極私的信州上田巡りVOL.4 最新街中点描

上田巡りの続きです。
とんかつを食べ、駅をふらふらした後、おじさんは街中へ出ました。
この日は秋晴れの土曜日。寒くもなく、暑くもなく。
観光客の姿も、駅周辺や古い町並みが見られる柳町界隈にちらほら。
おそらく上田城もたくさんの人出でにぎわっていることでしょう。

今日のおじさんの楽しみは、まず、昼食のとんかつ。
それから街中の菓子屋で団子とおやきを買って食べること。
どこかでコーヒーを飲んで休み、上田映劇で、映画を1本見ること。

演劇小屋から出発した、歴史的な映画館・上田映劇が上田の町に残っています。
ミニシアター的な映画作品上映と、貸しホール収入で運営してます。

この日は寺山修司特集。
遺作の「さらば箱舟」を上映しています。
今時貴重な35ミリフィルムでの上映とのことでした。
集客は10人。

寺山修司の映画作品といえば「書を捨てよ街へ出よう」「田園に死す」の自伝的な、実験劇場的な作りがイメージされます。
のちに東映で、菅原文太と清水健太郎の出演で「ボクサー」といういわゆる一般映画も撮っています。

今回見た「さらば箱舟」は、寺山の個人的趣味はわきに置いた、出演者・山崎努と小川真由美の映画になってました。
撮影の鈴木達夫の凝った映像もあり、ますます寺山らしさが、良くも悪くもなくなってました。

ちなみに、フィルム状態ですが、古いプリントに見られる、いわゆる雨降りやコマ切れはなかったのですが、発色が青みが買っていたのが気になりました。
セリフも聞き取りずらかったのはおじさんの老人性難聴のせいばかりではないでしょう。
上映プリントが青みに強いフジカラーだからでしょうか?
音の再生も併せて、デジタルに慣れてきた観客にとって、フィルムでの上映は懐かしくもあり、物足りなくもあるようです。

(街角点描)

かつての盛況の名残か。古い蔵があちこちにみられる。

上田で2軒あった老舗の古本屋のうち1軒が閉店に。

駅前通りの1本裏の銭湯。いい感じです。

手裏剣の選手権まで行われる。

団子とおやきを買いました。

上田名物のうまタレ焼き鳥の店。

極私的上田巡りVOL.3 駅周辺をさまよう

上田巡りの続きです。
生島足島神社にお参りした後は、上田駅を目指しました。
軽トラを駐車場に止め、まず昼食です。
地元で有名なとんかつ屋、力亭へ行きました。
駅前の飲食店街にあります。

鰻で有名な若菜館や馬肉うどんの田中屋の近くです。

ロースかつ定食を食べました。
肉厚なのに柔らかい。
みそ汁、漬物がうまいのも地方の名店らしい。
キャベツがなくなると追加してくれる。
満足感がありました。

上田のとんかつ屋はこれまで、仔豚屋、六文銭、実楽亭へ行きました。
おもてなしするなら、力亭か六文銭。
がっつり食べたいときは仔豚屋。
一人でもう一度行くなら実楽亭です。

力亭を出て、上田駅へ向かいます。

駅ビルにある、上田から揚げセンター。
際物っぽい感じですが、どっこい。地元客が押し寄せるだけあります。

から揚げ定食の満足度は、全国チェーンのバーミアンの比ではありません。
夕方から居酒屋となり、1時間飲み放題で960円とのこと。いつか行かずにはおれません。待っててください。

上田駅舎へ入ります。
JR新幹線としなの鉄道と上田電鉄が乗り入れる駅です。JRが運航するのは東京と金沢を結ぶ北陸新幹線だけです。

群馬県の高崎から、スイッチバックで碓氷峠を越えてきた旧JR信越本線は、軽井沢、篠ノ井間が第三セクターのしなの鉄道に移管されました。

上田電鉄は、もともとローカル私鉄で、上田を中心に今は別所温泉までの一路線を運行しています。

改札近くに立ち飲み屋が出店しています。

今時の地方都市は、街の中心部の商店街には人がいません。
ひとが集まるのは、郊外のショッピングセンターです。でも駅だけは、人がいるのです。

その町の人が集まり、雰囲気を味わえる数少ない場所、それが駅なのです。
駅側もそれなりに集客に努力しています。
大都市の駅ビルほどではないにせよ、商業ビルを隣接させたり、飲食店を誘致したりしています。

