。

おじさんは「新聞記者」のメインタイトルがわからなかったので尋ねると、開始に主人公の女性記者の登場場面がそうだったとのこと。
ちゃんと上映作品を見ていたことにも感心。

入場者が多いので雑談はそこまでにして寄付金箱に寄付をして退場しました。

次回の入場者数も含めて館内がにぎわっているのがうれしい、NPO法人経営の上田映劇でした。

藍を収穫しました

藍を植えていました。
藍染の原料となる植物です。

今回用意した種は、日本ではなく、外国種のタデ藍です。
種が一般的に手に入るのはこの種類です。

染めの原料として使えるのかどうか?
今年の取り組みとして作付けしてみました。

畑の現状

4月に種をポットに蒔いて「芽出し」をしました。
山小屋の寒さの中、何とか芽を出した幼苗を畑に定植しました。
頼りない苗でした。
半ば無理して植えた苗の定着率は良くありませんでした。
除草もろくにせず、追肥などは施しませんでした。

しばらく後、定着した苗が育っているのが見えました。
藍は思ったより丈夫なのでした。

8月になって藍を世話する余裕もなく、そのままにしていました。
生い茂った雑草の中に、同じ丈の藍が立っていました。

雑草もろとも刈って収穫

めんどくさいので雑草もろとも機械で刈り倒して、藍だけを拾い集めることにしました。
刈払機で調子よく刈ってゆきます。

藍は苗を数本ずつ定植してありますので、拾い集めるときもまとまって拾えました。
箕にふた山ほどの収穫でした。

ついでに自生した赤シソも収穫しました。
こちらは思った以上の収穫量でした。

藍は持ち帰って山小屋の外の水道で洗いました。
そして天日干ししています。
干した後はお茶にしたり、焼き菓子の材料にしてみようと思います。
染の原料とするのは来年以降の課題です。

赤シソは、シソジュースにした後、干してゆかり(ふりかけ)にでもしてみようと思います。