地元の人が休み、時間をつぶせる数少ない場所が駅なのかもしれません。おじさんが知らない町で行ったときには、商店街や市場へ行きます。それらがなかったり、著しくさびれている場合は、駅へ行きます。デパートがあればデパ地下へ行きます。どこかに、その町らしさがあるものです。

極私的上田めぐりVOL.2 生島足島神社へ

上田へ行ってきた。
山小屋からみて、一番近い都市は茅野だが、山小屋の住所である小県郡(ちいさがたぐん)は上田地方に属する。

茅野から大門峠を越えると、途端に人気が少なくなり、ローカルな雰囲気になるが、かつては上田は信州の中心地だった。
例えば、江戸時代以降、江戸を出発する五街道が整備される前のこと。
当時の中央、近畿を出発し、東国・陸奥を目指す東山道は上田を通過した。

そのころ各地の中心部に置かれたのが国府や国分寺。
信濃の国府と国分寺は上田に置かれた。
関東は武蔵国といい、国府が現在の府中市に置かれた時代である。

戦国時代には、実戦に強い真田氏の本拠地であったことは有名。

近代にあっても、鉄道が引かれたのは諏訪地方より先。このころは、諏訪の人が東京へ行くのに、一日かけて徒歩で上田に出、汽車に乗ったという。
戦前、県内の遊郭は、長野、松本と上田にだけあったとのこと。
それだけ上田盆地に物資と人が集まり、産業が起きたということだ。

今は、ひっそりとしたローカル都市だが、街の隅々に味があるのは、豊かな時代を経た名残なのだろう。

上田地方の信仰の中心が、生島足島神社。

10世紀の律令時代に編纂された、延喜式に載っているいわゆる式内神社。
成立時期が不明、というほど古い。

本殿の周りを池が囲うという何とも言えぬ雰囲気のある神社で、折々に市民が集う。

おじさんは何度か訪れている。
去年来たときは、神楽殿で小学生の巫女さん3人が舞っていた。
神楽殿のすそでは、巫女デビューする後輩を見守る中学生くらいの女の子たちが舞いを見守っていた。
伝統が継承されているのを感じられたものだった。

山小屋の毎年のお守りは、ここと、諏訪大社でもらうことにしている。

諏訪と上田の二大古社に毎年挨拶しているわけだ。

この日は七五三で、本殿で祈祷を受ける家族連れが並んでいた。

いつ寄っても、堂々として気品のある所なのがいい。

境内の直売所を覗いてみると、柿やリンゴを中心に、付近の農産物が売られていた。
細長型の渋柿が15個も入って250円だったので買った。干し柿を追加する。

 

渋柿を干す

今年も柿を干しました。
この季節、長野の農家の庭先にミカン色の彩が現れます。
関東以南だと、ミカンのある風景なのですが、長野ではミカンができません。
長野の秋のミカン色は全部が柿の実の色です。

直売所にもたくさん出回ります。
渋柿もます。
平たくて四角い型のものも、釣り鐘状のものあります。

こちらでは干し柿づくりもまだまだ盛んで、ホームセンターには専用のキットが売られています。
紐に専用のフックがついたもので、柿をいちいち縛り付けなくとも、へたの枝をフックさせればよく、またひもが実に食い込まないようにできています。
地方には実にいろいろなものがあります。

さて、山小屋でも干し柿を作りましょう。
直売所で渋柿を買います。
今年は二袋買いました。400円です。

まず皮をむきます。
全体が乾くようになるべく皮は残しません。
ここらへんで売っている渋柿は、しばりつけやすいように枝、を少し残しています。
干し柿づくりにはありがたいことです。

むいたら、ひもで縛ってゆきます。
おじさんはビニールひもで結びます。
案外重くなるので1本に5個くらいにします。
ここまでが第一段階。

実を熱湯につけます。
こうすると消毒(カビ防止)になります。
また、実の表面が高温となり水気が飛ぶので、生を干すより、傷みにくいような気がします。
消毒には、35度の焼酎を霧吹きする方法もあるようです。

ここで、日光に当てます。
実は気持ちよさそうに日光浴しています。

また、初日の夜は、ストーブ近くの物干し竿に一晩掛けます。二日目から、所定の場所で干し上げます。

本干しの間も、時々、日光に当てるようにし、カビに気を付けます。
つるす場所は、第一に風通し、第二に日当たり、と言われています。

ちなみに、おじさんのつるし方だと、どうしても紐が実に当たり、こすれたところが黒ずむことがあります。
味に変化はありませんが、傷んだ部分からカビなどが生えないとの限らないので気をつけたいところです。

また、外側が乾いたときに、実を揉むとか(柔らかく仕上がる)、白カビが生えるようにする(味がよくなり日持ちがする)干し柿づくりにはいろんな応用編があるようです。

難しい応用技法を施さなくとも、よく乾きさえすればおいしい干し柿ができます。
おじさんの家族が楽しみにしています。

(追記)

地元のおばちゃんの話によると、ひもの食い込み防止には、実を回して同じ場所が紐にあたらないようにするとのこと。また、実を揉んで柔らかくするはやったほうがいい、とのことです。

高原は紅葉真っ盛り

定年おじさんの住む標高1500メートルの山小屋。

周辺は紅葉真っ盛りです。

別荘地の入り口です。

ふもとの集落あたりでは紅葉はまだです。

葉っぱ一枚の中色が分かれているものもあるのですね。

おじさんの山小屋の周りは、雑木林なので葉が散っている最中です。

朝晩は寒くて薪ストーブ全力燃焼です。

地元パワースポット訪問記VOL.1 県宝仏岩へ登る

秋晴れです。明日は全国的に雨の予報。
久しぶりに仏岩へ登りました。

仏岩。
おじさんの住む山小屋から、国道152号線、通称大門街道に沿って上田方面へ5分ほどにあります。
1300年ころの鎌倉時代に建てられた仏塔が山頂の岩の上にあります。

大門街道沿いの低山です。
山頂には大きな岩がごろんと立っており、そこに仏塔が建てられています。
県宝です。

登山口には標識と由来が建っています。

しばらく里山の道を行きます。雑木林です。

登山道は、雨水で掘れておりわかりやすく、迷うことはありません。

標識もあります。

ところどころに巨石がごろんと転がっています。溶岩とのことです。

次第に登山道は山肌をまいてゆきます。
幅が狭く崖っぷちのところもあります。

鉄梯子が出てきました。

鎖場もあります。

この道をかつては仏塔を背負った修行僧が通ったのでしょうか。

山頂の岩へ登る梯子が見えます。

梯子の3連続。その上の頂に仏塔があります。

溶岩由来の巨石が山頂です。
今回も頂への登頂は断念。
岩の頂はむき出しで柵も何もありません。
おじさんは高所が苦手です。

最後の梯子にしがみついて仏塔を拝みます。
背景に蓼科山が見えます。

はるか下界の風景です。

おじさんは、仙台での現職時代に、単身赴任の気楽さから近場の低山へ結構登りました。
北泉ヶ岳、二口峠など。
都市近郊の低山とはいえ、東北の山の怖さは忘れられませんでした。
そこは、住み慣れた人界ではなく、山界ともいうべき別の世界でした。
ひとの気配がしなくて別のものの気配に満ちていました。

その点、長野の仏岩は安心そのものの人界です。
登り40分。往復60分ほどの道のりでした。
ただし、都市近郊のハイキングコースのような至れり尽くせりの配慮はありません。
幅40センチほどの道を踏み外せば、崖に堕ちますし、山頂の岩で貧血を起こせば、そのまま行方不明となります。

地方のハイキングコースは案外ワイルドで、おじさんが仙台郊外の名勝地へ行った時も、手すりなどのない、幅1メートルほどの崖の道を歩いていたら、向こうから小学生の一団が現れて、すれ違うのに怖かったことがありました。

長野のこのあたりの小学生は標高2500メートルの蓼科山に遠足で登ります。
山頂付近は急こう配の岩場が続く山です。

田舎はたくましいのです。

(追記)

仏岩を過ぎて大門街道を上田方面に下って行った道沿いに、てっぺんに石碑が乗った溶岩石がある。

登ってみると、稲荷神の字が読める碑だった。

街道のはす向かいにある、大門稲荷神社の関係するものかもしれない。
長野を歩いていると、岩の上に碑が乗っている風景に出くわす。

民間信仰の形態なのだろう。

血液サラサラ!ヤーコン茶を作ってみた

おじさんの朝は、一杯のお茶から始まります。
今は、スギナ茶を煎じて飲んでいます。
畑からむしってきた大量のスギナを乾かしただけです。スギナはケイ素という元素が豊富で、体内の活性酸素を減らす効果があると言われているものです。
寒い朝には、一杯の熱いスギナ茶が体を温めてくれます。

ヤーコンという作物があります。
南米原産のキク科の芋です。
寒冷地で作られ10月下旬から12月が収穫期。
日持ちはよくなくて、1,2か月しか保存できません。
おじさんの自宅(山小屋ではなく)では小松菜、リンゴに混ぜてスムージーにして飲んでいます。
オリゴ糖やポリフェノールの含有量が高く、いわゆる血液サラサラ食品のひとつです。

おじさんは直売所で、種イモを週個買ってきて植えました。
夏場はぐんぐん茎をのばし、葉を広げ、

10月下旬に近くなって花を咲かせました。

一度、試しに掘ったのですが、地下の芋は小さかったので、まだ収穫はしていません。

ヤーコン茶というのが直売所などで売っています。
効用は同じとのこと。
そこでヤーコン茶づくりに挑戦してみました。
手順は、葉を蒸す→天日干し→乾いた葉を揉んで細かくする→炒る、です。

茎を何本か折ってきました。

葉っぱだけをちぎります。

外にストーブを出してお湯を沸かしました。
別荘地のごみ捨て場から拾ってきた薪ストーブです。十分使えます。

蒸し器がないので、ざるを使って蒸しました。
蓋はします。
蒸す理由は、消毒のほか、繊維を柔らかくするためと思われます。葉の根元などは相当繊維が強いです。

蒸した葉をざるに広げて天日干し。
日が弱いのでパリパリに乾きません。
ストーブの上にざるを乗せて、火力で乾燥させました。

手で粉にします。

粉を炒って完成です。

繊維の強い部分は粉にならず、捨てましたが、細かく切れば使えたかもしれません。
おじさんのヤーコン茶は炒りがきつかったのか、やや苦み走ってます。

今日からおじさんの朝のお茶のメニューが一つ増えました。

ついでに今夜の夕食をストーブで作ります。
野菜たくさんの煮込、3日分。野戦料理です。

寒さ厳しき夕べ 別荘管理事務所の慰労会に参加

定年おじさんの住む、長野の1500メートルの高原は、秋が深まっております。
朝夕の寒さは深刻です。暖房なしでは一時もおられません。

ということで、ここ別荘地の管理事務所の慰労会に参加してきました。
おじさんは事務所の職員ではないのですが、この4月から6月にかけてアルバイト職員で登録していましたので、お誘いがあったのです。

アルバイトといっても、おじさんの場合は週3日の勤務。事務んで決めたローテーションです。
職種は落ち葉集めと草刈り。
アルバイト仲間は別荘住民。
定住していたり、長期滞在中の60歳台~70歳代がメインです。
丸1日の労働は、若いころならともかく、62歳のおじさんにはしんどかったのと、7月に入ると畑が忙しくなり、朝市に参加するなどしたので、行かなくなりました。
それでも、慰労会には誘ってくれたのでした。

別荘の管理事務所は有限会社組織です。スタッフ8名。管理事務のほか、別荘地の保全業務を担っています。
売り上げ9000万円ほどの有限会社で、主な収入源は、別荘住民の管理委託料。
管理委託料は、1区画で年間4万円ほどします。

ほかに別荘地の地主である財産区(町有だったり共有の土地を管理する組織)からの収入があります。

別荘住民は、管理料のほかに、建物の固定資産税、住民税(住民票の有無を問わず)を払っています。
つまり、別荘住民の費用負担を収入源として存在する会社となります。

40年前の別荘開発時には民間業者が管理していたものが、民間業者が撤退し、紆余曲折を経て、現在の形態となったようです。
地元色の強い、半官半民に近い組織です。
別荘管理にかかわるサービスは一所懸命やってくれます。
待ちの主要産業のひとつ、別荘運営を最前線で担っています。

さて、慰労会。
会場は町内の和田地区というところにある、湯游パークという温泉施設内の食堂です。
別荘住民は各戸まで送迎付き。
参加費の個人負担は少ない。というありがたいものでした。
何せ、田舎では飲み会の際の足が重要問題ですから。

地元を知るまたとないチャンス、とおじさんの胸は躍りました。
同時にアウエー感が暗雲のように広がりました。
果たしてどんな場所に連れていかれるのやら・・・。

山小屋までは職員が迎えに来てくれ、事務所からは会場施設のマイクロバスに乗りました。
暗闇を走り、集落で職員たちを拾ってゆきます。
寒い夜に、自宅からどんどん離れた田舎道を行くときの不安感!

町内とはいえ、たっぷり30分以上走り、湯游パークへ到着。
今はやりのスーパー銭湯的な施設内のふれあい食堂へ案内されます。
三々五々、入浴客などの自家用車が駐車しています。
当然ながら、都会のスーパー銭湯のような活気はまるでありません。周りは明かりも音もない田舎です。
施設内の人気を頼りに入所します。

入ってみると、よくある昭和な景色の食堂。
椅子やカウンターの配置は何の違和感もなく、アウエー感が雲散霧消。
おじさんの得意な環境です。
現金なもので、一人ででも飲んでゆきたくなりました。

参加者はアルバイトが6名。職員が8名。社長と監査役。来賓として、近場のスキー場管理会社の社長。
この社長は元副町長ということで、皆さん地元の仲間。町の観光事業を担う、半官半民会社の幹部集合、というような塩梅でした。

といっても堅苦しさはありません。
今時、いかに田舎の有力者とはいえ、絵に描いたようなパワハラ満々なボス面の人間がいるわけではないのです。
有力者が挨拶し、乾杯の音頭を取るのは会社の宴会と同じ。極めて淡々と会は進んでゆきました。

宴会の最中でも、権力者に忖度して、注いで回るような人は現れませんでした。
都会の会社の宴会より民主度は上かもしれません。
各自、飲みたいものを注文し、気づかいや強制もなし。酒自体を飲まない人も目につきました。
醒めているのか、もともとストレスがないから発散する必要がないのか。

食べ物は、刺身のカルパッチョを前菜に、松茸土瓶蒸し、から揚げなどが出て、メインはすき焼き。
すき焼きは、最初の一杯を向かいに座った女性職員がよそってくれました。

締めがラーメンでした。
1人前のラーメンが、全員に出ました。

食事がうまいのがいい意味で予想外でした。
単調な山小屋暮らしからすると、刺身など、多彩な居酒屋メニューには味だけでなく、心も満たされるようでした。

地元による、地元のための宴会。
貴重な経験をさせてもらいました。

今年最後の収穫 ハックルベリーでジャムを作りました

ハックルベリーという作物がある。
おじさんは長野に来て初めて見た。
直売所で買おうとして、レジのおばさんに、生食できないよ、と言われてびっくりした。
ジャムのレシピをもらって帰り、さっそく作った。

日本で食用にしているものは、ガーデンハックルベリーと呼ばれるナス科の植物とのこと。
本場の北米では、マーク・トゥエインの小説「トムソーヤの冒険」の続編的な「ハックルベリー・フィンの冒険」で主人公の通称となるくらいポピュラーな存在とのこと。

今年、定年おじさんが畑を作付けするとき、直売所の苗売り場で、これの苗を見つけた。
2本買い、植えた。
順調に育ち、8月には実を収穫し、朝市にも出した。
ジャムの作り方を説明すると、買ってくれるお客さんがいた。

畑のハックルベリーは、放っておいたところ、第二弾の花が咲き実がつきだして、生命力にびっくりした。

畑も10月下旬となり、最後の収穫をした。
根が強く張って引っこ抜くのが大変だった。

収穫量は小さいボールに一杯くらいも。
予定外の収穫だった。

ジャムを作る。

まず、あく抜き。湯でこぼした。
重曹などを使う方法もあるらしいが、おじさんは単なる湯でこぼしにした。

そのあと、砂糖を入れてストーブに掛けた。

色がいい。
ブルーベリーの5倍のアントシアニンの含有量だ。

煮ると同時に保存瓶の消毒も行う。

ジャムが煮詰まってきたら、熱々の瓶にジャムを入れ、軽く蓋をして再び煮沸。
こうやって瓶の中の空気圧を抜いておく。

蓋をきっちり締めて完成。

ちゃんと作れば、常温保存で夏場を超えても傷まない。蓋を開けるときに苦労するくらい密閉されている。

このジャムは、おじさんが来年、朝市にハックルベリーを出品する際の試食用にする予定だ。

今日の仕事は焚きつけ作り

定年おじさんが住む長野の高原は晩秋の気配がしてきた。
あの暑かった夏はどこへやら。
朝夕はもちろん、日中でも風の冷たさは、油断すると風邪をひきそうになるくらいだ。
定年おじさんも地域でいい気になって飲んでばかりいないで、寒さに備えなければならない。

で、燃料の準備。
主燃料の薪はかなり積んだので、今回は焚きつけの準備。
ストーブでの薪の着火には、新聞紙と焚きつけを使っている。
新聞紙は別荘地のごみ集荷場で、古新聞の束をもらってくる。地元の信濃毎日新聞の古新聞が多い。

信濃毎日新聞は、別荘の管理事務所で時々読む。
真面目で権力のチェックはしっかり行う印象がある。
権力に忖度せず、おのれの信じた道を進むところが長野らしくて好感が持てる。
焚き付けとしてよく燃えるところも好ましい。

焚きつけ材は大工さんからもらった廃材の板をカットし、割って使う。
この焚きつけ材、乾いていないとどうにもならない。
その点、廃材は完全に乾いているのでうってつけだ。

子供のころは、故郷の北海道で、ストーブで石炭を焚いていた。
高学年になると自分で火おこしもした。
焚きつけ材を使わず、固く絞った新聞紙で着火できるようになったものだった。

定年おじさんになって、新聞紙だけで着火する自信は失せているので、焚きつけ材を用意する。

軒下に廃材のストックがあるので持ってくる。

山小屋の周りに倒木した際の小枝がまとめてあるので、軽トラで回って集めておく。
これらを手ごろな長さにカットする。

テーブルソーを用意する。山小屋の先代からの備品。
これといい、チェーンソーといい、大工用品といい、先代がそろえたの備品の充実ぶりには感謝しかない。

おじさんは去年初めて、テーブルソーを使った。
まあ、チェーンソウだって、草刈り機だって、山小屋に来て初めて使ったのだけれど。

ドラムを伸ばしてコンセントをつなぎ、テーブルソー始動。
薄い板とはいえ、節などにあたるとキックバックを起こして跳ね返ることもあるので気を付ける。
コツは全部カットせず、少し切り残してあとはたたき折るようにすることかな。

手ごろな長さに切って保管。
都度、手斧で細く割って使っている。
暇を見て少し割っておいてもいいだろう。

枝のほうは手ごろなサイズにカットした後、乾燥させる。
生木は小枝といえども、夏を超えないと、乾燥した焚き付けとはならないからだ。